[ 2011年〜2010年/ 2009年/ 2008年/ 2007年/ 2006年/ 2005年/ 2004年/ 2003年/ 2002年 ]
2008年の終わりに 2008/12/31

2008年が暮れようとしています。

今日が明日になる事には変わりなくて、

いつもいつもの夜だけど、

今夜はじっくり一年を噛み締めてみたいな。

色々あった一年だけど、

良い事も悪い事も、

嬉しい出来事も、悲しい出来事も、

うまくいった時期も、なかなか進めなかった時期も、

何はともあれ、

ご苦労様でした。

来年の朝に清々しい顔で会おう。

2008年、沢山お世話になりました。

有り難う。

そして、

よいお年を!!


カラスの行水 2008/12/05

生まれて初めて、
カラスの行水を見た。

意外にゆっくりだった。
ことわざとは違うなと思った。

天気予報では、
昼過ぎに雨が降り始める予定だった。

夕刻過ぎに雨は降り出した。
何とか傘を持って来た甲斐があったなと思った。

疲れた目をこすって、
一時間近く仕事に没頭した気がした。

腕時計を見ると20分しか経っていなかった。
この時間の3倍も過ごさないと一時間になってくれないのかと思った。

金曜というだけで混み合う、
安易な帰りの電車に乗って我が街へ、

3駅手前で降りようと錯覚した。

いちいちが長く、徒労感のある現実だなと思った。

長い間、考えたような気がした。

随分、長い慕夜記を書いている気がした。

もう、朝かと思った。

でも、僕の気持ちは、全て現実に足りずに終わっていた、

そんなあっと言う間の一日だった。


お見舞いに行く 2008/12/01

今日はお友達のお見舞いにプラッと出掛けました。
思い返してみると、人のお見舞いなんてするのは随分久し振りです。
遠い記憶の中に、オバアチャンを家族で見舞いに行ったのが最後ではないかな。
すると20年ぶりくらいって事になります。

僕自身も、手術や入院からは縁遠く、
病院に5時間以上滞在した事はありません。
今更、病院に入院や手術なんてする事になれば、
そのショックだけで、死んでしまいそうな気がします。

それだけに、友達が入院って聞くと、
不安になりますね。
地元の雑貨屋さんでお見舞いのプレゼントを買うんだけど、
何を持って行って良くて、何が駄目なのか、
まったく見当がつかないんですね。
結局、身体に悪そうな外国のチョコレートと、
5秒間は退屈しのぎになるだろうおもちゃを買って行きました。

友達が入院していたのは割と大きな病院で、
そのそびえ立つ姿を見ただけでも、僕は具合が悪くなりそうになりました。

友達が入院しているらしき階に上がったものの、
何号室にいるのかをうっかり聞き忘れて来てしまったので、
早速ナースステーションに行ってジタバタやりとりがうまくいかないところに、
ちょうど友達が通りかかって、
無事、お見舞いの開始でした。

思っていたよりも元気な姿に見えてほっとしました。
ただ、両腕の注射の跡が痛々しかったな。
僕は幼い頃から、大の大の注射嫌いだったので、
「注射は2日にいっぺんくらいでいいですよ」
なんて友達が言ってるのを聞いて、縮み上がりました。
病室は、いかにも病室で、
窓からの夜景は心を和ますものかなぁと思いました。
夜の9時には消灯なんだそうです。
そっから、強制的に眠らされるなんてつらいなぁ。
宵っ張りの僕には苦痛な出来事です。

「手術が終わってからは大して検査もないし、一日やる事ないですよ」
友達にとっては、少し退屈だけどいい休養時間になっているみたい。
僕もそれを聞いて、何となくそれを羨ましくも思いました。

他愛もない話を小一時間楽しみ、
靴下の見せあっこやら、ナースに萌えない話とかして、
それでも「本当に元気かな?」とか「手術跡が痛みやしないかな?」とか、
「一人で寂しくないかな?」とか、
友達がふと目を身体に落とすたび、
ちょいちょい心配しましたが、
それを口にはしませんでした。

友達は、
「外が寒いなんて知りませんでした」
と言いました。
「たまに何をするでもなく外に出たくなりますよ」
とも言いました。

僕は、
「いい機会だから、思いっ切りゆっくりしな」
と言いました。
その友達はふんわりした笑顔で、
ゆっくり想いを話す子で、メレンゲのような子なのですが、
今日はマシュマロのような感じの想いが伝わって来ました。
少し湿り気があるってのかな、
僕が病院の雰囲気に気落ちしてたのがあるんだと思うけど、
そんな感じがしたな。

とにかく、無事に手術は成功したわけで、
何はともあれ、おめでとう、
ご苦労さん!!

「先に、寒い外で待っているよ」


グッスリ 2008/11/28

寝不足の僕は、寝坊気味で、
グッスリしていた。

グッスリ起きて、
グッスリ風呂に入り、
グッスリ身体を洗う。

今朝は激しい雨風の中で眠ったけど、
起きた昼にはグッスリ止んでいた。
歩くうちに空はグッスリ晴れ渡っていった。

グッスリした店に入り、
眠気覚ましに黒いフリスクをグッスリ目に買う。
これとブラックコーヒーをグッスリすれば、
グッスリした頭をこの一日、もたす事ができるかもしれない。
そんなグッスリした期待でも多少のやる気につながるものだ。

後は、どこをどうグッスリ生きたのか覚えていない。
とにかくゆめとうつつの間をウロウロとグッスり、
無抵抗のまま、いつしか布団にグッスっていた。
一日を乗り切るのに、
こんなグッスリしたのは初めてだ。


でかい雨粒 2008/11/27

道行けば、俺の髪の毛の最も短いところに、
雨が落ちて来る。
今日は、どんより雨模様だ。

結局、朝まで掛かってあれこれ文章を書き、
結局、朝まで掛かってギターを弾いたから、
眠い筈なんだけど、
何だか雨模様に煩雑な気持ちになって、
変な頭の冴え方をして出掛ける。
ここぞとばかり、得意げに傘を持って出掛けたけど、
通りを行き交う人達はみんな傘を持っていた。
ジャケットに落ちた雨一粒の跡はやけにでかい。
でかい雨粒が次々に落ちて来る。

殺伐とした眠気で地下鉄に乗り込み、
なす術もなく目的地で電車を降りる。
思えば、随分とこんな生活をしているな。
目を閉じてさへ歩めそうな道のりなんだ。
いつもの掃除のオバチャンに会い、
いつもの「ヤマチャン、おはよう!」を聞き、
いつもの「ダーリン、今週の土曜に弁当食べに行こうね」に答える。
幾らか肩の力が抜けて、
表情が柔らかくなった気がした。
オバチャンとの会話で、幾らかの潤いを持って、
やっと一日が始まった。

やがて夜を迎え、
眠りそうな勢いだったけど、焼きそばを食べて、
かなり持ち直した。
今夜はゲストを呼んで31rpmの収録だ。
これは結構な興奮と笑いで過ごした。
そして、日付は一日をめくって新しくなっている。
俺はまだ起きてるぞ。

あの子は手術前にこの慕夜記を読むだろうか。
頑張ってね。
応援しているよ。
今の俺の精一杯の気持ちだな。


絵日記、はじめました 2008/11/26

昨夜はギターを弾いたまま力尽きた、
から、今朝はそのように起きた。
つまり、ベッドから片足が落ち、枕の下に頭を敷いて、
ギターがベッドを枕に眠っていたという事。

部屋は凍えるように寒かったけど、
カーテンの向こうには暖かい陽気が広がっている事を予感していた。
あの子は、もう病院のベッドに慣れる頃だろうか。
病室の窓からは心を和ますだけの景色が見れるんだろうか。
この陽気が手の平に届いてはいるんだろうか。
落ち着かないよな。
う〜ん、笑えてるといいけどな。

僕は出掛ける。
横浜に出陣する。
いつもの池袋駅、何気なく人が集まって、
何となく増えたり少なくなりながら、
人々が散り散りに目的を抱えている。
ありきたりな人の気配が、妙に有り難く感じる。

思えば、ここ数ヶ月、
複数の事に想いを巡らせ、
あれこれと右往左往していたつもりが、
矢っ張り、集中力を欠く事になってしまったような気がする。
横浜までの電車、流れる車窓に、そんな事を実感していた。
携帯電話を手に取りメールを送ってみようとして、
矢っ張り、気持ちが散漫な気がして、
すぐにカバンに入れ直した。

横浜に着き、関内へと乗り継いでいく。
途中の桜木町の風景、
夕映えのベイエリアに観覧車のイルミネーションがよく馴染んでいた。

何かの出来事が重なって起きる時って、
自分というエレベーターが、
「重量オーバーですよ」というお知らせしている時なのかもしれない。
僕のような単純な人間が複雑に考えようとしても、
結局はちらかして終わるだけ。
シンプルにならなくちゃな。
と言い聞かせてギターを背負い直し、
関内の駅にドスンと降り立つ。
今日は横浜BAYSISで唄います。

ライブをしている時間は、唄う事に集中できる。
僕にとって、緊張する場所だけど、
唯一、本来の自分に返らさせてくれる場所かもしれないね。
今日もスポットライトの中で、
僕は夢の絵本を1ページめくった。
それは本当に幸せなひとときと感じるよ。

楽屋に戻ると、思いのほか体力を消耗していて、
楽屋のベンチにドッカリ寝転んでしまった。
何を考えるでもなくボーッとして、
壁に掛けてある時計を見た。
久し振りにアナログ時計を見たんだけど、
秒針が異様に早く回っているなと思って、驚いた。
世の中の時間って、こんなに早く進んでいるのかっ!
と、スローな自分に不安を感じてしまった。
昨日から今日、
今日から明日、
今が、いかにも駆け足で目の前を通り過ぎて行く。
まして、もう年末と呼んでいい時期に入っている。
この一年、僕が積み上げた物と、
見落としてしまった風景をアルバムに整理して、
そろそろ新しい年の事を考え始めなくちゃいけないな、
なんて思ったよ。

帰り道は、社長の車に乗ってビューンと東京に戻って来た。
僕は今まで夜景というものに感動した事がない。
あの小さな灯りのひとつひとつに人がひしめいて生きているのかと思うと、
いつもゾッとしていた。
でも、今夜、首都高の車窓から覗いていた東京の夜景は、
わりとグッと心を突っつく美しさがあったよ。
クリスマス色なのかな、
年末色なのかな。
とにかく、僕は、
夜景を見て、新しい明日に希望を持てたんだ。


どうしたら 2008/11/17

どうしたら、
どうしたら、君が笑っていられるのかと、
そればかり考えていた。
だけど、
いつも結局、僕がケラケラ笑って話は終わってしまう。

どうしたら、
どうしたら、君の痛みが和らぐのかと、
そればかり考えていた。
だけど、
いつも結局、僕が勝手に勇気を得て終わってしまう。

どうしたら、
どうしたら、君が安心して眠れるのかと、
そればかり考えていた。
だけど、
いつも結局、僕の方が眠そうな顔をして終わってしまう。

思い通りにはいかないものだな。
いつも結局、思い通りにはいかないものだな。
君の事を考えようとして、
僕は結局、自分に合点がいって終わっているのだな。
人とは不思議なほど思い通りにいかないようにできている。

どうしたら、
どうしたら、君のそばにいられるのかと、
そればかり考えているのに、
いつも結局、僕が先にそこを去っていくのだ。
あぁ、思い通りいかなくなってしまうのは、
君のせいじゃなく、
僕のせいなのだな。

約束の電車には、
歩いても間に合うだろうか、
それとも、
走らないと間に合わないのだろうか。

暗闇の中で、僕は君をおんぶして歩く。
君は懐中電灯で、僕等の道を二、三歩先まで照らす。
僕はそうして、どうにか、
僕はそうして、こうにか、
真っ直ぐ歩いていられるものだと思っているのだ。

どうしたら、
どうしたら君の安心した寝顔に辿り着くだろうか。
歩いて間に合うのかい?
それとも、
走れば何とか、間に合うものなのかい?


オカシナ夜 2008/11/13

俺は自分の寝不足に、珍しく気付かず一日を過ごした。
いつもならどこかで「ふわ〜っ、寝不足や!」と居眠りを打つ筈なのに。
身体のエネルギーを空にして目を閉じる直前まで、自分は元気一杯だと感じていた。

夜空には満月が妖しく光って触手を伸ばしていた。
僕の脳はそれに遊ばれて、グチャグチャに掻きむしられていた。
満月から、そう遠くないところにオリオン座が控え目に光っていた。
でも、その主張は力強いものだった。

僕はその両方を見上げて、
その両方に「綺麗だなぁ」と想い、
その両方に「わかってるよ」と呟いた。

一日は差し迫って早く過ぎようとしている。
僕はそれに逆らうように右往左往したけど、
結局、何か大きくズレ込んだ時間の中にいた。
一日の実感かぁ…、
「わかってるよ」

部屋はガランとして昨夜の熱気はとっくに冷めていたけど、
各所に散らばった物は昨夜のままだった。
俺は改めて、この部屋が随分と寒い季節を迎えている事を知った。
俺は着替えず、そのまま布団に入って温まった。
散らばった物は、何一つ触らなかった。
蛍光灯が、またたいたように思った。
何も手につかないまま目を閉じそうだった。
「わかってるよ…」

自分のおかしさに呟いて、夢の底に落ちたような気がした。


ヨシオ 2008/11/12

いつももぐる、ふっか〜い電車の中から,
いつまでたっても慣れない手つきで携帯をイヂ繰る。

毎日、顔を合わせて、
毎日、飽きる事なく、どうにもならない話で、
絵にもならないような毎日を、
絵に描いたように面白くさせていた。
そんな夢を実現できているのは、
ヨシオ、
高校からお前といたからなんだよ。

どんな退屈な出来事も、
お前と話しているうちに誇り高い漫談にした。

どんな悲しい出来事も、
お前に話して質のいい喜劇にして、
俺達はその役どころを楽しんだんだ。

なぁ、ヨシオ。
お前の築いた道と、俺の築いた道、
矢っ張り同じような時間と位置にいて、
横目でお前を気にしていたのに、
気付かなかったんだ。
お前の静かな決意を。

そして俺は今、お前が開いた扉に、
友として幸せと誇りを感じるよ。
お前の決断で、こんなに感動したのは、
初めてだ。
こんな静かに身の内が奮える思いをしたのは、
生まれて初めてだよ。

何だかお前こそが真っ直ぐ生きていて、
俺はどこかでドロップアウトしてしまったんじゃないかと思えてしまう。
いつも俺は、お前に偉そうにガチャガチャ言いながら、
結局、お前のお陰で自分の本来の道に戻らせてもらってたんだ。

お前等の幸せを祝福してやまない。
今夜は生まれて味っわた事のない幸せが身体に巡って仕方ないんだよ。
それで、俺は眠れない。
でも、お前はいつものように早々と寝てるんだろうな。

 

いつもの、ふっか〜い地下鉄の中から、
いつまになっても慣れない手つきでお前にメールをするよ。
そして一晩掛かってその意味を噛み締めるんだ。
人の事でこんなに幸せを感じた事はないんだよ、
ヨシオ。

ヨシオ、
おめでとう。

今夜は何度もそう叫びたい気持ちなんだ。


あっ!思い出した! 2008/10/22

ヒット、ホームランを量産している調子のいい時、
その時のバッティングフォームは完ペキなものだろうけど、
それを維持し続けたら、
やがてホームランどころかヒットも打てなくなる。

同じフォームで同じポイントを狙って、
しっかり打っている筈なのに、
バットは空を切るようになる。
で、それは必ずなる。
つまりそれは、完ペキなバッティングフォームじゃなくなったという事だ。

まったく同じフォームでも完ペキと不完全がある。

もし、投げるピッチャーが寸分変わらずにいてくれたら、
ひょっとしたら完ペキなホームランバッターのままでいれたかもしれない。
でも、周囲は一定ではいてくれない。
そして、自分の身体や考え方も一定ではいられないんだ。
だから、どんな名選手でも、
自分のフォームを作っては崩し、作っては崩し、
スタイルを変えながら調子を作って、大記録を残しているんだろう。

でも、スタイルを変えている時なんてひどいもんだろう。
調子が落ちて来たところに自分のスタイルを変えるもんだから、
そりゃあ、滅茶苦茶に崩れてしまう。
そりゃぁ、下手っぴぃのド素人に戻されてしまうんだよ。

でも、振る。
バットを振る。
とにかく振り続ける。
自分に不安と疑いを持ちながら、
両手に血を滲ませながら、
必死になってバットを降り続けるだろう。

その姿は、野球をやり始めた頃と同じ姿なんだろうな。
そこだけが変わらないものなんだろうな。
調子がいい時を受け入れるのは簡単だけど、
その苦しい姿は、なかなか受け入れられない。
早く抜け出したいと思いがちだけど、
そこが、その姿こそが、
いつまで経っても変わらない、
大切な姿なんだろうなぁ。

…それだ!
俺が思い出したかったのはそれだ!
いつもいつも、忘れては思い出そうとするのはそれだ!
苦しい中で無心にバットを振り続けている時のそれだ!

それは不器用で、惨めな姿だろう。
でも、そこに本来の真っ直ぐな心がある。

自分が変わっていく時、
また、自分が変わろうとしている時、
格好をかまっていられないほどボロボロのになって、
一度、真っ直ぐ何もない身ひとつに戻らなくちゃいけない時がある。
それをしなくちゃいけない。
それを避けては通れない。

痛みのともなわない変化はない。
孤独感のともなわない変化はない。
失う恐怖のない変化は、変化と呼べない。
真っ直ぐになってそこにぶつかっていかなくちゃいけない時がある。

そうだ、そうだよ。
何かパッとしなかったのは、それを忘れてたからやなぁ。


Human touch《人間味について》 2008/10/16

どだい、
信じるよりか、
疑う方が簡単で、
だから、人を疑うか、
だから、自分を疑うか、
だから、可能性を疑うか、
要は、簡単な道を選ぶか、難しい道を選ぶかだけの事に過ぎない。

どだい、
許すより、
許せないとする方が簡単で、
だから、人が許せないのか、
だから、自分が許せないのか、
だから、おかれた環境が許せないのか、
要は、簡単な道を選ぶか、難しい道を選ぶかだけの事に過ぎない。

どだい、
進むより、
あきらめる方が簡単で、
だから、人をあきらめるのか、
だから、自分をあきらめるのか、
だから、思い付きをあきらめるのか、
要は、簡単な道を選ぶか、難しい道を選ぶかだけの事に過ぎない。

どだい、
続ける事よりも、
飽きてしまう事の方が簡単で、
だから、人に飽きるのか、
だから、自分に飽きるのか、
だから、ゴール間近で夢に飽きるのか、
要は、簡単な道を選ぶか、難しい道を選ぶかだけの事に過ぎない。

どだい、
黙っている事よりも、
しゃべってしまう事の方が簡単で、
だから、人の事をとやかく言うのか、
だから、自分の事を言葉で守ってしまうのか、
だから、愚痴をおかずに飯を喰らうのか、
要は、簡単な道を選ぶか、難しい道を選ぶかだけの事に過ぎない。

どだい、
愛する事よりも、
嫌なところを見つける事の方が簡単で、
だから、人を嫌ってしまうのか、
だから、自分を嫌ってしまうのか、
だから、自分の身に付いたものを嫌ってしまうのか、
要は、簡単な道を選ぶか、難しい道を選ぶかだけの事に過ぎない。

生物の心は簡単にできている。
ただ、人には唯一の贅沢が与えられている。
それは、自分の選択によって困難に立ち向かっていけるという事だろう。
要は、簡単な道を選ぶか、難しい道を選ぶかだけの事だ。

だから、信じ、許し、黙って、進み、続け、愛するのだ。

何も知らずに、簡単に身を任せ生きていた人々に、
何も知らずに、簡単に身を委ね生きている僕等に、
キリストがブッダがアラーが、
困難という贅沢を教えてくれた。
要は、人として、
簡単な道を選ぶか、難しい道を選ぶかだけの事だ。


お月ゃれ様 2008/10/15

一日が、ぬるい風呂の中で屁をこいたように、
はっきりしない。
ブクブク、ボワボワして終わると、
どうにも生きた実感に乏しくて寂しい。
変な一日だ、と。
奇妙な気分だ、と。

外に出れば一陣の風、
割とスパイシーに頬を撫でていく。
その風に殴られるまま、顎を上げると、
満月がそこにあった。

「あぁ、満月のせいかぁ…」
奇妙な気分の一日に、こんな納得をする。
満月こそ、いい迷惑だ。

まんまるお月様、
目を細めて見ても、まんまるい。
まんまるお月様、
目を細めたら、光の糸が僕の胸元に下りて来る。

誕生日から僕の胸元には三日月のペンダントが輝いている。

黄金の満月と白銀の三日月、
そいつが今、僕の目の前で反応し合っている。

月よ、そのまんまるな笑顔に、僕はどれだけ心の角が癒された事か。
月よ、そのまんまるな仕草に、僕はやっと一息、笑う事ができたんだ。
月よ、そのまんまるな輝きに、いつも近くにいさせておくれよ。

夜道を行けば、交差点に酔っ払いと車の激しいクラクション、
どんな静かな夜にも、酔う人はいて、運転を荒げる人もいる。
みんなお月ゃれ様。
みんなが月光の下、まんまるにお月ゃれ様でした。


God breath me !! 2008/10/14

先日は、無事に誕生日を重ねる事ができました。
ひとえにみんなのお陰です。

僕がこうして唄ってられるのも、唄が好きでいられるのも、
一夜に一献の酒、格別な味にありついていられるのも、
まるで、みんなのお陰なのです。

俺みたいなモンが、何をできるか!といつも思いますが、
俺みたいなモンが、こうしてできる事がある、と感謝します。
それもこれも、
公私に渡り、俺を面白がってくれるみんな、
まるで、みんなのお陰様なのです。

『芸は自分を空しくしてあたうもの』
そんな言葉に、ズッシリ重みを感じる年頃にもなったかな。

誕生日を終えて、いきなり体調を崩し、
イマイチの天気に、ノーテンキな顔をさらしております。

『クラゲ』って唄があります。
俺の曲ですけど。

『海の底に またたく魚が
流す涙も 矢っ張り しょっぱいの?』

ひょっとしたら、魚の涙で海はしょっぱいのかもな。
なんて思った夜。

『漂っても進路は変えず 孤独なパレードが行く
明日へ 明日へと 続いていく』

僕は生まれ変わる事が許されるならば、
どうかクラゲにして欲しいと願います。

「だって脳ミソもないんだぜ、心なんてあるワケないよ」
誰かがクラゲに言いました。

だから、なりたいんだ。

漂っても進路を保ち、明日の海に向かっているクラゲに。
真っ暗な深海に、淡く命を輝かせているクラゲに。

「だって脳ミソもないんだ、心なんてあるワキャない」

それでも明日へ、明日へと続いていく孤独なパレード。

来年、来月、来週、明後日、
そんな欲を持たず。

自分を空しくして、
身体を空しくして、
頭を空しくして、
心を空しくして、

俺は、ただ明日へ、
ただ明日へと、
向かっていたいな。


しぼること 2008/10/07

すべては、放っておくと、
少しずつ広がりを見せる。

やろうとする事も、やるべき事も、やりたくない事も。

すべては、放っておくと、
少しずつ広がりを見せる。

夢も希望も、想像も、人との関係も。

すべては、放っておくと、
少しずつ広がりを見せる。

部屋に散らばる物も、頭に散らばる仕事も、胸に散らばる人の名も。

すべては、放っておくと、
少しずつ広がりを見せる。

東の空から生まれる朝陽も、それを追って来た夜も。

まるで小さい頃、おもちゃ箱から延々とおもちゃを引っ張り出しては、
飽きる事なく、いつまでも遊んでいた時間のようだ。

ただ、物事にはやがて終わりが来る。

そんな時、広がった物事で気持ちが曖昧になる。

だから俺は、

時々、しぼる。
心を、しぼる。
我慢強く、しぼる。

気を抜けば、また広がってしまいそうだ。

夕陽が今日の光をしぼっていく。
朝顔が朝の終わりに花弁をしぼっていく。

さびしいけど、すべてのしぼりは、
次の広がりへの準備なんだ。

広がってグレーになったものを、
白い箱と黒い箱に一旦分けてみる。

すべてのものは、放っておけば、
いつかまた優しく広がりを見せるだろう。

雨の間に間に、かぐわしい金木犀の薫り。

夏がしぼられているような…。


山口、所信表明 2008/10/03

僕は、
『赤信号、みんなで渡れば…、
…否、みんなで渡りたくない』
側の人間です。

僕はよく、
「アマノジャク」や「シリメツレツ」や「キブンヤ」
などと、人に褒められます。
つまり人から見ると、僕は一貫性の欠如した人間なのでしょう。

ただ、僕は僕で一本の信念を持っています。
つまりそれが、
『赤信号、みんなで渡れば…、
…否、みんなで渡りたくない』
側の人間でいるという事なのです。

例えば、車が通らない横断歩道、
赤信号に何人かが止まっているとします。

そこで誰かが気忙しく、赤信号を無視して歩き出し、
それにつられて他の人間もバラバラと渡り出せば、
断固として信号が変わるのを待ちます。
僕は決して渡らない。
『こんな赤信号の時間くらい急いだって変わらへんやないか〜』
と心中、小馬鹿にしたりするのです。

でも、誰もがその赤信号が変わるのを御丁寧に待っているのなら、
僕は断固として、その赤信号を無視して渡ります。
『赤信号に頼らす、自分の目を使って、渡れるものならば渡るのが道じゃないか、
世の中のルールに頑なに縛られているのはよくないぞ』
と心中、他の人を叱咤するのです。

これが僕の信念です。
僕の真の自然体はここにあると思います。
説明のしようがないくらい、
これが僕の素の部分だと感じています。

どうだろう?
僕はいずれ、どこかで車にひかれて死んでしまうだろうか?


穏やかならぬ人 2008/09/27

ヘッドフォーンの奥から聞こえて来る曲は、
穏やかな子守唄。

あれこれイヂりながら、
僕は結構苛立っている。
なんだかなぁ〜、子供が穏やかに眠ってくれそうにないなぁ〜。
気を取り直して、イヂり、イヂれば、
また何だか苛立って、
パーマ頭を更にくしゃくしゃに掻きむしる。

穏やかな子守唄を作ってんだけどねぇ。

そのうち、また静かになって、
あれこれイヂって、イヂったら、
何だか不意に考える事が悲観的な事ばかりだった。

穏やかな子守唄を作ってんだよねぇ、俺。

ヘッドフォーンの重みと、音の重みに、
耳がもげそうだ。
俺は渋い顔。
眉間に深々とシワが寄っている。

穏やかな子守唄を作るぞ、俺。


今朝、見れるもの 2008/09/26

今朝、朝顔を見た。

幾つかは寝てた。

そしてほとんどが寝惚けた顔をしていた。

 

今朝、東の空を見た。

夜から朝に変わるのはあっと言う間、

拍子抜けする程あっさりしていた。

今朝、タクシーの車庫を見た。

地下の駐車場にビッシリ埋まったタクシーの群れから、

懐かしい爺さんの家のにおいがした。

けど、仕事を終えたタクシーには爺さんどころか、

誰もいなかった。

 

今朝、警官がいないパトカーを見た。

エンジンがかかりっ放しだった。

アイドリングストップして下さい。

と、思った。

 

今朝、茜色の雲を見た。

高く、広く、うねり、かすみ、ちぎれ、重なっていた。

言語に尽くせず、絵にも写真にも収まらないと思った。

 

僕の知らないところで、
朝には壮大なことが巻き起こっているんだなぁと実感した。


適応 2008/09/23

あ〜あ、もうすぐ誕生日かぁ〜

なんて帰りの電車で考えていた。

何がどう変わったか、自分でもよくわからないし、
きっとはた目にも見えない加齢だと思った。

最近、人から、
『何を言ってるのかわからない』
『何を考えているのかわからない』
『本気か冗談かわからない』
『あっちこっちにイイ顔をしている』
などなど、
数々のお褒めの言葉を頂いている。

一体、俺という奴は、どこに向かおうとしているのか…。
俺の真意はどこにいるのか…。
当分はわかっているつもりで歩んで来たけど、
今となっちゃ、自分でもよくわからない気がする。

なんて、心もとない言葉だけど、
決して悪い傾向だとは思っていない。
むしろそれは、自分が自分に寄り添い、
溶け合って来ているという現れじゃないのかしらん。

「世の人は我をなんとも言わば言え、我が為すことは、我のみぞ知る」
とは、坂本龍馬の考え。

ただ、俺の場合は我ですら我の為す真意を全部は知らない。
"晶"という奥底の人間が俺を動かしていて、
俺というより、奥底の"晶"の意向によって人生の流れが作られている気がする。
俺ですら"晶"に振り回されている、
それは俺に関わる人以上に。
俺ですら"晶"を説得し、現実を理解させ、動かし、しつけていくのに苦心している。
それは俺に関わる人以上に。

ただ俺は、
"晶"という人が本当は何を好み、
何を嫌い、
何を欲し、
何を捨てたがっているのか、
人生を掛けてそれを知ろうとしているだけの事なんだと思う。
まさに、我が為すことは、"晶"のみぞ知る。
それに尽きてしまう気がしてならないんだ。

ただ、"晶"との付き合いも30年を越して来ると、
少しずつは、"晶"を理解し、"晶"に反発しなくなったように感じる。
付き合い方が少しずつ上手になってきた。

つまり、俺は"晶"に適応してきた。

これに尽きると思った。
人生が進んでいくのは成長じゃなく、適応だ。
何かを知り、何かができるようになるんじゃなく、
生まれついて完成している自分の能力を使えるよう、
適応してきただけに過ぎないと思う。
人はそれを成長と呼んでいるんだ。
矢張り父母、大地、地球、神から与えられた自分というものは神秘で、
80年かけても全てを知るには、相当困難な事なんだろう。

俺は一歩一歩、それは確実に適応している。
それは実感できる。
そしてかすかに自分の加齢に安堵できる。

俺は"晶"に適応して来ている。
そしてこれからも。


馬鹿って奴ぁよ 2008/09/18

僕は馬鹿でいたいと、心掛けています。
それはもう、揺るぎない馬鹿でいようと。

例え、胃壁を寄生虫が喰い散らかすような苦しい時でも、
わけがわからず、とりあえず笑うしかないからヘラヘラしている。
そんな強さが欲しいと思います。

例えば、
長雨に祟られたような鈍い悲しみ、
そんな悲しみを持ち続けている人が目の前にいたとして。
その人の手を取り、
一緒に涙を流すような賢さを僕は持ってないんです。

僕はその人と同じだけ精一杯になり、
ヘラヘラとしていてあげたいと思います。
そして、
「あぁ、きっとこの人は何も考えてないんだな」と安心してほしい。

真剣に悩む人には、真剣に馬鹿になろうと思います。
それは、それが尊いと思うからです。
それは、馬鹿はそうあるべきだと信じるからです。
最近、それを強く思います。

ひょっとしたら「ふざけた奴」とあきれられるでしょう。
ひょっとしなくても「話にならない」と嫌われるでしょう。
でも、それはそれで馬鹿の役目なんじゃないかと思うんです。

一見して無神経に見え、どこまでも鈍い。
噛めば噛むほど、すっぱいガムのようなくどさを持ち、
そして愚直なほどに笑い続ける。
そんな芯の強さを、僕は馬鹿と尊称します。

とっ散らかってきた人生に、一縷のスジを通すには、
馬鹿という優しさを大切にして、
いつ何時もヘラヘラと、
いつ何時もむらなくヘラヘラとしている事しかないんだと思います。

生きる間に背負わされる、自分という悲しみの中、
答えの出ない夜はある。
朝が来ない夜はある。
信念があるわけでもないのに、どうしてもできない事と、
気付かずやらかしてしまう事がある。

だから、今日も、
知らぬ、わからぬを基盤に馬鹿が行く。
馬鹿とは俺の事よ。
馬鹿ってなぁ、俺のこってさ。


いつものもの 2008/09/16

今日、僕が見たもの

いつもの地下鉄の入り口

いつもの工事現場

いつもの公園

いつもの弁当屋

いつもの東京タワー

いつものかすみがかった街並

でも、すべてがいつもより少しだけ南西の方角へ移動していた

秋なのかなと思った。

今日、僕が見たいつものもの達は

すべて少しだけ秋に近寄っていた


俺は頑張れ屋さん 2008/09/10

頑張れっ、
って、俺に言われなくたってあの子は頑張るのさ。
ひとりでは持てなそうな大きな荷物をひとりで持とうと、
悩みながら、涙しながら、
それでも俺の前では笑って持ち上げようとするんだ。
頑張れよっ、
なんて、俺に言われなくたってもう充分すぎるほど頑張っている。

こんなカワイイヒトを前に、
俺は何て言えばいいんだろう。

何かをつかもうと精一杯手を伸ばせば、
必ず大切なもの、気付かなかったような想い、
そして何より、ココロという手応えをつかむ事ができる。

カワイイヒト、とにかく今夜はグッスリと眠って欲しい。
悶々とした脈拍を数え、いつしかグッタリと眠って欲しい。
君のような頑張り屋さんは、他では聞いた事がない。

こんなガンバリヤさんを前に、
俺は何て言えばいいんだろう。

頑張れやっ、
なんて言われなくても頑張ってるカワイイヒトに、

頑張れや、
って俺も精一杯応援する事しかできないな。

俺は君の頑張れ屋さん。

なのさ。


人間性の洗濯 2008/09/07

『キャップ一杯で、驚きの白さ』
を未だかつて実感した事がない。

最近、洗濯をささやかな楽しみとしている俺にとって、
この『驚きの白さ』を実感できない事が、
最大の悲しみだ。

『部屋干ししても、嫌なにおいがしない』
も未だかつて実感していない。

最近、ゲリラ豪雨のお盛んな時節になり、
部屋干しを余儀なくされながらも、
洗濯にささやかな楽しみを見出している俺にとって、
この『におわない』を実感できない事が、
二番目に最大の悲しみだ。

でも、この洗剤や漂白剤を使って、
驚きの白さにし、部屋干ししてもにおわず洗濯している人がいるんだろう。
勿論、メーカーはそれを立証したから、そう謳っているんだし。
きっと、正しい洗濯法があるんだろう。

俺はその正しい使い方を知りたい。

それとも、俺の汚れが特別なのか。
俺という人間から滲み出る汚れは一般の洗剤で落とせやしない、
って事なんだろうか。

だとすれば、少し得心はいく。
俺という人間は特別な汚れだと言ってくれれば、
それなりに誇りを持つ事ができる。

でも、誰もそうは言ってない。
俺を特別汚れていると言う人はいない。
洗濯ひとつに人間性を問われている。

今日も俺の洗濯は驚くほどの白さはなく、
「ん〜まぁ、きれいにはなったかな…」
程度に白くなり、
「洗った時のいいにおいがしないなぁ…」
程度に部屋干した。
まるで俺がそう生きているかのようだ。

洗濯ひとつに人間性を問われている。

だとすれば、

正しい洗濯の仕方を知りたい。

もしくは、

「お前の汚れは二度と落ちはしない」

と、誰かに宣告されてしまいたい。


我輩は男子である 2008/09/05

我輩は金曜の夜が嫌いである。
それは金曜の夜に酒に呑まれる男子があまりに多いからである。
我輩は金曜の夜が嫌いである。
それは酒に呑まれたまま電車で意識を失い、
醜態を公然と晒している男子があまりに多いからである。

我輩は立派な自由業、お気楽業を営んで久しい。
ゆえに、金曜であるからと言って酒に呑まれてもよいという意識がない。
我輩は立派な自由業、お気楽業を営んで久しい。
ゆえに、何曜日であろうとも酒を煽ってよい。
ゆえに、何曜日であろうとも酒に呑まれてよい日はない。

呑んだら寝るな、眠るなら乗るな、

を、酒を呑んだ日の電車の訓戒としている。

色んな座席で、気魂を抜くように口を開け、
隣人の肩を借りて、苦痛な表情で眠る男子達。
上司、先輩に気を遣い、女子には根負けし、酒に行き場をなくされて、
帰路に力尽きて、ますます弱り目を見る。
金曜の夜とはそういうものぞとも思う。

我輩は金曜の夜を大切に思う。
それは男子をあわれに戻すからである。
我輩は金曜の夜を愛おしくも思う。
それは片意地を張った男子がいないからである。


勝者の涙 2008/09/04

この年頃、大して身体の変化は感じないんだけれど、
やけに涙もろくなったような気がしてなりません。

この涙、僕の場合は決まっていて、
何かを達成した人が歓喜している姿を見るともろくなります。

何でもいいんだけど、何かを苦労して勝ち得た姿を見ていると、
何故だか気分が高揚して、
「やったなぁ〜」
と思っているうちに、涙がぽろぽろ滲んできます。
ちょっと自分で始末に困るくらいになりました。

この夏、言わずと知れた北京オリンピックに世間が沸いていて、
僕もチラホラと見れるものを見ていたのです。
水泳、柔道、陸上と、選手が勝って喜びの興奮を爆発させる度、
僕はひとり部屋でハンカチのほぞを噛んで泣いていました。
う〜ん、なんという男になってしまったものか。
自分でも何故そうなるのか解りません。

このオリンピック、僕が最ももろく泣き崩れたのは、
矢張り女子ソフトボールの優勝した瞬間でした。
リアルタイムでは見れなかったので、
家に帰ってきてニュースで何度も見ていたのですが、
そのニュースで流れる度に涙が出ました。

まず、何と言っても、最後のアメリカ戦、
サードゴロでアウトをとってゲームセットになる時、
解説の宇津木前監督が、
「ヨシッ……、ヨシッ……、ヒャ〜!ヤッタ〜!」
という声が最大の涙ポイントでした。
グズグズと鼻がぐずるほどに泣けました。

そして、表彰式、
表彰台の上で、上野投手が金メダルを胸にして、
感極まって涙を流す場面で、
僕も大泣きでした。

まったく、簡単に泣くようになってしまったと、
少し反省しています。
一度ならまだしも、未だにニュースや特集番組でそのシーンが流れる度に、
僕は泣いてしまうのです。
上野投手の所属チームの監督、宇津木麗華さんが日本で中継を見ながら、
優勝の瞬間にリポーターと抱き合って喜んでいる姿も来たなぁ。

僕はああいう姿に憧れがあるのかな。
何かをやり遂げた時の、ほっとする涙というのかな。
上野投手が耐えて、耐えて、耐えて、戦い抜いて、
無心と緊張感の表情から、力が抜ける時に落ちる涙。
勝者の涙ってやつに憧れを抱いているんだと思います。
思い出すのは、一昨年の夏の甲子園決勝戦、
早稲田対駒大苫小牧。
投げ切ったハンカチ王子が、校歌を唄い終わった後、感極まって泣いていたよな。
鉄仮面で投げ続けてた奴が、あそこで泣いたからな。
やり遂げるって事の困難さと、尊さを感じます。
そして羨ましく思います。
僕も、あんな勝者の涙を流してみたい。

今度は自分の戦いの中でね。


ほっしいものは… 2008/09/03

ほっしいものが、目の前にチラホラあって、
それを取りに行くのに、いつの間にか道をはずれちゃってる。
あんなにほっしいと思っていたものから、
ほんの少し目を離したスキに、
えらく道をはずしてしまっている。
こんな事を結果にしたくはなかったのに。

太陽が地球を一周する間に、
あいつだけは手に入れておこうと頑張る。
「せ〜の」で走り出し、
我を忘れて唄い、我に戻れば、
早くも太陽が俺に追い付いて来る。
ほっしいものは、まだ手に入れてないんだよ。

時間はあっと言う間に過ぎていき、
その早さに驚きながら、自分を少し振り返る。
こんな朝って、とても贅沢な時間なんだろうけど、
こんな朝って、とても優雅な時間なんだろうけど、
それを実感できないで放心している俺。

あぁ〜あ、また一日が始まってしまった。
あぁ〜あ、俺の一日は終わってしまった。
カッサカサの総菜パンをかじって朝陽に吠える。

ほっしいものは、まだ手に入ってないんだよ!!

時間の経過に手加減して欲しくなる時もある。


汗の滲む、滲む 2008/08/08

そう言えば、昨日は立秋。
と思えば、今日は気温36度。
どっちつかずのムッシムシ暑さ。

立春、立夏、立秋、立冬、
いつもどれも気が早いように感じるけれど、
確かに太陽の傾きは深くなっているとも思う。
そして、陽が暮れるのが徐々に早くなっている。
こいつぁ、さみしい。

最近、突発的に、
ドラーン、コローン、
と雷が行き過ぎ、
バシュ、バシュ、
雨が傘を打つ。

でも、今日は安穏と陽は照り続けていた。
でも、地震は足元を襲った。

地震が起きた時、
俺はちょうどポケットから煙草を落として、
横断歩道の上で右往左往していた。
まったく白黒つかないたぁ、この事だ。
汗の滲む、滲む。

そんなこんなして地震にはまったく気が付かなかったっちゅう話。
地震を知ったのは駅に着いてから。
電車が安全点検の為に、10分近く止まっていた。
予定を狂わされ、待ち惚ける俺。
立ち尽くし、汗の滲む、滲む。

そんなこんなで一日が終わり、大アクビをかいて、
あぁ、今日も俺は元気だった。
あぁ、今日の俺はすこぶる幸せだった。


大輔のgrooving mamagon 2008/08/07

今朝、鏡を見ると、眉間に立派なニキビができていた。
「想い、想われ、
フリ、フラレ」
何となく口ずさんで、思春期を懐かしむ。
あぁ〜あ、大人になっちまったな。

突然ですが、明後日、いや、もう明日か、
何しろ9日、急遽ライブをやります。
八王子のgrooving mamagonという店で。
唄うんだな、俺は。

友人の今野大輔に誘われて、行ってきます。
大輔とは5、6年前に下北のBig Mouthで対バンになって、
そっからの友人。
年に一度顔を合わせるかどうかの偶然に特化した友人だけど、
それはそれでヘソで茶が沸いたようにくつろげる奴だ。
八王子の狂犬だか、狼だか呼ばれてる奴だ。
大輔とも随分古い付き合いになった気がする。

あのどうしようも行き場はないけど、行く気だけは満々の頃、
あの3歩進んで、3歩下がるような日々の中で、
Big Mouthのステージに、俺が唄って、大輔が唄って、
で、その後、二人とも酔っ払って、
大輔が、
「晶、オメェ、今日の唄は骨がねぇよ、しっかりしろよ」
と罵り、
俺は、
「骨なんか最初からないわ」
とうそぶいていた。
なんて書くと、随分格好良い仲に勘違いしそうだけど、
実際は、二人とも骨の溶けた酔っ払いの会話だった。

そんな大輔に誘われ、昔と変わらないそんなどうしようもない仲で、
八王子に唄って来ようっと。

それにしても、毎日があっという間に忙しい。
八王子ではゆっくりしたいもんだけど、
そうもいくのかな。


七夕の所信 2008/07/07

七夕です。
逢いたい人に、みんな逢えたかな?
随分、久し振りの慕夜記だけど、
この長い期間、本当に色んな事を自分の心に留めて考える事ができたなぁと思います。
こんな時間も矢っ張り俺には必要だな。
みんな元気にしとったのかな。
俺は結構元気だったよ。

ここんとこよく考えるのは、
自分を弱い者としてしまうのは簡単だなって事。
「僕はその程度の人間です」
とかさ、
「私なんて弱い人間だから」
なんてさ、
一見、謙虚に聞こえるし、自分を知った言葉に聞こえるけどさ、
それらの言葉を言っちゃえば、
そう宣伝した事に甘えちゃうのは自分なんだなと思うようになったよ。

以前はさ、もっと等身大で自分をさらけ出していきたいと思ってたし、
意地を張ったって、無理が出てくると思ったりもしたけど、
矢っ張り、
矢っ張り、肝心、要の心は、
自分を尊敬していなくちゃいけない。
強く、自分を強く立たせていなくちゃいけないと思う。
折れない自分っていうのかな、
その作業は自分以外は誰もしてくれない。
みんなが自分の人生に責任を負ってるんだから、
どんなに励まされ、慰められようとも、
最終的に自分を立たせるのは自尊心でしかない。
誰にどう突かれたって折れない覚悟で押し通していかなくちゃいけない事って、
一匹の生命には必ずあるんだと思う。

その意地が例え間違っていようとも、
その答えが例え万人に非難されようとも、
守らなくちゃいけない自分ってのが、俺の身体の中に存在しているのを、
実感するよ。

「どーしようもない奴」
「馬鹿な奴」
「無責任な奴」
「ぼんくら」
この辺の言葉は、人の評価であって、
自分に下す言葉じゃない。
人にはどんどんそう思われてもかまわないけど、
自分に自分をぼんくらと思わせない事、
自分に自分を失望させない事、
自分に自分を放棄させない事、
自分が自分を人にゆだねない事。
どんなに遠回りしようとも、
どんなにつまずこうとも、
生きていかなくちゃいけない。
自分の人生を行くのは、矢っ張り自分一人だ。
そして、
生きていくからには笑っていなくちゃいけない。
いつも透き通った心で笑っているには、
矢っ張り自分を宝としていなくちゃな。
俺の人生だもの。
どんなに間違った方向に道が曲がりくねっていっても、
道しるべとなる自分がいなくちゃな。
俺の人生だもの。

さぁ、今からでも遅くはない、
ありとあらゆる非難を受けてみよう。
「どーしようもない奴」
「馬鹿な奴」
「無責任な奴」
「ぼんくら」
の大海原に船を出し、
俺が如何にかけがえのない自分なのかを感じる旅に出よう。
そう言ってやれるのは、矢っ張り俺一人なんだから。
さぁ、かかっていこう。


ボロを着てるから…、心もボロい。 2008/06/12

何かねぇ〜、
部屋が乱れているねぇ〜。
服装の乱れは、心の乱れ!
なんつって、ごもっともらしい事を、
昔は先生に言われたもんだけど、
そんなごもっともらしい事に近いのかな、
この状態。

日がな一日、部屋にいりゃあ、
ちっとは片付けるかいって気にもなるんだろうけども、
日がな一日の大半は部屋にいないので、
ちっとも片付ける気力が湧かないんだよなぁ。

ボロは着てても、心は錦!
そんなごもっともらしい言い訳でやりすごしてしまうかな。
ボロに見えても、布団は羽毛!
うぅぅぅん、もうぅ、
羽毛は暑いんだよなぁぁ。
Poloは着てても、心はNike!
うぅぅぅん、もうぅ、
もう判らない。

明日は日がな一日、
部屋にいてやろう。
だからぁ、
部屋を片付けるところから始めようっかなぁ。
やっぱ、心を片付けるには、
まず目に見える物から片付けなくちゃな。
よし、そうしよ。

うぅぅぅん、
できるかなぁ…。


踏ん切り 2008/06/11

今日、夕刻。
いつもの弁当屋にいつも通りの道で行き、
生姜焼き定食に舌鼓を打つと、
以来、半日、
今に至るまで、
眠くて仕方がない。
何か睡眠を促進するものでも混入していたかな。

こんな状態で、夜を迎え、
ウトウトしながらも、
眠るという踏ん切りがつかないでいる。
眠ってしまえば、明日が楽だろうに、
何かしらに中途半端に手をつけて、
何にもならないまま力尽きている。
僕に足りないのは眠るという英断だ。

気が付くと、外はうっすら白んでいて、
シトシトした雨が早朝を濡らしている。

後は、ただ眠るだけなのに、
一日の踏ん切りがつかないでいる。
もう、眠たくって仕方がないのに、
一日の踏ん切りがつかないでいる。
結局、何も手がつかないのに、
一日の踏ん切りがつかないでいる。

往生際の悪さは、男らしさの現れだろうか。
気分も随分重たくなったけど、
それより目蓋が重量上げをしているようだ。
力尽きるまで、
目蓋が重量上げをしているんだ。


しゃぼん玉 飛ばそ 2008/06/10

寝不足の目を蛍光灯の光にシバシバさせていたら、
誰かの会話が聞こえた。
「しゃぼん玉飛んだの歌詞が…」
俺は無意識にその歌詞の記憶をなぞっていた。
『しゃぼん玉 飛んだ
屋根まで 飛んだ
屋根まで 飛んで
壊れて消えた
風 風 吹くな
しゃぼん玉 飛ばそ』

寝不足でシバシバした頭の中だったけど、
急に寂しくなったのを覚えている。
急に悲しくなったのを覚えている。

今はどこも秋葉原の事件の話でもちきりだ。
重く、つらい時代になってきたんだなと実感する。
別にしゃぼん玉の唄でこの事件を悲しく思い出した訳じゃないんだけど、
でも、あながち関係のない話でもない。

人はこの事件によって、
「ますます人が信用できなくなった」
と言う。
でも、俺はそんな風には考えない。
もともとこの事件は、
人を信用できない弱虫で御バカ様が起こした事なんだ。
これによって俺達が人を信用しなくなれば、
ますます同じような人間が続出してしまう。

俺は人を信用し続ける事が大切だと改めて思う。
善意や気遣いを欠いた人間になってはならない。
善意や気遣いで成り立っているのが社会だから。
俺達はとにかく信じて、
しゃぼん玉を飛ばし続けなくちゃいけない。
風が吹いても、
しゃぼん玉、飛ばそう。

寝不足の目を蛍光灯の光にシバシバさせていたら、
誰かの会話が聞こえた。
「パンダは何科?」
俺は無意識にあのモノクロの愛らしい生き物を思い浮かべていた。
『熊科です。でもレッサーパンダはタヌキ科です』
と思っていた。(正しくはレッサーパンダはアライグマ科)

寝不足でシバシバした頭の中だったけど、
急に楽しくなったのを覚えている。
急に希望に満ちて来たのを覚えている。


ムッシムシ、ムッシッシ 2008/06/09

いかにもムシムシした一日です。
晴れたり、曇ったり、雷鳴を轟かせたり、
こんな日の肌寒さは、稀に救いとなるもんです。

何かに追われ、何かに迫られている人よ、
今日はそんな日だ、お諦めなさい。

何かに疲れ、何かに悲しむ人よ、
今日はそんな日だ、考えるのはおよしなさい。

見回したところ、この時代は何だかムシムシしている。
自分の心より先に、色んな物が揃い、色んなレールが敷かれていく。
自分と自分を取り巻く世界の接点を、
こうもあけすけに、
こうも便利に、
こんな事前に、
教えられてしまうと、
今、起きて来る自分という現象が、
とってもつまらないものに見えてしまう。
自分という神秘から遠ざかってしまう。
ムシムシしてるんだ、まったく。
およしなさいよ。

だけど、僕も君も、今なら取り戻せる。
無我夢中につかみ、またつかみ損ねた物を、
今ならひとつずつ取り戻していける。
空白の時間を埋め、
遠く思い悩んだものをチッポケにして、
僕と君はあたかも今日から知り合い、
今日から新たに積み重ねていける筈なんだよ。
人と人とは、そんな神秘を抱えている。

そぅりゃ!と雷鳴一発、
夜の雲間にヒビを描く。
このムシムシした世界をカラッとしてくれないか。
その激しい電流に、僕の身を奮わしてくれないか。


クスッターケッ! 2008/06/08

Big MouthのLIVEが終わってからと言うもの、
今の今まで、身体からアルコールが抜ける事がなくて、
僕の血液のアルコール度はスピリタスなみだと思われます。
だから今の僕には火気厳禁ですね。
燃えます。
身体のヘロヘロ度からいくと、
こげカスみたいなもんですけどね。

いかん、
慕夜記もとうとう500夜が視野に入って来たのに、
こんな感じのブッ潰れでは、
どうにもいかん。

唐突ですが、
僕は岐阜県出身なのですね。
でね、
岐阜のオジサンはよく、
「クスッターケッ!」
という言葉を使うような気がするのです。
直訳すると、
「くそったわけ!」
という、非常にお汚い言葉です。
女子の前では御法度な言葉です。
でも、岐阜のオッサンは愛情を込めて言っているような気がします。
無理矢理、意訳すると、
「チッ、憎めない奴め」
といった感じだと思います。
僕が幼少期からよく言われ、耳に馴染ませてきた言葉です。

この「クスッターケッ」なんですが、
最近、使うようになった気がします。
勿論、人に言うような事はしません。

自分に言います。
「カーッ、このクスッターケッが!」
何かミスをしたり、
自分が上手く考えがまとまらない時など、
自分に口汚く罵ります。
「こ〜の、クスッターケッ!」
多少の愛情も込めて、
「こ〜の、クスッターケッ!」

今の僕は、まさにそういった状態かと思います。


押す訳で… 2008/06/05

雨がシットリ来ると、
当然の如く、遠くのビルが霞むわけでして、
まぁ、あの霞の向こうっかわで君は頑張っとるんだなと。

お〜い、頑張れよぉ〜!

まぁ、僕に言われんでも君は頑張っとる訳で、
めでたい。
めでたい一日だ。

雨がシットリ来ても、
当然の如く、僕はいつもの弁当屋に行く訳で、
まぁ、いちいちいつものじゃ気分が上がらない日に、
のり弁じゃなくカツカレーを食べてみる訳です。

お〜い、美味しいぞぉ〜!

まぁ、僕が言わんでも美味しい弁当屋な訳で、
めでたい。
めでたい一日だ。

弁当屋でカツカレーを頬張っていると、
テレビでカラスは害鳥だと言っていた。
人間の都合でそんな事になってしまって、
本当に申し訳ない。
もうしわけないっ!

まぁ、僕に謝られたところでカラスは害鳥な訳で、
めでたい。
そんなカラスをめでてやりたい。

まぁ、僕にめでられたところで、
カラスはちっとも嬉しくないわけで。

昨夜、某○ジニアのPリス氏に、
「晶チャンは女の子の前で雄を押すね」
と言われた。

まぁ、イニシャルトークしなくちゃいけない必要も全くないんだけど。

まぁ、ダジャレについては完全にスルーして会話は進む訳で。

Pリス氏は、
「性格はともかく顔は端正なのにね」
と褒めてくれた。

まぁ、僕は2、3日経ってから落ち込んでやろうと思っている訳で。

あぁ、僕は雄らしいなぁ。
なんて雄らしい生き物だろう。
女の子達よ、どうだ、僕は雄らしいだろ!

雨がシットリ来ると、
唐突な可笑しさがヒョッコリ顔を出す訳です。


知識の果実 2008/06/04

リンゴがひとつあって、
アダムとイヴがそれを食べ物だと認識しなければ、
世の中の争いの根源、
善悪の判断を人間はできなかったろうに。
知識の果実によって人間は小さな不幸を背負ったのかもしれない。

な〜んて感じに人類の不幸を知った風な顔してみたりして。

アダムがイヴと愛し合い、イヴはたいそう幸せに暮らしているが、
その裏で実はアダムは美しい蛇に心を奪われていた。
暫くイヴはアダムの心に気付かなかったが、
そのうちアダムのそぞろな態度に、愛情を疑い始める。
或る日、アダムは昼寝をしていた。
イヴはアダムの潔白を信じたい一心で、
アダムの股間にあるイチジクの葉をめくった。
イチジクの葉の裏には、蛇がアダムに宛てた恋文が記されていた。
愛し信じていたアダムに裏切られたイヴは、
ショックのあまり昼寝をするアダムのもとから去ってしまう。
そしてイヴは、蛇のところに行き、事の成り行きを問いただす。
蛇は正直にこれまでのアダムとの関係を話し、イヴに謝罪する。
蛇は自分の素直な思い、アダムに対する思いをイヴに告げた。
その切実な思いは、イヴも蛇も同じだった。
イヴは蛇の話を聞いているうちに親近感を覚え、
二人は結局意気投合し、友人として付き合い始める。
また暫くした或る日、
蛇はイヴに、
「もうアダムとは会わないから、安心してアダムのもとにお帰り」
とうながす。
イヴはとうとうアダムのもとに戻り、アダムに蛇の意思を伝える。
アダムはイヴに、
「僕ももう蛇に会うような事はしない」
と誓った。
それから一見平穏な日々が続いたが、
アダムのイヴに対する態度は、一層よそよそしいものになっていた。
イヴはそれに耐え切れず、もう一度、アダムの眠る間に、
アダムの股間のイチジクの葉をめくる事にする。
そしてそのイチジクをめくって見ると、
そこには蛇からアダムに宛てた手紙が記されていた。
その内容は、どうにかしてイヴを追い出そうとする計画だった。
アダムにも蛇にも裏切られたイヴは身動きも取れず、
その後アダムのもとで、悩み暮らしたという。

な〜んつって、眠いから思い付くままに書いていったら、
こんなお話になった。
何の脈略もないけど、
今日の締めに精一杯です。


たかが男、されど梅雨 2008/06/03

一歩進んで二歩下がる。
二枚目になったようで二枚下がる男。
一時間働けば二時間は眠たい。
一言思い付くうちに、二言は物事が進んでいる。
一言言われれば、二言返してしまう。
日々、成長と後退のはざまにあって、
反省したり、満足したり。

誠実に生きるとは、そうそう簡単ではないな。
正直に生きるとは、そうそう簡単にはいかないな。
生まれた長雨は、そうそう簡単に雨脚を変えれない。
誠実に真っ直ぐ巷に降り注げよ。
正直に真っ直ぐ巷に舞い降りろよ。
たかが梅雨、
たかが男である。

そんな思いで眠りに就いて、
およおよと目を覚まし燃えないゴミを持って巷に出れば、
雨上がる。

おぉ、おはよう清々しさよ。
燃えないゴミを置き去りにする俺、
男上がる。


パン血ドランカー 2008/06/02

昨夜はたまらず布団にダウン。
帰って飯喰って、即ダウン。
夢の中へダウン。
何を考える暇もなく、ダウン。
何故かダウン。
気持ちよくダウン。

昼過ぎに「あはっ!」と起き、
昨夜は即ダウンしてしまった事に気付く。
もたれにもたれた疲れがあったのかなと自分を甘やかして考え、
また枕の上にダウン。
これがボクサーだったら、まったくやる気のない奴なんだろう。
一発喰らう度にダウンするようなもんだから。
10カウントに起きようとする意思は微塵もなく、
気持ちよく伸びてしまっている。

数時間して起上がり、
気付くと右の人差し指と中指の爪が血まみれになっていた。
「はて?どこぞ掻きむしったかな?」
と思い、僕が痒がりそうなところを見てみたけれど、
どこも血を出して掻きむしられていない。
…謎だっ、
…っちゅうか、誰の血だっ!
…って本当に血かっ?

謎に包まれた寝床からどっこいして起上がり、
こちょこちょと作業したり、考え事したり、電話したり、煙草吸ったり、
で、また昨夜ぶっ倒れた時間になった。
今日はダウンしない。
今頃になって一日の最高潮にテンションが上がる。
作業に手をつけるが、根気が続かない。
んん〜、舵取りの難しい一日だ。


酒ガラミ 2008/05/31

最近、古いブルースをYouTubeなんかで聴いているのが好き。
何だか気持ちを映しやすいし、移しやすい。

それに加えて、ちあきなおみの曲をCDやYouTubeなんかで聴いているのが好き。
前から好きだったんだけど、最近とみに好きだ。
何だか気持ちが簡単に映ってしまうし、移ってしまう。

ちあきなおみの曲と初めて知り合ったのは、
高校の頃、テレビを見ていたら、
TOYOTAの車のCMから流れて来た『星影の小径』
とにかく30秒もない唄声に感動してしまった。
早速CDを買って聴きまくった思い出がある。

ちあきなおみのCDはアルバム2枚持っている。
大好きなCDだな。
でも、最近はYouTubeで聴いた事のない唄を聴いては浸り切っている。
所謂、歌謡曲ど真ん中といった感じの曲で、
自分ではなかなか恥ずかしくてできないジャンルの音楽だったりするんだけど、
年齢もあるのかなぁ、しっくり耳から心へ染みるんだよな。

矢っ張り、酒がからんだ曲がいい。
『紅い花』や『冬隣』
この曲を酔っ払った御帰宅後に聴くと、
キューッと、喉仏と目蓋が熱くなる。

酒を呑む理由なんて、楽しいからに決まってるから楽しく呑むんだけど、
酒を呑んで楽しい疲れをして、ひとりになると、
不意に寂しさがウロウロやって来たりする。
「これでいいんだ」
何だかとてつもなく大きな失敗を繰り返して来たような気分になって、
始末に困る事がある。

ちあきなおみの声は切なくて、
そんな想いと一緒に酒を呑んでくれるような優しさがある。
だから好きなんだ。

話は少し飛ぶけど、
先日、僕はすぎもとまさとさんのコンサートを見て来た。
ちあきなおみの『紅い花』『冬隣』を作曲した人だ。
まぁ、ガラの悪そうなオジサンだったけど、
最近よく聴いていただけに、『紅い花』『冬隣』が演奏された時には感動した。
オジサンが唄うとまた違って、堂に入った悲哀がある。
そのコンサートの中で、『惚れた女が死んだ夜は』という曲があった。
「酒よ、酒よ、
俺を泣かすなよ」
というサビで、矢っ張り僕は、
キューッと、喉仏と目蓋が熱くなった。


ズバッと眠る朝の顔 2008/05/29

天気が悪いです。
僕は寝るのが朝です。
朝はいつもテレビを見て寝ながら、ウトウト脱力するのが習慣なのですが、
今はテレビが壊れたので、そうもいきません。

朝のテレビはいつも『朝ズバッ』を見てました。
よく『めざましテレビ』派と『朝ズバッ』派に別れますが、
それでいうと僕は"みの派"であって"大塚派"ではないという事になります。
でも、僕はみのもんたが見たい訳じゃありません。
確かに、あのフリップの紙をめくってニュースを大袈裟に伝えるのも好きですし、
「昨日の酒が残っているんじゃないのか?」
って感じにみのもんたの顔が赤く眠そうなのも見所です。
が、
それが一番じゃないんです。

僕の目当てはお天気のお姉さん。
みのもんたが、
「ネモトく〜ん!」
と呼ぶと、ブラウン管一杯に素敵な笑顔を送ってくれる根本さんが目当てです。
あの笑顔は朝陽ですね。
天気予報に散りばめられた閑話も、いちいちスッキリ爽やかで、
僕のように話の中に無駄なくだりが多い人間には気持ちがいいです。

ただ、僕のテレビは壊れてしまったので、
根本くんを見る事はかないません。

今朝、やっとウトウトしだした時、
「きっと根本くんは雨の中で傘を差し、
風雨に堪えながら、そしてみのもんたの強引なツッコミもソツなく受け答え、
ジメジメの悪天候な一日を、ニコヤカに予報してしまっているんだろうなぁ…」
と考えていました。

そんな訳で、明日は早起きしようと思います。
根本くんの時間に起き、
根本くんの時間に出掛けようと思います。
明日の天気はニッコリですかぁ????


三大ナンチャラ 2008/05/27

最近、アルコールの抜けがユルユルです。
朝までイカツク呑んでしまわないように思うのですが、
呑んでしまうとイカツクいたくなるものでして…はい。
熱く強い朝陽を目蓋にのせて千鳥足で歩きなれた道を、
ご近所からのお帰りでぃ。

軽く睡眠をとって、さてさて慌てて街に出掛けるのですが、
頭の中は考えが浮かんだっきり動こうとしない。
つまり、ひとつの映像を呆然といつまでも思い浮かべて、
それを発展させる事も、消す事もかなわないのです。
まぁ、まさにアルコールの考えです。

陽もスッカリ傾いて、そろそろ夜のトバリが街に掛かる頃、
ひとくちに生姜焼き定食を飲み込むと、
ゆっくりとした幸せに、やっとその頭にある映像が動き出します。
まぁ、まさにアルコールが抜けたというやつですね…はい。

今日はよく見知らぬ女性と目が合いました。
「そんな、じっと見詰めてやしないよ」
あの慌てて目をそらした後の緊張感はいいものですね。
どうも男だというだけで、何か悪い事をしている気分になってしまう。
ただ、ぼーっと男を生きていただけなんですけどね、
目が合ってしまったらいけない気分になってしまいます。

家に帰ると、頂き物のうどんを食べました。
無類のうどん好きとは僕の事ですので、
とっても幸せな気分に浸れました。
長崎県は五島のうどんです。
五島のうどんは、日本三大うどんの中のひとつだそうです。
いや、とっても美味しいです。
でも、日本三大うどんを挙げると、
四つあるそうです。
でも三大うどんというそうです。
何となくそうしてしまう気持ちはわかりますが、
なかなか面白いまめ知識でした。
今日もひとつ成長したな。
明日も生姜焼き定食と五島のうどんを食べたい。
そん決意で今日を終えようと思います。


夜の湿気の話ですけど 2008/05/25

湿気が多いのでね、
寝ては起き、
夢見ては醒めますね。
夜の話ですけど。

湿気が多いのでね、
遠いビルの灯りがぼやけ、
ぼけっとしたぼくがぼやぼやと、
慕夜記を書きますね。
夜の話ですけど。

湿気が多いのでね、
排水口がいつもより臭う気がしません?
湿気のせいじゃありませんね。
夜の話ですけど。

ひとりですか?
夜の話ですけど、
ひとりですか?

ふたりですか?
夜の話ですけど、
あたたかいのですか?

湿気が多いのでね、
ひとりでもむんむんに寝苦しいんですね。
夜の話ですけど。

ひとりのひとですね。
ひとといてもひとりのひとですね。
夜の話ですけど。

寂しくないですね、
夜の話ですけど。

ただ、寝苦しいと言いたいだけですね、
夜の話ですけど。

怖くて目が醒めたんじゃないですね、
夜の話ですけど。

ただ、寝苦しかっただけですね、
夜の話ですけど。

悪い夢を見たわけじゃないですね、
夜の話ですけど。

ただ、湿気のせいだと考えるんですね、
夜の話ですけど。


たくましい脱糞だ 2008/05/24

階段を上ると、ひとつ大きなハトの糞があった。
見上げても巣はない。
通りがかりの捨て糞、投げ糞、すかし糞。

それにしてもたくましい、
一羽のハトから出て来たには、
たくまし過ぎる糞。

そう言えば、ハトって何を喰って生きてるんだろう?
公園でもらえるパンクズを主食にするには限界がある。
かと言って、ハトが虫をハンティングしている姿は、
見た事ないし、想像もつかない。
いつもグッホ、グッホと、
パンクズなり何かがバラ撒かれるのを期待している姿しか思い付かない。
なのに…、
なのに僕は今、大変たくましいハトの糞を目の前にしている。
このたくましい糞の主は、
何かたくましいものを喰ったという事になる。

ちなみに、何故このたくましい糞をハトのものと判るかと言うと、
ここいら都会の隙間には、
ハトとカラスしかいない。
そして、カラスは、
こんな人間の行き来する、人間臭い階段には近付かない。
だから、ハトのものだと推察できる訳だ。

僕は更に階段を上る。
すると、またしても大きくてたくましいハトの糞があった。

そして、そのたくましい糞の隣に、
割れた卵のカケラがあった。
糞ほど卵はたくましくない。

きっとこの糞の主は、こんなたくましい糞を踏ん張っているうちに、
思わずいきんでしまい、
卵まで生んでしまったんだろう。

何て、ドラマチック。
このたくましい糞から呼び起こされるストーリーは、
矢っ張り、たくましいほどたくさんある。


ご執心ですね 2008/05/23

今日になって携帯電話や財布が入ったカバンを、
開かずのロッカーから救出してもらえ、
手元にそれらの生活必需品が帰って来た。
でも、今日の僕にはそれらがどうでもよくなっていた。

携帯電話がないってのが、最初もっとも不安だったけど、
今になって、ない方が気楽でいいなぁと思っていた。

思えば、ロッカーの扉とにらめっこして、
必死に四ケタの数字を組み合わせていたのが、けなげに思う。
そこまで必死になるもんでもないのに、
「ないと困る、ないと絶対に嫌だ」
という思いに支配されてしまう。
また一つ、人間の小ささが自分に開示された出来事。

一番面白かったのは、
ロッカーの数字を組み合わせている時、
ロッカーの中で僕の携帯電話が引っ切りなしに鳴っていて、
「あぁ、ヤバイ。誰かが僕と連絡を取りたがっている…、
きっと重要な連絡なんだぁ…」
と焦ってしまった事。
普段はそんなに鳴らない僕の携帯電話が、
こんな時に限ってガリガリ鳴った。
それに僕は焦燥感を煽られていたけど、
今日になって判明したのは、
実は、それは僕がロッカーにカバンを閉じ込めてしまった事を知っていた友達が、
イタズラで電話をかけまくっていたという事だった。
まんまと僕はその仕掛けに引っ掛かった。
要はそれだけの事、
イタズラ電話を大袈裟にしたのは僕の頭で、
現実では誰も困りはしなかった。

物事を辿ると、いつもその正体は他愛もない。
ただ自分が恐れたり、不安に思ったりして一大事にしているだけ。
自分の意識や考え、思想なんてものは、
物事の正体を簡単に誤摩化してしまう。
暴力男から逃れられない女の人の心理もこんなだろう。
今回の僕で言えば、
単なるイタズラ電話なのに、
勝手に焦って、
携帯電話ごときに、
あたかも家族が悪者に捕われているかの如くに救おうと必死になった。
そして何となく苛ついた。
これが僕の人間の小ささ。
反省の二文字だな。
自分の物に対する執着が、まだまだ深いんだという事を痛感した出来事だったなぁ…。

そしてこの携帯電話とテレビがない三日間、
電車に乗っても、部屋でくつろいでいても、
イチイチ時間が長く感じた。
ゆとりがあったと言うべきなんだろう。
勉強になった三日間が終わり、
早速、三日間で携帯に溜まったメールの返事に苦慮している。
さぁて、この三日間は今後に生かされていくんだろうか…。


今もまだ山口 2008/05/22

僕、今日、ライブが久し振りに感じたんですけど、
そうでもないんですね。
僕、最近、ライブが楽しいので、
18日間もライブがないと長い時間に感じるのかなと思います。
今日も、とってもいいライブだったと思います。
来てくれたみんな、有り難う。

ライブが終わってから、少しの間、
松岡英明さんと話をさせて頂いたんですが、
何しろ、こちとら中学生の時にテレビで見ていた人だし、
不思議な感覚だったですね。
みんなはギターを持って唄っている僕から知っているんだけど、
僕は中学生の時、野球に夢中で音楽やろうなんて微塵も思ってはいなかった。
だけど、
今、こうして松岡英明さんと話をしている。
う〜ん、不思議としかいいようがない。

それにしても松岡さんは歳をとらないなぁ。
あの頃の感じが大切に歌い継がれている感じ、
「あぁ、僕にとっては今も王子としか言いようがない」
そんな気持ちでした。

僕も、あんな感じで、今のいいところを大切に歌い継いで、
長く長くステージに上がっていたいなぁ。
そして、いつか人に、
「山口は、ワタシにとって今も山口だわ」
と言われるようになりたいもんです。
そんな豊富を持った、
今日、うららかなライブ日和でした。


毎日、おもしろい、イェーイ 2008/05/21

昨夜は、なかばふて寝のような形で寝入ったから、
今朝は妙な頭痛が頭に残っていた。
溜まった洗濯物の山から、選定して洗濯機に入れる。
ファーファは二杯半。
前回、ファーファ一杯ではイマイチ柔軟されなかったからだ。
洗濯が終わって、ベランダの日溜まりに洗濯物を泳がせると、
そこらの庭木にいた蚊が集まって来た。
早速、足首を一口吸われる。
か、かゆい…。

でも、ファーファの甘い香りに包まれた洗濯物に、
嬉しそうに群がる蚊を見て季節の変わり目を感じた。

「まぁ、どうでもいいっかぁ…」
煙草を吸いながら眺めていると、
思い通りにならない事は、
矢っ張り思い通りにいかないようにしておくのが自然で、
ジタバタしないでおこうと諦めもついて来た。
気に入らぬ風も吹こうに柳かな、
むっとして帰れば、門に柳かな、
風の吹く方を後ろに柳かな、
為すがまま、為されるがまま風に吹かれておこう。
今まで散々思い知らされて来た事なんだ。

僕はたまに"はちみつきんかんのど飴"にお世話になっているが、
あのCMでえなり君が唄っている歌詞が不明だった。
『毎日、おもしろい、○△□×』
○△□×のところを何て唄っているか長い間の謎だったけど、
先日CMに歌詞のテロップが流れていて、
『毎日、おもしろい、イェーイ』
と唄っている事が判明した。
『イェーイ』っかぁ…。
考えもつかないほど、安易な歌詞だった。
けど、悪くない。
今日も、はちみつきんかんのど飴をかじりながら、
明日のライブに備えて練習。

それにしても、いい天気だ。


誰のせい? 2008/05/20

今日は妙に宙に浮いたような一日だった。
機嫌も体調も好調なのに、
どこかぽーっと抜けていて、
一切の集中力をなくした感じ。
抜け目だらけの俺、街を行く。
こんなんじゃ、
もしも戦国の世に生まれていたのなら、
簡単に背中をとられ、
バッサリ袈裟切りにされ、
人様の白刃の餌食になっていただろうな。
まぁ、でも俺の首じゃ手柄にもならない。
あぁ〜あ…、
台風と大雨が過ぎていった。
こりゃ、低気圧のせいかもしれない。

矢張り抜け目だらけに生活をしていたら、
うっかり不注意で、かばんをロッカーに閉じ込めてしまった。
携帯も財布もかばんの中だ。
幾度かの失敗を糧に、
家の鍵だけは身に付けていた。
家には入れる。
がぁ、しかし、
誰とも連絡がとれない。
いつロッカーからかばんを救出できるかは未定。
あぁ〜あ…、
今日は満月かぁ…?
こりゃ、月の引力のせいかもしれない。

手持ち無沙汰のまま家に帰り、
遅めの夕飯を頬張り、
テレビを点ける。
点かない。
蹴る。
点いた。
見る、食べる、
すぐ消える。
また点ける。
点かない。
蹴る。
点いた。
が、また消える。
だんだん苛立ってくる。
テレビと真剣に喧嘩をし、
一時間もしないうちに、
むなしく終戦。
テレビは点かないし、
俺の足はジンジンしている。
テレビの勝ち。
俺が敵うわけないか…。
あぁ〜あ…、
色々重なって物事は起きる。
こりゃ、俺のせいだな。


大爆笑サセラレル? 2008/05/19

例えば、
君のまわりにいる友達の中からひとりの顔を思い浮かべようとしたら、
誰の顔が浮かぶだろう…。
その思い浮かべた人は、
矢っ張り、今、君が一番大切に思う人なんだよ。

じゃ、その思い浮かべた人は、
君の目蓋の中でどんな表情をしているだろう…。
その思い浮かべた表情は、
矢っ張り、その人に対して君が一番気になっている性格なんだよ。

じゃ、その思い浮かべた大切な人の表情に、
君は何を思うのだろう…。
その君の想いは、
矢っ張り、その人に対して君が一番伝えたい事なんだよ。

じゃ、君は、その大切な人が笑い転げ、
大爆笑している表情を思い浮かべられるだろうか…。
思い浮かべられないのなら、
君はその人に対して、まだ自分は不充分だと思っているんだよ。

大切な友達、ひとりひとりを順番に思い出し、
順番に大爆笑している顔を思い浮かべようとすると、
矢っ張り、何人かは笑ってくれない。
普段笑わなくても、大爆笑の顔を思い浮かべられる人もいる。
なのに、頭の中だから自由自在な筈なのに、
大爆笑の顔を思い浮かべられない人もいる。
できればね、僕は思い浮かべる人全員を大爆笑させたいんだよ。

さて、例えば、
君のまわりにいる友達の中からひとりの顔を思い浮かべようとしたら、
誰の顔が浮かぶだろう…。
その思い浮かべた人は、
矢っ張り、今、君が一番大切に思う人なんだよ。

じゃ、その思い浮かべた大切な人は、
その目蓋の中で、君のどんな表情を思い浮かべてくれるだろう…。
その思い浮かべた表情は、
矢っ張り、その人が君に対して一番気になっている性格なんだよ。

じゃ、その大切な人は、
君が大爆笑する顔を思い浮かべてくれるだろうか…。

君が僕の顔を思い浮かべる時、
僕は簡単に大爆笑させられる人でありたいんだよ。
君にとって、そういう人でありたいんだよ。


Eの引っかき傷 2008/05/18

風邪によって後ろにもたれた予定を、
今夜満月と共にま〜るく仕上げてホッとしています。
風邪引いて寝込むのはいいけど、
その間に溜まっていく仕事も一緒に寝込むので、
後が大変です。
くれぐれも健康でいる事が肝心です。

31rpmも更新したし、31rpm連動ブログも更新したし、
メールも返信したし、飯喰ったし、言う事なしやし、
後は睡眠時間を確保やし、できそやし。
尻もま〜るく拭い切った感じやし。
ライブまであと3日間は平静が保てます。

例えば、僕の場合、
ギターのEのコードを弾く時、
ミ、シ、ソの#という和音にファの#を足します。
これは小指をグイッとストレッチして押さえなきゃいけないコードになりますので、
結構大変です。
でも、ファの#を足す事によってただのメジャーなコードが、
少し切ない響きを持ちます。
切なさのエネルギーが、
溜まった想いや疲れを昇天させるような響きになります。
僕の『呑気放亭』という曲の基調として使っているコードです。
このコードで今夜僕は、
サウナのようだったここ数日間をゆっくり昇天させている気分です。
ちょっとオセンチに清々しい気分です。
この気持ちが伝わるといいな。
誰に?って、そりゃ君に決まっているやろう。
なかなか顔を見れてない君にさ、
連絡も途切れがちな君にさ。
ゆっくり話せていない君にさ。
オイラの心の片隅に住んでいる君にさ。
今日、なかなかいい冗談を思い付いたぞ。
また今度、教えるからさ。
きっと笑ってよ。

久し振りだね。
31rpmを通して、
31rpm連動ブログを通して、
この慕夜記を通して、
少しの時間、オイラと遊ぼうぜ。


風邪はひきたくない 2008/05/13

ご心配をお掛けしました。
今夜、体調も完全に復活した模様です。
久し振りに、寝込んで、寝転がってみました。
ただ、単に風邪だと思うのですが、
疲労が重なっていたのか、寄る年波なのか、
回復するのに結構な時間がかかってしまいました。

しかし、それにしても、
一人暮らしの寝込みは、つくづく寂しいものだと、
今回、痛感しました。
一人で一言も発さず、黙々と寝込んでいると、
そのうち、
『これはひょっとしたら風邪程度の事じゃないかもしれない…』
とか、
『ひょっとしたら重大な病気にかかっていて、
このまま孤独に死んでしまうかもしれない…』
など、
どうしようもない事を考えて、少し不安に陥ってみたりし始め、
たかが、風邪に、結構深刻な気分で過ごしました。

「風邪はひきたくない」
を近年のモットーに過ごして来たけど、
ここに来て、ア コールドをキャッチしてしまったので、
「もう二度と風邪はひきたくない」
にモットーを変えて、もう一度明日からトライしなおし!
寝込んだ分、溜まってしまったものを取り戻すのも大変だなぁ。
今や、馬鹿も休み休み、風邪をひく時代です。


何かが僕を、 2008/05/07

起きた時はあんなに気分が良かったのに、
結構日中パンチドランカーです。

フワフワ、ウロウロ、
目蓋が閉じよか開こか迷っていました。

アカン!

養生、養生!

キャベツ太郎を食べて風邪治します。


ルール改定 2008/05/06

ひどく寝汗を掻いて、
詰まった鼻で必死に吸う吸う、吐く吐くをしていた為、
今朝起きたら脳がシビレている。
喉の奥はまだ痛いけど、
寝起きは随分気持ちが良し子。
風邪気味で終わってくれたようで、
一安心。

ちょっと自適に過ごし過ぎたかな。
一人暮らしの狼に、節制という言葉は野暮だけど、
矢っ張り風邪はひきたくないから、
自分の体力の消耗具合は把握しておかなくちゃいけないかな。

ここから、新しく、
ここから、始まる、
自分のルール。
人様には理解できなくとも、
僕と僕の周辺を取り持つ独自のルールを決め、
新体制で次の幸せに望もう。
今日から、新しく、
今日から、始まっている、
今という時間。
独自のルールを、
面白くて仕方がないルールを作る。
僕の急務となりそうです。

病み明けにちょっと嬉しい希望、
今朝も晴れ、
ほにほに、あったかし。
ベランダ日和で行ってきます。


わずらいそう 2008/05/05

昨夜は高校の同窓生、飽きない男三人で朝まで話をしてました。
泡盛を呑んで、
僕等はあの頃と一向に変わらず、キャッキャと笑っているのです。
が、それでも僕等なりに、
ちょっとずつではありますが、
それぞれで背伸びして、
言えない、言わない、
としていた鎧を脱げるようになってきたのが、
成長かなぁ、なんて思いました。
僕にとって、本当に高校生に戻って笑っていられる、
飽きない友達です。

なんて夜を終え、朝を越し、一日を終えてみると、
鼻の奥が痛くて、くしゃみが出るし、
何となく風邪っぽいなと思えます。
やべぇ。
風邪引いてる暇はない。
薬飲んだし、栄養ドリンクも飲んだので、
昨日の呑み物よりか身体に良さそうです。
今夜こそは夜のうちに寝て、養生に努めようと思います。

追伸:
今日、一生懸命な想いを持ったひとの前に行きました。
一生懸命な想いを前に、僕は静かでいようと思いました。
一生懸命な想いを持つという事は、
とってもエネルギーのいる事だし、
想いよりも、二倍も三倍も多く勇気を持たなくちゃなりません。
それに引き換え、その前にいる僕は小さく無力と思います。
その手に握られた紅茶の入ったカップ。
その水面が揺れるのを見て僕は、
グッと奥歯を噛み締めたように思います。
小さな人間同士、何ができる訳でもないけど、
それだけに腹を据えて、正直にぶつかる時間も大切だと思いました。


俺とギターのイトナミ 2008/05/01

俺という風船が、希望で一杯になった時、
どうか君はイタズラ半分で針を突き立てて欲しい。
パンッ!と弾けたら、俺も君も笑いが止まらないだろう。
俺がいつも風船を膨らませてニヤニヤしているのは、
そんな願いがあったり、なかったりして。

俺という風船が、寂しさで一杯になった時、
どうか君は100%のイタズラ気分で針を突き立てて欲しい。
パンッ!とドMな音が鳴り、俺も君も愛情を抑え切れなくなるだろう。
愛くるしいあまりイヂメテ、イヂメテ、
思わず握りつぶしたくなるような愛情。
俺がいつも風船を膨らませてメソメソしているのは、
そんな願いがあったり、なかったりして。

俺が可能性を感じれば、君は不可能と言い。
君が可能性を感じた時、俺はハナっから諦め切っていたりする。
今夜、君を抱いて、可能性も不可能性も忘れ、
とりあえずは頑張ってみるこっちゃという共通の結論を得る。

君の冷ややかな腰のくびれを、俺の脂ぎった汗が伝う。
俺も君も激しく揺れて、
突き上げるままに、突き上げられるままに、
想いを昇天させていく。
息は荒れ、声がかすれて、まるで色気のないシルエット。
俺が上になれば、君が下になり、
君が上になれば、俺が下にまわる。
シーソーのような動きに、鼓動だけが協調して同じリズムを刻む。
夜だ、夜が更けていく、
俺達は街に取り残されて、孤立する。
俺は君の手首をカンカンに握りしめ、今夜これを放す事はないだろう。

俺という風船が、君の声で一杯になった時、
どうか君の疲れ切った指をけだるく突き立てて欲しい。
ピューッ!と弾けたら、俺も君もただの空気になる。
放心のまま、身体が余韻で揺れている。

君よ、俺の大切なギターよ、
俺は君が最高の吐息をもらせるよう尽くし、
君の上気し興奮した痙攣に、俺の精一杯の唄声を合わせるんだ。
君よ、愛するギターよ、
今夜も違う夢を見て俺達は、
疲れ切って眠るんだ。
朝に眠るんだ。


弱虫 2008/04/30

最近のニュースとにらめっこしていると、
どこそこでチューリップの花がむしられたとか、
花が株ごと抜き取られて道路にまき散らされていただとか、
けったクソの悪い話が目に入ります。
(こんな言葉遣いの僕は行儀悪いのですが)

物言わず、いたって無抵抗な花をいためて、
溜まった想いを発散するなんて、
人間も追いつめられて、存外弱い生き物になったなと感じます。

つらい事があったり、
エネルギーを持て余したり、
鬱屈した想いは誰にもある訳で、
苛立って、卑屈になって、
バランスを失っては勿体ないと思います。

優しくていいんだよ。
優しさを弱虫と言われても全然かまわないんだよ。
大きな声で自分の想いをハキハキ言えなくていいんだよ。
説明つかないまんまでかまわない。
気が弱いのはみんななんだよ。
負けてやれよ。
怖くて怖くて、逃げてしまってもいいんじゃないの。
いい加減な人間でいいよ。
俺もそうやもん。
だから、
身体一杯に太陽を浴びる花には手を出さないでおこう。
花の幸せまで、羨んではいけないんだぞ。


ギリギリテクテクノコノコ 2008/04/28

最近、最寄りの駅のひとつ手前で降りて、
20分くらいかけて、歩いて帰って来る気分転換をしています。
夜の街を、葉桜を傘に、テクテクノコノコ歩いて帰って来ます。
疲れた一日の仕上げにとって、とても貴重な時間になりつつあります。

続けようと思ってやっている訳ではなく、
気分で始めた事なので、
あっという間に飽きちゃうんじゃないかと思っています。

ただ、その道中に僕の大好きなたこ焼きがあります。
最近、見つけた近所の美味しいたこ焼き屋。
この店は、このテクテクノコノコの根拠になり得るものです。

ただ、いつもここを通る時、
ちょうど店じまいの時間になっています。
ちょうど女将さんがのれんを下げて店にしまっている姿を、
流し目で見ながら通りかかっています。
『あぁ、食べたいなぁ…』
いつも思っていたのです。

今日は結構くたびれたなぁと思って歩いていると、
今夜はたこ焼き屋の前にお客さんが三人立っているのが見えました。
僕はいつもギリギリ間に合わないのですが、
その三人のお客はギリギリ間に合った人達だったんですね。
そのお陰で、いつもより営業時間が少し伸びて、
いつもギリギリで間に合わなかった僕も、
今夜はギリギリで間に合えたという事です。

今日、最後のたこ焼きを買いました。
塩ダレで、ねぎたっぷり乗っけてもらって、
ホクホクに心を温めて帰りました。
たこ焼きが食べれるだけで、
僕にはえも言われぬ幸せが舞い込みます。


回復の呪文 2008/04/27

何があったかなんて聞かへんわ。

何も言わんでええよ。

喋らんでええよ。

黙って好きなだけ遊んどりゃええに。

そばにいて欲しいんやったら、いくらでもおるよ。

今すぐ逃げて来やーよ。

一緒に逃げたろうか?

思いっ切り逃げてみよっかぁ。

何か話したくなったら、止めどなく話しやー。

全部、聞いたるに。

よぅ、やっとるやん、頑張りすぎやわ。

まぁええから、気ぃ抜きゃー。

いつでも帰っていりゃー。


意外とからっぽではなかった夜 2008/04/26

昨夜のライブ、下北沢mona recordsまで足を運んで下さった方へ、
有り難う。

久し振りに女性ミュージチャン達に囲まれてのライブで、
何をどうやって話し始めたら、
それなりに打ち解けれるのかに、未だに戸惑いますね。

でも、笹生さん、畑中さん、川北さん、
本当、女性ミュージチャンとして堂々と揺るぎない空気でステージに上がられていて、
肝の太い方がただなぁと、心底感心していました。
こんな事を言ったら失礼かもしれないですけど、
ある意味、男より男らしい強さを感じます。
女性ミュージチャンの男らしさって、色気になりますね。
唄う声の背景や土台がしっかりとしていて、勉強させて頂きました。
このライブを企画して、誘って頂いた笹生さんには心から感謝しています。

ライブが終わって、出演者同士で一杯だけお酒を頂いたのですが、
何よりも男子として上手く会話の流れに乗れず、ドギマギしたので、
帰りはBig Mouthに向かいました。
その道の途中、親戚からの子供が生まれたとのメールを読み、
「わっ、スゲー、マジで!」
そこが下北沢の商店街の中である事も忘れ、叫んでしまいました。
また一人、家族が増えた。
姪っ子(正しくはイトコハン)ができた。
また叔父の階段をひとつのぼった。
何だか細かい理由はないけれど、
あまりに嬉しくて、Big Mouthで朝まで呑んで、
色んな人に叔父祝いを強制的にしてもらいました。
何かが変わろうとするとき、何かが生まれる。
浮き世の成り立ちは実に見事だ。
そして、この夜には複雑にからみあった幸せがある。
その一本、一本を解いては焼酎に浸し、
喜びの深酒。

僕を取り巻く、僕の知る世界へ、
おめでとう。


春飴、暁を忘れさす 2008/04/24

家に戻り、飯を喰らうと、
何をする間もなく、何かを考えるいとまもなく、
眠っていた。

どれくらい眠ったろうか、
夜半に目を覚まし、
「喉が渇いた」と思い、
枕元にあった飴を何気なく口に入れると、
眠っていた。

どれくらい眠ったろうか、
飴玉も溶けてなくなり、
夜半に目を覚ます。
「着替えなくちゃな」と思い、
枕元にあった飴を何気なく口に入れると、
また眠っていた。

そして、どれくらい眠ったろうか。
飴玉も溶けてなくなり、
夜半に目を覚ますと、
「慕夜記を書かなくちゃな」と思い、
枕元にあった飴を、また何気なく口に入れると、
眠っていた。

一体、どれくらい眠ったろうか。
飴玉も溶けてなくなり、
窓が白む早朝に目を覚ますと、
「ギターの弦を張り替えなくちゃな」と思い、
枕元にあった飴を何気なく口に入れてしまい、
気付かずまた眠っていた。

春眠、暁を覚えず。

今夜の僕は、ことごとく飴玉にやられてしまっている。
口の中の甘さに反して、にがい夢を見た。


ひとつ 2008/04/23

一日に持てる秘密は、
ひとつ。
ひとつになって考える夜。

一日に持てる本当も、
ひとつ。
ひとつになって考えてみる朝。

今日一緒に帰って来たぬくもり、
ひとつ。
重く、朝露に濡れ、
純粋に手の平でぬくもり、
そして蒸発していく。

一日に持てる疲労は、
ひとつ。
ひとつにどっと疲れている。

一日に持てる愛情も、
ひとつ。
自分のひとつに散々振り回されてある。

一日に持てる嘘が、
ひとつ。
自分のひとつに誠心誠意でもてあそばれてある。

一日で持てる俺、
ひとつ。
汗のまにまに、消え失せていく身体の感覚。

何も難しい事を言いたい訳じゃない。
至って単純明快な想いに、
持って回った丁寧な言葉で締めくくってみたい、
そんなひとつの夜。


歴史という学問の不必要性 2008/04/22

僕は三国志や平家物語、日本の戦国時代、明治維新の時期など、
結構歴史を読むのが好きですが、
歴史を学ぶ意義みたいなものは、
そんなにないんじゃないのかと思っています。
万人がこぞって学ぶべきものじゃないだろうな、
必須科目に取り上げられるような勉学ではないと思うんです。

過去から学んで未来につなげる、
それなら100年内の近代の世界史を知ればいいだけで、
何も何千年、何百年も昔の事を知る必要はない。
例えば、人間が火を起こす方法を発見して未来に道を開いた時、
その火を起こした人間は歴史から学んではいないでしょう。

僕が好きな歴史は、結局のところ学問ではない。
あくまで興味のある人が、興味のある時代を読み解く、
ただの娯楽ととらえるのが一番しっくりきます。
だから、受験勉強で歴史が苦手で悩んでいる子とかには、
可哀想だなぁと思います。
何故、勉強しなきゃいけないのか、
まずそこから先生に教えてほしいよね。

歴史とは、意外と深い遺恨を残す危険なものとも言えます。
壬申の乱で関ヶ原を境に大友皇子側についたか、大海人皇子側についたか、
そんな遺恨さへ今日にかすかに残っていたりするとも聞きます。
これはささいな範囲の例えですが、
世界にはやった、やられたの論理が歴史として学ばれ、
いつまでも遺恨を残して、平和のバランスを崩している例があります。
こういう事の為に歴史を学ばされている子供達がいるのには、
はなはだ疑問を感じます。
子供というのは、昨日喧嘩した相手でも、
一晩寝て、朝飯を喰えば友達になれるという、素晴らしい能力があるのに、
それに逆行するような事と思います。

これからの子供達は、歴史を学ぶべきではないと僕は思います。
常にまっさら、今を生き、ゼロから未来を作り出し、
何に気を遣う事もなく「はじめまして」と同世代同士が知り合っていける、
そんな世界にしていってほしいなと思います。


帰れない人 2008/04/21

7th Floorから無事に帰還。
朝帰りです。
非常に眠いので簡潔に説明します。

僕はリハーサルが終わってから本番まで割と時間があったので、
40分くらい時間はかかるけど、いっちょ初めての試みで、
一旦自宅まで帰ってみようと思い、そのように実行したのですが、
自宅の玄関に辿り着いてから、鍵をギターケースに入れたままで、
自分のポケットには入ってない事に気付きまして、
自宅の玄関前で途方に暮れた訳です。
こうした経験は、ここ一年で2度目です。
どうした事か、
自分では結構、
石橋を叩いて、叩いて、叩いて、叩き割って、
結局渡れなくなるほどの慎重派だと自負していたのに、
最近の健忘症は自分をとっても軽率なものに感じさせます。

ライブが終わって、さて、お家に帰ろうかと思ったのですが、
北京留学の時の同朋、今やほたる日和のボーカル早川君に呼び止められ、
音楽の話や北京の頃の話で盛り上がるうちに終電をなくし、
今宵は同朋と旧友を温めるかと思いきや、
早川君はさっさと帰り、
ついでほたる日和のベーシストで、今回の7th Floorに誘ってくれたアヤちゃんも帰り、
PAの五十嵐さんと、カウンターの杉本さんと、鉄平さんと呑んでいるうちに、
博多っ娘のクミちゃんという人が博多弁で現れて、
ギャースカ唄って、呑むうちに、
帰ったと思っていた筈の平絵里香くんが、
酔っ払ったイサカヨシタカ君を連れて帰って来て、
サムピックやなんや宗教やなんやと話しているうちに、
博多っ娘のクミちゃんの友達という松本さんが現れて、
そんなら呑もう、唄おうとやっていたら、
カウンターに俺一人、杉本さんが相手してくれて、
最後の焼酎をすすって粘っていました。

7th Floorには朝陽が差し込んで気分が良し子。
黒澤明の映画『七人の侍』で野武士と死闘を繰り広げた後の、
志村喬のセリフを思い出しました。
「また、わしらが生き残ったな」

生き残ったのはいいけど、とことん帰れない今日という日。
僕は完成され、洗練された千鳥足で道玄坂を下ります。
街路樹には俺を付け狙うカラスがゲラゲラ笑っていて。
「はぁぁん、およしよ。俺は今やっと帰るところ。
煮て焼いて喰っても、生の刺身にしても、
今日の俺はとっても美味しくないぞ」
なんちって、言ってみたりして。
完全に帰れなし子。

今日の出会いに、ほにほに、かしこ。


裸の心 2008/04/18

今朝、風呂に入って頭を洗い、
口をお湯でブクブク言わせながら、
何気なく呟いた言葉、
「ナヒーン チャヒヘー」

「ナヒーン チャヒヘー」
何だか思いっ切り叫びたくなって、そう言った。
忘れもしない、インドに旅行した時に覚えて使っていた言葉だ。
確か『要りません』という意味だったと思う。

ついでにもう一つ叫んでみる。
「ヤンギャッチュイ ヨン」
これは意味不明。
確かヒンズー語だったと思うんだけど…。

僕は時折、こうして発作のようにどこかの国で覚えた、
どこかの言葉を叫びたくなる。
だから今日は色んな言語で、
『僕の名前は山口です。あなたの名前は?』
をシャワーの水圧に向かって言ってみた。

「メラ ナーム ヤマグチ へ。
アップカ スブ ナーム?」
これがヒンズー語。

「ネ シン イルムン ヤマグチ スミダ。
タン シン イルムン ムォー シムニカ?」
これは韓国語。

「ウォ ジャオ シャンコウ チン。
ニン クイ シン?」
これは中国語。

これらの言葉は、それぞれの国で心を裸にして使って来た言葉だ。
口にすると、あの時の必死な旅行を思い出す。
日本にいる時よりも、数段裸になって人と接したんだと思い出す。

だから思い出したのか?
風呂に入っている時に。
裸になって、
裸の心を思い出したのか。

そんな僕の姿、見てみたい?

「ナヒーン チャヒヘー!」


様々な周期 2008/04/17

朝起きると、調度いい曇り空。
何にピッタリ調度かはわからないけれど、
今日の寝起きには調度に感じる曇り空。
ベランダを眺める僕は気分が良かった。

天気予報では、午後から雨になるらしい。
でも、所詮天気予報の言う事なので当てにならない。
それより僕の気分がいい事の方がよっぽど確かなので、
僕は気分に従う事とし、傘は持たずに家を出た。
ほどなくして、雨はやって来た。

ビルを洗う雨はシーンと降っている。
靴が濡れても、思いの外、静かだ。
出先のコンビニで買った傘だけが、
ボリボリ音を立てる。
最近通い始めた弁当屋に行き、
「何にしよっかなぁ…生姜焼きかなぁ…」
と迷う。
「…いや、いつものにしようかなぁ…」
と言ったところで、弁当屋のおばちゃんが、
「のり明太?」
と僕に聞いた。
僕が『いつもの』と口にしたら、それは『のり明太』であるという事を、
とうとうおばちゃんに覚えられた。
半月近くポツポツと通った程度の期間を考えると、それは快挙だった。
それだけ同じものを食べ続けたという僕の執心さもある。
にしても、嬉しいエピソードだった。
嬉しさのあまり、
「今日は思い切って生姜焼き」
とおばちゃんの気遣いをかわすような注文をしてしまったけれど、
僕の気分はとっても良かった。

夜が訪れる。
東京タワーの頭が霞の中に隠れ、
人間を不気味に見下ろしている。
まるでバベルの塔のような圧迫感だ。
人智には限界があると、お前は言うか。
物事はいずれ崩壊するのが摂理と、お前は言うか。
僕は肌寒さを覚え、それにともない少し寂しくなる。
そんな気分を一掃でっきないかと、
帰り道はピョンピョン歩いてみる。
だけど、その跳躍ほど、気分は上がってこない。

家に戻り、ベランダに戻って来る。
隣の庭木や、マンションの屋根や壁で、
雨がガサガサなっている。
その音が深夜に景気良く鳴り響いて随分賑やかに感じる。
調度だ。
何にピッタリ調度かはわからないけれど、
眠りに就こうとする僕の気分にしっくりきている。
また僕は気分が良くなる。

こうして、
今日の気分は、一周して気分がいいとこに戻って来た。
僕の日常は気紛れで、いつもいつも万事塞翁が馬なのだな、これ。


放棄した男 2008/04/16

この三日間は何もしないでおこうと勝手に決めて、
三日間を休みにしました。
生活における一切の義務を思いっ切り放棄してすごしてやろうという魂胆でした。
つまり、買い物に出掛けたりだとか、誰かにメールを送ったりとか、
皿を洗ったり、掃除機をかけたり、
そういう日常の細々とした義務をこの三日間は保留させようと心掛けました。

でも、そうは自分という問屋は卸さない訳でして、
朝起きて一番に散歩に出掛け、喫茶店に行ったり、
洗濯物を大量に洗ったり、干したり、
夜は夜で、友達に誘われて呑みに出掛けたり、
僕のもくろみとは違った方向にコチョコチョ色んな事をしましたが、
結局は良い休日になったかなと思います。
もともと、身体を休めたいというよりか、
心の休息を求めていたんです。

さて、僕は最近、洗濯物を干す時に、
ささやかな幸せを感じるようになりました。
以前までは、洗濯の行程の中で一番面倒で嫌いだったのが干す事なのに、
人間、ひょんな気分で嫌いなものが好きになったり、
好きなものが嫌いになったりするものです。

大量の洗濯物を持って、ベランダに出て、
ベランダ一杯に洗濯物を干します。
僕ん家のベランダは、都会の一人暮らしにしては結構広いのです。
そのベランダにかすかな風の流れがあって、
その生温かい風に洗濯物を泳がせるのが、
なんだか気分がいい。
青空を見上げ、「ほっ」としながら、
何を考えるでもなく、何かを感じている時間が幸せです。

思えば、今日というこの生暖かい天気に辿り着くまで、
僕は数奇な縁に支えられてきたものだなぁ。
僕が歩む道の角々には、必ず魅力的な女性が立っていて、
「こっちにおいで」と手招きしていました。
その人達は、とっても凛々しい目をしていて、
その視野で右往左往する僕の姿を理解に含めていてくれました。
僕は何かにつまづく度、あの手招きに導かれて来た男のようです。

あの時は着ていたシャツが一枚、
またあんな時に買ったシャツが一枚、
一枚、
また一枚と、
今、僕のベランダに楽し気にユラユラ揺れています。
「そうか、俺はいつもあんな綺麗な女性達を目の前に、
ユラユラ、フラフラ、
この洗濯物のように揺れていたんだな。
悪い事をしたな」

さて、ゆっくりとした休みも終わり。
明日は雨というけど、
気持ちは晴れていけそうだよ。


芽生え 2008/04/11

31rpm4月号、お待たせしております。
弾き語りや人生劇場、投稿CMなど、全ての素材を録音し終えて、
さぁ、これからMC録りだっ、とマイクに向かったら、
何故だか頭が呆然としてしまい、
気付いたら何も話していなくて、無言を録音しているような状態でした。
その調子で慕夜記もこんな感じ。
別に苦悩している訳ではないのですが、
ただ、ボーーーーーーーーっとパソコンに向かって座っています。
きっと、妙な天気のせいだと思います。
雨が降って、風が強くて、寒くって、
僕の呆気は天気のせいだな。
申し訳ございませんが、
31rpm、もう暫くお待ち下さい。

さて、全然脈略のない話をしようと思います。
僕は三十路を歩き、人生経験も人並みにありました。
最近、少しずつ山口晶という生物でいなきゃいけないという自覚も芽生えて来ました。
つまり、大きく化ける事よりも、
むしろ正体を明かしていく事が成長という事であり、
生きる事の完成は、
より等身大に近付く事だと思えるようになったという事。

何もできなくていいんだと、少しは思えるようになりました。
何もできない自分という生身で、
本当の優しさを知れたら、どんなにか幸せだろうと感じるようにもなりました。

僕は最近、"待つ男"に切なさを感じるようになりました。
好きな子になかなか近付けず、
かと言って、その想いは誰にも言えず。
ただその子の帰り道に、一言の会話でも交わしたいと"待つ男"。
結局、好きな子に会えずおずおずと帰る男の視線。
遠いようで近い。
笑っているようで泣いている。

そんな"待つ男"が、昔はイヤらしくて大っ嫌いだったけど、
僕は最近、そんな"待つ男"に心を奪われ、切なく思う事があります。
きっと僕のどこかにそんな痛みがあるからだと思います。
きっと僕はどこかでそんな自分の正体を知ったからだと思います。
きっと僕はどこかでそんな自分を許せたからだと思います。

こうやって人に気付いていく事で、自分が垣間見えてきます。
こういうものを辿っていけば、
無理をしなくても、人に優しくなれるだろうし、
気を遣わなくても、人に好かれるようになるのかな、
なんて思ったのです。


のり弁と云ふ幸せ 2008/04/07

最近、いい弁当屋を見つけて、
久し振りに、またのり弁熱に冒されている。

のりの下に温まる、米とおかか。
ちくわの磯辺揚げと明太子を載せて、
昆布ときんぴらをかじりながら頂く。
昼飯において、この幸せに勝るものはない。

以前、通った弁当屋のおばちゃんについて、
慕夜記に書いた事があるけど、
僕は弁当屋のおばちゃんに興味がある。

弁当屋のおばちゃんは、
定食屋のおばちゃんほど社交的ではない。
弁当屋のおばちゃんには、
トッピングなどイレギャラーな注文が多い。
だから弁当屋のおばちゃんは、
常連さんの趣向をよく知って商売をしている。
そして結構無口。

僕の中の弁当屋のおばちゃんは、結構上品なイメージがある。
そして、その上品なおばちゃんが出してくれる、
のり弁。
如何にも汗臭くトラディショナルなこの弁当がだ。

だから、おばちゃんとのギャップで、
僕はのり弁に魅かれるし、
おばちゃんに魅かれるんだろう。

こうなると、のり弁を毎日喰いたくなるのが、
僕の幸せな性癖なのだ。


あしたのショー 2008/04/06

いつも曖昧な笑顔でニッコリ晶ちゃんも、
今日は何だか憂鬱で、軽薄な冗談も喉元でモゾモゾして出て来なかったな。
何度か取り直そうとして、何度もズルズル滑ってた感じだ。

な〜んでかな〜、と考えてみて思い当たるのはただ一つ。
寝不足。
二日連続の寝不足。

その寝不足に正当な理由があればいいんだけど、
人様に言えるような立派な理由ではなく、
ただ単純に身勝手な事の為に起きていたから、
これは自業自得。

二日も我が侭に寝不足をすると、人ってそれなりのしっぺ返しを喰うもんですね。

憂鬱になる。

仕方ねぇかぁ。
起きていたかったんだものなぁ。

好き勝手な寝不足の締めは、いつも怒濤のギター。
冴えた頭をギターの音色で打つべし、打つべし。
左脳の内角をえぐり込むように、打つべし、打つべし。
僕だけの『明日のためのその一』は寝不足を鍛えている。
あしたのショー。

いいか、ショー。
この泪橋を、陽気に唄い、また弾きながら、
逆向きに渡ってやろうじゃないか。
この眠い明け方に弾いて唄って、唄いまくって、
街にお陽さんを呼んでやるんだ。
立つんだ、ショー、
…いや、寝るんだショー。
今日のところは寝るんだ、ショー!


まったく一日ってやつは 2008/04/05

昨日のBig Mouth、
妙にスカッと来る時間だったね。
来てくれた人、本当にどうも有り難う。
捨てるもの、捨てちゃいけないもの、
持っておくもの、返さなきゃいけないもの、
その境界はいつもぼやけていて、頭を悩ますものだけど。
昨夜のライブで、みんなと少し共通の基準を持てた気がするね。
大切に持ち、大切に捨てて行こう。
判りにくいけど、そんな感じ。

さて、今日の僕と言えば、
そんな事もすっかり寝ぼけ眼で、
夢遊病のように歩いていたら、
今になった。
まったく一日ってやつは、
あーかな?こーかな?なんて思っているうちに終わりやがる。
商売あがったり、人間あがったりだな。

もう少し一日の実感が手元に残って欲しいと思うな。
最近、今日の温度を確かめる間もなく明日になっている。
そんな人、結構いるのかな?

僕の力で、なんとか一日のスピードをゆるめる事ができたらな、
と思う今日この頃、桜の散る帰り道です。


気立てはいいが水臭い俺のイメージ 2008/04/03

こうも寒い日が続いた揚句に、
ぽっかり陽気な一日が訪れるってぇと、
その陽射しはことの外、静かでさぁ。
その下で、伸び縮みして身体を柔らかに、
昨日の寂しさや疲れも柔らかに、
ことごとく穏やかな心持ちとくらぁ。

そいつぁ面白いってんで考えてみりゃ、
知らん間にその先で君の事を考える羽目になったりしてよぉ。
今日の俺ぁ、いちいち面白い事を考えていやがる。
かと言って切れってのはない。
まぁ、これこそ俺様、
ぽっかり陽気な一日でござい。

あの子は、保守的なお洒落を着込んでいる。
随分、おぼっこい匂いを漂わす子でさぁ。
世間を知らなそうな声で話をする。
毎朝暗いうちから目を覚まし、実家の豆腐屋を手伝い、
夕刻になりゃパートに出かける。
豆腐屋で働いているうちは気立てのいい娘だが、
パートに出ると無口で目立たない娘になる。
立つも立たぬも、あの子は実家の生計を立てている。

夜まで働く。

豆腐屋で働いているうちは、あれこれ考える暇もないが、
パートに出ると、よく物思いにふけっている。

大層な美人だけど、あの子が男と接する機会はない。
誰かに出会ったとしても、知り合わないようにしている。
だから、実家の豆腐屋では親父さんが嫁がせる算段を立ててやろうと苦心している。

でも、あの子は頓着しない。
男より父母の苦労を、一つでも二つでも自分が担ぐ事を幸せと決めている。
近所で評判の孝行娘、
できすぎた孝子だけに、返って親を心配させる。

あの子は先月、誕生日を迎えた。
もう幼くはない年頃で、決して老けてない年頃だ。
お袋さんは、あの子に誕生日プレゼントを贈った。
フェルトで作った花をあしらったヘアゴム。
お袋さんが作ったものだという。
あの子のものにしては色彩を少し豪奢にしたものだった。
最初、あの子は恥ずかしがって髪に飾らなかった。
でも折角母親が作ってくれたものだから、化粧箱に入れておく訳にはいかない。
あの子はお袋さんからのプレゼントを、
ブレスレットとして使って月日を流した。

さて、
最近、あの子はパーマをかけた、
重く伸びた黒髪を、すいて、波打たせ、色も少しだけ明るくした。
「あの子なりに将来の事を考え始めたんだ」って、
煙草屋の老夫婦が噂していた。
そんな噂話にも一切気付かず、
あの子はテクテクいつも通りの時間に、いつもの通りを歩いているけど、
どこか以前と違う。
大人びた視線を街の人々に投げかけるようになった。
相変わらず保守的なお洒落を着込んで、ヘアゴムは手首にしているけれど、
通り過ぎるあの子の残り香には、艶めいたものが加わった。

あの子に何があったのかは知らない。
知らないけど、
今日もあの子は控え目な高い声で挨拶をする。
「こんにちは、いいお天気ですね。おばちゃん、夕飯にお豆腐はいかが?」
あの子の声が麗しいのは、憂いを帯びた明るさがあるからだ。
「いってらっしゃい、気を付けて行くんだよ」
煙草屋のおかみさんがいつも通りあの子を見送る。

と、そんな感じ、
そんな感じの太陽と陽射し、
今日の穏やかな天気を例えると、
そんなイメージが湧いてくるのだった。


えぇっ!うそぉ! 2008/04/02

思えば、僕の日頃の行いが如何ほどに悪かったのか、
昨日(エイプリルフール)は、
みなさまから頂くメール、ことごとくに、
「えっ!外人と結婚っ!」
「はっ!五つ子出産っ!」
など、しっかり驚いてしまいました。

結構、素で、
「えぇっ!」
とメールに向かって声を上げているんです。
でも、
改行を辿っていって、
「何だ嘘か、エイプリルフールか…」
と、一人「クックックックッ…」とうつむいて笑っていました。
何に笑ったと言えば、
割と人生の修行を積んで来たと思っていたのに、
割と動じない肝を練って来たつもりだったのに、
そのまんま素直に騙されて、
すんなり驚いてしまう自分が滑稽で、
笑えるものですね、自分って。

優しいみなさんが、
わざわざ判りやすい嘘をついてくれたのに、
あっさりドキッ!としてしまっている。
一番の四月馬鹿は僕だったんじゃなかろうかと思います。

そんなこんなで、
僕は楽しい嘘が大好きですから、
こんな嘘をチョイチョイ考えるのも好きですし、
こんな嘘にチョチョイと騙されてしまうのも嬉しいです。
エイプリルフールが何故できたのか知りませんが、
いい祭日ですね。
嘘の日です。

幾ら歳を取っても、
嘘をつき、つかれ、
それを笑っていられる仲でいましょうな。
そんな事を切に願いました。


さ〜て春です。 2008/04/01

胃の淵でグツグツと春が煮え立っている気がします。
別に熱いわけじゃないんだけど、
そんな感慨を覚えます。
さ〜て、4月も始まって、これからどうするかな。
考える頭に、桜の花びらがチラホラ降る。
でも、折角の桜もこうも寒くちゃ耐えられない。

さ〜て、俺はこれからどうするかなぁ…。
少しぬかるんだ土の香り、
ピンクに染め抜かれた屋根の穴から、青い空がのぞく。
自分を変えていくって難しい。
かと言って、同じ事を繰り返すのも楽じゃない。
シフトアップもシフトダウンも、
段階を踏んでチェンジしていかなくちゃいけない。
一足飛び、二足飛びはよっぽどの時にしかやっちゃいけない。
この春、さ〜て俺はどう変わっていくべきかぁ…。
考える頭に、桜の花びらがチラホラ降る。
でも、折角の桜もこうも寒くちゃ耐えられない。

早足の先、まだまだ明日は遠い。
さ〜て、さ〜て、さ〜て、
俺は何者なんだか。


こごえる水溜まり 2008/03/31

今朝から随分と寒いもんです。
水溜まりの水面を風が撫で、
撫でられた水溜まりはブルブル震え、水紋ができます。

僕はそこをヒョイヒョイ飛び越えながら先を急ぎます。
肩を小さくたたんで、顔をカチコチにこわばらせ、
急ぐともなく先を急ぎます。
何故なら、寒いからです。

さて、こうも寒いといいものです。
口がこわばって、開け辛く、
余分な事を言えないからです。

人のあれこれは、余分な事。
胸にしまって、知らない顔をしている事が肝要。
人のあれこれなんて、余分な事。
忘れた顔して、鈍感とそしりを受ける事が肝要。
人のあれこれは、余分な事。
それを口にしたら、口にした自分がそれ相応に人に見られてしまう。
人のあれこれは、こごえる冷風。
ぐっと口を結んで、何も語らぬが肝要とは思わないかな。


遅詣 2008/03/30

今夜、今更のように思い出したのですが、
『そう言えば、今年まだ初詣に行ってないな』
と。

ただ、僕は最近めっきり自分の記憶に自信がないので、
昨日から向こうの過去は定かでありません。
だから、どっかで初詣しているかもしれないんですが、
現時点で実感が残っていないので、
矢張り詣でていないのだと決めました。

初詣に行ったからと言って、別段何をするという訳でもないのですが、
こんな風来坊ございの生活をしている僕は僕なりに、
季節や人生の折々にある節目の行事を、
大切にしたいなと思うようになったのです。

考えてみれば、
僕は高校の卒業式に何の感慨も持たなかったし、
成人式にも出ていない。
自分の結婚式は馬鹿馬鹿しくてやれないと思っていたし、
自分の葬式も挙げてくれるような死に方をできるかどうか自信がありません、
否、でした。

ただ、幾つかの結婚式や葬式、初詣や大晦日の行事に参加してくると、
それによって主人公やその周囲の人間達が何か大切な尊厳を自覚するような気がして、
『いいものだ。大切なものだ』と思うようになりました。

そこで、今年の初詣をまだしていない事に気付き、
どこか小さな寺でも神社でもいいから、
『俺を取り巻くものと俺の心は今、こんな状態です』という事を、
賽銭にして放り投げてこようかなと思いました。
ただ、果たしてここんとこの少ない休日のどれを使うか、
否、わざわざ休日を使わないでも通りすがりでもいい。

というところで、もう一つ重要な事を思い出しました。
去年の春は、しっかりと花見をして歩いてない。
ただ、僕は最近めっきり自分の記憶に自信がないので、
昨日から向こうの過去は定かでありません。
だから、どっかで花見をしているかもしれないんですが、
現時点で実感が残っていないので、
矢張りめでていないのだと決めました。

今年は花見と初詣、一緒にやろうかな。
それがいい。
この新しい季節に、
僕も自分の新しい志に、入学して来ようと思います。


アフターあたふた 2008/03/28

昨日の赤坂グラフィティに来て下さった方、有り難うございました。
何故か熱のぶり返しのような惚けっぷりで、
今日は全く人としての用を果たさない状態です。
まぁ、ライブが終わってから呑み過ぎたせいなんだけど、
まぁ、二日酔いって呼ぶもんなんだろうけど、
昨日はいい時間を過ごした。

洋平君といわぶち君と三人だけになった赤坂グラフィティで、
ゆるりと焼酎を酌み交わし、
僕の普段にない会話を交わしました。
同じ世代、同じようで違う世界に苦労して音楽をして来た者同志、
一言、一言に旨味がある、辛味もある、スパイスもある。
それを肴に焼酎の杯を進めるうちに、
俺もこんな事をしてみようとか、
背中にシビれるヒントを得たりします。

本当にいい二人で、本当にいい友達だなと実感しました。
こういう縁には、心から感謝したくなる。
いい夜を、有り難う。
いい道だ、この道、音楽の道。


丸い豆腐も切りようによっては角が立つ 2008/03/26

「山口晶」という字には曲線がなく、
ゴツゴツ鋭敏に角張っている。
…しかし僕という奴は、どこを取っても丸く、切れ味も鈍い。
ノロノロした丸い人間も、四角く切れば角が立つ。
「山口晶」の名は、人に角が立たぬように戒めた名かな?

「山口晶」という名を縦に並べるとシンメトリーで、
見事にバランスを保っている。
…しかし僕という奴は、どこを支点に取ってもグラグラ揺れて、
いつもどっちかに傾いている。
心もいつもいつも揺れながら、
ズルズルへっぽこな足取りで物事に近付いている。
それが我ながら面白い。
「山口晶」の名は、バランス良く生きないよう戒めた名かな?

僕が文字を書く時、一番苦手な字は「山口晶」
自分の名だ。
角もバランスもない。

僕が文字を書く時、一番味があるのは「山口晶」
自分の名だ。
角もバランスも独創的だ。

名は体を表す。
その人が自分の名前を書く時、
最もその人の可笑し味を映し出すものかと思う。


ギター弾きのショーさん 2008/03/25

午前三時を過ぎた我が部屋に、
一匹のカラスがウロウロ寝ぼけ眼でやってきた。

「俺はこれから朝の務めに向かうところだ、
聞くところによると、お前は毎晩朝までギターを掻き鳴らして唄っているという。
どうだ、仕事の景気付けに一曲、俺に何か唄ってくれないか」

ぶしつけな願いにも応えるのが芸の道。
「心得た」
僕が見るところ、このカラスは毎朝の仕事にやつれた顔をしている。
元気が出るような明るい曲を唄えば感謝されるだろうと思い、
ギターを構える。
すると、

「おい、お前、
今、俺が仕事に生き甲斐がなく精神が疲れているんだと思ったろう?
それで俺に明るい曲を聴かそうという魂胆ならやめてくれ、
返って疲れる」

と、カラスは吐き捨てた。

それもそうかと思い直し、
このカラスが自分の悲哀を投影できるような、
静かな喜びの唄を唄ってやろうと、僕は考えた。
そして、ギターを構える。
すると、

「やい!おせっかいな野郎だ。
お前は今、俺の悲哀を救い上げようなどと分不相応な事を思ったに違いない。
俺の心を癒そうなんて、お前は一体何様のつもりだ。
それでしたり顔をするつもりか?
そんな姑息な事を考えるなんざ、性根の腐った唄い手だ。
お前の心の方がよっぽど疲弊しているに違いない」

と、カラスはまた僕の心を言い当て、
そして、また吐き捨てた。

だったら怒りの唄をカラスの耳元に轟音で聴かせようかと思えば、
「俺の耳はお前の大声なんかじゃ驚かないぜ」
とカラスは言い、

じゃあ、何を唄えって言うんだ。
ちぇ、馬鹿馬鹿しい。
このまま何も唄わなければ、カラスも呆れて出て行くだろうと、
そう思ってみると、
「おいおい、お前の唄を聴きに来てやったんだ、
何か唄わなきゃ出て行きやしないぜ」
とカラスがまた言う。
僕が何かしようと思っても、いちいちその心を言い当てられてしまう。
こうも前もって自分の心を説明されると、やりようがない。

とうとう、僕はカラスの為に唄うなんて気遣いに辟易して、
カラスは相手にせず、いつも通りの練習を始めた。

カラスはニヤニヤ笑って、
「おいおい、とうとう俺を相手にする事に飽きたか?
俺の為に唄おうなんて気も失せてしまったか?」
と、僕にちょっかいを掛けて来た。
が、僕は相手にせず、
ただ無念無想になって、いつも通り好きな唄を唄いまくっていた。
カラスは幾度か厭味を言い、気を引こうとして来たが、
僕が時を忘れ、夢中になって唄っていると、
そのうち何も言わなくなった。

やがて、窓は白み、人間が活動し始める音が聞こえ出すようになり、
僕は「はっ」と我に返った。
一体、何時間経ったのだろう。
いつも通りの朝が部屋を染めていた。
燃焼し切った、くたくたの首を持ち上げると、
カラスはまだ部屋にいた。

カラスも僕が唄い終わった事にようやく気付き、
目に幾らかの涙をたたえながら、
しかし、清々しい笑顔になって僕に言った。

「俺はね、お前のその唄が聴きたかったんだ。
意を持たず、ただ無色透明の音のかたまりになって俺の耳をこじ開けて来る。
俺もそんな風に、朝陽に向かって啼きたいんだ。
無念無想の熱、
俺は自分が背負った仕事に、やっと得心がいったよ」

カラスはゆっくりと、黒い羽根を持ち上げ、
ヨロヨロと僕の部屋を出て行った。

暫くすると、朝の光に希望を溶かすような啼き声が聴こえた。
確かに、先刻まで一緒にいたカラスの啼き声だった。
そして僕は、その声に導かれるように心を休め、
いつものように何の感慨もなく寝床に潜り込んだんだ。


野生の証明 2008/03/21

梅は咲いたか、桜はまだかいな。
咲く前から花散らしのような風は吹き過ぎ、
今日は穏やかな日和の我が一日。

電車に乗る度、隣人の肘がスペースをむさぼる。
どうぞとスペースを譲れば、
今度は膝がスペースをむさぼり、
飽くなきテリトリー争い。
どうぞと負け続ければ、穏やかな日和の我が一日。

今日、知人が、
「僕はうさぎを2匹、飼っているんですよ」
と話していた。
なんと、僕が実現できなかった事をしている奴がいる、
という事に感動した。
そいつは更に続けた、
「でも本当は僕、狐が飼いたいんです」
なんと、ご家庭で狐が飼える時代なのか!
「でも狐は穴を掘る習性がありますから…」
至極、道理だ。
「持ち家じゃないと飼えません」
持ち家でも穴をあけられちゃかなわんだろう。
「あははっ」

野生でもあんなに身勝手なすばしっこさで生きている狐くんを、
日本の家屋には閉じ込められないだろうな。
狐は天地を主として飼われている。
我らの手には負えまいよ。

すっとこどっこい我らも、
天地の慈悲に飼われた自由気侭な生き物だよ、
わかるかい、
そこが我らのプライドぞ。
ビルに飲まれるな、
電車に操られるな、
人智なんて、何するものぞ。
天地の気侭に従おう。
チェ〜ストッ!
明日への気合い、
チェ〜ストッ!
猿叫こそが我らの野生の証明ぞ。


世の中の流れに乗り遅れるな 2008/03/20

今日は春分の日、祝日、
というのを午後知りました。
春爛漫の強雨と強風の中、ライブは横浜で、
そして帰りは終電ギリギリで、走り込みセーフ。
今日聞いてくれたみなさん、有り難うございました。
無理なご乗車は避け、次の電車をご利用下さいにも、
終電じゃどうにもならない。
ギターを背負って、エフェクターボードと傘を振り乱し、
終電はギリギリ走り込みセーフ。
本当に無理なご乗車はおやめ下さい。
そろそろ電車も主要な路線は24時間営業と、
はいかないものの、夜中3時くらいまでは運行してくれないかなと思います。

ライブハウスで一杯呑んで、
少し一日の喧噪から離れ、友達とご飯を食べてお話をして、
ダーツしたりビリヤードしたり、
ほろ酔い加減に一日が仕上がってきて、
そしてライブが9時、10時くらいから始まると、
一日の完成。
1時過ぎた頃に家路に向かう。
そんな理想郷を胸に抱く僕は的外れかな。

寒い一日はビュビュン過ぎて、
終電に駆け込み乗車をして、
ハーハーゼーゼー言ってたら、
左耳の故障が少し治りました。
今日の左耳は本当に聞こえ辛かったな。
大森洋平君は「二週間もすりゃ治る」と励ましてくれたけど、
二週間もすりゃって、
二週間もこれに耐えるのは少々難儀だな。
この原因不明の左耳故障、
事務所のTさんの診断は『中耳炎』
は、半身浴で、
ちゅ、中耳炎…。
実に難解だ。

僕のような健全な意味での変態には、
それなりの奇病が取り憑くもんなんだろう。
それにしても今日はサブい。
とってもサブい一日だった。


新幹線でトンネルに入った時のあれ病 2008/03/19

昨日のBig Mouthに足を運んでくれて、どうも有り難う。
このところのBig Mouthではフォーマルな男で唄っていますので、
出掛ける前、スーツに袖を通すと何だか唄うぞって気分が盛り上がります。
スポーツ選手がユニホームを着る時の気分みたいなもんでしょうか、
グッと緊張感が増して、戦闘モードに入ります。
当分続けてみようかな。

さて、ここ二日間の夜は、
正体不明に眠ってしまい、
いつ寝たか、どうやって寝たのかも判らないような有様でした。
ちょっと疲れが溜まったのかなと思いましたので、
久し振りに風呂を溜めて入る事にしました。

「えぇ!風呂に入ってないの?汚い」
と思う人がいるかもしれませんが、
僕のようなユニットバス住まいの人間は、
シャワーは毎日浴びますが、
風呂を溜めて入るとなると、イチイチ手間でやってられないんですね。
だから、そういう事なんです。

今日は風呂桶の掃除をして、1時間くらいの半身浴を楽しみました。
(どうでもいい余談なんですが、このパソコン、
『はんしんよく』を変換したら『阪神欲』となりました。
タイガースフアンの事を考えると、濃厚な言葉に感じますね)
僕は慢性的な肩凝り持ちで、ギターを弾いている右肩がどうにも張ってしまって、
こないだ整体師をやっている人に見てもらったら、
「肩甲骨が埋まってしまっています」
と恐ろしい事を言われました。
だから、半身浴をしてみたのです。

久し振りにやってみると大きな効果を感じるものでして、
首から肩にかけて、結構楽になりました。
いい具合に筋が伸びていて、フワッと眠たくなります。
こりゃいいな、と思いました。

身体の大部分がリラックスして健康になったようです。
ただ、どういう訳か、左耳がおかしくなりました。
ポーンと気泡が鼓膜の奥に詰まったような感じで、
音も聞き取り辛いです。
新幹線でトンネルに入った時になるあれです。
それが左耳にあって、
空気抜きをしても、治りません。
明日はライブだし、耳をしっかり使わなくちゃいけないので弱ったなぁ。
明日の朝には治っててくれるといいんだけど。


土曜日の味 2008/03/16

今朝、お袋から荷物が届く。
僕はそれを受け取って、外に出掛けた。

夜、住み家に戻る。
暫く呆然として、
寝っ転がり、部屋に染みた僕の臭いを嗅いでいた。
起上がる。
机の上にある、雑多なものを右手で払い落とす。
キッチンにいく、
レンジでチン、
晩御飯を食べる。

今夜の晩御飯は、お袋の手料理。
今朝、お袋から届いた荷物に入っていたチャーハン。
僕が如何にも適当にてんやもんばかりを食べ、栄養に頓着しないのを心配して、
お袋が作って送ってくれたチャーハン。
僕の臭いだった部屋は実家の臭いに変わる。

チャーハンを喉に通すと、鼻の奥がグズグズした。

このチャーハンは、土曜日の味がする。
小学校から帰って来ると、昼ご飯に家族でよく食べたチャーハンだ。
今も変わらない、土曜日の味がする。
そして僕はこの土曜日の味が自由な感じがして好きだ。
そいつを無言で喉に押し込めば、また鼻がグズグズする。
僕はまだ花粉症にはなっていないはずだ。

18で家を出た。
何とかして自分の城を豪華に建てようと思ったりして、
昼や夜やと区別もなくなり、
今や土曜日という感覚もなくなっている。
我流に歩くこの生活、
忙しい合間のフラッと気がふ抜けてしまった夜に、
こんな原点を味わうと、
ツンとしてグズグズする。

僕の成長は…と探し、
ツンとしてグズグズする。

よくやっていると軽く褒め、
ツンとしてグズグズする。

正解はなく、正解を胸に、
ツンとしてグズグズする。

勝ち負けなく、負けまいとして、
ツンとしてグズグズする。

自分の信念はなく、自分こそを信じ、
ツンとしてグズグズする。

誰の為でもなく、誰かの為に、
ツンとしてグズグズする。

僕の宝物は、
ツンとしてグズグズする。

僕が身勝手にさらした恥は、
ツンとしてグズグズする。

希望の継続は、
ツンとしてグズグズする。

明日へ向かおうと思い、
ツンとしてグズグズする。

明日より先がどこへ向かっているのかは判らないなぁと実感し、

土曜日の味をグッと飲み干した。


朝陽が目覚める前に 2008/03/15

この道は、よく通る道。
朝陽が目覚めるほんの少し前に、
君等と通った道。

定食屋の小さな窓の暗がりと、
コンビニの大きな窓の明かり、
そして公園へ向かう道。

僕は指折り君等を思い出すよ、
そして一人ずつ名前を呟いて思い出すんだ。
この道は、よく通る道。
朝陽が目覚めるほんの少し前に、
君等と通った道。

朝陽を起こさないように、こっそり部屋を出て、
こうしてここを通る度、
僕には大きな変化が起きたよ。
こうしてここを通る度、
僕は一つ変化をしなくちゃいけなかった。
寒い日も、暑い日も、
こうして夜を迎えたんだよ。

この道は、よく通る道。
朝陽が目覚めるほんの少し前に、
君等と通った道。

思い出の先に、ちょっとした微笑ましさを見て、
思い出の奥に、ちょっとした寂しさを見つける。
こうして今日も、この道を通るんだ、
朝陽が目覚めるほんの少し前の、
公園へと続く道。

 

天上天下唯我独尊 2008/03/14

僕を生かす、僕の世界は、
僕の角膜と水晶体を通さないと見れない。
僕だけの世界。
だからと言って、この世界にいられる事が自力の成果だと、
僕は思ってはいない。
しかし、この表現はちょっと回りくどくて判り辛い。

僕がこの場所にいられるのは他力によるものだと思う。
僕を取り巻く他力を、我流なりに精一杯受け止めて来た結果だと思う。
しかし、依然としてこの説明では判り辛い。

簡単に言ってしまえば、
太陽、雨、海、土、大根、ごぼう、豆、米、豚、牛、魚がいてくれたからこそ、
僕は命を長らえて来れたんだと自覚している、とそういう事。

他力が作ってくれた世界に僕はいる事ができ、
そして今、僕はそこに自力で立つ事を学びつつある。
自分が多くのものから養分を得て、
大地に笑い、大地に喜び、大地と興奮をする。
角膜に映る世界の全てを養分にして、
僕は自尊心を学びつつある。
今なら謙虚に天上天下唯我独尊を思える。
気高く、強く、爽やかな事だと、今なら思える。

しかし、ここまで言ってみても、
矢張り、回りくどくて判り辛い、
判り辛い事を今日は言っている。


俺の明日は…。 2008/03/13

明け方の千鳥足、
相変わらず常習的な夜行性、
見上げる電線にカラスが止まる。
あいつは今、起きて活動開始。
朝陽は西に向かい始め、
俺は…。

やっと辿り着いた、俺の街、
見上げる電線にはカラスが止まる。
足下には、
朝の工事現場から休憩で座る警備員の爺さん二人、
「希望も持たなきゃ」
と言っている。
俺の希望は…。

俺の家は、相変わらずの惨状で見上げる電線もなきゃ、止まるカラスもない。
俺はフードをかぶって慕夜記に向かう。
朝6時。
俺の明日は…。

俺の行き先は…。


言っちゃいけない事 2008/03/12

今日、気付いた事、
それはホームランバッターが、
「チームの為に出来る事をやる」と言っても面白くないなという事。
「ヒットの延長線でホームランになればいい」なんて言って欲しくないなという事。
僕等のヒーローには、ホームランを狙ってホームランを打って欲しい。
僕等のヒーローはホームランか三振、
これがチームの為に出来るヒーローの役目。

今日、気付いた事、それは、
金のない奴が、貧乏だと言っちゃいけない事、
時間のない人が、忙しいと言っちゃいけない事、
風邪をひいた人が、体調が悪いと言っちゃいけない事、
寝不足の人が、「○時間しか寝てない」と言っちゃいけない事、
寂しい人が、寂しいと言っちゃいけない事、
悲しい人が、悲しいと言っちゃいけない事。

だって、言ってる方も、聞いている方も、
何だか重く、辛くなるんだもの、
明るい未来につながる気がしないんだよ。

3億円の宝くじを買って、ずっと財布に入れておけばいい。
結果は見ないでおけばいい。
そうすれば、財布の中は3億円の可能性を秘めたままになる。
そうして金のない奴は「大金持ちだ」と言い張っていればいい、
誰よりも自分に「大金持ちだ」と言ってやるべきだ。

兎角、明るい方向へ自分を導くには、
大嘘をついて、楽しみながらいなくちゃいけない。

そんな事に、今日気が付いた。

でも、僕は意思が薄弱だから、
気が付いた事を完璧に実行し切れない。

でも、気付けたんだから、
実行する事はできる。

立て、立つんだ、ショウ!


見知らぬお疲れちゃん 2008/03/11

今朝、31rpmを仕上げて、さすがに疲労困憊して眠りました。
結局2時間ほど眠ったら、仕事に出掛けたのですが…。
毎月、この時期は僕にとって"オツキノモノ"といった感じで、
非常に重い時間を過ごします。
こうして持てる発想の全てを使って、自分の力で作るものって、
本当に愛着があります。
僕が抱いた面白味や、喜び、静けさや、物悲しさを、
みなさんが共有できたらすごい事ですね。

今日、帰りの電車の中で、
久し振りに居眠りをしました。
こんな不覚はとんとなかったのですが、
今日の寝不足は結構こたえていたようです。
座席に座りながら、
電車の揺れに心地良く眠っていたのです。
目を覚ましてから気付いたのですが、
僕の隣に座っていた女性も、僕と同じような人だったようで、
居眠りしている僕の右肩に頭を載せて、矢張り居眠りされていました。
『お疲れ様』
と思いました。
僕は降りる駅の一つ手前の駅で目を覚ましたのですが、
その女性が気持ち良さそうに深々と居眠っていらっしゃたので、
モジモジ動いて起こしてしまうには忍びなく、
僕は引き続き眠る事にしました。

降りる駅に着いたら、その女性は折よく目を覚まし、
僕の右肩から離れたので、
僕自信が彼女を起こす事はなく電車を降りる事が出来ました。
彼女は相当疲れていたんでしょうね、
僕がお疲れ君で、
彼女はお疲れちゃん。
見知らぬ男の肩に居眠りしてしまうなんて、
とってもお疲れちゃん。
どこの誰だか知りませんが、
本当に、一日、お疲れ様でした。
じゃあね。
おやすみなさい。


喜びについて 2008/03/08

僕はステージという空間を与えられました。
1ステージ、まったく一人で全ての空気を受け持ちます。
1ブレス、1ストローク、1ソング、
音を出すタイミング、保とうとする間や声の伸び、
矢張りいちいち神経を擦り減らして1ステージを過ごします。
やり直しもなく、逃げ場もなく、
1ステージの空間を任され、責任を持つ。
つまらなければ、全部僕のせいです。
ピンとこなければ、全部僕のせいです。
また逆に、僕のステージで、
心が揺れれば、それは聴いている君が金メダルを取ったという事で、
心が満たされれば、それも君の勲章となるものだと思います。
まぁ、つまり僕はその為に、異常な緊張を抑えてステージに集中する訳です。
1ステージが終われば、地球7周半走った後よりも疲れて放心状態になります。
心を使い切るので、放心状態、
そこで誰に何を言われたかなんて覚えてられません。
それくらいです。

こういったものは、何もかも経験を積んでいかなければ磨かれません。
兎に角、ボロボロになるまでやらないと、
本当に良いステージには辿り着けないものかと思います。

そんなステージに上がっている連中、
老若男女関係なく、その声と指と神経を戦わせている人を、
僕は尊敬しています。
ちょっとした間の中にいる恐怖や、ライブハウスの空気との押し引きの苦しさ、
それは言語に尽くし難く、
ステージを生業として上がっている人間にしか判らないものがあります。
そこにやっと僕の勲章が落ちている訳です。

この勲章について、人は沢山の事を言えるでしょうが、
ステージに上がっている人間は沢山の事を言わないと思います。
それは何より、経験がものをいう事を知っていて、
誰よりも身につまされる想いがあるからだと思います。
一人でステージに立つ孤独感を知らない人は、
ステージについて沢山の事が言えると思います。
でも、同じようにステージに上がる人間は、沢山の事は言わない。

ただ一言、「よかったよ」
これが最大の賛辞で、最大の激励で、最大の苦言で、最大の親しみです。
経験がなくては、重みを持たない言葉です。
経験から逃げれば、一切真実味を持たない一言なのです。


こころ ばかり 2008/03/07

こころ ばかり

なにも ございませんが

こころ ばかり

たいしたものじゃ ございませんので

こころ ばかりです。

例えば頂き物の箱を開けたら空っぽで、
「私はお金がないので、こころばかり詰めさせて頂きました」
と言われたら、それは嬉しいものだろうな。

そこへいくと、僕なんかよく出来ている。
僕の頭の中は空っぽで、こころばかりです。
僕の財布は空っぽで、こころばかりです。
僕の手紙は文字が少なくて、こころばかりです。
君の前で何も言えないのは、こころばかりになっているからです。

こころ ばかり

唄やギター、音符の合間にある空虚、
絵画の線と線の間に空く余白、
確かにポッカリ空いた空間には、
こころばかりで埋まっている。

何かにつけ、

こころ ばかり

であるべきだな。

贅沢な言葉だ。


雨ニモ負ケテ 2008/03/06

雨にも負けて、風にも負けて、
雪にも夏の暑さにも勿論負ける
ひ弱な考えを持ち、
慾だらけ、
怒る度胸もなく、
いつもへらへら笑っている。
よく人の話を聞き逃し、
そして忘れまくる。
そういうものに、
私はなっている。

言葉にしてみると、
こんなお馬鹿はさすがにおらんだろう、と思うのですが、
案外身近に僕という人がいました。
ただこんな人間が或る程度、自分の人生を掻き乱してしまったから、
プライドをしっかりと腹に据えておかなくちゃな、と今日気が付きました。

僕が建てた家は、設計図もなく、
ただ行き当たりばったりに組み立てて来たので、
非常にバランスが悪いのです。
だから屋台骨をしっかりしなくちゃいけない、
どっしり重みのあるプライドを土台にしておかないと、
僕という家は、あっと言う間もなく崩れ落ちてしまう。

雨に負けていい、風にも負けていい。
軟弱におろおろ歩いていい。
でも人生の中の最終決定権は自分にあるという事を忘れず、
腹の中では必ず自分のペースを守っていなくちゃ、
何一つ完成させる事が出来ない。

僕は今まで自分のプライドが本当に自分を支えていなかったから、
中途半端な事が多かったと思います。
僕は重量感のある自尊心を養おう。
ピーピー言わずに、
いつも静かに笑っている。
みんなから木偶の坊と呼ばれ、
それでも揺らがない自尊心を持っている。
そういうものに、
私もなりたい。


一進一退 2008/03/05

一進一退、良い事も悪い事も、一進一退。
一進一退、やりたい事もやりたくない事も、一進一退。
一進一退、気が付く事も忘れる事も、一進一退。
一進一退、可能性も不可能性も、もれなく一進一退。
上手く絶対値に留まるようにできているな。

一進一退、貧乏な日も金持ちな日も、一進一退。
一進一退、「あの子可愛いとこあるな」も「この子のここが好きだな」も、一進一退。
一進一退、眠れない日も布団から出なかった日も、一進一退。
一進一退、面白い言葉もシラケる一言も、もれなく一進一退。
上手く絶対値に留まるようにできているな。

一進一退、成長も衰えも、一進一退。
一進一退、過去に積み上がる思い出も未来に起こるだろう出来事も、一進一退。
一進一退、信じる事も当てが外れる事も、もれなく一進一退。
上手く絶対値に留まるようにできているな。

だから安心かと言うとそうでもなくて、
だから不安かと言うとそうでもない。
じゃあやる気が出るかと言うとそういう事じゃないし、
じゃあ諦めるのかと言われれば、そうは簡単に割り切れない。
本当、上手く絶対値に留まるようにできているな。
なんだか全てが上手く絶対値に留まるようにできている。

そして僕はこんな事を君に教えるかと言うと、何だか嫌だし、
でも君は沢山の事を僕に教えてくれる訳。
僕は近くにいるけど、返って遠い存在になり、
君は遠い存在なのに、とっても近くにいる。
じゃあ、同じところにいるのかというと、全然違う土壌に立脚していて、
でも大まかに言うと同じ地球内生物。
僕と君の上手い絶対値がどこにあるのか探したり、探せば冷める事だったり。
僕の言う事は意味がありそでなさそでウッフンで。
結構、今日も寝不足で、明日は思いっ切り寝てやろうと思っていて、
そんなこんなの絶対値に僕は留まっている。
どうだ、凄いだろ。
男らしいだろ。
なんて考える事に苦労して、スラスラ考えがまとまる。
晴れても、曇っても、一進一退。
この世には、確かな一瞬の今が存在する。


自由と鈍感 2008/03/04

小さな相撲部屋の土俵に上がると、
目の前には見も知らない女性が立っていて、
僕がモジモジしていると、
軍配を持って行司姿をしている女性の母親らしき人が、
「それでは結婚するという事でいいですね?」
と僕に尋ねる。
「えっ?えっ?ちょ…ちょっと待っ…」
僕がうろたえると、
「待ったなし!」
と軍配を構えられる。
僕は『どうしよう結婚していいのか俺、本当にいいのか俺』と、
狼狽して、土俵の上に突っ立っている、
そんな夢を見て、うなされた。
「ガハッ!」と起きてみると、額にささやかな冷や汗をかいていた。

可笑しな夢だったけど、自分の狼狽はリアルに記憶に残ってしまった。
今できる筈もない、実感の起きない結婚を、
何故か土俵に立って、見ず知らずの女性を相手に考える、
突拍子もなく、現実味のない場面だったけど、
その狼狽だけは妙に現実感がある。
これが僕の本音なんだろうか。
何となく一日、頭の片隅でチクチクした想いを持ち続けていた。

こんな事を考えるくらい、僕の頭や心の中にはくだらない事が詰まっている。
自分を自由な人間にしようと努め、
何だか鈍感な人間になりつつあるのかと危機感を持ったりする。
結婚なんかもその最たるものかもしれない。
自由でいようとした事が、自分を鈍感にさせてしまった気もする。
俺はこの先、どこへ向かって歩んでいくんだろう?
そんな事も頭に悩ませれるくらい、僕の頭や心の中にはくだらない事が詰まっている。
僕が何となくいる場所に、本当に必然性があって、
自分なりの光明に向かって希望を発信できているか?
本当に自由なものの考え方か?
本当は鈍感なだけじゃないのか?
くだらない悩みほど飽く事なく、尽きないのである。


ささやかな浦島太郎 2008/03/02

「早いなぁ、昨日3月が始まったかと思えば、もう2日やぁ…」
と感慨深く溜め息を漏らすと、
「当然でしょう」
確かに当然な突っ込みをされた。
でも、僕には時間の流れがとても早く感じる。

「あーあ、たこ焼き食べたい!」
脈絡もなく大声で思いを吐露すると、
多少のストレス発散になる。
「あーあ!今すぐたこ焼き食べたい!」
僕にとって、時間の流れの速さに対するささやかな反抗。
効き目はないけど、気持ちは和む。

春の陽射しが少しずつ人々の肩の力を和らげている日本にあって、
僕の顔は真っ黒に日焼けしている。
鼻は真っ赤で、皮が剥け始めている。
凍えている時間の流れは早い。
この日焼けした顔は僕のささやかな反抗だ。

南の島ではジャック・ジョンソンを聴いてみたが、
イマイチ僕の気分には合わなかった。
その代わりG loveを聴いたら、これが結構気分にピッタリだった。
だから、今日の電車の中ではG loveを聴いている。
足早でゴミゴミした東京では、兎に角時間の流れが速い。
こうしている事が、僕のささやかな反抗。

4日間のバカンスだったけど、
なんだか浦島太郎になった気分がある。
時間の流れが、イチイチ速い。

「早いなぁ、昨日3月が始まったかと思えば、もう2日やぁ…」
と感慨深く溜め息を漏らす事が、
僕のささやかな反抗だ。


トロピカル ビーチ 2008/03/01

無事に日本に帰国致しました。
とっても暑い、南国に逃亡していましたので、
日本に帰って来たら、以前に増して重ね着をするようになってしまいました。
季節はもう春に向かってるはずですのに。

まぁ、どこの南国で一体何をして来たんかという事は、
また追々、折りを見て話す事と致しましょう。

一つ言える事は、今の時期、大学生の卒業シーズンらしく、
非常に日本人の旅行者が多く、
それに辟易したという事です。
まず僕がリゾート地が苦手だという事もあるんでしょうが、
ブランド品の免税店が建ち並ぶ通りに、
現地の人よりも日本人が多い事に愕然としました。
矢っ張りこんなもんなんだなぁと思いました。
女性にとっては嬉しい通りなのかもしれませんが、
僕の場合、ああいったものに極度のアレルギーがあり、
静かな苛立ちを燃やしていました。

ビーチは紺碧、遠浅の海。
「僕は泳げない」と同行の友人には宣言してありましたが、
僕が泳げない理由は『足がつかないと溺れるから』という事だったので、
遠浅なら全く問題はなかったです。
20年ぶりくらいに海を泳ぎました。
しょっぱい海でした。
ただ、ここにも日本人だらけでしたので、
それを必死にかわして、誰もいない静かな岩場を探し、
そこを僕の隠れ家としました。

夜はライブ・バーをはしごして来ました。
どの店にも、日本人は一人もいませんでした。
だから、とても羽を伸ばせました。
向こうのバンド、向こうのお店、向こうのお客、
いちいち文化の違うライブでした。
結局、演奏はしませんでしたが、
いい刺激になりました。

ライブ・バーの帰り道、
友人(男)と夜のビーチで酒を呑もうという話になり、
僕はスミノフ・アイスの瓶を片手にビーチを歩きました。
途中、突然のスコールに見舞われ、
僕等は日中監視員が使っているテントの下で雨宿りをしました。
なかなか止まないなぁと思っていたら、
二人の現地の男の子が同じテントに入って来ました。
彼等はやたら、
「一緒に泳がない?」
と勧めて来るので、
「でも、僕は今、水着を持ってないから無理だ」
と答えました。すると、
「じゃ、裸で泳げばいいじゃん」
と彼等は言いました。
それはとても穏やかな英語でした。
「いや、やめとくよ」
と断ったのですが、彼等と話を進めていくうちに、
彼等がゲイで、僕等をナンパしに来たのだという事が判りました。
僕と友人(男)は、だんだん彼等をもてあましはじめ、
スコールは一向に止んでいなかったのですが、
無理矢理、「ホテルに帰らなくちゃ、バイバイ」と言って、
土砂降りの雨の中、テントから走り出しました。
ずぶ濡れでした。
それが南国で迎えた最後の夜でした。
ホテルに戻って、シャツやズボンを乾かしながら、
「ロマンチックな夜って言うのかなぁ?」
と思いました。
「…あれが女の子だったらなぁ」
とも正直なところ思いました。
南国、夜のビーチ、突然のスコール、誰もいない、誰も来ないテントの中、
ロマンチックなんだけどなぁ。
なんて、眠りに就きました。

まぁ、そんな南国のリゾートでした。
この話の詳しい事は、またいつか話しましょう。


島流し 2008/02/25

突然ですが、突然に、
明日から29日まで、国外逃亡を図ります。
あんまり大した理由もなく、
旅行というよりはリフレッシュ、バカンスといった風の、
国外逃亡です。

今、午前五時を迎え、
何も用意できておりません。
唯一、パスポートだけ手元に置いています。
今回は何も考えず、ただブラブラとしてきます。
だから、きっと土産話になるようなものは何も持って帰って来ないと思います。
従って、旅行記のようなものも書けない事と思います。
ただ、ポンと、
国外に追放されるようなもんでして、
赤道に近い、南の島なので、
島流しかな。
日本があまりにも寒いので、
南国の砂浜に身を横たえてこようと思います。

一人暮らしの部屋ですが、書き置き一枚置いていきます。
『暫く留守にします。
探さないで下さい』
と。

じゃ、また三月に慕夜記で会おう。


喜鈍哀楽 2008/02/24

僕は、とっても鈍い生き物なので、
なかなか怒れません。
何かあったり、何か腹に入らない事を言われ、
「あっ!チクショー」
と気付くのは、
家に帰ってからの、眠る直前であったりします。
だから怒るに怒れません。
僕にとって怒りとは、それだけのもんです。

僕は、おっとりした生き物なので、
なかなか怒れません。
何かあったり、何か腹に入らない事を言われ、
「あっ!チクショー」
とも、なかなか思えないのです。
物事には仕組みがあって、人には事情がある。
それを考えるので、怒るに怒れません。
僕にとって怒りとは、それだけのもんです。

僕は怒っている人を見ていると、
怒りたい人に見えて来ます。
別に怒りをあらわにする事でもないのに怒るという事は、
怒りたい人なんだなと思います。
そこに考えが至ってしまうと、怒るに怒れません。
僕にとって怒りとは、それだけのもんです。

でも、本気で怒る時もあります。
僕の気持ちを知ったように踏み入って来られると、
本気で怒る時もあります。
そんな時は、大概、
ムッと黙っています。
静かに、静かに怒りを煮詰めています。
でも、怒りの為に、自分の言葉を乱したくないし、
そんな気持ちや言葉の伝達はよっぽどでない限りしたくない、
怒りの感情に自分が負け、身を委ねてしまいたくないので、
兎に角、ムッと黙っています。
そうすると、怒っている事を人に気付かれないまま、
出来事は過ぎ去っていきます。
だから、怒っても怒り切れないのです。
怒ったって仕方がないと思うのです。

僕にとって怒りとは、鈍感って事です。
そんなもんです。
僕にとって怒りとは、それだけのもんです。
僕にとって怒りとは、
たった、それだけのもんです。


風が吹けば… 2008/02/23

風が吹けば、

風が吹けば、
桶屋が儲かる。

一体何故、風が吹くと桶屋が儲かるのか、
僕はその成り立ちを知らない。
でも、世の中のほとんどは、
そういった理屈のわからないもので出来ている。
何故、あんな巨大な飛行機が空に飛び上がれるのか。
何故、宇宙が黒く見えるのか。
何故、人は服を着るようになったのか。
何故、あの子に自分の気持ちが通じたのか。
何故、あの子に想いを伝えられないのか。
悲しみとは何か。
喜びとは何か。
どうして怒る。
どうして笑う。
人は本当に平等か。
争いは終わるのか。
何故、命は生まれ、命は滅びるのか。

全てが僕にとって、風が吹けば桶屋が儲かる方程式で算出されたもので、
そこにある大事なプロセスは知らないまま、
その恩恵だけを、充分にむさぼっている。
何故、自分の知恵に限界があるんだろう。

考えてみれば、知ったような顔する人でも、
この世界の全てを知っている訳じゃない。
或る道のプロでも、その全てに精通して完全に知る切る事はできない。
所詮、表面をすくい取って、その奥行きを想像してみる程度で、
人一人の人生は滅却してしまう。
人智のちっぽけな事ったらありゃしない。
それでも、僕等は知ったかぶりをし、
如何にも制御しているつもりになっている。
でも、僕等は今日の風、
あの強風さへ、止める術無く、
ゴーゴーと吹き飛ばされ、むせ返っていなくてはならない。
だから、桶屋が儲かるんだ。

僕の把握は1足す1は2になる、というところまでしか実感を持てない。
100に10を足して110になるような実物を、
僕は目にした事がないのだ。
僕の把握は1足す1は2、
これだけが自信を持って言える事なのかもしれない。
そういう考えでいけば、

風が吹けば、僕は凍える。

直接的で、とても実感に満ちている。

1歩、1歩、
1足す1をやり続けよう。

風が吹いてから、随分時間が経ってしまうかもしれないけど、
いつか儲かっている桶屋に辿り着く事が出来るかもしれない。

風が吹けば、
僕が凍える。
僕が凍えれば、
コンビニで温かい珈琲を買おうとする。
コンビニに行けば、自動ドアの反応が鈍い。
自動ドアの反応が鈍いから…、と。
果てしない1足す1の旅、
総じて人生になればいいかもな。

そう言えば、今夜立ち寄ったコンビニで、
アイスクリーム3本と競馬新聞を買っているオッサンを見た。
こんな凍てつく風が吹く夜に、
まさに風が吹けば、桶屋が儲かるの方程式。
風が吹けば、オッサンがアイスクリームを買う。
謎だ。
オッサンの生活にはオッサンの1足す1があり、
アイスクリームを3本も買ったのだろう。
考えながら、店を出ようとすると、
自動ドアの反応が鈍くて、またぶつかりそうになる。
1足す1は、果てしない。


シンプルについて 2008/02/22

お久し振りです、慕夜記です。
僕は、
別段、体調を壊していた訳でもなく、
身体はいたって健康だったのですが、
心がとっても静かで、平和に空っぽだったので、
慕夜記を書けないでいました。
楽しみにして、見に来て下さる方には大変申し訳なく思います。

ここんとこの、この心の静けさや空っぽさを、
僕は変化の前兆と思っていました。
大波の前に、一斉に潮が引いた時の静けさのようなものでしょうか。
僕自身はいたって平和で淡々と暮らしているのですが、
矢張り、その静けさを感じ、
今は言葉を閉じていたいと思いました。
それは悩むとか落ち込むとかいった大層なものでなく、
ただ何の気なしに気付いたので、
そうしたのです。

心が、鼓動を受け止め、
しっかり時を進めるまでは、言葉にしないでおこうと。
心が、変化に気付き、
歩む方向に確信を持てるまでは、言葉にしないでおこうと。
そう思って、僕は色んなところで静かにしてました。

でも、元はこれ、山口晶というチビた生き物ですので、
そんな大それた悟りは開けないんですね。
自分が思うほど大きな波がやって来る訳ではないんだと思います。
僕は自分を釈迦か親鸞か、果ては宮沢賢治かのような人物に勘違いして、
いつも静かに笑って、
そういうものに私はなりたい、と思って、
大袈裟に自分を探してみようと思っただけなんでしょう。
気が付けば、僕のようなチビた生き物は焼酎の空きビンを枕に眠るものです。

物事は時を経て、シンプルになっていきます。
今、こうして友達に囲まれ、
そして恋をし、恋を失い、また知り合い、
繰り返すうちに、物事はシンプルになっていくように思います。
果たして、僕がヨボヨボのじじい様になった時、
今のように一晩を友達と酔っ払って過ごせているだろうか?
それは絶対ない。
今のように、恋や、結婚や、家庭やと妄想を走らせても、
矢っ張り、僕の棺桶は一人分の大きさにしかなれないんですよね。

僕は次第にシンプルになっていかなくちゃいけない。
それは『失う』という事ではなく。
それは『削る』という事でもなく。
ただ、ありのままにシンプルに変化していかなくちゃいけない。

山口晶、一匹、
まだまだ欲のかたまりで、一向に自分の贅肉をおとせないまま、
成長をしています。
まだ、僕は自分の変化を成長と感じています。

でも、僕は次第にシンプルになっていかなくちゃいけない。
それは『衰える』という事ではなく。
それは『老いる』という事でもなく。

僕はシンプルになっていかなくちゃいけない。
それは『斜陽』という事ではなく。
それは『孤独』という事でもなく。

ただシンプルである事が『幸せ』だと想像するからです。


奇妙な短調 2008/02/13

昨日の酔っ払い方は、奇妙だった。
朝方、家に戻ると床をゴロゴロでんぐり返しながら、
また更に家の焼酎を呑んでいた。
時に絵を描いて笑い転げたり、
時に昨夜のライブでやった新曲を歌っては考え転げたり、
仕舞いにはガラスの机にオデコをのせて、
「あったかい〜」
と言っていた。
一人の部屋とは言え、奇妙である。

年末からここら辺りまで、色んな出来事に心を動かされている。
僕は一心に、自分の気持ちを維持する事に努め、
自分の本心を見失わないようにしているけど、
矢張りこれは何か変化や節目を示す予兆かもしれない。
そして、それらは僕に何かを変えろと警鐘を鳴らしているのかもしれない。
如何にも奇妙に色々な事が重なっている。

僕はそのままどうにかして布団に入って眠ったらしい。
目を覚ますと、部屋は大騒動があったかのような状態だった。
「目も当てられない…」と思って、もう一度眠ってしまった。
何時間か、部屋に背を向けて眠り、
やっと身体を起こす事ができた。
頭も喉も、くしゃくしゃにしゃがれている。
奇妙な夜の顛末だ。

携帯電話を確認すると母親からメールがあった。
『おばあちゃんが亡くなった』
とあった。
お婆ちゃんは年末から危篤状態だったから、
「とうとうか」と思った。
僕にかぶさる布団の上に積まれた昨日の衣服の山を払い落とし、
僕は実家に電話をした。
15日に岐阜へ行く事とした。
少し酔いの残った僕の頭は、何気ない事のようにお婆ちゃんの死を迎えた。
もう、僕が『おじいちゃん、おばあちゃん』と呼べる人は、
この世にいなくなった。
ここで一つ、僕等家族の新しい時代が始まるような気がする。
僕が暮らす僕の世界の変調に、
僕としても何らかの答えを出していかなくちゃならない。
奇妙だ、実に奇妙な変化だ。

僕は今のところ、起きて来る変化に乗り遅れてしまっている。
このまま起きる変化にリアクションを取り続けていくのか、
或いは、変化を変化と感じないほど、事前に自分が変化してしまうか、
奇妙な思案に暮れて、夕暮れを迎える。

僕はいつも夜は起きて過ごし、朝に眠る。
だから夜が夜を深め、朝になっていく変化に気付かない。
答えはこの辺りにあってもおかしくない。
どだい、奇妙な僕に起きている奇妙な変化なのだから。
今、僕の頭には不思議な短調が流れている。


月まで一本道 2008/02/12

何だかんだで、今夜も酔っ払いかぁ。
ライブの帰り道、西の空に驚くほど大きな月が沈みかけていたんです。

あぁ、僕の憧れよ、月よ、お月さまよ。
僕の腕に、僕の腕に、
ここまで来ておくれ。
今なら僕は、餅をつくウサギと仲良く幸せにやれる気がするんだ。
大きな、大きな月が街をつらぬく一本道の向こう、
地平線に隠れようとしている。
僕はいつもそいつを追っ掛けるようなものさ。
追い付きやしないんだけどさ、
矢っ張り月が好きだ。

月の楽団がチンドンチンドンやって来て、
僕に沢山の音楽を聴かせてくれた。
僕はそれに従って唄を歌い、
必死に何かをつかもうとした。
けど、僕のいた場所は月の影になっているところだったんだとさ。

もう、もう、
この月につながる一本道を歩いてみたい。
許されないかな。
手遅れかな。
僕は月を見失ってから、
ひん曲がってきたのかもしれない。
今となっちゃ、良かれとして来た事が、
よっぽどの罪悪にも感じる。

月へつながる一本道。
今、僕が真実をつかもうとすれば、
これまでの事が嘘になり、
今、僕が真実から離れれば、
これまでの事は真実になる。
僕は僕の人生を大仰に考え過ぎたのかもしれない。
もともとは、気弱で風が窓を叩いても怯えるような人間だったのに、
僕は人の為になれると、勘違いをしたんさ。

ちぇ、ちぇ、
何を言ってやがる、
くったくたの酔っ払いよぅ。
悪酔いをしただけなのに、
如何にも深刻な自分を演じていやがる。
何を言っているか、判らないもんだぜ。

ただ一念に月の道へ、
ただ一念に、ただ一念に、
狂おしく吠えるよ。


0 style 2008/02/10

何だかんだ言うよりも、
かれこれ40時間以上、
一睡もしていません。

このまま慕夜記の更新に勤しめば、
致死量に達するので明日にします。

31rpmが更新されています。
まぁ、その為にこうして眠れていないのです。
睡眠0 styleです。
もう駄目です。
よく起きてられるものだと思います。
慕夜記を読みに来て下さった方には申し訳がないのです。
何と言っても、もう無理です。
今日こそ寝ます。
したたかにお酒も入っていて、妙な夜、もう朝か。
とっても寒いですが、夜空はスッカリ寒風に掃除されて、随分綺麗です。
でも、凍えます。
明日は天気でしょう。
そして僕は明日、休みでしょう。
充分に眠って、明後日のライブに備えます。
ライブで会える顔を楽しみにしています。
そして、31rpmを楽しんで下さい。


あぁ君よ 2008/02/06

あぁ君よ、朝の寒さに嘆く事なかれ。
白々ときらめく朝露に濡れながら、
手を伸ばすその先に自動販売機がある。
その『あたたかい』と赤いラベルのついた珈琲を君が欲するならば、
余は、街中をかけずり回って小銭を拾い集めよう。
余は、君を嘲笑うカラスの舌を片っ端から抜いて廻ろう。
あぁ君よ、朝の寒さに嘆く事なかれ。

あぁ君よ、昼の日向の優しさを疑う事なかれ。
窮鳥、懐に入れば、狩人もこれを殺さずと云う。
存外、ダラダラとぬるま湯に浸かっても人は正しく生きれるものぞと思う。
余は人を性善と信ずる。
だから君のようなみすぼらしく縮こまった鳥を、
まさか誰ぞ捕って喰おうなどとすまい。
人は善意に満ちあふれている。
そうではないと思っているのは君だけだ。
君が疑うから、人は性悪になる。
あぁ君よ、ただひとえに幸せだけを夢想し、生真面目に生きる事なかれ。

あぁ君よ、鶏の髀肉は油でこんがり揚げるが一番。
茹でて喰らおうとする事なかれ。
君が寒さに耐え切れず、脂肪を蓄え、肉襦袢を望むなら、
余が進んで街中の銀行に押し入り、
強盗して君にとびっきりの鶏肉を喰らわさん。
余が君に脂肪を付着させなん。
あぁ君よ、小さく痩せ細る事なかれ。

人、遠き慮りあれば、必ず近き憂いあり、とか云う。
あぁ君よ、遅刻ギリギリの電車ばかりに見蕩れて、
足下の氷で滑って転ぶ事なかれ。

あぁ君よ、あぁ君よ。
余は君を応援する。
あぁ君よ、あぁ君よ。


自由への切符、孤独な道のお守り、我が家の鍵 2008/02/05

久し振りにタンスからパスポートを出して眺めています。
2004年、インドに旅行する為に作ったパスポート。
あの夏、蒸し暑い中をバイクで九段坂上まで行って、
インド大使館に並んでビザを取った事を思い出します。
ビザを取った後、皇居のお堀の回りを散歩して、
短パンだったから蚊に刺されまくった記憶があります。
あの時はまだ、インドに行くのが不安で、
色々な手続きが面倒だなぁと思ってました。
その全ての不安や重い気分を取り払ってくれるのが、
このパスポートというヤツ。
僕、パスポートって好きだな。

僕はそんなに頻繁に外国に用事のある人ではないので、
パスポートには取得した当初と変わらない真新しさがあります。
あれから4年の間、行った国は韓国だけです。

以前、中国に留学していた頃は、
日本と中国の行き来もあったし、
お金を換金する時や旅行先のホテルに泊まる時など、
何かにつけてパスポートが僕を何者か証明してくれていたので、
あの頃のパスポートはゴワゴワに旅の垢がついていました。
そんな折々にもらった出国や入国のビザのハンコを眺めるのも好きです。

兎に角、僕にとってパスポートは、
自由になる為の切符です。
これを持って出国手続きを済ますと、
全ての束縛から放れて、身も心も急に明るく、軽くなります。
誰にも干渉されない大海に、フワフワ泳ぐクラゲになった気分なんです。

そして不慣れな外国にあってパスポートは、
時に心強いパートナーになり、
時に身を守る生命線となり、
時に自分が日本人である事実を厳しく教えてくれる、
そんな存在になります。
旅先のどこかには必ず一つ強烈な孤独感が落ちています。
全く言葉を失って、黙々と歩き、黙々と景色を身体に刻んでいる時間があります。
それはとっても寂しい時間で、
それはとっても苦しい時間で、
それはとってもストイックな時間で、
それはとっても敏感な時間です。
そしてその時間は、もっとも何かを教えてくれる時間になります。
その崩れ倒れそうな時間を何とか歩き切った先に、
やっと旅の答えがあります。
それを見つけると、僕はやっと日本に帰れるなぁと思います。
これで日本に帰っても悔いはないな、帰れるな、と少し気が楽になるのです。

帰りの飛行機の窓はいつも夜で、
瀬戸内海湾岸の街の灯り、
横浜辺りの街で華美に飾られた海岸線、
そして東京。
飛行機が地上に近付けば、
さっきまでいたお伽噺の国とは全然違った現実の日本が、
軒を狭く並べて優しく僕を待っています。

飛行場のけだるい空気の中、
僕は外国の臭いを身に付けたまま通路を歩き、
疲労感の漂う人の列に並んで、帰国手続きを済ませます。
旅の最後、僕が本来あるべき場所に戻らせてもらう時、
矢張りパスポートが大切な切符になってくれます。
パスポートが真っ先に僕に「お帰り」を言ってくれる訳です。

だから僕はパスポートが好きなんです。


It's a small Yamaguchi 2008/02/04

僕の見ている世の中なんて、
きっと小さなものなんだろうなぁって時折考えます。
今の瞬間、
誰かが風呂に入り、
誰かが飯を喰い、
誰かは眠ろうとしている。
僕がここでこうして一人でいる間は、
よく知っている人達でも、
何をしているかは知れない。
僕は僕の視野でしか生きられないのだから、
小さな世界に生きているんだなぁと思います。

地図を見て、地球儀を見て、
写真を見て、映画を観て、
世界は広いなぁと思ってみても、
矢張り僕がこうして一人暮らしの部屋にいる間は、
6畳半くらいの世界を脱しない。
僕は僕の視野でしか生きられないのだから、
矢っ張り小さな世界に生きているんだなぁ。

今日、電車に乗って我が街の駅に帰って来て、
地下鉄のエスカレーターに乗ろうとしたら、
新入社員っぽい男が僕にフラフラと倒れて来た。
僕は足を踏まれたけど、思わず、
「危ないっ!」
って声が出しました。
見ると、酔っ払っているようで、
そのままズテンと尻餅をついていました。
「まっ、しゃーない」
と、その男をうちゃってエスカレーターに乗りました。
駅を出て、蕎麦屋の角まで歩いて来ると、
向かいからフラフラ歩いて来た男がいました。
白いコートに赤いマフラー、縁なしの眼鏡をして、
太ったヨン様みたいな男だったけど、
僕とすれ違い様に、
「おいおい、前を走っているのは西武線だろう?間違いないよぉ」
と大きな独り言をもらしていました。
矢張り酔っ払っているようです。
月曜日に羽目を外した酔っ払いを二人も見たなぁ。
僕は僕の視野でしか生きられないのだけれど、
そんな小さな世界に、小さな偶然も置きたりするんだな。

みんながみんな、それぞれの小さな世界で自分を主役として生きていて、
全然違う世界を見ている。
その全然違う世界の人が、僕の小さな世界に入って来て、
偶然や縁や奇跡を起こして、
愛情、友情、恋なんかを運んで来る。
それはそれで、捨てたもんじゃないって、
僕は僕の小さな世界を楽しむ訳です。


サブい白 2008/02/03

「ひょ〜、サブいっ!サブいっ!」

と、本日何度言った事か知れません。
今日の第一声は、
「ほぅ〜、5cmは来たなぁ…お〜サブっ」
でした。
白い世界はよっぽど静かなもので、
何故かと見回せば、
誰もが寒さでガチガチ凍えて、
とても喋れた状況じゃないんだって判ります。
白い人も、
白い僕も、
白い犬も、
白いビルも、
白い店も、
白い道も、
誰も踏み入っていない白い駐車場も、
みんなみんな、口を結んで、冷たい白が身体に入らないよう温めております。

こんな日、幼い頃は、
白い世界に静かな興奮をして、
喜び勇んで外に出たものです。
が、
今の僕は、喜び勇むよりも、
『こんなに寒くて金魚は大丈夫かな〜』
とまず真っ先に心配してしまいます。
そんな気持ちで水槽を覗くと、
僕の不安をよそに我が家の出目金達は、
楽し気に白い反射を浴びて、泳ぎ遊んでいます。

僕はおぼつかない足取りで、
ペタペタ表を歩き、
体重移動の度に、
ズルッと足下を取られるのです。
『靴を濡らしたくないよぅ』
なんてみみっちい事を呟きながら。
ビニール傘越しに降って来る白い粒を見上げ、
「お〜、サブッ!」
僕が東京に住み始めて、
こんなに白く積もった日はなかったんじゃないでしょうか。

こんな日に限って、
こんな日に限って、
マフラーをして出るのを忘れてしまったんです。
他のどんな日にも、マフラーをし忘れた事がないのに。
今日に限って、
今日みたいな特別白い日に、
矢張りどこか気もそぞろに、
出掛けて来てしまったのでしょう。
そうなると、尚更寒さに負ける訳でして。

「ひょ〜、サブいっ!サブいっ!」
本日何度言った事か知れません。


毒々しい美味 2008/02/02

グミって幸せな味が満載です。
毒々しく濃い色が艶やかに着色されていて、
身体にいい成分なんて一つもなくって、
それを一粒、二粒、口に放り込んで仕事をすると、
どんなに疲れていても、
幸せな気分になります。

少し硬めの歯ごたえのあるものが好きです。
身体に悪そうであればあるほど好きです。
出がけに輸入食材店へ寄って、
棚に並んだ舶来もののグミ、
バナナ味やグレープフルーツ味なんて書いてあるけど、
どれもこれもその果肉のかけらもない感じの毒々しさ。

今日のチョイスはブラックカラント味。
ブラックカラントが何なのか判りませんが、
とっても美味しいです。
こいつはドイツから来たそうです。
味が濃いし、適度にすっぱくて、
頭も心もスッキリします。
味が濃くて、適度にすっぱいかぁ…、
味が濃くて、適度にすっぱいねぇ…、
味が濃くて、適度にすっぱいなぁ…、
思い出すなぁ、濃いの味。
甘く、酸っぱく、濃く、
にょほほ、思い出すなぁ、
濃いの味かぁ…。
どうでもいいけど、
どうでもいい年寄りじみた感慨深さ。
にょほほ、2月2日、ぞろ目の一日でござんした。

相変わらず、分散睡眠の山口です。


意地でも眠る 2008/02/01

昨夜は5時に眠りに就いて、
今朝は矢っ張り9時に目を覚ましました。
相変わらず、睡眠が保たない。
目も冴えているし、頭が覚醒した感があって、
時計を見て溜め息をもらすのです。
今日は意地でも眠ってやろうと思い、
無理矢理、枕に頭を突っ込んでみました。
すると、何とか眠れました。
がしかし、10時に目を覚まし、
また同じように意地でも眠ろうと、
枕に頭を突っ込む。
すると何とか眠れたのだけど、
また、11時には目を覚ます。
アラームまであと30分。
今日は意地でもアラームの音で目を覚ましたかったので、
それでも無理矢理眠りました。
そして、11時半がやって来て、
「ピピッ、ピピッ、ピピッ、ピピッ、…ピピピピピピピピ」
と目覚ましが鳴り始めたら、
今度は猛烈に眠い。
目覚まし時計の頭を叩いて、
崩れるように布団の中へ。
5分後にまた、
「ピピッ、ピピッ、ピピッ、ピピッ、…ピピピピピピピピ」
再度、目覚ましの頭を殴りつけ、
5分後に、
「ピピッ、ピピッ、ピピッ、ピピッ、…ピピピピピピピピ」
結局、観念して起上がったのは11時45分。
それにしても、眠れないものです。
その割には電車に乗りながら眠ったりして、
日常は至ってのんきなものなのです。
別段、悩みがある訳でもなし、
生活が乱れている訳でもない、
奇病だ、奇病だ。
なんて危機感のない病気です。

確かに、寝る前にあれこれ考える事はあるのです。
31rpmの事を考えて、少し頭が活発になっていると思います。
それにしてもねぇ、
それにしてもだよなぁ…。
去年の年末から正月にかけての躁病のようなものの一種でしょうか。
まったくストレスを感じない、奇妙な病を患ってます。


気を抜くべき時 2008/01/31

お疲れ様。
疲れた顔をしておるな。
どうしたぃ?
ちょっと笑顔が少ないよ。
ここんとこの忙しさでかい?
疲れると、気持ちが色んな扉を閉めてしまうよ。
何とか一人になろうとしてしまうんだよ。
それは疲れに逆効果だよ。
ここまで、何かを変えようとして、
自分なりに気持ちの扉を開放して、
風通し良く、色んな人や物事を受け入れて来たじゃない、
今、一時の疲れで、それを閉ざしてはいかんよ。
せっかく、生まれ変わりつつあった心を、
今、一時の疲れで、独りぼっちにしてしまってはいかんよ。
解放しなきゃ、気持ちの扉を。
自由にしなきゃ、表情を。
硬く鉄仮面になってしまったら、
美人も美男も台無しです。
君のいいところは、本当によく笑うところだと思うよ。
それを解放しなくちゃな。
気持ちの扉、これを自由に解放する鍵は、
君のそのよく笑う事だと思うよ。
そう難しく考えても、一生懸命に焦ってみても、
扉は閉まる一方だ。
独りぼっちになる一方だ。

どうか楽しい事をやめないで、
気を抜かなきゃいけない事もあると知って欲しいんだ。
何せ、君は笑顔がよく似合う。
何せ、君の口から突拍子もない自由な発想が出てくるのが、
よ〜く似合っているんだよ。

決して疲れてはいかんよ。
疲れそうだと思ったら、その前にやめてしまう事だよ。
思いっ切り甘いものを食べて、
とびっきり美味しいジュースを飲んで、
今、自分にできる最高の幸せを身体に与えてあげて下さい。
じゃないと、心が枯れちゃうよ。
一回枯れた心は、なかなか緑に戻れないよ。

君には本当に笑顔がよく似合う、
僕が保証します。
君は絶対、道を踏み外すようないい加減な人間じゃないよ。
だから気を抜きまくって、勝手に生きる事だよ。
その為なら、僕は幾らでも協力するよ。


どこにも、い閑話 2008/01/30

昨日は家に帰って、晩御飯をむさぼったら、
即刻、眠気に襲われて朝まで布団の中で意識を夢の中に飛ばしました。
朝まで、目覚めなかった訳で、
よほど疲れていたようです。

昨日は朝7時半くらいまで仕事していたのですが、
今日は朝7時半に目を覚ましました。
何て勝手気侭な暮らしでしょう、

今日は休み、
燃えないゴミを表に出し、
洗濯機を回す、
洗濯が終わるまで、
人生劇場の台本を書いて、
洗濯が終わっても台本を考えて、
台本をプリントアウトして満足したら、
洗濯物を干して、干しながら不意に、
「あぁ、ゴミ袋とトイレットペーパーを買いにいかなきゃな」
と独り言を呟き、
なのにポットでお湯を沸かす。
まるで主婦のような細やかな計画、
けど、僕の考えは身体の末端神経までは行き届かない。
休日の朝らしい倦怠感が頭を覆っていて、
結局、布団に逆戻り、
朝の情報番組を見ながら、昨日の残りのGABAチョコレートをつまんだら、
あとはまた夢の中へ、
気が付けば夕方でした。

何なんでしょうね、この休日のやる気のなさは。
休日に活発になる人っていると思うんですが、
羨ましいですね。
特に一人で生活していると、
「おーっし、休みだから目一杯遊ぶぞー!」
なんてテンションは滅多にないです。
以前、ヨシオと一緒に住んでいた時は、
互いの休みが重なったりするといつも、
「七幅で焼き肉定食を食べてから、どっか行こうぜ」
なんて、そりゃあもう、アクティブな休日を過ごしたもんです。

矢っ張り、休日に一人ってのが良くないんですね、
ただ、僕の場合、こんな風に平日にイレギュラーな休みを取ったりするので、
休日が固定されていないんですね。
そうすると、余計に人の休日と合わせ辛い訳で、
誰か、俺と休日を合わせて、
そして、一緒に何かしようというテンションを持ってくれ!
と思います。
テンションが上がれば、自分で何かしらはできる子ですので、
テンションが上がるまでの休日を過ごして下さる人、
募集中です。


午前7時の空洞 2008/01/28

一日を一生懸命にやり切ってみると、
意外とあっさりしていて、
よほど何も考えれない人かのように、
感慨もなく、情緒もなく、
終わってしまったような気がします。

つまり、慕夜記に特筆するべきものが見当たらない日、
僕にとって、それは一生懸命にやり切った日なのかもしれません。

頭の中が空洞になり、
その空洞から吐き出された空気が、心に入って呼吸を助けるような、
そんなわっかり辛い状態を抱え、
僕は今、午前7時を以て今日の業務を全て終えようとしています。

先ほどまでは、来月の31rpmの人生劇場、
こいつの台本を練っていました。
使える台本かどうか、
果たしてやるだけの面白みがあるかどうかは、
未だ判りませんが、
取り敢えず、今日までの形として仕上げました。

そいつを新しいプリンターで印刷してみました。
初プリントです。
初プリントは結局、人生劇場の台本になったのか。
このプリンターを買った時、店員さんは、
「このプリンターは電源の立ち上がりが早いのがウリです」
と言っていたけれど、ウリになるほどの早さを感じませんでした。

僕は人生劇場の台本をExcelのシートにまとめています。
それを印刷してみたのですが、
プリンターの使いこなしより、
Excelの使いこなしの方が大変でした。
macだと印刷範囲の指定から思い通りに行かない事が大賑わいで、
苦難の末、印刷された台本は、
ちょびっと小さめの文字でした。
ちょっと読みにくい。
でも、まぁ、いいっか。
今日のところはここまで。
もう、充分に頭が空洞になりました。

今日はもう少し、ウェットに心が働く一日にしたいなと願いながら、
おやすみなさい to 俺。


変調 2008/01/27

ここのところ、毎朝8時半に必ず一度目を覚ますのです。
それが決まったように8時半なんです。
呪われたように8時半なんです。
みなさんにとって8時半に起きるというのは、
何の変哲もない出来事でしょうが、
僕にとってはちょっと異常な事です。

僕は毎日、午前5時から6時の辺りで一日を終えて眠りに就きます。
そして、11時半に起きるというのが日課ですので、
僕にとって8時半に起きるというのは、
もっとも深い睡眠の最中に目を覚ましているという事で、
少々ストレスを感じます。
8時半に何となく目を覚まして、時計を見、
8時半を確認してガッカリします。
身体もダルくて、そこからもう一度眠りに就こうと思っても、
身体がグズついて、なかなか眠れないんですね。
少々以上のストレスを感じています。
別段、悩み多き年頃でもないし、身体も元気で、
普段の身体と比べたら、どちらかというと調子は良い時期なのに、
何故、こんな現象が僕に起きているのか、
原因はさっぱり考えつきません。

…ん〜何だろう…。
確かに、最近眠たくなる時間が少し早くなった気はします。
午前3時を迎えると一旦眠たくなったりします。
それのせいかなぁ…。

それにしても、午前3時だの5時だの、
健全な皆さんからすると、実感とは程遠い話ですよね。
こんな風に人間生活からズレているから、
そんな意味不明な事が起きるのでしょう。
ズレてはいるけど、規則正しくはいるのですがね、
お天道様はお許しにならないのですかね…。


とうとう買ったプリン体 2008/01/26

とうとう、とうとう、
プリンターを買いました。

と、言う割にあまり多様な使い道は考えていないのですが…。
今まで、歌詞カードとかは手書きのノートを使ってたんですね。
そうすると、味わいや愛着はあるのですが、
僕の字に味わいがあり過ぎて、肝心なところで読めない、
などという非常事態を味わって来たのです。
ラジオでやっている人生劇場の台本なんかもプリントストしたいし、
特別急務に迫られた訳でもないのですが、
何となく、最近必要なんじゃないかと、根拠もなく思い始めたので買いました。

僕の場合、何かにつけ
「まぁ、いつか必要に迫られた時でいいだろう」
という考えを持ってしまいます。
すると、無きゃ無いでやっていける結論に至ってしまい、
何も揃っていかないという事があります。
プリンターもその一つでした。
だから、今回この機会を逃さず買いました。
友達に、
「とうとうプリンター買ったよ」
と言ったら、
「プリン体を買ったの?」
と言われました。
敢えて買わないでしょ、プリン体。
『とうとうプリン体を買って念願の通風になりました!』
なんて願いは起きないのですが、
友達は干し椎茸を買ったのだと思ったそうです。
だとしても、『とうとう干し椎茸を買った』ってほどの気持ちもないのですが、
面白い人です。

お店で何台ものプリンターを前にして、
さ〜っぱり違いが判らないので、
店員さんを呼んで、違いを聞いてみたのですが、
顔料がどうとか、インクジェットがどうとか、
矢っ張り違いは判然としなかったので、
結局、いつも通り値段で決めました。

さぁて、まず最初は何をプリントしようかな、
どうでもいい事だけど、
結構気にしてしまったりして…。
ムフフッ。


UFO! 2008/01/24

Big Mouthのライブに来て下さった方々、有り難うございました。
「UFO!…」
「…UFO!」
という事で、ピンクレディーになってみる企画、8割方完成ですね。
あぁやって思い切って恥ずかしいフレーズを口に出してしまう感じ、
さすが32歳を迎えると、リミッターがゆるくなってきます。
「言うと恥ずかしい」
「それは俺のキャラじゃない」
みたいな事って、20代の頃は漠然と持っていて、
しかもそれにがんじがらめになって自分を縛っていたと思います。
それは、そうしなければ一つ自分のやるべき方向へ向かえなかったのかもしれません。
自分の可能性という誘惑を断って、一つの方向へ向かおうとしていたんだと、
今になって思えますが、
僕はこの歳になって、それらを一つずつ脱ぎ、
自分の精神が一つずつ自由に、軽やかになっていく術を得た気がします。
まだまだ、自分の観念で不自由に受け入れれない事も沢山ありますが、
自分の着ている服が本当に似合っているのか、
本来着るべき服なのか、
そこを考え、実感しながら、
僕は自由になっていきたいです。

ステージ上の自分というのは、僕の生活の中では、
最も不自由な一面であるとも言えます。
その日、その日のライブは勿論空気が違う訳で、
音階、リズム、音量、
その一つ一つを瞬間で受け取って、瞬間で返していかなければ、
生きたステージにはならないと思っています。
個々のフレーズ、その瞬間に心が自由であれば、
その日の生きたライブを体現できます。
でも、緊張が身体を縛ったり、イメージが強過ぎて頭が重くなったり、
一曲の中でも沢山の葛藤と自由と喜びを抱えています。
僕自身、ステージ上の僕は別の生き物がギターを弾き唄っていると感じる時が多々あります。
だから楽しくて、だから素晴らしいものだと、
僕は手放せない大きな仕事を持っていると感じています。
僕の最近のテーマというか自分に課した鍛錬は、
緊張しずに集中する。
これです。

自分は思っているよりも果てしなく自由になれる存在だと、
みんなが感じていて、
自分はなかなか自分から解放されないと悩み、頑張っていると思います。
さぁ、僕と自由になる術を探していこう、
そんな大それた気分でステージに上がっています。

しかし、ピンクレディーって、
昭和50年生まれの僕でも、ギリギリで世代に引っ掛かっている訳で、
保育園の時、女の子の箸箱やシューズに、
ピンクレディーのプリントがしてあったくらいのものです。
保育園で矢っ張り踊ってたのかな、
「UFO!」


水族達 2008/01/24

小さい頃は、空を自由に飛び回る鳥に憧れたりしました。
でも、近頃はあまり憧れません。
空って広いから、なかなか仲間と知り合えない気がして、寂しい。
空を見上げても、鳥が飛んでいるなんてごく一部で、
そのスペースは巨大に空いてしまってますよね。
俺みたいな見当違いな鳥が空を飛んだら、
一生、仲間にも恋人にも出会えない可能性があります。
だから、空を飛ぶのにはあまり興味を持たなくなりました。

その点、河や海には様々な生き物が混雑して生活しています。
これに魅かれ始めた訳です。
水中は人間と違って上下の移動がありますし、
その生息する土地土地によって進化が様々で、実に楽し気です。
僕はこの地球に生きているうちに、
一度でいいから水中の生物になってみたいなぁ…と思います。
そんな期待を膨らませて、
空き時間とかに水族館の本を開いて眺めているのが僕のリフレッシュタイムです。

水族館って各地方に点在しているので、
「あぁ、この水族館に行きたひぃ…」
と思ってみても、なかなか実現させずらいですね。
例えば、ジュゴン。
ジュゴンを見たいと思ったら、三重県鳥羽市に行かなくちゃいけない訳です。
でも、鳥羽水族館に行く時間はなかなか作れないのが現状でして、
むぅ、口惜しや。
そんな訳で、人魚と間違えられたほどの美しい巨体を持つジュゴン、
その姿を肉眼で拝むのはまだまだ先になりそうです。
しかし、驚くのが、
鳥羽水族館のジュゴンさん、年間の食費に4000万円もかけるそうです。
さすが人魚です。
エンジェル係数が高過ぎます。
400円ののり弁に舌鼓を打っている僕とは大違いだ。

あとこの目で見てみたいのが、
ピラルク。
こいつは神戸市の須磨海浜水族園まで行かなければなりません。
このピラルクという淡水魚は、
約1億年前からすっと同じ姿で生息し続けているんだそうです。
まさに泳ぐ化石ですね。
ピラルクを見る事は、恐竜を見る事と同じじゃないでしょうか。
だから見てみたいんですね、
1億年前と同じ姿なんですよ、
進化もしなかったんですよ、
普通の生き物は適度に自分の体型に飽きて進化してしまうんですよ。
言ってみれば、ピラルクは地球上の動物の中で最も保守的な奴ですね。
僕も同じ食事を何回食べても飽きなかったり、割と保守的な動物ですので、
僕より遥か上級にいる先輩を、是非肉眼で確認したいですね。
もう一つ、僕がピラルクに興味を持った理由があります。
それは、僕が無類のピルクル好きでして、
(ピルクルって、コンビニやスーパーでよく見掛ける乳酸菌飲料の事です)
結構長い間、ピラルクの事を"ピラクル"と間違えて呼んでいたのです。
「ピルクルっていう響きに似ていて、見た目のゴツさの割に可愛らしい名前だなぁ」
と思ったのが、きっかけとなって興味を持ったのです。
そして、その名前が間違いで正式にはピラルクだというのは、
実は今日初めて気付いたのです。
まぁ、僕としては良い意味の勘違いでした。

と、まぁ、その他、色々興味深い魚が日本各地の水族館におられるのですが、
全部を見て廻るのは大変そうです。

こうして水族館の本なんかを読んでいると、
どの魚の説明書きにも『絶滅危惧種』という文字が付けられていて、
何だか悲しいですね、こんな見事な形で生きている生物達を、
人間はあまりにも横暴な勘違いで、下等動物として扱っているようです。
色んな事情をよくよくかんがみましても、残念ですね。

さて、僕の家にも小さな小さな水族館があります。
出目金二匹の水族館。
今日も家に帰って、早速水族館の鑑賞です。
「たっだいまー、……完全に寝とるねぇ…」
という活気のない水族館。
ここのところの気温の冷え込みでは仕方なし子達です。
僕は生まれ変わったら、我が家の出目金になりたいな。


雪化粧 2008/01/23

昨日はライブに足を運んで下さって有り難うございました。
2008年、自分の曲をやるライブはここがスタートだったので、
適度な緊張感が、自分の身体にライブののろしが上げた感じです。
今年は色んな形でのライブを実現する事に挑戦していこうと思います。

昨夜ライブが終わった後、スッカリ酔っ払ってしまい、
家に帰るとバタンキュー(昭和50年代生まれらしい表現)でした。
目を覚ましたのは遅めの朝方だと思うのですが、
窓を開けると、近所は雪化粧、
冬の情緒としては抜群ですが、
「お〜、サブ、サブッ」
と2、3秒で窓を閉めて、再び布団に戻りました。
それっきり、夜まで外を眺める事はなく、
どうやら街の雪化粧は、夕方に雨のクレンジングで落としてしまったようなので、
今日の雪はその2、3秒しか見れませんでした。
ん〜、ちょっと勿体なかったかな。

それにしても、
休日の眠りはどうしてこんなにむさぼってしまうのでしょう。
何度か起きて、部屋の片付けをしたりギターを弾いてみたりするのですが、
結局、何をやっても締めは布団に入るという事になってしまい、
布団に入ればウロウロ眠気が頭を包むのです。
午睡、午睡、安らかな眠りです。
温い温い布団の中です。
夜になって、このぬくぬくになっている自分に厳しさが足りないと思い立ち、
ヨシオに連絡して、髪の毛をバッサリ切ってもらう事にしました。

という訳で、久々の短髪。
クルクルパーマネンツをやめました。
クルクルしたパーマネンツを切ってみると、
久々の真っ直ぐ地毛が現れてくるのですが、
そいつがやけにキューティクルがあって、
艶々して柔らかいのです。
そのやわやわな感じが鏡を見ている僕の目にもよくわかりました。
ヨシオが僕のそのやわ毛を切りながら一言、
「恥ずかしいくらいに素直」
だそうです。


至高の人間味 2008/01/21

雪が降った、降らないで巷は大賑わい…、
って言うほどの盛り上がりもないですね。
東京のどっかじゃ降ったのかな?
寒がりで汗掻きな僕には、
降っていてもおかしくないくらい極寒の日々が続きます。
東京暮らしは割と長くなった方の人間だと思うのですが、
毎年、これくらいから冬が本領を発揮する度、
「今頃になってこの寒さかっ!?」
と戸惑います。
どこで身に付けた季節感かわかりませんが、
気温に対して、12月後半に最も寒く、
2月に入る頃にはそれが和らぐ感覚がどうも拭えません。
だからこの時期の最低気温は意表をつかれ、殊に凍えます。
1月も終わり切らない時期から既に、
「まだ冬かよぉ…」
と呟きます。

今、帰宅をして、
早速ヒーターを足下に寄せて、
ルームシューズを履いて、
静かになった一人の時間。
明日のライブや、今日の出来事をまとめて、
頭が次第にぬくくなってきます。
疲れて落ちくぼんだ眼球が、柔らかく垂れ下がってきます。
僕もなかなかに使い古されて年季が入ってきたなぁと感じます。

いつの間にか、こんな時間に愛着を持ち、
いつの間にか、ここに座った自分が至高の美術工芸品の様に作り上げられていく。
誰に見せる事もない僕という人間味。
腐る前に、早くみんなに毒味をして欲しいとも思います。
「したくねぇ」という体制の意見にもめげず、
色んなところに毒を盛って廻らなきゃな。
相当、マズいよ、この工芸品。
相当、マブいよ、この工芸品。
相当、マヨうよ、その品質。


使い古す事 2008/01/20

今日、10時半起床。
僕にしてはちょっぴり早起だったのですが、意外と気分が良く、
新宿へ、スラスラ出掛けました。

何故、新宿に行ったかと言うと、ギターケースを買いに行く為です。
今までのツアーで使っていたギターケースが壊れてしまったんです。
日本のあちこちへ唄いに行くのに大切なギターを守ってくれていた、
謂わば縁の下の力持ち的な存在だったギターケースがとうとう力尽きまして、
ギターを包んだままチャックを開けなくなってしまったんです。
あぁ、ご苦労さんでした。

もう、7、8年は使ったかなぁ、
僕の場合、物持ちがいいと言うよりか、
壊れても使い倒して、ボロボロになってもう絶対使えなくなるまでなって、
初めて使う事を諦めます。
そんなこんなで、僕の身の回りは古めかしい物ばかりになります。
服なんかもそう、
まぁ、着倒して、着倒して、
袖や襟首が本体から外れてしまったら衣服として諦めます。
で、ボロボロになって使えなくなったからと言って捨てられるかと言ったら、
長年使った時間のお陰で無駄な愛着が起きて来てしまって、
返って捨てられない、
捨てられないから使えないものばかりが部屋に残る、
そうすると部屋がどんどん、どんどん狭くなるといった悪循環を起こす訳です。
僕は「使えない」の見切りが遅過ぎる質なのです。

まぁ、その見切りが早いからいいのかどうかは何とも言えません。
人にしても、物にしても、愛着という面で大切にしたいものです。
人に対する見切りが早い人っていうのは、
潔いですが、僕みたいな性質の人間からするとどこか寂しい。
するめを一口噛んで、
「何だ!硬いばっかりで味がしない!」
と言って、ペッと口から出してしまう感じ。
特に人に対しては、その人が成長の中で育んだ奥深い要素が詰まっているので、
一口に「嫌い」「苦手」と決めてしまうのは損な事ではないかと思います。
一面において自分の許せない行動をする人でも、
もう一方の面で、自分が気付かない味を秘めていたりするもんです。
その見えない一面に、自分が恐れを感じると、
「嫌い」とか「苦手」とか言って逃げようとしてしまうような気がします。
その人に対する恐れで、人付き合いを回してはいかんなと思う訳です。
恐れず、面倒臭がらず、その「嫌い」の反面を覗いてみれば、
結構気の合う一面を隠していたりするんです。
「嫌いな人」って、よっぽどじゃないといないんですよね。
友達関係でも、仕事関係でも、恋愛関係においても…。
だから、僕に関して言えば「嫌いな人」は身の回りにいないです。
「とっつきにくいな」と思う事はあっても「嫌いな人」は一人もいません。

話が随分、それちったのですが、
結局、新宿でギターケースを買う事ができました。
それにしても、それにしてもです。
何でああも黒い色のものばかりなんですかね、ギターケースって、
選び甲斐がないですね。
黒しかないんだもの。
特にアコースティックギター用は。

嫌や。
僕はもっと艶やかな色のギターケースが欲しいですよ、
空色とか、原色の赤とか黄色とかの。
何だか現代の日本の文化って無彩色やシンプルに美徳があって、
つまらないと思う事があります。
日本人が目立たず、無難な方向へ安らぎを求めているような気がします。
(そこへいくとコギャル達は意匠を凝らして艶やかに自分を主張しているな)
とは言え僕も、黒を着たり、茶色を身につけたり、
概ね日本人としてその文化は享受しているのですが、
今は、今だけはそういった素朴な美しさから離れたい気分です。
艶やかなものを身につけると気分も明るくなります。

だからして、僕の定期入れはピンク、
だからして、僕の携帯入れは黄色、
なんです、ハイ。
なのにして、僕のギターケースは黒。
なんじゃらです、ホイ。


縦になれず 2008/01/19

横向きでした。
連日の疲れが溜まっていたのか、
この二日間、眠り続けてしまいました。
掛け値なしに寝続けました。
一切布団から出る事なく、
この二日間を横向きに過ごしました。
思ったよりも正直に身体は疲れていたのだと思います。

自分の正月休みを終えた後、
6日間、割と眠らずコチョコチョ仕事して、
最後の夜、「もう明日は休めるな」と思って、
友達の家でしっかり酒を呑んだらば、
朝まで呑んで、朝の電車に乗り間違えながら、
何とか家に帰った筈ですが、
今となっては、家に着いた時の記憶がありません。
朝から夜中まで眠り続け、部屋を見渡すと、
テレビが点いていて、
パソコンがスリープ状態、
ハロゲンヒーターが倒れて消えていました。
そして、僕はベッドに対して90度直角に眠っていて、
頭は壁にもたれて、
足は見事にフローリングの上に投げ出されていました。
きっと慕夜記を書こうとして、
パソコンとヒーターを点け、
何を書こうか考えようと、テレビを点け、ベッドに横になったら、
そのまま眠ってしまったのでしょう。
まったく寝不足での深酒は危険です。

結局、僕はそれらの部屋の状態を確認して、
それらの電源を消して、
「はぁ…やってしまったなぁ…」
と反省している間に、また夢の中へ引きずり込まれてしまったのです。

僕の横向きの休日、
身体が休まったのかどうか微妙なだるさがありますが、
ここぞと思っていた二連休を眠り続けて、寝溜めがきいたので、
また明日から少々の寝不足には太刀打ちできそうです。
う〜む、それにしても眠り過ぎたかなぁ…。


寝不足の躁病患者 2008/01/16

連日の寝不足から、今夜やっと抜け出せそうです。

正月三ヶ日は寝不足であろうが二日酔いであろうが、
無限のスタミナと、
異常なテンションの高さに、
「俺は躁病かもしれない…」
と思ったり、
「今ならナポレオンに勝てるかもしれない」
と鼻息を荒くしていたのですが、

矢張り、勘違いでした。

洗面所の鏡に映る僕の顔は、
疲れ切って、目も真っ赤になっています。
気分も些細な事に苛立ったり、湿ってみたりするので、
「俺、鬱病かなぁ…」
と思ったりします。

でも、今夜、
この慕夜記を書き終えれば、二日ぶりに自由の身になれるので、
次第に興奮するんじゃないでしょうか。
そして、また興奮の為に眠れず、
ギャーギャーワーワー騒ぎ出し、
何だかんだで、寝不足の躁病患者になると思います。
正の循環なのか負の循環なのか…。

こんな僕が言うのも何ですが、
みなさん睡眠って本当に大切ですよ。


モテる男 2008/01/15

フル稼働に朝まで仕事と戦ったので、
正月ゆるみも一掃できたんじゃないでしょうか。
眠ってないどー!
やっと31rpm作り終わったどー!

そんな戦う日々の中で、
最近、よく頭に思い浮かべているのが木曽義仲です。
木曽の山猿と揶揄され、
歴史上では粗暴で思案の足りない武将という印象があります。
平家を西国へ追いやり、
京都に上って天下を手中にしかかったのですが、
宮中でも田舎者と馬鹿にされ、
時の上皇にも相手にされず、
揚句には源氏同門の源頼朝に滅ぼされてしまうのです。
僕はこういった男に興味を持ちます。
この時代にあって、もっとも颯爽とした爽やかな風を持った人じゃないでしょうか。
それだけに頭が良くないと思われがちなんだと思います。
三国志でいうと呂布奉先と同じ風を持った人ですね。

義仲は粗暴というイメージがありますが、実にモテた男だと思うんです。
正室の巴御前を筆頭に、
戦場にある義仲の身辺には葵、山吹といった女武者が共にあったと言います。
勿論、葵、山吹は戦場だけのパートナーだけではなく、
妾という形で、私生活では恋仲であったのです。

義仲で僕がもっとも注目している出来事は、
義仲が京都に上って、関白藤原基房の娘・冬姫を拉致同然に妻としてしまった事です。
関白藤原基房も義仲の機嫌を損ねない為に、
泣く泣く愛娘に「辛いのをこらえて生け贄となってくれ」などと伝えています。
冬姫としてはいきなり木曽の山猿の生け贄なり、
昨日今日やって来た恐ろし気な男に遣えなくてはならず、
最初は怯えていたのですが、
義仲が意外に純朴な愛情を届けてくるので、
次第に義仲に魅かれていくんですね。
やがて義仲が凋落し、宇治川の合戦で討ち死にをしてしまいます。
その報により、藤原基房が娘を取り戻そうとすると、
冬姫は義仲を追って自害していたというのです。

義仲のような武人がまとった清潔さが矢張りあるような気がして、
僕はそこに羨ましさを感じます。
源頼朝なんかは結局鎌倉幕府を建て、大成にいたあるのですが、
矢張り義経との確執などでも表れている通り陰湿さがありますね。
頼朝はモテないタイプの、いい男だと思います。
旦那にしておけば出世はしてくれるのですが、
夫婦生活は退屈なんじゃないでしょうか。
その点、義仲は波乱に満ちていて、
それでいて人に対して屈託がなく、
きっと女性にとっては楽しい男なんだと思います。

これはあくまで僕の勝手な感覚なので、
あまり史実に照らし合わせて考えて欲しくないのですが、
僕は勝手に確信を得ています。
そして、僕も義仲のようなモテる男になりたいと思っているのです。
矢張り、表情や行動に屈託のない明るさがある男がいいなぁと思います。

ハァ…、モテたい…。
そんな妄想を仕事の合間、合間にしてみて気分転換している僕でした。


難産 2008/01/14

エンジンかけても、どうも体温が頭まで上がって来ないなぁ。
血液がドロッと鈍く流れているのは、
正月明けなのか。
31rpmを必死に製作中です。
31rpmはまだ2008年を迎えてないぞぅと思うと気持ちだけは焦ってます。
心待ちにしているみなさん、あともうちびっとお待ちを。

マイクに向かって、あれやこれや一人ブツブツと喋ったり、唄ったり、弾いたり、
ちょっとでも失敗すると烈火の如く怒ります。
「ヘタックソ!!」
「何しゃべってんだ、バーカ!」
「そこはAmつったろーが!いい加減にせーよ!」
「何回も同じミスすんなよ!ボケッ!」
自分に酷烈な罵声を浴びせます。
それはマイクを通して、ヘッドフォーンに届き、僕の耳を蹴破ります。
この作業っていつもこんな感じで、
ほぼ自分と自分同志で喧嘩、言い争いをしているような状態です。
あぁ、寝ないと、睡眠時間が見当たらなくなる。
まさに空回りの31rpm。
難産です。
うっひょひょーい!


イレギュラー 2008/01/13

始発で戻って来た地下鉄の駅から、
いつもの街へ上がって来ると、
歩道の自転車やスクーターが強風に煽られて、
ことごとくが倒れていました。
僕はその間を誇らしげに歩きます。
「どうや、俺様はまだ立っていられるぞ!」

北風ピープー、また今日は一番寒いわけで、
そんな風に吹かれていると、煽られるがままの進行方向があるのです。
自分が予想していたのとは違う方向。
そちらへフラフラと流されていくのがイレギュラーという事で、
はい、イレギュラーに朝を迎えた山口です。

よくよく考えてみますと、
山口という人生を背負ってから、
自分が予想していた通りに物事が運んだなんて経験は、
人生の零割五分を下回る訳でして、
人生の九割五分をイレギュラーの対応に追われている訳です。
だから予定通りに物事が進む事よりも、
予期せぬイレギュラーに見舞われた方が得意なんです。

思い起こせば、
どんなに大きな夢を持って希望に満ちても、
どんなにこれぞと想う女性を愛しても、
それらを失い、
それらに挫折し、
傷付き、
葛藤するほどに、
僕は唄に戻り、
またギターを弾いている時間に戻っていたのです。

僕にさしたる才能は感じませんが、
僕が唄やギターに対して執念深い愛情を持っている事だけは実感し、
誇りに思います。
人が一日で覚え会得していく事も、
僕には一週間の時間を要するのです。
僕の幸いは、人が一日の愛情で覚え会得してしまう事に、
一週間分の時間、愛し執着できる事でしょう。

それを腹にくくった時、
僕は最高の唄を表現できる訳で、
僕は僕を全うできる訳です。

目の前にあった理想にことごとく打ちのめされ撃沈してしまう時も、
我、ただ一念に好きな事を好きでい続ける事を期待します。
僕の今、一番の幸せなれば。

ありとあらゆる環境の元で、
僕が好きな事に対して、
いつまでも執念深く愛情を保つ事を望み、
今日一日を終えようと思います。

今、この慕夜記を読む縁のある人へ、
心底愛しています。


お家に帰るところ 2008/01/12

とっても寒い一日でした。
朝からどんよりした曇り空も、
あーっと言う間に暮れ落ちて、
一日が終わろうとします。
朝からシトシト冷たい雨も、
ふぁ〜っと言う間に止み、上がって、
一日はそろそろ終わろうとします。
さてさて、宙に浮いたような一日でした。

昨夜から今朝にかけての酒がねっとり関節にまとわりついて、
鈍い足取りで水溜まりを避けて歩きます。
今朝見た夢があまりに突拍子もなく僕の泣き所を突いて、
眉間に溜まった痛み、こめかみに走る痺れ、
あぁ、男児、終日の雨より朝寝の夢に心を湿らす哉。

電車では疲れた男、
それは酒に疲れた男、
ひどく疲れ、ドアの脇で力なくへたり込むのに、
男の頭は見事なほどのパンチパーマ。
近年稀に見る見事なパンチパーマ。
男は空になったスターバックスの袋を持って、
何度も降りる駅を間違え、
何度もドアの脇に戻ってはへたりこんだ。
正月が終わっても男児には過酷な日々といったところか…。

みんな家に帰るところ、
みんな心を休める場所へ帰るところ。
たとえばそこが駅の構内の段ボールの上であっても、
たとえばそこが家族の待つあたたかいこたつの中であっても、
みんなは一日を休めに、お家に帰るところ。
さて、僕もお家に帰れば、
ゆっくり肩を落として次第に忘れ出すんだ、何もかも。


降ってるっしょ 2008/01/11

Big Mouth『NABUCHI NIGHT』お疲れ様でした。
今年一発目のライブで、人前で唄ったので、唄い初めですね。
来てくれた皆様、有り難うございました。
僕は朝、始発まで過ごして帰って来ました。
帰りの新宿駅でどうみても西洋人の男の子が、
「箱根は降ってるっしょ、降ってるっしょ」
流暢に箱根の気象情報を語っていました。
そう言えば、もう土曜日なんですね。
下北沢から新宿まで、酔っ払う若者が多かったように感じました。
成人式を迎える人達かな。
僕が二十歳そこそこの年頃は節度のない呑み方をしていましたが、
それに磨きがかかると、こんな感じに始発帰りをしてしまいます。
お酒はほどほどにね。

さて、ライブですが、
ああも思いっ切り人の唄だけをライブで唄うなんて皆無ですし、
何となく同じようなルーツを持つアーティスト同士が、
和気あいあい語り合いながら作るイベントも面白いですね。
リハーサルの時や唄い出し時には妙な緊張感を持ちましたが、
唄っているうちに滅茶苦茶楽しんでいました。
次は何Nightですか?
色んなNightに参加してみたいですね。
またやりたいですね。

今日は久し振りにハードケースでギターを運んだので、
いつものリュックのように背負うのとは違って、
結構肩に負担がかかりました。
朝まで唄って、朝まで語って、
こんな夜が当分続けばいいのになぁと思いました。
こんな日の、朝は来なくてもいい。
そんな気分です。


帰京 2008/01/10

本日、岐阜から東京へ戻って来ました。
矢っ張り、故郷・実家に暫くいると骨から関節が緩んだ感じがあります。
何となく『東京に帰りたくないなぁ…仕事したくないなぁ』
なんて実家にいながら軽いホームシック。
朝、眼を覚ますとボーッとした緊張感が漂って、
頭の中ではボチボチ仕事の事を考えていて、
また静かな一人暮らしに戻る準備をしているんですね。
珈琲飲んで、お茶飲んで、
これからの一年に向かう気力を、身体に満たしている感じがありました。
それは父も母も同じようで、
慌ただしかった正月の終わりは、
実に静かな、静かな朝でした。
お茶や珈琲を飲み過ぎたせいで、
トイレが近い近い、
尿意だけはとっても忙しかったです。

東京に向かう新幹線に乗って、
席に着く前にトイレに行って、
さあ、出陣なのですが、
正月中引きずった眠気が頭に残っていて、
席に腰を落とし、リクライニングを倒すと、
あっと言う間に眠ってしまい。
気が付いた頃には小田原を過ぎていて、
夕闇にそびえるビル群を呆然と眺めていました。
「僕、田舎から出て来て、東京に住んでます!
もう十年近く東京に住んでます!
結構、自分は都会に向いている性格なんじゃないかと勘違いし始めています!」
なんとか気合いを入れ直して、東京駅に降り立ちました。

普段、ギターを持ち歩く時に使っているセミハードケースが、
正月に壊れてしまっていて、
買い直そうと東京駅からお茶の水に行ったのですが、
歩き回れど店は閉店していて、
結局買えずじまいでした。

家に戻って来ると、出目金達を起こして、
餌を上げました。
「久し振りっ!」
東京生活、2008年、本格的に始動です。


Happy Familly 2008/01/08

引き続き、岐阜で帰郷中です。
昨日は夕方から父親と二人でデートをしました。
3時間ほどグルグル二人でデパートを歩き回り、
「こんな服がいいよ、…あの帽子なんかいいんじゃない」
などと、ひたすらギャル系のものを勧めてみましたが、
父親の気には召さなかったようです。
中部地方では知らぬ者がない喫茶店コメダで、
二人でミニ・シロノワールを食べ、
スターバックスでコーヒー豆を買い、
輸入食品店でブルサンとクラコットを買い、
スーパーでお菓子を買い込んで、
家に帰りました。

家に着いたら妹が仕事から帰ってきており、
妹の弾くチェロを聴いていたら、
母親がおばあちゃんの病院から戻ってきたので、
一家四人揃ったところで、何となくの新年パーティーを始めました。
僕以外はみんなワイン、僕は勿論いいちこ。
いいちこを1.8リットルのパックで呑んでいると、
さすがに呑ン兵衛感が漂いますね。
僕はせっせとクラコットにブルサンを塗りながら話をしました。
これがワインに合うので、僕は食べる間もなく家族に食べられてしまいます。
僕の作業が追いつかなくなると、妹は、
「あっちょっと、右手が空きましたよ」
と僕に催促します。
何という高圧的な要求でしょうか、
兄の威厳はとっくに脱ぎ捨てているので、僕は言われるがままなのですが…。

家族四人、したたかに酔っ払い、
話す事は雑多ですが、笑いが絶えなくて、
僕も久し振りに腹筋が千切れそうなほど笑い転げました。
それぞれの失敗談は、如何に恥ずかしかったかが競われます。
僕等家族はいずれも国士無双のつわもの揃いで、
僕なんかのしょげた失敗談や恥ずかしかった出来事など、
鼻毛にも引っかからずに笑えないというくらいです。
でも、そんな話の中で、矢張り家族だなぁと共通点を感じる訳で、
僕等家族が色んな風当たりの中で、
常に仲良く四つの頭を寄せ合って、
「あちゃぁ、恥ずかしい事しちゃった!」とか、
「こりゃぁ、失敗したねぇ、アカンかったねぇ」と言い、
笑い合いながら歩いて来た誇りを感じます。
僕はこの家族の中に生を受ける事ができて本当に幸せと感じます。
一年の中で、この家族四人でやるパーティーの短い時間が重要です。
家族は僕の事をへその奥から直腸の出口、
肛門までをよく知っている人達なので、
その人達を前に自分の昨年をまとめて話し、
また新たな一年を話す事によって、
新年の指針を自分で確認して、強い目標にする事ができます。
父も母も妹も、僕も大いに呑んで、笑って、話し、
気付けば午前四時でした。
実家にいる間は、東京の生活と違って規則正しく寝起きをしていますので、
この時間まで起きているととっても疲れます。
パーティーがお開きになると、そく居間の布団に初夢を描いて寝ました。

そして、今日は昼飯を食べに行くため、車を運転しました。
国道41号線を高山方面に北上する途中、
七宗町辺りにある『三八屋』
ここの冷やしえび天うどんは必ず食べておかないと、
岐阜に帰ってきた意味がありません。
以前はたこ焼きやうなぎと、
必ず立ち寄らなくてはいけない店があったのですが、
今は色んな事情に阻まれ、この『三八屋』が唯一僕の必ず行く店になりました。
滅茶苦茶好きなんですね、ここの冷やしえび天うどん。
今日は二つ頼んで、二つを一気にたいらげました。
お腹が破裂しそうです。胃もたれを感じます。
が、これほど気持ちを満足させておけば、
また一年間くらいここに来れなくても我慢できそうです。

そんなこんなで、強烈な膨満感を抱えたまま夕方を向かえ、
運動して解消しようと、犬の散歩に出ました。
懐かしい路地を歩き、昔よく遊んだ公園まで、
でも僕がかつて遊んでいた公園は全然様子が違っていて、
遊具なんかもだいぶ減っちゃったなぁと寂しく思いました。
子供が少なくなって、公園も子供というより、
どちらかというとお年寄りや犬の散歩の為の公園、
と言ったほうがいい雰囲気です。
だから、この公園の歩き方は僕より犬の方がよく知っている感じでした。

犬と懐かしい町を歩き、
同級生の家の前を通り、
昔通った駄菓子屋があったところはアパートに変わっていて、
だから、この町の歩き方は、今や犬の方がよく知っているのでした。
家に帰ると、母親は病院へ、妹はまだ仕事から帰らず、
僕は父親と二人で夕飯を食べたのですが、
さすがに昼のうどんニ杯が効いていてあまり食べれないし、
昨夜の寝不足もあって、
僕と父親は早々に夕飯を切り上げてしまいました。
僕がソファーの上にゴロンと寝っ転がると、
犬がソファーに顔を載せて僕を上目遣いで見ているので、
「おいで」
というと嬉しそうに僕に添い寝をして来ました。
そのヌックヌクの毛皮に顔を突っ込むと、
僕はそのまんま眠りました。

つまり、幸せな帰郷です。


チョットスイマセーン! 2008/01/06

実家の目覚めはとっても早く、
つられて僕も割りと早目に目を覚ますのです。
それはそれで、とても心地の良い目覚めでして、
朝ご飯を食べていると、よっぽど身体にいい暮らしだなぁと感じます。
僕の東京暮らしは、どう考えても自由奔放過ぎる。
実家に帰ってきて、母親の手料理を食べていると、
普段の自分の不摂生を実感しますね。

朝ご飯を食べて珈琲を飲み、ゆったり家族と話していると、
家族の会話の外から、
「チョットスイマセーン、チョットスイマセーン」
と会話に割り込んでこようとする声がします。
「えっ、誰だ?」
と思って、声のする方向を見ると、
そこには鳥かごがあって、その中のインコが、
「チョットスイマセーン、チョットスイマセーン」
と僕等に声を掛けているんです。
「何じゃ?」
と驚いていると、
「ワタシハ、ミミチャンデース!ワーハッハ!」
と言うんです。インコが。
その後も、一日中そのインコはブツブツ独り言を言っていて、
結構長い文章を話していたりするんです。
結局、今日一日、そのインコが本来の鳥の鳴き声をするより、
日本語を話している量の方が多かったです。
僕が実家に帰ってきたのは、去年の3月以来なのですが、
こいつは僕の知らないニューフェイスです。

また暫らくすると、
母親がもう一つ鳥かごを持ってきて、
それを開けて、部屋に何かの鳥を放しました。
何だかすばしっこく飛んでいて何か判らなかったですが、
家族が食事の後、会話しているテーブルの上にそいつがとまった時、
驚きました。
そいつは雀でした。
その雀は母親の手に乗って嘴で突いて食事を催促します。
母親がピーナツのかけらを雀の口元に近付けると、
キツツキのように食べていました。
はっきり言って、雀がここまでリラックスして、
人間に懐いている姿は初めて見ました。
雀は食事を終えると、妹の肩に乗り、
妹の肩まである髪の毛の中で遊び、
挙句の果てには気持ち良さそうに眠ってしまいました。
雀のこんな姿を見るのは初めてです。
そして、この雀も我が家のニューフェイスという事ですね。
奇抜な鳥達が増えて、とっても賑わしい限りです。

一日をボーッと過ごし、
夕方には公園まで犬の散歩。
我が家の犬はコーギーですので足が大変短いです。
公園を走る姿は弾丸のようで、とても格好いいのですが、
その後姿は丸っこいお尻をプリプリ振るわせていてチャーミングです。
そこで犬と僕と父親で夕陽を眺めました。
忘れかけていた、広い空です。
少しずつ何かを思い出している、そんな帰郷になっています。


帰郷 2008/01/05

最近の僕は軽い躁状態にあるようで、
睡眠不足気味でも、身体が興奮して眠らなくても平気なのです。
どこかでパッタリ電源が切れるのでしょうが、
今のところ、非常に毎日が楽しく興奮しています。
という事情をふまえた本日、
朝まで何となく作業して、見事に徹夜。
眠ってしまったら、今日一日を眠ってしまう事、
必定のコンデヒションであったので、
仮眠を取らず、そのままの勢いで岐阜へ帰ることにしました。

朝の東京駅はいつも通りの人波で、
正月を終えた人達の姿をたくさん見つけました。
そんなソワソワした人達の雰囲気の中を歩きながら、心の中で、
『ムッシッシ、俺は今日から正月』
というイヤラシイ喜びを噛み締めます。
次の新幹線に乗ろうと思ったら、意外に時間がありません。
地味に変化した東京駅の構内を早歩きに、
帰郷の際は必ずみやげに買う『東京バナナ』を素早くゲット。
これを買って帰ると、
久し振りに会う妹の僕に対する優しさが変わってくるんです。
今回の帰郷は平穏に癒されたいので、
僕は一番大きな箱の『東京バナナ』を妹に買いました。
後は、また慌てて自分の朝飯をゲット、
首尾よく次の新幹線、ギリギリに間に合い、
のぞみに滑り込んで、いざ故郷岐阜へ。

新幹線に乗って、朝飯に買ったおにぎりを食べると、
すっかり眠くなって一時間くらい眠りました。
のぞみって結構早い乗り物なので、
あんまり悠長に眠っていると大阪まで言ってしまうので、
緊張感を持って眠りました。
何よりも今日は天気が良くて、
窓から横っ面に射し込む陽射しが暑くて暑くて、
幾度か目を覚ましました。
名古屋に着くと、そこからJRに乗り換え岐阜へ。
このローカルな電車に乗ると、
やっと『帰ってきたなぁ…』という実感が染み出てきます。
電車に乗る人、おばあさん、おじさん、同世代の女の子、ギャル…、
全ての人が、岐阜の人間らしい感じがして懐かしく感じるのです。
窓の外の風景も、田んぼと畑に囲まれながらポツンと駐輪場があったり、
今にも崩れそうな土蔵がある建物や、潰れて風化しつつある喫茶店、
それも田んぼや畑に包まれて、目を和ませます。
と思いきや、バカデカイ要塞のようなジャスコが建っていたりして、
目が点になります。
最近この手のデパート増えましたが、何とも景観を壊すものばかりで、
もう少し考えて欲しいなぁと思いますね。

電車が木曽川を渡ると、いよいよ岐阜に入り、
帰郷する時はいつもこのタイミングで大きな溜息をつき、
「フーッ、帰って来たぁー」
と、安堵感と喜びが身体に充満してきます。
岐阜駅に着くと、相変わらず。
岐阜の街並みを見て、相変わらず。
父親の運転する姿を見て、相変わらず。
家の玄関を開けて、相変わらず。
犬の熱烈な歓迎を受けて、相変わらず。
母親の気遣いも、相変わらず。
妹の優しさ、相変わらず。
何よりも何よりも、こうして岐阜でへそをゆるめた僕も、
相変わらずの姿で、正月を迎えた訳です。


鍵騒動からモグモグまで 2008/01/04

今日は、吉川みきさんのお宅へお邪魔する為、
ヨシオにバイクを借りてGOする予定でした。
午後4時に家を出ようとしたのですが、
「バイクの鍵は?どこやった?」
という事で、早速30分間、鍵を大捜索。

注)僕はよくヨシオのバイクを借りるのでヨシオは僕にバイクの合鍵を渡してくれており、
僕は僕で、去年自宅の鍵をなくし自宅から閉め出された苦い経験と、
長期間家を空ける時、ヨシオに金魚の世話をしてもらう為、
部屋の合鍵をヨシオに預けて安全策としているのです。

そんなこんなの大捜索は難航しました。
何しろ、年末、たこ焼きパーティーの為に大掃除をした際、
部屋の配置を大幅に変更してしまい、
今まで何気なく置いてあった鍵置き場がなくなっていて、
バイクの鍵は一向に見つかりません。
僕が片付けそうな棚や、タンスの引き出しを開けるのですが、
バイクの鍵は一向に見つかりません。
ヘルメットや手袋はあるのですが、
バイクの鍵は一向に見つかりません。

ガックリ来て、タンスの前でへたり込み、
うなだれた顔を上げると、目の前は整髪料やドライヤーが入れてある引き出し。
「まっさかな、まっさかこんな関係のない引き出しにバイクの鍵は入れないだろう…」
恐る恐る引き出しを開けると、いつも通りに整髪料があり、ドライヤーをどかすと…、
「!?」
鍵っ…バイクの鍵!?
「まっさか…さま」
慌てて家を出て、吉川みき邸へ。

みきさんの家は何度もお邪魔しているので、その道筋は慣れたもんです。
目白通りから環七に出て、野方を越して高円寺に向かい、
早稲田通りを右へ…、
「早稲田通りだったっけ?」
と早稲田通りを西へ向かうと、案の定見知らぬ道。
「でも方向性は合ってるから、何とかリカバーできるだろう」
と道を探せば、さらにドツボ、
20分もあれば余裕で着くみきさん家へ、
1時間近くかけて着きました。
まったく、おかしな出来事です。

みきさんに遅刻のお詫びと、新年の挨拶を済ませ、
暫しの閑談をしてから、目的のラジオの録音。
新春特別企画という事で、
みきさんの『ラジオほっこり洞』と、
僕の『31rpm』でコラボレーションする事にしました。

つまり新春特別企画『ラジオほっこりrpm』

1時間ぐらいみきさんとお話をして、
そのふんだんにあるトーク内容をお互いで好きな編集を施し、
それぞれの番組のトークコーナーにするという作戦です。
みきさんと僕が抽出するトークは異なって来ると思うので、
この企画はおもしろいですよ。
乞うご期待。

トークの収録が終わったら、
みきさんとヨシオのバイクに二人乗りしてペットショップへ行き、
そこでウサギを鑑賞。
以前も慕夜記に書いたのですが、
「ウサギを飼ってみたらぁ」
というみきさんの提案を受けての、今回のウサギ見学なのですが、
確かに可愛いですね。
あのウサギやリスやビーバーといった動物が餌を食べている時の頬っぺの動き、
他の動物にないチャーミングさがあります。
「あぁ、このモグモグしている姿を毎日見れたらどれほど幸せなんだろう…」
と考えていました。
僕は店員さんを呼び止め、質問しました。
店員さんによると、
「飼うのはそんなに難しくないですよ。
ただ、オシッコは臭いので毎日トイレの手入れはしなきゃいけません
部屋の角々で糞やオシッコをするので、ゲージの中で飼うのがいいです」
なんて事なんだけど、その辺は僕は大丈夫やれそうだな。
なんだか、徐々に飼う方向に気持ちが傾いて来ました。
そして、僕は一番気になっていた事を店員さんに質問してみました。
「ウサギって木をかじったりします?ドアのさんとか…」
これが一番聞きたかった。
店員さんによると、
「あぁ、かじりますよ。それも手当り次第に…」
なんと…。

もし僕がウサギを飼ったとして、
家でこうして慕夜記を書いている間、
ウサギをゲージから出して、部屋で自由にさせておきます。
僕は慕夜記を書き終え、ふっとウサギを見ると、
可愛らしく頬っぺたをモグモグしています。
「ひゃー可愛い!」
とウサギを抱き上げ、ふと見るとギターがあり、
そのギターがかじられているという事態に、
…なり得る。
チャーミングなモグモグが、僕を奈落の底に叩き落とす事が、
…あり得る。
という事で、断念する方向に気持ちが変わり店を出ました。

そこから、みきさんと食事をする為、阿佐ヶ谷へ行き、
せっかく正月だから美味しいものを食べようとウロウロして韓国料理屋へ入りました。
韓国料理に頬っぺたをモグモグさせ、その後喫茶店で珈琲。
その喫茶店で僕はウインナーコーヒーを頼み、
みきさんはアメリカンコーヒーを頼みましたが、
店員さんが「アメリカンコーヒーに生クリームを載せますか?」と聞くので、
それはウインナーコーヒーと同じじゃないのかと思ったのですが、
店員さんによると、
「それは違います」
との事でした。

結局、僕もみきさんと同じアメリカンコーヒー(生クリーム載せ)を頼んで、
珈琲を飲みながら、2007年の総括をし、2008年の展望を話し、
二人でやれそうな事も何となく見つけれそうで、
とっても有意義な時間でした。

話し終わって家路に着こうとすると、時刻は深夜1時になっていて、
外の寒さにガッタガタ震えながら、
ヨシオのバイクを飛ばし、冷風を切って帰って来ました。

明日からは、僕の正月休みの始まりだ。
明日から、僕は実家に帰ります。
ゆっくりできそうだ。


正月らしさとは 2008/01/02

正月三ヶ日は仕事をする僕、
それが立派な自由業。
世間一般様がお休みあそばす間は仕事をし、
世間一般様が「あぁ、明日から仕事かぁ、嫌だなぁ〜」と言い出す頃に休みを取る、
それこそが立派な自由業。
4日までは31rpmやら何やら仕事をして、
5日からは岐阜へ帰郷してやろうという魂胆。
一応、予定。

正月らしさとは、都会から人が消える事で、
正月らしさとは、店が休みで不自由するという事くらい。
今年は正月らしいテレビ番組も見ていませんし、
正月らしく初詣に行くというイベントもやってません。
粛々と日常を継続しております。
あえて、それが正月らしさ。
正月の変化と言えば、
近所のコンビニの自動ドアの反応が一段と鈍くなった事くらい。
正月早々、2、3度激突しそうになりました。

最近は、あまり寝ていなくても元気を持続できるようになり、
いつまでも興奮して眠らず、ギター弾いたりして、
朝を越えると、急激に電源のスイッチがOFFになり、
キューッと眠ります。
今は、眠らなくても済む年頃のようです。

今日は友達夫婦の家に晩ご飯をおよばれして、
押し寿司を堪能しました。
うむ、こうして気の置けない友達と、
新年の挨拶をしている事が一番の正月らしさ。
美味しく、あたたかく、
僕の正月は進行中。


あけましておめでとうございます! 2008/01/01

2008年、明けましておめでとうございます。
僕は昨夜、Big Mouthで朝まで呑み倒し、
久々に自分を解放して呑んだせいか、早々に酔いつぶれ、
2007年最後に唄った唄は何が何だか、どこがどうだか、
酩酊状態で締まりました。
ついでにカウントダウンの時も、酔いつぶれのピークにあったので、
いつ年をまたいだのか、まったく気付きませんでした。
完全な飲酒熱唱でして、警察に捕まえてもらえたかもしれません。
年も充分に越した朝方、僕は急に正気と元気を取り戻して、
新年一発目の唄を唄ったんですが、
ウッシーさんやタケチャンにフォローされながらの演奏でしたが、
これはなかなか良かったです。
そんなこんなの年末年始で、みなさんはいかがお過ごしでしょうか?
今年も宜しくお願い致します。

昨日の酒を呑む前と、呑んでる最中、そして呑み終えた後と、
三回、ウコンのちからを飲んだお陰もあって、
眠った後は好調に目を覚ましました。
初夢は見なかったのですが、起きた布団の中で、
何故か平家物語を思い出していました。
そして更に、何故か源義経の事を考えていました。

義経が五条大橋で武蔵坊弁慶に襲われ、
ヒラリヒラリと弁慶を手玉に取ったのはあまりにも有名な話です。
その時、義経は女装をしていたんですね。
その女装について、ふと考えていたんです。

義経はその日、平時忠の屋敷に呼ばれていました。
平時忠とは、平清盛の奥さん・時子さんの弟で、清盛の義弟にあたります。
まぁ、太政大臣の義弟ですから、その地位も高過ぎる人です。
時忠と言えば「平家にあらずんば人にあらず」と豪語した事であまりに悪名の高い人です。

その時忠の屋敷で義経は会談を済ませ、帰宅しようとすると、
時忠が、
「屋敷の表から出ていくと平家の公達が命を狙って待ち伏せをしているかもしれません。
裏から出て五条大橋の方を通って帰りなさい」
と忠告するんですね。
それこそが時忠の策略で、実は五条大橋に弁慶を待機させ暗殺するよう命じていたのです。
そうすれば、源氏の血を引く義経を抹殺できるどころか、
比叡山の荒法師・弁慶が義経を切る事で、源氏と比叡山の仲を裂く事ができるという、
一石二鳥の策略だった訳です。
まぁ、そこはどうでもいい話ですが、
気になったのはそこからです。
義経が時忠邸を出る時、時忠の娘・夕花姫がこっそり家を抜け出して来て、
「何が起きるかわかりませんから、これをどうぞ」
と、義経に羽織と下駄を渡し変装させるんです。

この日、夕花姫と義経は初めて会っている訳で、
時忠が暫く席を外す間、義経の接待をしたのが夕花姫だったのです。
その短いひと時の中で、夕花姫は義経に恋しちゃったんですね。
悪名高く傲慢で宮中にも敵の多かった時忠を父に持った夕花姫は、
父よりか随分と細やかに気の遣える女性で、
敵対する源氏の子息であろうと助けようとしてしまうところ、
その剛胆さは父以上だったのかもしれません。

父・時忠は「平家にあらずんば人にあらず」と言い、
娘・夕花姫は「女にとっては源氏も平氏も関係ありません」と言うのです。
夕花姫は、まさに興隆した平家一色のお嬢様育ちで、何不自由なく育って来た人なのに、
こんなに人間的な平静な目を持つ事ができたのは、素晴らしい奇跡だなぁと思うし、
こういう女性に、僕なら魅かれるな。
初めて会った義経の事が心配で一生懸命屋敷を抜け出して助けようとするなんて、
なんて魅力的な女性だろうと思う訳です。

結局、夕花姫が授けた変装は弁慶に見破られ、失敗。
でも、弁慶は義経に出し抜かれあっさり家来になってしまい、時忠のもくろみも失敗。
時忠父子の想いはいずれも意外な方向に運んでしまい、的が外れるのですが、
もっと意外な方向に進んだのは、
ぞの何年か後に、夕花姫と義経が結婚する事になった運命です。
敵対する平家の姫を源氏の義経が娶る事になるなんて、
この五条大橋の時点では天地がひっくり返るほどに想像のつかない事でしょう。

この二人の共通点、
義経は兄・頼朝に疎んじられて葛藤があったし、
夕花姫は父や平家一門の考えと、自分のまっすぐな想いが寄り添わない葛藤があって、
そこが二人を寄り添わせたのかもしれません。
これはあくまで、僕の勝手な予想ですから、本人達は政略結婚と諦めていたかもしれません。
でも、このラブストーリーは元旦のけだるい朝を、
色っぽく彩ってくれる物語でした。

そんなこんなの元旦の布団を出て、
外に出ると「ひゃっこい!」今日はまた一段と寒かったですね。
でも、頭の上に銀杏の黄色い枯れ葉が落ちて来たりして、
「ムフンッ?」
冬、なのか?
2008年は僕のペースで歩き出しました。


[ 2011年〜2010年/ 2009年/ 2008年/ 2007年/ 2006年/ 2005年/ 2004年/ 2003年/ 2002年 ]