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2007年の締めくくり 2007/12/30
明日はBig Mouthで年越しライブに参加するので、
酔っ払って、酔っ払って、
とても慕夜記を書けるような状態じゃないだろうと思いますので、
今日、一日早めに2007年を締めくくろうと思います。


この2007年が始まる時、
僕は『継続』を一年間のテーマとして掲げました。
それは自分自身を改革しようという気持ちが強かったからです。
どこかで性根を据えて、物事に取り組めるような人間にならなければいけないと、
僕は僕に求めていたところがありました。
唄、ステージ、生活、人格、
僕にある全ての要素の中核を強く太く作り上げたいと思っていました。
そこで、僕がその第一の柱として挙げたのが『継続』でした。


そこから、慕夜記が始まり、インターネットラジオ31rpmが始まり、メルマガが始まり、
ステージをつなげ、北海道に行っては人とつながり、
少ない荷物で歩いて来ましたが、
そのリュックの中に唯一入っていたものは『継続』、
ただ一念にそれを大事にしてきました。


『継続』によって、僕は大切な何かを取り戻す事ができるだろう、
『継続』によって、僕は一つくらい確かに言える事が持てるだろう、
そう信じて2007年を過ごして来ました。
僕にとって一年を象徴する言葉ができるのは、生まれて初めてです。
確かな実感の中で、『継続』できた年だと思います。


夏を迎える頃には、
次第に自分が今までよりはっきりものが言えるようになったと感じましたし、
次第に物事への覚悟が早くなったように感じました。
そして何より、自分が如何に人が好きで、
人とつながっていく事に大きな幸福を感じるんだと自覚しました。
それは何をおいても『継続』、
『継続』による効能であったと思います。


確かに、一年の中で、私生活に失ったものもあったし、
積み上げ切れない自分の弱さもありました。
でも、一つの目標に向かっている分、
その弱点さへもはっきり見る事ができました。
ふわふわと場当たりで生きていては見えないものを、
今年は見つける事ができたと思います。


今年は『継続』によって、蓄えれたものが沢山になりました。
来年は、それを自らのアイデアで発光させる事が必要だと感じています。
自分のアイデアを、自分なりの色彩で輝かせる為に、
沢山の興味を持ってアウトプットを見出していきたいという目標があります。


人の中で、人の温かみを実感した一年、
その締めくくりを一人ポツンとパソコンに向かい感謝しています。
各ライブ会場に足を運んで下さった方々、
毎晩、毎朝、このホームページに来て、慕夜記に想いを馳せに来て下さった方々、
毎月、インターネットラジオ31rpmに耳を澄まし、共に笑ってくれた方々、
その心に、僕は感謝の一言のみで、
ひたすら、「有り難う」と繰り返します。


この2007年、みなさんの貴重な時間と気持ちを、
少しずつ山口晶に割いて下さって、
心から、
心から、
感謝しております。
この一年間、本当に有り難うございました。


また新しい一年に、僕は心底を使って、
みなさんのところまで、その光をお届けしていきたいと思います。
2008年も、どうぞ宜しくお願い致します。


2007年 12月30日締め  山口晶
   

僕が放っているオーラ 2007/12/29
寝起きの体温というのは、なっかなか上がりません。
僕の場合、目を覚ましてから布団を出るまでに30分は要します。
何事も機敏な行動ができない性分ですので、
布団を出てからも、一向に一日の始まりがはかどりません。
のそのそと無駄な事を考え、無駄なところにこだわってみたりして、
いつも出掛けるまでの時間を充分に取っているのですが、
いつも出掛ける頃には大慌てです。


起きて、まず風呂に入り、
歯を磨きながら『歯が真っ白になる歯磨き粉ってないかなぁ』と考え、
考えていたらシャワーの頭を見上げたまま、ぼーっと立ち尽くしていて、
「あかん、あかん、準備せんと」
と、ぐしゃぐしゃ頭を洗って、風呂を出ます。


風呂から出ると、とっても寒いので、
ハロゲンヒーターの前にかじりついた状態で、
べたべたと保湿液と乳液を身体に塗り込みます。
塗り込みながら『とびっきり上等なハチミツを舐めてみたいなぁ』と考え、
気が付いたら右足の膝っ小僧にいつまでも乳液をこすりつけていて、
「あかん、あかん、服を着んと」
と、身体の他の部位は適当に塗って終わります。


服を着る時、一日の寒さを想像するのですが、
ついつい『今日は、今日こそは、極寒の一日となるだろう』と考え、
あれほど重ね着は自重しようと誓っていたのに、
一枚、また一枚と次々に上着を重ねてしまいます。


ジーパンを履いて、さぁ完成。
出掛けようかとカバンをぶら下げ、キッチンを通り過ぎようとすると、
コーディロイのズボンが目に入って、
さほど意味も趣向も持たないまま、何故かズボンを履き替えてしまいました。
姿見に自分を映すと、その意味のないお色直しがむなしい姿となって見えます。
「俺って、ゆるいオーラを放っているなぁ」
しみじみしていると、時間ギリギリの玄関前。
金魚に「行ってきまーす」と言い、
バタバタと出掛けていきます。
履き替える前のジーパンのポケットにSUICAを入れたままなのにも気付かずに。


結局、無事に一日を終えてみると、今日は寒く、雨も降りました。
帰宅後は帰宅後で、目の前に漠然と広がる夜の時間に、
所在なくウロチョロ、ギター弾いたり、ぼーっと考え事をしたり、
こうして僕のゆるいオーラは、今日も磨きがかかっていくのです。

   

正義の刃 2007/12/28
朝、眼を覚ますとテレビが点いていて、
画面ではパキスタンの混乱が映っていました。


男性が泣きながら友人を捜していて、
その友人はどこにもいないようで、
いかにもオロオロしているのが判りました。


それを眺める僕は、寝惚けながらも、
こういう男の涙は見たくないな、と思いました。


悲し過ぎるよね。


何で殺しちゃうんだろうね。


お互い家族もいれば、友人もいるのにね。


やられたらやり返しちゃうんだろうね。


人間の争いは矢っ張り収める事ができないんだろうかと、
暗澹たる思いでいました。


こういう時、矢張り自分に置き換えて考えるのですが、
もし突然自分の身内や仲間が、
人によって理不尽に殺されてしまったら、
僕はどこに自分の想いをぶつけるのだろう?
悲しみを、怒りに変えてしまうだろうか?


以前、ニュースで見たのですが、
娘を通り魔に殺されたお父さんが会見で、
「精神鑑定によって司法が何もできないんだったら、私と息子で犯人を殺す覚悟がある」
と涙を噛み殺して話しているのを見ました。
聞き方によっては恐ろしい考えですが、
その時、僕はそのお父さんの想いに同感しました。
実際に行動するかどうかは置いといて、
その悲壮な覚悟は当然持つだろうと思ったのです。
つまり、僕もきっとそうするだろうなと思う訳で、
人間として、自然な心理だと思ったのです。


ただ、これを正義と自分で決めてしまったら、
ここに悲しみの連鎖が生まれます。
人を傷つけて、主張できる正義なんて、
一つもないんだと思います。
相手がどんな凶悪な罪人であっても。


今回のパキスタンの事件、
自爆テロと聞きましたが、
それが主張したものは、
母は自分の子を殺されたら、血まみれの子を抱いていつまでも呼び続けるという事で、
子供は自分の父親を殺されたら、姿を捜していつまでも泣き彷徨うという事です。
誰もが簡単に判るこんな悲しい風景を、
人間の思想や宗教を押し通す理由にはできないんだよな。
そこには矢張り正義は存在しないんだと、
よくよく肝に銘じておかなくちゃいけないんだと思いました。


僕は、
平和を願います。
   

こよなく愛する話 2007/12/27
24日のイベント『キャシーズラウンジ』で、
事務所の社長が、
「出目金をこよなく愛する男・山口晶」
と紹介してくれたのは、矢張り僕にとって最大の賛辞だなと、
今、しみじみと水槽に向かって顔を突き出し思うのです。


出目金が二匹、
僕が帰って来たら、寝ぼけ眼でフワフワ泳ぎます。
僕はそれを眺めて、
「いや〜可愛い!お前等は本当に可愛いなぁ!」
と、キャッキャと笑っているのです。
常人にはない行動かと思います。


兎に角、稚魚のうち出目金ってのは、
目の割合が大きくて、
今にもコロンッと転がりそうなでっかい目をぷるぷるさせているのです。
まぁ、そこがとっても愛らしくて、
帰宅後暫くは水槽から離れられないのですね、
まさに出目金をこよなく愛しています。


今夜の食事は簡素にすませて、
溜まっている原稿の宿題を仕上げました。
あれこれと結構精神を振り絞って原稿を書くと、
普段はすぐにお腹が減ってしまうのですが、
今日は遅い昼飯をガッツリと食べ過ぎた為か、なかなか保っています。
そう、今日僕はマクドナルドでメガタマゴのセットなるものを初めて食べたのです。
昨今の健康ダイエットブーム、アンチ・メタボリックの風潮に反して、
こんなにも野方図にカロリーを摂取させるメニューを出して来るあたり、
マックには感心せざるを得ませんでした。


ただ、とても喰い切れたものじゃなかったですね。
セットなので、ポテトもM、珈琲もMで、
さすがにあんぐり、喰い疲れを引き起こしました。
途中から食べる事がプレッシャーになるようなメニューを出して来るあたり、
マックは硬派なファーストフード店ですね。


僕は何とかそやつらを喰い散らかして、食後の一服。
煙草をプッカ〜ッとくゆらせながら辺りを見回していると、
みんな携帯電話をイヂくっていたんです。
もしくはポータブルゲーム機をやっている。
高校生のカップルは、二人仲良く肩を並べてゲームに熱中していました。


この光景って、矢っ張り違和感を感じます。
何て勿体ないんだろうと、僕は感じます。
文明がジリジリと僕等の可能性を浸食しつつあるな。
人はどんどん、どんどん、文明科学に支配されていきます。
今や、ゲームでペットを飼って安心している人がいる。
それって、寂しい話だよね。


そんな寂しい風景を見ているのは退屈で、
僕は煙草を吸いながら、水族館の本を眺める事にしました。
沖縄の美ら海水族館に行ってみたいなぁ…。
そして、僕をときめかせた水族館は、
香港に金魚だけの水族館があるそうなのです。
そこ!そこに行ってみたい。
本場、中国の金魚達を是非見に行ってみたい。
僕の飽くなき金魚への愛情は熱を増すのです。

   

練習 2007/12/26
割と真剣にギターを練習する図



結局、何だかんだで気に入っているこの衣装、

この年末の寒さにも負けず、とっても温かく、暖房要らずなのです。

汗を掻くほどです。

この格好で部屋をウロウロ歩き回っています。



注)鹿じゃありません






2007年の仕上げに頑張ってます


   

マルデダメオ 2007/12/25
今日は一日、ほっとして寝たり起きたり、
ちょっと出掛けたり、ハロゲンストーブの前にうずくまっていたり、
兎に角、ゆっくりできた休みになりました。


今日こうして一日、だらだらとマルデダメオを出来たのが、
随分久し振りに感じます。
ここんとこ、一日何もしないという日はなかったなぁ。
僕にしたら、珍事ですこれは。


何もしないという事は、本当に何もしないという事で、
テレビが点いていようが、一向に見ていません。
何もしないという事は、本当に何もしないという事で、
机の上に、適度にお菓子を置いておいて、
時折、バリボリ食べて空腹をしのぐのです。
何もしないという事でも、好きな事はします。
ギターは矢っ張り弾いちゃうんですね。


以てマルデダメオの一日が完成。
あまりにも何もしなかったので、一日にトピックスがありません。
せめて何か彩りを加えようと思い、
トナカイの着ぐるみを着てみました。
僕が予想していた通り、とっても温かい。
ハロゲンなんか点けていたら熱過ぎます。
まさに暖房いらず。
気に入って、夜はずっとトナカイでいました。
その間、何かをする度、
首元の鈴が鳴るんですが、
首元で鳴っている割には、案外気になりませんでした。
なるほど、ドラえもんの鈴も、本人はあまりうるさいとは思っていないんだな、
なんつって感心しました。


あぁ、いかんいかん、
何もしないというのに、頭を使ってしまった。
今日はマルデダメオなのです。
もう、一切を脱力して一日を終えます。

   

Merry Christmas!! 2007/12/24
クリスマスイベント
『キャシーズラウンジ』
にお越し下さって、有り難うございました。


僕にとっても、
2007年の唄い納めの日に、思い出深いライブになりました。
2007年、色んな会場に足を運んで下さった方々、
また、色々な場所でお世話になった方々に心から感謝しております。
本当に有り難うございました。


24日に夢が叶いました。
それは、念願だった着ぐるみを着れた事です。
トナカイになって、しかもステージに上がれるなんて、
そしてそのまま唄うなんて、
長年の夢でした。
テンションと体温が上がりっ放しでした。
こういうコスプレなら、何度でもしたいなぁと思います。
ただ、本当に着ぐるみが暑くて、結構体力を奪うものでした。
これを体験してみて、
遊園地やデパートで着ぐるみを着て働いている人って大変だなぁと実感しました。


トナカイの衣装は、もらって帰って来ました。
これだけ暑い衣装だという事は、ここからの冬、
僕の家の寒さに耐えるにはいいんじゃないかと思いまして。
この冬、自宅で僕はトナカイになっている事が多いと思います。
暖房いらず、省エネで、地球に優しいトナカイになります。


『キャシーズラウンジ』というイベントで、
初めて事務所の全アーティストが同じステージに上がって唄う事が出来たのは、
きっとみなさんが想像する以上に、
アーティスト達自身が、レアな喜びを感じていると思います。
実際、僕はステージの袖でそれぞれのアーティストのステージを見ながら、
その喜びを噛み締めていました。
みんなでイベントの目的に向かって、ステージに心を費やして、
準備、転換、事務所全体で一つに向かっていく中にいれて、
キャシーズソングという事務所は本当にいい事務所だなぁと思うのです。
ここにいれる事に、感謝を感じずにはいられません。
大好きですね。


さぁて、2007年は無事に唄い続ける事ができました。
これはひとえにライブ、ホームページ、インターネットラジオ等、
色々な場所で、僕の唄を楽しみにして下さった方のお陰です。
本当に、有り難うございました。
もうそろそろ、来年の事を考え始めようと思います。
来年の自分なりの展開を考えて、
計画を立てて、2008年の夢を持って、
2008年の夢を叶えたいと思います。


いやぁ、まずは2007年、お疲れ様、to 自分。
   

溺愛 2007/12/23
「本当に金魚って可愛いなぁ…」
昨日からの、実にシミジミとした実感です。


今日は、明日の『キャシーズラウンジ』イベントの為の最終リハーサル。
半年ぶりくらいに、みき姉さんと顔を合わせる。
「お久しぶり〜」
あぁ、明るい笑顔。
元気そうで、
ほぅっこり。


スタジオに入って、
早速に音を出し、音を合わせながら、
一歩ずつ確かめるように呼吸を思い出していく。
気持ちが合わさって、演奏は気持ちの良いボルテージを奏でて、
俺は上機嫌、上機嫌、上機嫌、上機嫌、
何度でも、言いたい、上機嫌。
こんな嬉しい事はないよな。
明日、みき姉さんとのタッグ復活。
俺は上機嫌、で嬉しがっている。
明日、代官山に来た人は得をする、必ず上機嫌になれるよ。


帰りは久し振りに黄昏ワゴンの中、
社長の運転、みき姉さんと僕、この三人で動物の話。
「動物園で一番ときめく動物は何?」
という話題になって、
みきさんはレッサーパンダで、僕がパンダ。
狸と熊ほどの違いがあるけど、パンダという名前を頂いた動物。
矢っ張り、古今パンダの人気は変わらじ、といったところかな。


そして話題は家で飼えるペットの話に移り、
僕に「うさぎを飼ったら」という事になったけど、
僕の場合、金魚を飼ってみて自分でも気付いていなかった、
溺愛の一面があるので、
うさぎなんて飼ったら、また異常に溺愛をしてしまいそうで、
結構、それが自分でも心配なんだよな。
僕、卯年だし、性格も合いそうだけど、
何しろ自分の愛に溺れそうだから、もう少し考えてみようかと思います。


まぁ、そんなこんなで明日には今年最後のライブ。
メリークリスマス、
メリークリスマス、
メリークリスマス。

   

クルクルパー…ティー 2007/12/22
何とか部屋の片付けも終わり、
無事に大勢にたこ焼きを振る舞い終える事に成功しました。
たこ焼きパーティーって、
みんながせっせとたこ焼きをクルクルしていて、
ちっさなプレートに頭を突き合わせる感じが、
和気あいあいとしていて矢張りいいですね。


会話もクルクルと回っていて、
それぞれがコロコロと笑う表情を見て、
単純に幸せな気分になるもんです。
そんな中に、ポロリ本音も落ちていたりして、
たこ焼きを食べると人は正直になるようです。
魔法の食べ物ですね。
僕にとってたこ焼きは、この世で一番のご馳走です。
たこ焼きを転がして、ま〜るくする作業は、
心もま〜るくするのでしょうね。
この世からたこ焼き以外の食べ物がなくなって欲しいとさえ思います。


そして今夜から、
僕の家に新しい金魚が引っ越して来ました。
二匹の出目金。
赤と黒。
名前は、
メンデルと、
ゴスロリにしました。


まだまだ稚魚で、先代のメンデルやゴスロリには及びませんが、
家の水槽の中で元気一杯です。
今日は、その水槽の中を見て、
何度も幸せな気分になりました。
矢っ張り、可愛いなぁ。
大好きです。
色んな失敗を重ねながら、金魚とは愛情でつながって来ました。
その失敗を糧にして、よりよい金魚ライフを演出していたいと思っています。


僕は家に戻ると必ず、水槽に顔を近付けて、
「ただいまぁ」
という癖がついています。
その相手がいる悦び。


幸せな生活の始まりです。

   

年末、大掃除 2007/12/21
かねてからの懸案であった部屋の掃除、
そいつにやっと取りかかる気分になった。


あまりに無頓着に散らかった部屋は、
思った以上に無駄が多い状態だった。
カラーボックスの中身、そして位置、
ベッドの向き、色合い、
これを少し見直すだけで、
部屋は随分効率のいいスペースが空いて、
部屋が結構広くなった。


最初はその当時の部屋の効率があって、
その為のスペースが空いていたんだけど、
結局、月日が経てばスペースの用途も変わり、
意味のないものになってしまう。
掃除や模様替えって、矢っ張り必要なんだなと実感しました。


ただ、あまりに汚い部屋だったので、
片付けるのに一日以上の時間を費やす事になり、
結局、今の今、朝まで掛かって片付けをしていたというのは大変です。
物凄く疲れました。
で、片付け掃除が完全に終わったのかと言うと、
そういう訳でもなく、
まだキッチン周りや、掃除機がけ、洗濯など、
詰めの作業が終わってないのです。
もう、今日は諦めて眠る事にしました。


僕が何故、この掃除を思い立って、
気力を振り絞って掃除をする気になったかというと、
明けた本日22日に、大勢の来客があるからです。
たこ焼きパーティーをしようと企んでいます。
拙宅に今まで入った事がない大人数ですので、
兎に角、スペースを空ける事をテーマとしています。
そして、今回空けたスペースを、後々も有効利用できるようにしようと、
躍起になっております。


さぁ、来客の時間までに間に合うのでしょうか。
とっても不安な、年の暮れ、
大掃除の一日です。

   

半ケツへの道 2007/12/20
今夜は半ケツが夜空に煌々と輝いていました。
それなのに、星もチラホラと、
いつもより沢山見えて、
つまり今夜の空はとても澄んでいるんだと判りました。
全ての光が、クリアに目に届いていました。
何だかとっても半ケツが明るい。
僕の想像はとってもチープ。


今日、目覚めと同時に吉報が入った。
吉川みきさん、
みき姉が24日の『キャシーズラウンジ』イベントに参加できそうだという話。
本当に強い人だなぁ。
何度だって音楽に帰って来る。


好きな事、
そして続けるという事、


上手くいかない時、
でも、続ける時、


その好きの道、続く道は、
一様に語れない苦悩の継続でもある。
人それぞれに苦しみ、でも好きな事に魅せられ、
何度でも輝く月を見つけ出す事が出来る。
幸いなのは、その道を知った事で、
苦悩を背負って苦しい事はその一端にあるものだ。
幸いなのは、その道に居続けれる事で、
途切れそうな恐怖は、その道の一要素でしかないという事だ。
音楽という自分だけの宝を知り、
それによって何度でも生を輝かす事が出来る。
それを知れた事は、幸いというほかない。
その幸いが見つからず、
迷い、足を止める人も多い筈だ。


自分がどんなに苦しんでも、
自分がどんなに退屈になっても、
燦然と輝き続ける好きな事に気付いていれば、
どこからでも生きていられる。


夢や、やりたい事、好きな事って、
新しく見つけるものではないと思う。
夢や、やりたい事、好きな事とは、
大昔から自分に内在しているものに気付くかどうかだと思う。
夢や、やりたい事、好きな事って、
初めから自分の身体の中に刻み込まれているのだ。
夢や、やりたい事、好きな事がないと言ってしまう人は、
夢や、やりたい事、好きな事に気付いていないだけなんだ、
もしくは、形にこだわって、勝手にやっていけないものとしているだけなんだ。
喰っていける、いけない、という判断も、
好きだという原点を自覚していれば、どんな形でもやっていけるのだから。
本当の幸いだ。


半ケツが夜空に輝いて、
空気が冷たく澄んでいる。
輝いていなくても、
見えなくても、
無数の星はこの夜に必ずいる。
雲一つない空に隠されている。
要は、気付くか、気付かないかの問題なんだ。
本当の幸いへの扉を開ける鍵は、
生まれた時から持っているものなんだ。
   

Clean the room 2007/12/19
ここんとこの殺伐とした時間に、
何となく気を取られ、
バタバタと仕事をしたり、また眠った部屋は、
いたく散らかってしまった。


ここ一ヶ月、
僕は部屋に対しての意識が薄く、
何がどこにあって、どこに落ちていて、どこの隙間に隠れていようとも、
一向に気にしてこなかった。
こなかった結果が、足の踏み場もない状態。
飯を喰って、
ギターを弾いて、
慕夜記を書いて、
眠る。
部屋はその繰り返しの為にしかスペースを空けていない。
山口の部屋をどげんかせないかん。


という事で、今夜部屋の掃除でもしようかと思い立った。
さあ、何から手をつけるか考えながらギターを弾く。
どうしよっか…、
どうしよっかなぁ…、
If I can change the world…どうしよっかなぁ、
If I can clean the room…どうしよっかなぁ。
で、考えて、弾いて、考えて、弾いて、
弾いて、弾いて…。
結局、朝になる。
結局、眠くなる。
結局、散らかっている。


また、明日にしよう。
また、明日はしっかり片付けよう。


と、かれこれ4日間、同じような夜を過ごしている。

   

幸福の体型 2007/12/18
食欲の秋という定説に反して、
僕は今年の秋にあまり食欲がなかった為、
この冬のドツボにに至って、旺盛な食欲を発揮している。
冬眠中の生き物達には、さだめし恨めしい事だろう。
家に戻って来て、晩ご飯を食べようとすると、
ついつい必要以上に食べてしまう。
食べても、食べても、食べたい年頃。


これはきっと、今、食事が一番の楽しみだからだと思う。
勿論、生活の中には沢山の楽しみがあって、
一日たりとも、一時間たりとも退屈な時間なんてないんだけど、
至福の悦びを得るのは、矢張り食事なのだ。
あぁ、今も尚、食べたい。
食べても、食べても、食べたい。


ストレスで過食に走る人がいるらしいけど、
僕の場合は、開放感で過食に走りがち。
気持ちが少しずつ自由を得て来ると、
まず以て、好きなものをたらふく喰らいたくなる。
布団に寝っ転がりながら、
映画を見て、お菓子を食べまくるという想像が、
僕が思う、今最もやりたい幸福な事だな。


食事というのはとても幸福な事だ。
だからダイエットなんて、何ともバチあたりな事だと思うし、
メタボリックは、幸福を具現化した体型だと思っている。
何があっても、どんなに貧して喰えなくても、
お腹だけは何とか満たしていたい。
空腹ほど、悔しく寂しいものはないと、
僕の身体は覚えているのだ。


よく女の子が、
「あ〜あ、痩せなきゃ、ダイエットしなきゃ」
なんて独り言を言っているのを聞くと、妙に悲しくなる。
いちいち、体型なんて気にしない方がいいのにと、いつも思っている。
今のまんまで、滅茶苦茶可愛いよ。
今のまんまで、充分綺麗だよ。
今のまんまで、とっても優しい人に見えるんだよ。
一切、痩せようなんて思わないで欲しいと、
僕はいつも密かに願っている。


今日の僕はまだ、食べたがり。
食べても、食べても、食べたいのだ。

   

じゃあな、またな、俺のファミリー 2007/12/17
夜、本当によくギターを弾くようになった。
こないだのd-dealer.netのクリスマスライブの後も、
家に戻ったら、朝までギターを弾いていた。
ギターを持ち始めたのは、保育園の年長さんの頃だったから、
かれこれ27年、途中野球に夢中でギターを弾かなかった時期があるにしても、
20年はギターを弾いて来ている。
さほど技術は向上しないのだけど、
よほど僕はギターが好きらしい。


ギターは僕にとって夢のあるおもちゃ。
ずっと飽きる事なく、僕を色んな夢に連れて行ってくれる。
ここ数日、僕は『Key to the highway』を弾きまくっている。
まさに僕にとってのギターは、
世界と僕を結ぶHighwayの、Keyなんだ。
僕の生活にはギターによる人とのコミュニケーションが大きな役割を持っている。
「I got the key to the highway」
何だか毎晩、悦に入って唄っている。


ギターを持っていると、退屈な時間が一切ない。
ギターを持っていると、いつも好きな子の前にいる気分になる。
ギターを持っていると、いつでも好きな国に行ける。
ギターを持っていると、昔のライブから未来のライブまで、
タイムスリップしてステージに上がる事が出来る。
ギターさへ持っていれば、何も寂しい事はない。


朝がやって来て、僕の右手の中指と右肩はパンパンに硬く腫れ上がる。
うろうろ自転車に乗り、近くの公園まで朝の散歩。
我が家の金魚が眠る桜の木に行く。
煙草を吸いながら、一匹一匹の思い出を頭に呼び戻す。
ハラハラと寒い朝なのだ。
金魚が眠る土が、湿っている。
柔らかい土から、たくましく生えた桜の木。
何度か頭を下げて、家路につく。
寒いから散歩は終わり。
じゃあな、またな、俺のファミリー。
心から愛しているよ。

   

チンドン屋 2007/12/16
今日、人との会話の中でときめいた言葉と出会った。
「ウチのカミさんはチンドン屋をやってます」
これに僕は目を輝かせた。


僕はチンドン屋自体が、ドラマや映画の中での話で、
失礼な話だけど、職業として未だに存続しているとは思っていなかったから、
新鮮な驚きがあった。


チンドン屋とはつまり、お店の宣伝、呼び込み、お祭りなどでのお囃子をやり、
派手な衣装で太鼓や笛やラッパを鳴らし、口上を述べるものかな。
現代のチンドン屋が具体的にどんな事をしているのかは、詳しくは知らないけど、
だいたいそんなイメージで間違いはないと思う。


一つ芸を武器に、世の中を生き抜いていくって、
矢っ張り大変な事ではある。
昨日の慕夜記にも芸人について書いたけど、
芸人というのは常に、芸と紙一重で喰っていけるかという課題を抱えている。
その課題は、芸を肥やしもするし、殺しもする。
大きなエネルギーであり、根拠でもあると思う。


芸人一匹生きていくだけでも、それは困難な道だから、
まして、結婚ともなれば、
二の足を踏む芸人は多い事と思う。


「喰わせていけないから、結婚はできない」というのは大きな勘違いかもしれない。
芸人は、いつでも簡単に収入がストップする。
ポンと不必要な存在になり、捨てられればそこまで。
明日をも知れないもんだと、何となくは僕も実感している。
そして人生の途中では、何度も何度もそんな憂き目に遭う。
いつでも「喰わせていけない」状況に陥る事ができるのが芸人だと思う。
でも、それはごく当たり前に覚悟に入れておかなければいけない事だから、
取り立てて障害だと思ってはいけないのだと思う。
今まで、不安定を理由に結婚を惜しむというのはナンセンスだと僕は感じていた。
むしろ、結婚すべきなんだと思う。


とにかく色んな工夫をして生きていかなくちゃいけない。
食べれない時が明日にでも来る、
芸人が結婚をしているのなら、
二人が互いの芸を尊重し合って、食べていく協力体制を作らなくちゃいけない。
どんなドン底の時でも、相手の芸を認め、
「この人に、この芸を続けさせなければいけない」
という思いを基本にして、生きていく方法を考えなくちゃいけない。
それは男でも、女でも、どちらが折れるとかいう事でもなく、
平等に協力し合い、また平等に互いの芸を続けなければいけない。
自分の芸ばかりを見ていてもいけないし、
自分の芸を忘れてもいけない。
そのバランスは各家庭で絶妙に取らなくては行けない。
あるものがないものに足し、
折々で仕事のある方と、仕事のない方が補い合っていかなくちゃいけない。
それを覚悟し合った二人というのは、
正しく強力なカップルだと思う。


チンドン屋の奥さんを持つ、同世代の男を目の前にして、
独り身の僕はもっと芸人としての自尊心を持つべきだなと思った。
チンドン、ピーヒャラ、賑わしく、
芸人の自尊心をやかましく打ち鳴らして大通りを練り歩かなくちゃいけない。

   

芸人 2007/12/15
僕の習性として、出掛ける1時間前には起きる、というものがあります。
これは習性として身に付いて来ました。
1時間前に目を覚まして、ザバッとシャワーを浴びて、
パタパタと用意したら、
「ハイ、行ってきます」
この習性によって、色々は場面での遅刻が減りました。


ただ、習性ですので、
融通が利きません。
今日のようなライブがある日に、
出掛ける2、3時間前に起きたいと思った時は、返って苦労します。


僕が布団にもがき苦しむ姿は、
あたかも、リングの上でダウンしたボクサーの様。
10カウントの間に布団から這い上がろうと必死です。


また、僕が布団にもがき苦しむ姿は、
あたかも、生まれたてのバンビの様。
プルプルと足を振るわせて立ち上がろうと必死です。


そんな困難を克服して僕はいつもライブに行く訳です。
さて、今夜は31rpmがお世話になっているd-dealer.netのクリスマスイベント。
ステージに頂いた時間が1時間でしたので、
いつもより多く曲目をやる分、不安もありましたが、
蓋を開けてみれば、1時間をオーバーしてやっていました。
楽しいライブだったなぁ。
なかなか、ライブで人の曲のカバーって思いっ切り出来ないのですが、
今日はTom Waitsの『ol'55』やってみて、とても悦に入りました。
これからも、ライブのラインナップにカバー曲をチラホラ入れていきたいなぁなんて、
欲もかきそうです。


今日のライブの司会進行をやってくれたカシスウーロンのお二人に感謝したいね。
音楽とお笑い、という異業種ですが、同じサービス業。
矢張り『芸人』というところで、僕は共感を覚えます。
人前で何かの芸を魅せようとする時、そこに一人のお客さんしかいなくても、
普段の2倍、3倍のエネルギーがいります。
上手いテンポで回っていく時間、またそうでない時間、
その中で、得ていくものって、
2倍、3倍の喜びがあり、
また2倍、3倍の深さで傷付く事もあるのです。
「笑い」を芸にするって、素晴らしい事と思います。
まず、「お笑い」をやっていこうと思えるだけで、一つの大きな能力だと思います。
だいたいの人は、自分が少し面白い事が言えると思っても、
「お笑い」までは二の足を踏んでしまうでしょう。
それは矢張り、ステージもしくは舞台という恐怖感だと思います。
そこを覚悟して、上がろうとした芸人ってのは、
何しろ、僕は尊敬します。
本当に気持ちのいいお二人でした。
俺も頑張ろうって思ったなぁ。


そんな事を考えて家路。
地下鉄の駅から、地上の棲み家へ。
お〜サブイ!ここ二日間で、冬がやっと冬眠から目を覚ましたようです。
ん?冬の冬眠?なかなかいい表現ね。
とにかくサブイ!
こりゃ風邪に要注意だな。

   

慕夜記再開 2007/12/14
慕夜記を休んで、静かな日々が続くかなと思いきやそうもいかず、
バッタバタの一週間でした。
頂いたメールや電話を、なかなか返せなかったり、
バッタバタかぁ。


慕夜記を休みにした次の日、
家に帰って来てから、考えていた以上に時間がたくさんあって、
「あれっ?俺、この時間どうやって使ってたっけ?」
と、不思議に思いました。
それほど、慕夜記に対して夜の時間を費やしてきたんだなと実感しました。


慕夜記を休むと、
一日の中で発見した事が、全部自分の秘密の出来事になって、
それはそれで、一人でクスクス楽しみました。
電車の中で、ザビエル刈りにしているオッサンを目撃したり、
電車の床にチロルチョコが幾つも散乱しているのを目撃したり、
そのチロルチョコを嬉しそうに拾い上げている男を目撃したり、
何故、女の子の吸う煙草はメンソールなのか真剣に考えたり、
『けんちん汁』は全国共通の言葉なんだろうか真剣に考えたり。
楽しい一週間でした。


ただ、31rpmやライブや、何やらで、
あっという間に夜は仕事に費やす事になってしまい、
眠る間もないというような状態になってしまいました。


また、明日もライブです。
とにかく24日、『キャシーズラウンジ』のライブが終わるまではこんな感じで、
慌ただしく、過ごしていくのかな。
その間、如何に疲れて寝不足でも、
目はいつも綺麗にしておきたいね。
綺麗なレンズで色んなものを見ていたいなと思います。


さぁて、慕夜記の再開か。
   

お久しぶり 2007/12/13
みんな、お久しぶり!!


僕は元気でやってるよ!!


ただ、昨日とその前、二日間は結構頑張って31rpmを作ってて、
二日間で3時間しか睡眠を取れなかったんだよ。
それ以外の時間は、掛け値無しに仕事しっぱなしで、
昨夜、家に帰って来たら、瞬間に意識を失ってしまいました。


今日、これから出掛けて、24日の『キャシーズラウンジ』のリハーサル。
そして、その後はBig Mauthでライブ。
みっちりした濃厚な一日を迎えると。
そんな気配もなく、我が家は静かで穏やかに雨音らしき物音に耳を澄ませております。
じゃ、ライブで会おう。
待ってるね。


慕夜記は明日、また落ち着いて書きます。
待たせたね。
ゴメンね。
   

お知らせ 2007/12/03
突然ですが、慕夜記を一週間だけお休みしようと思います。
何がある、あった、って訳でもなく、
お休みをしたいというだけです。


僕自身、この一年間の夜を慕夜記に尽くして来て、
矢張り、精神も時間も使って来ました。
それは大切な財産になりつつあります。
そこに皆さんが、毎日こっそり見に来て下さって、
ご愛顧頂いている喜びと感謝は尽きません。


ここ一年間から、学んだ事、得た物、
それを一旦、消化して、
また新たな気力、精神で慕夜記を永続させていきたいと思っています。
連続させるというのがこの一年の目標ではありましたが、
それを消化して、永続させる楽しみとして、
この慕夜記を膨大なものにしていきたいと思っています。
その為の、気分転換、
と思います。


この一週間は、完全に夜を自分だけの為に使って、
また12月11日から、新しい気持ちで慕夜記を継続していこうと思います。


毎日の楽しみにして下さっている方には、
大変、申し訳ございませんが、
どうぞ御理解頂き、またお待ち頂きたいなと思います。



12月3日 山口晶
   

Whole new world 2007/12/01
「ボクモ、ネテナーイ!ネテナーイ!」
とは、例のキテレツな唄を口ずさむ女の子だ。
こんな事を唄ってて、彼女は常に屈託がない。
何においても、誰に対しても平等に的を外しながら接し、
それでいて明るい。
どんなに相手が戸惑っても、彼女は明るい。
沈鬱な表情を隠し切れない僕には、学ぶ所の多い子だと思っている。
今は、何となくこのキテレツさが、僕の沈みかける心を和ませてくれる。


例の喫煙所に行くと、その子がいて早速唄って挨拶をする。
「ホウニュー、ワールドゥ!」
手を広げて唄っている。
僕は煙草に火を点けて考える。
その考えは全く馬鹿げていて、
「豊乳ワールド?また変な唄を仕入れたんか?」
と尋ねてしまう。
親父ギャグにもならない、本気で聞き違えていた。


「違いまっすよ!whole new world!美女と野獣の唄でっすよ!」
本気で聞き違えただけに、結構恥ずかしい事になった。
こんな事をもし慕夜記で発表したら、
僕が築いて来た小さなジェントル精神もガタ崩れに崩れ去るだろう。
もともとその辺の信頼感は、あってないようなものだろうけれど、
アイドルはトイレに行かないの図。
ジェントルマメンはあくまで下ネタに恥じらいを持っていなくちゃな。


そんなこんなの一日が終わっていく。
ふと気付けば、早朝と呼ばれる時間になっていて、
最近はこのあたりの時間に、
漠然とした喪失感を覚える。
寝てしまうべきか、
意地でも起きているべきか、
悩みはつきないのである。
Whole new world!!
探しまわってはいるのだけれど。

   

本日は、 2007/11/30
起こして頂いて、有り難うございます。
本日11/30の慕夜記は、お休みします。
楽しみに来られた方には、本当に申し訳ございません。


山口晶
   

I'm A Fool To Want You 2007/11/29
今日の移動中は、
Billie Holidayの『I'm A Fool To Want You』を聞いていたんです。
晩年のBillie Holidayは好きだなぁ。
声は、酒かクスリかなんかで焼けている感じがして、
しわがれているんだけど、
唄いまわしが意外と可愛らしい。
波乱に満ちた人生を思い出すかのような唄い方っていうのかな、
悲しい魅力があるね。
その声で、
『Im a fool to hold you
  Such a fool to hold you
  To seek a kiss not mine alone
  To share a kiss that devil has known』
なんて唄われると、思わず息を飲んでしまう。
Billie Holidayの人生を詳しくは知らないけど、
その最後にこの曲が選ばれ、唄ったんだとしたら、
何て悲しく素敵な唄なんだろうと思う。


そんな事を考えていると、
不意に欧陽菲菲の『Love is over』を思い出した。
何故だか思い出して、
また、ずっと頭にこの曲が回ってしまったんです。


僕の場合、
夜のヒットスタジオで晩年の美空ひばりが、
この曲を唄っているのを聴いて好きになったから、
Billie Holidayの『I'm A Fool To Want You』と何となく共通項があるのかな。


しかし、大好きで鼻歌にラインナップされたこの『Love is over』
何気なく口ずさんで来たけれど、
その歌詞に込められた女心は切ないな。
今頃になって気付きました。


『Love is over 悲しいけれど 終りにしよう キリがないから
  Love is over ワケなどないよ ただひとつだけ あなたのため
  Love is over 若い過ちと 笑って言える 時が来るから
  Love is over 泣くな、男だろ、 私のことは 早く忘れて
  私はあんたを忘れはしない 誰に抱かれても忘れはしない
  きっと最後の恋だと思うから…』


出て行け、振り向くなって言ってるのに、
その心では、私は誰に抱かれてもあんたを忘れないよって思っているなんて、
そんな事、女心は思えるんだろうか?
誰に抱かれても、過去の男を思っているって、
僕の中では、女性が持ちにくい湿っぽさかなと思うのだけれど…どうなんだろう。
僕はまだまだ女心がわかってないのかな…。
ま、わかってたら苦労しないけどな…。
でも、それをあえて思った女性がいるとして、
自分から別れていった女性が、
誰かに抱かれながら、自分の事を想っている表情を考えると、
たまらなく切なくて、つらい。


  Love is over 悲しいよ 早く出てって 振り向かないで
  Love is over Mm… 元気でいてね
  Love is over

空に唄えば、なお悲しい響きが、
夕闇を美しく見せるのです。

   

紆余曲折の屁理屈 2007/11/28
自然の中に直線を探すと、
見当たらない。
動物も花も、山も河も、海も空も、
どれもこれも曲線によって描かれている。
直線を使った神経質な物質は、
どれもこれも人間が作ったものでしかない。


そう考えると、
自分の考えを几帳面にする事がどだい間違っているような気がする。
真剣に物事に取り組む事が、直線で割った平坦さでは、
矢張りつまらない。


僕の心は、曲がりくねって完成していく。
あちこちの凸とぶつかり、
そこいらの凹にはまって、
おおよそ一般の直線に沿う事なく、
僕なりの個性を築いていく。
自分の考えを直線で仕切って、物わかり良く生きるなんて、
どだい無理な話なんだ。


神経質な人混みに、押し合いへし合いしても、
空虚な部屋に、考えを持て余しても、
その凸凹な曲線によって、僕は強く完成されていく。


手を広げて、手相を見る。
屁理屈のかたまりのように入り組んだ手相。
生命線は途切れ途切れになって芯は細い。
感情線は、あっちこっちに寄り道ばかりして一貫性を持たない。
頭脳線は短いけれど、三本くらいが絡まっている。


そんな手相を自分で見れば、
どんな高名な占い師よりも自分の事がよくわかる。
そう、
どだい直線が続くような人生もない。
浮き沈みの曲線が、
時間の経過とともに、底上げされていく。
その僕の一生を、この手相はもうすでに知っている訳だ。


僕の心が織り成す曲線の凸凹は、
一切鋭利なものがなく、
あくまでユルク、ユルク、
上がったり落ちたりしている。
だからどんなに色んな経験をしても、
確信を持てるような事は何一つない。
何一つ確信を持てないから、
今も、こうして日々の移り変わりを楽しんでいられる。


僕の人生は、曲がりくねって、
やがて必ず完成するんだろう。

   

カケル、ニ 2007/11/27
人に何かを精一杯伝えようとする時、
それを理解しようとする相手は、
その二倍の精一杯を使ってそれを受け取ります。
いつも自分を理解しようとしてくれる人は、
自分の二倍の精一杯で向き合っている事を、
忘れちゃいけないなと思っています。


僕が精一杯、今ある幸せを伝えようとする時、
理解しようとしてくれる相手は、
その二倍の精一杯を使って、僕が言う幸せを受け取ろうとしてくれます。
僕が精一杯、今ある喜びを伝えようとする時、
理解しようとしてくれる相手は、
その二倍の精一杯を使って、僕が楽しむ喜びを受け取ろうとしてくれます。


僕が精一杯、今ある寂しさを伝えようとする時、
理解しようとしてくれる相手は、
矢張り、その二倍の精一杯を使って、その寂しさを共有しようとしてくれます。


悲しさもそう、面白さもそう、退屈な気持ちさへそう。


だから、
自分が何かを伝えようとする時、
それは精一杯であろうと思うし、
理解しようとしてくれる相手がそれだけの想いを尽くしてくれる事を、
忘れちゃいけないなと思います。


だから、
誰かが精一杯何かを僕に伝えようとしているなら、
僕はその二倍の精一杯で聞き、
その感情を受け止めなくちゃいけないなと思います。


今日、いい言葉を聞きました。
人は許せないものが多いほど、苦しみが増える。
んだそうです。
簡単な言葉ですが、その通りではあるなと思いました。


さぁ、また一日、
また一日と、
寒いけど、身体に気を付けて、
頑張っていきましょう。

   

宮益坂 2007/11/26
渋谷のLOOPに足を運んで下さった方々、
有り難う。


LOOPへ行く為に、僕は渋谷駅で電車を降りたのですが、
そこから久し振りに宮益坂を登りました。
だいぶ前、僕はボイストレーニングに通っていた時期がありまして、
その教室がこの宮益坂の途中にありました。
ギターを担いで登りながら、
とても懐かしい気分でした。


ピアノがある小さな音楽室で、
オバチャマ先生(こんな事は本人の前では言えないですが)と二人で、
よくよく叱られながらトレーニングしていました。
「ちょっと、そんな馬鹿みたいな大声を使わないでちょーだい!」
その当時、兎に角思いっ切り大きな声で発声する事が唄だと思い込んでいた時期で、
声の押し引きを徹底的に教わりました。
そして声の安定を、このトレーニングで得る事ができました。
僕にとって、唄を続けていく為に重要な期間であったと今でも感謝しています。


レッスン自体は厳しく、叱られてばかりだったんですが、
レッスンが終わった後、先生と渋谷駅前の喫茶店に行き、
珈琲をご馳走になったり、パンやキッシュをご馳走になったりしました。
そして、音楽の話、業界の話、世間話をして、
あの時間は、とても好きだったなぁ。


あの頃の僕は、唄う声も、日々の生活も、
バラバラでムラがあり過ぎるほどでした。
それを、どうやって安定させるか、
どうやって聞かせるか、
あのボイストレーニングの中で、意識を固めていく事が出来たんだと思います。


「ちょっと、また馬鹿みたいな大声で唄って!聞いてる方が疲れちゃうわよ!」
あの叱責が懐かしく、ただ、懐かしく、
宮益坂を登りました。

   

イキテルワケナーイ!イキテルワケナーイ! 2007/11/25
夜は昨日と同じ場所で、
矢っ張り煙草を吸いながら、
空を見上げる。


昨日よりかビルに隠れたオツキサマ。
何とか探し当てて、
ほっとする。
「今夜のオツキサマは少し欠けている。
  矢張り昨日は満月やったかぁ…」
ボヤボヤしていると、
冬の風に自分を連れ去られそうになる。


昨日のドタバタした女の子が、
今日も地べたにポーチを置いて煙草を取り出す。
「矢っ張り、昨日は満月やったぞ」
「はぁん…?」
手すりから乗り出してオツキサマを探す。
僕と同じように昨日より捜索に時間がかかっているらしい。
のけぞって、
やがて、ビルの肩にオツキサマを見つける。
「あぁ、そうですね、よかった」
何が良かったのか、
わかるような、わからないような。


その子はすぐに向き直ると、
何事か一人でブツクサ言って楽しそうに笑っている。


「なぁ、昨日のあれ、唄ってよ」
「えぇ?…あぁ、あれですか?」
「おぉん」
「アキタコマーチ!アキタコマーチ!アキタコマーチ!」
「…違うわ、それやなくて、その後に唄ってたやつ」
「…あぁ、あれですか?」
「ほぉん」
「イキテルワケナーイ!イキテルワケナーイ!アー!」
「……」


僕は歌詞を間違えて覚えていたな。
『イキテルワケナーイ!イキテルワケナーイ!』っかぁ…。
それにしても、どうしようもない唄ばっかり知ってる子だ。
『イキテルワケナーイ!』
こうもノウテンキに唄われると、
あのオツキサマが台無しだ。


でも、悪くない。
僕の気分はとっても悪くない。


「そんな唄、どこで知り合ったんや?」
「なんかぁ、今月のオススメ曲みたいに書いてあったからぁ、買っちゃたんですよー」
「そっ、それオススメ曲やったんか?」
「えぇ、そうなんですよー、何かよく書いてあるじゃないですかー」
絶句、
そして、大笑い。
「それお前にしかオススメしとらへんのやないか?」
「変な事言わないで下さいよぉ」


何だかこの二日間、
僕のオツキサマはこのドタバタした女の子に台無しになったけど、
結構、笑わされて、救われた気がする。


「イキテルワケナーイ!イキテルワケナーイ!…っかぁ…」
少し伝染したみたいだ。

   

白くマ〜ルイ、オツキサマ 2007/11/24
夜空には満月が。
雲は一つとしてない。

よく輝いていて、
僕は目を細める。


手すりにもたれ、大きくのけぞる。
頭を上げ過ぎて、首が痛い。


少し欠けているかと思った。
じっと見ていると、
月の周りには、
マ〜ルイ虹が見える。
矢っ張りマ〜ルイ。
この月は満月だ。


輝き過ぎて、ウサギが見えない。
寒過ぎて、耐えていられない。
優し過ぎて、言葉にならない。
神々しさで、手が届かない。
豊艶な輝きは、
力強く、僕のオデコで反射する。
バタバタ忙しなくやって来た、
女の子が煙草を吸いながら唄う、
「オレハ〜、イキテナ〜イ!イキテナ〜イ!」
何て唄だ。
気分は台無し。
でも、悪くない。
でも、じっと眺め。
そして、迷いなく、
白くマ〜ルイ、オツキサマ。


久し振りだね、月と二人きり
頭を上げて、手は伸ばしたまま
届かぬ想いとか、切ない笑い話も
もう全部、胸にしまおう

夜は降りて来る
僕の尖った想いを 包んでよ
白くマ〜ルイ、オツキサマ


オツキサマ!

   

みんな夢の中 2007/11/23
24時間、眠った。
兎に角、丸一日、覚醒する事なく、
昏々と眠り続け、
何度か起き上がったりはしたけど、
それは目が覚めた訳ではなく、
みんな夢の中。


矢張り、ここのところずっと眠れていなかったせいかな。
平均3時間くらいの睡眠で、一週間ほどを過ごして来たかな。
格別に忙しかった訳でもないし、
睡眠不足には、全然気付いていなかったけど、
身体は正直に僕の強制終了ボタンを押してしまった。
まったく、これを考えると、ナポレオンは偉い!と思う。


枕元には『羽二重ひねり餅』の空箱が無造作に置かれている。
寝ている間に、無造作に包装紙を破り捨て、
寝ている間に、箱を潰し開け、
寝ている間に、一つずつ食べていったものと思われる。
もう、一つの餅も残っていない。
これは金沢で買って来たものだけど、
土産にするつもりだった。
「誰に」という事もなく、買っておいて「誰かに」と思っていた物だったけど、
その「誰か」は、寝惚けた僕。
結局、寝惚けている間の僕への土産となってしまった。
美味しかったかどうかは、
みんな夢の中。


朝、起きてテレビをつけ、ニュースを眺めていたけど、
知らないニュースばかりだった。
この一週間、確かに日本にいた訳だけど、
この一週間の日本のざわめきに全く気付いていなかった。
みんな夢の中、
だったのか。


ニュースには、
不安、妬み、逆上、怨恨、自責、混迷、
物悲しい言葉の羅列に、
ニュースキャスター、コメンテーターは目を輝かせて話している。
それを眺める僕も、一応の好奇心を持っている。
朝から馬鹿げている。
僕のニュースではない。
現実の世界で、僕が触れ合っている視野範囲内のニュースは、
どこかの見も知らない場所の殺人事件よりも、
僕が昨日一日24時間を眠ってしまった原因の方が、
徹底取材されるべきだ。
この一週間で起きた事、
でもそれも、
みんな夢の中。


こうして僕の毎日のニュースは慕夜記で「誰か」に発信されている。
でもそれも、
みんな夢の中。


起き上がり、テレビを消して洗面所に行く、
寝ていただけなのに、ヒゲは伸びていた。
でもその成長過程は、
みんな夢の中。


ゴシゴシ顎を撫で回すと、後頭部の髪が炎のように逆立っていた。
体中が痒い。
肌艶はすこぶる良い。
目が少し赤い。
むくみはない。
二日前と同じ上着。
でもそれも、
みんな夢の中、
みんな夢の中からやって来た世界。

   

オネエサン!オデニナッテ! 2007/11/22
今朝、電車に乗っていると、
2、3歳の子供を二人連れ、
更に背中に乳飲み子を背負った母親を見た。
少子化の波を忘れてしまうような、
賑わしく幸せな風景が電車に乗り込んで来た。


2、3歳の二人の子供はジタバタせずに、
行儀をちゃんと教えられているなぁと思える子達だった。
お母さんの言う事もよく聞いているし、
さすが子供を三人も持とうとする母親は、
それだけの愛情としつけを腹に据えているんだなぁと感心した。
兎に角、女の子と男の子の二人はお母さんが示す方向へ自然に動き、
電車のマナーにのっとって座席にちょこんと座っている。
ただ、さすがに2、3歳の子供、
自分の話し声を落とす方法までは知らない。
彼等が元気よく話すと、
「一体、この車両には何人のガキンチョがおるんや?」
と思うほど大声になってしまっていた。
僕はその声を聞かざるを得なかった。


「オネエサン!オネエサン!オデニナッテ、オデニナッテ!」
およそ2、3歳の子供には想像できないような大人のセリフだ。
何にお出になるのか気になって、その母子を見てみると、
男の子が携帯電話を持って、母親に一生懸命携帯電話を渡そうとしている。
さすがにこの子ではまだ、
「車内での通話は他のお客様の迷惑になるのでおやめ下さい」
という言葉までは理解できないらしい。
同時に僕が理解できないのは、
「オネエサン!オネエサン!オデニナッテ、オデニナッテ!」
なんて言葉をどこで覚えたんだろう、という事。
「オネエサン」なんて、相手を傷つけず年齢不詳にする気遣いまであり、
「オデニナッテ」なんて、上品さもある。
が、この言葉は、
2、3歳の子供から出てきようがない。


で、思った。
この子達は母親の言う事をよく聞くし、
実践して行動できる子達だ。
という事は、この言葉は母親が教えたという事になる。
という事は、この言葉には母親の願望が詰まっているという事になる。
「この子達は、お母さんの事をオネエサンと呼ぶのかな?」
と思って、更に話を聞いていたけど、
次の駅でその母子は降りてしまったので、
その真相はわからないままだった。


それにしても、
可笑しかったな。
幸せをお裾分けしてもらったな。
とっても可愛らしかったな。


母親の愛情がこもった教育には、たくさんの夢がなくちゃ子供は育たない。
「オネエサン!オネエサン!オデニナッテ、オデニナッテ!」
それが多少、世の中の道理から外れても、
それが多少、勘違いな事だったとしても、
母親は確かな夢を持ち、子供に正しい嘘をついてあげる。
この想像力に教育の核が詰まっているんだなぁと思った。
   

ぶらり途中下車しなかった旅 2007/11/21
ー19日ー


ゴスロリ(赤い出目金)は水底から5cmのところで横向きになって浮いている。
そのユリの花のように見事だった尾は、力なく水底へ垂れていた。
まるで死んでいるようだけど、
時折エラが一生懸命に開いて、命の強さを誇示していた。
こうなってしまったら、もう僕にはどうしようもない、
今までの苦い経験から、長くはないと直感した。


昨夜はさんざん迷ったけど、
この気紛れな旅の切符を、僕は使おうと決めたから、
ゴスロリに何度も「頑張れよ」と言って、
メンデル(黒出目金)には「ゴスロリの事、頼んだぞ」と念を押し、
家を出た。


そして、BIG MOUTHのライブ。
アンコールでは普段やらないような曲を気紛れでやったりして、
気紛れもここまで重なれば、一通りの理由があるような気がして来る。
僕はBIG MOUTHを出て、新宿へ向かった。


新宿までライブを聴きに来てくれた友達三人と一緒で、
僕が夜行バスの乗り場に行く時、
三人が手を振って見送ってくれた。
「俺、絶対振り返らないから、見送らなくていいよ」
と念を押したのに、僕は歩く事3秒で振り返った。
そして笑われながら、3度振り返って、友達と別れた。
田舎から東京に上京する学生のような光景、
この旅は、僕の勝手な思い付きなのに、
あたたかい友情なんてものに遭うと、妙に心に迫る重みが出る。
確かに、僕にとってこの旅は気紛れとは言うものの、
一応の動機がある。
僕が長く引き摺った想いの決着を付ける決心がある。
旅先で全てを捨てて来るつもりだった。
こんな言い方をして、随分と曖昧だけど、
つまり、曖昧な想いを捨てるという意味合いで、細部は秘そうと思う。


小雨が降り出した新宿で深夜バスに乗り、
11時半にバスが出る。
僕は何度か眠ろうと努力したけど一向に眠れないままだった。
窓外の沿道の山肌を見ると、雪が積もっていた。
午前4時を過ぎると、やっとうつらうつら眠るようになり、
朝、6時半にバスは歩みを止めた。
息を白くしてバスから地上に降り立つと、
そこは金沢駅だった。


ー20日ー


旅に出る前に地図を見て、幾箇所か回ろうと決めていた場所がある。
それは近江町市場、長町武家屋敷跡、兼六園、21世紀美術館。
まず東に進路をとって近江町市場を目指した。
思った以上に風が冷たく強い、
風が吹く度に僕のクルクルパーマネンツは乱れ、
そのクルクルを一層縮めていた。


近江町市場まで歩いて30分の行程を予想していたが、
意外に15分ほどで着いてしまった。
当然、市場は準備中で、店の人達がせっせと品出しををしている時間だった。
ここで朝飯を食べようと思っていたのに、どの食堂もやっていない。
うろうろと市場内を歩いてみたが、
兎に角カニだらけ、
そこら中で『カニ解禁』という触れ書きを見た。
確かにそのカニの活気を感じる市場なのだが…。


早々に近江町市場を出てしまい、僕は兼六園へ向かう。
その途中、歩道に落ちている170円を見つけた。
「ラッキー」と思いその硬貨4枚を拾い上げる。
顔を上げた、その通りの先に尾山神社があった。
まったく予定していなかった場所だけど、
その山門の荘厳さに魅かれ、入ってみる事にした。
前田利家の像やお松の方の肖像があったけど、
そこの庭園が素晴らしかった。
まず本堂へ行き、賽銭箱の前に立ったけど、
財布を出すのが面倒だったから、手に持っていた170円を放り入れ、
手を合わせてゴスロリの幸福を願った。
果たして、僕の願いが通じるのか、
はたまた、この170円の落とし主が幸福になるのか、
そんな興味を持って、僕は願った。


尾山神社をゆっくり見て回り、長町武家屋敷跡はあっけなく終わり、
兼六園に入ってゆったりとした。
歩き疲れたから、池の畔の石に腰を下ろし一息入れていると、
足下にわんさか鯉が寄って来て、みんなして口を開け、
「くれ、くれ」
とやっている。
僕はこの攻撃には、金魚で慣れているんだけど、
何しろサイズも違えば、数も違う。
仕舞いにはカモまで取り囲み始めたので、
さすがにそのプレッシャーに耐え切れず、すぐにそこを立ち退いた。


兼六園に成巽閣という建物があって、
そこは加賀百万石の前田家の姫様が代々過ごして来た建物らしい。
その建物の二階に網代の間という部屋があった。
そこが至極落ち着く場所だったし、
見学している人達は一階ばかり見て、二階に上がって来ないから、
僕はそこで暫く座禅をして、庭の木々に吹き荒れている風の音を聞いていた。
風が通る度、向こうの雨戸からこっちの雨戸へ、そしてまた反対へ、
風の暴れる様をじっと聞いていた。
それも暫くすると、疲れてしまい、
遂にはそこに大の字に寝っ転がってしまった。
天井を見上げると、天井の木が編み目になっている。
「なるほど、網代の間かぁ…」
一人ゴチていると、何だか可笑しくなって来た。
一時は百万石のお姫様が、写経などしてそそと暮らして来た高貴な部屋に、
時代も変われば、一石そこそこであろう百姓の血を受け継いだ小せがれが、
偉そうに大の字に寝っ転がり、小さな精神で大仰に悩んだ表情を作っている。
まったく時代の流れは皮肉ではある。
加賀百万石の贅と気品を尽くした部屋に、
僕は300円でのうのうと寝そべっているんだから。


兼六園も見終わると、21世紀美術館に向かった。
が、事前の地図で見ていた予想に反して、すぐ目の前に21世紀美術館はあった。
見たかったのはプールの水面を上からと下から覗けるモニュメント。
でも、下から水面を見上げるには有料になると言われ、
何となく腑に落ちないまま金を払い、
払ったから何となく有料の展覧物を見て回ったけど、
どうも現代アートの発想ありきみたいな作品にアレルギーがあって、
血の通わない空間にげんなりしてしまう。
結局、プール自体も思っていたよりもこじんまりしていて、
言うほどの面白みには欠けていた。
折角の観光気分がすっかり落ちて来たので、
休憩を取ろうと思い、喫茶店を探す。


そして辿り着いたのが、香林坊の交差点、
109の向かいにあるMr.ドーナツ。
珈琲を一杯だけ頼んで、2階の喫煙席に腰を落ち着けた。
それはまだ午前11時半の出来事。
「こっからどうしよう…。ひがし茶屋街にでも行くか…」
なんて考えていると、
天気が良かった筈の金沢の空は、みるみる暗く静まって、
雨が降り出した。
そしてその雨は、雷雨になり、激しく通行人やアスファルトを打ち始めた。


僕は傘も持っていない、
もう行こうと予定していた場所は全て見た。
行ってみようと思う所も結構遠い。
だから、
僕はそこにいる事にした。
そこに座っている事に腹を決めた。
そこで待つ事にした。
そこで雨が上がるのを待つ事にした。
そこで座って雨が上がるのを待とうと覚悟した。

椅子の上で、
体育座りをしてみたり、足を組んでみたり、
色んな事をしながら109の脇から覗く空を一生懸命に眺めていた。
雲の流れはとてつもなく早い。
そこへ鳥が風に流されて来る度、
僕は切ない気持ちで一杯になった。
昨夜はライブ、そして疲れた身体を休めれず深夜バスで金沢に来て、
兎に角、与えられた最大の目的は、
今やただじっと待つという事だけ。
雨が止むまで、ここを動くのはよそうという決心は固く、
珈琲を何杯飲んで、煙草を何本吸って、
寂しくて、退屈で、口をグッと結んで、ゴソゴソ体勢を変えながら、
それでも僕は雨が止むのを待った。


稲光が目を叩き、雨脚は時は経つにつれ激しくなっていく。
何度も時計を見、空を見、ここに合う言葉を考え、
待っていた。
Mr.ドーナツは珈琲のお代わりを店員さんが持って来てくれる。
それは何杯も何杯も、店員さんのシフトが変わっても、
僕はお代わりし続けたから、次第に申し訳なく思えて来た。
350円でえらく粘っているケチな客。
何かドーナツでも頼もうかと思うのだが、
胸が詰まっていて、とても喉を通る気がしない。
店員さんには、
「すみません、何杯も。観光なんですけど、雨が降ってしまって、動けなくて…」
と言い訳して過ごしていると、
腕時計はとうとう午後4時半を差した。


身体も胃も肺も、グッタグタに煮詰まって、
意識が朦朧として来た4時半、
とうとう雨が上がった。
僕は一目散に店を飛び出して、
クリスマスのイルミネーションが点いた通りを眺めていたけど、
結局胸が一杯で何一つ言葉にならなかった。
どれだけ待ち焦がれたか判らない風景がそこにあったのだけれど、
僕はその何気ない四方山な風景に、
ただ笑って相槌を打って、何の答えも知る間もなく、
イルミネーションは消えて終わった。


午後5時半、僕は歩いて金沢駅に向かった。
どこかへ立ち寄れるだけの時間はあるのだけど、
無心になって歩いた。
尾山神社を越し、近江町市場を越し、
来た道をまっすぐに辿って、
金沢駅に戻った。
空虚な思いが胸に詰まるから、
必死に口から息を吐き出していた。
兎に角、息を吐いて、息を吐いて、
汗を拭いて、駅に飛び込み、
やる事ないから売店に行き、
『松井秀喜サブレ』をお土産に買い、
後は待合室のパイプ椅子の上に座って、
駅を忙しなく行き交う人々をにらんで、
5時間近く身動きせず、
茫然と息を吐きながら、帰りのバスを待った。
全く味気の失せた時間だった。
思えば、待ってばかりの旅だった。
よくもまぁ飽きもせず待つもんだと思うけど、
待つ事しかできない旅だった。
そしてその結末は、見苦しいほどに寂しく、
みっともないくらい胸が詰まっていた。
旅は終わった。


夜10時、金沢駅の西口を出て、
バスのロータリーを見ると、
雨が降っていた。


雨を眺め、雨が止むのをまた待ってみようとした。
バスに乗り込むのを15分だけ遅らせようと決め、
雨を眺めて立ち尽くした。
そして15分経っても雨は止まず、
僕はバスに乗り帰途についた。
金沢を出る時、
帰りの車窓に稲光が一度だけ届いた。


帰りのバスの中でも一向に眠れない。
寝不足だし、疲れている筈なのに眠れない。
僕は座席にもんどり打ちながら東京まで戻った。
新宿の朝を見たのは朝6時だった。


ー21日ー


さっさと電車に乗り、
我が家へ急ぐ。


部屋に入ると一目散に水槽に近寄ったけど、
矢張りゴスロリは水底から5cm、同じ場所に横になって浮いていた。
出掛けた時と格好は同じだったけど、
予想していた通り、ゴスロリは明らかに死んでいた。


ただ、ゴスロリの下にメンデルがいる。
水底とゴスロリの間にすっぽり埋まってゴスロリを支えている。
水槽のガラスを叩いて、
「メンデル、もうどきなよ」
と促しても、メンデルはゴスロリの下で尻を振るだけで退こうとしない。
「メンデル、もうどいて、ゴスロリを出すから」
とコンコン、コンコンガラスを叩けば、
いつもは「餌くれ」で大騒ぎして水面に一番に来るのに、
今朝のメンデルはゴスロリの下から出ようとしない。


その姿を、
金魚博士や生物学者がどう分析しようと、
僕には、
その姿はメンデルのゴスロリに対する愛情に見える訳で、
また僕に対する責めとも見える。
辛い光景だった。


仕方なくメンデルをそのままに、僕は水槽に手を入れ、
ゴスロリを引き上げようとする。
すると、メンデルは僕の手を激しく突いてきた。
痛くはないけど、重い。
その感触を手に受けて、僕は、
ただ、ただ、申し訳なくて仕方なかった。
ゴスロリを水中から空中へ引き上げる。
ズッシリした命が初めて僕の手の平に返って来る。
「大きくなったなぁ…」
今まで、ピンポン、ウメボシ、クズモチと、
死んだ奴等を自分の手の平に乗せて来たけど、
こんな時、決まってこの言葉が出る。
ゴスロリをそっとティッシュに包んで、水槽を見る。


メンデルはまた独りぼっちになってしまった。
メンデルはゴスロリを探しているのか、
それとも僕を激しく叱責しているのか、
右へ左へ激しく泳ぎ回った。
僕は久し振りに泣き崩れた。
こんな小さな出目金でさへ、
持っている愛情が深く、愛情で支え合って生きているのに、
人間でありながら僕は、何一つ愛情を叶えられないでいる。
それはもうみっともなく泣き崩れた。
そして僕はやっと踏ん切りをつけ、
気紛れな途中下車しなかった旅を終えて、
一つの列車から降りた。
確かに長年曖昧になっていた想いを、この旅を通じて捨てて来る事が出来たと思う。
その為には、僕は悲惨なほどみっともない事をしなければいけなかったし、
惨めなほどに寂しがり、見苦しいほどに痛まなければいけなかったんだと思う。
それが、誠意だと僕は思った。
それが、精一杯やる事なんだと、僕は思った。
格好悪いのを嫌って、スマートに過去を捨てるのは、
結局、簡単な事なんだ。
それは、矢張り誠意に欠け、痛みに欠ける。
汚いものから、臭いものまで、ゲーゲーと吐き出し、
精一杯やってきた事には、精一杯で答えてあげなくちゃいけない。


朝もやの街を自転車で、
いつもの公園に行き、
いつもの桜の木の下で膝をついて、
朝露に湿った土を掘った。
今日はゴスロリだから大きめの穴を掘らなければいけない。
そこにゴスロリを埋め、
いつものように桜の幹を眺めながら煙草を一本吸い、
いつものようにこっそり家に帰る。


日帰りの旅だったけど、
僕には20年近くの重さがある、
長い旅だった。
   

ぶらり途中下車しない旅 2007/11/19
今夜、ライブが終わったら、
プラッとした気紛れで、深夜バスに乗ろうと思ってます。
ちょっとした一人旅に出て来ます。
日帰りなんですけど、
明日目一杯はぶら〜っっとしてきます。
明後日には戻ります。
その間、慕夜記は書けません。
楽しみにして下さって見に来て下さる方へ、
申し訳ございません。
行ってきます。


まぁ、何よりも今日はライブ。
どんな楽しさが待っているか、
頑張らなきゃな。
それも含めて、
行ってきま〜す!
   

日進月歩 2007/11/18
日進月歩、
Suicaがあるから何気なく電車に乗って、
うっかり財布を忘れていた事に気付く。
日進月歩、
今日は財布を忘れないぞと確かめて家を出て、
改札口でSuicaを忘れた事に気付く。


こうして日々は前に進んでいる。


一念発起、
一つ決心をすれば、神様からの心ばかりの餞別があり、
一念発起、
一つ決心のもとで、家の金魚が病気で危篤になる。


こうして決心は、また元の迷いに帰ってくる。


今日こそ冬の風が強く人を縮み上がらせ、
本格的な冬を迎える。


信号待ちは寒さを助長する。
ポケットに手を突っ込んで、
ハイネックに鼻まで隠して、
車のヘッドライトを無駄に睨みつける。


輪廻天性、
我が家の水槽から土に帰った命は冬に耐え、
春の芽吹きを待っている。
金魚は物言わない。
水を見たところで何の変化も見えない。
金魚の異変に気付いた頃には、
すでに手遅れになっている。
「またかぁ」と苦しい思いになる。


重なる時は、とことん重なる。
電話でサイトウ君がいい事を言った。
「全部失ったつもりでやれるじゃん」
さすが酔った男よ。
なるほど、全て失ったつもりで…、
いや、
僕はまだ何も失っていない。


あるものを確認しようとしているだけだな。
何かが離れて行っても、それは失う事と決めつけないべきだ。


うちの水槽に横向きに浮いてしまった金魚一匹と、
元気に僕の顔を見て餌をねだる一匹。
こんな事がある度に、自分の責任を痛感するし、
それだけにこの水槽を見る度につらくなる。


それでも日進月歩、
僕も、ガジュマルも、金魚も、
日進月歩で命を回している。
それでも輪廻天性、
僕も、ガジュマルも、金魚も、
誰かの想いの中で命を繰り返している途中なんだ。

   

11月17日、慕夜記1年間連続更新達成 2007/11/17
とうとう毎晩毎晩書き続けること365日、
慕夜記が1年間連夜更新に到達しました。
何気なくこっそりこの日を迎えましたが、
意外と険しい道のりではあったなと思います。


朝まで酒を呑んで、へべれけになりながらも書いたり、
疲れ過ぎて眠い日も、目を必死に見開いて書いたり、
落ち込んで言葉のでない時にも、心を必死に開いて書いたり、
時には眠ってしまって、昼頃になって起きて冷や汗を掻きながら書いたり、
365日分の文字が、サイトの容量以上に僕には重みがあります。


誕生日なんて何して過ごしても、何もせずに過ごしても自然に巡って来ますが、
この慕夜記365夜は継続を意識しないと巡って来ません。
本当によかったな、嬉しいな。
僕にこんな根気が眠っているなんて、夢にも思いませんでした。


とは言うものの、本当に数が間違っていないか不安ですが、
連夜の更新が始まったのは、去年の11月18日、
という事は365日…?…合ってるよね?
まぁだいたいでいいです。
確かに365日間あたりにいて、これは継続されている訳ですから。


兎に角、今まで言って来た通り、
当初は50日も続けば「よくやった」と言おうと思ってました。
あと「これ食べて美味しかった」とか「あぁ、疲れた一日だった」
みたいな簡単な一言で終わらせてしまうような簡易日記は絶対やめようと、
僕が僕の言葉でちゃんと僕らしい毎日を綴ろうと思っていたので、
それなりに大変だったのですが、
その目標は達成されているかと自分では思います。


矢張り、ここに毎日慕夜記を楽しみに来て下さる方がいる訳で、
公表する文章、公にする日記、発表する言葉として意識を使って書いて来ました。
それは慕夜記にとって重要な意味合いです。
慕夜記を、
誰も読んでくれなかったら、
慕夜記に、
誰も何も共感できなかったら、
慕夜記から、
誰も安心を得られなかったら、
慕夜記は、
早々と終わっていたと思います。
慕夜記に、
BBSやメールで、沢山のあたたかいメッセージをみなさんから頂いています。
毎日、楽しみに呼んで下さっている方には本当に感謝しています。
有り難う。


また一方で、慕夜記が僕自身に与える意味合いというもあります。
それを痛感したのは、
10月に北海道に行った時でした。
その時、三日間はパソコンがそばになかったので慕夜記を休みましたが、
あの時、実は、何もしないまま布団に直行できる開放感をヒシヒシと感じました。
慕夜記ってつまり、僕にとってそういうものだなと、あの時感じました。
慕夜記は矢張り、僕にとって責任のある仕事なんだなと思ったんです。


僕は毎晩、布団に入る前に慕夜記を書こうとする事で、
終わった一日に向かっていたし、
それは結局、毎日自分と向き合うという事なんだと感じます。
何もない日でも、疲れた日でも、楽しい日でも、苦しい日でも、
流す事なく、ちゃんと慕夜記を書く時間で受け止める事ができるんだと思います。


僕はこの連続記録をやり始めた頃、
「連夜書いてみる事にどんな意味があるか全くわからない。
  でも、連夜書き溜める事でわかる事がきっと出て来るだろうな」
と思って始めましたが、矢張り答えはこのへんにあったようです。
継続する事で初めてわかる、
慕夜記の意味があります。
敢えて、その一日一日を読み返す事はしませんが、
毎日僕が僕を受け止めたという意味で、
この慕夜記は、僕の貴重な財産だと思います。


さて、こっからも、
何の目標もなく、
また何気なく、
慕夜記の更新は毎晩続けて行こうと思っています。
ただ、それだけにこの先、どんな風に形を変えたりするかもノープランです。
どうしようもなく予定があって、
不意に書けない日も来るかもしれません。
でも、兎に角、この僕にとって大きな仕事となった慕夜記、
そんな日以外は、毎日、毎晩、
こっそりひっそり、一日を拾い上げて行こうと思っています。
これからも、お付き合い宜しくお願いしますね。

   

かいー、かいー 2007/11/16
冬の夜空って、矢っ張り綺麗に星が見えるものですね。
思い出したよ、オリオン座。
俺が真っ先に見つける事が出来るのはこの星座しかないなぁ。
オリオン座、
毎年、冬になると、
「はい、あれがオリオン座」
って何となく指差し確認して、
何だかいつもオリオン座ばかり見ている気がする。
春も、夏も、秋も、
どっかにオリオン座を探して満足する俺の星空。
成長しないねぇ。


ここ三日、四日、
悩み込むでもなく考え事をしていると、
体中が痒くなるんだよなぁ。
『乾燥肌なのかなぁ…』
なんて最初は思っていたんだけど、
それが尋常じゃないほど痒み出して、
「かいー、かいー」
なんてバリボリ掻きむしっているうちに、
体中にミミズ腫れができてしまった。
鏡に映った身体を見ると、
何だか落ち込むなぁ。


最近は多少寝不足ではあるけれども、
食事もちゃ〜んと取っているし、
ビタミンをサプリメントし出しているわけだから、
こんな事になる筈がないんだけど。


日中は割と次から次へ頭を切り替えながら働かせて、
夜にはズッシリ静かな物思いにふける。
そんな頭が働く過程において、
いちいち痒くなる俺の体。
もう人前ではモロ肌脱げないほど掻き痕を付けてしまった。
まぁ、人前で肌を露出する部分も減って来た季節ですので、
あまり気にはしません、男の子だし。
これが女性だったら、もう少し大騒ぎするんでしょうね。
入浴剤を考えたり、
化粧水を変えたり、
多種多様なサプリメントを服用したり、
だって女の子ですもの的な気の遣い方をするんだろうね。
僕にはそんな細やかな心がないから、
野方図に身体が腫れ上がって行く。
唯一、男らしい対処は、
『我慢!痒くても我慢!忍の一字!』
耐え忍ぶ事ですかね。
まぁ、それも五分と保たないんですが。


そんな風にね、
身体を掻きむしりながら外に出て、
煙草を吸い、
星空を眺める訳です。
オリオン座を目の前に見つけ出して、
煙草で指す。
冬のオリオンは、
寒くて、
かいーなぁ。

   

まっすぐなオッチャン 2007/11/15
昨日の慕夜記は、何度読み返しても何を言いたいのか、
サッパリわかりませんね。
寝不足と酔いのお陰で、
本人でもわからないような言語を話せるようになるんですね。
あまりの不明さに、驚きました。
結構、真剣に書いていたつもりなんですけどね。


さて、今日は僕にとって嬉しい事がありました。
それはマンションの外壁工事が終わって、
部屋を暗く覆っていたネットがとれた事です。
大して日当りのいい部屋ではなく、
雀のゲップくらいのわずかな陽射しを楽しむ僕の部屋ですが、
そんなわずかな陽射しでもあると無しでは心持ちが違います。
特に朝、起きた時の出来がちがうなぁ。
目覚めて、キッチンに出て、
一杯の水を飲み干すんだけど、
その間、笑っているもの。


一昨日の話、
外壁工事の工期は、かれこれ一ヶ月延長していたので、
僕の我慢も、とうとう限界に近づいていたんです。
ベランダで楽しそうに昼休憩をとっている業者のオッチャン達の声を聞いていたら、
だんだん腹が立って来て、
一言、物を申そう、と思ったんです。


どうでもいいですが、人間太陽に当たっていないと、
苛立ちやすく、また落ち込みやすくなりますね。
太陽って大切です。


僕はその日、出掛けるついでに、
『いつ工事は終わるのか、早く終わらせてくれ』
という旨を、ビシッと業者のオッチャンに訴えてやろうと玄関を出ました。
そして自転車置き場の方にツカツカと歩んで行くと、
ちょうど、そこに責任者のオッチャンがいました。
このオッチャンには工事が始まって初めて挨拶した時、
とても丁寧な挨拶をされて、
ついつい『ええ人』っていうところで何も言えずじまいになって来ました。
今日こそビシッっと申し付けてくれる。
と思い、そのオッチャンに歩み寄ろうとしたら、
先に口を開いたのはオッチャンの方でした。
「本当にすみませんね。ちょっと、長引いちゃって、お騒がせしてます。
  明日には工事も終わって、明後日にはネットもぜ〜んぶ取り払えますので」
と、またも僕のツボを点くような事を言いました。
僕にとって『ネットもぜ〜んぶ取り払う』という言葉は、
今や「爽快さ」や「安寧」などを凝縮したニュアンスがある。
しかも、それをそのオッチャンは実に爽やかに申し訳なさを伝えるのだから、
怒っていた矛先もどこへやら、僕の口から出たのは、
「いやいや、こちらこそ有り難うございます。いつもご苦労様です」
だって。
こういった、まっすぐなオッチャンにはかなわない。


という訳で、僕の部屋に二ヶ月ぶりに陽射しと安寧な暮らしが戻って来ました。

   

金持ちってのも 2007/11/14
例えば、1万からする酒を目の前にして、
「ひょっ!そんなにすんの?」
という人がいて、
「まぁ、そんなくらいの値段はするよね」
という人がいる。
僕が前者で、金持ちが後者としよう。


前者の僕は1万の重みを軸にその味を語り、
あくまで主観的に、その1万円という、
得難い苦労をと感慨を味に混ぜ込み語る事だろう。


しかし、後者の金持ちは、
1万に対してさほどの高級感を持たない。
その分、フラットに、
客観的にその酒の味を評価できる。


僕はそのどちらの意見にも、
興味が持てるようになった。
むしろ純粋な味の評価でいえば、
お金に余裕のある人の方が正確なんじゃないかと思うようになった。
これは、良いも悪いもなくそう思う。
僕なんかは、いちいち思い込みや思い出で味を、あっちこっち左右している金持ち、
じゃない部類の人。


今まで、金を持つ事に対して執拗な嫌悪感を持って来たし、
訳も判らず金持ちの部類にラインナップされる事を不幸だと思って来た。


でも、今はその考え方が変わったと感じる。


矢張り金持ちには、金持ちであるからこその平等感があると、
僕は感じている。


僕の場合は金に関して、矢張り苦労の絶えない人生を選択しているけど、
その不平等に対して、固執した意見を持たないようにしようと思っている。
金の贅沢がないという美徳に、とらわれて、
その不平等さを語ってしまうと、
それは瞬く間に不公平な物の考え方になると思う。
その不平等な気持ちこそ、不公平にも感じるのだ。


僕と同じ時間に、同じラインに立ち、
その価値観を平等にするには、
矢張り、ソサエティーで判断するべきでないと思うのさ。


云百万とする高級外車を働きもせず、手に入れる事ができたとしても、
ライフラインに素直に立って、
その値段の不平等を、不公平と感じない事が大切だと思う。


金のない一人が、必死働いてに握りしめてた出す1万は、
それはそれで、的確な感慨だと思う。
少なくとも、僕はその不平等を感じて生きて来た。
でも、宇宙人のような発想に、なんも偏見もなく決めて掛かれる。
金持ちの自由さに憧れを持つ事もある。
金持ちの話しは、イチイチ世間離れしていて、
結構面白い。
はなっから金に興味がなければ、
僕の時間は自由になり、
イメージの妨げを気にする事もなかっただろう。

今は、生まれながらの金持ちに、
正直な想いを乗せるしかない。


そんなこんなで、僕は酔っ払った。
決して高くないけど、その味は忘れない。
持っている物でできるだけ返事をしよう。


例えば、1万からする酒を目の前にして、
「ひょっ!そんなにすんの?」
という人がいて、
「まぁ、そんなくらいの値段はするよね」
という人がいる。
僕が前者で、金持ちが後者としよう。


前者の僕は1万の重みを軸にその味を語り、
あくまで主観的に、その1万の苦労を感慨に味を語るだろう。


エンプティ。
お金ではなく、体力の補充をどこかで図らうのが、
これ平等。
聞いた事もないような酒を、味として客観的に味わいたい。


今日はやけにう乾燥している。
僕の季節が来たんじゃないかと思う。
僕は誰もが持ち得るお金に、一筋の共感を持ちたい。


と、酔っ払ってここまで書き上げといて、
慕夜記にアップしようとしたら、
インターネットがつながらない。
あれ?料金払ってなかったかと思い、
コンビニへ支払いに走る。
そして、どうしたらつがるもんか思案しているうちに、眠ってしまった。


昼に起き、電話で問い合わせてみたところ、
「料金の関係でインターネットがつながらないのではなさそうです」
との事。
「フヌッ?」
と見回してみると、電話線が端末から抜けている。
昨夜、帰って来て、酔った足で回線を蹴り上げ、
抜いてしまったものと思われる。
早とちりで、料金の未納だとばっかり思ってた。
そう、この感覚こそが庶民的。
金持ちの感覚にはない勘違いと思い込みかもしれない。
   

空を見るのが好きですか? 2007/11/13
ぼーーーーーーーーーーーっと、
空を眺めて煙草を吸っていたら、
「山口さんは空を見るのが好きですか?」
と聞かれた。
う〜ん、…日によるなぁ。
「日によって違うんですか?」
う〜ん、今日の空は好きかなぁ。
「そんなもんですかぁ…」
う〜ん、…何となくねぇ。


今日はスッカリ晴れて、快晴と言っていい。
けど、ビルの頭辺りには、
モコッ、モコッと、唐突に千切れ雲が浮いている。


あぁ、色んな事を思い出すなぁ…。
僕が吹かした煙草の煙は、
空にもう一つの雲を模様する。
暖かいね、と言おうとしたら、
「眠いっ」
と関係ない事を口走っていた。


雲一つ全くない青空って、
気持ちはいいけど、景色はつまらない。
霞んだ青い宇宙が、空一面に塗られているだけで、
役者のいない舞台のようなものだ。


空には雲があるからこそ、
抑揚があって面白い。


春のすじ雲、夏の入道雲、秋のうろこ雲、冬の分厚い積雲、
そして日々、また刻々と、
青空という舞台に雲が演じる物語がある。


空には雲があるから魅かれる。


当たり前の事だけど、
生まれて初めて気が付いた。
何度も何度も、空を眺めては、
目を和ませ、心を開き、
今日のように想いを馳せてきたけれど、
その当たり前に、
今日、生まれて初めて気が付いた。


あの雲を同じ想いで眺める人がいるかもしれない。
この辺にいる人達は、みんな同じ物語の雲を見ている。
流れては積もり、浮かんでは消える。
今日の僕には思い出のようにも見える。


僕は兎に角、今日夜が更けるまでよく雲を眺めた。
空一面を覆ったかと思ったら、
一時間後には千切れ千切れになっていたり、
その物語は刻一刻と場面を展開している。
僕はまた煙草の煙を吹かしてみたけど、
今度は空まで届かなかった。
空気が冷たく、そして重くなっているみたいだ。


寒いね、と言おうとしたら、
「眠いっ」
と、また関係ない事を口走っていた。

   

You can never hold back spring 2007/11/12
今日、無心に家を出て、
気が付いたら電車の窓に海が寝そべっていた。
そして僕は、その海の端に泡の様に重なっている雲の頭から、
射し込む夕陽に目を細めていた。
理屈に合わない行動をしたみたいだ。
こんな事は滅多にない。


以前、インドに行った時、
アーグラーという街で一日を終え、ホテルでシャワーを浴びた後、
バスタオルで頭を掻きむしり、疲れた身体を伸ばしていると、
外でヘンテコな音楽が鳴っているので、窓から眺めると、
ホテルの前の通りに結婚式のパレードが賑やかに通って行くのを見つけた。
僕は無心にホテルを飛び出し、
真っ暗な道の向こうに輝くパレードの一団を目指して夢中に走った。
走っている間、興奮に奇声を上げたいくらいだった。
道の暗がりから売春を勧誘するインド人を押しのけ、
僕が発した奇声は「いいからどけ、どけっ!」だった。
パレードに追い付くと、我に返って、
何で突然こんなに夢中になったのか不思議に思っていた。
そして幸せそうに踊る結婚式のパレードを見送り、
何となく充実してホテルに戻った。


あの時の衝動に似ている。
僕は何杯かの珈琲を飲みながら、
何も考えずにここまで来たなぁと思った。
そして、ヘッドフォーンからは何回も何回も、
Tom Waitsの『You can never hold back spring』が流れていた。


サイコロを一度転がしてしまったら、
どの目が出るかは見守るしかない。
転がっている間は何も作用できないもんだ。
人の心もそうで、今日の僕の心もきっとそうだった。
転がっている間は、自分の行動でさへ無心に見守るしかないもんだ。
後は、出た賽の目に従うしかない。
理屈に合わせようがないんだよな、
心も運やら縁の上に転がったサイコロだ。


例えば、絡まった糸くずがあるとして、
それを丁寧に解きほぐした方が良いという理屈がある。
でも同時に、
その糸の両端をつかんで、ムンズッと力任せに引っ張って、
いっぺんに答えを知りたくなる屁理屈もある。
それが例え糸くずをより固く結んでしまう事になっても、
それが答えになる。


現実は現実として、放っといても回っている。
要は人の心に何が起きているのか知りたい訳で、
自分の心に何が起きているか知りたい訳だ。


You can never hold back spring
何度も何度も、
僕を説き伏せるように、
Tom Waitsが唄っていた。
   

受話器を枕に… 2007/11/11
今日、実家に電話して母親と話しをしいる最中に、
携帯電話を枕に眠ってしまいました。
家の電話機が鳴って、目が覚め、
飛び起きて受話器を取ると、
母親からでした。
「あんた、寝とったでしょ?」
完全に寝てました。
電話中に寝てしまうとは、不覚。
よほど疲れていたのかな。


でも、実は電話中に寝てしまうという暴挙は、
今回が初犯じゃないんです。
2回目です。


あれは、高校生の時、
家に、或る人から電話が掛かって来て、
僕はその人と話し、
その電話で話題を考えているうちに、
受話器を枕に眠ってしまいました。
居間を通り掛かった母親が、
「あんた寝とるやろ。電話中やないの?」
と起こされ、僕は「はっ」と飛び起きました。
相当長い間、居眠りをした気がしていたので、
さすがに電話は切れているだろうと思い、
受話器に「もしもし?」と声を掛けてみたら、
「はい」
と返事が返って来ました。
いや、申し訳ない事をしたなと思いました。


今日の夕立で突然大きな雷鳴が一回だけ聞こえました。
誰かを呼んでいるような雷鳴に聞こえました。


31rpmのオンエアーチェックで聞いていたのですが、
今朝と同じように、エンディングに入ったところで眠ってしまいました。
だから、今回の31rpmは、未だに全体を通して聞けていません。


今日は何かと、「しながら居眠り」ばかりしていました。
雨が降ったり止んだり、
僕は動いては眠ったり、
居眠りに忙しい一日でした。
   

温かい重み 2007/11/10
7th Floorのライブに足を運んで下さった方、
有り難うございました。


僕自身、とても不思議なライブの感触がありました。
唄い終わって、
ずっしりした温かい重みが、心に残っています。
一心不乱に駆け抜けたような感触です。
こんなライブは初めて経験しました。
楽屋に戻ってからも、暫く余韻が続いていました。
放心状態というか、
本番で心を一気に使ったからだと思います。


今日はあいにくの雨で、
また寒い一日でした。
こんなに長引く雨と予測してませんでした。
最近の雨はパラつく程度だったから、
こんなにしっかり降る雨だと予測してませんでした。
普段は雨は嫌いなんです。
特にライブの日に雨が降ると、
移動が大変だし、ただでさへ荷物が多いのに、
傘という荷物まで増えるので、嫌な筈なんですけどね、
今日の雨は、何だか好きでした。
何か理由がある訳でもなく、
冷たい雨に、心が落ち着く穏やかさを感じていました。
そのへんからして、僕の身体のどこかが温まっていた日だったんだと思います。


ライブが終わって、家に戻ると31rpmの制作。
まったく僕は、31分の番組を作るのに、
どれだけの時間を費やしているのだろうと思います。
要領が悪いってのもあるけど、
矢張り、丁寧に仕上げたいと僕なりに必死です。
毎月の頭はこんな戦いに明け暮れているな。


朝になり、時計が8時を越えた頃、
31rpm11月号が産声を上げる。
幾つものトラックになった唄やトークやBGMなどを、
最終的にステレオにミックスする作業で仕上げになります。
パソコンがステレオに変換している間、
31rpmの仕上がりを聞きながら待つ時間があるのですが、
聞いているうちに、
知らぬ間に、
眠ってしまっていました。
目を覚ませば10時50分。
最初は何をやっていたのか思い出すのに時間が掛かりましたが、
慌てて31rpmを納品。
やっと、仕事を終えた安堵があります。
何だか、寝ている間に血の気が引いたようで、
凍えた朝です。

   

必要になる余分な事 2007/11/09
考え事をまとめ、決着をつけるには、
小さな覚悟が必要なものですよね。
何をする時も、
「あぁすれば…。こうしたらいいかも…」
が尽きないですね。
欲ばっかり出て、
「ああしたい…。こうしたい…」
が結局仕上がりを平凡にしてしまったりします。


何かを作ろうとした時、
その作品の大切な中枢は、一番最初に出来上がっているんだと思います。
時間を掛けて考え、作品の体裁を考えたり、まとまりや理屈を付けようとするのは、
矢つ張り、余分な事なのかもしれません。


最初のインスピレーションって的確に物事の抑揚をとらえていて、
正確さに欠けたり、つじつまの合わない部分があったりするのですが、
決して平坦ではないんですね。
手直しを加えていくという事は、
その作品の興奮に、抵抗を作っていくようなもので、
余分なこだわりが返って、凸の頭を叩いてしまい、凹の穴を埋めてしまいます。


作業の間で、細かいディテールにこだわり出す時間帯が必ず来て、
一向に作業が前に進まなくなったり、
考えを全くバラバラにしてしまう事があります。
そんな時は、「よしっ」とする、ちょっとした勇気で抜け出さなくちゃいけません。


モーツアルトが書いた楽譜を調べた人が言うには、
モーツアルトは最初にスラスラ曲を書き上げてしまい、
その後、何度も楽譜を書き直し、書き直し、書き直し、
色んな展開を試すのらしいですが、
結局完成した曲の楽譜を見ると、
一番最初に書いた楽譜とほぼ同じメロディーに戻っているんだそうです。
モーツアルトという天才のインスピレーションは鋭敏なんですね。
それと僕を並べて比べる事はできませんが、
モーツアルトでさえ、最初のインスピレーションに確信を持つ為に、
何枚もの楽譜と時間をかけるんですから、
いわんや僕をや、っていう事なんですね。
矢張り、無駄な事でも時間を掛けて、
やらなくていい事も、
本当にやらなくていい事なんだと自分を納得させてやらなきゃいけない。
ちょっとした勇気を働かせて、
インスピレーションを生かす決断をしなくちゃな、と思います。


そんな訳で31rpmは長考のスポットに入り、
一見余分なトライを繰り返しています。
10日の配信は間に合わなそうです。
11日には配信できるようにします。
心待ちして下さった方には、本当に申し訳ないです。


今日はライブ。
一旦、頭を入れ替えて、そっちに集中しようと思います。

   

兎に角、僕だけでも…のお話 2007/11/08
31rpmの制作に没頭した一日、
少々、お疲れ様。
まだまだ、終わらない制作の一日、
少々、コンフューズ。


部屋のあっちからこちまで、
隅々を歩き回って、
「あ〜でもない、こ〜でもない」
「それでどう、どれがどう」
悩みは晩から朝まで尽きないのだ。
万歩計でも装着しておけば良かった。
歩数分の考え事が実感できて楽しいかもしれないな。


そう、
悩みって生きてる以上尽きないものなんだけど、
だからこそ、兎に角今は、
僕だけでも元気にいようと思います。
こんなドンヨリした時代に足を滑らせても、
僕だけは必ず元気でいよう。
そう思います。


季節は年末に差し掛かり、
電車では疲れ切った男が眠りの船を漕いでいます。
揚句の果て、僕の肩に寄りかかって安眠の場所としていました。
「こりゃ随分とお疲れ君だなぁ」
可哀想になぁ、疲れているんだなぁと思っても、
だからこそ、この公共の場では意地を張って起きてろよ男児、
とも思うわけです。
電車が揺れる度、僕の肩に落ちて来る男の頭、
僕は男に対して優しい対処をするほど人間ができていません。
苛っとして何度も肩で打ち返すのですが、
何度も戻って来ます。
夜の満員電車でスカッシュをやっている心地、切りがない。
結構強めに肩で頭を打ち返しているのに、
その男は一向に起きる気配がありませんでした。
疲れ切った男、これから年末に入り、
仕事の忙しくなって、更に忘年会が頻発すれば、
この男はどうなってしまうのか。
兎に角、僕だけでも元気でいよう。
動かせるだけ動かして、身体を元気に保とうと思います。


10日は急遽7th Floorでライブをやる事に決定しました。
吉川みき姉さんのピンチヒッターです。
心配事は尽きませんが、
僕が慌てても仕方ないと思います。
こんな時だからこそ、僕だけでも率先して元気でいようと思います。
そして、その元気な心でライブをやります。
是非、遊びに来て下さいね。

   

寒さと忍耐 2007/11/07
朝のシャワーの温度を2度上げて、
42度が凍えた身体を包みます。
パワパワに洗顔料を泡立たせ、
顔をゴシゴシやらかしたら、やっと目が覚めて来ます。
朝の冷気から逃げ込むシャワー、
寝惚けた頭が、ほっと一安心できるという季節になりました。


今年のテーマであった『短パン』は早々に断念しています。
今や長ズボンに甘えています。
ただ、例年のように無駄な重ね着はやめようと誓っているから、
ジャケットの下はシンプルにしています。
42度に火照った身体で出掛けると、
いい天気!!
取りあえず雲が見当たらなかったです。
今日は暖かいかなぁと思って地下鉄に乗ると、
暑すぎて汗を掻き、慌ててジャケットを脱ぐ。
いつも冬になると思うんだけど、
電車というのはどうやって適温を設定しているんだろう。
冬の寒さにジャケットやコートを着て乗るのに、
電車の中は過剰に暑い。
満員電車だとなお暑く、しかも上着を脱ぐ事が出来ない。
汗を掻いて何とか乗り切り、駅の外に出ると、
今度は外の冷気に汗がさらされて、
危うく風邪を引きそうになってしまいます。
今日も駅から外に抜け出すと、
「お〜、寒い寒い」
やっと冬になったなと実感しました。


何だかんだの一日の陽が沈み、
街灯がきらびやかに夜の花を咲かせる頃になると、
更に一日が冷え込みます。
「ひょ〜、寒い寒い」
今日の僕は割と薄着だったようで、
歩いている間はキューッと肩をすぼめていました。
すると、僕の前を西洋人の子供達が通ったのですが、
彼等は皆『半袖・短パン』でした。


これも以前から思っていたのだけど、
西洋人の皮膚ってどうなっているんだろう。
北京に留学していた時の、同じ留学生だった西洋人なんかも、
凍てつく北京の冬に、矢張り『半袖・短パン』だったし、
インドを旅行した時の、同じ旅行者だった西洋人は、
ガンガン照りつける太陽の下、矢張り『半袖・短パン』だったんです。
このいつでも『半袖・短パン』というのは、
彼等が気温の変化に強すぎるのか、
それとも日本人が弱すぎるのか、
未だに謎に思っています。


夜になり、家に戻り玄関を開け、
水槽に向かって「ただいま〜」と金魚達に挨拶をするのだけど、
金魚達は全然反応しない。
水温が下がって来て、彼等の身体はそろそろ冬眠体勢に入って来ています。
だから動きがほとんどなくなっています。
部屋の気温もシーンと冷えて、
部屋の中でも結構凍えるようになって来た。
そろそろ電気ストーブを出そうかな。
でも、ここからが今年の違うところ、
「我慢、我慢」
ストーブは出しません。
面倒臭いというのもあるんだけど、
今年のテーマは「寒さから逃げない」だから、
もう少し頑張って耐えようかと思っています。

   

ビタミンのお陰 2007/11/06
最近の睡眠時間は、平均して4時間くらい。
僕にしたら寝不足気味が続いている流れになっている。
結局、何をしていたんだと考えると、
ギターを弾いていた。
の、一言に尽きる。
他は思い当たらない。


こんな寝不足風味ではさぞかし寝起きが悪そうだけど、
これが案外、スカッと目覚めている。
昔から僕の寝起きは緩慢で、茫然としている事が多いが、
最近は目を覚ました時、
身体が「起きた!」って機敏に反応をしている気がする。
寝坊が大好きな僕にとっては珍しい出来事なのだが、
これにはちょっとした理由がある。


それは最近、ビタミンのサプリメントを始めた事だ。
マルチビタミン的なノリの錠剤を、
起床時と寝る前に飲んでいる。


果たして、ビタミンが寝起きの良さに直接関係しているか、
本当のところは判らないけど、
この習慣以外では、以前の寝坊の頃と変わったところがない。
こんな効能を予想していなかったけど、
ビタミンのお陰で調子が良くなったのは寝起きだ。


そもそも、何故ビタミンを飲む事にした目的は全然違ったところにあった。
僕は兎に角、偏食だらけの勝手な一人暮らしをしている。
食べたくなるものは肉ばかりで、
それを咎めてくれる人もいないから、
ビタミンが恐ろしく欠乏している生活は慢性化して続いている。
それに一週間くらい前の或る朝、気付いて、
気休めでサプリメントを初めてみたという事。
ビタミンを取ると、きっと血液がサラサラになるだろう、
血液がサラサラになれば、身体が柔らかくなり、
筋肉が柔らかくなれば、肩コリが治るだろうと思っていたのに、
肩コリは一切良くならず、
思わぬところに効果が現れている。


また、
ビタミンを取ると、きっと血液がサラサラになるだろう、
血液がサラサラになれば、頭が柔らかくなり、
頭が柔らかくなれば、回転も速くなるだろうと思っていたのに、
頭は一向に良くならず、
ただただ、目覚めが良いだけ。
本当に思わぬところに効果が現れている。


こんなサプリメントのお陰で、僕は寝不足気味をあまり恐れなくなった。
ただ、どうしても頭の回転数は変わらない。
だから、ここんとこ毎晩頭を使えず、
ただ心を回し、ギターを弾く事に専念している。
それはそれで、ビタミンのお陰で得た生活なのだ。

   

逆行 2007/11/05
今朝の陽射しを浴びて、
みんなは昨日より寒いと口々に言ったけど、
僕は今日の方が暖かいと感じてたんだ。
一羽のカラスが羽毛を脱いだのを見たよ。
枯れ枝にしがみついたゴミが、つぼみのように見えるし、
まるで春の日和に戻ったような気分だ。
でも、それは黙っておいた。
その気分は秘密にしておいたんだよ。


だって今朝の空は、
君に会った時の、幸せな気持ちによく似ていたんだよな。
こんな気持ちを、
君の事を知らないみんなに話しても仕方ないだろう、
だから黙っておいたんだ。
こんな秘密を、どの雲の中に隠そうか。
君の姿は、今、見えないけど、
僕は今、君を見失ったけれど、
今日、君のお陰で、
少なくとも僕一人は冬を暖かく感じる事が出来たんだ。


もし、今、君が、
冷たい窓からこの空を見ているのなら、
狭い部屋に閉じ込められているのなら、
どうか気を楽にして、
起きた出来事に嘆かないでほしい。
今日の雲が風の向きへ流されているように、
僕等も暖かい方向へ流されているに違いない。
君は、僕の朝に春を訪れさせる事が出来る。
君の空も、冬のままである訳がないと信じている。
明日にだって暖かい部屋になるんだと信じている。


何が思い通りにいかなくたって、
不自由さに溜め息ばかり出たって、
この一つ、
君が春を思い通りにする事が出来れば、
明日へ明後日へ、望みをつなげる事が出来る。
だって、あの時も、
君のお陰で、
少なくとも僕一人は、明日へのアイデアが沢山湧いたんだ。


どうしても気分が上手くいかないのなら、
目を閉じて、今は少しだけ休んでいた方がいいよ。
君が目を醒ます頃には暖かくなっていると思うんだ。
こんな僕でも、
少なくとも君一人だけには、
この冬を暖かく感じさせれるんじゃないかと思っている。


君と最後に話した時から随分経ったような気がする。
今日の陽気がそう言っていた。
そして僕はそれを秘密にした。
   

正のループ・負のループ 2007/11/04
夜って案外あっさり明けるもんだな。
今夜もギターをカリカリ弾いているうちに朝が来た。
何度も何度も同じフレーズを弾き、
繰り返すうちに時間の感覚を失い、
自我から解放されて軽くなったような気分になる。


昼間は昼で、ぼぅっとして、また没頭して仕事をする。
夜は夜で夢中に、夜を惜しんでギターを弾く。
同じ事を繰り返す一見単調な作業に、
一種の麻薬的要素を感じる事がある。
同じ事を繰り返す一日は、同じ事があり過ぎて記憶に残らない。
その状態を夢中というのかもしれないが、
繰り返しから外れ覚醒すれば、知らぬ間に朝になっているというような、
恐ろしくトピックスのない一日。
人によっては嘆く事だと思うが、
実はこんな日こそ強大なエネルギーを発生させている気がするんだ。
そして、こんな日々の唄にはブルースがよく似合う。


その昔、地平線ができるような広大な綿畑で、
手積みで日がな一日、綿を摘んでいく黒人。
気が遠くなるほど同じ事を繰り返す、
積んで、歩いて、
積んで、歩いて、
地平線の畑を塗りつぶして行く。
そんな無限に回るループの中で、
そんな抜け出せないループにあえぎながら、
故郷を唄い、人妻を寝取る事を唄い、
我こそが最高の男だと唄う。
そうして綿を積み上げる労働に、
自己顕示の唄が救いになっていたんじゃないかと思う。


以前、聞きかじった話がある。
広い敷地の一部分に、何人かの人間に穴を掘らせる。
穴を掘る事にどんな意味があるのかは一切説明をしないまま。
人が立っても埋まるくらいの深さまで掘ったら、
今度はその穴を埋めるように指示します。
掘り返した土を元に戻し、綺麗に元通りにしたら、
今度はまた同じ場所を示して、
また同じ深さの穴を掘るよう指示をする。
こうして意味のない行動を一切の説明無しで繰り返させると、
人間の精神はおかしくなってしまうという。


確かに自分が穴を掘っている人間だと想像したら、
僕は早々とノイローゼになってしまうような気がする。
ループが人に害を与えるパターンだ。


反対に、以前テレビで見たのは、
アフリカの少数民族が儀式で夜通し同じ音楽を繰り返し、
同じ唄を踊り、唄い、繰り返し、
それによってトランス状態になり、
神様をその人に降臨させるという光景だ。


確かに自分が同じ踊りを繰り返している人間だと想像したら、
僕はとうとう神様を自分の身体に取り込む事ができるかもしれない。
これはループが人に力を与えるパターン。


正のループと負のループは紙一重で別れている。
何かしらを信じ、何かしら発生する能動態になるかならないかで、
人はおかしくなりもするし、
人は生きるエネルギーを爆発させる事も出来る。


僕は一日を何も考えず、
ただひたすら作業を繰り返す事に徹する。
そうしたループの中で、
おかしくなってしまいそうなくらい疲れて来ると、
そのループに何らかの意味を持たせる為に唄を歌い、ギターを弾く。
そうする事によって負のループが、俄然正の向きへループが逆回転し出すのだ。


気付けば朝が窓から僕の様子をうかがっていて、
僕は疲れ切ってギターを置く。
僕は今日も長いトランスに入って、
神に代わるものを身体に宿していたんだ。
長いループによって身体に降臨させていたもの、
それが唄って奴なんだろうと思うんだけどね。
   

規則正しい大人の生活 2007/11/03
一人暮らしってものは、自由なもので、
夢中になってギターを弾いていると、
いつの間にか朝を迎えています。
何だかセロ弾きのゴーシュみたいだな。
ただ、僕が練習しているのは第六交響曲ではない。
僕のギターの音色が、野ネズミの病気を治す事もない。
あくまで一人暮らしのモサモサした部屋を、
定員以上に賑わしているだけなんだけど。


それにしても一人暮らしってものは、勝手だ。
夢中になってギターを弾いていると、
ご飯の時間がアベコベになる。
腹が減った時が、飯時。
日に1回の時もあれば、
日に4回、5回になる事もある。
何かをしながら、何かを考えながらの食事になるから、
ほとんど味合わずに、飲み込んで終わる。
栄養ウンヌン、健康ウンヌンは考えた事もない。
胃に物が詰まって安心出来ればいい。


「寝食を忘れて励む」なんて言葉があるけど、
僕の場合、どんな状況の時も寝食を忘れる事はない。
必ず食べ、必ず寝る。


ただ、勝手な一人暮らし、
食べる時間、眠る時間があっちこっち勝手に行き来する。


どんなに体調が悪い時でも、必ず食べ、
どんなに忙しい時でも、時間を見つけて必ず寝溜めをする。
心配事や悩み事で食べれなくなった事はない。
心配事や悩み事で眠れなくなった事もない。



玄関を出て、朝陽を見る。
さぁてと、背伸びをして、
身体を目一杯広げ、
陽射しを浴びるが、
朝の冷気にすぐさましぼむ。
こんな朝陽が似合う男になって来たもんだ。
今日の朝は晴れているが、街は濡れている。


勝手な一人暮らし、
夢中にギターを弾き込んだ末に、
勝手に眠るのだ。
え、どうだ、え、
時間や仕事、規則、人間関係にがんじがらめの君よ。
どうだ、いいだろう。
どうだ、羨ましかろう。
僕はとっても自由に生きている。

   

いわんや君をや 2007/11/02
横浜BAYSISにお越しいただいた方、
有り難う!
たまたま横浜BAYSISで僕の唄に触れた人、
有り難う!


僕自身、久し振りにライブハウスで歌いました。
ライブバーなどで歌うのとはまた違った緊張感があります。
ここ10月に札幌に武者修行に行って、
その旅で感じたもの、身に刻んだものを、
思いっ切りみなさんの耳に届けました。


ここからは、酔っぱらいの戯れ言として聞いてよ、
今夜はとってもいい気分なんだ。


僕は僕が今日このステージまで来た事に、
得難い誇りを感じます。
僕がここまで、
みなさんの耳や心と、想いを共有する事を許された事。
ここで歌いなさいという開示を受け、
そこに必死を尽くし、
みなさんと共にした時間がある事に、
心から誇りを感じるという事です。


駄目な夜、もしくは上機嫌の夜を越し、
こうして僕が唄を歌ってられる事に、
根太い運命を感じます。


それはまるで、
川面に浮かんだ月明かりの道。
ゆらゆらと波に浮かび、
幻のように川面に浮かぶ月。


僕は空に浮かんだ月をつかもうとするのではなく、
川に浮かんだ月を抱きに行きたいという気持ちでいます。


現実に起こる美しい出来事、
現実に起こる愛おしい風景を、
ゆらゆらと波打ちながら、
映し出していたいんです。


言ってみれば、僕のような一介の男、
根が深々と暗く、かと言って昨日言った事も今日には忘れるような軽々しい男が、
このステージだけは忘れる事が出来ず、
みなさんの目の前で、一片の誇りと自信をみなぎらせ、
その日の時間を作る事が許された。
僕はこの人生で誇り高いものを得ている。
いわんや君をや、
という事なんです。


僕でさへ、こんな風来生活に一筋の希望を見いだし、
行けるところまで行こうと腹づもりを持つ事が出来る。
いわんや君をや、
という事なんです。


僕等が砂を噛むような苦労の末に、
何とか指先に引っ掛けた成果は、
誰よりも秀でた宝です。
僕の宝は、結局どこをさがしても人の中にある。
僕と君はお互い、知り合ったところに既に宝が出来たという訳だ。
今更、迷う事も、疑う事も、不安になる事も必要ない。
誇り高く揺れる、川面に浮かんだ月明かりの道。
溺れようとも、沈もうとも、
その明かりを頼りに尽くして行こう。
そして僕は辿り着けると思っているんです、
川面に揺れた月まで。
いわんや君をや、
という事なんです。


いつになく随分と綺麗事を言う、
と思う人がいるかもしれませんが、
僕の芯を形成するものは、
こういう事なんだと思います。


まぁ、酔っぱらいの戯れ言として聞いて下さいよ、
こんな訳の分からない事を言う機会も滅多にない。
否、いつも訳の分からない事を言っているから、
たまに言うまともな事が、返って可笑しく聞こえるのかもしれない。
今夜の僕は誇りに満ちて気分がいい。
いわんや君の夜をや、


そういう事です。

   

夜の憂鬱 2007/11/01
「未熟な肺活量でどこまで行けるだろう」


この季節、暑さと寒さの境目に来ると、
僕は毎年のように細かい咳に悩まされます。
「ほぼ持病です」
そんな診断のもと、元気に暮らしおりますが、
ちょいとコンコン、またコンコンと、
息苦しい夜がここのところ続きますので、
僕はほんの少し憂鬱です。
薬を飲めば頭がボーッとしてしまうし、
花粉症の人の憂鬱が少し判ります。
運動不足かな、ビタミン不足かな、
夜、気分転換の為、
息を吸いに、外に出てみるんです。



昨日、手が届きそうだった月。
僕はその下で思いっ切り深呼吸をして、
久し振りに肺の奥まで空気を取り込んだ。
あまりの気持ちよさに、
そのまま、そのまま、
ずっとそのままと言って眠った。
幾つかの星が顔を出し、
街に灯ったささやかな生活の光と共に唄った。
随分、幸せな気分だったけど、
朝には曇った。


今夜には月を見失う。
雲から落ちる冷たい雫。
僕の肺は、半分も息が吸えないでいる。


一ヶ月の旅から、また新しい一日が始まる。
そして明日があり、来月があり、
僕の旅は、
また何事もなく続いていくような気がするんだけど、
ふと不安や恐れがよぎる夜もある。


僕は、
月の下にもう一度、息を吸い、
雲に阻まれて何度も咳を繰り返す。
もう一度、息を吸おうとし、
何度も咳を繰り返す。
結構、真剣にやっているんだけどな、
どうしたら曇りを払い除けれるのか、
どうしても思い出せない夜がある。


ギターを弾くと素直に潤った音がする。
それに心をすすぎながら、
少しずつ呼吸を整えて、
息を吸う。
そして、そっと唄おうとして、
また咳に阻まれ、
歌いたかった唄も中途に終わる。
もう一度、歌おうとし、
また何度も咳をする。
今夜の僕は、ちょっぴり憂鬱と言っていい。

   

今落ちる体液 2007/10/31
人が流す体液には何らかの意味があるもので、
汗を掻き、傷口からは血が滲み、一生懸命開いた目蓋には涙が溜まるんです。


僕は僕の行動にあまり意味を持たないもので、
その時に目に映る材料が気分になって、
そいつらに従って動くよう心掛けています。
つまり、長期的展望は持たない、過去は材料にしないといったところが、
理想です。
あくまで、理想で、そうはいかない事も沢山あり、
そうは言っても、小ズルく立ち回る事もしばしばです。


人の心まで渡って行く石畳があって、
その順番を踏み越えてしまったり、
入れ違った足で踏んでしまったりすると、
それを何とか立て直そうと必死に汗を掻きます。
僕が急いだのか、
それとも君が急いだのか、
果たして答えがある道のりだったのか、
思えば思うほど、かさぶたの裏っ側にできた柔らかい皮膚が、
無性に痒くなり、掻きむしれば血が滲みます。


まったく気ままに生きておりますが、
兎に角正面で人には接していたいと思います。
無責任、気分屋とあだ名されようとも、
僕は僕なりに、この風来生活に何らかの根拠を持とうとは思っているのです。
だから、正直に、正面で、答えたい。
そう考えています。


誰も彼もが、自分の時間を回すので精一杯です。
よどみなく回る時間なんて、本当に少なくて、
人生の時計は、あくまで不規則なリズムを刻みます。
その中で、人と接して、
不規則なリズムを共有しようとした時、
それぞれの生活の根拠が違うと、
流れる時間が変わって来てしまうのです。
それは、ちょっと悲しい事だけれど、
それは、そんなに大した問題じゃない。
僕が焦るのか、
君が焦るのか、
ただ、そんだけのすれ違いな訳です。


だから、僕は今、思うところを大切にしようと思います。
リズムやテンションの高低差はあっても、
君と今というラインに並んでいるのは、
まぎれもなく事実だと思うからです。


今を根拠に人と接して行きたいと思います。
今を手がかりに人の心へ近付いてみたいと願っています。


人が流す体液には何らかの意味があるもので、
汗を掻き、傷口からは血が滲み、一生懸命開いた目蓋には涙が溜まるんです。

   

たこ焼き喰いたい… 2007/10/30
今日、陽も傾いて気温がグンと下がって来た頃、
部屋でボーッとギター弾きながら鼻水を垂らしていたら、
猛烈にたこ焼きが食べたくなって、
浴びるほどたこ焼きが食べたくなって、
自転車に乗って、たこ焼きを買いに出ました。


僕は本当にたこ焼きに目がなくて、
美味しいたこ焼きに出会うと、
底なしに食べる事が出来ます。
胃の中にドンドン吸い込まれて行きます。
お気に入りの店は、大阪のバナナホールの隣の居酒屋さんや、
同じく大阪の味一という店、
それからもうなくなってしまったんですが、
故郷の岐阜に一件、宇宙一美味しいたこ焼きがあたんやけどなぁ…と、
その店に行くと、本当に際限なく食べれます。
否、際限なく食べていたいんです。


東京では、なかなかお気に入りの店がなく、
自分でたこ焼きプレートを買って、
自分で味の研究をしたりしていたのですが、
4、5年前に東京でも好きなたこ焼き屋さんを発見しました。
自転車で行ける近所にありました。
東京にいて、僕の求めるたこ焼きが見当たらない昨今、
ここが一番、美味しいと思う店なのです。


そして、今日猛烈なたこ焼き熱を持ってその店に出掛けたんです。
が、その店は今日はあいにく定休日の様で、
残念な結果になってしまったのです。
ですが、それで消えるような甘っちょろいたこ焼き熱ではなくて、
食べれないとなると、食べたくて身体が熱くなります。
こうなったらもうどんなたこ焼きでもいいから食べたくなって、
あっちへウロウロ、こっちへウロウロ、
思い付く限りの場所へ、車輪を回したのですが、
結局、たこ焼きにはありつけませんでした。
案外、たこ焼き屋さんってないもんなんですね。
やり場のない想いで家路にこぐ自転車。


東京だからかな、
あぁ、たこ焼き喰いたい。
あぁ、たこ焼きが喰いたくて仕方ない。
あぁ、たこ焼きで埋まったプールに飛び込んで、
溺れてしまいたい。
あぁ、冷蔵庫を開けたらたこ焼きだらけ、
あぁ、タンスを開けたらたこ焼きだらけ、
あぁ、ギターケースの中にたこ焼きだらけ、
あぁ、カバンの中はたこ焼きだらけ、
そんな生活をしたひ。


あぁ、たこ焼きが喰いたい…。
   

DSジプシー 2007/10/29
天気がいいから、薬局に行き、
ずっと家に足りてなかった物を買い揃える。
なかなか買い物リストのようなメモを書かないので、
店に入ってから、色んなコーナーをウロウロして、
一つ一つ思い出しながら揃えて行く。
久し振りにカゴ一杯に買い物をすると、
少し満足感を得た。


近頃の薬局は、「薬局」と呼ぶには惜しいほど品揃えが豊富だ。
薬をはじめ、化粧品、お菓子、飲み物、冷凍食品、日用雑貨まで、
生活のほとんどがここで揃える事ができる。
下手なスーパーに行くくらいなら、
こうした大きめの薬局に来た方が、色んな店に行く必要がないかもしれない。
薬局って頑張っているよな。


僕の住む街は、薬局が充実している。
大きな薬局が商店街に5つもある。
その中の3店舗は同じチェーンの店で、
名前も一緒、品揃えも一緒、
更に驚くのは、
一つの店から通りを挟んで見えるくらいのところに、
もう一店舗あるのだ。
何の為だか本当に判らないのだが、
薬局は頑張り過ぎているよな。


男の僕にとって、
薬局というのは用事がないと来ないし、
薬が欲しい時以外に用事はないから、
滅多に来ないんだけど、
こんな事なら、もっと薬局に足を運ぼうかと思えて来る。
何と言っても、安い物が結構あってときめかされる。
女の子の話の中に、
ドラッグストアで安く買えるという物の話があって、
どうして女の子はあんなにドラッグストアが好きなんだろうって、
不思議に思っていたけれど、
なるほどなるほど、こうしてちゃんと買い物をしてみると、
僕も好きになりそうだ。
こうして世の中の流れを、買い物からも敏感に読み取っているんだから、
女の子の嗅覚は素晴らしい。
男の何倍もの意識を持っているんだなと思う。
僕も見習って、毎日のように買い物をしてみようかな、
そんな事を思いながらレジに行き、
「ポイントカードをお作りしますか?」
と聞かれたから、
「はい、お願いします」
取りあえず、その気になってみた。

   

立体の構造と構想 2007/10/28
遠くのビルを見ると、平面に見えたりします。
近くのビルは辛うじて立体的なんだけど、
遠くのビルは、商店街の立て看板のよう、
まるで三次元を感じません。
四角いせいかなと思いきや、
曲線のビルだってあって、それも薄っぺらい訳だから、
矢っ張り遠くにあるというのが理由になりそう。


遠くのビルが平面に見えるのは、
対称となる近くのビルが、
如何にも人間臭い生活を映し出しているからかもしれません。
西陽を浴びた高層マンションのベランダ、
一人の女性が布団を干して、
布団についたゴミやシミを、仕切りと気にしている。
ここのところの天気の悪さのせいか、
布団はクッタクタで、如何にも湿気っている感じ。
休日の昼もちょっと遅い頃、
そんな風景を不意に目撃すると、
僕等が生きている世界は、
人間臭い立体で出来ているなぁと思うわけです。


老人が子犬を散歩させている。
そりゃぁもう年老いた人では、
好奇心旺盛な子犬の活動を、制御する事は不可能と言っていい訳です。
引き摺られるように歩道を右往左往していると、
若いカップルがすれ違う。
若い娘は子犬を見初めて「カワイイ」を連呼して、
若い男はその空気を持て余す。
子犬は、若い娘の太腿や頬に抱かれ、
そんな風に密着できない若い男の嫉視を買う。
老人は在りし日の自分を見たのか、
子犬に先を急ぐよう促すが、子犬は若い娘の虜になっている。
「若い女の子を見ると、すぐこれだぁ…」
老人は子犬を連れて散歩した回数だけ、恐らくはこの言葉を言っているだろう。
在りし日の自分も、こうして若い娘に血流を牛耳られて来たんだ。
老人は子犬に先を急がせる、
「さぁ、お姉さんにお礼を言って…」
「……」
「ありがとう、は?」
「……」
「ほれ、ありがとう…、お礼を言って」
「……」
子犬が「ありがとう」と発音する筈もなかった。
結局、三人共がその雰囲気を持て余すと、老人は、
「じゃぁ、行くよ」
無理矢理子犬を引き摺って立ち去って行った。
が、10mも行かないうちに、すぐまた子犬に引き摺られ出した。


そんなこんなの人間臭い三次元、
そしてそれぞれの世代を行き来する四次元の会話。
平面に囲まれた小さな籠の中で、
今日も今日とて、そんな人間達が立体を織り成している、
って事か…。

   

それはそれでのお話 2007/10/27
台風がいらして、アタクシの髪は乾きにくく、
パーマネンツは湿気でクルクル、
そしてちょっとユルユル。
パーマネンツの効き目が弱ってきたな。
今日辺りの雨じゃ、
水溜まりを避けて歩いても、
靴は冷たく濡れよるよ。
「お〜、サブイ、サブイ」
傘を差しても、何故かうなじの下辺りが濡れよるよ。
「お〜、サブイ、サブイ」
口を開け辛い一日は、お〜サブイ。


おととい辺りに溜まっていたメールの返事を出し切ったんだけど、
その後、一向に音沙汰がないと、それはそれで寂しい。
だけど…、


どっかのバカチンは懲りもせず、
未だにイタズラメールを送って来る。
こいつらは毎日送って来る。
無料だの、安心だの言いながら、
毎日、人肌恋しい人妻がお誘いのメールを送り付けて来る。
まぁ、そこら辺で僕はモテている。
それはそれで嬉しい。
メールの中身を見て、笑いながら、
それはそれで楽しんでいる。


夜も深くなると、台風は過ぎ去って行ったから、
傘がものの役に立ったのは、
今日一日の中で15分くらいのもん。
真っ黒な雲を透かして、満月らしき光が見える。
たたんだ傘を構え、そいつに狙いをすまし、
バキューン!
今夜の狙いは外れない。
僕が打ち込んだ願いは、ぶ厚い雲を破って月をあらわにした。
「明日には晴れますよ」
簡単な答えが返って来て、
それはそれで手応えがない。


こんな台風の一日の為に、昨夜テルテル坊主を作ったと話す子がいた。
取り立てて理由があるわけでもなく、
「晴れてた方がいいから」というだけで、
そんな無謀な挑戦をテルテル坊主にやらせたらしい。
で、彼女の希望は叶わなかった。
でも、彼女は「明日晴れればアタシの勝ちね」と言った。
一体、何の勝負だか判らない。
で、明日彼女はきっと勝利を収めるだろう。
でも、何の勝負だかが判らない。
まぁ、いい、まぁ、いいさ。
それはそれで結構面白い。
一生懸命さがあちらこちらに行き届いている。
それはそれで結構大切なんだと思えるよ。

   

今日一日のむず痒さ 2007/10/26
今日は朝からシットリさんで、
ひどい酔いに頭の中を捻られながらも、
枕元に雨音を置き、
その朝焼けの寝息に優しく包まれていたんだ。


昼には起きてモゾモゾと活動を開始するんだけど、
確実にアルコールは残っていたね。
マンションに工事のネットが覆いかぶさり、
朝陽を遮断しても、
今日の僕は、朝の寝息に耳を澄ませていたから、
雨だって、よく知ってた。


そして傘を持ち、
外に出て傘を差さずに、雨にシットリ今日を始める。
こんなに優しく、こんなに物悲しい雨に、
どこか胸の奥が濡らされていたんだ。


冷たい外気が気管支を締め付けて、
ずっとヒューヒュー、苦しい音をたてている。
胸の奥に芽生えた、小っ恥ずかしさ甘えよ。
今日一日は、すっかり苦しむといい。
そしてシットリ雨模様に甘えていればいい。


消防署の前で煙草を吸い、
手元の灰皿で消火活動をする。
雨粒は落ちているのに、煙はユラユラと立ちのぼる。
僕の口から解き放たれる煙は、
雨に濡れる事はない。
魂のように口から、ユラユラ立ちのぼっていく。
こんなむず痒さは今日中に消化してしまおう。


濡れた階段に足下を滑らせながら、
地下鉄に乗って、見知らぬ人々の中で、
右へ左へと、ユラユラ一緒に揺れる。
こんなむず痒さはゆり籠で眠らせておこう。


昨夜、あの子が小指から流した冷たい血が、
胃の中でグツグツ煮えくり返る。
こんなむず痒さは今日中に治そう。
こんなむず痒さは今日だけの話なんさ。
   

スッカリ、アサだよ 2007/10/25
今日はスッカリ昼過ぎまで、
今日こそはスッカリ昼過ぎまで、
何も気にせずに眠りこけたさ。


お陰で、溜まった疲れも解消に向かったんだ。
けど、
オイラは今、結構くたびれた。
オイラは今、結構くたびれ、また眠いんだ。


今日はスッカリ部屋にいるつもりだったのに、
今日こそは、スッカリ部屋で一人で過ごすつもりだったのに、


誘われた、サイトウ君に誘われた。
僕は久し振りにサイトウ君と会えると思ったから、
それはいい事だと、
「じゃあ、行くよ」
この答えが、まさか朝までの約束になるとは…、
男の約束はつくづく、身を削るもんだ。


どうして、こうして、
僕は今、こうして朝帰りになり、
千鳥足で通い慣れた道を歩き、
降りるべき駅を一つ乗り過ごし、
何だかんだで、酔っ払っている in the mornning.


何だかんだで落ち着かない日々、
大人になった証拠かもしれないけど、
何だかんだ、落ち着きたい日々。
安息の朝まで、
あと何歩。
安息の睡眠まで、
あと何歩?


歳も押し迫った、遅い秋の話なの。

   

後片付けは大変だの巻 2007/10/24
さて、朝の8時過ぎまで掛かって、
やっと札幌道中記を書き上げ、
ほっと長い旅を終えた気分で寝床に就くと、
4時間ほどしっかり眠りました。
それはそれで寝不足感満載の目覚めだったのですが、
早くも日常に戻った感じで寂しいです。
旅気分の余韻をもう2、3日引き摺っていたいのが本音です。


北海道から戻って来たので、
東京は少し暖かく感じ、
季節を少しだけ逆戻りしたような、ちょっと得した気分です。
まだまだ長袖一枚で過ごせますね。


ただ、残念だったのが、
東京に戻って来て、疲れと寝不足の中、
何とかリュックを背負い、ギターを担ぎ、
「あぁ、我が家ぁ〜」
と懐かしい思いで遠巻きに自宅のマンションを見ると、
マンションにはまだ工事のネットが掛かったまんまだった事です。
配布されていた工事の工程表では14日には全工程を終えている筈だったのに、
一週間以上過ぎた今でも工事が終わっていない。
部屋に入ると、矢っ張り暗くて、
帰り道では久々の明るい部屋を想像していただけに、結構ガッカリしたなぁ。
「まったく、いつ終わるんやぁ」
が第一声だった。
金魚は元気に冬支度、


ってなところから、今日の夜まで、
何だか締めのないままガチャガチャと仕事に追われたので、
茫然としています。
明日には少しでも自分の時間を取り戻せるといいなぁ。
土産は何にも持っていないんです。
土産話だけしかありません。
だから、必死に道中記を書き上げたのですが、
これ色んな友達に口頭でもお話せねばなるまい。
旅の準備も大変だし、旅自体も大変だったけど、
その後片付けも大変なんだとは、初めて知りました。
今日こそ早目に寝ようっと。


   

札幌道中記を書き上げて 2007/10/23
まぁ、兎にも角にも、北海道から無事に戻って参りました。
行きの電車でリュックを失った時はどうなるかと思いましたが、
なるようになるところのギリギリで旅して来ました。


帰って来た日は、寝不足と疲れでグッタリしていて、
家に戻って洗濯物をしたり、三日間も空けたから掃除機を掛けてホコリをとったり、
雑事を済ますと眠って、次の朝まで起きませんでした。


今日も今日とて仕事に出たり、何のかので、
やっと夜中になってから、必死に三日分の札幌道中記を書き上げました。
「家に帰るまでが遠足!」
と昔は先生に言われたもんですが、
「慕夜記を書き上げるまでが旅行!」
今はこんな状況です。
色々あっただけに、この道中記を書き上げるのは結構なプレッシャーがありました。
やっと旅が終わった気がします。


日にちの順序が反対からになっていますので、多少読みにくいとは思いますが、
この道中記を楽しんで頂けたら幸いです。


あぁ、また朝になってしまったぁ。
なかなか、このサイクルから抜けれないぃっ!


   

札幌道中唄繰り気(帰還) 2007/10/22
朝、夢も見ないでグッスリ眠っていると、
Yジロウ母さんにけたたましく起こされた。


居間に下りて行くと、もうオムライスが出来上がって食卓に並んでいた。
俺はそのオムライスを夢中で頬張りながら、
感謝の気持ちで一杯になった。
こんなに世話になっておきながらお返しできるものが、
俺には何一つない。
唯一は唄だけど、Yジロウ母さんとは無縁のものかもしれない。
「本当にお世話になりっぱなしで、有り難うございました」
と何度かお礼を言おうとすると、
「な〜んも、なんも、何にもしてないさぁ」
とYジロウ母さんは北海道弁でさえぎった。
その横顔を見て、俺は涙が出そうになった。
そして最後に、“太陽熱”を右手の人差し指に掛けさせてもらった。
傷は“太陽熱”のお陰でほぼ完治していた。


朝飯を食べ終えると、出掛ける準備をし、
予定より早くYジロウ宅を出た。
Yジロウ母さんは、
「あんた達は毎日朝まで遊んで、身体をこわさないようにね」
と念を押して、送り出してくれた。
タクシーから手を振り、Yジロウ父さんと母さんと別れた。


近くのバス停まで行き、そこかた新千歳空港までバスに揺られる。
空港まで、幾つかの森を見たが、綺麗に紅葉していた。


行きの慌ただしさとは打って変わって帰りの空港では時間のゆとりがあった。
空港でリボン・ナポリンという北海道特産のサイダーを飲み、
ゆったりと搭乗の時間を待った。
その間、俺とYジロウは幾つか会話を交わしたが、
三日間の疲れと寝不足で、
お互いブツブツ話すだけで何を言っているか聞き取れないような状態だった。
半分、眠った状態で飛行機を待ち、
飛行機に乗ると、完全に眠った。
そうして意識を失っているうちに、
俺達は北海道と別れ、東京へと戻り、
この三日間と半日を掛けた旅を終えたのだ。


この札幌道中でお世話になった人達に、
心から、心から感謝します。
本当に有り難うございました。


Thanks to,


The 1'st day
ミチヒサ君、ビー君、旧姓ほっちゃん、
モダンタイムスのスタッフの皆さん、モダンタイムスで一緒に演奏してくれたドラムの方、モダンタイムスにいたお客さん、


The 2'nd day
Woodstock・金安彰さん、G.G.KINGのメンバーの皆さん、ドラムのオカムラさん、
オオノ君、モリオ君、オオウラ君、たっつん、佳奈りん、エミちゃん、アイちゃん、アリサっち、
Woodstockに偶然居合わせたお客さん、ハーモニカを教えて下さった方、


The 3'rd day
琉吉・シラハタさん、スタッフの皆さん、金安彰さん、KAZUYAさん、青木崇さん、ベースの丸井さん、
琉吉で隣に座って枝豆をご馳走して下さったE.aさん、打ち上げで『呑気放亭』に感動しましたと言ってくれた女の子、
クマちゃん、藤枝さん、工藤さん、琉吉に出演されていたミュージシャンの皆さん、お客さんの皆さん、
小嶋とおる君、
BOOGIE・アキラさん、店長さん、トオル君のバンドの皆さん、


schedule coordinator
Yジロウ、小嶋とおる君、ビー君

special thanks to
Yジロウfamily、Yジロウ、小嶋とおる君


and
北海道、札幌

   

札幌道中唄繰り気(三日目) 2007/10/21
朝から昼まで昏々と眠る。
北海道の空気は乾燥しているから喉が乾き、
途中一回だけ目を覚ました。
俺は階下に下りて、Yジロウ宅の台所に行くと、
居間には既にYジロウ母さんとYジロウ父さんが起きていた。
「おはようございます」
と挨拶をして、お茶を一杯頂くと、
「もう少し寝ます」
とまた寝所に戻った。
「あんた達は毎日朝まで遊んで身体を壊すよ」
とYジロウ母さんに言われた。


昼を過ぎて、寝所にYジロウが起こしに来た。
「フヌッ」
という返事にもならないような言葉で了解し、
俺は寝床を出て、居間に下りた。
俺もYジロウも昨夜のケンカでどこかギコチナイ。
そんな事情を知ってか知らずか、
Yジロウ父さんとYジロウ母さんが回転寿しを食べに行こうと連れ出して下さった。
起き抜けのお寿司は胃に重い。
「北海道の回転寿しは全然違う」と聞かされていたが、
確かに美味い。
でも重い。
Yジロウと俺が思ったよりも食べれない有様を見てYジロウ母さんは、
「歳を取ったんだね」
と笑った。
Yジロウ父さんは寡黙な人だけど、
発する一言一言に優しさと可愛らしい愛情が溢れている人だった。
結局、お寿司をご馳走になり、札幌道中最後の夜を迎えた。


Yジロウ宅で出掛ける準備をしていると、Yジロウが、
「今日、ここに行けば唄えるかもしれない」
と、演奏できそうなLIVE BARを紹介してくれた。
そこは琉吉というお店。
Yジロウの友達の小嶋とおる君が紹介してくれたお店だ。
今回の旅で、まだ小嶋とおる君(以下、トオル君)には、
Woodstockも琉吉も、行けば唄えるかもよって教えてもらっている。
ただ、トオル君も自分のライブが札幌の老舗のライブハウスBOOGIEでライブがある為、
未だに会えていない。
ただどうしてもお礼が言いたいから、全部が終わったら夜遅くてもトオル君には会いに行こうと決め、
俺とYジロウは最後の夜、最後のすすきのに出掛けた。


札幌の地下鉄に福住という駅がある。
俺とYジロウはそこからすすきのに向かう。
地下に下りる前、俺とYジロウはイトーヨーカドーの前で煙草を吸いながら今夜の段取りを決めた。
Yジロウは高校の同窓会に行く、俺は先に流吉に行く、
Yジロウは同窓会が8時頃終わるから、その後に流吉で合流する。
そして11時にはBOOGIEに行って、トオル君に会いお礼を言う。
そんな段取りを決めた。


札幌の夜は刻一刻と寒さを増している。
少し掛けた月が雲がなくなった夜空に浮かんでいた。
ここら辺の地域は月寒という地名らしい。
実にふさわしい月が今夜上がっている。
俺は唄うあてができ、俄然勇気が体中にみなぎって来た。
今夜行く琉吉という店は開店5周年のパーティーで馴染みの出演者が沢山いるらしい。
飛び込みで唄えるかどうかは未知だが、唄えても2曲、
俺は1曲目『陽ハ出ズル』、2曲目『呑気放亭』と決め、
それに全精力、全気力を集中させようとウキウキし出した。
兎に角、唄える可能性が1%でもあるのが俺にとって異常なほど幸せだった。
この時、この旅で最大に吹っ切れた瞬間だった。
妙な高揚感で地下鉄に乗り、
すすきのに着くと、俺とYジロウは別れた。


琉吉に入ると、正に満席状態だった。
楽器やミュージシャンもごった返している。
果たして、俺は唄わせてもらえるのか、
唄えるとしたらどんだけ遅い時間になるのやら。
まず、オーナーのシラハタさんを探して挨拶をする。
シラハタさんは気さくに俺を迎えてくれて、
「もしお時間があれば、唄わせて下さい」
とお願いすると、
「OK!わかったよ」
と承諾してくれた。


客席に入り、ステージを見るとWoodstockのマスター・金安さんがギターを弾いている。
演奏後、金安さんに挨拶をすると、
今夜ここで金安さんに昨日の汚名を返上できるチャンスができた事に感謝した。
その後、2時間ほど地元の色んなミュージシャンの音楽を心から楽しんでいると、
Yジロウから電話があり、同窓会が長引いていて少し遅れると連絡があった。
俺は、Yジロウには久し振りの同窓会を楽しんで欲しかったし、
俺一人でこの店に挑戦するつもりでいたから、ただ「ゆっくりしておいでよ」とだけ伝えた。


そこから待つ事、1時間、
俺が自分の出番を待ってステージを見ていると、
Yジロウが駆けつけて来た。
それと同時に、シラハタさんが、
「そろそろ唄うか?」
とおっしゃってくれて、出番が決まった。
「じゃ、2曲、唄わせて下さい」
と言って、俺は廊下に出て楽器の準備をする。
ここに来て、とうとうこの旅の締めを迎えようとしている。
思えば、この短い珍道中、Yジロウとは短い喜怒哀楽をぶつけ合って来た。
だから俺はこの夜をYジロウと仕上げたいと思った。
「Yジロウ、俺がステージ上がったら軽く唄とギターのバランスを取ってくれ」
とYジロウに頼んだが、バランスなんてはなっからどうでも良かった。
Yジロウは客席の状況を見ながら、俺に、
「昨日からハーモニカがすごくいいから、『ヨダカの星』を足した方がいい。
  3曲で文句言われたら俺が責任とる」
と言った。
俺もYジロウも高揚の中に心地よい緊張感と自信をみなぎらせていた。


「東京から武者修行でやってきた山口晶君が唄います」
と紹介を受け、ステージに上がる。
そして1曲目の『陽ハ出ズル』を疾走させた。
もう、失うものもない、そして自分を飾るものもない、
1個の塊として裸になり唄った。
客席がグッと俺に集中するのを肌に感じた。
『陽ハ出ズル』を終えると、客席から心強い拍手が来た。
『よっしゃ、来た』と思っていると、客席の拍手に紛れてYジロウが、
「ラインより、マイクの音の方がいい」
と、こっそりアドバイスを送って来た。
そこで俺はギターとマイクのスタンスを近付けてラインの音よりマイクの音が出るようにした。
2曲目は『ヨダカの星』、思った通りハーモニカは良くて、
音のうねりが上手く夜空を彩った。
そしてそれに呼応して唄がストーリーを語った。
唄い切り客席から拍手が起きると、俺はマスターのシラハタさんに、
『もう一曲いいですか?』
という合図を送った。
シラハタさんは力強く頷いてくれた。


俺が『呑気放亭』に入ろうとすると、
客席で見ていたドラムの方(スミマセン、お名前を伺うのを忘れてしまいました)、
そしてギターを持った金安さんがステージに上がって来ました。
「一緒にやらせてよ」
俺の唄が通用した瞬間だった。
三人で『呑気放亭』を仕上げると、
客席に大きな拍手が残った。
俺は金安さんと握手をして、この三日間の旅がほっと安心に変わったような気がした。


廊下に出てギターをしまうと、Yジロウが泡盛を持って来てくれた。
乾杯をして、一口呑むと堰を切ったように俺達は昨夜からここまでの想いを語り合い、
上手く行った喜びと安堵感を分かち合った。
Yジロウの目が赤く滲んでいたのは、酔いのせいではないようだ。
俺とYジロウはこのステージを仕上げる事が出来た。


ライブ終了後、打ち上げに参加させて頂き、すき焼きをご馳走になるが、
金安さんと話したり、ミュージシャンのKAZUYAさんと話したりで、
ほとんど肉にはありつけなかった。
最後に一曲、KAZUYAさんに「生で唄えよ」と言われ、『黄色い帽子』を唄う。
この夜、これだけの人達と心底から知り合う事が出来て、
俺として矢張り一番ド真ん中のストレートになる曲を歌いたかったからだ。


もう、充分夜は深くなっていた。
俺とYジロウは琉吉のみなさんに心からお礼を言い、お店を出た。
そして、足早にBOOGIEに行き、トオル君に会った。
この行き当たりばったりの唄い旅に貴重な情報をくれたトオル君にやっと会えた。
俺はもう、抱きつかんばかりにトオル君にお礼を言い、
三人で酒を呑み、意気投合した。
三人とも同い年だし、トオル君は腹の据わったミュージシャンで、
十年来の友達に会ったような気分だった。
トオル君はトオル君の道で音楽を築き上げている。
俺は俺の道で築かなくちゃ行けないものがある。
俺はハーモニカ、トオル君はギター、そこにBOOGIEの店長が加わってジャムセッションをし、
最後に俺はトオル君に『呑気放亭』を送った。
「また必ず会おう」とトオル君とがっちり握手をして店を出た時には、
矢張り朝だった。


Yジロウ宅に戻ると、俺とYジロウは二人だけの祝杯を挙げた。
興奮がおさまらず、1時間ほどこの旅の総括を話して寝床に就いたが、
明日は東京に戻らなくちゃいけない。
許された睡眠時間は2時間ほどになっていた。


Yジロウはお母さんに、この世で一番美味いという、
「オムライス」
という朝飯のリクエストを書き置きしていた。

   

札幌道中唄繰り気(二日目) 2007/10/20
この旅で、俺はYジロウの実家にお世話になっている。
寝泊まり、風呂、ひと時の温かい団らんなど、
家庭という温もりの中で骨を休めている。
Yジロウ母さんには、
昨日突然やってきたばかりの、どっかの馬の骨である俺に、
息子と同様に、何くれとなく気を遣って頂いて、
このご厚恩には、感謝しても仕切れない。
右も左も判らず旅をしていると、この優しさに甘える事しか出来なくて、
「有り難うございます」と言うので精一杯だ。
本当に温かい家族で、感謝してもし足りない。


昨夜の演奏でえぐった人差し指の傷が、思った以上に深手になっていて、
体内のアルコールが切れるとやけに疼く。
それを見たYジロウ母さんが炭素の熱で消毒する“太陽熱”という機械を出して下さり、
それに人差し指をかざして消毒させてくれた。
Yジロウ家の人々は、傷などをこの“太陽熱”で治すらしい。
それを見たYジロウは「またか」みたいな顔をしたが、
俺は母親の一生懸命な心配性も身に染みるし、
それに少々気恥ずかしさで苛立つ息子の気持ちも判る。
息子と母親の愛情関係には不可欠な要素だと思う。
俺は“太陽熱”でジリジリ傷を消毒しながら、
そんな懐かしさを思い出していた。
人様の実家とは言え、Yジロウ家で離れ難い里心が芽生えた。
この支離滅裂な旅で、心身をへその穴から緩める事が出来て、
本当に有り難く思う。


そんなこんなのYジロウ宅にはYジロウ姉さんと甥っ子、姪っ子が遊びに来ていた。
俺にはまだ甥も姪もいないから、こういった子供に接すると、
どう接すればいいのか戸惑う。
「可愛いねぇ」なんて猫なで声が恥ずかしくて出せない、
だから俺もYジロウも仏頂面をしたままだ。
案の定、甥っ子も姪っ子も恐ろしくて近付けないといった有様。
Yジロウ母さんが気を遣って、
「ほらこのオジ…オニイサンに、山口くんって言ってごらん」
姪っ子に勧めたが、姪っ子は「ヤ」も発音しなかった。
確かに、これくらいの子供達に「オニイサン」と呼ばせるには、
無理がある年頃になったんだなぁと実感する。
山口オジサンは変な顔を作って笑ってみせる、
甥っ子と姪っ子は、それを見て恐れ、たじろぐ。
上手く世代を越して交流が出来ないの図。
ただ、甥っ子は今流行の「そんなの関係ねぇ〜」が好きらしい。
最初は恥ずかしがってやってくれなかったが、
そのうち調子が乗って来て、
汗を掻きながら「そんなの関係ねぇ〜」と踊り回るようになった。
これなら世代を超した交流が俺にも出来ると思った。
山口オジサンが、
「Yジロウはぁ〜、俺の伯父さんだぁ〜」と振ると、
甥っ子は、
「でも、そんなの関係ねぇ〜、そんなの関係ねぇ〜、はい、オッパッピー」とやった。
この子は将来、必ずや大物になると確信した。
やがて、Yジロウ姉さんの親子は帰って行った。その車を見送る。
「じゃぁねぇ、頑張ってねぇ、気を付けてねぇ〜」
と手を振るついでに、俺と甥っ子は、
「でも、そんなの関係ねぇ〜、そんなの関係ねぇ〜」


夜を待って再びすすきのへ出る。
札幌の地下鉄はデカイ。向かい側に座る人がやけに遠くに感じる。
すすきのに着くと、まずYジロウの旧友と会った。
そこで適度に腹ごしらえ、そして酒を呑み、
俺は先に店を出る。
昨夜お邪魔したWoodstockでライブをやる為だ。
Woodstockのマスター・金安さんは元々スカイドック・ブルースバンドというバンドをやられており、
友部正人さんや大塚まさじさんのギターなども弾いてこられた人で、
飛び込みの俺を快く受け入れてくれて、唄う時間を与えてくれた。
何だか下手のこけない緊張感が押し寄せる。
Woodstockのお客さんと少し雑談を交わしながら、
俺はステージの準備を済まし、Yジロウと旧友が来るのを待って、
二日目のライブを始めた。


ライブは30分、6曲。
この日のステージは兎に角、無駄な力ばっかりが空回りした唄になった。
客席の雰囲気ばかりが気になってなかなか自分の間を作れない。
唄に力が入り過ぎて、曲の強弱が作れない。
全て自分の気持ちがステージ上で起きる事の後手に回っていたと思う。
何度もBARで唄って来たし、こういう雰囲気に慣れたと思って来たけど、
こんな大事な夜こそ、未熟さの露呈するものかと痛感した。
外目にどう見えようとも、俺の中では良くない唄だった。


唄い終わると、マスターの金安さんは、
「もっともっと色んな状況の中で唄わなきゃな」と笑って俺を叱咤してくれた。
そしてこの夜、俺は結構しょげた。
これまで沢山のライブをやり、しょげて帰るライブも沢山あった。
ただ「何しに札幌に来んだ…」
「わざわざ札幌まで来て…」
という想いが旅の骨身に染みる。
やり切れない苛立ちが抑え切れないでいた。


ステージの後、金安さんのバンド・G.G.KINGに混ぜてもらい、
好きなブルースを唄う。
心地よいバンドサウンドの中で、想いをぶつけるようにブルースを叫んだ。
これはとても良い唄になった。


朝に近い夜、Yジロウ宅に戻って来ると、
俺とYジロウは考え方の問題でケンカになった。
俺はYジロウに「俺が唄っている間くらいもっと集中せいっ!」と怒ったが、
YジロウはYジロウで一生懸命にやっている。
「集中してるだろう」とやり返す。
まだ明日の最終日に演奏する場所も見当がついていない不安と、
俺としてもっと本気で勝負しなくちゃまずいという本音を全部Yジロウにぶつけた。
俺は札幌でAWAY、Yジロウは札幌がHOME、
俺はさんざんわがままをぶつけながら、
俺とYジロウ、二人で行こうと決めた旅に、
AWAYに挑戦するという共通の目的を持って欲しかったんだと思う。
と、同時に自分にもこの仕事を仕上げるという気合いを入れていた。
ただ、その意見の折り合いはつかないまま、
俺とYジロウは不得要領で寝床に着いた。


この旅は、とうとう俺の気持ちを丸裸にしたなと思った。

   

札幌道中唄繰り気(一日目) 2007/10/19
出発は朝5時。
同行者は北海道は札幌出身のYジロウ。
俺もYジロウも朝には弱い。
心配だから二人で朝まで呑んで、そのまま出掛けようとういう話になり、
夜中はシコタマ呑んだ。
フッラッフラの足取りで二人、電車に乗って羽田まで。
途中、大門という駅で乗り換えなくちゃいけないんだけど、
俺は酔っ払ってるし、眠たいしで起きている自信がなかったから、
Yジロウに大門に着いたら起こしてくれるよう頼み、
あっと言う間に眠りの底へ…。
…ウツラウツラ全然別の世界の夢を見ていると、
ふと横から名前を呼ばれ、目を開けると、
Yジロウが「大門に着いたよ」と教えてくれた。
俺は、寝惚けていて、
「フヌッ」
という返事にもならないような言葉で了解し、
電車を降りた。
電車はドアーを閉め、また地下鉄の闇へと滑り込んでいく。
「あっ!」
俺は我に返って声を上げた。
「Yジロウ、ギターしか持ってない…」
俺は寝惚けて電車を降りた為、
網棚の上に載せておいた、
自分のリュックの存在をすっかり忘れてしまっていた。
「ウソ?…」
「マジで…」
リュックの中には三日分の着替え、三日分のお金、
そして携帯電話に、ギターの演奏で使う小物類が入っている。
なければ、俺はギター一本だけの文字通り文無しで、
北海道に挑むことになる。
軽く走って電車を追い掛けたものの、それはハッキリ無駄な抵抗だった。


駅員室に走る。
ドタバタと焦った顔で、駅員さんに事態を説明したが、
事態は好転しなかった。
リュックは2、3個先の駅で確保してもらえたものの、
そこから荷物は送ってもらえない。
しかも良くないのは、
俺達は飛行機の時間に間に合うかギリギリの進行をしていた事だった。
確保された駅まで荷物を取りに行っていたら飛行機には乗れない。
俺は「Yジロウ、俺はおいて行け」と言い、
Yジロウは「いや、金は貸すから取り敢えず一緒に行こう」と言った。
緊急事態に迷っている暇はない。
俺はYジロウの意見に従う事とし、
荷物は三日後に取りに行くから駅で保管してもらえるよう頼んで、
先を急いだ。
まさかこんな失敗をすると思わなかったが、
何だか出発前から自分が言っていた、
「ギター一本で北海道を回って来ます」
の通りの姿をしている自分が、
馬鹿馬鹿しいくらいに笑えた。


羽田に着くと飛行機の出発まで10分もない。
二人でバタバタ空港内を走り、
出発ロビーでチャックインしようとした。
が、そんな10分前に来た客を乗せてくれる飛行機はないらしい。
「その飛行機には、お乗せできません」
と空港の人に丁寧に断られ、万事休す。
「でも、お待ち頂ければ別の便に乗れるかもしれませんが」
九死に一生を得る。
3時間ほど待てば、俺達は何とか新千歳への飛行機に乗れる事になった。



3時間あるなら、
という事で、俺は希望を取り戻し、
Yジロウを空港に残して、
自分の三日分が詰まったリュックを回収しに行くことに決めた。
折も折、時間帯は通勤時間のラッシュ時だ。
二日酔いと、寝不足の足を浮かせながら、
俺は2時間を掛けて、荷物を回収する事に成功した。


戻ってきた空港は修学旅行の学生で賑わっている。
懐かしい思いに囲まれながら搭乗手続きを済まし、
飛行機は一路、羽田から新千歳へ。
一度は文無し旅行を覚悟し、
一度は北海道へ行くことさへ断念しかけたこの3時間、
飛行機に乗ると、安堵と共にどっと疲れ、
空中にいる間はずっと眠っていた。


午前11時頃に新千歳に着き、
バスに乗って札幌に向かったが、
そこでは予想以上の寒さがお出迎えしてくれた。
さっそく乾燥した冷たい風が背中を撫で上げていく。
何だか北京を思い出す寒さだった。
これから、やっと札幌の旅が始まる。


俺とYジロウは夜を待ち、
街に出掛けると、まず明日の夜にやる、
woodstockというライブバーに挨拶をしに行った。
雰囲気もいいし、店のマスターも、
俺が流し的にここで演奏させて欲しいという想いに理解を持ってくれた。
熱い想いを持てば、人の熱い想いに触れる事ができるらしい。
そこで、軽くリハーサルをさせてくれるという事になり、
一曲『呑気放亭』を唄う。
好感触。
俺は、徐々に気分が上がり、ウキウキこの旅を楽しむモードができてきた。


夕飯後は、友達の紹介で流し一店目、
モダンタイムスという店で唄う。
地元のミュージシャンとセッションもし、
汗が飛び、アルコールが飛び、つばが飛び、
力の限りで唄い切った時、
右手の人差し指は、弦に肉をえぐられて血まみれになっていた。
それだけ熱中した時間だった。
お客さん達もその時間を共有してくれた。
兎に角、気持ちがいい。


お店のマスターやお客さん達に、
地元のミュージシャンと闘うドサ回りがしたくてここに来た、
と説明したら、
「応援するから頑張れよ。そして必ずまたここに来い」
と言ってくれた。
札幌には熱い想いで話すと、
熱い想いで返してくれる人しか住んでいないらしい。


兎に角、体力を消耗し長く感じる一日だったが、
俺は今、無事札幌にいて、
早速、唄い出している。
何か初心を思い出させてくれるような旅になりそうだ。
明日も誰かと知り合うだろう。

   

屯音兵 2007/10/18
さて、今夜より、
北海道に出掛けます。
北の大地、北海道へ。
恋の街、札幌へ。
(ちなみに、恋は行程表には入っていません)
何が起きるかわからない3日間ですし、
逐一、慕夜記で報告できるかは、
未だ未知数ですが、
思い切って出掛けます。


ギター1本、
パンツ3枚、
着替えも3枚で出掛けます。


昔、北海道を開拓した人達の事を、
屯田兵と言ったそうですが、
僕の気分は今、
屯田兵ならぬ、
屯音兵です。
声と音で、どこまで旅できるか、
勝負してきます。
声と音で、どこまで仲良くなれるか、
挨拶をしてきます。


札幌に唄いに行くのは今回が初めてではないんだけど、
こんなプライベーツに唄いに行くのは初めてです。
果たして、唄う場所がちゃんとあるのか、
唄う説得力があるのか、
何にも前触れもない僕が、
どこまで唄で人を説得できるのか、
全ては北海道での僕の気持ち次第、
全ては飛行機に乗って、あちらに着いてからの、
お楽しみです。
思う存分、屯音兵をやり切って、
良い報告をしようと思います。


ただ一つの心配は、
こうやって毎晩、報告できるかどうか、
未だに確証が持てない事。
それだけ、ギリギリの旅だという事です。


さぁて、当分慣れ親しんだ東京とも、
暫しのお別れだ、
機上の人になろう。
もう諦めが尽いた。
旅の始まりだ。


みんな、お元気で。
また、会おう。

   

目が覚めたら… 2007/10/17
やってしまった。
昨夜、帰って来て、夕飯を食べ、ほっと一息入れている間に、
眠ってしまった。
目を覚ませば、朝8時半。
8時間、目を覚ます事なく眠り続けたという事か、
適度な身体の疲れって、昏々と眠れるんですね、
ここ一年、何はなくとも慕夜記は書いてから寝るという癖がついているので、
こんな風に何もせず眠ってしまうのも、
正直言って気持ちいいもんです。
たまにはいいね。


眠っている間、夢を一つだけ見ました。
居酒屋で友達と呑んでいるんだけど、
僕の家族が実家の裏山にピクニックに行ってるから、
途中で迎えに行くという約束をしている。
でも、友達と呑んでいるうちに約束の時間に間に合わなくなる、
という夢でした。
何って意味のある夢ではないけれど、
妙に心をくすぐる夢でした。
この夢に出て来る家族がプライベートを象徴していて、
友達がパブリックな自分を象徴しているとすると、
この夢は僕の想いをよく現しているのかな。


目を覚ましてから、30分くらい布団の中でまどろんでいました。
テレビは昨夜から点きっぱなしでした。
そうすると、必然的に朝のニュースを見る事になる訳で、
ニュースを見るという事は、悲しい出来事を知るという事で、
目覚めて早速、気分が上がらないという事態を引き起こす訳です。
亀田一家の事もやっていました。


亀田一家について朝から考えてしまったのですが、
僕としては謝罪会見を何故しなければいけないのか判りませんでした。
対戦相手に謝罪するなら判るけど、テレビで謝る必要はないなぁ。
あのお父さんの教育について、随分批判が集まっていますが、
それもどうかなぁ、と思います。
それまで、親子の愛情、父親の熱心な教育について注目して、
賞賛し、参考にしていたんじゃなかったのか、と思います。
それが、突如として手の平を返し、
妬み、嫉みの渦が、あの一家を飲み込み、
とりわけ18歳のやんちゃ盛りな男の子の頭を執拗に潰そうとしている気がします。
そういう報道の軽薄さが気に入らないなぁ。


何と言っても血気有り余る18歳の男児が、
勝ちたい一心で必死だった訳で、
反則に関しては処分を通して、
大人がしっかり教えていく事で済む話じゃないのかと思います。
報道によって、
いきなり、日本国中で自分に対する非難がお祭り騒ぎになったら、
どんな芯の太い人間でも傷付きますよ。
18歳の、まだ心が柔らかい男の子の話ですよ。
ボクシングが好きで必死に夢を追っている、
そんな子供の夢を、大人が寄ってたかって叩き潰してどうすんだ、
と、思うんだけど、なぁ…。
また一つ、貴重な才能が報道によって傷付き、
言葉をなくすなら、
僕は報道にも、反則の処分を下して欲しいと思いますよ、


な〜んて、朝から。
矢っ張り、朝からニュースを見るのは良くないなぁ…。

   

旅まであと何歩? 2007/10/16
朝、布団の中に夢心地でいると、
「ザシャーッ!」
と、頭の上の窓が鳴る。
驚いて目を開け、考える事、5秒、
これは水圧洗浄の音だと理解する。
表では、業者の男がバルコニーや壁、窓など、
外壁工事で汚れた部分を洗浄しているのだった。
それにしても容赦なく人ン家の窓を鳴らしてくれるもんだ、
僕は昼から行動し出す人間だという事情は通用しないらしい…、
…ま、当たり前か。
マンションの住人、各々の事情に合わせて工事していたら、
いつまで経っても終わる訳がない。
工事は、マンションの中で特に僕の事情をそっち退けで進んでいおる。
それは仕方ない、
仕方ないにしても、
もう2日間工期が延びている。
業者の男達に起こされるのも慣れてきそうな頃だ。
いつもわずかながらでも部屋に届いていた陽射しも、遮断されたままだ。
日中、暗い部屋の中で留守番をしている出目金達の事を思うと、可哀想でならない。
僕にしても、あんなわずかな陽射しでもあると無しでは気分が大分違う。
工事が始まる時は予想もしなかったけど、
外壁工事って、意外にストレスの溜まるもんだ。


そんな部屋に今日も出目金達を留守番させ、僕は出掛ける。
「おぉ、サブッ」
世間は着々と季節に冷却されている模様。
希代の寒がりで当世随一の汗かきである僕は、
この時期の服装がどうも上手く調節できない。
足を止めればガタガタ震え、
動けばジワジワと汗を掻くのだ。
「サブいっ」
それでも、今日は寒い。


ここんとこは、忙しくいる。
何せ、今週末から北海道に出っ掛けるどう、なのだ。
旅支度はまだしていない。
東京で済ませなくちゃいけない事に勤しんでいる。
こんな事をしている時間が一番テンションが上がらない。
飛行機に乗ってしまえば、ルンルンになるんだけど、
旅の準備期間は、
いつも準備どころか旅さへ面倒に感じる時間帯がある。
こんな気分は仕方なし子なので、一つ一つ仕上げよう。


北海道に行くにあたって、解消していない不安が二つある。
一つは、どんだけ寒いのかっ!って事。
もう初雪が降ったと聞くし、何せ北だしってところで、
どんだけの防寒着を持っていくべきなのか悩んでいる。
前述の通り寒がりだから、
矢張り、重装備にするべきか…。


そして、もう一つの不安と言えば、
インターネッツができる場所があるかっ!って事。
何せ、僕はこの慕夜記という仕事を毎晩抱えている。
インターネッツができれば、
北海道から更新するつもりだけど、
もし出来なければ、夏に京都へ行った時と同様、
東京に戻って来てから北海道旅行記としてドーンと書き上げるか。
どっちにしても、慕夜記で北海道の報告はします。
みんな、楽しみにしていてね。


って言うものの、俺が旅支度を楽しめていない。
ハブラシ、着替え、ギター、ノート、それから…財布、
まぁ、なるようになるか。

   

幸せを呼ぶライター 2007/10/15
僕の事をよく知らない人に、
「音楽をやってます」
なんて言うと、
「へぇ〜、凄い。どんな音楽やってるんですか?」
なんて、目を輝かせて質問される。
音楽をやっている人には避けて通れない質問がこれだ。


僕はちょいと長くは音楽をやっていますが、
この質問に対して、明確な答えを未だに持った事がない。
「ん〜、さぁ…」
これが答え。
これじゃぁ、質問した人の方が、
「さぁ…?」
となるのは、よく判ってはいるんだけど、
ちゃんと答えられないのが現状だ。


きっとジャンルを答えればいいんだろうな、とは思うんだけれど、
僕自身が自分のやっている音楽のジャンルはよく判らない。
「バンドですか?」
と聞かれれば、
「一人で弾き語りです」
と答え、
「ギターですか?」
と聞かれれば、
「うん、アコースティックギターです」
と答える。
そうすると、大概の場合が、
「フォークですかぁ」
と納得される。


僕はこの解釈にあまり納得がいってない。
別にフォークは大好きだけど、
自分をそこのカテゴリーに並べられると、
違和感があるのが正直な気持ち。


そもそも、自分がやっているジャンルはこれだ!なんて、
おおっぴらに宣言するってのは気恥ずかしかったりする事じゃないかなと思う。
「俺はロックをやっている」とか、
「ブルースメンだ」とか、
「パンク」だとか「メタル」だとか、
あんまり宣言するようなものじゃないような気もする。
この気恥ずかしさって、
結構、色んなミュージシャンやミュージチャンが抱いているものだと思う。


「どうでもいいんじゃない。その時の気分にあった音楽をやるし、聞くよ」
ってのが、今のところ僕の一番明確な答えだと思う。
僕は音楽をやる時も、聞く時も、
音楽の細かい蘊蓄を持たれるのが苦手だ。
雰囲気や気分や、自信や癖に、
ジャンル分けをするような気がして、嫌なんだ。
簡単に言やぁ、その人がやる音楽はその人だけのジャンルだよな、と思うのが基本。


と、まぁそんな事を考えながら、
マックで昼飯を食べ終えて、
一服しようと煙草を一本くわえる。
ライターがない。
ポケット、カバン、煙草入れをまさぐっても、
ライターがない。
『人に貸したまんまだぁ…』


諦めて煙草を口から取り上げようとすると、
隣の席にいたオッサンが、ニュッと僕に手を差し伸べて来た。
その手にはライターが握られている。
「これ、使いな」
おぉ、何て格好いい男だ。
僕がライターを探していて、しかも見つけれなかったのを察知して、
ぶっきらぼうに自分のライターを差し出している。


「あぁ、すみません、有り難うございます。じゃ、お借りします」
と、恐縮すると、そのオッサンは、
「いいよ、やるよ。俺はまだ持ってるからさ」
と、オッサンは更にダンディー度を上げて来た。
「本当ですか、有り難うございます。じゃあ、頂きます」
と、また恐縮すると、そのオッサンは、
「まだオイルがたっぷり入ってるやつだよ」
と言って、席を立ち店を出て行った。
あまりに格好いいオッサンだった。


僕の手に握られたライター、
そのライターを見ると、オッサンが言うほどオイルは入っていなかった。
でも、そのライターには、
『幸せを呼ぶライター』
とプリントされていた。
どっかのパチンコ店のライターなんだけど、
気分がいい。
僕は手に持った煙草をくわえ直し、
『幸せを呼ぶライター』で火を点けた。


男というジャンルになら、ド真ん中に並べられたいものだと思った。

   

電話嫌いの話 2007/10/14
僕は電話が苦手。
だから電話は、なるべく避けたい文明のツールである。
とても仲が良い友達や、好きな女の子とかなら、
尚更、電話を通しての会話は遠慮したい。
何故なら、用件しか思い浮かばないから、
何故なら、用件がないと何も話せないから。
ところが、どっこい、
そうはいかないのが現代社会に生きる定めなのだが…。


受話器越しの相手にはどうも話題が見当たらない。
電話で空いてしまう会話の間が苦痛でならないし、
相手が目の前にいないと会話に集中できない。
ついつい目の前にあるものに目移りして、
なま返事をしてしまう事が多々ある。
だから電話で真剣な相談をされた時、
一向に考えがまとまらないし、いいアイデアも浮かばない、
相手の為に一生懸命に心を尽くそうとしても、
どうしても不得要領で終わってしまうんだ。


人には僕が電話嫌いだとあまりわかってもらえていないかもしれない。
何せ僕の実家は自営業だったから、
親の仕事関係の人から掛かって来る電話が多かった。
だから小さい頃から、家の電話を取る時は、
ワントーン声を上げてハキハキと出るように教えられていた。
だから、電話嫌いの僕だけど、
今も、電話に出る時の声は無駄に元気がいい。
「はい、もしもし!山口でーす!」
とても電話嫌いの人とは思えないアグレッシブな電話の出方をするんだ。


だけど、自分が掛ける時は用件しか話せないし、
掛かって来た電話では、早目に切ろうとする。
本当にどうしようもなく電話が苦手なんだけどな…。


でも、こんな生活の中で、
電話で大切な事を伝えなくちゃいけない時もある。
なかなか会えない人に、
なかなか言い出しにくい用件を、
電話で伝えようと思う時がある。
何て伝えたらいいかわからない大切な用件を抱えてしまう事があるんだ。


そんな時は、
ごちゃごちゃ考えていると、時間ばかりが過ぎてしまうから、
とりあえず頭に何も準備しないまま通話ボタンを押してしまう。
「プップップッ……、トゥルルルルルル……、トゥルルルルルル……」
この音を聞きながら、
「トゥルルルルルル……、トゥルルルルルル……」
何からどう話そうか、
結局、頭は空っぽになっていく。
「トゥルルルルルル……、トゥルルルルルル……」
別につながらくてもいいや…、
「トゥルルルルルル……、トゥルルルルルル……、はい、もしもし…」
「あっ!…あぁ、もしもし僕ですけど…」
相手が電話を取った事に何故か驚いて、
僕の心はしどろもどろになる。
そんな頭の中で、ポツポツと言葉を絞り、
大切な事を伝える。
なかなか会えない人だからもう少し長く話していたいのだけど、
結局、会話は思い付かない、
結局、早く切ろうとしてしまう。
なんだかね、電話って難しいねぇ。


電話なんて面倒臭い物を発明してくれなくて良かったのに、
と思う反面で、
もう少し長く話していたいという気持ちは否定できない、
どっちつかずの電話嫌い。
これは電話が面倒臭い物なんじゃなくて、
電話を使う僕が面倒臭い生き物なんだろうなぁ…。

   

帰り道 2007/10/13
部屋というのは、
片付けるには、大変な労力と時間を費やし、
散らかすには、何の労力もなく、あっという間にできる。
物事には、こういった理屈がつきまとうもので、
今、僕の部屋は散らかっている。
まったくやる方ない想いで一杯だ。


同様に、
料理というのは、
作るのには、大変な労力と時間を費やし、
美味しい幸せは、さほどには持続せず、
次の日には、また他のものが食べたくなる。
物事には、そんな儚さがつきまとうもので、
だからして、僕はグルメになんかなるもんか、と思う。
毎日、同じものを食べて幸せでいられるよう心掛ける。
それは、理屈に反しているし、
さすがに一週間、二週間と同じものを食べていると、
さすがに飽きてしまって、
矢っ張り、適度に回せるローテーションを組む。


物事って、生み出す労力と時間に対して、
輝いて、色褪せていくまでの時間があまりにも短い。
洗濯物が増える量と、減っていく量の対比、
楽しさが持続する時間と、悲しみが持続する時間の対比、
学ぶまでの時間と、忘れてしまうまでの時間の対比、
その辺、その辺、
僕が見つけたいものって、きっとその辺。


今夜辺りは、ぐっと冷え込んだ気がする。
自転車になんか乗っていると、
肺に入る空気が冷たすぎて、
思わずむせ込んでしまう。
風邪は、労力もなく、あっという間に引ける。
でも、治すには労力と、結構な時間が必要になる。
その辺、その辺、
僕は今夜、その辺に気を付けて眠ろう。


幸せにはしゃいだ次の日には、
こんなポッカリした一日が訪れる。
こういった理屈によって、
僕はいつもの自分にバランスを戻せる事ができる。
その辺、その辺、
僕の今日は、その辺を大切にして過ぎていく。

   

Happy Birthday to 俺 2007/10/12
あっと言う間に32歳を迎えました。
BBSにメッセージくれた方、
今日のBig MouthのLIVEに来てくれて一緒に唄ってくれた方、
たまたま居合わせて、僕の誕生日を祝う羽目になってしまった方、
全ての人に感謝します。
本当に有り難う。
最高の夜になりました。
こんなに誕生日を祝ってもらった事は、
誕生日32回目にして初めてです。
自分を諦めず、見捨てず、
生きてて良かった。
と思わせてもらった夜です。
もう一回言わせて下さい、
ホントに、ホントに、ホーントに、
有り難う!


Big Mouthを少し早めにおいとまして、
1時頃、部屋に戻り、
頂いたプレゼントに囲まれながら、
一人おとなしく過ごしております。
今夜はいつもより酔いが早くて、
未だに頭がズキンズキンしています。
今日は早めに寝ようと思っています。


今日のMCでも話したけれど、
この年齢になって一向に成長をしていない僕ですが、
何か一つだけ変わって、今年の誕生日があると感じています。
今までの僕の考えには、
いつからでも「やり直せる」という背景があったと思う。
「いつか上手くいく時が来る」「いつかもっと大きなもので恩返しをしよう」
とかいう想いばかりで、今ある愛情に対して少し希薄であったんじゃないかと思います。
僕はこの年齢になって、やっと「継続」の尊さを感じました。
人とのつながり、愛情というのも、矢張り継続に成り立つと思います。
「またいつか」というのは人間関係において無駄な約束だろうし、
「いつでもやり直せる」という思いでは、
いつまで経っても愛情が土の中に根を張っていかないんだと思います。


僕は、こうして唄って来たし、こうして唄っていきます。
この年齢にしてますます予測のつかない人生になってきましたが、
この唄に関しては確かな事と思います。
今がとっても大切です、
今回がとっても大切です、
今日がとっても大切です、
今目の前にした人が、
その時、その時において、とっても大切です。
そして、いつまでも愛情を継続し合えるよう、
努力したいと思います。


やり直しはしたくない、
そんな事を思う年頃になりました。

   

2016年の東京タワー 2007/10/11
今日、割と遠くから東京タワーを見たら、
展望台の窓が、
『2016』
というイルミネーションになっていました。


あまりに唐突にその数字を見させられて、
何の事だかさっぱり判りませんでした。


判る人に聞いてみたら、
2016年東京オリンピック開催の為だとか。
「決まったんですか?」
と聞くと、
「いや、全然」
との事。
よく聞いてみると、世界のどこかの街と競っている段階でもなく、
まだ日本国内の絞り込みの為にアピールしているのだとか、
2016年、僕のスケジュールは白紙どころか存在さへまだ未定なのに、
随分と気の早い話です。
そんな僕に『2016』だけを見せるなんて、
不案内なアピールです。
東京タワーには国内外から沢山の観光客が来るから、
確かに良い広告になるのかもしれませんけれども…。


東京でオリンピックが開催されるような事になったら、
楽しそうではありますね。
実際にオリンピックというお祭りを、
生で体感した事はありませんので、
マラソンランナーの走る速度を実際肉眼で見るとどれくらいのものかとか、
見てみたいものですよね。
東京のあちこちで大スポーツ大会が行われるならウキウキします。
頑張って、誘致してほしいものです。


それならそれで、東京タワーの『2016』は、
もっとみんなに判り易くないといけませんね。
『できれば2016年にやりたいな、オリン何とか』
とか、
『拝啓、オリンピック様
  2016年、東京の全スケジュールを空けて待っています。』
など、
謙虚且つ強引にアピールした方がいいような気がします。


そう言えば、東京タワーは誕生日に入場料がタダになる筈です。
おまけに展望台のカフェテラスでケーキをご馳走してもらえるんじゃなかったっけ。
しかも、東京タワーで働く方々が「おめでとうございます」と祝ってくれる筈です。
まぁ、2016年のような先の話よりも、
僕は明日誕生日な訳で、
東京タワーに祝ってほしいよな。

   

オーバーワーク 2007/10/10
何だかんだありまして、一睡もしてないという荒行になっています。
かれこれ24時間オーバーの労働になっていて、
完全に労働基準法に抵触する状態なのですが、
何せ立派な自由業の悲哀で、
自己責任という事になります。
目ン玉がシバシバと落ちくぼんで、
まるで梅干しのようです。
その梅干し二つをゴシゴシこすりながら、
慕夜記に向かっております。
何とか保っているもんです。
この後、31rpmのブログも更新しなくちゃ!
かれこれ30時間オーバーの一日です。
3秒でも考えれば、容赦なく眠りの中に叩き込まれそうです。


今日、31rpmを無事に納品して、
さぁて出掛ける準備しようと、
シャワーを浴び、着替えようとタンスを開け、
雑然とねじ込まれた服をあさります。
思えば去年のこの時期から季節感のないタンスです、
冬物も夏物も渾然一体になっております。
今日はきっと寒いだろうなと予測して、
そのタンスから適度に涼しそうな長袖を引っ張り出すと、
その下にあったTシャツを発見しました。
このTシャツはお気に入りのTシャツで去年の夏は登板回数も多かったのですが、
今年に限っては、
今日の今日までこのTシャツの存在を忘れていました。


もうTシャツの季節は終わりです。
一夏、損した気分です。
お気に入りだったのに、スッカリ忘れていました。


あまりに惜しい気がしたので、
結局、そのTシャツは着て、
その上から上着の長袖を羽織りました。
地味な初登板です。
それでも兎に角、お気に入りのTシャツを着ている気分だけは高ぶらせ、
外に出掛けはしましたが、
人目に触れる事は本当に少なかったです。
残念…。


さて10月10日、
ジャック・バウワーを上回るオーバーワークで、
長い長い一日も、あともうチョイです。

   

みんな夢の中 2007/10/09
朝になって身体が少し楽になり、
滞っていた31rpmの制作作業に入りました。
それでも、薬が体中を巡っていて、
起きていても、少し居眠りをしても、
夢の中にいるような状態で、
夢もうつつもない気分でした。
10時近くまで徹夜を貫きましたが、
そこで力尽きて布団に沈没です。
そのまんま夕方まで睡眠の深海へ潜りました。


ウロウロと起き上がった時に、
こんな風邪っぴきに心温まる来客もあったのですが、
何せ宙に浮いたような頭ですし、
今から思い出すと、
随分、フワフワした中身のない言動で、
失礼をしたんじゃないかと、
心配になります。
こんな僕にも、気を遣って下さる方がいるというのは、
奇跡だと思います。
何とかして僕という道を歩んできた事に、
一縷の誇りと希望を持つ瞬間です。


人間ってきっと、最後には一人で死んでいかなきゃいけないんですよね。
死んでからも、ひょっとしたら一人かもしれないですよね。
この世に生まれ出て、
この世でしか経験できないものって、
人と触れ合う事ですかね。
この世で過ごして、
自分という、どうにもならない性分を教えてくれるもの、
それも矢張り人が教えてくれます。
人からの愛情をもらうのなら、
人への愛情は、この世で得た分、
余さず返さなくちゃいけないですよね。
僕は今まで、少し自分を愛し過ぎていたかもしれません。
一人が好きだったし、
少し愛情に対してケチだったかもしれません。
これから僕は沢山返していきたいなと、
喜びの中で思います。


その最たる一つが31rpmでもあります。
心を込めて作りました。
まぁ、適度な徹夜ですが、
僕の愛情を詰めておきました。
今夜から聞けると思います。
どうぞ、生活の箸休めに、
遊びに来て下さいね。

   

財布に入れるもの、入らないもの 2007/10/08
体育の日、今日はあちこちの学生達が運動会に動員され、
活発に何かを競い合っている事でしょう。
まぁ、僕はそのような催し物から遠ざかって随分経つのですが、
思い出すのはお昼かな。
家族とシートの上で食べるお弁当は格別だったと記憶しています。
あの頃は、ビデオカメラも携帯電話も写メールもなかったので、
我が子の姿を映像や画像に焼き付けようと血眼になっている親もいなかったし、
みんながゆったり運動会を楽しんでいて良かったなぁ。
ファインダー越しに我が子を見るよりも、
子供の成長は、肉眼に収めてこそ実感できるような気がするんですけどね。
「あぁ、あの子、足が速くなったな」とか、
「あの子は、あの辺の子達と仲がいいんだ」とか、
重要ですね。


とか、何とか言って、今日の僕と来たら、
体育の日とは対局で、
蓑虫のような暮らし方をしていました。
どうやら、東京の中でも、
僕の住む街から北は、寒かったようで、
とりわけ、僕の部屋は日が当たらないので寒いんですね。
見事に体調を崩しまして、
布団の中でもんどり打って眠っていました。


そんな中、我が家に「ピンポーン」と来訪者がありまして、
玄関を開けてみると宅配の人でした。
実家から少し早めの誕生日プレゼントが届いたのでした。
それはそれは、一人暮らしの心が和むひと時。
東京という運動会で、
みんなでお弁当を食べるような嬉しさがあります。


妹が財布をプレゼントしてくれました。
財布を買い替えるいう意識が皆無な僕は、
ほっとけば十年も二十年も同じ財布を使い続けてしまいます。
財布は中身にばかり気を取られて、
財布そのものについて意識する事がないんですね。
そんな僕には、
実に大助かりなプレゼントでした。
さすが血を分けた妹、
どうしようもだらしない兄貴の性分をよくご存知です。


僕はこの通りの生活で、持っているカードは非常に少ないのですが、
カード入れが豊富な財布でした。
古い財布から新しい財布へ貧弱な中身を移していると、
財布には本当に貴重品ばかりが入っているんだと気が付きました。
お金もそう、銀行のカード、免許証、保険証等、
こんな僕にも貴重品はあるもんです。
だから財布はしっかりしたものがいいんですね。
気分も変わって、ちょっとだけ金持ちになった気がしました。


体調が少し回復してから、
実家にお礼の電話をしました。
その中で、母親が何気なく言った言葉、
「お金は頑張れば誰でも持てるけど、慕夜記はあんたしか持てへん財産やね」
シンプルで身にこたえたお祝いの言葉でした。
慕夜記と限らず、唄も、31rpmも、メルマガも、
財布には入れていない財産が僕にあるようです。
僕にしか持てない財産を増やしたいと思いました。


気分転換に外に出て、薬局まで散歩したのですが、
意外と逆効果で、
外気で余計に頭が痛くなりました。
雨が降った後の鈍い気圧が僕を苦しめていたようです。
ただ、薬局で石鹸と薬を買った時、
新しい財布を開けるのが妙に気分よかったです。
誕生日まではもう少し日がありますが、
幸せな一日です。
体育の日、財布の日。

   

あれが思い出せない 2007/10/07
「あそこもハンバーガー頑張ってるじゃん、…あの〜…、ほれ〜…あそこぉぉ…」
「あぁ、モス」
「あぁ、モス!それっ」
ここんとこの僕はどんな黒魔術を掛けられたのか、
それとも悪いもんを食べたのか、
はたまた飲んではいけない薬をもられてしまったのか、
いちいち単語が出て来ない。


「開かないよ、…あの〜…、ほれ〜…あれぇぇ…」
「あぁ、自動ドア」
「あぁ!それっ、自動ドア」
すら出て来ない。
全てが『あれ』や『あそこ』や『あの人』としか出て来ない。
「大丈夫かよ」
と心配され、
「どうしたんや俺、大丈夫かぁ?」
自分でも心配になるくらい、自分の記憶に辿り着けない。
ここ二日間で思い出せなかった名詞、
・モスバーガー
・自動ドア
・昼間何をしていたか(二日連続)
・茂木健一郎
・何故、茂木健一郎を思い出そうとしたか
・マツモトさん
・ホンダさん


そして自分なりに考えられる原因
・目薬が古い
・点鼻薬の使い過ぎ
・食事の偏り
・寝不足
・加齢
・低気圧
・運動不足
・煙草


思い出せなかった名詞も、考えられる原因も、
並べてみると支離滅裂で自分が情けない。


考えてみると、ここ一年くらいは、
何かを覚えようとして記憶した事があったっけ?
これが無いような気がして、
この辺が脳細胞を劣化させている原因でもあるかなと思う。
そろそろ、その見直しをしなくちゃいけないと痛感した。
今まで思い出せない事なんて結構あったけど、
今回ほど危機感を感じた事はなかった。
つまりそれくらい切迫した恐怖が脳裏をよぎったって事。


「今日、俺、変なんだよぉ。だって、あれが思い出せなかったんだよ」
「何を?」
「えぇっと…、あれだよ、あれ。…あれぇ?何を思い出せなかったんだっけぇ!」
「ちょっとぉ、しっかりしてよぉ」


本当、しっかりしなきゃなぁ。

   

ぼーっ夜記 2007/10/06
今日はとってもいい天気。
だという事は、僕の部屋からは全く感じ取れないんだけど、
ある程度の気温を予測し、上着を着て外に出るのですが、
それに1.5掛けの涼しさだった。
それは「失敗したなぁ」という寒さではなく、
気持ち良い身の引き締まり具合でした。
それはそう、雲一つない天気だったからだな。


何て事を言いながら、
最近の僕ときたら、四六時中眠気が取れなくって困っています。
日中、何をしていても、
「ふんが〜」
とアクビばかり連発しています。
春眠、暁を覚えず。
気温が暖かくなって眠気が増すような事は判るけど、
僕の場合は、
秋眠、一切覚えず。
気温が低くなり始めて、
何故かウトウトしています。
色んな器官が鈍くなっているのを感じます。


一日を終えると、この体勢。
パソコンの前に座って、
慕夜記のページを開き、
それを眺めながらギターを弾いている。
ここ3日間は、慕夜記を書くのに、
4、5時間掛けています。
その内の、3、4時間は考え込んでいます。
一日を振り返り、また記憶の角々を巡り、
「さ〜て、何を書くべきか…」
な〜んて、ボソボソやっているんです。
慕夜記300夜以上も書いて来ましたが、
今までは、だいたい1時間程度でスラッと書き上げていたのに、
どうも最近は文字がスラスラ運びません。
秋眠、夜をも終えず。
「ぼーっ」としているからかな。
時間ばかりが経って、
また睡眠不足に陥るばかり。


普段は普段で、ゴムでできた鐘のような頭の鈍さなのに、
この時期、輪をかけて「ぼーっ」じゃ、
目も当てられない、木偶になります。
つまり、慕夜記を考えている内に就寝時間はとっぷり後ろに倒れて、
朝になっていくのです。


こんな事が初めてですので、面白い現象だなと思っています。
僕の予測では、50夜も書き続ければ、
こんな時期が来るかと思っていたのに、
意外に遅くやってきました。
それはそれで、慕夜記ウン百夜と続いていく歴史に、
記録しておくべき事柄だと思いました。


でも、こうして考え込んでいる間は、
兎に角、よくギターを弾き、唄いもしますので、
ただ、無為な時間を過ごしている訳ではなく、
それはそれで練習になっているようです。
日増しに、モーツアルトの『魔笛』が上手になっているのを実感します。
どこぞで、きっちり眠らないとな、
眠気を引きずったままじゃぁ、もったいない。
日増しに日は短くなっているんだからね。


夜の唱える魔法は、
僕を夜の住人にさせようとする。
甘い響きで僕を夜に縛り付けようとする。
僕は夜の住人にならないよう、
今夜もパソコンの前の椅子に、
あぐらをかいて、一生懸命何かを考えようとするのだ。

   

凸と凹で上手くいく話 2007/10/05
季節は日増しに秋へ向かい…、
日は短くなり、影は長くなり。


季節は日増しに涼しくなり…、
温度計の赤い棒は短くなり、上着の袖は長くなり。


季節は日増しに暮れていき、
緑はくすみ始め、赤は映えるようになり、
虫達の口数は減り、静かな夜は増え、
カレンダーの残りは少なくなり、思い出は多くなる。


季節の変わり目に、お元気ですか?


朝、すっぴんで目覚めた子が、化粧をして家を出て、
一日を終えて家に帰ると、疲れと共に化粧を洗い落とす。
同様に、
すっぴんだった女の子が、化粧を覚えて女性になり、
化粧で沢山の表情を覚えた女性が、時と共に、やがて薄化粧になり、
最後は、すっぴんの老婆に戻る。
どうやら女性という生き物は、
始まりと終わりは素顔でも、
輝いている時間に素顔を隠すようだ。
女性という生き物は、
化粧に限らず謎めいた習性を持っている。


これは僕の小っぽけな人生から見た主観だけど、
女性は男と愛し合っている時の方が秘密を増やし、
男と別れてからは、その男に秘密を持たなくなるような気がする。
女性にはそんな魅力があると、
僕は最近になってやっと気付き始めたところだ。
女性の奥深い愛情や母性というやつが、つまりその秘密の事を言うんじゃないかと、
僕は考えている。
男(少なくとも僕)の愛情は、反対の衝動を持っていると思う。
自分の全ての要素を、すっかり風呂敷の上に広げて、
何もかも吐露してしまいたい愛情を持つ。
その男女の違いに、
判り合えないもどかしさを持つし、
また自分を埋めてくれる温もりを持つ事もできる。


男と女、
凸と凹、凹と凸、
出るところが出て、
その反面、すっぽり空いた穴がある。
穴を埋めるのが女であろうが男であろうが、
これほど刺激的な関係を同性と持つのは至難の事かと思う。
男と女、
お元気ですか?
愛し合える相手がいるという事は、
お金や生活なんかには負けない、それは絶対に。
僕はいつか美しい秘密を持った女性に会いたいし、
僕はいつか透き通るほど裏も表もない男になり、
それを可笑しんでくれる女性に会いに行きたい。

   

ただ、久し振りに 2007/10/04
久し振りに、
久し振りにキャスケットをかぶり、
街へと出掛ける。
あまりに久し振りにかぶったもんだから、
ひさしで遮られた視界の狭さに戸惑ったりする。
帽子をかぶらなければ、
僕のクルクルパーマネンツはやんちゃなブラジル人。
キャスケットをかぶると、
郵便配達を生業にした陽気なイタリア人。
あくまでイメージ。
久し振りに髪の毛が帽子で抑えられ、
おでこが痒くなるのを思い出した。
久し振りだな。


久し振りに、
久し振りにスターバックスに行き、抹茶のフラペチーノを飲む。
久し振りに、こんな冷たい物を飲んだもんだから、
こめかみがギンギン痛むのを思い出した。
久し振りなんだ。


久し振りに、
久し振りに仲間達と食事をする。


久し振りに、
久し振りに焼き肉を食べる。


とっても久し振りな気がして、
「うっまい!」
しか言葉が出ない。
それは、焼き肉の美味しさでもあったし、
仲間達の美味しさでもあった。
久し振りに、気を抜いたぬくもりを思い出した。
久し振りなんだよ。


久し振りに、赤レンガを見て、
久し振りに、桟橋に停泊するフェリーを見て、
久し振りに、ランドマークタワーを見て、
久し振りに、
久し振りに、海を見た。
久し振りに色んな事を思い出した。


やぁ、かもめさん達、
僕と一緒にあの小っこい船に乗り、
遠い異国へ行かないか?
僕も君も、なかなかの喉を持っている。
遠い異国の地で、一つ、二つ、
懐かしい唄を唄ってみないか?
そう、夏は終わったし、
久し振りの旅支度じゃないの?


そっか、そうだそいつはやめておこう。
僕達は故郷を離れた一匹狼のマドロスだ。
矢っ張り、あの国へは一人で渡った方がよさそうだ。
久し振りのあの国へ。


久し振りに、
久し振りに、行きたくなったなぁ。

   

今だからわかる事 2007/10/03
小学二年生の時、
朝のホームルームでは先生が激しく御立腹だった。
先生は女性の先生で、普段は穏やかな人だったけど、
この時ばかりは涙ながらに僕等生徒を怒っていた。
クラスで飼育していた金魚が水槽の中ではなく、
ベランダで死んでいたからだ。


どうやら放課後のうちに起きた事らしい。
「みんなで可愛がっていた金魚がどうしてこんな事になるの?」
「誰か知らないの?」
クラスメイトは水を打ったように押し黙っていた。


その当時の僕は、何故先生がこんなに怒っているのか理解できていなかった。
確かに、教室の中の水槽にいた金魚がベランダで死んでいるのはおかしい。
生徒が何か悪戯をしたと考えるのが自然だと、今なら判る。
そして、自分のクラスの生徒がそんな残酷な悪戯をしたなどと信じたくないし、
小学二年生から犯人を捜すような事はできない。
その苦渋が、今の僕なら判る。
でも、当時は理解できなかった。


先生はどうしようもなかったと思う。
そして、「こんな事があってはいけない」と、
その事を繰り返していた。
僕も何てひどい事だと思っていたけど、
先生の必死の剣幕については理解していなかった。


黙り込んだクラスの中で、
そのどうにも行き詰まった空気に、たまり兼ねた友達がいた。
「僕、昨日の放課後、グランドで遊んでいたら、
  ベランダに猫が登っていくのを見ました」
彼はそう発言をした。
けど、
僕等の教室は二階、幾ら猫が身軽と言えども登れる高さではない。
その当時の僕は、「嘘なんかついて」としか思わなかった。
でも、彼は彼なりにクラスと先生を気遣ったのか、
それとも、悪戯をした子をかばったのか、
その真意は判らないにしても、
兎に角、出口の見えない話し合いに打開の道を示したのは確かだった。
もう、誰がやったかなんて判らなかった事にするべきだったし、
先生にとっても出した矛を収めるチャンスとなった。
と、今の僕なら考えられる。


先生はその子とベランダに出て、彼の説明を長々と聞いていた。
その当時の僕は「そんな無茶な話を、何で長々と聞いているんだ」と思っていた。
だけど、先生はその長い時間の中で、
小学二年生が訳も判らず犯してしまった罪という現実と、
先生が守っていこうとする正義との折り合いをつけていたんだと、
今の僕なら想像つく。
現に、教室に戻って来た先生の顔は少し穏やかになっていた。


僕等のクラスは一時間目の授業をやめて、
みんなで金魚の埋葬をする事になった。
勿論、先生の提案である。
クラスで育てているヘチマがある花壇の隅に埋葬する事にし、
僕等はゾロゾロ花壇に向かった。


クラス長の子が花壇に穴を掘り、金魚を埋めた。
最後に先生が金魚に対して言葉を送ったんだけど、
その時、先生は涙をぶり返し、とても苦しそうに言葉をしぼっていた。
生徒の中に泣いている子もいた。
僕は花壇のブロックに乗っかってその光景を見ていたけど、
その当時は、どうしてそんなに悲しいのか判らなかった。
ただ、その時、先生のトレーナーの首元から、
先生の鎖骨とブラジャーの肩ひもがのぞいているのを発見して、
思わず息を飲み、見惚れて、目が離せなくなってしまっていた。
恥を恐れずに言うと、
その瞬間こそが、僕にとって生まれて初めて味わう性の芽生えで、
生涯忘れ得ない衝撃的な瞬間となった。


しかし、不謹慎な子供であったことは確かだ。
先生はその時、
小学二年生に起こり得る残酷な一面を、先生という職業に刻んでいたんだろうし、
生徒にやっちゃいけない事と「何とかわかってほしい」想いが涙になって溢れていたんだと、
今の僕なら判る。
そう、今の僕なら…。

   

愁色の話 2007/10/02
東京は過ごしやすい陽気だった。
僕の部屋は一階にあって、
陽射しの入りにくい状態にある、
そればかりか工事の為、足場が組まれていて、
実際の天気の良さらら8割減になる。
朝目覚めても、その天気の良さは伝わって来ない。
目覚めからウロウロとキッチンに出て、
金魚の確認をする。
ここんとこの気温の変化が、
水槽内にも季節の変化を呼んでいるらしい。
二匹の金魚は、夏の間の活発な『チョーダイ!』コールもあまりしないで、
ぼぅっと僕の顔に寄ってくるだけだ。
寝惚けた顔の僕と、ボケっとした顔の金魚、
「今日も天気悪いねぇ」
と話し合うものの、金魚も僕も外の事はまだ知らない。


外に出てみると、思いの外気持ちの良い空が僕を待っていて、
心を和ました。
駅までの道の途中、
よく通う定食屋や弁当屋の窓を覗きながら歩く。
最近、ちっとも寄っていないなぁ。
弁当屋は休みだった。
暗い窓を覗き込むと、ヒゲを整えたばかりの僕の顔が映っていた。
寝惚けているとは言え、生気を感じられない。
しっかりしているのはヒゲだけか。


飯を喰わなきゃいけないと思った。
最近、めっきり定食を食べていない。
定食というのは焼き肉定食とかの定食じゃなく、
ちゃんと定められた時間に、定められた量の食事を取るって事。
最近の僕は、食事がどうも片手間になっていて良ろしくない。
久し振りに元気よく飯をかっ喰らいたいね。
弁当屋の窓、汚れたガラスはしんと僕を映していた。


帰り道は、黄昏時、
ふっとビルを見上げると、
その窓が少し愁色になっていた。
僕にとっては久し振りの夕焼け、
妙に気分が良くなって、
ニンマリしてしまった。


僕の原点にはこの愁色があった。
僕がどこに行くにも大切にしていた色、
それはこの愁色だ。
僕はこの愁色から生まれた。
だから、この色に接すると子供のように甘えてしまう。
だから、一人で丘に登り一切を打ち明けたりした。
愚痴を言う事もあった。
いつもそんな僕を許してくれる色、
それが愁色だ。
   

苦手な空間の話 2007/10/01
午前中は、録音したい曲が何曲かあったのでやろうとしたんですが、
マンションの外壁工事の音で何ともなりません。
日中、あまり家にいる事が少ないので気付かなかったのですが、
外壁に塗られている防水ワックスか何か、
塗料の匂いがキッチンに充満していて、
そこにいると結構酔います。
以前、ポストに投函されていた工事の工程表を探し出して見ると、
10月末までこの工事は続くようです。
僕は仕事の気分を削がれた上に、部屋の意外な居心地の悪さに、
すっかり苦り切ってしまいました。


諦めて外に出たのですが、
さすがに短パンで外を歩くと、
スネに遊んでいく風が冷たいですね。
おまけに上着を長袖一枚で出掛けたので、
スースーして肌身にこたえました。
ちょっと調子に乗り過ぎですね、
自分の過保護なまでの寒がり具合を、
何とかして克服しようと強がり過ぎました。
季節の変わり目、
なるほど、風邪には御用心です。


「長ズボンに屈する時期が迫って来たかもしれない」
寒さに身を縮めながら歩いていると、早くも弱気です。
そこで目に入った服屋に思わず立ち寄ってしまいました。
買う気はあんまりなかったんだけど。


そこで何本かの長ズボンを見て、
良さそうだなと思った2本を試してみる事にしました。
久し振りのズボン試着です。
僕が試着室に入るまでは店内にあまり客はいなかったんだけど、
試着室のカーテンを閉めると、
僕の試着室の前辺りのコーナーが客で賑わい出して、
ワイワイ聞こえ出しました。
そんな中、カーテン一枚を隔てて、
僕は長袖の下、パンツ一丁に短い靴下という姿でセクシーダイナマイツ。
何だか急に気恥ずかしくなりました。
別に試着室だから、気にしなきゃいいんですが、
こういう雰囲気が苦手で(たぶん理解してもらえないんだろうなぁ)
試着室で試着しても、いつもその気恥ずかしさで、
似合っているかどうかや、サイズ、直しなどの確認はどうでもよくなって、
そそくさと脱いで出て来てしまいます。
自分でも嫌な自意識過剰です。
試着室の外で待っていた店員さんは試着していない僕が出てくるので、
「ありゃ?」という顔をします。


今日は冷やかしだけのつもりで買う気はなかったからいいんたけど、
矢っ張り、何の為にわざわざ試着したのか不得要領のまま店を出たんです。
僕は冷たい外気に、またスネを晒したという事です。


自分ではスッカリ忘れていた苦手ポイントで、
どうしても身体が勝手に焦ってしまうのですが、
これも一つの克服対称かな。
そんな自意識は持ちたくないよな、矢っ張り…。
   

肩凝りの原因 2007/09/30
冷たい雨よりも、低気圧が気になります。
低気圧のお陰で、僕の肺と首と肩は窮屈に凝っています。
軽くしたいのですが、どうも軽くならない、
「何だろ、何だろ」
とコキコキ、首を回し、肩を回し考えてみると、
原因は低気圧だけじゃないような気がしました。


首や肩が凝るのは、単純に頭が重いからなんだよな。
そして、何で頭が重いかと言えば、
そんだけ中身が詰まっているからなんだよな。
今、さり気なく空っぽじゃあないって事をアピールしたけど、
だからと言って、頭がいいという事でもないんだな。
僕の頭は、ここ2、3ヶ月間に入ってきた情報で一杯になっているという事です。


僕の頭の容量は人よりも極端に少ない為、
すぐに一杯になってしまうわけです。
そして、頭が記憶で一杯になると頭の動作が鈍くなります。
何かを考えていても、
集中力がなく、ぼうっと他事に飛んでいってしまったり、
考える事自体をやめてしまったり、
考える事が負担になってしまったり、
思い出せない事が増えたり、
色んな出来事に対応し切れず、ついつい苛立ってしまったり、
つまり、煮詰まった状態というんでしょうか。
悩むとは違うんです。
悩んだり落ち込んだりするのは心の問題ですが、
煮詰まるというのは身体の問題です。
早く外部の記憶媒体に情報を移してやらないと、
物事の処理速度が上がらないし、新しいものが入ってこないんです。


人間が使える外部の記憶媒体って、
文章であったり、写真であったり、唄であったり、絵であります。
想いを込めてこれらの記憶媒体に書き込み、保存すると、
今の自分を消化できると思います。
煮詰まった時は、
一回、頭を空っぽにしなくちゃいけないなと感じます。
今の僕は、そんな時期に差し掛かっているかなと思います。
年末まであと3ヶ月、
ここいらで頭を空っぽにしておけば持つかな。
そしたら頭が軽くなって、
肩凝りや首の凝りも軽減するでしょう。
僕の急務です。


写真立ての使い道


思い出が増えたら、
頭が重〜い。
思い出が沢山あるのなら、
そのうちの一つをこの写真立てに入れ、
頭を軽くしよう。
頭が軽くなったなら、
この肩凝りも治るんだ。
そして、肩凝りが治れば、
仲良い友達と沢山話せるようになるんだ。
そして、仲良い友達が増えれば、
思い出がまた増えるんだ。
そして、思い出が沢山増えたら、
また頭が重くなるんだ。
そして、頭が重くなったなら…、
これが思い出環状線を走る電車。
沢山の思い出を巡回して行きます。
今日はどの駅で降りよっか?

   

できる女風、電車の乗り込み方 2007/09/29
今朝、半袖を着て外に出ると、
出た瞬間、寒がりメーターの針が『danger !! 』まで振り切ったので、
慌てて引き返し、長袖に着替えて出直しました。
大正解でした。
寒いもんですね、9月の終わりって。
天気予報も何も見てはいなかったけど、
極度の寒がり、過保護な厚着人間である僕には、
ピンと来るものがありました。


土曜の電車は適度に空いているものですが、
その中でも場違いに焦っている人はいるものです。
休日でも急ぐ人は急ぐ。
電車のドアがプシューと閉まり、
あと20cmくらいのところまで閉まって、気持ちは走り出す方向に向かいつつある時、
突然、ガンッと両手とバッグをねじ込んだ女性がいました。
見れば、今時の“できる女”風の子で、歳の頃なら25、6歳かな。
「むっ、無茶な…」
居眠り掛けてた僕もビックリです。
矢張り、できる女は休日も時間に追われているのでしょうか。


おおよそ、そういった場合、
電車は気を遣って、ドアを早々に開けるものなんですが、
今日のドアは、できる女の両手首とバッグを締め上げるばかりで、
10秒くらいは知らんぷりしてました。
たった10秒とは言え、
過酷な10秒です。
彼女には100年の恋よりも長く感じた事でしょう。
彼女は自分の両手とバッグを引き抜こうとするのですが、
電車のドアはあなどれません、
引き抜けないもんです。
彼女は電車の外で苦笑いしながら踏ん張り、
電車の中では彼女の両手首だけがジタバタしていました。
僕は少し離れた座席で座っていたのですが、
ドアの近くに立っていた人が慌てて助けようとするのですが、
彼女のジタバタした手とバッグを押し返そうとする人もいれば、
ドアを開けようとする人もあり、
優しい心遣いだけど、心が一つになってない救助でした。


結局、ドアはまたプシューと開いて、
彼女は無事に乗り込んだのですが、
乗り込む方が地獄だったでしょう。
適度に空いている電車の中ではあまりにも目立つ事件だったのです。
かと言って、ここまで大騒ぎにしといて、
乗らない訳にもいかないですし、
幾らクールなできる女風の子とは言え、
いたい気な女の子には変わりありません。
人の注目に晒された電車に乗るというのは、
酷な決断だったと思います。
彼女が乗り込んで、ドアが何事もなく閉まると、すかさず、
「無理なご乗車はおやめ下さい」
と車掌さんのアナウンス。
追い打ちだぜ、抜け目ないぜ。
更に僕の近くにいた女子高生が、
「そんなに乗りたいか」
と呟きました。
人間って容赦ない生き物なんですね。
そのできる女風の子はよく耐え抜きました。
こうしてできる女は失敗に鍛えられ、
よりクール度に磨きを掛けていくんだなと感心しました。
ただちょっと、僕は気恥ずかしくなりましたけど…。


時間に追われている世の中のできる女風の諸姉には、
胸を張って、力強く男社会を淘汰していって頂きたい。
ただしかし、
くれぐれも無理なねじ込み乗車だけはお控え頂きたい。
貴女をクールで処世にたけた人だと、
そんな淡い夢を抱いている男を気恥ずかしくさせてしまう事があります。
あしからず。

   

早朝に問題がどっと来む 2007/09/28
今朝、までグダグダ仕事を悩み、
力尽きて眠ろうかと思い、
仕上げの慕夜記を書く。
何度もキーボードの打ち間違いという困難を乗り越え、
やっとの思いで書き上げ、
ホームページにアップしようとしたら、
何故かアクセスが出来なくて、
焦りました。


細かいテクニカルな事は判りませんが、
これが世に言う『サーバがダウンする』という事なのか、
と思い、そく事務所の方にメールを入れたのですが、
何しろ早朝なので、眠っていらっしゃる。


考えてみると、僕はいつもこの慕夜記を直接書き込むので、
毎日の原稿を保存していないんですね。
つまりホームページがダウンしてデータを喪失してしまったら、
どこにもバックアップがなく、
300夜の文章は、取り戻しようがない状態なんです。
と、いう事に気が付いて、
ここまで、毎晩書いた努力がITの藻クズに消えたかと思い、
さすがにやり切れない思いで、
朝も早よから、勝手に落ち込んでいました。
パソコンに依存した生活でもありますので、
こんな事が起こるという事も認識していなくちゃいけないんだけどね。
万事、面倒臭がりなので、いけませんね。


結局、9時を過ぎて連絡が入り、
どこのパソコンでも問題がなくホームページにはアクセスできていて、
問題はむしろ僕の家のインターネッツの状態にあると判明したそうです。
まぁ、僕は落ち込んでいた割にはスッカリ眠り込んでしまっていて、
その連絡に気が付いたのも11時過ぎだったのですが…。
危機管理能力はゼロに等しいですね。
一国を担う宰相には到底なれないです。


でも、確かに僕の家ではアクセスできなかったんですよ、
他のページは気持ちよくつながって表示されるのに、
僕のホームページだけはちっともつながらなかったんです。
僕の家のパソコンが僕のホームページだけを拒否したなんて、
悲し過ぎますね。
細かいテクニカルな理由は判りませんが、
こうしたセキュリティーのクライシスに備えて、
セーフティーネットは考えておかないと駄目だなと痛感しました。


結局、もう一度パソコンを立ち上げて、
ホームページを開いてみたら、
気持ちよくつながって表示されたんです。
そして、再度慕夜記のアップを試みたら、
これも気持ちよくつながってアップされたんです。
一体、早朝の僕のインターネッツ環境に何が起こっていたんでしょうか。
細かいテクニカルな事はわかりませんが、
プロバイダーに僕がドットコムし過ぎて、アカウントがカウントされず、
慕夜記がエクスポート気味にキャッシュを残し、
コンテンツのクッキーとキッシュをお茶請けに、
スレッドにレスしていたみたいな問題が発生していたそうです。
普段身近に使っている割にはよく判らない世界ですね。


慕夜記の文章だけは、どこかにちゃんと保存しておこうと思うのですが、
こんだけ文章が増えると、
それを一つ一つ、保存するのも大変です。
今夜からは、毎日の慕夜記更新と共に、
毎日一つずつ保存していこうと思います。

   

お父さんのバイオリン 2007/09/27
久し振りにギブソンのJ-45をケースから取り出し、
ホコリを拭き取って弾いてみる。
最近、ずっとハート・ギターを弾いてばっかりだったから、
久し振りのj-45は太鼓のような低音が響いて、
結構、驚いた。
このギターは1956年製だから、
本当に多くのプレイヤーの手を経由して、
今、東京は僕ん家にいる。
それだけの臭みを感じさせる音が、
今夜は耳に心地よい。


ずっと前、僕が東京に出たての頃、
このギターを持って、千葉の友達の家に遊びに行った事がある。
ギターも古いけど、このギターに附いてきたケースも骨董品と言ってよかった。
それを担いで、電車に乗って、
ウツラウツラ居眠りをしていると、
僕の隣にはお婆さんが座っていて、
興味深げに僕とギターを見ていた。


お婆さんは、
「これギターでしょ?」
と僕に声を掛けて来た。
「えぇ、そうですよ」
そう答えると、お婆さんは堰を切ったように思い出話を僕にしてくれた。
「私はね、弦楽器がとっても好きなの。
  私はね、茨城の農家に生まれたんだけど、
  小さい頃から心臓が悪くて、病弱だったの。
  農家だからね、そんなんじゃ仕事ができないでしょ、
  だから、私は穀潰しみたい扱いを受けてたのよ。
  みんなが働いてるのを私は畦道に座って眺めている事しか出来なかったの。
  とっても寂しくてねぇ。
  でもね、家に帰って夕飯が終わると、
  私の父がね、私を膝の上に乗せてね、
  バイオリンを弾いてくれたのよ。
  その時だけは、私は父の優しさに甘える事ができたのよ。
  その時だけは、寂しさを忘れる事が出来たの、
  父だけは私に優しかったのよ。
  でもね、父は早くに亡くなってしまってね、
  私も働けないものだから、
  すぐに嫁に出されてしまってね。
  あの時のバイオリンの音が忘れられなくって、
  だから、弦の音が好きなの。
  で、今日はね病院の帰りにね、
  あなたが立派な楽器を持っていらっしゃるから、
  思わず近付いてね、声を掛けてみたのよ」


そして、お婆ちゃんは、
僕にギターを弾いてくれないかと頼んできた。
ちょうど僕の下りる駅は、お婆ちゃんの家の隣の駅だったから、
僕はその頼みを受け、友達の家までお婆ちゃんを連れていく事にした。


駅に着いたら、友達に電話を掛ける、
「あのね、今、電車の中で知り合った女の子がおるから、一緒に連れて行くわ」
友達は快諾してくれた。
で、お婆ちゃんと友達の玄関を開けた時、
友達が大笑いしてくれたのが嬉しかった。


で、友達の部屋でお婆ちゃんは正座して、
友達が出すお茶には丁寧に三つ指をついてお礼を言っていた。
僕はその当時、東京に出て来て、東京という街に戸惑っている時期だったから、
暗い唄ばっかり作っていた。
その中でも、より暗い曲を何故かお婆ちゃんに披露したのだけど、
お婆ちゃんは、
ギターを聞き、
唄を聞き、
お父さんのバイオリンを思い出していたのか、
ずっと目を閉じて聞き入っていた。


僕が唄い終わると、お婆ちゃんは目を開け、
すうっと細い手を重ねて床に滑らせて、
頭を下げた。
「結構な唄を、本当に有り難うございました」
誰も見向きもしなかった唄を、
初めて認めてくれたのがこのお婆ちゃんだった。


その後、唄の話しになり、
お婆ちゃんは『カンイチ、オミヤの唄が好き』だというような話をしていた。
やがて、お婆ちゃんは帰る事になり、
友達がタクシーを呼んでくれた。
お婆ちゃんはまた三つ指をつき、
「結構なお茶を、どうも有り難うございました」
と友達にも丁寧なお礼をした。
その姿は、目に焼き付いて忘れる事ができない。


その後、僕はお婆ちゃんに手紙を書いた。
或る日、家に帰って来ると、
お婆ちゃんからの留守電にメッセージが残っていた。
僕は嬉しくて、
その留守電のメッセージをMDに録音して、
今も保存してある。


お婆ちゃんの名前はサカモト キヨコちゃん。
このJ-45を弾いていると、
思い出す名前だ。

   

僕というダイナマイト 2007/09/26
頬杖ついて、メモ紙に落書きをする子、
ノートの隅っこに想いの詰まった言葉を託す子、
国道沿いのにぎわしい道で鼻歌を唄う子、
文化祭の出し物で、演劇に参加したおとなしい子、
ギターを持って、同じフレーズばかりを狂ったように弾く子、
手紙を書く子、
みんな、どっかしらに自分を演出し表現する本能を持っている。
それは、素の自分とは違った、
表現した自分。
嘘とは違う、嘘なんかより優しい自分、
夢と言ったら近いのかな。


そうして夜は更け、僕は酒を呑んで家路にいた。
一日を終わらせるには、
何となくやり切れない気分。
足下を右へ左へ動かしながら、
車道の中央の赤線の上を歩く。
その赤線の上にいられない。
フラッフラの千鳥足では、
三歩目で赤線から外れてしまう。
どうせまっすぐ歩けないのなら、
いっそ思いっ切り寄り道をして、
家から遠ざかればいい。
寄り道でもしなくちゃ、
今日一日を終わらせれない。
腹に二つ三つの想いを抱えちゃ、
家のベッドに安らぎはない。
だから、僕なりの表現をするのだ、
今日の表現を。
それが僕にとって寄り道って事だろう。


それは例えば、
公園に青く茂った桜の木の下。
それは例えば、
誰も来ないコンビニの店員との会話。
それは例えば、
昔通った店の跡地。
それは例えば、
ファミレスのドリンクバー。


僕の想いはそこら辺に寄り道して、
その本音を表現して行く。


僕というダイナマイトは、
導火線がやたらと長くて、
なかなか爆発しない。
みんながこのダイナマイトは不良品だと見向きもしなくなる頃、
僕の火種はとうとう芯管の火薬に引火して、
爆発を起こす。


一日が終わって、一人の時間が来る。
そろそろ明日の事でも考えよっかと思い始める時に、
僕のダイナマイトは大爆発したりする。


それは結局、一人になってから起きる事だから、
僕の大爆発が人目につく事はない。


でも、そんな地味な想いじゃないから、
放っておけない爆発が、稀に起きたから、
だからして、僕は理由のない場所におもむき、
寄り道をしながら、
僕の本音を表現する。


そうして表現を繰り返すうちに、
余分な力がなくなって来る朝。
曇り空、しっとり濡れた風。
夏から秋に変わった事を実感する。
季節の変わり目は、昼間より朝、深夜の方が感じやすい。
これも太陽が持つ、何かの表現なんだろうか。

   

思い付きは、まあまあデッカイどう 2007/09/25
最近、近所のコンビニの自動ドアーは、
店から出る時の反応が鈍く、
会計を済ませて、意気揚々と店を出ようとすると、
危うく激突しそうになります。
結構、みんな危ない目に遭ってるんじゃないのかなぁ。
男が一度、外へ出ると、思わぬ危険が一杯です。
今年はとっても暑い夏だったし、
コンビニの中は空調が異常に冷やしている訳で、
その境目で働いていたあの自動ドアーは、
夏バテでも起こしたんでしょう。


話しは、うんと変わりますが、
ちょっとした思い付きで、来月は北海道に出掛けて来ようと思っています。
19日から21日までの3日間。
ギター1本ぶら下げて、
札幌に旅して来ます。


何故、行くかと言うと、
勿論、唄いに行くんですが。
唄うと言っても、北海道だけに道場破り気分というか、
北海道の友達の案内に従って、
ライブバーを転戦してみたいなと思い立った訳です。
唄い、呑み、唄い、呑みで、
身体が潰れるまで、唄って、呑んで、唄って、呑んで、
北海道の音楽好きエネルギーに、
ストレンジャーな僕が、身一つでどこまで通用するか戦ってみたいなと思います。
ライブだのツアーだのというようなものではなく、
もっと泥臭い、体力勝負の3日間で、
北海道のミュージシャンと交流してこようと思っています。
北海道は久し振りだし、何しろ楽しみです。
ただ、寒さにはとことん弱い質なので、
10月の北海道、心して、厚着して挑んで来ようと思います。


何となくそんな思い付きに乗ってくれた友達に感謝です。
そんな思い付きに尽力してくれる友達がいて幸せです。
3日間は、そいつの実家に泊めて頂く事になりましたので、
粗相のないよう、大人のマナーを今から勉強しておこうと思います。

   

スッカラカン 2007/09/24
人生のプロローグはスッカラカンじゃないといけない。
じゃないと、人が見ても面白くない生き方になるから。
スッカラカンの人生を如何に無駄なく過ごせるかが、
その人のアイデンティティーになると思う。
今日は六十で独身のオジサンと知り合ったけど、
尊敬すべきスッカラカン度を持っている。
僕自身はいずれ結婚はしたいなと思うけれど、
そんなオジサンの処世術を聞く度、
如何に自分が同質の考えを持っているのかが判る。
そんな人に会う度に、
「お前は生涯、一人で生きるんだ」
と勇気づけられてるような気がする。


スッカラカンで生きて来たオジサンは強い。
「お前はモテるだろう」
なんて言いながら、
そのオッサンはモテる事に一切興味がない。


僕はそれなりに男として生きて来たけど、
自分にッスッカラカン感を持てるようになったのはごく最近だ。



物理的なものは揃う、
ただ、人のつながりは昨日、今日で確立するもんじゃない。
人との出会いを、明日へと、来年へとつなげていくもので、
こんな僕でも、明日を見せてくれる友達がいる事は、
今まで、判らないなりに我流で生きて来た方向が間違っていないんだなと安心する。


僕の人生は、この歳でやっとスッカラカンになり、
この歳で、やっと面白みを増して来た、。


兎に角、行けるだけは、
兎に角、行けるだけは、
スッカラカンの人生を歩んで行くのが、
僕の本当の魅力になっていくいものと思う。

   

クルクルパー・マネンツ 2007/09/23
ここんとこのドタバタに紛れて、報告を忘れていたけれど、
数日前、僕はパーマネンツを頭に施した。
それも今回は著しくクルクルに巻いてみた。
コンセプトとしては『やんちゃなブラジル人』
やんちゃなブラジル人がどんな頭をしているのかは知らないけれど、
見た人が、そう納得いくような髪型を目指した。
仕上がりは思った以上に良く、
今までトライしてきた髪型の中では、
一等級の出来映えだと思う。
僕の男ぶりは三等級に昇格。


しっかし、会う人、会う人、
誰もコメンツをくれないんだよなぁ。
結構、クルクルなパーマネンツでやんちゃっぷりをアピールしている筈なのに、
「おっ、いいパーマネンツだね」
と言ってくれない。
たまり兼ねて三等級男前・山口自ら、
「ねぇ、どうどう、このパーマネンツ?」
とお伺いをたてる始末。
「あぁ、気付いてたよ」
と、盛り上がらないコメンツが返って来る。
僕自身、こんなやんちゃなパーマネンツは世界に類例を見た事がなく、
誰しもが羨むムーブメントになると思っているのに、
殊の外、残念な結果だ。


襟足の外跳ね具合、
トップのキューピー具合、
サイドのプレスリー感、
どの角度をとっても、
やんちゃなブラジル人。
簡単にサンバは踊らないぜっ、Honey!
俺は自由気侭、情熱に任せてタンゴを踊ってやる。
というニヒルさが滲み出ている。
アラン・ドロンとクラーク・ゲイブルを足して二で割って、
肩凝りに悩んだらこんな三枚目になる。


残念な事に、
当分、人前に立つ機会がない。
僕のような猫っ毛のパーマネンツは来月のBig Mouthのライブまで持たないだろう。
すっかりゆるゆるになっている事と思う。


僕は、毎回髪型を変える度、
「これ気に入ったわぁ、当分これにしよ」
と言っている。
が、二連続で同じ髪型にした事はない。
ただ、今回の気に入り方は深い。
矢張り毎度と同じように、
「これ気に入ったわぁ、当分この髪型でいくわぁ」
と言ったけど、
本当にそうすると思う。
だからして、
余計に気持ちの良いコメンツを期待しているのだが…。

   

我が家の木 2007/09/22
朝、起きると、
何度も水槽に顔を近づけてクズモチ(錦の出目金)の状態を確認する。
クズモチは昨夜より幾分落ち着いて、静かに病気と闘っていた。


クズモチの目は身体の四分の一くらいの大きさがある。
その目をじっと見つめ、
かすかな眼球の動きと、エラの膨らみに、
何度も安心しては、一日の準備をした。
隣の水槽では、メンデル(黒の出目金)とゴスロリ(赤の出目金)が、
いつもの「チョーダイ!チョーダイ!」コールをしている。
「ちょっとは兄弟を心配しろよな」
と呟きながら、その水槽に餌をやる。


出掛ける間際まで、僕は何度も水槽に顔を出し、
夜帰宅した時には、元気に泳ぎ回っているクズモチを想像していた。
無理矢理、何度もその想像をしようと心掛けた。
「じゃあ、行って来るな。メンデルもゴスロリも、クズモチをよろしく頼むな」
「クズモチ、行って来るからな、頑張れよ」
昨夜は何度もクズモチに謝っていたが、
今朝は、クズモチの生命力の粘り強さに、
僕自身が希望を与えられていた。
大の男が水槽に何度も顔を近付けて声を掛けている様を、
おかしな姿と笑う人もいるだろう。
でも、僕にとって大切な命である事におかしさはない。
体長3cm半で、目が浮き袋の様に大きな、誇り高い命なんだ。
「行って来るね」
と玄関を開けると、
大通りには痛いほどの陽射しが、
アスファルトに跳ね返って僕の目に直撃した。
心が少しずつ軽くなっていくのを感じた。
それはクズモチのくれた希望だったと思う。


日中は、何かをしていないと、
僕の頭はすぐにクズモチの水槽の中に飛んでしまう。
クズモチが力尽きている姿のイメージと、
元気に泳ぎ回る姿のイメージが交錯して、
いたたまれなくなってしまう。
兎に角、僕は頭が暇にならないように努めていた。


日は暮れて、夜になる。
辺りが段々暗くなって来ると、
僕のイメージは悪い方に支配される様になる。
何度も振り払ってはみたけれど、
家に帰るのが恐怖になっていた。


帰りの電車に乗り、駅に着く。
地上に上がり、いつもと全く変わらないコースで家に向かう。
歩きながら僕の気持ちは沈んでいたけど、
コインランドリーから漂う洗剤の匂いに少し心を和ませた。
コンビニで煙草を買う、
家の玄関を開ける事がこんなに怖いのは初めてだ。
頭にこびりついて来る悪いイメージを、
何度もブルブル首で振り払ってマンションまで歩く。
そして、何とか家の玄関に辿り着く。


「たっだいまー」
僕はいつも通り暗い部屋に、いつもより元気よく声をかける。
いつも通り応答はない。
電気を点ける、
水槽をのぞく。
クズモチは沈んだまま、死んでいた。


ポンプから送られている気泡で、
水槽の水は揺らめいている。
力尽きたクズモチのヒレも揺らめいている。
その揺らめきに、生きているんじゃないかと、
声を掛け続け、水槽をコンコンと突いてみたけれど、
クズモチの大きな眼球は返事をしない。
エラは開く事もなく、
動向は真っ黒に静まり返っていた。
ただ、ヒレだけが生きている様に、
しなやかに揺らめいていた。
僕は手を洗い、
水槽に手を突っ込んでクズモチに直接触れて確かめようとした。
力尽きたクズモチは、水中では藻草の様にフワフワと浮いてしまい、
水面から空中へ持ち上げると、
僕の手の中でグッタリ重みを増した。
僕はやっとクズモチが死んだんだと諦めた。


思えば、やんちゃなクズモチが僕の手にこんなに長い時間乗ったのは初めてだ。
水換えの時、三匹を水槽からバケツに移す時、
メンデルもゴスロリも割とおとなしく僕の手の平におさまってくれるけど、
クズモチだけは手につかんでも嫌がってジタバタするから、
成長を重さで感じる事はできなかった。
今、やっとこうして手の中にクズモチを入れて、
随分重いもんだと、成長の度合いを感じた。
水中の生き物と、地上の生き物との切ない定めではある。


夜中、百円ショップでスコップを買い、
近くの公園へクズモチを埋めに行く。
この公園の大きな桜の木の根元に、
今まで僕の家に来た金魚、ピンポン(ピンポンパール)とウメボシ(丹頂)が眠っている。
誰もいない公園で、その桜の木の前に座り、
「また来てしまったわ、仲良くしたって」
と小さく声を掛け、
日照りでカンカンになった土を掘る。
途端に眠っていた蚊が一斉に僕を攻撃して、
半袖、短パンの僕は二十カ所近く蚊に喰われる。
「またやな、深夜の死体遺棄」
誰にいうともなく、独り言を呟きながら穴を掘る。
野良猫に掘り返されないよう深めに掘り、
そこにティッシュでくるんだクズモチを埋める。
そして誰にも掘り返されないように穴を堅く塞ぐ。


深夜の公園で一人、
青く茂った桜の巨木を見上げ、
来年はどんな桜が咲くだろうと思ってみる。
誰も知らないけど、この桜の木は、ウチの木だ。
我が家のたくましい命達の養分が、たっぷり詰まった木だ。


じゃあな、クズモチ、
今まで有り難うな、
お前と生活できて、本当に楽しかったよ。
   

クズモチ 2007/09/21
昨夜半から今朝にかけて、
クズモチ(錦の出目金)の看病と自分の懸案事項のためにほとんど眠れず、
久々の超寝不足で一日を過ごす。
ただ、その二つの心配事は、寝不足の僕を眠くさせたりしなかった。
自分の懸案事項については陽のあるうちに見通しがついたが、
クズモチの事だけは気が気でならない。
何をしていても、不意にクズモチの事を思い出して元気になってるかどうかを想像し、
やきもきして、一日をこなすのが重かった。
気が付けば夜になり、
そんなこんなの僕は、
やっと満員電車の中でポツンと座っていた。


駅を出ると、いつもの帰り道を早足で戻る。
家のドアを開けて暗い部屋。
その暗い部屋に街灯の明かりが差し込んで、
水槽の影が見える。
不安が頭をよぎって、
電気を灯すのに一瞬ためらう。
部屋を明るくしてみると、その予感は的中していた。
クズモチは今朝の状態より明らかに弱っていて、
ぐったり水底に横たわっていた。


がっかりしてしまう。
全身の生気が腰から抜けていくような思いだった。
今更になって、クズモチが死んでしまう事を思うと恐怖でならないのだ。
動揺しながらも、兎に角水槽に少しの処置を施し、
あとはクズモチの小さな生命力を見守るしかなかった。


矢っ張り、僕は保護者として不充分な点がたくさんあり、
もの言えぬ小さな生き物の想いを汲み取り切れなかった事を悔しく思う。
毎日、見ていたのだから、
もう少し早く、クズモチの異変に気付くべきだった。
「ごめんなぁ」
クズモチは他の出目金と比べて身体は小さいけど、
その出目っぷりは見事なもので、目がでかい。
自慢のナイス出目だったけど、
今は、その目の大きさが必死さを表していて辛い。
水槽の中でクズモチが小さな生命力を、必死に奮い立たせているのがわかる。
その一生懸命、病魔と闘う姿を見て、
「俺のせいやった」
と後悔ばかりが頭を重くしていた。


クズモチの病状は明らかに悪くなって、
今夜の見通しは暗くなっていく一方だった。
部屋を暗くして水槽の前に座っていたが、
嫌な想像ばかり思い浮かべてしまうので、
気を紛らわす為に晩飯の用意をした。
気が付けば、今日一日、何も食べていなかった。


食事の用意をすますと、
水槽のあるキッチンのドアを閉め、
隣の部屋で僕は食事をとった。
そして、食事を終えると、
僕はそのまんま力尽きて、知らぬ間に眠ってしまった。


目を覚ますと朝の5時、
むくっと起き上がって、キッチンへのドアを眺める。
その向こうにクズモチがいる。
僕の頭の中は、駄目な見通ししか立たない。
或る程度の覚悟をしてドアを開ける。
クズモチはぐったり横たわって微動だにしない。
「矢っ張りかぁ…」
と肩を落とし、
キッチンの灯りを点ける。
横向きになっている姿がはっきりする。
水槽に顔を近づけて、
「クズモチ」
と呼んでみる。
と、
と、
クズモチはビクンと身体を反らした。
何てすごい生命力だろう。
この小さな身体はまだまだ負けてやしない。
全く僕の方が頼りないばかりだ。
慌ててキッチンの電気を消して、
そっとドアを閉める。


こんな小さな生き物から、学ぶ事だらけだ。
僕みたいな、ただ図体ばかりがでかい生き物は。

   

Dear My Familly 2007/09/20
どんな時でも、髪の毛は伸び、
こんな僕でも成長しているんだ。


最近、我が家の金魚が調子を崩している。
毎日、心配しているんだ。
何にもない部屋だけど、
僕が居なきゃ、静まり返った部屋だけど、
僕等のFamillyにはかけがえのない棲み家なんだ。


出目金三匹、ガジュマルの木一株、ギター九本、
そして、俺一匹。
僕の大切なFamilly。


色んな風に煽られても、
悲しいときも、
みんなで乗り切ってきたから、
みんなで笑って音楽を奏でてきたんだから、
もう、誰も欠かしたくないんだ。


みんなで一匹を心配して、
みんなで一匹を確認し合って、
「大丈夫か?」
と言って、
「大丈夫なんだよ」
て言って上げるんだ。
もう、絶対、一匹も欠かさない、
一匹も欠かさない部屋なんだ、ここは。


ガラクタだらけの部屋だけど、
散らかった部屋だけど、
俺一匹と出目金三匹、ガジュマルの木一株、ギター九本を、
守る責任が僕にある。


どんな時でも、爪は伸び、
こんな僕でも成長しているんだ。
僕のFamillyはみんな日々、成長しているんだ。
もう、迷わないんだよ。
何とか、やってくんだよ。
みんなでやっていくんだよ。


お前達には全てを話すよ。
お前達の知らない頃の僕の事も。
あの時、どうして笑って、どうして泣いたのかも、全部。
どんな男と一緒に生きているのかをわかって欲しいんだ。
僕は、必ずお前達を守るよ。
僕は、必ずお前達を守るよ。
かけがえのない僕のFamilly。
   

我が家の心臓部 2007/09/19
少し自分の考える方向が面白くない方面に向かっているのを感じます。
楽しいアイデアが止まり気味かな。
こんだけ自分の身体と付き合っていると、
今、自分が自分に退屈しているのか、そうでないのかは、
分かるようになって来ます。
僕の内側が、よくない方向に向かってます。
ここで気合いをいれて、自分で自分を楽しませてやらないと、
良くない方向にいっちゃう予感がするな。


そして、そんな時こそ、
僕はハート型ギターを取り出し、
力尽きて眠る寸前まで弾き、唄い倒します。
そして、そんな時こそ、
僕は目覚めると同時に枕元のハート型ギターを取り出し、
気持ちが軽くなるまで弾き、唄い倒します。


そして、こんな時ほど、
僕のハート型ギターは、艶やかな音で僕を楽しませます。
さすが、ハート型は伊達ではないと感じます。


ちょっとした心配事ってのは、
どんな時でも、腹のどこかに巣食っているもので、
大概は、他事を食べているうちに流されているものなんですが、
ちょっとしたきっかけで、自分がシリアスになると、
心配事が巣食っている部分がチクチクして気になって仕方なくなります。
そうすると、小さな心配事が色んな事まで不安にさせて、
全体的な精神の体調を悪くします。
ここは踏ん張って、
その心配事の一部を、安心事に変えてやらなくちゃなと思うんです。
今の僕は、ちょっとカスカスかなぁ。


で、何にも面白い事が浮かばないと、
僕はハート型ギターを弾きます。
結局、何にも面白い事を考えつかない僕が弾いているギターの音色は、
とっても面白い音を奏でている。
このギャップが、今日の僕のトピックスです。
弾いているうちに、没頭していき、
時を忘れて、ハートに近付いていく。
このハート型ギターが僕の楽しい事を知っている気がします。
だから、没頭します。
今、朝も夜も、我が家にはハートの音色が鳴り響いています。
それは外壁工事に負けない力強さです。

   

同船 2007/09/18
今日のライブに来てくれた人、
居合わせた人、
有り難う。
「再見」という曲が、唄う度に意味合いを広くして、
「サヨウナラ」と「再び会う」を近くしているような実感があります。


ライブ前、僕は例の如くファミレスのドリンクバーで、
一人寂しく何杯も珈琲を飲んで過ごしていたのですが、
その間、約2、3時間は色んな妄想を飛ばして遊んでいます。
次の話は、そんな今日の妄想です。


長く孤独な旅の途中、スコールに見舞われ、
すっかりびしょ濡れになって、靴の中は水風船のようです。
それでもその足を引きずって歩き、
とうとう目指していた場所まであと一息のところまで来ます。
さぁ、長旅の仕上げ、とばかりに最後の力を振り絞り歩みを進めていくと、
僕の目の前には大きな河が現れて、僕の行く手を塞ぎます。
遥か対岸には、
僕が追い求めて来た街が見えているのに、
河は雨で増水して、流れも急になっています。
そこに架かる橋もない。
僕が途方に暮れて河を見つめていると、
或る男が話しかけて来ます。
そいつはここらにやって来る旅人を相手に、
記念のポストカードを売って歩く仕事をしているんだそうです。
最初は僕にポストカードを買わないか勧めて来たのですが、
僕が一切相手にもせず河をじっと眺めているので、
「君は何が欲しいんだ?」
と尋ねて来ました。
僕が対岸の街に行きたい旨を伝えると、
「じゃあ船を紹介しよう」
とその男は得意気に言いました。
だけど、そんなのは商売で不当に金をむしり取られるだけだ、
僕には乗船できるだけの金がない。
だから、その誘いを僕は断ります。
それを聞いた男はあきれ顔で、
「君の目的は対岸に渡る事だろう?何故躊躇する?
  何故、人の声を受け入れないようにする?
  君は自分の事は自分でしなくちゃいけないと思っているかもしれないけど、
  そんな安っぽい責任感や意地は、間違いだ。
  この河を一人で渡ろうとすれば、溺れ死ぬしかない。
  現に君はここまでの道のりを一人で苦しみ、
  言葉も忘れ、疲れ切って歩いて来た。
  そしてその結末に、
  河を目の前にして、ただ途方に暮れている。
  一人でできる事って結局そこまでのもので、
  何の結論にも達しないんだ。
  君には人の助けを受け入れる勇気が必要だ。
  人の助け受け入れて、船に乗るんだ。
  そして対岸に見えるあの夢の街へ、
  同じ想いを持った旅人と同じ船に乗るんだ。
  そこで運賃を折半し合ってあの街へ行けばいい。
  人と生きるって、そういう事じゃないのか。
  同じ船に乗った人が、君と共に生きる人になるんだ。
  その大切な機会を、塞ぎ込んで逃してはいけない」

そうなんだ、どんな時でも、どんな状況でも、
一人で生きちゃいけない。
人と生きなきゃいけない。
と思っている、
という妄想。


ライブ前、僕が如何に暇であったかが伺えます。
   

結構愛楽 2007/09/17
ここのところ妙に人恋しく思います。
自宅にいる時以外は、結構人といるのに、
人といればいるほど、
妙に心がはしゃいで一生懸命に話してしまいます。
まぁ、くだらない話しの応酬なんですが、
「救いようがねぇなぁ」
と言われるくらいどうでもいい話をしてしまいます。
僕の本領が発揮されている場面なのでしょう。
人の近くにいれる自分を意識し出したのは、
今年に入ってから。
生まれて初めて。
もう、人見知りとは言わせない性格になっていると思います。


昨日の宝くじの妄想の話しもそうなんですが、
ふと悲しい気持ちになったり、
辛い気持ちが心に蓋をしようとした時、
その悲しみに浸らないようにする事が、
今、僕はとっても大切な事だと感じているんです。
馬鹿げてていいから、楽しい顔をしていたいと思います。


矢っ張り、いつも軽い男でいたい。
重い口で一つ、二つ、何か確信めいた人生観を語れる男より、
どうしようもない助平話を千個、ぶちまけれる男がいい。
ともすると人間様は、悲しみや苦味に耐える事に達成感を感じたり、
頼もしさを感じたりします。
悪い事じゃないけど、それは矢っ張り心に蓋をします。
つまりそれは人が入る余地がない、
自分を守る事に窮々とした姿だと思えるんですね。


「あの人って、どんな時でも明るくて、根拠もなく楽しそうにしているね」
「ありゃぁ、悩みがないんだよ」
なんて後ろ指刺されるような立派な男になりたいと思うんです。


「あの人は話しが判る人で、一緒にいると包み込まれるようだわ」
と女性に言われる出来過ぎた男より、
「あいつは馬鹿で、頼りにならないわ」
と呆れられるような男でいたいのよ。


どうせ、僕は一生懸命生き抜いたとしても、
何一つ確信を得ないでしょう。
その場その場でキリキリ舞いしながら、
その時その時の間に合わせをしながら、
生き抜く事と思います。
賢くなる事は到底無理です。


だから、楽しさ、面白みに身を浸していたいと思うんです。


人と悲しみを共有するのは無理です。
それは人それぞれ悲しみの形が違うからです。
人と楽しさを共有するのは出来ます。
それは万人の楽しみの形が一緒だからです。
僕は背中に、楽しみの翼が生えてくれないかと思います。

   

東京砂漠にて 2007/09/16
『先生、大変で〜す。山口君が素敵な事を言っていま〜す!』
『よ〜し、みんな耳を澄まして聞いてやれ〜』
『山口君、たまにはいい事、言うんだね〜』


「う…ん、にっ…虹の根元を見たんだヨッ、う…ん、…ハッ!」
今日はいい夢を見た。


寝惚けて家を出る。
駅までの道のり、電車の中が僕の覚醒時間だ。
今日はあれやるのかなぁ…。
明日、これやるでしょぉう…。
細かい計画を立てるのがとことん苦手な僕は、
寝起きからすっかりお手上げ状態。
気分が乗らないような事を考えたって上手く行きっこない。
そんな勝手な思い上がりで、
いつしか計画は、おおざっぱな打算へと流れていってしまう。
明後日、宝くじ買うでしょぉう…。
明々後日、当たるでしょぉう…。
そっから僕は、寝惚けた頭が作った大豪邸に暮らし、
寝惚けたドライマティーニを片手に、
寝惚けた庭の果樹園でもぎ取ったオリーブをかじっている。
そしてバルコニーのハンモックに横たわると、
寝惚けた唄を唄い出す。
はぁ、幸せって…。


そんなこんなのイメーヂを一通り済ますと、
兎に角、今日一日の明るさが身体にみなぎって来るんだから、
まぁ、勝手なもんだ。
でも、兎に角、気分はすこぶる明るくなる。
今日も一日、頑張るぞ、と思う。


そう、今日も電車の中でそんな一人の儀式をやっていると、
不意に女性が声を掛けて来た。
「ちょっと、晶君」
すっかり一人の世界に没頭していた僕は、
そのイレギュラーな問い掛けに驚いて顔を上げる。
ありゃ、vikiさんだ。
偶然同じ電車に乗り合わせたvikiさんが僕を発見して声を掛けてくれたのだ。
これには、更に驚いた。
こんな東京砂漠で、何気なく知り合いに会う事があるのか?
こんな時間の、こんな電車、
知り合いに会おうとしても、百年河清を待つようなもんだ。
vikiさんとは京都のイベント以来になるかな。


それにしても、
とんでもなく気の抜けた顔を発見されたもんだ。
「晶君、大丈夫?晶君の顔見たら心配になったよ」
とvikiさんが言う。
心配になるくらい抜けた顔をして、僕は電車に乗っているらしい。
雑談を交わして、近況報告など交わすものの、
何となく恥ずかしい。
矢張り男子たるもの、家を出たら気を抜くべからず、という事なのだろうか。
vikiさんに、
「一体、何を考えてたの?」
と聞かれたので、
僕は思わず正直に答えてしまった。
「宝くじで当たった場合の、賞金の使い道…」


偶然、久し振りにvikiさんに会えた事はとっても嬉しかったんだけど、
こんな自分が矢っ張り恥ずかしい…。

   

秋支度、電線模様 2007/09/15
『先生、大変で〜す。山口君がお餅を焼いていま〜す!』
『よ〜し、みんな力を合わせてこらしめろ〜』
『山口君、教室でお餅焼いちゃいけないんだよ〜』


「う…ん、やっ、やめっ…う…ん、…ハッ!」
今日も嫌な夢だった。


僕が目を覚ましたのは昼少し前、
外では外壁工事のおじさん達の昼飯の時間が始まり出したところ。
一仕事終えた男達の話し声は高らかと活気に満ちている。
「う〜ん、うるさいよ〜」
これから一仕事を迎える男の悲鳴。
汗を掻いた後は、どうしても気持ちがハイになる。
そのピッカピカの誇りに満ちた男達の声に心を打たれ、
暫くは我慢しようと思ったが、
一体、いつまで続くのやら。


そろそろ夏も終わりである。
まぁ、残暑がふんぞり返ってはいるけど、
風の湿度が下がって、幾分かは過ごし易くなったような気もする。
秋に向かっていく準備をちゃくちゃくと進めなくちゃいけない。
そんな事を考えていると、
危うく忘れかけていた風景を思い出した。


それは先日、喫茶店の2階で珈琲を飲んでいた時の事。
2階の窓際で珈琲をすすっている僕の目の前には、
ちょうど、電線が走っていた訳だ。


その電線を見るでもなく、視線を電線に置いて、
ぼぅっと考え事をしていると、
電線が、右へ左へ動いている事に気付いた。


その電線の怪奇現象に、
よくよく目を凝らして見てみると、
怪奇現象でもなんでもなく、
その正体は蟻んこっだった。
蟻んこが一列縦隊になって、
右の街路樹から左の街路樹へ、
左の街路樹にいた蟻んこは、右の街路樹へ、
せっせ、せっせと食料を運んでいたのだった。


僕はこんな光景を見るのは初めてだったから、
ルンルンで観察した。
僕の一番の興味は、
この一列縦隊の電線の上で、どうやってすれ違うのかという事だった。
右からの蟻んこと、左からの蟻んこがいる。
季節に急き立てられた働き蟻なだけあって、
そいつ等は結構な勢いで走っている。
どうなるものかと思って見ていると、
そいつ等はすれ違う時、ただ思いっ切り頭をぶつけ合って、
その衝撃に負け少し道から外れた方が道を譲り、
勢いが勝った方が直進する。
後は何事もなかったかのように自分の方向へせっせと走り別れる、
という、期待外れなほどごく当たり前なすれ違い方だった。


で、季節は変わっていく。
みんなごく当たり前に、その準備に余念がない。
僕もあれこれ目を移しているうちに、年末は意外と間近に迫っている。
僕の準備は、まずどんな準備をするか考えるところからだな。
お馬鹿な回答かもしれないけど、
実際、今年の初めから継続しているもの達も、
矢っ張り、その季節の中で刻一刻と状況を変えている。
あまり保守に走ると、勢いを失って道からはじき出されてしまう事だってある。
季節の変わり目、
当初の目標に向かってはいても、
その都度、その状況で準備は考えていかなくちゃな、
そんな風に思った、電線模様だった訳だ。

   

外ヅラを整える 2007/09/14
『先生、大変で〜す。山口君が鼻血を出してま〜す!』
『よ〜し、みんな力を合わせてこらしめろ〜』
『山口君、教室じゃ鼻血出しちゃいけないんだよ〜』


「う…ん、やっ、やめっ…う…ん、…ハッ!」
嫌な夢だった。


今日から僕の住むマンションは工事。
外壁を直して、水漏れなどを防ぐらしい。
今日は足場を作る作業をしているようで、
バルコニーの方はドリルやハンマーの音におじさん達の声が混じって、
朝から大賑わいだった。
眠る頭の上におじさん達の行き交う影、そして音で、
だから嫌な夢を見てしまったのか。
暫くは意地でも眠ってやろうと努力をしたが、
ドリルで外壁に穴を開け始められると、
もう、とてもとてもかないっこない。
煙草と携帯灰皿を持って、ウロウロと外に出てみると、
現場監督らしき人が、とても柔和な表情で僕に話しかけて来た。
「ど〜もお騒がせしてすみませんねぇ」
「いえ、とんでもない。ご苦労様です」
「いや〜、ご迷惑をお掛けします」
「そんな、こちらこそ宜しくお願いします」
「この工事で、もうピッカピカに綺麗になりますからね」
「あぁ、外壁ですか」
「えぇ、もうピッカピカになります」


ピッカピカと目を輝かせるおじさんの表情に心打たれ、
騒音は我慢しようと思ったが、
一体、いつまで続くのやら。


それにしても、外壁が綺麗になるって、
あんまり喜べないなぁ。
外壁を見て暮らす訳じゃないし、
今は適度に汚れているから、
泥棒達に狙われていないんだと思う。
一階にある僕の豪華な部屋は、
適度にみすぼらしい外壁によってカモフラージュされてきたのだ、
オシャレなマンションのように見えてしまったら、
ひとたまりもない。
大金持ちだという事がバレてしまう。
そう考えると、この改築工事は退っ引きならないな。


と、まぁ、そんな事を考えながら煙草を一本吸い終わる。
部屋に戻ると、鬼のように散らかった部屋。
内装工事はやってくれないのかな。

   

毎日がここにあるという事 2007/09/13
慕夜記を連日書き始めて、
今日でとうとう300夜目を迎えました。
いや、素晴らしい根気です。
自分を褒めます。
よく頑張ったなぁと思います。
クッタクタに疲れ切った日でも、
グッテグテンに酔っ払った日でも、
深夜でも、朝でも、
兎に角、書こうという意識を失わなかったのは、
僕のようなぐうたら人間が魅せる奇跡です。


実は300夜目の今日が、
今までの慕夜記ライフの象徴的な一日になりました。
夜、知らぬ間に眠っていて、
目を覚ましたら朝だったという事です。
ここんところ、朝まで何かをしている事が多く、
慢性的な寝不足が続いていました。
その為、今日は一日中、寝惚けていて、
何をしても夢の中で、20分と起きていられない状態でした。
そして、何がどうなって布団に入ったか覚えてないのですが、
目を覚ましたら朝でした。
「はぁ!アカン、慕夜記!」
目を覚まして、一番最初に意識に上がって来るのは、
矢張り、慕夜記の事なんですね。


以前の慕夜記で根気について書きましたが、
僕がこれだけ慕夜き続けれたのは、
矢張り、慕夜く事が好きだからなんだと感じます。
毎日を癖のある自分の言葉で書き置いていくというのは、
楽しい事だなと思います。
僕の場合、過去の慕夜記を読み返すという事ができないタイプなのですが、
その日その日の締めに書いた慕夜きは、
その日だけ何度か読み返し、
何度か頷いて、納得をして終わる。
これが僕の毎日の板についてきて、
一日を把握して終われる気がします。


そして、自分の言葉に確信を得たり、
優しさを保ったり、
苦味を消化したり、
可笑しさを発見したり、
どんな一日も締めを幸福に保つ薬になります。


最初はいつでも気が向いた時にやめようなんて思ってましたが、
今は、いつでまでも気が向くまで続けようと思っています。
この地道な毎日が奇跡と呼ばれるまで、
兎に角、続けなくちゃ面白くない。
この慕夜記は、僕自身に沢山の課題を与えてくれる、
僕にとっても公の文章です。
とてもためになるおもちゃを与えてもらった気分です。
これからも、毎日のお付き合いを、
宜しくね。

   

下町のナポレオン 2007/09/12
昨夜の帰り道、
「どうしようかな」で、唐突に予定を変え、
近所の友達の家に行った。


そこで5人ばかりで酒を呑み、
語り合い、
唄い合い、
そしてまた呑み合いで、
いつしか2人が布団に沈没し、
気付けば、窓からは昼の太陽が、
僕等を暖めていて、
生き残って呑み会と言うリングに立ち続けていたのは3人。
愉快な仲間達だ。


僕は僕で、好物の下町のナポレオン(いいちこ)を片手に、
『今年の年末までにモテる男に…』
という話題に、何故か熱弁を奮っていた。
まったくいつまで立っても成長しない呑みの席での会話である。
男ってそんなものなんかな、
死ぬまで一生、男は成長しない会話と興味をつまみに、
下町のナポレオンなり、田舎のジャンヌダルクを呑んで語るのかな。
そうありたいなとも思うし、
いい事言おうと狙ったりせずに、
可愛らしい事を言ってられる大人になりたい。


…と、ここまで慕夜記を書いたとろで、
机に肘を付け、
潜るところまで頭を腕の中にうずくめて、
眠ってしまった。


おまけに折角書いた書き掛けの原稿を、
御丁寧に消して眠っていた。


何度目かの
『あちゃ〜』である。
またしても、慕夜記がとんでもなく遅れてしまった。


300夜目の前夜にとんでもないミスをおかしてしまった。
僕の努力が、下町のナポレオンの為に、
水泡に帰してしまうところだった。
あっぶな〜い。


まぁあね、いつも慕夜記は一日を終える時に書いているから、
今日も、さっき原稿を書いている時点では、
まだ一日は終わっていなかったのかもしれない。


帰りは余った下町のナポレオンの瓶をカバンに押し込め、
千鳥足で歩いてお家まで。
全ての身体のパーツが、
なかなかに重い、
すこぶる眠い。
なかなかに天気がいい、
すこぶる気温が暖かい。
昨夜寒かったから、
「もう短パンは終わりのシーズンかな」
と思っていたけど、
今は、行けるところまで短パン記録を伸ばす自信が湧いて来た。


   

珍しいほど不運な日 2007/09/11
朝まで掛かって31rpmを仕上げ、
床に就いたのは9時、これはam。
気が付いたら晩飯を喰い忘れていた。
朝飯を食べてから眠ろうかと思ったけど、
睡魔の方が勝っており、
布団に沈没。


3時間寝たら出掛ける予定だったから、
そのつもりでグッタリ眠った。
あっと言う間に、睡眠の深海へ到達。
真っ暗で圧迫された海の中のシーラカンスのような気分。
僕は自分が何者かを忘れていた。


しかし、
ピンポーン、ピンポーン
誰かが、僕のいる深海へ釣り糸を垂らして来た。
僕は3時間経ったら起きなきゃ行けないという緊張感があったから、
思わずのそ釣り針に喰い付き、
目を覚ましてしまった。
玄関に出てみるとガス屋だった。


僕は疲れて眠っていた為、随分寝た気になっていたが、
時計を見ると、まだ11時だった。
「くっそう、起こされたぁ」
と、慌てて布団に戻ったが、
思えば、僕の不運な一日はここから始まっていたようだ。


12時過ぎまでグズリまくり、
12時25分に無理矢理布団から這い出て、
出掛ける。
「曇りだな」とは思ったけど、
寝惚けた僕の気象観測は傘を持っていく必要ナシ子と判断した。
そして、地下鉄に乗り、
地下鉄の中でもウツリ、ウツリと居眠りながら目的地に着き、
地下から地上に上がってみると、
豪雨だった。


激しい雨脚に、思わずたじろぎ、
こんな雨ならすぐにどっかに去っていくかもしれない、
やり過ごそうか迷ったけど、
地下鉄の出口から、横断歩道を渡ったすぐにコンビニがあったので、
あそこまでなら、さほど濡れずに辿り着けるだろうという観測のもと、
僕は駆け出したのだったが、
僕の予想以上に雨は激しく、
瞬時にビッタビタの濡れ鼠になってしまった。


コンビニに入り、傘を買うべきか悩む。
目的地まで50mほどか、
その為だけに傘を買う気になれないけど、
10mほどの横断歩道でこの様だ。
濡れたまま一日を始めるのは嫌だから、
矢張り傘を買う事にした。


それを差してその50mを歩いたが、
ものともしない雨だった。
そして僕が目的地に入ると、
雨は次第に弱まり、
すぐに止んだ。
矢張り傘はその50mの為だけに買ったようなものだった。
僕のずぶ濡れになったシャツも短パンも次第に乾いていった。


そんなこんな用事を済ます僕、
でも、その中で煙草を切らしてしう。
寝不足には煙草がないと意識がすぐに飛んで眠ってしまう。
面倒だが、行きと同じ50m先のコンビニへ煙草を買いに出た。
外を見ると雨は降っていない。
「傘は持ってかなくて平気やな」
とコンビニへ行き、眠気覚ましの煙草とキシリトールガムを買う。
さて、戻ろうかとコンビニを出てみると、
行きと同じ、ざんざん降りである。
また、外に出る事を躊躇する。
まったく、何の為に傘を買ったんだか、
またこの50mにやられるのか。
かと言って、もう傘を買う訳にいかない。
僕はまたずぶ濡れになり直して、
今度は50mの距離を疾走した。


用事も全て終わり、帰路につこうとすると、
外には小雨が降っていた。
「早く帰って、早く眠ろう」
建物の玄関にある傘立てに首を伸ばすが、
僕の買ったばかりの傘が見当たらない。
誰かが持って帰ってしまっていた。


結局、買った傘は50mとしか使わなかった。
何とも無念な話である。
今日は全てが噛み合なかったのだ。
久し振りに『今日は不運な一日だ』と実感する日だった。


僕は自分が雨男だという事を思い出した。
最近は日照りもあって、僕が雨男である実力を発揮する機会はなくて、
すっかり安心していた。
果たして、そう考えると、
このピンポイントで雨を呼ぶという現象、
僕の身の不運なのか、
僕(雨男)のエネルギーが旺盛になっているのか、
どっちにしろ珍しい一日だった。


追伸:
今朝出来た31rpmは今晩から配信されています。今月もゆっくりお楽しみ下さい。
   

ありんこ 2007/09/10
昨晩の作業に没頭する合間のひと時。
近所に捨ててあったタンスを拾って我が物にする為、
深夜に友達へヘルプの電話を掛けたけど、
そんな電話に出てくれるほど深夜に暇な友達はおらず、
何とか自分で運ぶ事にした。


こいつがとんでもなく重くて、
汗だくになるし、
足腰が悲鳴を上げて、
腕は早速筋肉痛になった。
街路樹に身体を突っ込んでしまい、
Tシャツもドロドロになってしまった。
家に運んで、ほっとしていると、
どうにも背中がチクチク、チクチクし続けるので、
背中を掻きあさったら、
指先に蟻んこの死骸がくっ付いていた。
蟻んこの奴、かれこれ1時間、
僕の背中を噛みつき続けていたのだ。
それにしても、蟻んこを久し振りに見た気がするな。


一息入れて、
作業に戻る。
難航。
グシャグシャ考え事をしては、
一つの踏ん切りを着けかねていると、
また背中がチクチク、チクチクしている事に気付いた。
そして、背中を掻きあさってみると、
またしても指先に蟻んこの死骸。
この蟻んこは、かれこれ2時間、
僕の背中を喰い付き続けていたのだ。
道理で考えに集中できない訳だ。
気付けば、部屋もグシャグシャになっていた。


やがて朝を迎えると、
いつの間にか雨が降っていた。
気分転換に傘を持って外に出ると、
見事に横風に煽られ、
傘を持って出た甲斐もなく、
存分に濡れた。


作業の中で身体が動き出すと、
頭に入る情報が極端に少なくなる。
街を歩いても、完全に作業の事ばかり考えて、
せっかくの気分転換なのに、
一向に何も入れ替えることをしずに、
部屋まで戻って来る。


今年に入ってからというもの、
僕の月初めはこんな状態が続く。
兎に角、何か面白い事を作りたくて、
こんな状態を越している。
何て、楽しい仕事を持っている人間なんだと、
僕は今更、自分の作業に笑えるのだ。


まるで、昨晩、僕の背中を地道に噛み続けた蟻んこのような作業。
チクチク、チクチク、
チクチク、チクチク、
やっているうち、誰かが気付いて、
笑って、僕を指の先で押し潰してくれるんだろう。

   

とっ散らかり 2007/09/09
夜更けの作業に没頭していると、
さて何だか気持ちが晴れないので、
いちいち考えが止まります。
ガッチリ腕組みをして、どうしたものか考えてみるんですが、
その行き先がどうも通っていかない。
「ちぇっ!俺ってのはつくづく愚鈍じゃ」
と、ベッドに寝っ転がると、
僕以外にも、
あれやこれや、必要ないものから若干必要があるものまで、
机や床、ベッドに寝っ転がっていました。


常日頃、こいつ等を丁寧にずらして自分のスペースを作っていたのですが、
常日頃のよしなし事の中で、片付けるという意識がすっかり抜けておりました。


これでは幾ら気持ちをすっきり通して作業しようにも、
考えが糞詰まりになるのも仕方ないな。
やっとそんな当たり前の人間的生活に気が付き、
ちょっくら部屋を片付ける事にしました。


片付けだすと、驚くほど捨てるものばかりで、
また、驚くほど部屋のスペースは広く空いていくんですね。
普段、何となく使おうと思っていたものや、
どこかで必要になるだろうと思ってとっておいたものだらけで部屋が構成されていて、
『捨てる』気になってしまうと、
それら全部が必要ないものになったという事です。


一時間くらいかけて、
一通りの片付けを済ませると、確かに気分はすっきりと通りだしました。
その上で、落ち着いてベッドに寝っ転がり、
さぁて、もう一度、思案に暮れてみますと、
これも考えがスッキリと動き出しました。


ただ、心地が良すぎるので、
考えていると、
ついフッツラフッツラ居眠りそうになる訳です。
こいつが気持ちいいんですね。
昔、学校の授業中、窓際の席で居眠りした時のそれを思い出しました。
「あぁ、あかん、あかん」
で、のそのそとベッドから這い出ます。


僕は最近、眠っても何となく疲れを癒し切れていなかったので、
部屋のとっ散らかりが原因であったなと改めて痛感しました。
こんな事は、何度も確認してきた事なのに、
部屋のとっ散らかりは、ジワジワ浸食するもので、
ついつい気付かないままに気分を塞いでしまっているもんですね。
成長しない僕が悪いのか、
成長するとっ散らかりが悪いのか、
明日から当分は気分よく部屋にいられそうです。

   

全開ハート 2007/09/08
BIG MOUTHライブに足を運んでくれた人も、
足を運びたいなぁと思ってくれた人も、
どうも有り難う。
俺のハートが全開したライブでした。


見れなかった人のために説明しておくと、
今日のライブでハート形のサウンドホールのギターを使ったんだよ。
一曲だけだけど、とってもキュートの絵面だったと思うよ。


最近仕入れた7000円の安いギター。
ジーパンより安いギター。
質屋の楽器店とは言え、10万から20万円のすましたギターの中で、
一人だけ1万円以下の値札を付けた、ハートをアピールしているギター。
落ちる時は一目惚れ、
『お前は俺が連れて帰るぞ』
と思い、買ったギター。
ジーパンなんかより数倍僕を楽しませてくれる。
毎晩、寝床を共にしてしまうギター。


今日のライブじゃ、
7000円のギターとは思えない、
いい音が鳴ってた。
弾き手の腕じゃない。
弾き手のハートやな。
今日ライブで御披露できた事が本当に幸せだったし、
たぶんこのギターを見る万人が、
そのハートに幸せになる事と思います。


ライブ後は、朝までBIG MOUTH。
兎に角、呑んで、唄っての耐久レース。
男の真価が問われる場面だね。
俺は走り切ったよ。
ハート・ギターを持って、
兎に角朝まで唄い切った。
ハートが振動して出る音色を一晩中堪能した。


窓の向こう、新しいマンションの壁と壁の間。
朝陽が昇って、
やけに暑い陽射し、
BIG MOUTHに唄が途切れる事なく、
酒が切れる事もなく、
友達が切れる事もない。
帰り道は野郎三人で牛丼屋へ。
みんなが牛丼を口にかき込む姿が、
あぁ、男だぜ。
あぁ、仲間だぜ。


俺のハートは全開して今日を奏で、
朝が来て酒の酔いから、
俺の身体は全壊したんだとさ。
俺の身体はベッドの上で全開さ。
   

家まであと少し 2007/09/07
昨日とは打って変わって天気がいい。
天気がいいっ!
と伸びやかに天を仰いで、
天気がいいっ!
と人にも伝える。
そんな事はみんな百も承知で街を歩いている。
驚くのは、
昨日と比べると、雲がピタッと動かない事だ。
ナウシカに出て来たオームが怒りを鎮めた時の感じだ。
穏やかな金色の俗世界に、
時折、ブワッと悪戯な風が横髪を跳ね上げる。
まぁ、つまり、
天気がいいっ!


その天気がいいから、
自然と気分もいいと思って過ごしていると、
意外にそうでもなくて身体が思うようについてこない。
気分はいいと錯覚しているけど、
どこか湿った女々しさをはらんでいる。
矢張り台風が去った後だからなのか、
低気圧が、天気から僕の気分を離そうとする。
なんだかんだ、
古傷が痛んでいて、
そんな事にも気付かず、気分がいいと言っていると、
自分の何気ない女々しい発想が顔を出し、
イライラしてしまっている。
台風のせいかなぁ。


夜になり、すっかり一日の出来事が寝静まると、
僕は夜道にポツンと取り残され、
小さなスナックから漏れて来る、
男と女のカラオケを聴いている。
イライラして足が早くなる。
低気圧が古傷に触れている感じ。
僕はカラッとしたお惚け晶チャンをしていたいのに、
ジメッとした唄声が背中に追いすがって来る。
歩く道すがらメールを送ろうとし、
携帯電話の電源が切れる。
少しほっとする。
また歩く。
もう一度携帯電話を見る。
真っ暗な画面がある。
家まであと少し、
また歩く。
携帯電話をかばんにねじ込む。
家まであと少し、
また歩く。
家まであと少し、
吸う気もない煙草に火を点ける。
家まであと少し、
いつもより遠いコンビニへ足を向ける。

   

俺達のテリトリー 2007/09/06
街行けば、殴りつける雨と風に難儀しまして、
初めは傘を差していたのですが、
他の人を見ると、
みんな傘に引っ張られていて、今にも空を飛びそうです。
それに、横殴りの雨じゃ、
傘を差しても結局濡れ鼠になるっちゅう事で、
傘を差すのは諦めました。
道端には、実験に失敗した博士の頭のような傘が幾つも転がっていて、
矢っ張り今日の傘は風雨に負けるんだな、と思いました。
それにしても、壊れた傘を捨てて歩くなんざぁ、
小さい人間ばかりです。
何でもそうだけど、
「後でどうなる」「他の人がどうなる」っていう事に知恵の無い、
まっ、本当の頭が悪い人ですね。
格好悪くても、持って歩け、否、差して歩け。


さて、遅い昼食を取り、
そのまま食後の珈琲1杯を1時間かけて過ごしました。
隣の席ではフクフクに育った小学生の男の子がいて、
彼はお父さんにこんな事を言ってました。
「駄目だぁ、俺、今、財布の中に1枚も千円札が入ってないよぅ」


何気なく耳に入った、何気ない一言で、
『次のお小遣いまで我慢だね』なんて、僕も何気なく思ったんですが、
よくよく考えてみると、彼の言葉は僕に違和感を与えました。
彼の言葉を裏っ返すと、
「財布に千円がある時は、2、3枚はある」
という事になるなぁ。


僕がまだ小学生の男の子だった頃は、
お年玉の時以外、千円札を持った事がなかったし、
確か財布すら持ってなかったんです。
この違和感って僕だけって言うかーっ!
時代のせいと言うかーっ!


当時、僕のお小遣いは小1で100円、
学年が上がる毎に100円ずつ増額され、
6年生でやっと600円の小遣いでした。
これは僕の家庭がケチだったからという訳ではなく、
クラスの友達はみんなこの程度の小遣いで1ヶ月を生き抜いていましたよ。
生き抜く事ができたんです。
自分の知恵によっては、600円でリッチな1ヶ月を過ごす事も出来ました。


理由の一つには駄菓子屋の文化があったって事ですね。
友達と10円、20円のお菓子を少しずつ買っては池の畔に行き、
まず当り付きのお菓子を開けて、当たったかどうか確かめる。
一通り『アタリ』『ハズレ』を確かめたら、
モグモグ食べたり、友達と交換したり。
この50円そこそこの買い物でも、
友達それぞれの工夫と趣向があってバリエーションは豊かでした。
楽しかったなぁと思うんです。


じゃぁ、今現在に戻って、
幾ら物価が上がったとは言え、
千円、二千円で織り成す子供達のコミュニティーってどこだろうと考えるんです。
すると、僕が小学生でないからなのか、
今の小学生が毎日溜まる場所って思い付かないんです。
思い付くとすれば塾、
でも、そこを子供達のテリトリーというには、
如何にも寂しいです。


考えて答えのある事ではないのですが、
何となくは考えておきたい事だと思いました。
この先、僕達が子供に提供できる、
子供達だけのテリトリーを。
   

滅多にないひと時 2007/09/05
昨夜はライブから戻り、
慕夜記を書き上げたら、早々に眠るつもりだったけど、
ギターを持ったら、置けなくなって、
「早く眠らないとなぁ」
って呟きながら弾いていました。
結構身体は疲れていたから、
朦朧とはしていたんですが、
その分、入り込みが深かったです。
そのうち朝陽が僕ん家の窓に顔を出し、
『コイツ、まだ起きてやがる』
と怪訝な空模様をつくります。
僕は最初、立ってギターを弾いていたものの、
暫くすると椅子に座って弾き、
時間の経過とともに、体勢は次第に低くなっていき、
仕舞いにはベッドに寝っ転がり、
ギターを身体の上に乗せて、
それでも弾き弾いていました。


時折、眠り、
それでも弾き、
何かに気付いてメモを取り、
また弾き、
トイレに入り、戻って来て、
また弾き、
な〜んてしてると朝は9時を回っていました。


何を弾いて、何に気付いたとかが重要じゃなく、
ただ、意識が飛んでしまっている状態で、
指だけを動かし、
自分の音色に茫然と夢を見ているような心地が、
眠るよりも落ち着くんです。
滅多にない事ですが、
僕の至福のひと時です。


今日は今日で目を覚ますと、
昨夜力尽きて枕元にギターを置いて眠っていたので、
起き上がってギターを弾き、
洗濯機を回して、
ギター弾き、
洗濯機を回している事を忘れて、
また、自分の音色に眠らされてしまうという状態でした。


つまり今日の主軸は、
無意識にギターを引き続ける事でした。
その合間に、
飯を喰ったり、電話を掛けたり、メールは明日返信しようと思ったり、
そして、弾く度に、音色に居眠らされていました。
今もギターを膝に乗せて慕夜記を書いている状態です。


滅多にない一日だけど、
至福の一日です。
   

どんな時も君を… 2007/09/04
今日、ライブに来てくれた人、
本当に有り難う。


今日は何故か酸素不足に感じて、
やたらステージ上で呼吸をしていました。
呑み過ぎた翌朝みたいに、こめかみが痛いです。
別にアルコールは入ってないんだけどね。
酸素を吸い過ぎた二日酔いです。


ただ、Bogalooから地上に上がると、
重い雲が空に蓋をしていて、
だから身体が酸素不足だと感じたのかなと思いました。
今日の夜空は、厚い雲に溺れそうな景色でした。


帰り道は事務所の車の中。
妙な身体のざわつきと、過呼吸状態が治まらず、
雲を見上げていました。
きっと満月だ。
この厚い雲の上で、でっかい満月が僕の分の酸素を吸ってるに違いない。
そんな事を考えました。


また何の脈絡もなく、こんな事も考えました。


「どんな時も、君を悲しませるような事はしたくない」
と思う事と、
「どんな時も、君を笑わせていたい」
と思う事には、
大きな差があるな、
と、
考えたんです。


僕は、
「どんな時も君を笑わせていたい」
と人に思っていたい。


「君を悲しませたくない」と思う方は、
何かリキんでいる、
無理をしようとしている感じがして、
「君を笑わせていたい」と思う方は、
その逆の印象を持ちます。


つまり、簡単に言ってしまうと、
「悲しませない」という事は、
僕ごときの不出来な人間には無理な事で、
「笑わせていたい」という事は、
僕ごときの不出来な人間でも頑張りゃできる事なんだな、
という事なんです。


自分が息苦しい状況になって、
人に迷惑を掛けていると思うと、
どうしても“やらなきゃ”という責任感で、
「あの人を悲しませないようにしよう」
と背伸びをしがちです。
それは余計に息をし辛くしてしまう事のような気がします。
そんな時こそ、
「関係ない事ででも、少しの間、笑わせてやろう」
と思う事が、幸せに近付く作業なんだと思いました。
それで人が笑わなかったとしても、
明るい事を想像し、それを積み重ねていく事で、
自分が悲しみから脱出して、明るくなると思います。
そうすれば、自分を見て悲しむ人がいなくなるという事だと思うんです。
悲しむ人は、悲しい事想像し悩む人で、
明る人は、楽しい事を想像し悩む人なんだから、
どっちで悩むかって事だと思います。


「悲しみのない生活」
と、
「笑いの耐えない生活」
どっちが前向きにとらえれるか、
どっちに希望を感じるかって事か。


悲しみが心を捕まえてどうしようもない時、
悲しみを取り去る方法を考えてしまいがちですし、
悲しんでいる人を見れば、
どうしたら悲しみの原因を解決できるか考えてしまいますが、
それは必要のない事だなぁと思います。
悲しみを消してくれる消しゴムって、
矢っ張り「笑う」事だと思うんですね、
悲しい時は、
兎に角、馬鹿みたいな事に笑う事、
悲しむ人と、
兎に角、一緒になって馬鹿みたいな笑いを探す事が重要と思います。
僕に出来る事があるとすれば、
「笑わせていたい」「笑っていたい」と願い、
その馬鹿みたいな笑いを誰かと一緒に探せるって事だけなんです。
冗談は下手でも、出来る事だと思います。


さぁ、そんな脈絡を外れた事を考えて、
また窓から夜空を見上げると厚い雲があります。
「さて、満月のせいにしたものの、
  果たして今日は満月なのかどうか」
そんな予想をしていると、
暗く厚い雲も、
楽しみを提供してくれる、
笑いの素材になるもんだと感じました。


   

突発的衝動、是幸福。 2007/09/03
今日、目を覚ましたら、突然の躁状態で、
自分でも驚くほど気分が軽く、
いつも通りの散らかった部屋なんだけど、
新鮮な気がして、
理由もなくただルンルンでした。
何かいい事あった訳でもないのに。


いつものように金魚に挨拶をし、
いつものようにコップ一杯の水を胃に流すと、
いつも通りに金魚は餌を「チョーダイ!チョーダイ!」と言い、
いつも通りに洗濯物がカーテンレールに引っ掛かっています。
全てがいつも通り、
冷蔵庫の中も空っぽなんだけど、
そいつを確認すると、
僕はいつもと違って、
ルンルンな訳です。
何一つ、いい事あった訳じゃないのに。


いつものようにシャワーを浴び、
いつものようにシャワーの中で歯を磨き、
いつものバスタオルに顔を突っ込むと、
全てがいつも通り、
バスタオルはいつも使っている洗剤の香りがするんだけど、
そいつを確認すると、
僕はいつもと違って、
ルンルンな訳です。
何一つ、いい事あった訳じゃないのに。


気分ってのはいつも通りを違った物にしてくれます。
美しくも変わり、悲しくも変わる。
身の回りの環境、人間関係なんて変わりはしない。
ずっと、いつも通りに淡々と時を刻んでいます。
そいつ等を美しく変え、楽しく変え、優しく変えていくのは、
自分の気持ちな訳で、
いい事ってのは、矢っ張り自分からしか出て来ないんですね。


今、僕が大好物にしている食事も、
何か衝撃的な出会いがあった訳でもなく、
グルメチックな理由がある訳でもないのです。
矢っ張り、最初に食べた時の雰囲気や気分で、
美味しさが生まれ、
食べる度にその気分に戻してくれます。


人生に大層な理由があったためしはないし、聞いた事もありません。
いつも通りの環境の中で出会うものに気分がほぐれた時、
愛情が生まれ、ドラマが始まります。
そのドラマを理由に思いがちだけど、
本当の原因は気分なんだと思います。
僕は唄とギターで沢山のドラマを経験してきたけれど、
何故好きかという理由は、
詰まるところ、最初に耳にした時の音色が、
僕の気分をすこぶる優しく包み込んだだけの事で、
気分が違えば、僕はもっと違った楽器を持っているでしょう。
木琴とか、渋いよね。


先の事は判らない。
予定は未定なもの。
あれこれ先もって考えても、
現場で逐一状況が移り変わり、
その場の覚悟が求められます。
そんな今、今、今、の繰り返しの中、
判断の材料なんて乏しいもんです。
だから、気分に従って、
自分を常に軽く、自由な状態にしてあげなくちゃいけないんだと思います。
全ての理由がない衝動が、
全ての行動の理由になるのです。
だからして、こんな突発的にルンルンな気分になれて幸せなんです。
今日は何をやっても好物になり、楽しい事になるような気がします。
僕は最近、この行き当りばったりの生き方に覚悟を決め、
明日以降の将来を何も決めつけないようになりました。
いいんじゃない。
そんな勝手気ままで。
人は怒ったりするけどね。
腹を据えて、いい加減に生きます。


ちなみに、そんなルンルンで何本か電話をすると、
「あなたは誰ですか?」
という疑問が、どこからも返って来ました。


何にもいい事ないけど、
理由もなく幸せなんです。

   

男伊達グズグズ 2007/09/02
ハックショーン!ハックショーン!ハックショーン!
ハッ…!
ハックショーン!ハックショーン!ハックショーン!
で、死ぬかと思った。
突如としてハクションの連発が起きて、
横隔膜がヒッコヒッコ言い出すのです。
その後は、もうグズグズさぁ。


僕はなるべく正しい発音でくしゃみをしようとします。
ハックショーン!
息も絶え絶えに連発する中でも、
しっかりハッ・クションと発音しようと必死です。
何だか、韓国の人の名前みたいだね。
引き付けの貴公子、ハァ…、ハァ…、ハッ!
ハッ・クション来日。
そして山口の鼻に韓流ブーム、
ハックショーン!ハックショーン!ハックショーン!
空港はオバサマ達の声援で大パニックさ、
ハックショーン!ハックショーン!ハックショーン!


つくづく思うんだけど、くしゃみは盛大にやるべきだね。
ジッシュ!とか、プシュン!とか、
控え目なくしゃみは、聞かされる方が消化不良になります。
家庭教育の中で女の子が、
クシュン!とくしゃみを抑えるようにしつけられたのなら、
それは間違いと思います。
乙女であれば恥じらえばいいんです。
恥じらいながらも、
ハックショーン!なり、ハックショーイ!と、
辺りに怒号と唾をまき散らして頂きたい、
そう思います。
だから僕のくしゃみはいつもヘビー。


ただ、天は二物を与えないもので、
くしゃみはやかましいほどにするのに、
僕は鼻をかめません。
チーンッ!なり、ブヒーッ!と、
豪快に鼻を鳴らしてかむ事ができないのです。
それが口惜しい。
折角、男らしくハックショーン!とやらかすのに、
その後は、グズグズとしているだけで、始末が悪いのです。


今日も今日とて、豪快なくしゃみの連発の後には、
グズグズ、グズグズ
男伊達を落としてしまうんです。
しっかりしなきゃな、
俺。

   

ブロークン ピッチャー 2007/09/01
今日は一段とギターが肩に重く感じる。
ギターだけじゃない、頭も重い。
頭だけじゃない、カバンも重い。
カバンだけじゃない、煙草も重い。
煙草だけじゃない、東京の空気も重い。
もう、ぜ〜んぶ重い。
何もかも、重い。
つま楊枝まで重い。


これは身体的な疲れ。
夏場、結構チャキチャキ動き回っているうちに、
とうとう体力メーターがエンプティになってきて、
肩にずっしり来てしまった。
僕のウィークポイントは肩なんだよなぁ。


大学の時、野球部にいて、
僕はピッチャーをやっていたんだよな。
夏の大会では、土日になるとダブルヘッダーで一日二試合。
そこで僕は二試合投げてた時期があった。
それで肩をコキ使っているうちに、
或る日、右肩が壊れてすっかり上がらなくなってしまった。
軽くキャッチボールしてもボールが相手まで届かない有様になっちゃった。
僕は中学校の頃から、遠投が得意で、
結構強肩で通ってはいたんだよ(ごく狭い内輪で)
学校の体力測定のソフトボール投げでは学年の上位を争っていた(と思うよ)
それが2m先へ投げるのが精一杯。
びっくりしたよ。


「あぁ、とうとう来る日が来たな」
と思ったけど、気落ちしていられなかった。
何しろ、その日は投げなきゃいけない試合が二つもある。
投げる人は僕しかいなかった。
右肩は痛かったけど、ちっとも弱気にならなかった。
投げる事が当たり前だと思っていたから。


僕はその日、二試合のマウンドに立った。
全球、全力で投げた。
一球投げる毎に右肩がしびれて、腕に力が入らなくなって、
ダラーン、プラプラと腕が身体から垂れ下がってしまった。
キャッチャーがボールを返して来る、
ボールを捕って汗を拭い、
プレートに足を乗せ、
キャッチャーのサインを見る、
その間に右腕のしびれが治まる。
もう一度、全力で投げる。
の、繰り返しだった。


大学で野球をやっている間は、僕にとって第二の野球人生だった。
中学校の時は、本気で甲子園、プロ野球を目指した。
その第一の野球人生の後で、
大学の時は、本気で楽しむ野球をやっていた。
こんなに必死にやる野球はこれで最後だと思っていたので、
そんな僕の気持ちに、右肩が同調したのかもしれない。
右肩と共に、僕の野球に対する想いも使い果たすつもりで投げ切った。
次の週になっても、その次の週になっても、
リーグ戦を制して、本大会に出場しても、
右肩は同じ状況で投げ続けた。
ダラーン、プラプラの繰り返しだった。
でも、投げ続けた。


あの夏の勲章が、今になってこうして僕が疲れた時にやって来る。
痛み、重みとなってやって来る。
重くて痛くて、頭がグッタリきた時、
あの夏の集中力、右肩と心中した気持ちを思い出す。
ちっとも弱気にならないんだ。
ちっとも弱気にならない。
僕はあの夏、投げ切った男なんだよ。

   

色気の異臭に… 2007/08/31
今夜はFriday Night、
夜の電車はしたたかにアルコールの匂いが漂う。


俺はシラフ、
俺はキシリトールの匂いを漂わせている。
そして俺は、したたかに気分が優れなかった。


混んではいたけど、座席に座れたから、
人並みに気を遣いながら自分の尻を座席に納める。
気分が優れないから、早々にヘッドフォーンをして、
音楽の中に気持ちを逃がしてしまった。


目を閉じ、暫くは何も考えず、
一つか二つの駅を越した。
すると、Friday Nightの異臭が間近から俺の鼻をつんざいた。
それは隣に座った西洋人のオッチャンから飛来したものだった。


西洋人のオッチャンの前には日本人の女の人が密着して立っている。
何だか密着し過ぎている。
「変なの」
と思って、俺は俺の世界に戻ろうとすると、
視界の端っこで、そのオッチャンは女の人の尻をしきりに撫で始めた。
女の人は腰を更に密着させて、それに応じている。
公共良俗の模範とも言うべき光景。
「エロいなっ」
と思って、俺はまた俺の世界に戻ろうとするんだけど、
戻れない。
その尻と手が織り成す公共良俗から漂うFriday Nightの異臭で、
俺はとことん気分が悪くなった。


俺も大概、エロい端くれにはいるから、
こんな男と女の密事が目の前で公開されようと動揺はない。
ただ、そこから漂う異臭が、
今夜はとてつもなくやり切れない。
気分の悪さは吐き気にまで発展した。
乗り物に酔った事はないし、
エロい出来事を目撃しても、気分を悪くするような事はなかった。
こんな吐き気は生まれて初めてだ。
潜在する潔癖な部分が刺激されてならない。
いつもなら「やるねぇ、オッチャン…」
としか思わないのに、
今夜は「やめねぇか、オッチャン…」
としか思えない。


今夜の俺はねっとりした色気を嫌っている。
それは俺に残された清純さだと思う。
未だにあの異臭が鼻に付いて、困っている。


   

根暗な民族 2007/08/30
久し振りにテレビでニュースを見た。
一時期はニュースを見るのが日課だったけど、
最近は全く見なくなった。
理由は僕の心が、光明を得てほんの少しだけ軽くなったからだ。
久し振りに見るニュースは、
矢っ張り暗い。


朝青龍の問題が連日取り上げられているらしい。
朝青龍について、ここでは何も述べる事はないが、
ニュース番組、
こういう事にだけ時間を割いて、執拗に追っ掛けまくってるけど、
放っときゃいいじゃないか、
と正直なところ思う。
どのテレビ局もモンゴルにまで行って、
「いるんですか?」
「どう思いますか?」
と同じ質問で大騒ぎをしていて、
日本人としてはとても恥ずかしい。


相撲という日本の伝統文化を継承していくには、
如何にもネガティブにマスコミは働いている。
相撲について普段はちっとも取り上げないくせに、
問題のあった時にだけお祭り騒ぎ、
見ている方にとっては飽き飽きしてきてしまう。
それは次第に相撲への関心の薄れになっていってしまう。
「相撲人気が落ちています」
とニュースでは言ってたけど、
その原因の一端にマスコミがある事も忘れてほしくない。
今回の出来事でも実感するのが、
日本人が色んな事に無関心になり、
行動力が減って来たのは、
こういったネガティブな情報に囲まれ過ぎるからだと思う。
こういう日本の一面に直面すると、
日本人は根暗な民族だなと実感する。
悪口が好きだ。
僕はそれが嫌いだ。
普段地道に、四股を踏み、てっぽうを打ち、稽古を積み重ねる力士の姿を、
ポジティブに伝えていれば、
今回の問題だって、もっとシンプルに見えて来る筈だと、
僕は思うんだけどね。


日本のニュースを見るのには飽き飽きした。
希望に満ちた子供を育てるには、
希望を伝える親がいなくちゃいけない。
笑顔の可愛らしい子供を育てるには、
いつも笑っている親がいなくちゃいけない。
自由な発想を持った子供を育てるには、
たくさんの考え方を伝える親がいなくちゃいけない。
日本のニュースを見て、
日本の実情をとらえる子が、
明るくなれるだろうか。
今の朝青龍を取り上げるニュースを見た子供が、
力士を目指すだろうか。
日本人が日本を駄目にしている一例だと、
僕は思う。
   

花日和 2007/08/29
飛び散る火花、
もうもうと、色とりどりの煙が押し寄せて、
僕は目を細める。
その手元では、
花火が燃える。


その向こう側に、何人かの友達の顔があり、
その向こう側に、駆け足の夏が去っていく。


夜露に濡れた、公園の一段暗いところで、
この夏の締めは、実に夏らしい風物が彩った。
これまでちっとも夏らしい事しなかったのに、
友達に誘われ、季節外れながら、
夏を体感した。
そして、花火に見蕩れる僕の両肩を、
少しの雨粒が叩いている。


いつも通り変テコな夏だったけど、
いつもより笑って過ごした夏になった。


何か面白い事が起きて笑う、
なんて事は滅多にない。
何でもない事でも笑って面白くして、
そうして本当の面白い事へと近付いていく、
そんなもんだと思う。
面白い事は、自分で呼び込んでいくものだから、
面白い事がない時間ってのは、
ただ単に、自分が面白くない人間の時だ。


僕はこの夏、面白い自分であったように感じる。
何よりの収穫で、何よりの自信である。


不平、不満は持てば不自由になる。
自由を求めるならば、
どんなに窮屈な場所にいても満足する事だ。
不自由だと感じる時間ってのは、
ただ単に、自分が不平、不満に縛られているだけの事だ。


僕はこの夏、自由な自分であったと思う。
何よりの収穫で、何よりの自信である。


飛び散る火花、
もうもうと、色とりどりの煙が押し寄せて、
僕は目を細める。
その手元では、
花火が燃える。


その向こう側に、何人かの友達の顔があり、
その向こう側に、駆け足の夏が去っていく。
   

雨降りお月さん 2007/08/28
『せっかくの皆既月食も、
  こうも激しい通り雨に晒されちゃ見えやしないね』
と、都会のビルの隙間、小さな空を眺めていた。
『どっちにしろ見えなかったんじゃないの』
って、諦めもつくってもんだ。


雨降りお月さん 雲の上
お嫁に行くときゃ 誰と行く
一人で唐傘さして行く
唐傘ないときゃ 誰と行く
しゃんしゃん しゃらしゃら
鈴つけたお馬に揺られて 濡れて行く


僕が子供の頃、母親に唄ってもらった子守唄の中でも、
この曲が一番好きだった。


今日の雨、お嫁に行くお月さまをお守りしたって事かな。
一人でお嫁に行くその姿、
誰の目にも触れては行けない美しい夜の皇后の門出を、
嫁ぎ先までひた隠しに隠し、
巷には大粒の雨と雷を落として守った雲の衛士達。
恫喝するように、毅然とした雷鳴の上では、
しなやかな晴れ姿のお月さまはお嫁に行っちゃったんだ。


どこの某様に嫁いだんだろう。
お月さまをめとる事の出来る某様とは…。


きっと太陽だろう。
あの豪放磊落な光で、豊艶なお月さまを照らす事ができるのは、
太陽しかいない。
お月さまは太陽を愛してらっしゃるのだろうか。
きっと、ずっと昔から、
密かにお慕いしていたに違いない。
嫁入りは午後6時を回った頃、
ちょうど、太陽とお月さまが同じ空にいられる時間。
太陽もお月さまの姿も今日は見られなかった。
今日、この日から、
太陽とお月さまは夫婦になられた。
僕が滅びようとも、
人間が滅びようとも、
お二人は末永く愛し合うに違いない。
朝になれば太陽が仕事を始め、
夜になればお月さまがその熱を冷ます。
僕等はこれからお二人の新婚生活を、
空に眺める事が出来る。
何という幸福な事だろう。


僕の足下は激しく打ち付けられた雨のしぶきで濡れていた。
僕はぼーっと眺めていた。
その花嫁の行進が、ひとしきり過ぎ去ると、
僕の耳には馬の鈴の音だけが、耳に届いたという。


しゃんしゃん しゃらしゃら
しゃんしゃん しゃらしゃら
しゃんしゃん しゃらしゃら


   

林家ピンク 2007/08/27
僕はSuica(東京辺りの鉄道共通で使えるICカード)を裸で持っていたんだけど、
どう血迷ったかSuicaを入れるケースが欲しいと思い、
途端にケースを購入した。
そう、高い物じゃなく、
どちらかと言えば安い物だけど、
本革のケース。
僕なりに迷って買った物だ。


どういう訳か、Suicaをとてもお洒落に収納したくなった訳で、
何かにつけ無頓着な僕にとって、
久々のお洒落心と言っていいと思う。


僕は僕の知る、小洒落た雑貨屋に行き、
お目当ての定期入れを見てみると、
僕が狙った通りお洒落な物が置いてあった。
色は黒、黄色、オレンジ、緑、ピンクがあった。
僕はそれを手の平に並べ、消去法で選んでいった。


まず黒は排除、
理由は無難で退屈だから。


次にオレンジを排除、
理由は如何にも革っぽい色で、僕の好きな褐色のオレンジではなかったから。


次には黄色を排除、
理由は、可愛らしいけど、発色に欠けて、
暫く使っていたら、くすんで汚なさが目立ちそうだったから。


残るは緑とピンク、
これに結構迷った。


緑は落ち着く色だし、安心して使えるけど、
攻撃力に欠ける。
ピンクは、攻撃力があって挑発的だけど、
ピンク=女の子が身に付けるという風潮があるから、
僕に合うかどうかが問題。


悩んで悩んだ揚句、
これまたどういう訳かピンクを選んだ。
僕が今まで身につけた事がない色だったから、
身につけてみたらどうだろう、という好奇心が勝因となった。


そんなペー、パー子さんのように全身ピンクにする訳ではなく、
あくまでワンポイントのお洒落なので、
これくらいの冒険はするべきだなと思った事もある。


結局、僕はそのピンク色の定期入れを物凄く気に入ってしまった。
毎日、訳もなくポケットから出して、
ニソニソ眺めたりする。
人にも見せびらかして、
「ねっ、ねっ、どう?ピンク、いいでしょ?」
と、戸惑う友達に無理矢理同意させてみたりするが、
結局のところ、
人には不評なんだけどね、
本人が気に入っちゃったんだから仕方ないね。


僕が何故、思いもしないピンクを選んだのか、
その裏にどんな心理が隠されているのかは判らないけれど、
今、僕の右ポケットにはピンクが隠されている。
今、僕の右のポケットのピンクはその鮮やかな色で、
僕に何かを訴えている。


僕はピンクを身に付けると覚悟を決めた男、
毎日ピンクと共に移動し、
ピンクと共に酒を呑んでいる。


どんな心境の変化があったのか、
自分では思い当たりがないけど。
   

使途不明瞭 2007/08/26
今日、街をプラプラ歩いていたら、
『日本 半額』
という旗を見つけて、
本気ですか?
と驚く。
いっ、幾らになるっちゅうんですか?
金もないのに少し気持ちがグラついた山口、
その横っ面を風が殴って、
旗がひるがえり、
ついでに山口も我に返る。
『本日 半額』
な〜んだ、良かった。
と買う気もないのに山口。
でも、日本が半額になるとしたら幾らするんだろう?


まぁ、どうせ買えないし、
使い道もあんまり判らないからいいか。


とまぁ、使い道の不明瞭な僕は今日じっと一人だった。
電車の中でも、街の中でも、
当たり前のように人の中にいて、
こうして気紛れで一人でいるのも、結構寂しいもんだと思った。
ギターを弾いたり、やめたり、
テレビをつけたり、消したり、
音楽を聴いたり、停止したり、
どことなく落ち着かないまま、一人の一日は過ぎた。


こんな日は街を歩いても、矢っ張り落ち着かなくて、
ほとんど何も覚えないままで帰って来る。
歩いたり、立ち止まったり、
誰かに会いに行こうか迷うけど、
その気になったり、その気が失せたり。
こんな日は、どうせ誰かに会っても落ち着かない。


以前、よく通った弁当屋ののり弁を思い出す。
あの濁った油で揚げた白身魚のフライを懐かしく思った。
不思議なもので、
あののり弁を食べている頃は、
毎日のように食べるのが当たり前で、
それが懐かしい過去の物になるなんて思いもしなかった。
何もかもがそうだ。
その時の当たり前が全てで、
いずれそれが懐かしいと思う物になるなんて思いもよらない。


今、やっている事も、
今、住んでいるところも、
今、一人でここを歩いている事も、
今、使っているベッドも、
今、見ている姿も、
何も変わらず明日に向かうような気がしているけど、
矢張り少しずつ変わっていき、
あぁ、懐かしい、
とヨボヨボになって、茶をすすり、
友達を相手に思い出す話になるんだ。


恋人なんかも、そうかもね。
その時の全てを注ぎ込んで、
毎日が変わらない幸せに生きても、
どこかで別れてしまえば、
それは恐ろしく古ぼけた記憶になり、
あんなにずっと一緒にいられる事を当たり前に感じていたのに、
と思うんだ。


そう思えば、少し気楽になって、
今、幸せな時間も、寂しい時間も、
思い切って身を投じる事ができるってもんだ。


使い道の不明瞭な過去は宝箱の中にしまっておいた。
ガラクタのように詰め込まれた宝箱を開ける日は、
まだずっと遠い。
途方もなく続くような今を、
また、今日も歩き出す。
   

ストロベリーちゃん 2007/08/25
このうだるような残暑の中、
コンビニを2軒はしごしたのに、
飲みたいジュースがない。
2軒のコンビニには都会を潤す飲み物が山ほどあるのに、
僕が飲みたいジュースがない。


どれもこれも水やお茶など、
「健康」、「本格的」という気休めを売りにしたものばかり、
何度も言っているかもしれないけど、
昨今の健康ブームには辟易してしまう。


飲み物には、確かに「健康」、「本格的」を意識する物も必要枠だとは思うけど、
それと同時に、
「健康に良くない」飲み物も必要枠だという事を忘れちゃいけないと、
声を大にして言いたい。
こうも、水とお茶のバリエーションばかりじゃ、
喉が退屈してしまう。
「健康に良くない」飲み物を守る会を作りたいくらいだな。


例えば、
僕は畑で穫れたてのみずみずしい苺が大好きだけど、
それと同時にアイスやチョコやジュースなどの、
ストロベリー味も大好物だ。
これは矛盾するものではなく、それぞれ別個のものとして成り立っている。
そして、両方がなくちゃならない。


他にもアップル味、マスカット味、メロン味、バナナ味…、
どれも果汁1%という『表記する必要あるの?』ってくらいの偽物だ。
でも、この偽物には人間の叡智がこもっていると僕は思う。


ストロベリー味は全然苺の味とは違うけれど、
あれを口に含んだ瞬間、何とも言えない苺風味が広がって幸せになる。
人は苺を使わないで、苺を連想させる苺じゃない味、
ストロベリー味を完成させたんだ。
それは物凄いイメージ力だと思う。
ストロベリー味が口にとろけた時、
そのイメージは舌の上で万人共通の幸せを与えてくれる。
苺が素晴らしいデッサンならば、
ストロベリー味は最高の抽象画なのだ。
その文化を失ってはいけないと思う。


子供達が味の濃いお菓子を食べ過ぎて、
味覚障害などの問題を引き起こしているかもしれない。
それは、与え過ぎた大人が悪い訳で、
ストロベリー味を白眼視するのは本末転倒、
責任逃れ、育児放棄と言える。
幼い頃、少ないお小遣いを手に握りしめ、
その200円、300円で、駄菓子屋で出来るだけ沢山のお菓子を買い、
それを池のほとりで友達と食べた。
ストロベリー味がくれた大切な思い出であり、
あの頃の心に大きな喜びと夢をくれた。
お小遣いの制限と、
家で母親の手料理を食べる事、
ご飯の前にお菓子を食べて怒られた事、
これらがあったから味覚障害は僕には起こってないよ。


メロンパンに果物のメロンを求めている奴がいるとすれば、
そいつはただの野暮だ。
それと同様に、
ジュースにはストロベリー味を求めている。
ストロベリー味に果物の苺を求めている奴がいるとすれば、
そいつはただの野暮。
ストロベリー味を大切に、
百代の後まで、礎としよう。
   

「この世をば わが世とぞ思ふ」 2007/08/24
朝起きて出掛けようと髪型をセットするんだけど、
上手く決まらない。
世の中には思い通りに行かない事が沢山ある。


電車に乗ろうと地下鉄の階段を下りるところで、
電車は出発する。
世の中には思い通りに行かない事が沢山ある。


晩飯でも食べようかと街を歩くと、
予想もしてなかった夏祭りの行列に巻き込まれ、
一歩も行きたい方向へ進めない。
世の中には思い通りに行かない事が沢山ある。


開き直って、お祭りの屋台で焼きそばを買うと、
見た事もないような大盛りで、
食べ切れない。
世の中には思い通りに行かない事が沢山ある。


帰る頃には静かな商店街、
ほっとして地下鉄のホームに下りれば、わんさか人がいて、
満員電車。
世の中には思い通りに行かない事が沢山ある。


つま先立ちの無理な満員電車に揺られ、我が街に着く。
ドアを出る時、レディーファーストと思って女性に道を開けたら、
僕の肩を突き飛ばすように女性は下りていった。
世の中には思い通りに行かない事が沢山ある。


平安時代、権勢を極めた藤原道長が即興で詠んだ唄、
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の欠けたる事もなしと思へば」
を思い出す。
歴史の授業では、如何にも傲慢な権力者の象徴として学んだ唄だけど、
見方によっては、いい唄だなと思う。


ときの権力者として何不自由なく豪勢な遊興三昧、
歩けば全ての人間が平伏し、自分を否定する者もいない。
そんな生活の中で、
道長に満たされない寂しさ、孤独があったとすれば、
「この世をば わが世とぞ思ふ」という節は、
自分への皮肉に見えて来る。
『この世は一見すると俺中心の世の中になっちまってる』
『この世には俺一人しかいない、俺だけの世の中になっちまってる』
必死に駆け上がって来た道、
何かを守るため、何かを淘汰して来た道、
道長がたった一人の男に戻った寝所から、
少しだけふすまを開け夜空を眺める。
「今夜はとっても暗い…」
月が掛けて光が足りない夜。
この世がわが世と言えるならば、
今夜くらいは大きな満月の光に安心して眠りたかったのに、
『わが世なのに何一つ思い通りにならないなぁ…』


「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の欠けたる事もなしと思へば」
何となくいい唄に見えて来た。
   

まだ見ぬ君に想う 2007/08/23
意外と生真面目に恋しちゃって、
との人の発言に、
「それいいんじゃない」
と興奮する僕。


矢っ張り人生は何かしらの恋をしていなくちゃいけないと思う。
フリーランスの人も、
生涯を共にする人を見つけた人も、
何かしらの形で誰かに恋していて欲しい。


僕が今度恋に落ちるなら、
思いっ切り僕をさらけ出し、
思いっ切りその人の素っ裸を知りたいと思う。


そして、人生の続く限り、
その人に恋をし続けたいと狙っています。


恋という病を、
死ぬ間際まで患っていたい、
そう誓います。


そんな簡単な事に気付くまで、
随分の時間を費やし、
随分の愛情を費やしてきた。
確かにその気持ちを伝える努力を怠ってきた僕ではあるけども、
四六時中誰かを想い、
誰かを変わらず愛している事を自分の言葉でつたえてみたい。


唄の持つ力があって、
唄は聴いた人の耳の中で消化され、
聴いた人それぞれの生活に投影されていく。


唄を唄う気力も、
恋に似ていて。矢張り死ぬまでの大きな約束なのかもしれない。


今、誰かの大きな手の平に撫でられ、
大きな人の胸元に安らぎを感じられるのならば、
今度は君の手を離さない。
今度は君の手を離さないと、
僕はまだ見ぬ君に想うんだ。
   

100回も経験できない 2007/08/22
あっちぃ、あっちぃ、
何つって昼間の熱射にうなだれて、
汗を半袖の肩に拭い付けますと、
あぁ、まだ夏はここにあり、おり、はべり、いまそがり。
8月末の横断歩道は渡るのに時間がかかり、
8月末の缶ジュースはあっさり喉に納まります。
今年は蝉が仰向けになって死んでいる姿は見たけど、
耳をつんざく蝉の大合唱は聞いてません。
100回も経験できない限りある夏に、
いて欲しいものがいない寂しさってやつかな。


夏の陽が落ちるのを見たのは午後6時半。
昼に渡りづらかった同じ横断歩道を歩いている途中に気付いたんです。
あぁ、もう暮れるのか。
見上げると愁色と紺色の混ざり具合が絶妙、
どちらともが、どちらともの季節を主張しています。
この時間で陽が暮れる時期になったんだな。
さて、8月末、
花火は小さいものから大きいものまで見なかったな。
でも、この暮れる空は、花火に近い色をしている。
季節を混ぜた色、
100回も経験できない限りある夏に、
一回も見落としなく感じていたい色。
あるべきものが近くにある幸せってやつかな。


ところで僕は、この夏に衣替えをしなかったんだよ。
って事は、これから秋に向かい、
少しずつ年末の話なんかをするようになっても、
僕には衣替えの必要がない訳です。
100回も経験できない限りある季節に、
僕は何の準備も心構えもなく楽しんでいます。
タンスにのぞくセーター、
積まれたTシャツの洗濯物、
季節に生きている日本人はとっても贅沢だなぁ。


今年の夏はそろそろ残りの宿題を仕上げる時期。
僕の夏にも宿題があったり、なかったり、
ちびぃっと切ない、いい季節の訪れを、
汗の色に感じた8月22日でした。

   

Life is …矢っ張りBeautiful !! 2007/08/21
一つや二つの失敗に、あんまりくよくよすんなよ。
そんな事でくよくよしてたら、
失敗だらけの人生は一向に前に向かないぜっ。
人生はおおよそ失敗するようにできており、
上手く行く数の方が圧倒的に少ないんだぜっ。
失敗する為に、今日も飯を喰い、疲れたら眠るんだ。
上手くいかなくたって、ちっとも恥ずかしくない。
四六時中の失敗の中で残された、たった一つのやるべき事、
それは「あちゃぁ〜」と思う事で、
それは「まっ、いっか」とヘラヘラする事。
失敗しなくちゃ明日にならないんだから仕方がない、
今日もたくさん失敗して、
明日の失敗の為に腹ごしらえして、眠るんだ。


一つや二つの失敗に、あんまりくよくよすんなよ。
そんな事でくよくよしてたら、
失敗だらけの人生は一向に前に向かないぜっ。
人間同士はおおよそ失敗するようにできており、
手元に残った愛し合える人の数は、本当に奇跡の数だぜっ。
一つ二つの失敗の為に、その奇跡に負い目を感じちゃいけない。
今日の失敗の中で、明日共にできる人をしっかり確認するんだぜっ。
人なんてもともと勝手な事を考え合っているんだから、
本音がぶつかれば、人は失敗するようにできている。
でも、人と人が失敗すれば、今度は愛し合えるようになれると信じているんだ。
くよくよすんなよっ、
絶対に一人では生きれないような仕組みになっているのさ。
君はただ、失敗を恐れなければいい。
君はただ、本音をぶつければいい。
君はただ、人の本音を知ればいい。
くよくよすんなよっ、
必ず誰かと歩めるように仕組まれているのさ。


一生懸命に頑張った暁には、
今日という日はいつも失敗で終わる。
一生懸命であるからこそ、
今日という日は、誠実に失敗できる。
今日もいい事がたくさん起きた、
こいつは大失敗だ、
こんな失敗は自分にしかできない、
じゃぁ、矢っ張り失敗は自分なんだぜっ。
じゃぁ、矢っ張り失敗は一生懸命やった報酬なんだぜっ。
じゃぁ、矢っ張り失敗しなきゃ今日はやりつくせないんだぜっ。
いつも、いっつも、失敗しよっ。
そんで、ええよ。
俺も失敗するし、
君も俺にたくさん失敗してくれっ。
くよくよすんなよっ、
どうせまた、明日には楽しい失敗が待ってるんだぜっ。

   

何もする気なし子となし男 2007/08/20
今日はうって変わったのんびりDay。
昨日までの慌ただしさと、頭一杯に詰まった風景を消化するような一日。
短パン(部屋着専用)とTシャツのままで、過ごしました。


昨日と一昨日で4〜5?の汗を吸い込んだTシャツなんかを洗濯しながら、
今日はまるで何もする気なし子となし男。
京都で財布に訪れた五円玉は2個で、
そいつをカランと五円玉ビンに入れて、
ジャリジャリ振り混ぜて、
クスクス笑ってました。
五円玉は使わないと決めてから、2ヶ月くらいになるのかな、
ビンに集まった五円玉は34枚。
ギターを買うには亀よりもほど遠いペースだけど、
見た目の少なさよりも、ズッシリ重みを感じます。
本当に縁と同じ事かもしれないな。
矢っ張り、量じゃないんだなと思います。


人との付き合いは、数や量では語れない。
矢張り、今。
今、目の前にした人にどれだけ心を無防備にできるかという事の重みだと思う。
誰を目の前にしているとかに関わらず、
心を透明にして、腹のすみずみまで見えるように、
誠意で向かい合う喜びを僕は最近少しずつ気付けるようになったかな。
それは、僕が一時暗い壁の中に逃げ込み、
誰とも会いたくない、誰とも話したくない時期があったからだと思います。
あの時の自分と比べたら、今の僕は人に対してとても自由になれました。
誰と話しても、誰と酒を呑んでも、誰と珈琲を飲んでも、
『このまま一生こうしていたい』
と思います。
相手にとっては迷惑千万な話ですが、
そこには幸せの味がします。


僕のグルメって、そこかな。
一人で飲むもの、食べるものなんて、
たとえ道場六三郎が作った料理でも、僕は美味しいと思わないんだろうな。
人と作る料理、人と食べる料理、
それがカップラーメンであったとしても、
至高の一品になる事を僕は経験して来ました。
その一品、その一縁、今という時間に、
ズッシリ詰まった重みを、ただただ大切にしていきたいな、
なんて思います。


京都で手元に訪れた2つの五円玉、
この重みは僕の心にしっかり記憶されています。


な〜んて考えながら、インスタントのもずくスープを作り出します。
これは最近一人でも美味しいなと思う好物。

   

京都道中 2007/08/19
今日、京都は新風館に来てくれたみんな、
有り難う。
酷暑、汗噴出の中で2ステージ聴いてくれたみんな、
有り難う。
新風館で買い物途中に足を止めて聴いてくれた京都っ子のみなさん、
有り難う。
新風よりも熱風といった屋外ステージ、
たまらなく幸せな天気で、
楽しい時間を共に出来て嬉しかったです。
僕は東京に帰って来ました。
あっ、そうかもう東京なのか、
あっ、そうか今日の昼から夕方に掛けて京都で唄ってたんだ。
あっ、そうか昨日の朝は東京にまだいたな。
「あっ!」と言う間の京都一泊一人旅、
最高だったぜ。
また一つ大きな宝物を手に入れて、
僕ん家の秘密の戸棚に仕舞ったところだよ。
みんなの顔が見れてよかった。


今日の慕夜記は、まず昨日の分から…



8月18日 第274夜『とうきょうtoきょうと』


14:33ちょうどののぞみ91号に乗って、京都に向かいました。
手にしていた切符よりも2時間早い新幹線に乗ったものの、
「それでもちょっと遅いかなぁ」という気がしていました。
早く京都に入って、久し振りに京都を、
そして、一人歩きをしたかったのですが、
何しろ準備に手間取ってしまい、
随分中途半端な時間になってしまいました。


「まっ、いっか」で、座席に落ち着くと、
車窓は多摩川を越え、いよいよ東京から離れていきます。
この一人旅は楽しみ。
隣の席には誰も座ってないし、
身体をうんと伸ばして、
僕はアイスコーヒー片手に、久し振りの新幹線を悠々と満喫しました。


と思っていたのも束の間で、
新横浜の駅からは隣に小学生の男の子とそのお父さんが座って来ました。
『子供って落ち着きがないから苦手だなぁ』
と思っていたのですが、その子は案外おとなしくて、
と言うよりもニンテンドーDSに夢中で、
僕も静かに乗っていられました。


だけど、複雑な想いでした。
騒がしくないのはいいけど、
新幹線に乗ってまでゲームに夢中な子供って、
矢っ張り見ていてつまらない。
その子は名古屋で降りていったけど、
その間、ずっとゲームに夢中でした。
その子のお父さんも静かなので、寝ているのかなと思いきや、
ふと見ると、お父さんはお父さんで携帯電話でゲームをやるのに夢中でした。
その父子が名古屋で降りる直前、ぼそぼそ話だし、
子供が、
「あぁ〜なるほど。やっと理屈がわかったぁ」
と言ったんです。
どうやらお父さんにゲームの攻略方法を教えてもらったようで、
携帯電話の画面を見て、やけに納得していました。
矢っ張り複雑な想いだな。
小学生の子供に、まだ物事の理屈なんてわかってほしくないよな。
何でもかんでも、はちゃめちゃに大き過ぎる夢を広げて遊んで欲しい。
戦隊もののヒーローに変身できると信じていて欲しい。
僕なんか小学生の頃に『理屈』なんて言葉は知らなかったもんなぁ。
何が正しいとは言えませんが、
そんな理屈を理解している小学生に違和感を感じるのは事実です。


「でも、まいっか」で、新幹線は名古屋を出ます。
それから暫く行くと、
5分間くらい、僕が生まれ育った街を眺める事ができます。
今年の盆は帰れなかったので、
デッキに出て小さな車窓から5分間の帰郷。
故郷って、いつまで経っても故郷だというのは当たり前の事だけど、
改めてその景色の親近感を覚えます。
『何だかんだ言っても、僕は岐阜を愛しているんだなぁ』
としみじみ思いました。


ところで、
新幹線の車両毎にある電光掲示板(通過駅が表示されたりニュースが流れるやつ)
あれが気になります。
たまに、ふっと見てみると、
あそこに流れるニュースは、いつも途中からで、
一体何のニュースなのか判らないっていう事が多いです。
今回もふっと見たら、
『ライブの帰り道、おこづかいほしさに。』
という文字だけが目に入って、
どんな事件なのか気になって気になって仕方なくなるから、
もう一回同じニュースが流れるのをじっと待ってみるんですが、
もう2度と流れないという結末になります。
これはとってもストレスが溜まりますね。
ライブ帰りに?おこづかいほしさに?何やったのぉぉー!
とイライラしました。


さて、京都に到着したのは16時55分頃、
そこから地下鉄に乗ってホテルに向かい、
一旦荷物を置いて、さぁ京都観光へ。
以前の経験から京都の夏は暑いから用心しようと思って、
サングラスを持って来ていたのですが、
京都の太陽には敵いませんでした。
サングラスしていても眩しくて、目が開けづらかったです。
滝のような汗を掻きながらバス停に行き、
バスに乗って清水道まで行き、
六波羅蜜寺を目指しましたのですが、
道に迷った揚句、何とか辿り着けば閉門後。
「あちゃぁ〜無念」とつぶやいて道を引き返し、
第二の目的地、知恩院へ向かいました。
その道すがらは、暑さでもうろうとしていました。
或る家の軒先でおじいさんとおばあさんの立ち話が耳に入りました。
「今日は38℃いったらしいですわ」
なるほどです。


そして祗園方面へ歩いていると、久し振りに蚊に刺されまくりました。
考えてみると、東京暮らしで蚊に刺される事が本当になかったんですね。
今年初かもしれません。
そう考えると東京って恐ろしい街だなと、京都で実感しました。


次第に陽も傾いて、歩く足も焦り始めるのですが、
うまく道を把握できず、あてずっぽで迷い込んだのが八坂神社。
「兎に角、何でもいいから見ていこう」と思い、トリイをくぐってみました。
そして本堂まで行って、ゆっくり見ようと息をついていると、
男の子が英語で話しかけてきました。
僕に写真を撮って欲しいと頼んでいましたので、
快く引き受け、その男の子とガールフレンドの写真を撮ってあげました。
そしたら、男の子はまた英語で
「円山公園に行きたいのですが、どっちに行ったらいいですか?」
という旨の事を尋ねて来ました。
円山公園はこっから近い筈だと思い説明しようと思うのですが、
そう都合良く英語で説明できません。
「じゃ一緒に行きましょう」
という旨を片言の英語で伝え、僕はそのカップルと共に歩き出しました。
心の中で『あぁ、知恩院に行きたいんだけどなぁ…』なんて思いながら。
「あれ?」
あまりにぼーっとしていたのか、
考えてみたら僕は円山公園への行き方を知らなかったのです。
だから、慌てて通りすがりの人に道を尋ねて彼等を案内しましたが、
そのカップルの顔色には、明らかに不信感が漂っていました。


でも、何とか親しくなろうと話題を色々振りました。
このカップルは韓国から来た子達でした。
それなら僕は去年、釜山に行った経験があるので、
ここぞとばかりに韓国語で自己紹介をしてこのカップルを驚かしてやろうと思いました。
そして自己紹介、
「メラ ナーム ヤマグチ ヘ」
口をついて出た言語は、ヒンズー語でした。
肝心な時に、旅先で覚えた言語がごちゃ混ぜになってしまい、整理がつかなくなります。
彼等のキョトンとした顔に僕はスッカリ動揺してしまい、
どうやっても韓国語が思い出せなくなってしまいました。
思わず韓国に留学経験のある方に電話を掛け、
「すみません、ハングルで自己紹介するには何と言ったらいいですか?」
と聞いてしまいました。
その方はお仕事中だったのにも関わらず、
僕のそんなどうでもいい質問に丁寧に答えて頂けて助かりました。
男の子の名前は“ケビン”だそうです。
女の子の名前は、ちょっと忘れちゃいましたが、
矢張りアジアな顔立ちの人に“ケビン”という英語名がついているのには違和感を覚えます。
結構、多いよね、韓国でも愛称として英語名をつけるし、台湾も、香港も。
でも、何だか違和感が残るな。
覚えやすいって事もないような気がするし、
何か偽名を教えられた気がして苦手だな。
なんて思いながらも、仲良くギクシャクして円山公園を歩きました。


そして彼等と別れ、僕の目的だった知恩院に着いた頃には当然閉門。
あぁ、空振り続きでした。


祗園まで戻って、夕飯の事を考えていると、
翌日の新風館でのイベントでご一緒するVikiさんから電話を頂き、
「一緒に夕飯を食べましょう」
という事になり、祗園で待ち合わせ。
店を決めるのに、結構歩き回り、
途中、以前からお世話になっているライブハウス「都雅都雅」に立寄り、
店先に貼ってあったスケジュールの中に、
『吉川みき & 服部祐民子』のライブの文字を見つけて、
「みき姉さん、お先に」
と敬礼。尊敬する先輩に礼を尽くしておきました。
更に歩いて、最終的にはいい雰囲気の定食屋さんを見つけてそこで夕飯。
そこで食べた“サバのきずし”が滅茶苦茶美味しかったので、
本日の空振りは帳消しになりました。
次の日のライブに向けて、
Vikiさんと励まし合い、体力を付けてホテルへ帰還。
久々のホテルのベッド、寝付きはとっても良かったのです。


8月19日 第275夜『新風館イベント』


あさ10:30にホテルを出て新風館に行き、荷物を置いてαステーションへ。
『αデイライトコール』にVikiさんとゲストで出させて頂き、
まぁ、喋りたい放題であっと言う間の30分。
DJのポールさんと珠久さんのお二方も気さくで楽しかったなぁ。
何より久々にαステーションにお邪魔できて嬉しかったです。
メールを送ってくれた方に感謝です。


αステーションを出て、新風館に戻ると本番1時間前。
リハーサルでステージに上がると、
もうすでに見に来てくれている人達がいるし、
リハーサルをやっている間も、
新風館に買い物で来ている人達が足を止めて聞いてくれていて、
僕は唄っているうちにワクワクしました。
訳もなく楽しい予感で一杯になりました。
ただ、リハーサルをやっている時から、物凄く暑くて、
汗ビッショリだし、ギターの弦が一曲毎に暑さで音程が狂ってしまうので、
ここは気を付けなきゃなぁと思いました。


本番は14時から。
1stステージのしょっぱなは僕からです。
オープンエアーのステージは本当に気持ちがいい。
唄声を飛ばせば、空までも飛んでいく開放感が、
グイグイ唄心を引っ張っていきました。
聞いてくれていたお客さんも暑い中、じっくり聞いてくれて、
僕は興奮しました。
汗はギターにポタッポタ落ちて、目も開けられないほど顔は汗に濡れるのですが、
気にならないくらい心地よさの方が勝りました。
そして、ギターも本番になったらピッタリチューニングが合っていて、
暑さに負けず頑張ってくれたので、
1stステージが終わって楽屋に戻ったら、思わずギターにキスをしてしまいました。


2ndステージまでは割と時間があったのですが、僕の興奮は収まらず、
そのまんま走り続けるテンションで2ndステージまで行きました。
陽は陰って、風もやや涼しくなり、
2ndステージはまた雰囲気の変わったライブになりました。


今日、ここで会えた人達の顔を見て、
僕はとっても幸せを感じました。
東京で会うのとは、全く違う気持ちです。
ここにも聞きに来てくれる人がいて、
待っててくれる人がいるという事が、
僕の仕事の重さと尊さを教えてくれます。
また来なくちゃな、
そして、どんどん色んな土地に行き、
唄いつなぐ旅をしたい。
と、改めて確認した貴重な一日になりました。


汗を沢山掻いた爽快感と、心地よい疲れの中、京都に別れを告げ、
新幹線のプラットホームへ。
「じゃあね」と手を振って、さぁ帰ろうかなと思ったら、
新幹線は落雷の影響で30分以上遅れていて、
僕とVikiさんは、プラットホームでまた一汗掻く羽目になったというお話でした。
   

お知らせ 2007/08/18
山口晶は、京都出張中のため、本日の慕夜記は出来ません。
翌日、2日分慕夜記ます。
京都珍道中の話を、楽しみにしていてください。


山口晶代理
   

ミッドナイトシアター in 山口の巣 第2夜 2007/08/17
昨夜に引き続き、『ミッドナイトシアター in 山口の巣』を開催した。
客席には僕一人しかいないんだけど。
第2夜はロベルト・ベニーニの
『人生は、奇跡の詩』


僕はロベルト・ベニーニのユーモアが大好きで、
まあよく回る口で、すっとぼけた事をまくしたてるベニーニを見ていると、
自然に笑ってしまう。
兎に角、ベニーニのセンスはいちいち僕のツボに入る。


以前観た『ライフ イズ ビューティフル』は、
僕にとって最高のユーモアであり、
最高の愛情だった。
ユダヤ人として捕らえられ、
息子と二人監獄へ入れられ、奥さんとは離れ離れ。
そんな最も苦しい状態にあって、
ベニーニは息子に悲壮感を与えず、
どんなひどい事をされても冗談に変えてみせた。
最後のシーンで、
僕はこの世で最高の嘘を観た。
涙にはならない胸の突き上げ、
いつまでも冷めないスープを食卓に出された気分だった。
僕にとって至極の映画になった。


そして更に前に観た『ダウン バイ ロウ』という映画、
これもベニーニは最高だった。
この映画を観ようと思った目的はトム・ウェイツだったんだけど、
両雄に惚れ込んでしまった。
ベニーニがうさぎの丸焼きを仲間に勧めるシーンで、
うさぎ料理を作る母親の話は最高に面白かった。


『ライフ イズ ビューティフル』でも『ダウン バイ ロウ』でも、
今回の『人生は、奇跡の詩』でも、
ベニーニの奥さん役は、必ず実際の奥さん。
映画の中でもベニーニは思いっ切り愛を奥さんに伝え、
奥さんを最大に綺麗に描いている。
これが、僕がどうにも「やられたなぁ」と羨ましく思うところで、
ジョン・レノンにとってのオノ・ヨーコ、
ブルース・スプリングスティーンにとってのバティ、
公私を通じて奥さんを愛して、
奥さんを美しく見せていく男の愛情って、
理想だな。
日本男児は亭主関白に出来ていたり、
身内を恥ずかしいものとしているきらいがあるけど、
僕はそうはなりたくないと思っている。
ベニーニの奥さんに対する愛情、
スプリングスティーンのパティに対する愛情、
これが僕のお手本になっている…、
けど実現までの道のりは遠いなぁ。


話はベニーニに戻って、
今回の『人生は、奇跡の詩』も面白かった。
トム・ウェイツも出演して、唄っているから、
これもこの映画の美味しさ。
ベニーニとトム・ウェイツという二大ロマンティック狼少年、
この二人が揃っていると、どんな嘘が始まるんだろうって、
ワクワクしてしまう。
こういう友達関係って羨ましいなぁ。


まぁそれにしてもベニーニという人は、
兎に角よく喋る人なんだけど、
言っている内容が最高のセンスに包まれている。
ベニーニが詩人として生徒を相手に、
詩の書き方の講義をするシーンがある。
コミカルに語るベニーニの言葉は、とっても情熱に満ちていて、
僕は胸を突かれた。


『詩になる言葉を選ぶには時間をかけるんだ。
  “美”とは、探して選び出す事から始まる。
  イヴは、イチジクの葉を選ぶのに楽園中の葉を摘んでしまったんだよ。
  幸福を伝えようと思うなら、幸福であるべきだし、
  苦しみを伝えようとするにも、幸福であるべきだよ。
  新しいものは無用だ、新しいものは昔からある。
  言葉を服従させるんだ。
  たとえば“壁”という言葉が君を無視したら、
  8年間は“壁”という言葉を使ってやるな』


ずっと僕が言い淀んで来た苦しみに、
一筋の光明を垂らすような、
ベニーニの冗談めいた講義だった。

   

地球には優しい映画 2007/08/16
昨夜は久し振りに映画を観たくなって、
DVDをレンタルして来ました。
そして昨夜から今朝に掛けて、
レンタルして来た『呪怨〜ハリウッド版』を観てたんだけど、
震え上がるね。
『呪怨〜ハリウッド版』を観るのは今回が2度目です。
僕なりにホラー映画を研究して来ましたが、
この映画が一番精神的にダメージの大きい映画だと思っています。


それでねぇ、今回もまた新鮮な気分で震え上がって観ていたんですが、
ちょうどクライマックスを迎えようかという頃、
主人公の怨霊・伽椰子が歩伏前進して登場し始め、
僕の緊張感は最大に達した時ぃっ、
今朝の震度4の地震が起きたんですね。


横揺れと共に伽椰子登場、
暗い部屋にテレビだけ光っていて、
画面には伽椰子の踏ん張った顔が一面に映っていました。


まったくタイミングが良すぎて、
カッチンコッチンに固まりました。
居間とキッチンを仕切る扉が何となく開いていて、
部屋はミシミシと、
伽椰子は「ウカカカカカ」と、
うなっていました。
それが結構長く続いたような気がします。


さすが僕が認めたNO.1の怖い映画。
2度目でも平気では観せてくれません。
また当分は、
夜寝る時と、シャワーで頭を洗う時が怖くなりそうです。


真っただ中の夏、
熱帯夜、
身体火照っていると、
矢張り自然に肝試しをしたくなりますね。
見事に凍り付きました。
オススメですよ、
『呪怨〜ハリウッド版』
冷房要らずです。
という事はECO映画と言い換えてもいいって事ですね、
僕には怖いけど、地球には優しい映画です。


追伸:
でも、翌朝目覚めた時には、
バッチリ寝汗の海の中でした。
   

神風特攻隊 2007/08/15
夜、降り続く小雨を眺めながら、
「こうなると、あの素晴らしい青葉、
  若葉になる頃まで見て、死にたくなった。
  段々欲が深くなって困る」
とつぶやいた20歳の若者がいたそうです。


朗らかで、唄の上手な19歳の男の子は、
夕暮れ、薄暗い竹林の中で、
「お母さん、お母さん」
と叫んで日本刀を振り回していたそうです。


また或る青年は自分の飛行機が故障して飛べず、
仲間の飛行機が次々に轟音を立てて大空に消えて行くのを、
見送ったそうです。
その晩、青年は兵舎から帰ろうとせず、
落ち込んでいる姿を見たみんなが心配したそうですが、
「先に行った仲間が、靖国神社で、
  “お前の為にいい場所を確保して待ってるぞ”と笑っているだろう」
と笑って答えたそうです。
次の朝、兵舎に行くとその青年は一人でそこに残っていて、
目を真っ赤に腫らしていたそうです。
一晩中、仲間の為に泣いていたのだと、みんな思ったそうです。
そして、その日、
青年は一人きりで大空へ飛び立ったそうです。


飛行場の近くの学校に通う女学生は、
青少年達が愛機と言って身を一つにしている飛行機の整備をしていたそうです。
すると燃料タンクに穴が開いていて、上官に報告すると、
「明日には出撃だから、直す余裕はない」という事で、
女学生達は泣きながらボロ布をその穴に詰めたそうです。


隊員達の操縦席は桜で埋め尽くされたようです。
そして“特攻人形”というマスコットを女学生が作り、
隊員達に渡したそうです。
その人形が隊員の代わりに死んでくれるという願いが込められた人形だそうです。
出撃する隊員は笑顔で手を振ります。
女学生達は滑走路に並んで、手に持った桜の枝を振るのですが、
涙でみんなうつむいてしまいます。


こうした愛情のやりとりで、
隊員達は守りたいものを守る為、
死に自らおもむいたというのです。


そして、その若者達のあたたかい心と、熱い勇気に守られ、
僕等は生まれるに至ったのだと思います。
今日、8月15日はその若者達に感謝しようと思います。
今や、僕より随分年下になってしまった先輩、
その人達の死に感謝し、
また、民間の人にまで銃口を向け、
無抵抗な街にミサイルを投げ込んだ、
異常な考えを「戦争」と呼んで嫌おうと思います。
人が物のように倒れ、血を流し、
生きて来た時間の余韻もなく、
無秩序に殺される姿は、大っ嫌いです。


最後にその戦争の中で結婚した二人の話。


特攻訓練で疲れ切った夫を床に就かせ、
その枕元に座り、
奥さんは一晩中子守唄を唄い続ける。
そんなたった一晩だけの新婚生活があったそうです。


なかなか両親の了解を得られず、
それでも出撃間際になって何とか結婚する事ができたそうです。
でも旦那さんは特攻志願兵として慌ただしく、
二人はなかなか会えなかったそうです。
或る日、東京大空襲があり、街が大混乱に陥る中、
大宮飛行場に向かう旦那さんは、奥さんと目黒でばったり会ったそうです。
二人は少し歩いて、国電に乗って大宮に向かったのですが、
電車はあまりにも混雑していて、押し合いへし合いの中で、
二人は離れ離れになってしまったそうです。
奥さんは堪り兼ねて池袋で電車を降り、
車中に残った旦那さんはそのまま大宮に向かいました。
何かの知らせがあったのか奥さんは、
その日、旦那さんが吸った煙草の吸い殻2本だけを大切に保管しておいたそうです。
そして、これが二人の短い結婚の結末、今生の別になったそうです。


旦那さんが最後、奥さんに宛てた遺書、
その末尾に、
『いまさら何を言うかと自分でも考えるが、ちょっぴり欲を言ってみたい』
として、死の前夜に、最後の最後、
この世の名残りとなる物を上げています。
『一、読みたい本
    「万葉集」、「芭蕉句集」、高村光太郎の「道程」、
    三好達治の「一点鐘」、大木実の「故郷」
  二、観たいもの
    ラファエルの「聖母子像」、狩野芳崖の「悲母観音」
  三、聴きたいもの
    懐かしき人々の声 シュトラウスのワルツ集
  四、チエコ
    会いたい…話したい…無性に…』
   

もうちょっと、寝ったい夜 2007/08/14
暑いなぁとは思っているんだけれど、
寝汗が止まらない。
予定より2時間早く目が覚めてしまった。
寝不足だなと思っていたので、
時間ギリギリまで寝てやろうと思っていたのに、
「うっふ〜ん!」
と目を覚ましちゃった。


寝汗を拭き取りに洗面所まで行き、
顔をバシャバシャ洗い、
ふと鏡に目を上げると、
喉元と鎖骨の間に綺麗な引っ掻き傷が付いていた。
寝汗だけじゃない、
血まで吹き出しておる。
右手の人差し指を見ると、
爪の先に血が付いていた。
何て男らしい目覚めだろう。
ついでにくしゃみを4回連続でする。
起き抜けに横隔膜の激しい運動で、
危うく死にかけた。


暑いのに、鼻水グシュグシュになって、
金魚の水槽に挨拶、
そして金魚の朝ご飯。


何となく気になって久々に水温計を見てみた。
寒い季節は毎日チェックするのだけれど、
暖かい事にあまり心配をしてなかった、
がっ!
「さっ、さっ、30℃っ!?」
目をこすってもう一度確かめても、
矢張り30℃。
「これじゃぁ煮魚になっちゃうよぉ〜」
冗談にもならない。
かと言って、どうにかする方法もなく、
ただ茫然と水槽の前に突っ立っていた、
寝起き!
熱帯夜は終わりそうにない。


こないだ、あまり好きじゃない深夜番組にチャンネルが合ってしまった。
そん時に紹介されていて面白かったので、
僕もやってみた。


『脳内メーカー』


そしたら、
僕の脳内のイメージが出て来た。


思った以上の出来すぎた結果に笑ってしまった。
これが当たっているかどうかは、
僕の口からは何とも言えない。
みんなもやってみたら!


ちなみに僕の前世の脳内はこうだったらしい。

山口晶の前世の脳内イメージ

恐ろしい因果を持って、
僕は今生にいるようだ。
   

セクシーな隙間 2007/08/13
乱立するビルの隙間は結構セクシーだ。
ピッタリくっ付けて建てればいいのに、
あえてほんの少し隙間を空けている。
その股には隙間風が吹き過ぎ、
エアコンの室外機から水が滴る。


縦に並んだ同じ部屋から、色とりどりに人が出入りする。


その6階、手すりから身を乗り出して天気を確かめる人は、
そのセクシーな隙間から空を見上げている。


その5階、ベランダに干されたシャツは、
洗剤の匂いはしても、都会の排気ガスに黄ばんで見える。


その4階、煙草を吹かす人が窓から深々と地面を見下ろして、
そのセクシーな隙間に転げ落ちる想像をしている。


その3階、硬く閉ざしたカーテンが開いた事は一度もない。
セクシーな隙間と関わりを持たないようにしているけれど、
その薄暗い隙間に唯一、家庭の灯火を漏らしている。


その2階、スッカラカンに何もない空き室に、
セクシーな隙間が亡霊のように映っている。


その1階、和食料亭の裏口があって、
白い長靴が逆さに引っ掛けられた間を、
和服姿の女将が慌ただしくセクシーな隙間へ降りて行く。


狭い土地に寄り添うように建ちながら、
それでもあえて一定の距離を保ち、
何となく関わりを持たないように出来ている。
その狭い巣で、
希望を持つ人もあれば、完全に絶望する人もある。
そしてそれは十年ともたず、
ひっきりなしに主を取り替える。


祇園精舎の鐘の音は、
こんなセクシーな隙間にこそ鳴り響いている。


都会は兎に角、取り替えの部品を必要としている。
僕等はその一つのねじになり、
あっちを締め、こっちを締めとしているが、
やがて錆び付けば、新しい部品がやって来て、
どこかへ追いやられる。


唯一、取り替えがきかないのが、
人と人のつながりだっていうのに、
乱立するビルには、
今日もセクシーな隙間が空いている。
   

そしてあと一曲 2007/08/12
ステージを見て涙する事がある。
それは矢張り尋常な事ではないと思う。
どんな人の、どんな唄であれ、
人がそれを聴いて涙するというのは凄い事だと思う。
その時の心にマッチした曲が、
静かに心を洗ってくれる。


僕も過去に何度か音楽に涙を流した事がある。
主にブルース・スプリングスティーンの曲やステージが多い。
その折々の僕の心を洗ってくれる曲は、
スプリングスティーンの柔らかい静かな曲だ。
一人で音楽を聴いて、何故かオイオイ泣いている事がある。


そんな僕だから、
ステージに上がり、僕もその心を洗う一曲を作りたいと思うし、
何よりも自分が自分の曲に心を洗われ、そして涙したいと思う。


ステージの照明、
そしてその反射、
そのうっすら暗い客席で、
こっそり涙を拭く人を見ると、
どんな人がステージに上がって、
どんな唄を唄っていようとも、
そこに素晴らしい仕事が見える、
そして、
音楽にしかできない事の誇りを感じる。


兎に角、そこへ怯みなく没頭しなくちゃいけない。
兎に角、そこへ惜しげもなく自分を晒していかなくちゃいけない。


僕が音楽を聞き出したきっかけは、
心を洗われる感動。


上京したてで、心細い頃、
国道沿いのアパートの一室から夕陽を眺め、
そこで流した「The River」で、
崩れるように涙した、
あの心を思い返した。


ライブハウスという尊い空間で、
僕はみんなと尊い時間を過ごせるように、
また次のライブ、そしてまた次のライブ、
明日から、また明日へと、
尊い行進を続けて行きたい。
   

白点 2007/08/11
とっても頭が痛くて、やり切れないです。
今日は空腹のまま麻布のセッションバーに少しだけお邪魔したんだけど、
ブルースナイトという事で、
呑み、唄いで頭が痛い。
おまけに久し振りのバンドサウンドで、
その音量に頭はノックアウト。
こめかみでベードラがノッシノシ、リズムをキープしています。


家に帰って来ると、金魚達は眠っていました。
その隣の水槽にはエビとタニシが住んでいましたが、
先日、とうとう最後のエビが死んでしまいました。
一見すると、この水槽に生物はいなくなりました。
でも、以前、慕夜記に書いた通り、
エビの稚魚なのか、羽虫の幼虫なのか、
白い粒の生き物だけが無数に揺らめいています。
今のところ、以前と変わらず白い点の大きさで、
一向に成長していませんので、
こいつ等が何に成長するか読めません。
つまり、当分はこの一見空っぽの水槽を片付けれない状態です。
エビだといいんだけどなぁ。
な〜んて水槽におでこをつけていると、
溜め息が出ました。
最近、空っぽって言葉を僕はよく使っているかな。


今日の僕はちょっと溜め息が多かったなぁ。
一日中、あれこれ足りないものを思い付いて、
溜め息ついていたなぁ。
よくないね。
不安のない人生は、さぞや退屈なんだろうけどね、
この空っぽの水槽に湧いた白い点のように、
どうなるか判らない面白さと背中合わせに、
このまんま白い点で終わってしまったらどうしようかとも思います。


「まぁ、そんな事もないかっ、
  白い点でもお前等にとっては成長があるんやもんな」
ぬるい水槽のガラスに額をゴリゴリ、
「この水槽はこのままにしょうな」
激痛の頭で頷きます。


今日はどこもかしこも暑いしぬるい、
電車に乗っていたら浴衣の人々が大勢いました。
明らかに花火を見に行く人々だな。
僕の頭は花火よりも派手にガンガン、
痛みが打ち上がっています。
   

便所執務室 2007/08/10
僕は家にいる時間の中で、
人よりトイレに滞在する時間が長い男です。
それは別に便意を催しているからではありません。
確かに僕のお腹はゆるく出来上がっていますが、
トイレに滞在している時間の八割が、
考え事をしている時間です。


別に、机の前で考えればいいじゃないって話ですが、
物事の段取りが出来る手前の、
発想する時間は、矢張り机の前では集中できないのです。
机ばっかり見ちゃって、自由な発想が生まれてこないんですね。
だから、僕はトイレで考えるんです。
言ってみれば、一番ナーバスな行程をトイレで行うという事です。
トイレは僕の発想を養う、重要な個室です。
我が家がホワイトハウスなら、
我が家のトイレは大統領執務室です。


僕は家の中で唯一トイレに限り喫煙を許しているので、
僕はトイレに入ると必ず一本、
「すは〜っ」
と吹かします。
そしてトイレの赤い電灯の中で、
ボーッとタイルの汚れなどを見つめながら,
発想が生まれるよう頭の柔軟体操をします。
その柔軟体操は本当に幼稚な事しか考えていません。
でも、考えが詰まる時って、
大概、ガチゴチに頭が固まってストレスが過度に掛かっている状態なので、
僕の場合は、
「ドラえもんの四次元ポケットがあったら、あれをするのになぁ」
並みの事を考えるのです。


そして、いつしか煙草を一本吸い終わり、
トイレのドアを開けようとすると、
新しい考えが浮かんだりするのです。
勿論、トイレに行けば必ずアイデアが浮かぶような天才ではありませんが、
結構な高確率で浮かぶという事です。


まぁ、僕が見ますところ、
人間はどうしても暗い方向に物事を考えがちで、
気持ちが疲れて来ると、
たった一つだった嫌な事を、
あっちこっちに関連づけて、
あれもこれも「何で自分ばっかり…」と塞ぎ込んで、
結局、自分の周りに嫌な物ばかり並べてしまいます。
僕もあまりにも疲れていると、そうしがちなのですが、
それじゃあ、勿体ないなぁと思います。
はじめは小さな嫌な事を、
どうしようもない自分の狭い考えで、
悲しみや苦しみ、大きな悩みと勘違いしてしまうのは、
如何にも勿体ない。


できるだけ笑えて、楽しい事にしたい。
だから、どうでもいいような事には、
とことん力を抜く努力をするのです、小心者は。
人間は必ず小心者で、
リングに上がるマッチョマンも極度の小心者だからこそ、
あんなに死に物狂いで戦う訳だし、
僕のような不出来な者は、余計に力を抜いて、
持てるものの限界を知って、
勝手に悩み多き青年にならない事だなぁと思います。


頭をゆるく、考えを広く、こだわりを持たない、
そんな事を毎日狭いトイレで夢想しています。
   

頭の中の調味料 2007/08/09
寝静まる街を歩くと、
狭い路地で初老の男女が、
無言で夫婦喧嘩をしていた。
僕が通り過ぎると、
足音だけがバタバタと聞こえたので、
振り返って見ると、
さっきまでいた塀と反対側の生け垣まで、
男が女に迫っていた。
終始無言の二人。
僕は奇妙な気分で歩き続けた。


玄関のドアを開けると、夜の幕が降りていて、
僕は何となく冷蔵庫を開ける。
冷んやりした風が汗だくの頬を撫で、
少し落ち着いた。


この冷蔵庫は八年くらい使っているけど、
その時期によって、
僕の生活をよく映し出してきた物だと、
改めて思った。


今はほとんど何も入ってない。
イチゴジャムやらマスタードやら細々とした調味料と、
金魚の水槽に入れるバクテリアのもとだけ。
だからほぼ空っぽ。
まるで、僕の頭の中みたいだと思う。
甘くしたり辛くしたり、
調味料はあっても、
実際、それを使う食材を欠いている。
矢張り、ちょっと問題だなと思う。


今まで様々な経験をして、
それなりに楽しみ、笑い、悲しみ、悩んで来て、
今、心は充実して来ているように思える。
公私ともに脂ののったいい男の時期を迎えていると思う。


あとは調理するにあたって、
何を作るか、
その為にどんな材料が要るか、
新鮮なものを用意できるか、
そして、
何よりも人に美味しいと思ってもらえるものを作るか、
だと思う。


僕の心の冷蔵庫は経験の中で、
使うべき調味料は揃えた。
それは自分の納得した調味料。
あとは、
その季節に合った食材を入れ、
また入れたら使い、
そしてまた違う物を入れ、
回転させていかなくちゃいけない。


こんな汗だくの夜になんだけど、
僕は調味料ばっかり集めていたんだなぁと、
改めて実感した夜になった。
   

鼻が曲がらない 2007/08/08
あれやこれや、考えているうちに、
考えが一向にまとまってくれない、
な〜んて事が、僕の日常に茶飯事です。


さ〜て、今日は目一杯洗濯をするかっ、
なんて思っていても、
色物から洗うか、
それとも白い物から洗うか、
を迷ううちに日が暮れます。
そんな時には決まって、
片付けなくちゃならない仕事がワンサカあるような気がしていて、
「いや洗濯をしている場合じゃなし子」
と、一人でテンパッているだけなんです。


その一つ一つに、適度に手を出してみて、
結局、あーでもないな、こういう風でもないな、
それぞれが適度に進んで、大幅な進歩を見せてくれない。
何年生きても人間様は、
時間の使い方に苦労するもんでしょうか?


とうとう甲子園が始まって、
血が沸き立つ思いです。
いつまで経っても野球少年は野球少年。
休みでもないのに夏休みの気分になります。


僕は中学生の頃、野球部に所属していました。
コントロールが悪かったのですが、ピッチャーでした。
その日は夏休みの練習、
僕はブルペンでピッチング練習をしていました。
その頃は部活中に水を飲んではいけないという根性論が生きていたので、
結構投げ込みをやると、カラッカラに疲れたものです。
僕はブルペンに膝をついて、ほんの少し身体を休めていると、
その隣で先輩が守備練習をし始めました。
僕は暑さに朦朧として、
グランドの向こうにある空き地を眺めていたのですが、
守備練習をしていた先輩が捕り損なったボールが、
僕の鼻に直撃したのです。


鼻血がドバーッ、


10年後くらいしてから判った事なんですが、
その時僕は鼻の軟骨を折っていたようで、
今でも鼻先を右に曲げる事はできても、左には曲がりません。
僕の鼻の左からボールが当たったんですね。


鼻血がドバーッでも、
その頃は、そんなくらいで練習を休んじゃいけないという根性論が生きていましたので、
僕はキャッチャーをやっていた後輩と洗面所に行き、
流れる鼻血を何回も洗い落としていました。


その日、僕に好意を持ってくれていた女の子が練習を見学していて、
僕が鼻を押さえながら血まみれになって洗面所の方に歩いていったら、
心配してついて来てくれました。
ただ、僕はこんな状態を見られるのが恥ずかしくて、
「大丈夫?」
なんて言われると、余計に恥ずかしさが余って、
こんなところまでついて来なくていいのにっ!
という
腹立たしさにもなってしまいました。
(勝手な理屈だけど、ウブな青少年の自意識だったと思います)


結局、鼻血はまだ止まってないのに、
僕は洗面所とその女の子から逃げるように練習に戻りました。


今、僕は野球から遠のいてしまいましたが、
甲子園が始まる時期になると、
あの頃の焼け付くグランドを思い出し、
鼻先を撫でています。


あの頃投げた夢のボールは、
いつ僕のところに届くのやら…、
さぁ、仕事をしなきゃ。
   

寒い、寒い一部の夏 2007/08/07
「お〜、寒い。寒いなぁ」
今日のライブの帰りに入った渋谷の焼き鳥屋さんで、
こんなセリフ。
寒過ぎる焼き鳥屋さん、
冷房効き過ぎでお酒もすすみません。


こんな何にもしなくても汗ばむような日に、
冷房で苦しもうとは夢にも思いませんでした。
そこで隣の席にいた、
見知らぬリュウくんとユキちゃんに話し掛け、
仲良く、
「寒い、寒い」
を連発していました。
好青年と可愛い子のペアで10年来のお友達なんだって、
高校の時に知り合ったんだって、
それぞれ男子校と女子校に通っていて、
塾で知り合ったんだって、
何だかとっても仲の良い二人だったよ。


今日のライブに着てくれた、みんな有り難う。
久々に歌詞がゴッソリ抜け落ちる場面があって、
それは、ただただ申し訳ございません。


果敢に挑戦した新曲のチェリーが、
思っていたよりも5割増好評を頂けて、
それは嬉しかったなぁ。
朝まで粘って練習した甲斐があった。


MCでも話したけど、
渋谷へ向かう山手線の中、
ポケモンの帽子をかむった小学生六年生くらいの女の子が、
「原宿って何か判る?」
とお母さんになぞなぞを出したんです。
お母さんは問題の意味もわからない感じでキョトンとしていましたが、
その女の子の出して答えは、
「お腹の中の塾なんだよ」
と言ってました。


昨日の慕夜記に出て来た、蕎麦つゆの男の子にしても、
子供達の発想にはワクワクするような意味合いが隠されています。
感動しました。


お腹の中に塾があるって、
そこでは教科書外の事を教えてくれるんだろうな。


話は焼き鳥屋さんに戻して。
結局、
「寒い、オ〜寒い」
何て言ってる前に朝陽が上り、
僕は今、目蓋が幕を下ろしそうです。


今日の出会いに、
そしてライブに来てくれた、みなさんに感謝を込めて、
僕は目蓋の布団を目にかけようと思います。


みんなお疲れさん!
and おやすみ!
   

生まれて初めての味 2007/08/06
今日、近所の蕎麦屋の前を通る時、
向かいから電動の車椅子に乗った小学六年生くらいの男の子と、
そのお母さんが歩いて来た。


今日の陽射しはムンと湿気を含んでいて、
寝不足がこたえている僕の足下には、
ヨロけた影が始終まとわりついていた。


車椅子の男の子は、そんな僕を尻目に、
元気一杯で、
また丸々とした頬を喜ばせていた。


彼はお母さんに言う、
「ここで生まれて初めて蕎麦つゆを飲んだんだ!」


そっかぁ、今思い当たったけど、
お母さんじゃないかもね。
もし彼のお母さんだったなら、
彼がどこで生まれて初めて蕎麦つゆを飲んだのかなんて知ってる筈だもんね。
それに彼も敢えて発表しないよね。
じゃ、学校の先生かなぁ。


まぁ、何にしてもしっかりした子だなぁと思った。
僕は生まれて初めて蕎麦つゆを飲んだところなんて覚えてやいないし、
僕が小学校六年生の時は、まだ蕎麦つゆの美味しさには気付いていなかった。
蕎麦つゆって、通が意識を持つポイントで、
彼は相当のグルメと思わざるを得ない。
アンチ・グルメの僕だけど、
彼のおませなグルメには、微笑ましさを感じた。
一日のやる気を奮い立たせられた気分。
そこからは、
僕の足下には背筋の伸びた影がついて来るようになった。


暫く行くと、
鳩が電線からこっちに降りて来たんだけど、
車道をまたぐ時、
あわやバイクにひかれるっ!
というすれすれを飛んで来て、
僕の足下に降りて何喰わぬ顔をしているので、
さすがに指差して注意してやった。
「お前は危ない」


僕は随分前に、女の子とデートをしていたら、
車にひかれた鳩が死に物狂いで僕等の足下まで飛んで来て、
そこで息絶えたという経験がある。
その後、僕等は食事の予定だったんだけど、
近くの公園までその鳩の亡骸を持って行って、
人の来なそうな木陰に眠らせた。
まぁ、言うまでもなくその後の食事は無言で、
どんよりした気分でデートは終わった。
そのデートは、生まれて初めて味わう苦みがあった。


な〜んて経験をもとに、巷の鳩達には気を付けて欲しいなと思う。
あの時、僕が何より腹が立ったのは、
鳩をひいた車の持ち主が、
一生懸命車のバンパーばかり気にして、
鳩の事を一べつもくれなかった事。
あんな人間がいるから、
だから、僕は今日、
鳩を叱った。


結局、今日の鳩はあんまり僕の注意に危機感を持ってなくて、
陽気に僕を見つめていたけどね。
ま、いっかぁ。
ま、いいよ、無事だったから。


しかし、夏い暑の真っただ中だ。
   

パス照るカラー 2007/08/05
普段、身にまとうものに関して、
僕の場合、人に心配されるくらい無頓着です。
正直言って、裸じゃなきゃ何でもいいです。
モロ肌脱いで、世間を誘惑する訳にはいかないからね。


「何でもいいや」
なんて思っているくせに、
いざ、外に出ると、
自分の身なりが人様に失笑を買ってないか、
矢張り人より気にしているかもしれません。


別段、オシャレはしたくなくて、
身なりは無難にあればいいなぁと思っているのですが、
それだけに、その無難にもなっていないような可笑しな格好をしていたら…、
と、オシャレな人より弱気になります。


かなり奇抜なオシャレをして、
「ヨシッ、決まってるぜ」
と自負できる人の、その自信ポイントは一体どこなんでしょうか?
まぁ、イメージするものに近付いたという事なんでしょう。


今日の僕は安いポロシャツ、
パステルカラーのスカイブルー。
唯一持っている、根明な衣服です。


これを着ると、
どんなに気分がどんよりしていても、
どこか張りが出て、パリッとした気分になります。
今日、或る方に、
「その色、よく似合いますね」
と褒められました。
このシャツと僕のマッチングを褒められたのは二度目です。


僕は肌が浅黒いから、
だから、根明な色が映えるのでしょうか?
僕の顔がボーッとしているから、
だから、根明な色がシャキッとして見えるのでしょうか?
僕の性格がどっちかって言うと暗いから、
だから、根明な色がカバーしていてくれるのでしょうか?


何となく、納得です。


これからなるべく、ノーテン気なほど明るい色のものを、
身につけていこうかな。
確かに、僕はニヒルな中間色、
暖色も寒色も、僕に掛かれば見事にくすんでしまう。
少しそこから脱却してみようかな。


チベットで見た黄色、
インド見た赤、
色彩に乏しい地域では、
必ず目を突く、鮮明な色を装飾しています。
それが、いつまでも凛々しく目の裏に焼き付いています。


僕もそんな凛々しさを持ちたいと思います。

   

アベコベ 2007/08/04
何もかも使い切った次の日は、
何のブート・キャンプに入隊した訳でもないのに、
アチコチが筋肉痛で、
アベコベです。


思いっ切りはしゃいだ次の日は、
沢山の親交を深めた筈なのに、
目覚めると一人、
ベッドの上で寝汗をかいて、
どこか寂しい。
これもアベコベです。


夏になれば部屋を涼しくしようとし、
冬にはできるだけ温めようとします。
勝手な話ですが、
アベコベになると、
大切なものがはっきり見えます。


モラルを大切にし過ぎると、
個性を欠いて自分がつまらなくなります。
沢山の責任を背負うと、
身動きが取れなくなります。
やりたくない事に囲まれた時は、
やりたい事を簡単に思い付きます。
全てがうまくいっていると、
いつ失敗するか気になりだします。
一人を大切にすれば、
大勢と疎遠になり、
大勢と時間を過ごせば、
一人に寂しい想いをさせます。
アベコベなんだけど、
大切なものがはっきり見える気がします。


結局、僕は同時に二つ以上のものを持てないから、
結局、僕は今、一つのものしかもてないから、
アベコベを引き起こすんだと思います。


アベコベを恐れて、小さくまとまりたくはないんです。
つじつまの合わない事なんて当然あるんです。
僕は汗っ掻きだけど、寒がり、
どう考えたってアベコベに出来ています。
僕の感情や考え方のつじつまが合って、
説明のつく事だらけになってしまったら、
小さくまとまるという事なんだと思います。
僕はアベコベな自由が好きです。


アベコベになりながら、
それでも一つずつ、
アベコベになりながら、
何とか一つずつ、
大切なものを積み上げていけるような、
人生を送りたいなと思います。
   

朝もやより 2007/08/03
今日、下北沢まで足を運んで下さった方に、
有り難う。


ここ数日、
何となく時間に切迫感を感じながら、
夜を過ごしていたので、
ライブが終わると、何かリリースされた魚のように、
頭からスニーカーの先まで、
ねじをゆるめてしまいました。
新曲含め、
改善点と合格点の産出で、
いいライブになったと思います。


最近の僕のお気に入りのギターのチューニングは、
オープンチューニング。
オープンチューニングとは、
簡単に言うと何も押さえなくても、
ちゃんと和音になってしまうという、
魅惑のチューニングなのです。
別に楽をしたい訳じゃありませんが、
何しろ解放弦の音が大好きな人間ですので、
こういったコードにはまりがちです。


フラッと飲めば、気を良くして、
あれよあれよと朝を迎えます。
今の僕に全く尻込むところはないので、
できるだけ、みんなと飲みたいなと思っています。
それは朝まで。


久々の千鳥足、満足な朝もやより
   

勝手な朝 2007/08/02
何だかんだあって、
今日も朝までギターを弾いていました。
何か惜しいとこまで来てるから、
諦められなくて、
朝まで弾くもんです。
やってやり過ぎる事はなく、
今日答えが出なくても、
確実な布石をつなげたかなとは思います。


時間に追われていると、
ついついないがしろになるのが食事です。
僕の場合、
胃に喰い物が収まると、
顕著に眠たくなるので、
最近は食事のタイミングを計って、
「まだまだ、まだまだ」
と思っているうちに、
タイミングなんてなくなってしまいます。


かと言って、何も食べないのは寂しい限りなので、
ひとしきり唄って朝を迎え、
眠気で放心状態になると、
ノソノソうどんを茹でたりします。
何て身勝手な生き方でしょう。
自分の事ながら感心します。
でも、眠気の中で食べるので、
だいたいが、
「うえっ」
となって、食べ切れない感じになります。
勝手だねぇ。


やらなきゃいけない事が山ほどある時ほど、
やりたい事を沢山思いついてしまう訳で、
計画性を求められます。
皆無、
僕はそういった能力に欠けた人間なので、
どっちもやり切れずに進んでしまいます。
時間を決めてやる事を整理するとか、
いい大人はやるんだろうな。
僕はできてないかなぁ。
勝手だねぇ。


今日、Tom Waitsの『In the neighborhood』って曲を聴いていて、
あぁ、いい曲だなぁと思っていたんだけど、
「neighborhood」って辞書でしらべると、
「地域」とか「街」とかって意味なんだよね。
でも、ある特性を持った地域や街の事を指すらしくて、
Tom Waitsの唄う「neighborhood」って、
どんな特性のある地域なんだろうって頭をひねってました。
いい曲だから機会があったら聞いてみてね。


それにしても『In the neighborhood』
日本語に訳すと、「地域にて」とか「近隣で」なのかな?
何か英語のカッコよさを感じちゃうな。
「近所の人」も英語にすれば「neighbor」だからね、
なんかエエなぁ、カッコええなぁ…、
なんちって思いました。
日本語の緻密な表現力も大好きなんだけど、
こういう歌詞に触れる時は、
英語を堪能になりたいなぁ、とも思います。
まったく、
勝手だねぇ。


僕の朝、僕のneighborhoodは寝静まっています。

   

夜更かしオンステージ 2007/08/01
昨夜は朝が来るまで、
ギターを担ぎ、
唄い、
そして立ち続けた。


ストラップが左肩に喰い込み、
右腕はストロークし続け、
背中は肺とギターの重みを支え続けた。


思えば、10年以上、
こんな夜の過ごし方をしてきた気がする。


楽しい時も、苦しい時も、
こんな夜の過ごし方で夢に近付こうとしてきた。


ギターを弾いて唄いながら、
目を閉じれば、
僕はちゃんと、僕の居場所が見える。
必ず、今いるべき場所に立っている僕が見える。


以前、そんな僕を見て、
「暗いね」と言い捨てた人がいた。
理解して欲しかった人達ほど、
僕のこの時間を嫌っていたと思う。
僕の夢の原点を知って欲しかった人達ほど、
僕のこの時間を眠りに変えようとしていたんだと思う。
確かに、僕はこうして唄って朝に向かっていると、
完全に己に入っている。
だから、仕方のない事でもあったのかとも思う。


朝焼けは、日に焼けた白いカーテンの隙間、
誰も寝なかったベッドの上。
昨夜の月は、
並べられた4台のギターの足下の、
つぶされたペットボトル。
僕の身体はそれらをつなぎ、
それらを起こし、
夜更かしの枕に、放心状態で夢を植え付けている。
これでまた当分はこの唄が夢に現れるんだ。
これでまた当分は僕は僕の居場所に眠れるようになるんだ。
   

今こそ 2007/07/31
七月も終わりを迎えて、
否が応でも時間の早さを感じます。
一年の計も、半ばを迎え、
今が耐え時。
何でもそう、
半ばが耐え時。


じり貧の進歩の中で、
この一年に思い描いて来た事、
まさに中途に差し掛かり、
保って来た事の中間発表はさほどいい結果だとは言えないのかもしれない、
だからこそ、今が耐え時。


山登りの話を以前にした事があるけど、
山を登る前は、
山を見て、
そして頂上も見ます。
「あぁ、あそこに行きゃあいいんだな」
と、その気になって、
山の中に入ってしまえば、
目に入るのは、
ゴツゴツとした岩場ばかり。
必ず、途中で、
「本当にこの道で当ってんのかなぁ…」
「まだまだ、先が長いのかよぉ…」
と不安になる時間帯があります。
そこが耐え時。
僕は自分に言い聞かせますよ。
ここで山を下りたら、
何一つ結論を得ずに終わってしまう。
ここをば耐え時と踏ん張って、
最初に見た、空に突き出したあの頂上へ、
歩みを止めちゃいけない。


疲れる時、
それはスタートでもゴールでもない、
半ばだからこそ疲れる。


弱気になる時、
それもスタートやゴールではなく、
半ばだからこそ弱気になる。


後に戻れなくなってしまった時、
矢張りスタートとゴールではない、
半ばだからこその不安を感じる。


そこに奇策、幸運は生まれて来ない、
踏ん張って、踏ん張って、
地道に歩みを進める事しかできない時間帯。
僕に与えられた尊い言葉は、
「努力」


小学校一年生で習ったような言葉、
格好悪くて使いたくもなかった言葉が、
今、僕の背中を真っ直ぐに伸ばすエネルギーになります。


負けるもんか、萎えるもんか。
この耐え時に、
全身全霊を注いで、
耐え切ってみようと思いましたよ。

   

レッドスネーク、カモン!! 2007/07/30
今日、道を歩いていると、
工夫の大切さを感じた風景に出くわしました。


或るお洒落な商店街の入り口、
歩道に手相の占い師が立っていました。
立っていたんだよね、珍しいよね。
机を出して、その上に行灯を置いて、
それはごく普通の手相占いのキッドセットなんだけど、
そこに占い師の女性(僕と同じくらいの年齢かな)は立っていました。


彼女は、
幸が薄そうな顔というか、
お笑いの「ハリセンボン」の痩せている方の子が、
眼鏡を掛けたような顔をしてました。


そんな幽霊のように生っ白い顔した彼女の格好は、
スパンコールでテカテカしたピンク色のベストを羽織り、
頭にはラメの入った銀色のターバンを冠っていました。
ド派手な衣装を着た、地味な主婦といった感じ、
まさに、
「レッドスネーク、カモン!」
と言い出しそうな、
典型的な「東京コミックショウ」スタイルでした。
行灯からレッドスネークが出て来ても不思議じゃない、
むしろ期待させるくらいの衣装でした。
彼女なりの工夫なのでしょうが、
僕には占いとは関係ない喰い付きを与えました。


彼女なりにオリエンタルな占い師の格好をしてみたのかもしれませんが、
それは矢張りコント風でした。
彼女は独特な異彩を商店街に放っていて、
道行く人を上目遣いで見ながら、
負のオーラを投げかけていました。
僕は道を歩いていて、久し振りに吹き出しそうになりました。


さて、彼女に占ってもらう人ってどんな人かなぁなんて考えて、
その場を行き過ぎたんですが、
用事を済ませたその帰り道、
僕はあえて彼女を見る為に、
同じ道で戻りました。
彼女は勿論、そこに立ち続けていたんですが、
お客がついていたんです。


その客は、如何にも迷わなそうな、
人の言う事を聞かなそうな、
若い男のサラリーマンでした。
彼女にお客さんがついたのが珍しかったのか、
近くでホットペッパーを配っている女の子が、
驚いたような表情でその二人を見ていました。


それにしても、
淡いピンク色のシャツを着た今時のサラリーマンと、
ド派手なピンク色のベストを着た意図の見えない女性占い師。
ミスマッチな二人はまさに立ち話状態でした。


一体、どんな占いをしているのか聞いてやろうと、
通り過ぎながら一生懸命聞き耳を立てたんですが、
雑踏の音が大きくて上手く聞き取れませんでした。
だけど、彼女は一生懸命言葉を尽くして説明している雰囲気は判りました。
サラリーマンも納得している様子で、
二人はご満悦。


彼女の工夫は色んな意味で、道行く人に幸せを与えたのかなと思います。
   

好感度を上げて投票日 2007/07/29
昼間っから、どんより暗くて、
「出掛けなきゃいけないのに気分が乗らないなぁ…」
と思ってたら、
ザーッ、
っと強い雨が降り出して、
「また靴がビショビショになっちゃうから嫌だなぁ…」
と思い、
暫くすると、
ピカッ!ドシ、ドシンッ!
っと、雷が落ちて来たもんだから、
「この中を傘差して歩くのは、さすがに勇気がいるなぁ…」
と思った訳です。
それにしても引っ切りなしの稲妻だったなぁ。


出掛ける事に少しひるんでいると、
電話がかかって来て、
打ち合わせは30分遅らせて始めようという事になり、
30分遅らせて玄関を出てみると、
ウッソみたいに晴れていました。


その照りつける灼熱の陽射しと、
むせ返る雨上がりの湿気で、
僕はせいろの中のシュウマイみたいに、
汗で艶々になりました。


今日は選挙の投票日。
打ち合わせから戻ると、僕は投票所に出掛けたのです。


僕が髪の毛を切った理由の一つに、
この選挙があります。
なるべく爽やかな身なりで、
有権者の皆様に好感を持ってもらおうとの魂胆があったのです。


ねらいは当たりました。
投票所で帽子を落とされたお婆ちゃんに、
「帽子を落とされましたよ」
と拾って差し上げると、
お婆ちゃんは、安心した眼差しで僕を見て、
「有り難うございます」
とおっしゃいました。
以前の落ち武者ルックでは、
こういったコミュニケーションは出来なかったでしょう。


投票所の女の子達も優しい眼差しで、
「こちらが投票用紙になります」
と、黄色い用紙を渡してくれました。
なかなか気分よし子。
僕が住んでいる界隈の有権者の方々の中では、
確実に僕の好感度が上がっている事でしょう。
立候補もしていないのに、このイメージ戦略。
あのお婆ちゃんは僕の名前が候補者名簿に記載されていない事を、
さぞや口惜しがった事でしょう。


僕は爽やかに国政の未来に一票を投じ、
爽やかに帰途につきました。
雨は降っていなかったのですが、
夕方だというのに随分真っ暗で、
「あひゃっ!」
って驚くほどの稲光と雷鳴だけが頭上に迫っていました。


この国には閉塞感があります。
何となく報われない感が蔓延しているような。
何をしても、「どうせ」という枕詞のついた予測をする事が義務のようになっています。
今回は特に「失望しました」という票が多数を占めているんじゃないでしょうか。
「期待してます」の一票を、希望に満ちて投じれる国になってほしいなぁと思います。
このどんより厚い雲を切り裂く、
稲妻のようなエネルギーを持ったヒーローを、
候補者名簿に探しています。
   

山口晶適性検査=不適格? 2007/07/28
今日、駅を歩いていたら『R25』を見つけたので、
一冊抜き取りました。
昨今のフリーペーパー文化は大好きです。
電車内の時間に新しい選択肢が増えて、
内容も面白いし、
つくづくこの時代、この日本に生まれて幸せだなと思います。
最近では、男ダテラに『L25』にまで手を伸ばすようになりました。
「フリー」という響きには万人を安堵させる効果があり、
「フリー」という響きには性別を越えて好奇心を持たせる効果があるようです。


そんな嬉しさで『R25』を読んでいると、
普段有料の雑誌では読まないような心理テストまで、
ご丁寧に読んでしまいます。
今回のテストは、『大人の合コン検定』でした。
そこには夏の浜辺をシチュエーションにした、
二つの設問があって、満点が10点でした。
結論から言うと、僕は0点でした。
残念です。


昔から、こういう心理テストをやると、
正直に答えれば答えるほど点数が低くて、
人格を否定されてしまいます。
中学校の時の職業適性検査、
自動車の免許の適性検査、
バイクの免許の適性検査、
すべてが不適格と僕の人格を決定します。
・情緒不安定
・注意力散漫
・状況判断力欠如
・視野が狭い
・思考が遅い
・動作が鈍い
おまけに先日の手相判断では感情だけで生きていると診断されたばかりです。


自分では自分を基準としてしまうので、
僕自身はどれも際立っているほどの事はないと思うのですが、
もしかすると前述の適性検査の結果は、
人から見ると、当たっていると思うのかなぁと考えます。
だとすると、そんな人間がよくここまで生きて来れたなぁと思うのです。


話を一瞬元に戻すと、
僕は実は合コンという文化に触れた事がなくて、
今まで参加した事がありません。
僕は合コンと言えばっ、
山手線ゲームとか、
王様ゲームとか、
聞くと楽しそうなあのゲームに一度参加してみたいんです。
ただ、それだけの想いだったのに、
合コン検定により僕のジェントルマンシップは不適格の烙印を押されてしまいました。


僕の感覚が、
一般的感覚からかけ離れてしまっているのなら、
僕はオチオチしていられません、こんなところまで成長してしまっているのだから。
人様に不快を与えないような人間にならなくちゃいけない。
こいつはぁ、不安だ。


最近、
「変わった事を言いますね」
と言われると、
「格好ばっかりつけてますね」
と言われているのと同じような事なのかなぁと考えたりします。
何にせよ、正直か正直じゃないのか、
よくよく自分で問い詰めなきゃいけない。
奇をてらって、変わり者に思われようなんて魂胆があったら、
山口晶適性検査に不適格になります。


何気なく「フリー」に惹かれて読んでいた『R25』から、
自分の本来の「フリー」、
考えさせられました。
   

ニュースあれこれ 2007/07/27
中国で日本のブランド米を売り出したってニュースを見た。
日本の大臣がPRのため中国まで出向き、
ご機嫌で日本の米を美味しそうに頬張っている映像が流れていた。
僕も中国で中国の釜の飯を喰って育った端くれとして、
「へぇ〜」
面白い事だなと考えていたんだけど…。
ただ、
そのニュースの締めで、
その大臣は夜下痢に襲われて次の日の帰国の予定をキャンセルしたと流れて、
「な〜んじゃ、そら」


見事と言えば見事過ぎるオチというか、
ガックシ来た。
どう考えても印象悪いって思う。
どんな風聞が流れるかわからないし、
いわれない噂が日本のお米に流れないとも限らない。
日本のお米を背負って出張しているんだから、
矢っ張りそこはお尻に栓をしてでも元気に帰ってくるよな。
「帰って来るよなぁ…」
と考えていた。


次のニュースはお金のバラ撒き事件だった。
コンビニに振って来た札束があり、
マンションのポストに押し込められた札束もあったらしい。
世の中にはお金がなくて困っている人もいれば、
お金があって困ってしまう人もいる。
まったく皮肉なバランスだと思う。
僕もお金はなくて困ってしまう方の人間の端くれとして、
「へぇ〜」
むなくその悪い話だなと考えていたんだけど…。
全国の県庁などでバラ撒かれた札束にしても、
高速道路から放り投げられた札束にしても、
どうしてもっと有意義に使ってもらえそうな所に渡そうとしないのか。
バラ撒くなんて、どっかの王様じゃないんだから、
嫌味満載でセンスを疑うな。
ない人もある人も、
大事な足下を見失いたくないな、
そんな風に思った。


最後のニュースは訂正とお詫び。
「先日のニュースで、山口晶の髪型が大木凡人風になったと書きましたが、
  実際はザビエル風と形容した方が適切でした。
  関係各位にはご心配をお掛けしました。
  謹んでお詫び申し上げます」
   

青い目をしたお下げの子 2007/07/26
ねらった通りの寝汗、大汗。
それなりに寝苦しかったです。
体中が水風船になったような、ブヨブヨな目覚めでした。
髪の毛を放っておいたら、
そろそろ落ち武者の様で、
しかも寝汗で顔にペタペタ張り付いて不快です。
いっそ、お下げにでもしてしまうかと思うのですが。


そう言えば、僕はお下げが好きです。
お下げをしている女の子が好きだったなぁと思い出します。
一本の三つ編みにしたお下げじゃなくて、
二本に分けた三つ編みをしたお下げが好きでした。
今や、そうそう見かけない気がします。
残念な話です。


で、何で二本に分けた三つ編みのお下げが好きだったのか考えてみました。
それはローラだったんですね。
僕の女性の好みの大元を築いたのは、
ローラ・インガルスだったんです。


ローラは青い目で、隙っ歯で、そばかすが可愛らしい、
イタズラが大好きなお転婆娘でした。
僕は小学生低学年の頃、ローラを見て、
そのお下げに惹かれていたんだと思います。


つまりそれは、毎日夕方NHKでやっていたドラマ、
『大草原の小さな家』
の話です。
僕は大好きなドラマでした。


まず、マイケル・ランドンが扮するお父さんチャールズが、
僕にとってこういう男になりたいなぁと思わせる第一の人でした。
そして、お母さんのキャロラインとのカップリングも本当に合っていました。
理想の夫婦。
街の人達も個性的で良かった、
オルソンさんや、エドワーズおじさん、ベイカー先生、
アルバート、ネリー、ウィリー…、
長く続いたドラマですから、
ずっとそれぞれの人達の成長と共にしていました。
だから、全ての人が知り合いのような気になってしまうんですね。
毎日のように会っている訳だし。
とても身近な人達だと思っていました。


だから、そんな中で、ローラというお転婆娘に憧れを抱いたのは、
ごく自然な事であったかと思います。
ローラが成長して、アルマンゾと結婚した時は、
嫉妬心さえ覚えました。
僕にとって、永遠のお下げ、
ローラ・インガルスです。
理想の女性です。


さて、そんなどうでもいい事を思い出して日は暮れた訳ですが、
お下げにしようかと思った髪を、思い切って切り落としました。
雰囲気は、大木凡人かな…。
   

切ない眉毛の傾き 2007/07/25
やっと夏らしい日差しや湿気になり、
さぞや寝汗を掻きまくるだろうと思っても、
これ意外や意外、ひんやりした身体で目を覚まします。
連日の寝不足の祟りでしょうか。
今夜こそは心置きなく眠ってやろうと思います。
そして、寝汗を掻きまくりたいです。


今日は電車に乗りながら、
矢張り新曲の歌詞について考え事をしていたのですが、
鼻の高い西洋人(男)を見て、
気が散ってしまいました。



別に彼が何か変な仕草をしていた訳でもないのですが、
彼に名前を付けるとしたら何だろうと考え始めてしまったのです。


彼はドアの前に立ち、
どこかソワソワしていて、
何かに耐えているような切ない眉毛の傾きをしていました。
そこで、僕が思いついた名は、
ゲーリー・フンバルーニ


あまり綺麗な名前ではないですが、
僕は一人で可笑しく思っていました。
彼のビジュアルに妙にマッチしましたが、
人に話せるほどのネタでもなく、
僕一人が楽しむ時間でした。


もう一つ、綺麗ではない話をすると、
僕は小学校の時、
ヒューイ・ルース アンド ザ ニュースのステージを見ていて、
ギターの人が間奏でソロを弾いた時、
客席にアピールする弾き方が、
どうしてもオシッコを我慢しているようにしか見えませんでした。
エレキギターを弾く人は、
感情がこもるとオシッコを我慢しているような格好になる。
これは往々にしてある。
僕もこれからステージでギターを弾く時は、
オシッコを我慢しているように身体をクネらせてみようかな。


な〜んちって、今日もくだらない話ですが、
慕夜記、とうとう250夜連続になりました。
1000の4分の1。
やったね。
   

食べてしまいたい年頃 2007/07/24
今日、道を歩いていたら、
自転車に乗った女子高生二人が、
僕を追い抜いて行きました。


大きな声で、
「六本木喰いたい!」
と言ってました。
高校生って何だか声がデカイ生き物ですね。


東京はド真ん中の快晴、
朝のニュースでは、
「私、猛暑になると予測していましたが、どうやら今年は冷夏になりそうです」
と天気予報士がすまなそうにしていたのに、
満頭大汗の快晴です。
猛暑を感じます。
道を歩いていると頭の中がボーッとします。
そのせいでしょうか?
「六本木喰いたい」


さすが女子高生、
食いしん坊バンザイです。
授業が終わった休み時間にお菓子をつまみ、
弁当は弁当でしっかり食べる。
そうじゃない女の子を見た事ないくらい、
女子高生の食欲はノッリノリです。
六本木が食べたくなっても仕方ありません。


ただ、女の子なんだから、
「喰いたい」
は聞き苦しいね。
よくない言葉遣いと思うよ、
(僕は使うけど)


それにしても、
六本木を食べたいって発想は、
僕には理解不能だなぁ。


「うん。わからん、いいや」
と思い、ふと横を向くと、
そこには韓国料理屋あった。


「あぁ、ケジャンとかチャンジャとかナッチポッキムとか、喰いたい」
韓国料理というのは癖にさせる魅力を持っていますね。
不意に思い出しては、
「あぁ、チジミ喰いたい」
とか、
「トッポギ喰いたい」
と空腹を感じる症状が出ます。
魅力というより魔力ですね。韓国料理。


「ん?トッポギ喰いたい?」
僕は歩みを止めました。


で、やっと理解しました。
女子高生は別に六本木を食べたいと思ってた訳じゃないって事を。
やっと理解しました。
彼女等もまた韓国料理の魔力に魅せられた子だという事を。


それにしても、女の子が「喰いたい」って言葉遣いは駄目だな。
   

すべりこみ…セーフ? 2007/07/23
いや、大失態です。
只今、13時13分。
妙なゾロ目を寝ぼけ眼で確認。
慕夜記、滅茶遅れました。
すみません。
23日分、ギリギリセーフとして頂きたい。


昨夜は、家に戻って新曲の取り組みをし始めたんですが、
これまた連日難航を極めていて、寝不足気味ではあったんです。
それでも、せっせと考え、それでもせっせと唄っていたんです。
あともう少し、喉につっかえた言葉をスムーズに出したいと、
「うんしょ」と何度もギターを構え、
口を開けるんですが、
夜の静寂に奪われてしまう。
そのせめぎ合いです。


兎に角、新曲の取り組みは、
意気揚々として、意識もはっきりして、
夜の静寂を押し気味に戦っていたんですが、
時間が経ち、
次第に朝という新勢力が相手に加わって来ると、
僕は一転、押され気味になってきて、
ギターを持ったまま、
茫然としている時間が長くなって来ました。


「アカンな」
気分を変えようと思い、部屋を見渡したところ、
カーテンレールに吊るされたままの洗濯物があったので、
これを片付けて気分転換を図る事にしました。
が、
これが良くなかった。


ベッドの上に洗濯物を移し、
その真ん中に座って洗濯物をたたみ始めました。
ベッドの上だという事をあまり考えていなかったのですが、
洗濯物をたたみながら…、
歌詞を考えながら…、
どうして寝っ転がったのかは覚えてませんが、
眠ってしまいました。


そして、13時13分。
目が覚めると、
グシャグシャになった洗濯物に埋もれていました。
無念。
金魚達は腹を空かせて、
「オソイ!オソイ!」
と言っているし。
無念。


まぁ、何とかすべりこみセーフという事で…。
まぁ、慕夜記史上初、寝坊(?)という事で…。
   

後ずさりチョンマゲ・ザリガニ 2007/07/22
今日、家を出るなり、
30mくらい向こうから、自転車に乗ってやってくる女の子と、
目が合った。
すると、彼女は今にも吹き出しそうな表情になり、
僕の方を見ないようにすれ違って行った。
明らかに笑いをこらえていた。


気になる。
マンションから出たすぐのところで、
今日、初めて一番最初に会った人間があんな状況だと、
気になる。
結局一日、色んな笑いが気になって仕方がなかった。


あの子が僕を見て、笑ったんだとしたら、
考えられる僕の非は二つ。
一つは、今日僕は短パンを履いていて、
マンションを出るなり脛が痒かったので、
掻くのが面倒だから脛をビシッと叩いた事。
その足を上げて叩いた格好が、
逃げてるザリガニのようで滑稽だったのかもしれない。
マンションから出て来るなりそんな格好で後ずさりしたから、
笑えた、という事はあり得る。
ただ、この場合、よほど笑いのセンスが高くないと、
即座には笑えないと思う。
そんな子だったんだろうか…。


もう一つ考えられるのは、
僕の髪型、脳天チョンマゲによる笑い。
これが可笑しかったんなら、判り易くはある。
でも、最近強引ながらも、
「いや、カッコイイと思うよ」
という微妙な好評を得つつあり、
自分でも押していこうと覚悟した矢先なだけに、
彼女が髪型に笑ったのだとしたら、
また一気に自信を失う結果となる。


僕の何がいけなかったんだろう。
気になったまんま一日は終わった。
この一日の中で触れ合う人の目線と笑顔を、
僕は鋭敏に読み続けたけれど、
結局、答えはなかった。
ただ、何となく、
みんなが僕に何かを言いたいんだけど言えないと思っているんじゃないか、
そんな気分に潰されてしまった。


通りすがり、すれ違い、
いつも笑顔でいる事は大変素晴らしい事だけど、
含み笑いは時として人の一日を路頭に迷わせる事もあるんだと、
つくづく実感した。
   

朝が来ちまった 2007/07/21
今、朝を迎え、
雨が降り始めました。


家に帰ったのが12時くらいかな、
歌詞を作っていたら、何だかんだで朝を迎えてしまったな。


そう言えば、
慕夜記にちょいちょい登場する赤い衣装の婆ちゃん占い師、
昨夜も駅前の銀行の前にお店を構えていたんだよ。
至って全てがいつも通りなんだけどね、
ただ一つだけイレギュラーが起きた。
それは婆ちゃん占い師が、
「如何ですか?」
と僕に話しかけて来た事。
そうやって営業する事に慣れていないのか、
声がとってもか細くて、
思わず通り過ぎてしまったよ。
通り過ぎてしまってから、
「あっ、俺に話しかけたのか」
と気付いたんだけど、手遅れだったな。
僕の足は家に向かっていて、もう引き返す事はできなかった。
と言うよりも、
引き返して占ってもらおうという気がないんだな。
ごめんな、赤い婆ちゃん占い師。
毎晩ご苦労様です。


さて、歌詞の方は、
同じセンテンスを行ったり来たりで、
なかなか前に進まなかった。


砂漠の中で、
味の無い砂を噛み分け、
その万分の一ある甘い砂を探すような気分。
気長にやっていると、
時間ばっかりが過ぎていき、
やがてカラッカラに乾いて、
砂漠の中で行き倒れてしまう。
急がなくちゃ。
朝は来ちまった。


こんな午前様もよくある事。
肩から首まで、渋い痛みが走る。
急がなくちゃ、
朝が来ちまった。
   

ピッチャー交代、山口! 2007/07/20
剛速球。
ド真ん中ストレート。
まずはそれを投げれなくちゃいけない。


真っ直ぐな道を、
入り乱れて曲がりくねった道にするのは、
自分なんだなぁと思う。


環境や、体裁に気を取られているうちに、
道をそれて、
いつの間にか道に迷っていたりする。


道に迷ったら、
大通りに戻っておいでって。
自分の、これくらいしかできませんって道に戻っておいで。


器用にあれやこれやこなし、
人とのバランスを取れる事が、
必ずしもいい事とは限らない。


僕はこれしかできません。
僕は唄を唄う事しかできません。


ただ、その道にいつもいるように、
ただ、その道にいつも戻って来るように、
僕はどんな砂を噛んでも、
歩いていくよ。


大袈裟に見る夢と、
目の前にいる人に唄える夢と、
僕は交錯しながら、
真っ直ぐな道に戻ろうとしている。


ただ、
剛速球。
ド真ん中ストレート。
まずはそれを投げれなくちゃいけない、


そう自分に期待するんです。
   

I'll wait for you. And should I fall behind, Wait for me. 2007/07/19
帰宅してブルース スプリングスティーンの、
『If I should fall behind』
を聴いています。


「僕達は手をつないで歩こうと約束した。
  でも、人によって歩幅は違うもんだね。
  つないだ手が離れてしまったら、
  君を待っててあげる。
  もし僕が遅れたら、待っててほしいんだ」


なんて内容の唄なの。
僕はライブDVDも持っていて、
スプリングスティーンが長年一緒に歩んで来たEストリートバンドと、
マイク一本を囲んで、一人ずつ交代で歌っていくんだよ。
スプリングスティーンのギター一本だけがバックでね。


このDVDは今でも見ると泣ける。
僕はバンドをやった事が無いし、
弾き語りでステージに上がって来たけど、
どこかでずっと、パートナーを求めている部分があると思うんだ。
だからかな…。


つないだ手が離れてしまったら、
君を待っててあげる。
もし僕が遅れたら、待っててほしいんだ。
…か、
矢っ張り泣ける歌詞だなぁ。


まぁ、仕事もそう、生活もそう、
僕はそんな想いが大切だなっと思う。


つまずくし、
立ち直れないほど落ち込んだり、
声にならないぐらい悲しんだり、
冷や汗をかいて一日を終えたり、
誰の為にもなれずにくやしく思ったり。


でも、僕はいつもどこかでパートナーを感じる。
それが誰かという事じゃなく、
誰かの存在を感じながら落ち込み、また喜んでもいる。
完全な孤独からは何も生まれて来やしない、
孤独に耐える事が強さだとは言えないと思う。
それぞれ、背中に重い荷物を背負って、
何とか手をつないで歩いていく。
本当のエネルギーは孤独にはないんじゃないかと最近思うようになった。


だからそう、
僕が人を感じる時、
いつも胸にしまってあるのは、
つないだ手が離れてしまったら、
君を待っててあげる。
もし僕が遅れたら、待っててほしいんだ。
って事だなぁ。
   

六本木一触即発 2007/07/18
今日の昼、事務所を出て六本木の裏界隈をボケっと歩き出したら、
横から、
「ケーッ、ケーッ」
って言っているのが聞こえた。


六本木と言っても、裏に入れば閑静な住宅が並んでいたりして、
下町風味なところもあるんだよ。
軒の低い屋根が並んでいて、生活の匂いがクンクン漂って来る。
その屋根の上に六本木ヒルズが悪魔のように立ちはだかっていて、
物凄くギャップのある風景なんだけど。


「ケーッ、ケーッ」
という声は、そんな風情のある方の六本木の軒先から聞こえてきた。


ふと目をやると、そこには痩せっぽっちの猫がいて、
僕の方をじっと見て、
「ケーッ、ケーッ」
と言っている。
しかも、
片目をつむって、舌をペロッと出していやがるっ。


今日の天気は曇り、
それに伴って僕の心も少し湿りがちで、
それを嘲笑うかのようなこの猫の態度、
許せません。


僕がセロ弾きのゴーシュであったなら、
あいつのザラザラした舌でマッチを摺ってやったのに。


まだ、
「ベーッ」
って言われるんだったら、イタズラっぽくて可愛いんだけど、
「ケーッ」
は、如何にも僕を馬鹿にしている。


僕はその猫に近付いて行き、
「どんだけ俺が惚けっとした顔をしていたにしても、初対面でその態度は無礼千万だ」
と文句を言ってやろうとした。


だけど、そいつは突然、
「ケーッ、ゲフッ、ゲフッ」
と、前屈みになってえずき出してしまった。


「毛玉が喉に詰まってただけなのね…」


猫を飼った事がある人なら判ると思うが、
猫がえずく時の声は、
「ちょっとぉ、大丈夫なの…」
って言いたくなるくらい、死にそうな声を出す。
顔も涙目で必死になるし、
まさに、舌を出して吐こうとするんだよね。


「ケッ」
そんな事かい。
で、雨上がる。


明日はライブだぜ、
猫にも馬鹿にされた僕の顔、
見に来るのも悪くない夜だと思うよ。
   

世界をチョコで以て布く 2007/07/17
今、麦チョコを食べながら、何書こうかなぁと考えていたら、
一つ大事な発見をした。


地球上の長い歴史の中で、唯一世界を征服したのはチョコレートかもしれない。


日本、中国、インド、韓国、チベット…、
どこを旅しても、困らなかったのがチョコレート。


チェコ、デンマーク、アメリカ、フィンランド…、
どこを旅した人も、お土産にチョコをくれたりする。


恐るべしカカオ。
時の知恵者が如何に強靭な権力を振るっても、誰一人なし得なかった世界制覇。
その世界征服をチョコは水面下でやってのけたのだ。
それは子供達による世界征服と言い換えてもいいだろう。
甘いチョコに目を輝かせ、
手に取って食べれば、手の平や口元にベッタリとチョコがつく。
チョコはそんな子供達のみずみずしい手から手へと渡って、
世界を包んでしまったのだ。
もしもチョコが大人の嗜好品であったなら、
ここまでの広がりはなかっただろう。
子供のエナジーなのだ。


僕は今、麦チョコを頬張りながら、
矢張り口元をしたたかにチョコ色にしている。
幾つになっても、この口紅だけは忘れたくないな。
一日の疲れが、舌の上でまろやかに融けていく。
僕は昔、麦チョコよりレーズンチョコの方が好きだったな。
そう言えば、今あんまり見ないな、レーズンチョコ。
僕はレーズンが嫌いなのに、チョコでコーティングされると大好物になった。
恐るべしチョコ。


グーニーズという映画で、
太っちょのチャンクが、怪力の暴れん坊スロースにチョコを渡したら、
スロースがとても優しい顔になって、
「…チョッコレィッツ」
と言って、二人がとても仲良くなるシーンが印象に残っている。
「…チョッコレィッツ」
あのセリフに含まれた愛情が当時から堪らなく好きで、
「…チョッコレィッツ」
と真似をしていた。
「…チョッコレィッツ」
友達の味って気がする。
駄菓子屋で友達と食べた味、
遠足のおやつに持ってったらリュックの中でドロドロになっていた味、
家の味というよりは、子供にとっての社交場の味という気がする。


この友情の味が、世界を征服したんだ。
きっとそうに違いない。
仲良く世界を征服したんだ。
きっとそうに違いない。


国連の会議場に集まった各国代表に、
まんべんなくチョコをくばって、共に唇をチョコ色にして話し合ったら、
案外、世界平和なんて簡単な事なのかもしれない。
きっとそうに違いない。
   

た〜んとお食べ 2007/07/16
僕は今日、物凄く個人的な意見を言います。
そしてこれから述べる僕の意見は、物凄く偏っています。
自分でも偏った意見だと判っていても、
どうしても沸き上がってしまう気持ちです。
それは、
慕夜記を書き上げてから夕飯を食べようと思い、
今、空腹を我慢しているからです。
只今、滅茶苦茶お腹が空いているんです。
その気持ちを偏った意見に託します。
あらかじめ御了承下さい。
あんまり真剣に読まないでね。


ビリーズ ブート キャンプが流行ってますが、
昨今のアンチメタボリックな風潮に辟易しています。
大の男が1kgや2kgの増減を気にしている感じも嫌だし、
充分可愛い女の子が、その1kgや2kgの為に、
大好きな甘いものを避ける感じも可愛らしくない。
単純に、喰え!
と言いたくなります。
充分、格好ええし、
充分、綺麗やぞ、
君達ゃぁ。
そんなに必死にならないで!
って思います。


細身=美しいという概念が僕は間違っていると思っています。
犬でも猫でも、痩せっぽっちの奴は哀れでしょう。
「た〜んとお食べ」
僕だったら言いますよ。
だから、体重を気にする人には、
「た〜んとお食べ」
と言いたくなります。


歴史上の有名な絵画に出て来る女性、浮世絵に登場する美人、
見た感じ、みんなメタボリックですよ。
でも、美しい。
この女性達の美しさは曲線にあります。
僕はその曲線に物凄く惹かれます。


筋肉も必要な人についていてこそ美しいです。
その職業によって鍛えられた部位の筋肉を見ると惚れ惚れする訳であって、
「何で?」
というような腹筋の割れを見ても、さして感動しないものです。


イタリアのモデルさん達が体重が少な過ぎたら駄目っていう制限ができるみたいですが、
小難しい是非は置いといて、
僕はその試みに大いに賛同します。
確かにモデルの体型が大きな影響を与える気がしますからね。
あれを美しいと一概に肯定すべきではないと思います。
一律に体重を低く設定するよりも、
その人に合った体重で、その人に合う衣装を着てもらいたいと思うんですけどね。


そして、最終的に太るにしろ痩せるにしろ、
食べられる分は、気持ちよく頬張れる人が好きです。
例えば、一緒に食事に行ったとして、
相手が「太っちゃうから…」
っていう理由で、目の前で食べるのを制限してしまったら、
何か食べに来た気分が削がれてしまわないかな。


食べ物に不自由するって悲しい事です。
食べ物があるのに自ら不自由にするって、もっとやり切れない悲しさがあります。
空腹って切ない事です。
食べ物があるのに自ら空腹に耐えるなんて、もっとやり切れない寂しさがあります。
食べ物に関して、
不自由する悲しさを持って欲しくないし、
空腹の切なさを持って欲しくないんです。


世の中には色んな事情で、
食べたくても制限せざるを得ない人がいるわけだから、
矢張り、空腹という切なさは自分が選択するものじゃないと思います。


以前の慕夜記で狼喰いについて書いた事がありますが、
矢張り僕にとって食事は、
幸福と悲しさが顕著に現れる場所です。
それは僕自身が体験して来た食事に理由があるのかもしれません。
幸福に涙がこぼれて仕方がない食事を何回か経験しました。
それをふまえた、
チョー個人的意見です。


だから、
僕は日々に与えられた食事を、有り難く喰わせてもらおうと思うし、
それで太るんなら、太ってやろうと思います。


さぁ、今から僕はディナーです。
滅茶、喰うぞ!
   

寝気二転 2007/07/15
エンジニアのポリスと、とてもやる気のない、テンションの低い電話をしていた。
声のトーンも低いし、お互いの会話はポツポツで間延びしていた。
お互い、自宅で電話しているんだけど、
その怠惰な姿勢が一緒であろうと用意に想像できた。
いつもこんな感じの電話だけど、
いつに増して間延びしていた。


そんな中、何気なく出た俺の言葉、
「今日は一日、干物を食べて過ごしてたよ」
どう?これ、男らしくない?
何気なく出た割には、格好いいセリフだと思った。
でも、即座にポリスが、
「俺は一日、つくねを食べて過ごしてたよ」
と返してきた。

相変わらず、二人のテンションは低くて、
何で電話してんの?って具合に意味のない会話が続くんだけど…、
ポリスの言葉、
正直、格好いいと思った。
心中、負けたとくやしさがこみ上げた。
上には上がいると痛感した、テンションの低い電話だった。


そんなこんなで宣言通り、今日は人間に会わずに一日を終えた。
洗濯機を回している間に、一居眠りし、
目を開けるとサザエさんがやっていた。
昔ほど、サザエさんを見て切なく感じなくなった。
不規則な大人に成長した証拠である。


話は変わって、我が家には、
金魚の水槽とは別に、もう一個水槽がある。
そこには河エビ3匹とタニシ2匹いたんだけど、
大方は死んでしまい、
あとは河エビ1匹だけになってしまった。
30cmの水槽に1cm程度の小さな河エビ1匹って物凄く寂しい感じになっている。
ただ、元気に泳いでいてくれるから、
俺も頑張れよって餌をやっているのさ。


昨日、エビちゃんに餌をやろうと水槽をのぞいていると、
水槽のあちこちで、
無数の白い点がうごめいているのを発見した。
本当に小さくて、1mmないくらいの白い点だから、
目視では、それが何の生き物なのか判らない。


直感で思ったのは、
死んだエビちゃんの落とし種で、
生き残っているエビちゃんが産卵して、
それがかえった子供達かも、という事。
だとすると、滅茶苦茶に嬉しい。
未だ、金魚もエビもタニシも、
我が家で生まれた子はいない。
初のベイビー誕生かっ!?
と思うんだけど…、
何しろ小さすぎて何なのか判らない。


嫌な想像をすると、
その水槽には水草が入っているから、
そこに羽虫かなんかが産卵して、
その幼虫かもしれないという事。
この暖かくなってきた部屋で、
飛び交う羽虫も増えて来た。
あり得ない事ではない。


何しろ、もう少し様子を見てみようと思う。
もし、ベイビーの場合はお祝いをしなくちゃいけないし、
もし、羽虫の幼虫だった場合には、水槽の掃除をしなくちゃいけない。
この雲泥の差は、家主の俺としても切ないなぁ。
まぁ、しばし…ってとこです。


さぁ、充電は完了したかな?
明日からまた、人間の中に戻って、
仕事を頑張らなきゃな。
   

寝気一転 2007/07/14
今日、明日は一切誰にも会わない日にしようと決めています。
人間に会わない日にしようと思っています。


大した理由はないんですが、
最近、忙しかったし、
この先もちょい忙しいと思われるので、
この辺で、自分を取り戻して息をつく時間を作ろうと思っています。


じゃぁ、何するかって言うと、
ほんっとに何もしないんです。
一日、寝っ転がってテレビを見ています。
怠惰を絵に描いたような、素晴らしい万年寝太郎状態。
雨音のBGMが心地よくて3回、居眠りをしました。
これはこれで大好き、
楽しい。


そんな話は置いといて、
kaki kingという女の子を最近知って、
衝撃を受けています。
(31rpmのゲストパートのBGMにさっそく使わせてもらいました)


初めてCDを聴いた時、
女の子とは思えないようなゴツいギタープレイで驚き、
その後、PVを見たら、
青いOvationを担ぎ、まったくやる気なさそうな顔して、
激しいタッピングをしていたりするので、更に衝撃を受けました。
この本人の無表情さが気に入りました。


それにしても、
Ovationのギターって、僕は苦手なジャンルのギターなんだよなぁ。
裏側のグラスファイバーでできた丸い形がどうも好きになれなくて。
でも、ピックアップを通してタッピングやハーモニクスを多用するには、
矢張り使い勝手がいいギターなんですかね。


華奢な女の子がGibsonのJ-200みたいな、
でか過ぎるギターを演奏するのが可愛いなぁと思って来たんですが、
kaki kingを見て、
綺麗な配色のOvationを持っている女の子もええなぁと思いました。


いや、
ギターを弾いている女の子は大概可愛いって思ってるな。


いや、
女の子は大概可愛いって思ってしまうな。
こんな何もしない日に、
女の子とギターの合奏をして過ごすなんて、どう?
なかなかよろしい夢じゃない?


まぁ、トボケた妄想しているよりも、
うどんを茹でようかな。
僕の大好きな冷やしうどん、
どこが好きかと言うと、
一旦温めたうどんに、有無も言わせず速攻で冷水を浴びせる、
強引な手順かな。
ざるの中で、
「ひゃっこい、ひゃっこい」
と悲鳴を上げているうどんを、
手荒にばしゃばしゃ洗うというのは、
なまめかしい気分。


こんな風に明日も過ごすつもりです。
   

ありそでなさそで、ウッフンな人生 2007/07/13
正直言って、やり切れない夜はある。
持ってるものんと、足りないものを数えて、
先が見えない夜は、確実に俺ん家にやってくる。
どうして行くか、
これ結構迷うから、
「頑張らなきゃな」
というのが、最近の口癖になってきた。


人前ではあんまり言わない言葉。
そりゃそうだよな、
「頑張らなきゃな」
なんて、完全なヒトリゴチだ。


そんな想いで睡眠を取り、
目が覚めると、
偏頭痛になっている。
よっぽど息を荒くして、
よっぽど何かを強く噛み締めていたものと思う。
頭の中がヂンヂンしている。


「頑張らなくちゃな」
ありそでなさそで、ウッフンな人生。
今更、沢山も持てなけりゃ、
今更、ないもんはない。


ただ、僕は一生、何とかしなくちゃいけないなと思い、
「頑張らなきゃな」
というヒトリゴチをし続けながら暮らすんだろう。


グルメは嫌い、
オシャレも嫌い、
ただ退屈なぐらい真っ直ぐな道を、
何とかして駆け抜けたい。


「頑張らなくちゃな」
   

台風一家の引っ越し 2007/07/12
ビルに囲まれた、
小さなくすんだ夜空からでも、
今日の雲の流れが速いって事がわかりました。


空に浮かぶ雲の群れが、一斉に東へ向かって流れていて、
それはもう圧巻と言える景色ですね。
何かが起きる前兆と言うか、
自分の中に棲む自然が、
興奮しだすのを感じます。


それって何だろうって考えるんです。
例えば、何かが一斉に同じ方向に動き出す時。
それは、群れの移動。
それは、えさ場を求めて動き出す時であろうし、
それは、外敵が迫っていて逃げ出す時であろうと思われます。
その群れに混ざった時の興奮を、
あの雲の群れを見ていて覚えたのかなと思います。


僕は雲が何故、東に向かってあんなに速く移動していたのか、
理由は後になって知りました。
台風が迫っているんですね。
言わば、外敵が迫っている時の興奮だったのでしょうか?


でも、僕の心の中は、
ワクワクしていたんです。
恐怖感に興奮していたんじゃないんですね。
訳もなく、何か起こりそうな期待で胸を躍らせていたんです。
台風の予兆は僕に危機感をうながさないんですね。
楽しみでワクワクするんです。
何故だろう?


そう考えてみれば確かに、
雷がドンピシャいっている最中に、僕はワクワクしていますね。
興奮で雄叫びを上げたくなります。
台風の起こした強風で家の屋根がきしんでいる時も、
僕はとってもワクワクするんです。
不謹慎な事なのかもしれませんが、
あくまで身体が高揚してしまうんです。
別に楽しいとか、嬉しいとかいう事じゃないですよ。
これって、変な事なんですかね?
僕はみんながそうだと思い込んでいるんですが。
もっと言えば、生物、植物に至るまで、
自然に異変が起こる時には、みんな興奮しているんじゃないかと感じます。


その興奮が伝達され、地上のうねりとなって僕の小さな身体を奮わせます。
強いて言えば、この一体感に高揚しているのかもしれないですね。
普段バラバラに働いている自然界が、
一斉に同じ意識を持つ興奮。
みんなが一斉に「生きなきゃ」と思う一体感に興奮しています。
それは、球場やコンサートホールなどの歓声に感じるものと一緒のような気がします。


矢っ張り、自然界はどこかで一体感を求め合って生きているんじゃないかと、
僕は思います。

   

キレてな〜い頭 2007/07/11
しかし、最近「キレる」という言葉を聞くんだけど、
僕のような勘が奥深くて、なかなか勘に触れない気長な人間にとっては、
世の中は簡単に怒る人ばかりだなぁと思う。


矢っ張り20代前半の人に多いかな。
「俺はキレまくった」
という出来事を聞くと、
僕にとっては笑える範囲の話だったりして、
「キレる」
なんて表現しずに、もう少し、
「面白い」
という感情を保っておけばいいのになぁと、
僕は思ったりする。
「その先がめちゃめちゃオモロいのにぃ…」
と心中、つまらない想いをする事がある。
いいのかなぁ…、
世の中は、そんな簡単な色だけじゃないのになぁ…、
もうワンテンポ、待ってみたらいいのになぁ…、
と思うんだ。


はっきり言って、ここまで生きて来て、
人に心底腹が立った事は数回しかない。
僕が変なのかなぁ…。
気に入らない人なんて、
生活の中で触れ合う人の中には、滅多に登場しない。
俺がおかしいのかなぁ…。


最近、そんな事をよく感じる。
あんまり「キレて」ほしくないね。


ところで僕の髪はキレてない。
伸びている。
これはどこまで気長に放っておく気なんだろうかね。
キレろ。
ついでに言うと、
先日の31rpmの編集の為に徹夜した後遺症を引きずって、
今日も頭がキレてなかった。


今日はゆっくり寝たいもんだな。


僕が言うのも何だけど、
31rpmって番組は面白いね。
毎回、毎回、制作は大変だけど、
配信開始後は一番僕が楽しんでいるんじゃないかな、
ナルシスト?
そういう事じゃないんだよ。
番組として完成した時点で、番組の中にいるのは僕であって僕じゃない。
オモロい兄ちゃんの話を聞いている気分。
何!それがナルシストって言うの?
いいよ、かまわへん!
そんだけ31rpmを気に入ってる。


まだ、聴けていない人は急げ、
もうすでに聴いた人も、何回だって聴けるのがインターネットラジオ。
是非っ、是非っ!
   

やわ肌議定書 2007/07/10
しっぽりと夕闇に飲み込まれ、
いかにも頑丈な鉄筋コンクリートのイガイガしたビルを眺め、
煙草をプカプカしていた。


あいつは硬い。
あんなにしっとり雨に濡れてしまっても、
あいつは硬い。
四角四面の硬い箱の中で、人は好き勝手な事をやっている。


しっぽりと夕闇に飲み込まれ、
いかにも頑丈な鉄筋コンクリートのイガイガしたビルを眺め、
煙草をプカプカしていた。


俺も硬い。
あっちこっち凝り固まって、
結局は硬い。
俺のやわ肌って残っているんだろうか。


人に優しさと温もりを提供できるだけのやわ肌は、
俺も持ってない事もない。


触れられたらくすぐったくて、
つねられたらとっても痛い、
俺のやわ肌。


俺のやわ肌は、
人に優しくする度、硬くなる。
人と触れ合い、優しいやわ肌を露出するほど、
そこには硬いタコができていく。
こうして俺は鈍感な部分を作っていく。
やがて人は、そのやわ肌に安らげなくなっていく。
人に優しくあるという事は、
いつも硬い角質を手入れして、
やわい状態を保たなければいけないのかとも思う。


触れられたらくすぐったくて、
つねられたらとっても痛い、
俺のやわ肌。


俺のやわ肌は、
痛みを耐える度、硬くなる。
人と摩擦を起こし、弱さを露出するほど、
そこは強く、強くなっていく。
こうして俺は鈍感な部分を作っていく。
やがて人の想いが伝わってこなくなる。
人として強くあるという事は、
いつも硬い角質を手入れして、
もっとも弱い状態を保たなければいけないのかとも思う。


最近、うんと寝汗をかいて寝ている。
寝汗が好きだ。
目が覚めた時のやわ肌感を自分の感じるからだ。
う〜んと幼い頃、
お昼寝をした後、
寝汗をかいた自分の幼い肌から、
乳臭い匂いがして、
とても落ち着いていた。


俺のやわ肌は、歳月を経て、
面積を減らしている。
限りある資源を、
限りあるやわ肌を、
人間鈍感化防止会議。
人に優しいやわライフ。
やわ肌議定書に、角質硬化皮膚の削減目標を!
   

水面下の几帳面(出来る男の裏条件) 2007/07/09
僕は自宅のトイレの便座の蓋を、
必ず閉める癖がある。
これに関しては精密機械のように例外がない。
僕の家のトイレの蓋が開きっ放しになっている事は100%なし子。


こんな几帳面な部分があるという事が、
改めて自分で気付いてみると不思議だ。
こんな几帳面で寸分の狂いも許さない部分が僕の中にあるのに…、
僕の性格は、総じてゆるい。
几帳面さが突出して人目につく事はない。
僕の几帳面さは地下に埋もれている。
どこか惜しい男だ。


僕はシャワーを浴び終える時、
シャワーと蛇口の切り替えレバーを、
必ず蛇口にしてから上がる癖がある。
これに関しても精密機械のようで例外がない。
僕の家の風呂場の蛇口をひねった時、
間違ってシャワーから冷たい水が身体にかかって、
「ひゃっ!」
なんて事は100%なし子。


これも地下に埋もれた僕の几帳面さ。
友達が泊まりに来て、シャワーを使った時、
結構、レバーがシャワーのままになっていたりする事が多い。
それでどうのこうのと思わないけど、
発見した時は、若干のストレスがある。
なのに、僕の性格は、総じてゆるい。
几帳面さが突出して人目につく事はない。
僕の几帳面さは地下に埋もれている。
矢っ張り、どこか惜しい男だ。


でも、この二つの事例は、
女性には結構得点の高い事なんじゃないだろうか。
出来る男のさりげないオシャレ、
それはトイレの便座、シャワーのレバー。
こんなジェントルマンシップの身に付いた男も他にはいないだろうに、


僕は、どこか惜しい男にラインナップされる事が多い。
   

31rpm三昧 2007/07/08
インターネットラジオ『31rpm』の収録&編集日でした。


とあるBARにてゲストパートの収録、
僕は久し振りにバーテンダーになって、
ゲストにベーシストの板谷直樹さんをお招きしました。
ほろ酔い加減で話しをしまして、
今までの観覧車とはまた違ったトークの楽しみがあって、
楽しかったですねぇ。
直樹さんのジェントルな会話のリズムが心地よくて、
ルンルンで話し込んだ時間でした。
僕はバーテンコスプレをし、
これも久し振りにフォーマルな格好をしてみたので、
それは31rpm連動ブログの方に載りますので、
重ねて楽しみにしていて下さい。
明日、配信されるので楽しみにしていて下さい。


収録後は、ずっと編集の為に家に閉じ籠りっ放しで、
実は今、翌日11;51になり、
疲れとトランス感は絶好調になっているのです。
作業中、インスタントアイスコーヒーを飲み続けたので、
胃と喉が、過度の甘みにイガイガになってます。
先ほど31rpm7月号が完成して、
やっとホッと肩の力を抜いたところです。
今回は特に長い編集の戦いだったな。
「ん〜、こっちの話を活かした方がいいのかなぁ…」
「あれぇ、あと何分くらい削らなくちゃいけないんだっけぇ…」
など、編集の悩みは瞬間、瞬間で腹をくくらなきゃいけない事が多くて、
迷っている時間が許されません。
今回は少し迷う時間が多かったからこの時間になってしまったと、
そんな調子です。


この後は、一時間くらい休んで、
プラッと、またお出掛けッス。
最近は、兎に角一日が短く終わります。
予定の埋め方が下手っぴぃな僕です。
無理のないスケジュールが組める、立派な大人になりたいと思います。
   

七夕に、仏の山口 2007/07/07
七夕さんでした。
みんなの願い、及び僕の願いは、かなうかどうかは別として、
願いを形として残すのは生活の励みです。
掲示板に願いを書き込んでくれた人の夢は叶います。
有り難うね。
掲示板に書き込んでくれた人の願いだけ、叶います。
願わなくちゃいけないね。


もっと現実的な望みでもいいと思うよ。
『遊んで暮らしたい』とか、
『豪邸で質素な生活を送りたい』とか、
『フレンチブルドッグの軍団を作りたい』とか、
『うどんに困らない人生を送りたい』など、
これは僕の願望ですが、思いっ切り怠惰で裕福な生活を夢見てみるというのも、
一年に一回くらいは必要枠です。
思いっ切り羽目を外しましょう。


そうなんだ、七夕で土曜日、
巷じゃジャリ共が羽目を外して遊んでいる。


僕が多少疲れて、終電に近い電車に揺られていると、
大学生くらいのジャリ男が横に座った。
そしてそいつは、座るなり眠った。
そして電車が動き出すと、案の定、
右へ左へ、
頭を振り子にした。
僕は二回ほど肩の上に眠られた。
仏の山口とて、さすがに見知らぬ男に貸す肩はない。
二回とも肩でガツンと頭を打ち返してあげた。
それにここ最近、そういう疲れ切った若者をよく見る。
以前の慕夜記にも登場したが、
女の子にしろ男にしろ、電車の中という公共の場で、
あっさりと力尽き過ぎる。
「家か?」
って聞きたくなるくらい、あられもない姿で眠っている。
僕はその風潮に多少苛立っていた。


『しっかりしろよ、侍!』
という僕の苛立ちのこもった肩アタックをこめかみに受けたジャリ男は、
今度は反対側へ身体が傾いていった。
間の悪かった事は、反対側には女の子が座っていたという事だった。
ジャリ男はその子の肩に向かって眠り出したのだ。
女の子は背中を浮かして苦笑いをしている。


もう、ここまできては駄目だ。
これは僕の肩アタックにも要因があるから、
堪り兼ねて僕はそいつを叩き起こした。
ドンドン、
そいつは目を開けて姿勢を直したが、またすぐに女の子の方に傾いていったので、
ドンドン、
「あのな、迷惑が掛かってるから…」
と激しく起こすと、
「こみはへん」
とジャリ男は意味不明な一言を発して、
今度は膝に肘をかけ、前屈みに眠ってしまった。
『まぁ、取りあえずこれなら迷惑にはならんやろ』
と思い、放って置いたのに、
暫くすると、そのジャリ男はまた頭を上げて、
足を伸ばし、荷物を落として、
だらしない姿勢で眠り始めた。


仏の山口、もうガマンの限界です。


仏の山口:「あのな、荷物も落としてるし。しっかりせぇよ」
ジャリ男:「はぁ…」
仏の山口:「もっの凄く迷惑やぞ」
ジャリ男:「はぁ…」
仏の山口:「お前大丈夫か?わっかってる?」
ジャリ男:「はぁ……あっ、すみません…」
仏の山口:「お前、大丈夫かぁ?」
ジャリ男:「大丈夫ですか?」
仏の山口:「誰が?」
ジャリ男:「その…あなたは…」
仏の山口:「俺は大丈夫やろ。お前の話やぞ」
ジャリ男:「大丈夫です、大丈夫れす」
仏の山口:「しっかりせぇよ」
ジャリ男:「僕どこから乗って来たんでしょう?」
仏の山口:「知らんよ、青山一丁目くらいやったやろ」
ジャリ男:「そんなところからぁ…」
仏の山口:「お前、どこで降りるかわかってる?」
ジャリ男:「どこで降りるんですか?」
仏の山口:「だから、俺の話やないんやって。お前はどこで降りるの?」
ジャリ男:「たぶん、もうすぐ降りていくと思います」
仏の山口:「お前、酔ってるやろ?」
ジャリ男:「はい、酔ってます。一緒に呑みに行きませんか?」
仏の山口:「何でお前と呑みにいかなあかんのや、早よ帰って寝ろや。
       お前、滅茶苦茶な状態やぞ、今」
ジャリ男:「えぇ!そうですか?僕、さっきまでどんな状態でしたか?」
仏の山口:「グワングワン頭振ってたぞ。隣の人にも迷惑かけたんやから謝っとけよ」
ジャリ男:(隣りの女の子に)「すみませんでした」
女の子 :「あっ、はい」
ジャリ男:「一緒に呑みに行きませんか?」
女の子 :「えっ?」
仏の山口:「お前、やめろや」
ジャリ男:「三人で行きましょうよ。こちらの方も行きたいって…」
仏の山口:「俺は行かへんって言ったやろ」
ジャリ男:「折角、何かの縁ですから行きませんか?」
女の子 :「でもだいぶ疲れてるみたいだから早く帰って寝た方がいいんじゃないですか」
仏の山口:「そうや、お前はまっすぐ家に帰れ」
ジャリ男:「はい…」
仏の山口:「で、ええか、お前、電車降りるまで絶対寝るなよ!」
ジャリ男:「あぁ、はい…」
仏の山口:「絶ぇっ対、寝るなよ!」
ジャリ男:「あぁ、はい、わかりました」

といった具合で、そのジャリ男は、
僕とその女の子が降りる駅の一つ前で降りて行きました。
降りる時、
「じゃ、どうも、すみませんでした」
と謝ったので、
「お、気を付けて帰れよ。そんじゃぁな」
と言ってやったら、そいつは調子に乗って、
「じゃぁな」
と笑って降りて行きました。
憎めない馬鹿とはこの事でしょう。


サタデーナイツの七夕、
羽目を外した夢は夜に開くようで…。
   

笹の葉サ〜ラサラ、腕の皮ベ〜ロベロ 2007/07/06
夏本番手前で、日焼けなんかしちまったもんだから、
夏本番手前で、もう腕の皮膚がはがれ始めている。
このめくれてくる皮って、とっても魔力があって、
見ていると、どうしてもめくりたくなる。
どれだけ途切れず綺麗にめくれるか挑戦したくなってしまうんだ。
リンゴの皮をむく時、いかに長くむくかに必死になってしまう時の気分に似ている。


一ヶ月くらい前、僕が電車に乗っていると、
隣の男の子が矢張り今の僕と同じような腕をして、
またその腕の皮の魔力に取り憑かれていた。
めくっては、
パンパンと払い、
まためくっては、払う。
そのパンパンと払った皮が、
まき散らされているようで、
僕は隣にいて、どうにも閉口した。


ところが、今。
僕は電車に乗っていると、
ついつい暇で、自分の腕が目に入ってしまう。
そして、白くめくれ上がって来た皮の魔力に惹かれてしまう。
『あぁ、めくりたい…。でもパンパンはみっともない』
腕を眺め、男の葛藤が起こってしまうんだ。
花びらを一枚一枚抜いて、
『好き?嫌い?好き?嫌い?…』
とやっている時の気分に似ている…?


答えは『ガマン』
めくらずに紳士を保つというダンディズム。
日焼けした皮膚に、ここまでの葛藤が起ころうとは夢にも思わなかった。


電車を降りて、改札まで上がるエスカレーターの踊り場に、
サラリーマンの男の人が一人、
エスカレーターに乗らず、携帯電話を必死に操作していた。
すれ違い様に携帯の画面が見えてしまったのだが、
彼はプヨプヨというゲームをやっていた。
それ、会社に遅れてまでする事?
他人には解り得ない、よっぽど大事な戦いがあったのだろう。
それはそれでダンディズム?
ま、いっか。


ところで、明日は七夕祭り。
みんな願い事は決まっているの?
短冊にちゃんと願い事を書ける?
「願い事は?」
って聞かれても、すぐには思いつかないような状態になってない?
大人になったからって、そういうところをおろそかにしては駄目だよ。
日本のクリスマスと言って過言ではない祭りなんやから。
願い事は、年に一度くらい心から引き出して、
口に出してみるもんだと思うよ。
そしたら、自然と自分の身体がその願いに向かうと思うから。


おし、7月7日のBBSは笹の木にします。
みんな何か一つ願い事を書き込んでよ。
短冊を吊るしてよ。
かなう、かなわないは別として、
このホームページで、ささやかな七夕祭りをしてみよう。
   

キャピキャピの根暗 2007/07/05
今朝、といっても世間一般でいう昼。
いつもの地下鉄に乗ると、
いつものように茫然と、
どこを見るでもなく、どこかを眺め、
『あぁ、あれこうしよ』とか、
『あれこうしときたいな』とか、
『やっべ、あれしてねや』とか、等々、
身のない考えを催してみる。


最近の僕の傾向として、
あまり内側に意識が向いていない。
そんな時期なのかなとも思うんだけど、
ほとんどの意識が心の中から外へ向いている感じがする。
一見忙しそうで、一見一つ一つの物事を実感していなさそうなくらい、
自分の内側の時間を作れない。
そんな時期なのかなと悩んだりする。
もっと心に留め置きたい気がするのに、
人と触れ合う事、新しい物事に触れる事が、
急ぎ足の毎日にすくわれて行ってしまう。
陰にこもり易い僕には珍しい時期かもしれない。


躁鬱の割合でいくと、僕は圧倒的に鬱の時間が多い訳で、
今のような躁状態が続く事は稀である。
僕は鬱状態を基体にしている訳だから、
この状態でいるのは、少し不安を感じる。
気分がキャッキャッとしているうちに時間が過ぎて、
何も手にしないまま一ヶ月、二ヶ月が過ぎてしまうんじゃないかと思ってしまうのだ。
別に何も考えてない訳じゃないし、
何もしてない訳じゃないんだけどな。
何はなくともハッピー。
毎日が楽しい。
この充実に身体に疲れは溜めても、思いを溜める事ができないような。
あぁ、落ち着きゃ一人前。


なんて事を考えていると、
途中の駅でセーラー服の女の子が僕の隣に座った。
沢山溜め息をつきながら、長袖の上着をバサバサと脱ぎ、
半袖のセーラー服になると、
大きな溜め息とともに、膝に顔を埋めて塞ぎ込んでしまった。
電車の中でだよ。
ちょっと異様な雰囲気で、
隣にいて圧迫感があったなぁ。


よっぽど毎日がやり切れないんだろうな。
乗客は少ないのに、それすらシャットアウトして、
膝に顔を隠し、びくともしない。
今の僕と反対の状況の子だな。


顔を上げなよ。
君が無理しなきゃいけないほど、
君の周りは身勝手じゃないよ。
君が孤独にならなきゃいけないほど、
周りは冷たくないよ。
君が開くかどうか。
君がそれでも言葉を出すかどうか、
ほんの小さな声でいいから、
自分のどこかのドアは開けておきなよ。
   

山ーズ うんと キャンプ 2007/07/04
入隊する人、募集中です、
山ーず うんと キャンプ。
取りあえず、うんと山に籠ってキャンプして、
食料不足によるダイエットという、新種の荒技です。


ま、それはいいとして。
今夜の話、
俺はね、久し振りにステージに上がった気がしたな。
そうでもないんやけど。
久し振りな気がしたな。


俺は弾き語りでずっと来てるから、
リハーサルの後、本番までなんかも、結構孤独でね、
どうしてすごそっかなって、
悩み多き年頃なんだよ。


7th floorのPAの五十嵐さんは、
俺のじゃじゃ馬ギターをいっつも笑顔で、ええ音にしてくれるし、
心強い。
今日も俺の足下の配線を綺麗に整備してくれて、
本番前リハーサルは俺の自由にさせてもらってるんだよ。
有り難い事で、
弾き語りの楽しいところは、その自由さであるし、
弾き語りの悲哀は、その自由なところだな。


本番前はいっつも、
これでもかってくらいネガティブになる。
ほとんど人と喋らへん。
一人で、
「はー」とか、
「ふー」とか、
腹の筋肉の調子を作ってる。
ビリーズ ブート キャンプに入隊するより、
きっとウエストアップに効果がある運動だよ。
みんなカラオケは好きなんやろ?
俺の運動を覚えたら普段の二、三倍は声が安定するよ。
この運動は、厳しい先生から教わったから間違いないよ。
そんでもな、
俺もこの性格やから、
「もう、大丈夫でっす。後は現場で学びます」
と言って、あっちゅう間にそのレッスン辞めてしまった。
でも、腹式呼吸の方法だけは今でも本番前に入念にやるよ。
欠かした事ないよ。


ライブの本番になって、
俺はステージから見てる。
そして、目が合うとぞくぞくするんや。
綺麗な顔してるなぁって、いっつも思う。


俺は矢っ張り、もっともっとその顔を見たい。
その為に俺がするべき事、やれる事、
その精一杯を名刺代わりに、
またステージというライトを浴びたい。


今夜もはじめまして、
そして、サンキュ。
君の名前は聞けなかったけど、
俺はますます君の事が忘れられない。
なんちて、今夜もええ感じに夜が更ける。



風邪ひかんよにな、
ちょっとここんとこ天気が不安定やから、
身体に気を付けてな。
ほな、おやすみ。

   

負晶無精 2007/07/03
いい加減、髪の長さが疎ましくなってきた。
シャワーを浴びて髪の毛を洗う時、
リンスを施して艶々の髪にするのはいいけど、
うなじや耳の裏を洗う時に石鹸がついて、
髪の毛はガシガシになる。
段取りよく身体の洗浄ができない。


じゃあ、身体から先に洗って、リンスを後にすると、
折角石鹸で洗ってキュッとしている肌に、
リンスのぬるつきが付着して気持ち悪い。
どうにも身体を洗浄する段取りが組めない。


シャワーを上がって髪の毛を乾かす。
ドライヤーをブヒーンって掛けると、
髪の毛は乾くのだけど、
ご承知の通り、僕は無類の汗っ掻きだからして、
風呂上がりの血行の良さも手伝い、
大量の汗を掻く。
そこに乾きたての髪の毛がはらっとおりる。
そしてベトっと顔にくっ付いて…、
濡れ直す。
意味がない。


この季節、ただでさえ湿気と戦わなくちゃいけないってのに、
髪の毛が僕に例年にない湿り気を提供して来る。


風になびく黒髪の少女、
という言葉は、涼し気なイメージを持つが、
風になびく黒髪の晶、
という言葉は、暑苦しく爽やかでない。


普段の僕なら、夏が近付けば髪型だけはあっさり出家してしまうのだが、
坊主頭がいかにも不評なので、
ただじっと髪の毛のストレスに耐えている。


ただ、もう限界という事で、
僕の専属美容師ヨシオに相談したら、
「もう少し頑張れっ」
という髪型を提案された。


考えてみれば、
折角ヨシオが良い感じにカットしてくれても、
僕は無精でセットを怠ったり、
勝手に坊主にしてしまったり、
いつもいつもヨシオの名を汚すような事ばかりする。
だからヨシオの名誉の為にここに断わっておく必要がある。
僕の髪型がイマイチの時は、100%僕に原因がある。


で、今回こそは専属美容師の言いつけを守れと、
そういう事だから、
「もう少し頑張る」髪型に伸ばそうと決まった。


そんならそうで、もっと早く髪の毛が伸びてほしいから、
エロくなろうと僕は思う訳だ。
どこまでいっても負晶無精…。
   

継続は御縁なり 2007/07/02
最近の僕のブーム、って言うか新しい決め事。
財布にいらっしゃった五円玉は使わず集めておくって事。
ささやかな決め事。


友達に話したら、
「寂しい男〜!」
って一斉に揶揄された。
言っとくけど、
別に寂しいから御縁を集めてる訳ではないよ。


で、理由があるかってぇと、
ねぇんだけどもね。
何の為に五円玉を集めてんの?ってぇと、
何となくやり始めただけの事なんだけどもね。


この慕夜記の連日更新を始めた時もそうだったけど、
僕の場合、何かの習慣をつけようと始める時の理由って、
いつも、ただ何となく、なんだよねぇ。
自分の家を全面禁煙にした時もそうだったな。


あんまり大袈裟に決心を固めて始めると、
僕は簡単に息切れを起こすんだよね。
だから、いつも何にも考えずに始めて、
後で人に説明する為に理由をこじつける。
そうすると、だんだん自分もその気になって来て、
やめられなくなる、
やめたら気持ち悪いから、
兎に角、継続するようになる。
これが、僕のような根気のない三日坊主の為の、
マインドコントロール。


五円玉はね、まだ集め出して間もないんだけど、
何で始めたかって説明すると、
こないだ何となくコインで削る式の宝くじを買ったの。
その時、財布に全種類のコインがあって、
「どうせ使うのなら五円玉かな」
と思ってその五円玉を使って宝くじを削ってみたら、
当たっちゃったんだよな、
千円。


いや、こりゃ嬉しい、有り難いって事で、
その五円玉を使わないように財布の小銭入れにとっといた訳。
そして、次の日にさ、買い物をして、
お金を払おうとした時、
小銭入れを見たら、五円玉が三つあって、
どれが幸運を呼び込んだ五円玉か、判らないの。
そんじゃぁ、この五円玉全部とっとくかと。


だけど、小銭ってあなどれないよ、
意識して見ていると、小銭入れに次から次へと五円玉が入ってくるの。
あっという間に、使っちゃいけない五円玉で小銭入れがパンパンになっちゃったから、
外に移して集める事にしたの。
ただ、そんだけの事。


でも、見てろよ。
いつしか五円長者になって、
五円玉だけで、新しいギターを買ってやる。


どう、これいくない?
いつ買えるかは判らないけど、
今から五円玉を集めていって、
いつしか十五万円相当のギターを買おう。
そして、ステージで紹介するよ、
「2007年7月から集めた五円玉で買ったギターだよ。五円玉を凝縮した音がするぜ」
って。
これいくない?
楽しろくない?


っていう風に、僕の継続力はこんなどうしようもない根本から始まるんだよ。
ムフフン。


でもしかし、一体いつお披露目を迎えるのやら、
それはそれで楽しみ。
ウフフン。
   

日曜の甘み、そしてぶり返すにがみ 2007/07/01
小さなカフェで、
カラメル マキアートをすすり、
上辺の甘さと、奥行きのにがさを味わっている。
ここにこうしているのも大分さまになって来た。


舌にカラメルを乗せ、のどの奥ににがみを通す度、
ふとした過去が蘇って来たりする。
どうにもならなかった事が、どうにかなったんじゃないかと思い返し、
どうにかなってきた事は、結局どうにもならずにいるんじゃないかと考え直したりする。
毎日を懸命に充実させれば、頭が空っぽになり、
心に悩みを持てば、自ずと毎日は充実しなくなる。
だから、今は頭が空っぽでマキアートをすすっている訳だ。


時は今まさに五時で、
雀の涙のような雨が、時折手の甲に落ちて来る。
晴れているようで、曇りに煙る心。
スカッとしたようで、湿る心。
小さなカフェを出て、
口数少なく家に戻る。


何でこんなに一生懸命だか判らないけど、
何だか一生懸命にやらなきゃいけないと焦ってしまう。
毎日のあっけなさがこのまま続き、
振り返ればあっさりとして、
何も変わらない季節となり、一年となる。


スーパーを覗くと町の人が夕食の買い出しに大忙し。
公園を横切ると、誰もいないくて静かすぎる。
日曜の洗濯物と、日曜の雨。
右手の頭脳線と、左手の頭脳線。


のどに引っ掛かった想いは、
カラメル マキアートの甘み、
そして間の抜けたような僕のにがみ。
   

マジで?結局終わりはいつも朝 2007/06/30
休日にどっと眠り、
どっと身体を休めた気がする。


何となく、自分が埋没したかのような抜け目のない一週間。
気にも留めず、西から東へ。
詰まるところの想いを、右から左へ。
どっかで見たような人を追っ掛けて、上から下へ、そして南へ。
自分で思っているより身体の中がスカスカのレンコン状態で、
エネルギーの欠乏を少し感じ始めていたから、
休日に辿り着くと、結構ウキウキする。


今日まで派手な寝不足を引きずって、
色んな形で夜更かしを続けて来たから、
昨夜は相当疲れていたらしい。
電話で友達と決めた待ち合わの時間を、
次の朝にはスッカリ忘れてしまっていた。
電話をしたのは覚えているし、
待ち合わせの連絡をしたのも覚えている。
ただ、何時にしようと言ったかが全く思い出せなかった。
だから、次の日慌てて友達に電話をかけ、
もう一度待ち合わせの時間を教えてもらったんだけど、
友達曰く、
「結構ハキハキ話してたよ。むしろテンション高いくらいやった」
昨夜の半分寝惚けた僕はそうだったらしい。
そのテンションの高い半寝惚けの僕は僕に断りもなく、
そうして勝手に待ち合わせを決めていたという。


つまり、その夜は、
泥のように眠るっていう状態がしっくりきた。
そして、今日一日は、
今日くらいは何もしない、
家に一日籠って、
一人でいたいなと思ってはみたんだけど…。


結局朝。
終わりはいつも朝。
朝陽を浴びて、帰宅。
あの鐘を鳴らすのは、朝だ。


折角寝溜めしたエネルギーのリザーブタンクをあっという間に、
またスッカラカンにして、
マジでか?
っていうくらいにフラッフラになった。
気持ちは爽快だけどなぁ…、
マジで?俺。
   

マックの喫煙席を揺るがす大事件勃発 2007/06/29
見えないコミニュケーションに戸惑う事がある。
人がマックで珈琲と煙草3本の息抜きを得ているというのに、
隣で僕と同じように一人で煙草を吸っていた女の人が突然、
「今、どこにいると思う?」
と大きな独り言を言う。
『えっ?どう考えてもマックでしょ』
びっくりして振り向いて見ると、
その人は携帯電話の真っ最中だった。


大きな独り言は続く。
「ちょー笑えるよね」
確かに、この状況はちょー笑える。
「おかしくない?ってか、あり得なくない?」
確かに、この状況はおかしいしあり得ない。
静かなマックの喫煙席で、
どう考えても見えない相手に向かって、
大声を放つ姿は、
あり得なくない?


確かにその人にとっては誰かとの会話が成立しているんだろうけど、
マックの喫煙席にいる客の雰囲気は、
完全なコミニュケーションエラー。
『変なの。恥ずかしい』
ってみんなが思っているに違いない。
実際、サボっているサラリーマンやら黄昏の主婦やら、
そこにいる客がみんな違和感を感じた表情をしている。


僕はいつも携帯電話を持って外出するが、
よっぽど緊急でない限り、
矢張り外で電話を掛けたくない。
何の為に携帯電話を持っているんですか?
と問われれば、
矢張り、当初の目的は緊急の時の為だったんじゃないかと思う。


携帯電話はコミュニケーションの場を広げたのではなくて、
返って支障になっているんじゃないかと感じる。
例えば、街角でサラリーマンがビルの壁に向かって、
必死に謝っている姿。
頭を丁寧に下げているんだけど、
それは相手に届かない誠意。
コミニュケーションエラーだよな。


こうして携帯電話が普及する事によって、
街は騒がしくなり、
人は干渉から逃れられなくなった。
秘密を持ち辛くなり、
どこにいても気を遣える体勢を持っていなくちゃいけなくなった。


一度、人間を携帯電話という呪縛から解いてみたいと思う。
『携帯電話記念日』という祝日を作って、
その日一日は、日本中携帯電話が使えないという日にしてみたらどうだろう。
心底、心が休まる祝日になりはしないだろうか。


さて、マックの喫煙席では、
ようやく大きな独り言が終わった。
すると、今度は別のところで大きな着信音が鳴る。
そしてさっきまで違和感を表情に出していた筈のサラリーマンが、
目の色を変えて携帯電話に出た。
「もしもし、大事件勃発ですよ」


確かに、この状況は大事件勃発な感じはあるけど…。
   

ティッシュでホイホイ 2007/06/28
キッチンの壁にカサッとたたずむ黒い陰、
そいつをシュッとティッシュで捕ろうとしたが、
適度に外して、黒い陰は冷蔵庫の裏に落ちていった。


昨夜、潰し損ねたゴキブリ、
ある程度のダメージは与えたけど、
死にはしないだろう。
命冥加な奴よ。
拾った命、大切にしろよ。
僕はどうでもよくなってキッチンを後にした。


そして翌朝、目が覚めて一杯の水を求めキッチンに出ると、
冷蔵庫の前でゴキブリが仰向けに倒れている。
「南無三…」
僕は昨夜の無益な殺生を詫びた。
そしてもう一度ティッシュを広げ、
そのゴキブリをつまみ上げた。


すると、突然ゴキブリは目を覚まし、
カサカサと僕の手の上のティッシュの中で大暴れしだした。


「何だ、本当に眠ってただけやったんや」
ゴキブリの奴、冷蔵庫の裏の熱気と湿気がよっぽど寝苦しかったのか、
寝返りをうっているうちに思わず表に出て眠ってしまっていたのだった。
それにしてもだらしない奴だ。
イギタナく腹を出して眠り、
またしても僕に狙われる身となってしまったのだから。
僕は今一度、
「南無三…」
と声を掛け、ティッシュを丸めて絞める。
今度こそ無益な殺生を仕上げた訳だ。
命音痴な奴よ。
奪った命、無駄にはすまい。


それにしてもゴキブリという種族は、
見事に見た目だけで判断されている可哀想な奴等だ。
その黒い姿だけで、忌み嫌われている。
その中の心を見てもらう前に、
新聞紙の餌食になるか、
「きゃー!」
とか叫ばれて、嫌悪されている。


僕はよく思う。
カブトムシは格好いいと、勇者・英雄の如く扱われるが、
見た目、そんなに変わらないゴキブリは、
無条件で恐れられてしまう。
体長3cmの小さな命は、
150、160cmもある人間に敬遠されるしかない。


ゴキブリは人間が人間になる前から存在した勇者である。
生きる化石、
あの長い氷河期を生き延びた英雄なのである。
敬意を払われてしかるべき先輩の筈なのに…。
何と不平等な世の中よ。


その英雄を、今日僕は一匹亡くしてしまった。
矢張り、無益な殺生だったかと葛藤が残る。
ただ、人間がいくら薬を開発し、
ホイホイしようとゴキジェットしようと、
彼等は子々孫々と生き延びていくだろう。
どう考えたって、人間の方が先に絶滅するに決まっている。


この一事だけでも、
彼等がどれほど尊敬されるべき命かという事を思い知らされるのだよ。
   

行き当たりばったりのシャボン玉 2007/06/27
たぶん、最近の僕の生き方って、
行き当たりばったり、
目の前に夜があれば、それに挑み、
背後に朝が忍び寄れば、
「ざまぁねぇ」
と心中する。


世の中って、世の中って、
恥だらけ。


世の中って、世の中って、
楽しろい。


今までの僕は、
シャボン玉を飛ばしたら、
そいつが壊れないようにする為、
風が当たらないように囲い、
壁に当たって壊れないように方向を選んで、
飛ばしていた、
と思うんだ。


ただ、この名前をもらってから、
三十有余年を生きてみて、
囲いきれない自分の面白さとくだらなさを知ったし、
どんな方向に行っても、必ずそこにぶつかるべき壁がある事を知った。


だから、どんなに恥をかいても、
人生は楽しろいと思うようにし、


だから、どんなに非難されても、
自分の向く方向へと歩こうと思えるようになった。


今日が明日になる瞬間、
今日が昨日になる瞬間、
いい事があろうが、悪い事があろうが、
充実しようが、退屈しようが、
幸せだろうが、悲しかろうが、
今日を楽しろく忘れてやらうと思う。
細かな後悔にイヂイヂすんのはやめやうと思う。
明日?
どうにでもしてやらうぞ、
明日?
ふんずけてやるっ、
って思う。


幾多のやり切れない夜を越してきた同志達よい。
今日はいっくらでも毒づいてやろうじゃねぇか。
今日はとことん、今日を粘ってやろうじゃねぇの。
   

プルプルな目元 2007/06/26
昨日の反省を活かし、
今日こそ雨対策を万全にっ!
と思い傘を持って出たのですが、
傘の出番はありませんでした。
ついでに、
どこぞのコンビニに傘を忘れて帰って来る始末で、はい。
僕は雨男のくせに梅雨という季節にフィットしないようです。


最近、眼が疲れ易いので目薬を携帯するようにしているんです。
しかし、あまり目薬に関して熟練していないので、
注そうと思うとイチイチ緊張してしまうんですね。
一発目から眼にジャストミートというのは、
はなっから諦めてはいるのですが、
垂れて口に入らないようにとか、
鼻に入らないようにとか、
そんな事を考えて眼を指でこじ開けていると、
目蓋がプルプル震えているのを実感する訳です。


よくよう照準を定めても、
そんなプルプルのおかげで、
放たれた目薬は何故か眉毛に落ちたりするのです。
その外れてしまった目薬一滴を、
顔を傾けながらどうにか眼に入るように転がすと、
これが返ってあらぬ方向へいってしまい、
ちゃんと目薬を眼球に注せた頃には、
大泣きした後のように指も眼の周りもビショビショなのです。


おまけに、あのスーッとする清涼感に慣れていなくて、
「ひゃーっ」
と声を上げ、眼を思いっきり閉じると、
そのまま暫く眼が開けられません。
ちっとも癒された感じがないのですが、
目薬ってそんなものでしょうか?


てな具合で、今日の僕も元気に生きています。
毎日が、どことなく楽しく出来上がっていきます。
みなさんの毎日はどうでしょう?
毎日に、どことなくの可笑しさが見つけれてない人は、
是非、目薬を注して、
「ひゃーっ、うっほい!」
と眼の疲れをとって下さい。


きっと、毎日はいたって滑稽な筈です。
いいね、生きるって。
   

梅雨の休館日 2007/06/25
「おっ疲れさ〜ん。たっだいま〜」
夜、帰宅の玄関を開けて、まず僕が声を掛けたのは、
今日は出目金達ではなく、
洗濯物達だった。


ガラリン子と窓を開けると、
クタッと蒸された洗濯物達が垂れ下がっている。
僕はそいつ等を熱く抱擁してみたが、
矢張り一向に乾いていなかった。
そのまま抱き上げ、風呂場に連れて行き、
乾燥機の温風で暖めてやる事にした。


思えば、
今朝のニュースで、
『今日は梅雨の休館日と申しますか、全国的に雨は降らなそうなんですね』
という言葉に魅了され、
洗濯をし、洗濯物を外に干して家を出たのが発端だった。
家を出て地下鉄に乗り、地下鉄から地上に上がる頃には、
ワイワイ雨が降っていた。
「洗濯もん!」
と天を仰いだ時には、後の祭り。
帰ってからの洗濯物の状態が用意に想像できた。


幸い、我が家のテラスには大きな屋根がついているから、
雨が直撃することはないんだけど、
この霧雨の湿気では、間接的でも濡れてしまう。
あぁ、失敗したな。


一日、何となくそのガッカリ感を肩に乗せ、
やっと帰ろうかという夜。
赤い霧が空にかかっていたから、
何事だろうと、視界を遮るビルを抜けて見てみると、
東京タワーがそびえていた。
まさに摩天楼、
その赤い塔は、重く垂れ込めた紅蓮の雲に、
突き刺さっていた。
「閻魔でも棲んでいそうだな」
そんな事を想像して恐怖が走る。
僕は地獄の沙汰から一刻も早く抜け出し、
家で助けを待つ、かよわい洗濯物達を救い出しに急ぐのだった。


昨朝は茜色をしていた洗濯物、
今日はムレムレの色をしていた。


追伸:
昨日は地球温暖化防止キャンペーンで東京タワーは夜、消灯されたそうな。
韓国と共同で行ったキャンペーンらしいですが、
これからずっと、とは言わないけど、
せめて何日かは続けないと、
効果も宣伝も現れないんじゃないかと思いました。
   

走れ〜、津田く〜ん!part2 2007/06/24
今日は某局の方のお誘いで鹿島へGO!!
二度目のJリーグ観戦に興じて来ました。


前回も雨で難儀したもんですが、今回も雨。
某局の方も僕も雨男でして、
二人揃うとごく当たり前に雨雲に恋されるようです。
今日に限っては梅雨という季節をかんがみ、
そう自分を責めないで!と言いたいところなんだけど、
これだけの晴れ間に囲まれ、
思い出したかのような雨の日に、
ピッタリ二人が揃う訳ですから、
その威力や推して知るべし、です。


前回の経験があるので、今回の観戦の雨対策は万全でした。
つまり、前回購入した鹿島アントラーズのポンチョ(レインコート)を着て、
名古屋グランパスの応援です。


前回は、
「今だぁ〜、走れ〜、津田く〜ん!」
と同郷同市出身の津田選手を応援していたのですが、今回は、
「いいぞぉ〜、津田く〜ん、ナイスナイス〜!」
と叫んでいました。


ヨンセンが中央でポストに!
「そして津田君へ」
本田が左から抜けて、大きくサイドチェンジ!
「そして津田君へ」
藤田がパスカットしてボールを奪う!
「そして津田君へ」


津田選手にボールがまわるたび、
「そして津田君へ」
とだけ、僕は解説を加えていました。


その地味な応援が届いたのか、
隣のグランパスファンの男の子二人にも、
「津田君いいねぇ」
と、“津田君”という呼び名が伝染していました。
ナイス草の根応援です、俺。
それになにより、
今日の津田選手はすこぶる格好良かったです。


雨と帰りのバスの渋滞には閉口しましたが、
今日の観戦も大興奮の90分でした。
根っからの野球少年ですが、
何につけスポーツ観戦はルールが詳しくなくても感動します。
これからもサッカー感染しそうだな、
なんちて、ぷぷっ。


お後がよろしくないようで。
   

朝に染まったちょいナル男 2007/06/23
茜色、
まさに今朝の東の空は茜色。
上下にまっ二つに分かれた空でね、
下が淡い愁色の空で、上が茜色の雲。
その東の空が綺麗でね、
思わず見惚れてしまったぞ。


昨日の午前中には洗濯物をモリっと洗ってね。
「今夜中には帰るから心配するなよ」
と声を掛け、Big Mouthに出掛けたんやけど、
結局、朝になっちったな。


玄関開けて、
窓の向こうに茜色に光る洗濯物。
「おぅ、ゴメンよ。約束を守れなかったね」
なんつって、慌てて窓を開けると、
またそこに茜色の雲、そして洗濯物。
「そんでも、今日のお前等、何か綺麗やわ」
そんな感慨で洗濯物を取り込む。


実際、こんな綺麗な洗濯物を見たのは初めてだよ。
白い靴下、
赤いジャージ、
白いタオルに、
黒の短パン、
みんなが各々の色に茜色の薄化粧をしてござい。


「フンッ、フン」
いい気分で、キッチンから水槽、
水槽から部屋のベッドに目を移すと、
ここにまた茜色の枕、
茜色の布団、
無造作に放り投げられたままの、
茜色のリモコン。


いやい、いやい。
お前達は何たって今朝はそんなに色気を上げているんだ。
俺の朝をどうしよってのか。


ふと、姿見を見れば、
そこには茜色に映った色男がポツン。


今朝の俺、
今朝に限って色気がある。


あぁ、もったいない。
「女子達に見せたかったな」
と思いつつも、自己満悦。


「クックックッ」
と笑い、見つめ合う、
茜色の俺同士。
ちょいナル男だぜ。
   

空振り三振 2007/06/22
ここ二週間と少しの日数、
目の前に溢れ、流れて行く人間模様に、
体が騒ぎ、心がおしゃべりになりすぎてしまった。


その大きく揺れた心動を休める為なのか、
今日の僕の中身はすっかり空白になった。


沢山知っている筈の言葉も、
今日は2、3個しか思い出せない。


もともと活発な身体を持っている訳ではないから、
活発な日々を過ごすと、
どこかで帳尻を合わせる為、
びくともしない空虚な時間が必要になる。


毎日って振り返ると、
こんなにあっけない物語だったかなと思う。
もっと沢山のチャプターがあったような実感があるのに、
思い出せる出来事があっさりとしているような気がする。


判り易い疲れかな、
昨日の鍵なし子事変で、空振り三振をとられたような疲れが、
心へ身体へ響いた気がする。


こんな時は、判り易く寝まくる。
こんな時は、とっとと寝まくる。
こんな時は、逆らわず寝まくる事が肝要。
あらゆる日常茶飯事を打ち払い、
自分をここに戻してやる為に、
こんな時は、かまわず寝まくる事にするんだ。
   

家あり子は、鍵なし子 2007/06/21
こんばんは、
今夜こそ本格的に路頭に迷った山口です。


つまり、どこぞでポッケから家の鍵を、
チャリーンと落っことし、
さて、そんな事も気付かず家に戻り、
玄関前であたふた自分自身のボディーチェックをして、
「なし子」
で、鍵なし子。


近所に住む友達に連絡をするものの、
返答なし子の、
鍵なし子。


同情するならメールをくれ。


近所の商店街をウロウロするものの、
持て余し子の、
鍵なし子。


こんな鍵なし子にキャバクラへ来いと言う客引き子。


同情するなら寝床をくれ。


ファミレスで二杯のメロンソーダと三杯のコーヒー。
腹、ガブガブの連絡待ち子。


日が変わった直後、
救いの連絡、あり子。


今夜の慕夜記は人様ん家から、
肩身狭く書き子。


とんだ大失態。
初めて鍵落とし、
気も落とし子。


気を付けます。
   

山色吐息 2007/06/20
ここんとこ寝付きが悪く、
布団に入ると、グズついている山口です。
ひとえに夜の熱気のせいなんです。
ムンムンしてムンムンして、
雨は降らなくとも、このムンムンに梅雨を充分感じています。


それにしても、
夜、布団の中で一人、ムンムンとグズつくいて、
寝返りついでに、
「あぁん…もぅ…むふぅん」
とか吐息を漏らしている。
「今の俺、妙に色気あったなぁ…」
と、自分でヒトリゴチ、自分でクックッと笑っている。
これが山色吐息…。
哀愁ムンムンの山色吐息。
ハイトーン・ハスキーで山色吐息。
きっと見る人が見れば、
色気あるぅ〜って言う〜。
きっとその道のプロには、
聞〜かせて、聞〜かせて、山色吐息♪
って欲しがられるぅ〜。
そんな事考えて、夜が明けるぅ〜。
早よ寝なさい〜ん。


どうもロクでもない事しか考えないようで、
睡眠不足気味です。


そう、僕の睡眠不足の原因の大半を占めるのは、
山色吐息。


寝〜かせて、寝〜かせて、山色吐息♪


お後が少々しつこいようで。
   

26℃の温もり 2007/06/19
朝、起きて出目金達に挨拶をしにいくと、
ゴスロリ(赤い出目金)が、ぼぅ〜っとしてこっちに気付かず、
いつもの「ちょーだいコール」をしないので、
変だなと思って観察していたら、片目が白く濁っていた。
こりゃイカンと思いつつも、出掛けなきゃいけないから、
「帰って来たら水換えをするからね」
と約束して家を出たけど、一日心配がとれなかった。


最近、暖かくなって家の水槽の水温もぐっと上がって来た。
それに伴って出目金達の食欲も上がる訳だけど、
僕は餌を与え過ぎないように気を付けている。
その気遣いが返って出目金達の「ちょーだいコール」を激しくしてしまった。
ゴスロリ(赤い出目金)は特に食欲が旺盛だから、
頭をフリフリし過ぎ、
その出っ張った目を水槽かどこかにぶつけて、
怪我をしてしまったという事だろう。
あぁ、不出来な僕というメッシー君。
家に帰って来ると、早速水換えをして、
ゴスロリ(赤い出目金)の調子を観察していた。
元気だし問題はなさそう。


金魚を飼い始めて一年とちょっと。
大して興味があった訳でもないのに、
ひょんな思いつきで飼ってみたら、
自分でも驚くほど愛情を持つようになった。
喜んだり、悲しんだり、心配したり、ほっとしたり、
日々を出目金達と過ごして、
朝晩、水槽の前で一日の報告をする。
この一年とちょっと、
僕の中では特に実感を持って沢山の事が起きた時間に、
大きく揺れた心を近くで聞いて、近くでなぐさめてくれたのは、
この出目金達だな。


僕は一人の家に帰って来るけど、必ず、
「ただいまー」
と言う習慣がついている。
それは僕を待っている出目金達がいるから。
そして水槽に近付き、
「おぅ〜い、元気にしとったかぁ」
で僕の家に灯りが点く。


水温は26℃、
なんて、温もりの溢れた水槽だろう。
   

男女共用車両 2007/06/18
不思議な電車だ。
サンクチュアリができている。
横揺れする女の子の隣に、一人分のサンクチュアリ。
大勢のサラリーマン(男)の踏み込めないサンクチュアリ。
正しく彼女は眠っておられる。


女の子の姿勢はスッカリ斜め45度。
右へ左へ頭を振って、
その角度、
その角度45度が、男の踏み込めない領域をしっかり確保している。


どうしてそんなにお疲れなのか、
聞くまでもなく、
お疲れ〜なのは時間帯でも判る。



ただ、俺等はまだ疲れちゃいない。
まだまだこの夜になさなきゃいけない事がある。
だから、
そのサンクチュアリに飛び込むのさ。


「すみませ〜ん」


返答無し。


「ごめんよ〜」


返答無し。


どうにも飛び込むべからざる領域だったらしい。


その手をトントン。


返答無し。


その頭をトントン。


返答無し。


領域は彼女にだけ確保されている。


俺等っていう男も、
その座席という癒しの空間を、
遠慮で指をくわえているほど若くない。


「はい、ドーン」
その犯さざるサンクチュアリに尻をねじ込み、
自分の人心地を得る。


俺等はまだ疲れて眠る訳にいかないんだ。
俺等はね、まだ今日を終わらせる訳にはいかないんだよ。
ごめんなお嬢ちゃん。


僕は電車内に一人分の空白を埋めるのだけど、
彼女はずっと、右へ左へ首を振り続けた。
彼女はずっと、右へ左へ首を振り続けた。
   

和の心を鳴らす擬音 2007/06/17
ぞっこん。


何かに惚れ過ぎると、こんな音がなるらしい。


「今、ぞっこんって音がしたけど聞こえた?」
「え?聞こえなかった」
「いや、今、確かにぞっこんって音が聞こえたよ」
「えぇ、どっちで?」
「こっち」
「どっち?」
「ここ、ここ、僕のみぞおちのちょっと上辺りで」
「本当に?」
「ちょっと静かにしてみて」
「シーッね」
「………。」
「………。」
『ぞっこん』
「………。」
「………。」
「本当だぁ」
「ほらねぇ」
「どうしてぇ?」
「さぁ…」


麗しき青春の1ページを、
こんな会話でめくってみたかった。


ごっくん、
かっくん、
バッタン、
ドッカン、
ドッシン、
そして、
ぞっこん。


「ぞっこん」は意味不明な擬音だけど、
それだけに飛び抜けて秀逸な気がする。
他の擬音は、強引に説明すれば外国の人にも理解してもらえるだろうけど、
「ぞっこん」だけは、日本人にしか聞こえない音だ。
日本のそこここで、
そっこん、
そっこん、
音が鳴っているんだと思うと、その想像は楽しい。


僕は自宅の水槽に棲む出目金、三匹に胸を近づけ、
「ね、聞こえた?ね、聞こえるでしょ?」
と言ってみるのだけど、
出目金達は三匹そろって水面で首を振っている。
「あぁ、餌が欲しいのね…」
今や立場的には出目金達の方を主人と呼んで差し支えない関係になっている。
ぞっこん、
僕の胸では鳴っているんだけどなぁ。


今日、短い睡眠の中で夢を見た。
随分長い順番待ちの列に並び、
ようやく入ったトイレ。
そのトイレは、乾いてヒビ割れたプールだった。
僕はそこに必死で小便をひっかけまくる。
という夢だった。
深層心理で何かを潤したいと思っているんだろうか。
それにしても、
子供の頃なら、こんな夢を見れば十中八九、
寝小便をしてたのに、
今朝の僕の布団に世界地図はなく、股間が生暖かいという事もなかった。


成長って素晴らしい。
   

モッチリとした晴天 2007/06/16
何とも暑い一日。
以前の慕夜記に登場した、
真っ赤なスーツを着て、携帯電話で電話ばかりしている占い師(人相見)のオバアサンが、
今日の昼も、以前と同じ銀行の前に店を構えていた。


確かに今日も今日とて赤い着こなしだったんだけど、
多少薄着になっていた。
そして、日向にのぼせながら、
今日は携帯電話も掛けずに、
居住まい正し、まっすぐ前を見て座っていた。
そのオバアサンの人相見を僕がやりたい。
『あなたは、日陰だと思って店を出したところが、
  意外と日向になってしまい、
  かと言って、一度店を構えてしまった事に引っ込みがつかず、
  一生懸命に日差しに耐えている。
  あなたは今、迷い、悩んでいらっしゃる。
  店の場所を変えようかどうか、迷っている。
  と、人相に出ていますよ』
僕の見立ては100%当たると思う。
何たって暑い一日。
いつも険悪な表情をしている車屋の犬も、
今日は目を細めて僕に愛想を振りまいた。
僕も僕で、のび太やジャイアンのような唇で、
その犬に、口笛を吹いてみたんだけど、
「シュー」
としか鳴らなかった。
みんながのぼせてしまっている気がした。


暫く行くと、見慣れた街角に見慣れない店が出来ていた。
トルコ風のカフェ。
窓をフルオープンにして、オープンカフェ風になっている。
そして、何より魅力的なのが、
トルコ風アイスが売っている事だった。
あの粘り気のあるアイスクリームがこんな身近に売っているなんて、
何としても心強い。
今年の夏はガリガリ君から卒業できるかもしれない。


結局、この時は出掛ける道筋だったから、
買いはしなかったんだけど、
一日、トルコ風アイスの店ができた喜びを引きずっていた。
そして、一日中頭の中に巡っていたのは、
以前、トルコ風アイスのCMでヤンキースの松井秀喜が、
涙を流して叫んでいた、
「モッチリだー!!」
というセリフ。


僕の頭の中も、柔らかくて粘り気のある、
モッチリにしたいけどなぁ。


まだまだ、堅い、かな。
   

やる時ゃ、やるぞの午前様 2007/06/15
昨日の慕夜記を全部ひっくり返すような日です。
つまり、梅雨なんて言って今朝は気持ちよく晴れ渡っており、
僕はその気持ちのいい朝に千鳥足でご帰宅。
久々の酒に、酔いもこめかみに達している訳で、
やる時ゃ、やるぞの午前様。
女房がいようもんならスッカリ泣かせ上手になっていた事でしょう。
しかし、泣かせるね、
しかし、泣かせるね、
昨今の旦那さんって人は。


今夜会った旦那さんはセネガルの人。
日本人の女房を持ち、
子はまだない。
これは泣かせない旦那さんらしい。
飲み屋の呼び込みの仕事をしている旦那さんで、
僕がすっかり酔っ払っている前で、
しめやかに炭酸飲料を飲んでいた。
イスラム教の人だそうで、
酒、煙草をやらないらしい。
この二大煩悩を自制するんだから、
聞かずとも泣かせない優しい旦那に間違いないと思った。


芸の〜為なら〜、女房も泣かす〜、
それが〜どうした、文句があるか〜。


世は文句の固まりである。
まして、近しくよぅく知り合った女房までが、
仕事をする旦那への不満を納められないでいる時代。
旦那に泣いて謝らせる強硬な女房が上昇中と週間天気予報で見た。
そう、確かに泣かせない旦那が増えたのかとも思える。
俺は、泣かしてみたいのに、
結婚のケの字も人生に顔を出さない。
『泣かせたい時に、女房がいない』
ことわざは言い得て妙。


セネガルの旦那さんは、流暢な日本語を話し、
本当にコーラ1杯で、仕事に戻っていた。


まぁ、みんな生きるのに必死だぜ。


ここは〜、地の果てアルジェリア、
ど〜うせカスパの夜に咲く。
酒場の女の、うす情け〜。


遠い地、セネガルで知り合った夫婦もあるそうな。
   

to you 2007/06/14
最近は、慕夜記を夕飯前に書きます。
とは言っても、0時を回ってからという訳で、

今夜も空腹感満載でお送りしております、
山口晶の慕夜記。
パソコンの前のみんな、目蓋を閉じる前の10分くらい、
僕とお付き合い下さいね。


今日から東京辺りもどんよりとした雲に覆われて、
雨、雨。
ねっとりした恵みの湿り気、
to you
靴が濡れて、明日臭くなっちゃうから新聞紙入れておこうかしらな季節、
to you
お店に入ろうと傘を丸めた時、濡れた手をお尻で拭いてしまいます的な日々、
to you
日本もすっぽりto youになりますね。


今日、電車で座って本を読んでいると、
どこぞのオジサンが僕の真上の網棚に、濡れたカバンを置きました。
ヒタッ、ヒタッ、
と15秒間隔で、
僕の右肩にその雫が舞い落ちます。
ヒタッ、ヒタッ、
と次第に濡れ、次第に冷たくなる僕の右肩。
「おぅ〜い、ちょっとアンタ!」
と言う気も起きないくらいオジサンは罪のない表情をしています。


ヒタッ、ヒタッ、
落ちる雫のゆるいリズムに、だんだん苛立つ僕なのですが、
ヒタッ、ヒタッ、
石の上にも三年。
僕の肩に穴が開くまで、忍耐を覚えよと、
その雫は僕に問答をかけているようです。
僕は心の中で昔好きだった落語の一節を唱えていました。


  気に入らぬ風もあろうに柳かな、
  むっとして帰れば門(かど)の柳かな、
  風の吹く方を後ろに柳かな。
  堪忍のなる堪忍はだれもする。
  ならぬ堪忍、するが堪忍。
  堪忍袋をつねに首にかけ、
  やぶれたら縫え、やぶれたら縫え。


ね、いい節でしょ?
僕の自戒の一節ですね。
時折、子供以下の醜態で怒り倒してしまう事もあるので、
僕はそんな時、この言葉を唱えるのです。
『ならぬ堪忍するが堪忍…』


ヒタッ、ヒタッ、
とto youの便りを肩に受けながら、
ヒタッ、ヒタッ、
と肩を冷やし、心を冷やすのです。
『いいんだよ』
オジサン、いいんだよ。
この言葉、今日は上手く使えそうです。


ちなみに落語では、
せっかちで喧嘩っ早い男が、と或る心学者に先ほどの一節を説いて聞かされるのですが、
早合点して、
『奈良の神主、駿河の神主、(ならぬ堪忍、するが堪忍)
  中で天神寝てござる!あー、こりゃこりゃ。
  神主の袋はつねにズダ袋!
  やぶれたら縫え、やぶれたら縫え』
と人に教えてしまうというオチです。


ね、なかなか面白いでしょ?
   

悲しい体液、キュートな体液 2007/06/13
「やだ〜、パンダ目になっちゃうよ」
電車に揺れる女子達の会話に、
僕はてっきり寝不足の子達かなと思っていたのだが、
どうやらマスカラやらアイラインが水分で垂れてしまった事を言うんだね。


それじゃ、パンダ目になる時ってどんな時?
って考えると、泣いた時かなと。


え、そこの女子は泣いているのか?
夜の帰り道、電車の中で泣いている寂しい女子がいるのか?
無言で抱きしめにいかなきゃ。
と思いきや、その女子達は存分に笑っておる。
なんだ、笑い泣きか…。


それにしても、
パンダ目とは、
およそ涙という悲しい体液とは結びつかないような、
可愛らしい代名詞だ。
矢張り女子に使われるべき言葉と思う。


この際、我ながらベタな想像を広げてみるよ。


夜の歩道橋に女子が一人歩いていて、
バッグは肩からずり落ち、
手に持ってプランプランさせている。
この女子の目は透き通っていて、
今にも想いが溢れそうで、まばたきができない。
ブハーンッ、
と足下を通り過ぎた貨物トラックの風と轟音が、
彼女の横っ面を殴り、
彼女の髪を乱す。
彼女はそのトラックの無神経さに苛立つのだけど、
それと同時に情けない想いにかられ、
奮える下唇を必死に噛んだ挙げ句、
ついには、誰もいない歩道橋の上で、
泣いてしまう。
あぁ、彼女が何故泣くかまでは僕の想像は至らない。
否、女子というのは理由もなく泣いてしまう時がある生き物だろう。
疲れ?わからない。
悲しいの?わからない。
情けないの?わからない。
嬉しいの?それは違う。
好きなの?わからない。
嫌いなの?それは違う。
何なの?わからない。
彼女はうつむいて、怒ったようにけたたましい足音を鳴らして、
歩道橋をさっさと降りて行ってしまう。
そして、
早歩きで、
気が付けば女子は家に帰っていて、
バッグを放り投げ、
ついでに自分の体も、ベッドの上にドスンと放り投げるのだ。
ハァーーーーーっ、
しばらく、身動きせず天井でも眺めていると、
ハァーーーーーっ、スッキリした。
最前まで目から溢れていた想いはどこへやら、
あっけらかんと鎮まっていく。
そうとなれば、
さて、お腹が空く。
着替えでもしようかと体を起こした時、
枕元の鏡台に映っている自分の姿を見つける。
そして、言う、
「まぁ、パンダ目」


僕が妄想した勝手なドラマは、
いかにも男らしい想像で、実際を知る女子には批判を浴びるでしょう。
でも、そのいかにも男が想像しそうなメロドラマでも、
結末が、
「パンダ目」
であると、
その妄想も、物凄くポップでキュートなものになる。


僕は、世の女子達がとても強い武器を持っているような気がして来た。
それは、涙というポップでキュートな体液だ。


いつか僕も何かに傷付き、悲しみにくれた日には、
アイラインやマスカラを塗りたくってから泣きたいと思う。
そして自分の悲しい体液を、
「パンダ目」
というキュートなものに託してみたい。
あぁ、そうしたい。


でも、
きっとパンダ目なんて、ポップでキュートな顔にはならないだろうけど。
さしずめ僕の場合は、
「タヌキ目」
矢張り飲み屋の店先で、焼酎の空ビンを片手に、
わーわー泣いているイメージ。
絵にもならない。
   

ちょっと、聞いて欲しい子 2007/06/12
何だか、返信しなくちゃいけないメールが山積している、
ような気がする。
最近は夜にほっつき歩いている事が多かったので、
こうもおとなしく夜が更けていると、
やる事がたくさんあっても寂しい。
一人でいる事を長々と続けてみたり、
連夜、帰りたくない病にかかってみたり、
つくづく自分というのは付き合いづらい。
そう言えば、Big Mouthで共演したブリーフブラジャーズのタケちゃんが、
「俺は昔、引きこもりになってたから、今は反動でデッパナシにかかった」
と言っていた。
僕のはそのタームが短い病気かもしれない。
そして短い今夜に感じるのは、
ちと退屈。
あの人や、こんな人に、
メールを書かなくちゃいけないよ。


さて、今夜、君が一人でいるならそれがよし子。
誰かといるのに不安を感じるなら、それもよし子。
色々、落ち込んでみるのも、
君のセクシーさを養うからよし子と僕は思う。
ただ、その華奢な体にあまりムチ打たないで欲しいと僕は思う子。
イヤらしい意味じゃなくてね。
あんまり頑張り過ぎないで欲しいという意味ね。



君が、
ふと寂し気な横顔を見せる時も、
活き活きとした大笑いを見せる時も、
僕はどちらも素晴らしい表情だなっと思っている子。
僕は君がそのまんまで充分素晴らしい子だと思っている子。
間違いなし子。


今、君が不安な膝っ小僧をかじっているのなら、
ちょっと、聞いて!
ちょっと、聞いて!
君はそのまんまで本当に素晴らしい子。
君はそのまんまで本当に素晴らしい子。
と、
僕は思っている子。
ちょっとだけ、覚えといて!

   

手相に見る、僕の人生 2007/06/11
僕は昨日、
「手相が見れる!」
と言う子に自分の手相を見てもらったのですが、


・生命線が薄く、入り乱れている。
・感情線も入り乱れていて、はっきりしない。
・大きな婚期は過ぎていて、この先は薄い恋愛が2、3回ある、かも。
・でも、気が多い。


との事でした。
僕はもっと詳しく聞いてみたかったのですが、
彼女は他の人の手相を見るのに忙しく、僕の将来はそこでほったらかしになりました。
あまりにも良い情報が無さ過ぎるので、
他の人の手相と見比べてみると、
確かに僕の手相は薄く判りにくい上に、細かく切れ切れになっていて、
彼女の言う事ももっともだと思いました。
だから、プチ落ち込みしてみました。


彼女のお見立てをまとめると、
『僕は生きる活気がなく、感情だけで生きている。
  そして何もかもが兎に角優柔不断。
  それじゃぁ、結婚どころか恋愛もできないよ』
というところで、
まぁ、ここまでサッパリと良い事がないと、
僕は自分の手相を眺めながらニヤニヤ笑うしかありませんでした。
僕のこういうところが、人から見て真剣味が足りないと思えるのでしょうか、
彼女に「優柔不断には気を付けて」と叱られました。
僕のこういうところが、
人から優柔不断に見えたり、
何考えてるのか判らないところなんだな、
という事が判りました。


最後に彼女が大切な事を教えてくれました。


「晶君は、本当のドMじゃないよ」


うすうす自分で気付き始めた年頃だっただけに、
衝撃。

   

痛痒い胸の… 2007/06/10
人のライブを見る時、
人が唄っている時、
僕はその唄を聴いている人の表情を見ます。
ライブを体感する人の表情を見ます。
何か理由があるからではなく、
ただ、ふっと視線を客席にまわして見るのが好きなんです。


勿論、まじまじとは見ませんよ、
だけど、割と時間を使って見ています。
「このライブはどんな風に伝わっているんだろう?」
と興味があります。
みんながそれぞれの表情を使ってライブを感じている。
みんながとても嬉しそうにステージを見ている。
それを見るのが、
とっても好きで、幸せです。
ライブっていいな、と思えてなりません。


ライブハウスの一番後ろの席、
一人のおばさんが照明の反射に照らされて見えます。
少し腰を屈めるように、
首をすぼめてステージを見てます。
おばさんは心配そうな笑顔を、
ステージ上のミュージシャンに始終送っています。
「歌詞を間違えたりしないかしら。
  リズムがずれたりしないかしら…」
そんな心配を持ちながら、
ずっと笑顔なんです。
嬉しそうに手を叩いたりするんです。
これは僕にとって、郷愁を誘う光景です。
胸の痛痒いところを刺激するおばさんです。
心配そうにステージ上のミュージシャンの一挙手一投足を拾い上げて見ながら、
ずっと、ずぅっと笑顔のままでいる。
僕の胸のどこにリンクするのか、
僕はその表情を見て、
ライブというイベントが起きる事の素晴らしさを感じます。
ライブっていいな。
僕もあの表情で見てもらえるように、
日々を費やし、ライブを重ねていくんだな。
胸の痛痒いところにリンクするステージ。
僕もできるだけステージに立っていたいと、
人のライブを見ながら思うのです。
   

ユウジウ 2007/06/09
その男は、
「つまらない」
と思うものに、
「おもしくない」
と言う。
「ろ」が抜けた男。


音楽の話を熱く語る彼、
「それはね、おもしくないんだよ」
真剣な話でも、
僕にはおもしろい。


その男はユウジロウという。
いっそのこと自分の名前もユウジウにしてしまえと思う。
でも、この男はきっと、
「それは、おもしくない」
と言うだろう。


そんな事を思い出していると、
帰りの電車でほくそ笑いが抑えられない。
最近、僕も思い出し笑いが抑えられない年頃の男になった。
笑いを禁じ得ない、
笑いを禁ずる事を失う。
これは失禁と言っちゃ駄目なのか?
と思い、辞書で調べたら、
『大・小便が、自分の意志にかかわらず、排泄されること』
と書かれていた。
これは間違った使い方。


じゃあ、
笑えない、
笑いを失う、
おもしくないことを、
失笑と言っていいのかと調べれば、
「思わず笑い出してしまうこと。おかしさのあまり噴き出すこと」
と書いてある。
そこが変だよ日本語。
日本人になるのも難しいもんだねぇ。


僕の住む街まで帰って来ると、
近所のコインランドリーが改装されていた。
小さなスナックに囲まれた20mくらいの通りの中に建っている。
『アオゾラ』
という名前らしい。
僕は早速、雨中の『アオゾラ』を見る事になった。


何もかも、思い通りにいったら、
おもしくない。
おもしくないから、
今日も変わった出来事を起こしてみようと思える。


追伸:
北京の頃の同窓生から掲示板に書き込みがあって嬉しかった。
一体誰かはまだ判明つかないけど、
僕が僕を説明するより端的にあの頃の僕を言い得ていて妙。


今月の31rpmはスペシャルダイジェスト版です。
楽しみにしていて下さい。
   

萌える紅蓮の占い師 2007/06/08
人の足がひっきりなしに行き交う、
金曜の夜、そして街角。
その真っ暗になった大きな銀行の前に、
小さな机を出して、小さな灯りをともし、
やけに明るい赤のスーツを着たおばあさんが座っている。
その灯りには、
『手相・人相見』と書かれていた。


手相・人相・星・占い・どこそこの母。
街を歩くと、よく見かける仕事だけど、
今、季節は何と言っても暖かくなって、
占い師の先生方は幾分穏やかな表情で街角に座っておられる。
だから、冬の間より断然良い将来を占ってもらえそうな気がするのは、
僕だけの感慨だろうか。
とか何とか言いながら占って欲しいとはちっとも思わないんだけどね。


さて、そのド派手な赤のスーツを着た、
手相・人相見のおばあさん。
客を見ようなんて気がなさそう。
おばあさんは人通りをよそに、
ずっと携帯電話で誰かと話をしている。


「そう。で、アンタどうするの?」
『…………』
「へぇ〜、会ったんだ」
『…………』
「アタシはいいわよぉ〜、行かないわよ〜」
『…………』
「アタシ、あの人と会って話しても、全然あの人の事はわからないもの〜」


随分大きな声で話しているんだけど、
その会話、商売上の問題があるんじゃないか?
『人相見』
と思いっきり書いてあるんだけど…。
う…ん、
ま、いっか。


「や〜よ〜、あの人の事は本当にわからないのよ〜」


う…ん?
ま、いっか。
人間らしいと言った方がいいのかな。
占い師はこうじゃなくちゃな。
ラーメン屋の店主が厨房の奥で、
カップラーメンをすすっているのを目撃した時くらいの違和感だな。
う…ん。


「アタシは、あんたの判断に任せるわよ〜」


う…ん、
ま、いっか。
   

部屋の激戦区 2007/06/07
兎に角、部屋が適度な散らかりを維持していて気分が晴れない。
僕はメモ用紙や雑誌を積み上げる癖があって、
机の上にこんもりしたメモ用紙の山は、
結局大切なもののようでそうでもない。
古い地層にあるメモなんて、結局読まずに段ボール行きになる事がしばしば。
で、段ボールに入れて押し入れに入ってしまえば、
人目どころか、自分の目にさへ二度と触れる事はない。
捨てないところが如何にも僕らしいところで、
嫌い。
思いついた歌詞の殴り書きや文章の断片は、
何となく、今後の参考になるんじゃないかと保管する癖ができてしまっている。
けど、そんなもの今まで読み返した事がない。
そんな自分を許してあげたい、
と思えない。


僕の場合、父親から遺伝した、
『目につかなければよし掃除』
をする癖があり、
表に転がっているものを、裏に隠して安心という片付け方をする。
だから、
或る日、或る棚に、何故ここにあるのか判らないものを見つけたりする。
特にこういった片付け方を、来客がある時にする為、
僕の部屋に訪れた人は、
「結構きれいにしてるじゃん」
と言ってくれるんだけど、
僕の押し入れの中は、簡易的に放り込まれたものがこんもりとしているから、
とてもとても見せられない激戦区。


つまり、
僕は「片付けれない男」ではなくて、
「適度に片付ける男」である。
いつも中途半端な部屋の散らかり具合を維持している男なのだ。
質が悪いと言えば、これほど質の悪い片付けはない。


今日も堪り兼ねて、少し片付けをしてみたけど、
如何せん、余分なものが多い。
目に見えているものは、今のうちに捨てておかないと、
あっちこっちの棚に収納してしまったら、
折角ひとまとめになっている不要物が分散してしまう。
捨てる事から始めなくちゃな、
面倒臭いな、
でも、片付けなくちゃな、
捨てることから始めよっと、
よしっ!
やるぞ!
おっし!
明日やろ。


と、今日という平和を保ってしまった、
事なかれ主義の僕。
誰しも自分が可愛いやん。
そんな自分を許してやろう、
と、明日は思わないようにしよ。
   

Psychological condition 2007/06/06
昨夜、疲れ切った体を布団に横たえ、
考えていた。


早稲田の斉藤祐樹君にしても、ゴルフの石川遼君にしても、
ハンカチ王子だのハニカミ王子だの、
一体、この王子性のニーズは何だろうと。
一時前は、微笑みの貴公子ペ・ヨンジュンシ、或は氷川きよしが、
その王子性を担っていた。
彼等は、多くの女性が生活の中で満たされていない欲求を見事に埋めた訳だ。


これと対称に思い浮かぶのがメイドカフェなど、
男性が求める少女性、或はお姫様性だ。
男性も女性も、清純性を求めている。
チェリー性を求め、バージン性を求めていると言っていいんじゃないかと思う。
勿論、全部がそうとは思わないし、僕も例外の部類に入る人間なんだけど、
現代の性文化を象徴する事柄な気がする。
何故だろう?


ひとつには、現代の性の表現が多岐に渡ってあからさまになった事が原因かなと思う。
何々フェチが確立され、セックスを早く体験する事が格好いいとされてしまい、
日本人として、
想いを秘し、恥じらい、じれながら恋に傷付き喜んできた部分が、
その簡易的な体験によって潰されてしまう。
それに対するストレスや悲鳴が、
王子であり貴公子でありメイドなんじゃないかと思う。


矢張り情報が早すぎる。
知らなくていい事まで目に入れ、耳に入れてしまう。
昔のアイドルは、
「トイレには入りません」
と言ったけれど、
今のアイドルは、
「昔の彼氏が〜」
と言う。
どっちが良いとは思わないけど、
今のアイドル方式でいくと、見る側の憧れは萎える。
飽きちゃうと言うのかなぁ、
受け取り側の想像力が明らかに潰れてしまう。


「当たり前の事を隠す方が変じゃない?」
という考え方はいかにも老けている。
現代の性文化や考え方に積もり積もったストレスが、
メイドを作り、またチェリー性の高いハンカチ王子を作り、ハニカミ王子を作った。
その事を自覚して、
自分が目の前にしている異性(恋人、旦那、妻)に対して接するべきかなと思う。
僕も何となく色んな経験を通して、知らなくていい事も知ってきたが、
ある程度、情報が抑えられ、日本人がウブである事を願っている。


何て言いながら、僕はよく自分のトイレの話をする。
まぁ、僕の場合、王子なんて年頃じゃないんだけど、
しわくちゃになっても恥じらいがある、
可愛いジジイになりたいなぁと思うよ。


なんて考えて眠ったら、
久しぶりに夢を見た。
ロナウジーニョやクリスティアーノ・ロナウドやアンリ等、
そうそうたるサッカー選手と共に予防接種を受ける夢。


その予防接種は、脇腹の敏感な部位にバシッと打ち込まれる、
痛そうな注射で、
アンリなんかはやけに落ち込んでいるし、
ロナウジーニョはこれから注射を打つクリスティアーノ・ロナウドをちゃかしている。
クリスティアーノ・ロナウドは注射を打たれると、
「いって〜、めっちゃいて〜」
とのたうち回っていた。


僕の順番が来たので服を脱ごうとすると、
さっきまで落ち込んでいたアンリが、
「ハチや、クマンバチ!」
と叫んだ。
見ると、確かに大きなクマンバチが一匹、わかりやすい存在感で、
まっすぐ僕の方に向かってくる。
僕は服の裾に両腕を掛けて脱ごうとしている状態だったので、
脇腹があらわになっている上に、両手が拘束されてしまっている。
僕は身をクネクネ翻しながら、絡んでくるクマンバチを必死でかわし、
「ちょ、ちょ、払ってや、お前等、払えよ」
と他の三人に頼むんだけど、みんな足がすくんで眺めている。
するとクマンバチは僕の死角を突いて、背中(服の上)に噛み付いた。
僕は、
「ひゃー、さされるぅ」
と叫んで、一生懸命手で払っていると、
クマンバチは服に噛み付いたまま死んでしまう。
死んでも深く喰らい付いたクマンバチの頭が拳大で、
僕はそうそうたるサッカー選手と共に驚くという夢。


格段、変な夢じゃないんだけど、
妙に印象に残ってしまった。
何かの啓示だとしたら、
どうしよう。
   

それはそれはの出来事 2007/06/05
BogalooのLIVE、来てくれた人、来れなかった人も有り難う。
代々木は予備校の街。
出番前にわんさかやかましい学生達に囲まれながら、
ドリンクバーで珈琲を5杯飲みました。
それは1時間で飲み干した出来事です。
それは僕にとって珍しい出来事です。
それはあまりにうるさいから起きた出来事かもしれません。
否、
それは確かに飛び抜けてうるさかったけど、
あまり気にしてなかったかな。


それは正直な想いを伝えたかったからです。
それは正直な想いを唄い、話したかったからです。
それは珈琲5杯を消費して、
じりじりその扉を開けました。
本日は“ワ関内”駄洒落はありません。


みなさんの心に届いているといいなと思います。


さて、
何気に今夜、この慕夜記も200連夜記念です。
それは、
「100連夜も続けば自分の根気を見直すなぁ」
と思っていた出来事でした。
それはあっさりと200日分の文字になりました。
それは、
「やれば続くもんだな」
と思う出来事でした。


それは正直な想いを伝えたかったからです。
それは正直な想いを綴り、話したかったからです。
それは200回の夜を消費して、
じりじりその扉を開けました。
本日からもじりじり続いて行きます。


毎日楽しみにしてくれる人、一回も読んだ事ない人も有り難う。


追伸:
そう言えば今日、LOVE ATTACK EVE君のMCに出てきた、
『ストッパー ブスジマ』
という言葉の響きにしばらく笑いが収まりませんでした。
何気なく「ブスジマ」と言われると可笑しくて仕方ないもんですね。
気になったので、帰宅後調べてみたら、
ハロルド作石の漫画だったですね。
道理で僕のツボをつくネーミングだと思いました。
僕はハロルド作石の、
『ゴリラーマン』
というコミックをバイブルとした時期があります。
古本屋で全巻集めて、一年間愛読し、同じ古本屋に全巻売りました。
割といい金になりました。
くらい好きでした。
漫画を読んで、腹をよじらせ笑った出来事は、
『ゴリラーマン』だけです。
このタイトルだけでツボに入る『ブスジマ』、
久しぶりに古本屋に行きたくさせます。
   

夢はいつもてっぺんから始まる 2007/06/04
何か夢を持った時、
人は山の頂上にいる。
夢は山の頂上から下って行く事で始まる。
夢を叶える事は、山を下り切って目的の出口に辿り着くようなもんだろう。


最初に夢を見た時、
人は山の頂上にいるからスカッと見通しよく行き先を見ている。
それは夢を持った時点で頭に筋書きだって見た自分自身のイメージ。


僕がクラシックギターを弾きたいと思った時、
僕が唄を唄いたいと思った時、


その時、僕は遥か先の自分がなりたいものを山の頂上から見ていた。
あの者になる為、僕は山を下りようと思い、
生い茂る木々の中に身を投じた訳だ。


ひとたび下山道の木々の中に入って戦いが始まれば、
目に入るものは、立ちはだかる根や岩や空を隠す葉ばかりになる。
下山道のどこにも見晴らしのいい場所なんてないから、
その悪戦苦闘にまみれ、
その汗や涙にまみれているうちに、
一切、自分の行き先を確かめる事はできなくなってしまう。


それでも日々は、次から次へと課題を僕に示し、
キムジナーが「こっちだ、あっちだ」と嘘の道案内をして、
僕を騙そうとする。
そして何度か道を踏み外し、
転んで、怪我をしたりもする。


そんな深い夢の下山道にあって、一番確かな地図は、
夢を持った直後に山の頂上から見た、あの時の見晴らしのいい景色だ。
あの時、一番てっぺんから見下ろした、遥か先のゴールまでのイメージが、
強烈であれば、強烈なほど、
森に入っても迷わなくなる。
そのイメージは道標になる。


あの頃持った夢の形がいくつになっても正解である気がするのはそのせいだ。
あの頃持った夢の形が一番シンプルにゴールまでの道筋を見ていたのは確かだ。


もう僕は、山を下り始めて随分の年月を費やしてきた。
行けども行けども、深い密林に囲まれながら、
いつも頭にあの頃のイメージを失わない。
あの時見た道筋を信じて、頭に何度も浮かべながら、
僕は山を下る事に専念するんだ。
   

真面目に笑われる 2007/06/03
悲喜こもごも、
そして人生は面白い。
悲喜こもごも、
何かに喜ぶ人は、悲しみを裏腹に抱えているから面白い。
悲喜こもごも、
何かに悲しむ人は、喜びを求めているから面白い。


結局、僕はどんな時でも笑われる人で、
結局、みんなもあらゆる時に笑われる存在である。
喜劇は悲劇を餌として、
悲劇は喜劇の糧となるべきだと思ってみたりする。
まさに自分がそうしなくちゃ、
新しい朝へページがめくれないものかとも思う。


僕が悲しいと思っている時の顔は、
最高のギャグだと思う。
「コイツ悲しんでやがるぜ」
と笑われれば、腹も立つけど、
こんな時でさへ人を笑わせる事ができれば、
僕の生命力には何にも問題がない。
喜んでいる時も然り、
笑われてこそ人の中に生きれる自分かなと思う。


悲しむ人は、一緒に悲しんでくれる人に自分の存在を確認しようとするけど、
悲しむ自分をすっかり笑いの種にしてくれる事の方がよっぽど心強いのかもしれない。
そこには確かな自分の存在価値はある。


自分の悲劇はいつも面白い話にしたい。
僕は最近そう思う。
自分の悲劇は滑稽な話にしていたい。
僕は最近そう思う。
僕が行く先々で失敗し、傷付き、落ち込む事は、
何も同情するような話じゃなくて、
僕から見ても、一等笑える可笑しな出来事なんだ。


僕は自分を笑ってもらえて、
人の中にいれたなぁと思える。
僕のどうしようもなく弱っちい部分を、
ギャースカ笑ってもらえた方が、
今生きている自分が見える。


大真面目に喜怒哀楽して、
人ごとのように笑ってもらう、これしかないな。
矢っ張り、人生は奥深くシリアスな人情劇で終わるより、
喜劇でさっぱり笑えた方がいいのかな、
そんな風に、思うわけ。
   

眠り続け姫 2007/06/02
何をしていても、何を考えていても、
結末は居眠りだった。


二日間、まともに眠らなかったら、
そのしわ寄せが今日に溜まって出た。


朝飯を食べ終えて、
一息ついている間に気付かず眠っていた。
目が覚めて、ほろろ、
ギターを弾き出したけど、三曲やらないうちにギターを抱えて居眠りをした。
もう一度、目を覚まし、
天気がいいから洗濯をしたけど、
待っている間に眠って、
結局、日が暮れるまで目が覚めず、
太陽の下に洗濯物を干す事はできなかった。
その後も、
洗濯物を干したり、ご飯を炊いてみたり、人から電話をもらったり、
色々するたびに、
結局眠って、朝を迎えてしまった。


パソコンは慕夜記を書き込もうとしたままスリープ状態になっている。
目覚ましはスヌーズ状態、
金魚達は餌プリーズ状態。
僕が背負っているささやかな責任が、
僕におはようの挨拶をしている。
洗濯物を外に干し直し、
部屋を右往左往して、
僕は長い居眠りからやっと覚めた。


朝からニュースを飾るのは自殺や腐敗だらけ、
抱えた罪から逃げるように自殺した人をサムライとは言えなくて、
感覚のズレを感じる。
信用されない事、保身的な事、お金を集める事、不平等な事、癒着する事、
これらを総合した職業は何ですか?と聞いたら、
政治家と誰もが答えそう。
こんな事で、国が成り立っていくんだから、
皮肉なものだと思う。
   

エロイ風味 2007/06/01
夜になり、
「冷えるなぁ〜」
と夕食から戻る帰り道、背中を丸めて自宅前まで来ると、
やけに姿勢の良いオバサンが自転車に乗って颯爽と通り過ぎて行きました。
白いブラウスがまた凛々しくて、
そのまっすぐ前を見据えている笑顔に、
オバサンの少女時代を見た気がします。
僕は家の玄関に入るまでのほんの30歩だけ、
姿勢を正してみたのです。
街に蚊帳を掛けたようなおぼろ月夜、
6月に入りましたね。


今日食べたタイ風チキン、
口に運ぶとナンプラーの風味が舌に絡んで、
とっても美味しんです。
と、同時に僕はひとつの感慨を持つのです。
「この味はエロイなぁ」
と。


前からナンプラーの入った料理を食べるたびに、
いつも淫靡な想いが沸き起こっていました。
それは「不思議な違和感」としか感じていなかったのですが、
今日、僕の頭の中に「エロイ風味」として具体化されました。


ベトナム料理のフォーは好きな料理のひとつです。
あのレモンの爽やかな酸味の中にしっとり隠れているエロイ風味、
食べるたび、病み付きにさせ、妙な気分になり、
無心に箸と首の上げ下げを繰り返させる風味、
それは全てナンプラーの仕業だったのです。
あの違和感の正体をやっと見つけた僕は、
より一層ナンプラーにご執心です。


世界に数ある調味料、食材の中で、
これほど色気のあるものはないと思います。
誰かに、
「この世で最もエロイ味は?」
と聞いて、
「それは何と言ってもナンプラーです」
と答えられようものなら、
その人は桃色グルメと賞賛するべきです。
僕は桃色グルメと賞賛されるに値する人物かもしれません。


どうかみなさん、
今後、どこぞの料理でナンプラーに遭遇したら、
そのエロさを充分に舌先で楽しんで下さい。


どうかみなさん、
今後、どこぞの料理を食べてエロイ気分に浸ったら、
そこには必ずナンプラーがいるって事を忘れないで下さい。


なまめかしくくすぶる夜だ、
おぼろ月夜に吠える。
フォーッ!
あのかすんだ雲に見えていたのは、
満月だったに違いない。
   

この街を出る 2007/05/31
雨脚はビッタビタ、
どう歩いてもビッタビタ、
靴下まで届いた梅雨の便り、
いよいよだね。


今日はごく近所の音楽仲間の夫妻宅へ、
となりの晩ご飯、的夕食。
ご夫妻は僕と同い年。
この梅雨が深まる頃に、この街から出て行くんだって。


ご夫妻の宅には初めてお邪魔したんだけれど、
こんな近所に、こんな温かい夕げが営まれていたなんて、
灯台下暗し。
その灯台の下には、確かな愛がある。
何て羨ましい現象だろう。
そんな温かさも、もうすぐこの街から去っていく。


僕はそれほど住む土地に執着を感じてこなかったけれど、
こんな日は、どことなく寂しい。


奥様の手料理に、舌鼓をポカスカ打った。
矢張り料理は愛情があって、愛情の工夫があって、
絶品になる。
久々の手料理に感慨ひとしおの山口であった。


ところで雨脚は、絶えて朝に近付いている。
生っ白い肢体を晒して、朝がくる。
白熱の議論と、どうでもいいような張り合いで、
また今日を終えようとする。


今夜このご夫妻に近づけたのは、
僕の人生観に、優しい出来事で、
記憶と夢の境目の出来事だ。
また洗濯物を洗うタイミングを逃したみたい。
   

第五、六次パソコン騒動 2007/05/30
昨日の朝、家に戻って慕夜記を書こうとすと、
家のパソコン(mac)がアップデートして下さいとせがんでくるので、
可愛いパソコン(mac)の為、セキュリティーを最新にしてあげました。
するとパソコン(mac)は食あたりを起こし、起動しなくなってしまいました。


セキュリティーを万全にしたら調子が悪くなるって、
家の玄関のオートロックを厳しくしすぎて、自分も入れなくなるみたいな気分です。
もしくは、帰宅途中でもの凄く尿意をもよおして、急ぎ足で自宅まで来たけど、
玄関の鍵の暗証番号を押している間に漏らしてしまう、というような気分でしょうか。
或いは、固い甲羅が重すぎて動けなくなった亀、といった気分でしょうか、
どっちにしてもやるせないんです。


ライブで疲れているし早く眠りたいのに、
明け方、その治療に追われ、必死に格闘していました。
結局、パソコン(mac)は回復せず、
古い方のパソコンで慕夜記を書き上げ眠りました。


今日になっても結局パソコン(mac)が復活することはありませんでした。
31rpmでお世話になっているd-dealer.netの後藤さんやレコーディングエンジニアのポリスさんに、電話を掛けまくり、大手術の方法を伝授してもらい、パソコン(mac)から最新のものを排除してみたら、
気持ちよく動き出しました。


目まぐるしく文明が入れ替わり立ち替わる昨今、
畳と女房とパソコン(mac)は、古い方が良さそうです。


人間も同様で、
どうしても体や体質が古ぼけていく中で、
いかにも最新の衣服や美容で防衛しようとも、
それは自分が自分を閉め出してしまう結果になるんではないかと思います。
年齢不相応にシワのない鉄仮面のような顔を見るよりも、
生きてきた歴史を物語るシワにほころぶ笑顔がステキです。
アンチエイジングって、結局は防衛でしかないので、
防衛に窮々とした人を見ると堅苦しく感じます。
もっと攻めて、
シワなんか気にしないで、
笑ったり、泣いたり、怒ったりしていれば、
結局、若さを保つ張り合いになるんじゃないかと考えたりします。
自由でありたいね。
なんちて。


パソコン騒動でした。

   

越冬つばめのMC 2007/05/29
「関内だけにワカンナイ…」


ヒュールリー、ヒュールリーララー♪


久々に客席が冷え込む音を聞きました。
聞き分けのないMCです〜♪
申し訳ない。


てな事で、今日は横浜方面にライブしに行ったんです。
行きは電車で横浜に向かったんですが、
今日は早目に家を出て、ゆとりのある車窓を優雅に眺めていました。


途中、生麦駅を発見して一人で興奮しました。
ここで生麦事件が起こったのかぁ〜。
江戸城からの距離や進路を考えると、
なるほどここが当時の東海道なんだろうなぁと、
ごく当ったり前の感慨を持ちました。


今でこそ、横浜含め日本は国際色に富んできていますが、
その昔はここで薩摩・島津久光の行列を横切ったイギリス人が、
無礼討ちされた訳です。
時代が移り、僕等はより幅広い友誼と判断を持つことになったんですね。
僕等はいっくら日本国内で生活をまっとうしようとも、
矢張り、多種多様な考えと文化をふまえて、
世界の中の日本を考えなくちゃいけないのかなと思います。
司馬遼太郎はそのコツを『真心』と言っておったよ。
確かに、確かに。


ライブが終わって、帰り道は事務所社長の車に乗って。
本日のライブの音源を聴きながら帰りました。
一曲目の『再見』から、細かい反省点はあるものの、
やりたい事の可能性を引き出した、いい唄が唄えていたと思います。
しかし、曲が進み、問題のMCのところに達し、
「関内だけにワカンナイ…ですか?」


ヒュールリー、ヒュールリーララー♪


久々に自分の血の気が引いて冷え込む音を聞きました。
古いシャレですが、MCです〜♪


社長が重い口を開け、一言、
「罰金だな、こりゃ」


ヒュールリーヒュルリーララー♪
忘れてしまえと啼いてます〜♪
   

そばにいるよ 2007/05/28
ともすると、自分の身体がかりそめの物のように、
右へ吹く風、左に吹く風に流されているように感じる。


僕は人一倍、寂しがり屋だし、
人一倍、一人が好きな人間でもあるから、
同じ性癖に心を揺らしている人には言いたい、
君が羽を広げて朝陽に旅立つまで、
僕はずっとそばにいるよ。


あたかも、自分のいるところが暗くジメジメした世の中に見え、
どこをほっつき歩いても気が晴れない時がある。


僕は人一倍、おしゃべりだし、
人一倍、無口が好きな人間でもあるから、
同じ性癖に心を揺らしている人には言いたい、
君が大好きな風景の話を終えるまで、
僕はずっとそばにいるよ。


何も格好つけれるような事はなくて、
ただ、僕の本心は、
いつも君のそばにいたいという事なんだよ。
それは、
君と同じで、僕も寂しがり屋だから。
それは、
君と同じで、僕も一人が好きだから。
それは、
君と同じで、僕もおしゃべりだから。
それは、
君と同じで、僕も無口でいるのが好きだから。


っていう事は、
君がどこにいようとも、
僕等は同じ場所に根ざしているって事なんだよ。


君が寂しい時、
僕はそばにいるよ。
君が一人でいる時、
僕はそばにいるよ。
君がおしゃべりになる時、
僕はそばにいるよ。
君が押し黙って考え込んでいる時、
必ず、僕はそばにいるよ。
   

思い出を裁く陪審員 2007/05/27
今日も暑い日だったみたいです。
ニュースで僕の住む街が取り上げられていました。
今日は暑かったみたいですが、
僕はさほど暑く感じませんでした。
曇天と言っていい天気だったのですが、
一体、どこらへんで30度を越したんでしょう。


気になったのは、
来るべき裁判員制度に向けて、
裁判所がキャンペーンを行うというニュースでした。
何でも拘置所の食事を体験できるそうです。
さぁ、それはどう裁判員制度に影響するでしょうか。
美味しかったら、容赦ない刑を求め、
まずかったら、優しい刑を求めるという事でしょうか、
何にしても、面白そうなキャンペーンです。


最近、誰かに、
「そう言えば、あなたの故郷で大きな事件がありましたね?」
と聞き、
「あぁ、オショクジケンか?」
と答えられました。
僕の頭の中には、真っ先に『大きなお食事券』が浮かびました。
自分が自分にダジャレハラスメントです。
きっとトミーズの漫才の影響でしょう。


だけど、裁判員制度が始まったら、
本当の汚職事件も、裁判員に選ばれた人が判断するのでしょうか?
政治家の先生方が悪い事を出来なくなる世の中になりそうですね。
意義のある制度ですね。
それに、どうしても僕は三谷幸喜の、
『12人の優しい日本人』
という映画が頭に浮かんで仕方がないんですね。
陪審員になる心得を楽しめますよ。
みなさんも陪審員に選ばれる前に、是非観てはいかがでしょうか。


最近、懐かしい人と巡り会う事が増えています。
どういった守護霊様のお導きでしょうか、
ここ一ヶ月で、北京に留学していた頃の後輩二人と再会しました。
北京で同じ屋台の飯を喰っていた仲間だから、
もっとつながりが深いのかと思いきや、
意外と疎遠だったりするので、
嬉しい事です。


今日は僕が北京で在籍していた留学生野球チーム『第三野球部』の後輩と会いました。
あの頃の野球の話をするのは楽しいです。
彼はショートを守っていて、僕はピッチャーだったので、
守備位置からすると一番近い所でプレーしていた人間だったんです。
ランナーを背負い込んだ時、
よく彼が前進守備をして、僕のセットアップで投げる真横辺りで守ってくれたんです。
そんな時に、よく彼の横っ飛びに助けられたもんです。
絶対安心のショートストップでしたね。
セカンド牽制では、彼のサインから僕はノールックでセカンド牽制をして、
走り気にはやるランナーをさした事も多々ありました。


ただ、彼が、
「晶君はランナーを背負った時とても自信なさそうだったから、僕が声を掛けにいかなきゃいけないんだと思ってたんだ」
と言ったので、それは驚きました。
自信ない事はなくて、
ただセットアップで投げるのが面倒臭いなぁと思っていたんです。
素晴らしい後輩の愛情に、僕は別の事を考えていたんですね、ゴメンよ。


てな、事で僕等は久し振りの再会を中華料理で祝し、
一日は暮れました。


暑いと言われた一日は、暮れてしまえば半袖の僕を凍えさせます。
帰り道、夜空を見上げながら低いなぁと思ったんです。
僕の第三野球部引退試合、
本大会で優勝か準優勝した後のグランドで胴上げをしてもらいました。
滅茶苦茶怖かったんだけど、
チームへの愛情が目蓋に熱くてたまりませんでした。
あの暑い空は、とても高かったんだけどなぁ…、
と思い出していました。

   

ウィークデイから逃れたら 2007/05/26
今日はとのうちさぶろう君のレコ発ワンマンのゲストに出て来ました。
何しろCDを作って出すまでのプロセスは多難だから、
そこを越して出て来たものには矢張り敬意を持ちます。
何となくでは出来ないものだし、
精魂使い果たして出てくるものだから、
そのプロセスを越したCD は素晴らしいなぁと思います。


それにしても、CDの時代が通り過ぎ配信の時代に突入した昨今で、
みんな『レコ発』と言っている感じがいいですね。
そのうちレコ発の語源を聞いて、ピンと来ない世代ができるのでしょう。
僕等は次世代に、なるべくそういった謎めいた遺物を残すべきかもしれません。
願わくば、いついつまでも、
『レコ発』という言葉に緊張をみなぎらせるミュージシャンがいますように。


ライブが終わってから、とのうち君に振る舞われたビールで僕はフォーリンダウンです。
a drunk、
普段、僕は焼酎しか呑まないので、呑みなれないビールを呑んだら空腹も手伝って、
dead drunk、打ち止め感満載でした。


帰りの電車に揺られていると、
「ろ〜して、ここはひえじゃらいの?(どうしてここは家じゃないの?)」
と嬉しそうに酔っ払っている女の子を見ました。
左右に男二人が付き添っているんですが、
どうもこうした酔っ払いに慣れていないメンズらしく、
あたふたするばかりです。


彼女はメンズから何かなだめられる度に、
「ひぇっ、ひえっ」
と意味の不明な相槌を打っていたので、
さすがの僕も笑えて仕方がなかったです。


ふと見ると、彼女は電車内にしゃがみ込んでいて、
目立ち過ぎる赤いパンツが丸見えだったので、
それはそれで、笑えるっていうか、
「色気ないもんだなぁ」
と思いました。
見えちゃったもんは仕方ないけど、
そんな無防備なパンツは見たくなかったなぁ、
と思いました。


どうしてもウィークエンドには楽しみが詰まっていて、
結構な事だと思います。
それにしても渋谷、
いかにも人が多過ぎて、思う方向に思い通り進めないストレスがあります。
日本はもっと、人によって休日を替えるべきですね。
休み下手な日本人って言われますけど、
こんな状態じゃ仕方ない。
週末のバラエティーを増やす、
これは僕もずっと課題にしているんです。
   

ドSとフェミニズムへの寸法 2007/05/25
僕は巷じゃドMなんつって言われてますけどね、
今はSになりなんと、意識改革をしている訳さ。
自分改革だね。
イメージするととっても簡単な気がする、
ドSへの寸法は意外に短い。


相手があっての事だけど、
そこは、僕のイメージする生活を受け入れてくれる相手がいると仮定して話そうか。


まず、僕がもし結婚などなされば、
いっくら遅い帰宅になっても、平ッチャラでインターホンを鳴らします。
それは懐にある鍵を出して、こっそりドアを開ける作業がドSの仕事ではないし、
大仰に帰宅して存在感をアピールしなくちゃいけないから。
『ピーンポーン、ピポーン、ピポ、ピポーン』
家人が起きるまで僕は鳴らし続けます。
例え朝まで家人が僕の帰宅に気が付かなくとも、
決して自らの鍵で自宅のドアは開けません。


家人が仕方なく玄関までお越しになったら、
僕はやっと帰宅します。
けど、
「ごめんねぇ〜、遅くなっちったぁ〜」
なんてM気は出しません。
ピシッと右足を上げ、
「おぅっ!」
と言い、右足の靴を脱がしてもらいます。
続いて左足も、
「ほいっ!」
の一言で脱がしてもらいます。
(これは、矢張り靴を脱ぐ作業は、ドSはなさらないだろうと推測するからです)
首尾よく靴を脱がしてもらったなら、
僕はいよいよ自宅に上がり込みます。


「ご飯になさいますか?それともお風呂になさいますか?」
奥さんに言ってもらいます。
これはドSにとって欠かせない言葉だそうだからです。
僕は迷わず風呂に入る事を選択します。
じゃないと温かい飯を喰らう事になるからです。
奥さんが主人の帰宅を見計らい、ちょうど温めておいた食事を喰らうのは、
矢張りドS憲章に反します。
僕は道標を残すように、一着ずつ風呂場まで衣服を落として行きます。
風呂に辿り着いたら、まず指先で湯温を測ります。
もし熱かったり、ぬるかったりしようもんなら、
僕は烈火の如く怒ります。
「お風呂の温度は42℃だって言ったでしょう〜!」
と、ドSらしく聞き分けを悪くします。
「すみません!お風呂先に頂きましたので、湯温が多少下がってしまったかもしれません!」
なんて正当な理由をのたまわれようもんなら、僕の怒りは更におさまりません。
「僕が一番風呂だって、言ったでしょう〜!」
とジタバタします。
これこそドSへの正しい道順です、
風呂から上がって、机の上に、
『チンして温めて食べて下さい』
のような置き手紙がしてあったら、
僕はドSとして怒ります。
「一緒に晩御飯は食べようって、言ったでしょう〜!」
と赤信号を灯します。


こんな事を羅列してみると、
ドSへの寸法は意外に短い気もしますが、
きっと上手くはいかないでしょう。
「おめぇは、何様であられますか?」
と反撃を喰ったら、僕は女性に太刀打ちできません。
ひたすらに謝ってしまう事でしょう。


僕の男の子としての威厳はそうした中で培われるでしょう。


こんな僕でもドSを目指して男生きする時期がきっと来るでしょう。
あぁ、早く実践してみたい。
ドMの女性、大募集です。
   

深麓 2007/05/24
どこまでも続く山の尾根は、
静かに波立つ海のようで、
僕をただちに落ち着かせる。
どこに行くべきか、
眺めれば眺めるほど、
答えの見えない峰が、
十重二十重に押し黙っている。
山々がぶつかり合い、
そのかすかな音が、
霧掛かった空に鳴る。


真っ暗なステージに一本のライトが降りた時、
僕はその山を見ている。
用意した曲の数が、
遠くライトの向こうにかすんで見える。
この時間、どうやって登っていくべきか、
唄えば唄うほど、
気が遠くなって見えなくなる。
喉を振り絞って、
汗がほとばしってマイクとぶつかり合い、
そのかすかな音が、
ドラマに鳴る。


ステージも終盤を迎えると、
喉は完全に開いて、声帯が絞れなくなってくる。
音程が上がらなくなる、その時、
僕は山を登るか、降りるかの選択を迫られる。
頂上を目の前にしても、そんな選択を迫られる時がある。
どうしても喉に力が入らなくなってしまい、
スカスカの唄声になった時、
僕が最も活きる時を迎える。
更に強く、更に大きく、もっと押して、
最後の上り坂を行く。
それまで歩いて登って疲れているところを、
走って登るような真似をしたくなる。


『びーん』
と耳に音が抜けると、
僕は頂上に辿り着いていたりする。
頂上に着いた時、
僕は「やったー」とは思わない。
いつも「ほっ」とする。
達成感よりも、安堵感が押し寄せる。
それは、いつもここに来なきゃいけないと、
夢に見ているからなんだろう。
また次も、また次も、
峰の続く限り、
僕は頂上に辿り着かなくちゃいけない。

   

絶対的理屈 2007/05/23
今朝、起きると二日酔いがとってもひどくて、
起きても、尚、酔っ払いのままでした。


気になって、起き抜けにパソコンの電源を入れ、
昨夜の慕夜記を読み返すと…、
「わぉ…」
アメージングにもほどがある文章でした。


誤字、脱字もひどいは、
言った事もない「I love you」とか書いているし、
読み返した瞬間、
カーッと顔が熱くなり、二日酔いを増長する羽目になりました。
慌てて『閉じる』ボタンをクリックして、
目に入らないようにしました。


という事で、昨夜の文章はそのままにする事に決めました。
普段は、読み返して誤字、脱字の類いは修正するのですが、
とてもとても読み返す勇気がないのです。
まぁ、連夜の書き物ですから、
どうしても生活と直結してしまいます。
だから酔っ払ったら、酔っ払っただけの文章になるもんです。
いいんじゃないですか、山口君。
捨て鉢にそう思います。
書いた内容を覚えてない事はないんですが、
予想以上に、すっ飛んでいるのが…、
…いいんじゃないですか!山口君!


まぁ、人の心理には思いもよらないイメージが隠されているもので、
常に両極の想いに板挟みになって、物事を判断しているのだと思います。
『右だ』と思った事には、『左であってもおかしくない』という想いがつきまとい、
判断を鈍らせる事があります。
そんな時に、人が拠り所にするのが『絶対』という言葉だと思います。
実際の物事には『絶対』という事はないと思うんですね。
嫌いな食べ物でも決して『絶対』ではないような気がします。
ただ人は『絶対』という言葉を付けたがるんですね。
よっぽど自分の輪郭がはっきりしていないと不安なんだなと思います。
少なくとも、僕が『絶対』という言葉を使う時、
絶対その裏側には不安があるんでしょう。


今日も実はしたたかに酔っています。
最近、お酒が好きですね、やまぐっさん。
明日は絶対呑まないでおこう。
絶対に呑まない。

   

ノスタルジー 2007/05/22
時代が時代になり、この街も様変わりしちまった。
スーパーがなくなり、
スタンドバーがなくなり、
アイツもいなくなり、
見渡すところマンションだらけになったんだ。
そんな頃になって、
俺はこの街を真に愛し始めたんだ。
酔っ払いの立ちションがかぐわしい、
この街にね。


俺は変わらないよ。
いつ会っても馬鹿じゃ。
未だにカレーは甘口に牛乳入れなきゃ駄目さ。
結局、俺は変わらないよ。
いつまでもこの街にいて、
いつも同じものを食べている。
それって寂しい事だって、
味気ないものだって揶揄されても、
俺は変われないでいるんだ。


昔々、まだ携帯電話がなかった頃、
俺達はあらゆる危険に身を投じて好きな子に電話したもんだ。
あの緊張感って、成長の上でどうしても必要な時間だったんだな。
俺達が物事の裏や表を知ったあの時間、
今は何に変わっちまったんだろう。


お前は人の待ち合わせに、最高何時間待ってられるんだい?
一時間も待ってられたら、お前は根気のある方だよ。
昔々、まだ携帯電話がなかった頃、
いつ来るとも知れない友達を二時間も待ってたっけ。
あの時間って、成長する上でどうしても必要な時間だったんだけどな。
一体、今は何をする為の時間に変わってしまったんだろう。


たがが外れて無神経そうな俺だけど、
センシティブに涙を流し続ける事だってあるんだよ。
たがが外れて無神経そうな俺にだって、
譲れない道だってあるんだよ。


俺の道は俺が守るんだ。
ノスタルジックな赤いポストに手紙を出そう。
ちょっと高いくらいなら、慣れ親しんだスーパーで買い物をしよう。


どういう訳か今夜は、
ケリをつけなきゃいけない事が山積しているんだ。
俺はこの街が好きなんだ。
俺はこの街に生きていこうと、
また心新たにするんだ。
I love you
どうしようもなくこの街が好きな男に、
俺はポジティヌな考えを持っている。


目蓋fが閉じるほんの一瞬前のノスタルジー、
いつだって僕はイメージしているんだ。
I love you
のノスタルジーをね、

   

Don't think twice,it's all right(思いっ切り意訳バージョン) 2007/05/21
ボブ・ディランという人の『Don't think twice,it's all right』という名曲を、僕とメンデル(出目金)の会話で思いっ切り意訳して、平凡な曲にします。悪くないね。


「Don't think twice,it's all right」


そうさ、メンデル
プカプカ浮いて、過去を振り返らなくたっていいんだよ
どうせ今更、何も変わらないんだから


そうさ、メンデル
プカプカ浮いて、過去を振り返らなくたっていいんだよ
いつ一緒に餌を食べたかなんて、もう覚えてないだろ?


夜が明けて、お前の水槽にカラスのしゃがれ声が響いたなら、
俺がウロウロと部屋を出て行く姿をその水面から覗いてごらん。
お前の為に、今日も俺はあちこっちへ奔走するんだ。
もうくよくよすんな、これでよかったんだ


そうさ、メンデル
部屋の灯りを点けるのは無駄だな
俺達に明るさは縁遠いものだって、あの子は言ってたよ。


そうさ、メンデル
部屋の灯りを点けるのは無駄だな
俺達は夜行性だって、矢っ張りあの子が言ったんだ。


あの子なら俺の心を変えてくれる言葉を持ってるはずだって、
あの子の表情が、俺に何かを気付かせて踏みとどまらせるはずだって、
今でも俺はそんな望みが捨てられないんだ。
でもメンデル、お前はずっと黙ったままで、
どっちにしても相談にならないんだ。
それはくよくよすんなってことか? これでよかったんだよな?


そうか、メンデル
あの子がお前の名前を呼んだことがあったのか
何か似合わないね


そうか、メンデル
あの子がお前の名前を呼んだことがあったのか
結構優しいところがあるじゃん、
俺には全く聞こえなかったなぁ。


いつだったかあの子と旅をして
俺はすっかり恋に落ちて、子供みたいにはしゃいでお前に話した事もあった
心を尽くせば明日が見えると思ってたけど、
あの子は俺を骨抜きにして去ってしまったんだ
もうくよくよすんなってことか、これでよかったんだ。


そうさ、メンデル
長い長い孤独な日々を行こうぜ
行き当たりばったりだから、どうなるかは解らないよ


そうさ、メンデル
「サヨウナラ」は決して悪い言葉じゃないんだ、
二度と会わないなんて、とても信じられないんだけどさ


あの子の冷たい表情を思い出すよ
あの子がもう少し上手く話してくれてたならとも思うんだ。
だけど、お互い様だから、気にしないさ。
貴重な年月を浪費してしまった気がするよ、
だけどくよくよしないんだって、これでよかったんだ。


全部、俺が選択した道、
今、その折り返し地点にいるのさ、
先はまだまだ長くて、気が滅入る、
だからくよくよしない、これに限るな。
   

長い長い、地下鉄の行き先 2007/05/20
地下鉄に長く揺られていると、
退屈です。
暗闇を駆け抜ける轟音に乗っかって、都会にうごめく人ごみの下を走るんですが、
退屈です。
こんな時に限って、かばんに本を入れ忘れて来たんです。
こんな時に限って、何だか音楽を聴く気にもなれないんです。
朝だというのに、この電車の車窓は至って暗闇、
退屈なんです。
次の駅で降りたら、僕の好きなNathan'sに行けるなぁとか、
あそこで降りて、夏先取りのファッションを眺めて行こうかなぁとか、
様々に退屈な地下から抜け出す方法を考えるのですが、
矢張り目的地までは融通の効かない性格なんです、僕は。


入り乱れた都会の地下鉄、
この判りにくい路線図を眺め、
一生のうちで行きそうにない駅を数えると、
全体の七割を越します。
という事は、自分の必要な駅だけを線でなぞれば、
さほど複雑な路線図にもならないのかなぁと悟ります。
自分の行き先までは、いつもシンプルに線が引かれているのに、
物事を複雑に見せているのは、不要な素材達ばかりです。
何かに迷った時、自分の必要な素材を線で結ぶ、
そんな作業が肝要なのかもしれません。


過去を振り返ると、いつもそこにシンプルな自分がいて、
出来事に対して、真っ直ぐ正直にぶつかっているんです。
より素直で、
少なくとも自分に対して僕は解り易い奴でいたように思います。
それが、
あれから僕はどんだけ汚れ、ねじ曲がってしまったんだろう。
闇雲に都会の地下を走り回るうちに、
どこかで大切なものを落としてきてしまったかもしれない。
そんな想像をすると、いてもたってもいられず、
眉間に縦皺が深く刻まれます。
自分の中の大切な部分というのは失うものなんだろうか?


それは矢っ張り失えない。
僕が右利きである事を変えれないように、
正直な自分はいつまでも失えない。
僕の眉毛が濃いように、
正直な自分はいつまでも変わらない。
僕の生まれが岐阜であるように、
正直な自分はいつまでも偽れない。
自分に迷ってしまうのは、全く関係のない不要な素材にごまかされて、
物事を複雑に見てしまうからなだけでしょう。
僕が僕にとって変えられないものだけを線で結んだら、
行き先ははっきり見えて来ます。


どんな闇雲に見えても、変える事の出来ない正直な自分という列車は、
心配しなくても目的地に向かっています。
どんなに駄目な時でも、
常に目的地に向かっています。
心配しないで。
もう先へ進めないと感じた時でも、
自然に目的には向かっています。
心配しないで。
どんなに歳をとっても、
必ず目的に向かっています。
どれだけ自分に嘘をついても、
必ず目的地に向かっています。
どんだけ人を傷つけても、
必ず目的地に向かっています。
どんなにお先真っ暗な状況でも、
必ず、必ず目的地に向かっているんだから、
心配しないで。
   

Yeah! God through me! 2007/05/19
イカ墨は美味しいけど、
如何せんハード、否、ヘビー、或はメタル。
フライングVの5、6弦を縦弾きで、ズズズズズンッと掻き鳴らしてみたくなる。
「Yeah! God through me! spaghetti!!」
吠えるような唄声でどうぞ。
とっても美味しい僕の好物です。


今日は早起きをして、朝5時に慕夜記を書きました。
つまり昨日の夜は知らぬ間に眠って、朝まで目が覚めなかったという事です。
神は、眠ってしまった僕に気付かず通り過ぎて行ってしまった。
「Yeah! God through me! 」
つまり慕夜記を書くのは本日2回目です。


昨日買った洗剤で洗濯をし、外に干すと雨が降り始めました。
「Yeah! God through me! 」
また空振り。


先日買った瞬間に晴天に恵まれてしまい未使用のままだった傘を差し、お出掛け。
それは6億円に眼が眩み、スポーツ宝クジ『BIG』を買うために。
予想以上に地味な酒屋さんがtotoの特約店になっていました。
朝の人通りが少ない寝惚けた商店街の中の古ぼけた酒屋さんに、
10人近くの行列が出来ていました。
この店と限らず、朝早くから酒屋に10人の行列が並ぶなんて事はあり得ません。
恐るべし6億円の風聞。
僕より2人先に並んでいた人が33口、9,900円分を購入していました。
僕は思わず、
「おぅ、太っ腹ぁぁ〜!」
と感心してしまったんですが、
よくよく考えてみると、
太っ腹な人が宝クジを買う必要はないよな、
きっと物凄くこのクジに人生を懸けてる人なんだろうな。
と思いました。
『当たるも八卦、当たらぬも八卦』
宝クジでは言わない言葉ですが、大口で買い込んでも小口で買い込んでも、
確率が低い事には変わりない。
だったら潔く、1口のみ購入してそれに懸けた方が格好いいんじゃないかという考えが、
脳裏を横切りました。
『男らしくいくかぃ?』
そして僕の順番が来て、注文したのは4口。
結局、中途半端な誘惑に負け、格好悪い買い方をしてしまいました。


帰って来ると雨は止みました。
陽も照って来たので洗濯物を再度外に干し、出掛ける準備をしました。
昼過ぎにJリーグが始まっていて、
その途中経過と自分が買ったBIGの勝敗の組み合わせを見てみると、
どうも外れそうな気配。
「Yeah! God through me! 」
またしても、神は僕をスルーしそう。
神のスルーパスは、何百万人もスルーして、誰の足下にいくのやら。


出掛けた車中でBIGの話になり、人に、
「6億円が当たったら、まず何をするの?」
と聞かれたのですが、それに答えられませんでした。
買った割にはその後のプランを考えていなかった事にそこで気が付きました。
さぁ、何に遣おうか?
何に投資する?
まぁ、当らない気配だし、
考えるのはやめとこ。


陽が照っていたので、すっかり安心して傘も持たずに外に出たのですが、
結局ドシャ降りの俄か雨が降り出しました。
使うべき時に、手元にない傘よ。
「Yeah! God through me! 」
今日はやけに空振るのさ。


そして帰り道でイカ墨スパゲッティを、
「Yeah! God through me! 」
スパゲッティがツルッと喉を通り過ぎて行く。
神の味がスルーと僕を通り過ぎて行く、
イェガッスルーミー、スパゲッティなのさ。
美味い!
否、
上手くない!


スパゲッティは美味い!
でも、
駄洒落は上手くない!

   

from 必需品 to 不要品 2007/05/18
前髪が目をイヂる。
これは非常に痒い。
だから、ヤワラちゃんのように前髪を脳天で縛っている。
人生でこんなに髪の毛を伸ばした事がない。
という事は、前髪を縛っている自分のビジュアルも、
生まれて初めて見ている。
悪くはない。


坊主頭が好きな僕にとって、
基本的に髪の毛は不要品。
髪の毛を伸ばすというのは、
どこか執念深さが現れているような気がするから、
サッパリしたいと思いがちだ。
けど、この長さに慣れてくると、
もっと気楽に長髪を目指せる。
今のところ、切る予定はなし子。
と言うよりも、
どこまで伸ばしたらいいか分らないから、
このまんまズルズルと野比のびていきそう。
今のところ髪の毛は必需品なのかなぁ。


商店街を歩き、薬局に辿り着く。
買ったのは、
薬局とは関係のないゴミ袋と洗濯洗剤のみ。
でも、それに違和感を与えないほど近年の薬局は進化している。
少しの間、その進化した薬局の店内を見学していたのだが、
自分が知らない間に色んなものが進化しているもんだなぁと感じた。
歯ブラシやひげ剃りなど、
進化し過ぎて、結局どれを選択したらいいか分らないほどだった。
生活必需品が贅沢品になって、
それはそれで不要品に感じさせる事もある。


薬局には音楽が流れていたのだが、
有線かと思って聞いていたら、
ちょいちょい音飛びをする。
「何だCDか」
と思うのだが、やけに音飛びばかりする。
僕は気になって、気になって、
幾ら買い物がメインのBGMであっても、
聴いていたリズムを狂わされるのは結構イライラさせられるもんだ。
店員さん達はまったく意に介していない様子なのが、
とても不思議な光景だった。
僕はそうそうに見学を辞め、店を出た。


何気ない事だけど、BGMの良し悪しが無意識に店の良し悪しの基準になる事がある。
昔、隠れ家のようなラーメン屋に入ったら、
小さなラジカセが置いてあり、
ラーメンを食べる間ずっと、
ミスチルを聴かされた。
ラーメンは美味しかったし、
別にミスチルが嫌いな訳ではないけど、
ラーメンをすする頭の上に、始終流されると気分は良くなかった。
これはBGMと言えど、
店長の押しつけと言っていいね。
僕はそれ以後、そのラーメン屋に行っていない。


世の中からBGMがなくなってしまったら、
物凄く味気ないものになってしまう。
そう考えると音楽って必需品かと思うけど、
何しろ気を遣った選曲と場に合った音量で流れていないと不要品になってしまう。
まさに、BGMは取り扱い注意!
お客さんの耳には、われもの注意!が貼られているのだから。
   

雨、干上がる。 2007/05/17
こっぴどく雨が降るもので、
僕のオンボロ傘じゃものの役に立たない。
足ゃ、ずぶ濡れさ。
服もズブ濡れるさぁ。


たまりかねてコンビニへまろび込み、
ピルクルを買う、
と同時に傘を買う。
傘は大きいのが欲しかったから、
65cmのものを買った。
白色や透明のクリアタイプの傘は、
きっとどこかで自分のものと間違えたフリして持ってちゃう人がいるだろう。
世の中は日増しに世知辛くなっている。
だからして、ライトブルーのビニール傘を手に入れた。
コンビニの店員さんはレジで会計を済ませると、
「差していかれますか?」
と聞いてくれた。
勿論僕は頷く。
たかが傘でもおニューは気分がいい。
ビニール包装がとれて、あとは差すばっかりの真新しい傘を手に、
ルルルンと、
少し気が晴れて店を出る、
が、同時に空も晴れる。
つまり雨上がる。


これをグッドタイミングと言っていいのだろうか。
コンビニでどの傘にしようか迷ったのは、
ほんの2、3分の間だったのに。
アンビリーバボー、
世間には陽がカッと射していた。


結局、僕はおニューの傘に入る事なく、
今日の雨は終わった。


それにしても、おっかしな天気で、
それから30分もしたら、
水溜まりの大半は乾いていた。
と同時に僕の喉も乾いて、
ピルクルを飲む。
至福の時間。


夜はdriedbonitoのLIVEを見た。
ヤスヨちゃんはステージに上がると、とても明るいオーラで包み込む。
僕が憧れるひまわりタイプの人だな、羨ましい。
何たって声が好きだなぁ。
そしてウッシーさんのギターを久し振りに堪能して、喜んでいた。
骨太なフィンガーピッキングの音、
曲の盛り上がりで真剣な表情のウッシーさんがとてもいい。
LIVE後、ウッシーさんと『メタボリックス』というユニットを一緒に組もうかと笑い合う、
が心では笑えない。
そう言えば、最近の僕は順調にシェイプがアップしている。
今夜は楽しい夜だ。
と同時に飲み過ぎないようにね。
   

引っ掛かっていたい症候群 2007/05/16
厨房は1mくらい地下にあり、
それを囲むカウンター席は椅子ではなく座敷になっている。
腹を空かせてドカッとあぐらをかくと、
華奢なおかみさんが一声掛けながらおしぼりをくれた。
厨房で手際よく料理を作る大将を見下ろす気分は、
美味しそうに煮え立つ鍋を覗き込む気分だ。
ぬくもりと美味しさ、
古い料亭は、囲炉裏を囲む気分で飯を喰わせてくれる。


大将は厨房で肌艶のいい頬を膨らませて笑っている。
僕が焼酎の水割りで喉を潤す間、
大将は得意のソフトボールの話をし、
恰幅の良い身体に喜色を振るわせていた。
おかみさんは大将の事を「マスター」と呼ぶ。
こんな純和風料亭で違和感のある呼び名だが、
おかみさんのたたずまいが上品で、
それを微笑ましく聞こえさせた。


僕の焼酎には、ウドのきんぴらがお通しで添えられた。
山の旬の味は、脂っ気もなく肉や魚と比べて地味ではあるが、
時として至高の贅沢を味わせてくれる事がある。
この日のウドがまさにそれだった。
舌鼓がポンポンと鳴り続けている。
僕は初めて入ったこの店で至福の一時を過ごした。


大将は今日65歳の誕生日を迎えている。
大好きなソフトボールでは全国大会に出ているという。
その話の中でこんな事を言った。
「あなた達みたいな若い人は、将来に目標を立てれるでしょうけどね、
  私らはね、来年また3年後とか5年後とか、先の目標は立てないんですよ。
  こんな歳だと、この先どうなるかわからないからね。
  だから、その日、
  その日の試合に勝つ事に必死なんです。
  そうしてつなげていく事で全国大会にまた行けたらそれでいいじゃないかと、
  仲間とも話しているんですよ」
今の僕は聞いていて、身につまされる思いだった。


店には近所のスナックのママさんが出勤前に腹ごしらえに来ていた。
この人も華奢な身体をしているが、背骨がしゃんと立っていた。
頭には多分に白髪が混じっていて、
何十年とこの小さな街の呑ん兵衛達をアクティブに切り盛りしてきた人だという。
年齢に準じた上品さと、年齢に似合わない可愛らしさがあり、
僕は惹かれていた。


そのママさんが、
「もうお互い歳なんだからねぇ…」
と大将に言った。
僕は、
「でも65歳には見えないですよ。肌艶もいいし、若く見えますよ」
と言うと、今度はおかみさんが、
「あら、そう?ソフトボールで焼けて、お酒で灼けてる肌艶なんですよ」
と釘を刺した。
するとママさんは、
「今度はおかみさんが妬かなきゃね」
と言って、店内は上品な笑い声が重なった。


最近、一晩中引っ掛かっていたい人のぬくもりがある。
嘘でも、
「せがれが帰って来た気分だわ」
と言われると、胸にグッと熱いものが込み上げて来てしまう。
こんな人達と毎晩を過ごし、毎日を終えたい。
僕は最近、引っ掛かっていたい症候群である。
   

よじ登り 2007/05/15
山にはマイナスのイオンが空気に溢れているから、
心頭にはプラスのエナジーが浸透する。


俄か雨が通り過ぎるのを待つ岩陰、
必死にしがみついた、ゴツゴツした鎖場の岩、
泥だらけの手をせせらぎに浸した時の水の冷たさ。
そんな深遠な山の厳しさと優しさがあり、
この迫力の前に絶叫したくなるほど高揚し、
静かな自然に改めて畏敬の念を覚える。


獣道に迷い込み、木にしがみついて、
行くも戻るも判断がつかない時、
人間は矢張り先へ進もうとする。
山の中では返ってそれが命取りになるらしいけど、
人間の心理は前向きに出来ている。
それはそれで素晴らしい事なんじゃないか。


僕の頭から迷いが消えた事はない。
生まれてこの方、迷ったまま今にいる。
どう行くべきか。
先に行けば、本当に山の頂があるのかも解らず、
ただ不安と恐怖に腰が引いてしまう。
頭上には暗雲がたれ込め、雨を降らし、
刻々と空の表情を変化させて、
今や遅しと、僕がへこたれるのを待っている。
ぬかるんだ山の斜面に、足がすくんで一歩が出ない時、
一瞬の光明が崖下に射し、
登れない坂に来てしまった失敗に、ようやく気が付く。


こんな失敗をしてしまった時は、
勇気を以て引き返す決断をするのだが、
もと来た道を戻るのは、行きより危険で労力が要る。
人間の心理は前向きに出来ているんだ。
引き返すという作業は人間の弱点かもしれない。
気力も萎えてしまい、無口になり、
身体もどんどん重くなるのだが、
こんな時こそ、自ら声を出し、陽気にいるべきだろう。
失敗の帰り道は、兎に角陽気に鼻唄をたくさん唄っていなくちゃいけない。
時間が掛かったって、泥んこになったって、
行かなくちゃいけないのは山のてっぺん、
それに変わりはないのだから。


行こう、頂へ、
陽気に満ちた草花と、心を癒すせせらぎをの音を頼りに、
行こう、あの頂まで。
   

ヨダカの日 2007/05/14
信号待ちのバスから見る女子大。
出てくるのは女子ばかり、
当たり前か。
当たり前の光景でも、
男の僕には秘密で見ちゃいけないものに見える。


更に次の信号待ち。
バスから見る病院。
出てくるのは病人ばかり、
当たり前だっての。
当たり前の光景でも、
今日の僕には心細いものに見える。
バスが少し前に進み、信号付近に来ると、
右足にギブスをしたおじさんが松葉杖で歩いていた。
パジャマのままで、手にはスーパーのビニール袋に買ったばかりの新聞が一部入っている。
病院の患者さんだな。
退屈なのかな。
新聞くらい病院に置いてなかったのかな。
誰かが買いに行ってくれなかったのかな。
バスは電車より一層考え事の多い乗り物だ。


今日で僕は何歳になったのか、
兎に角この5月14日は僕のデビュー記念日、
『ヨダカの日』でいいんじゃないかな。
特別な事は何もしないし、
一日の大半で忘れてしまっている記念日なんだけどね。
今、まだここにいて唄い続けていられる事に感謝するなぁ。
僕がやってきた事なんて、ちっぽけで、
「ふ〜ん、あっそう」
と言われてしまえば立つ瀬のない事なんだけど、
唄が好きなのが続いている事には自信を持ってもいい事かなと思う。
振り返ってみれば、自分の生きて来た道は本当に僕だからこそ歩いて来れたんだなと思う。
「何ボのもんじゃ?」
と聞かれれば、
「何ボにもならんもんじゃい!」
と言ってやる。
誰もが自分だけの独特な苦悩の中で道を歩んでいる。
一つとして楽なものはない。
「アイツは恵まれてていいなぁ」
なんて言うけれど、アイツの人生を自分が生きる事はとてもとても、無理だ。
アイツが自分の道を歩むのも、それはそれは困難だろう。


我が道へ、ただひたすら自分の道へ敬愛の念で歩く。
ヨダカの日、
僕を支えてくれている多くの人に、
心から感謝します。


ありがとう。

   

真夜中の右往左往 2007/05/13
今日の帰り道、
「フン、フフン〜」
鼻唄交じりで我が家を臨む曲がり角に辿り着くと、
街の人々が右往左往していた。
コンビニの店員までが右往左往、沿道に出て何事か情報の交換をしている。
「息が詰ま〜るほ〜ど〜、涙〜を辿り〜、フフフ〜ン」
今日の僕はどこにいても鼻唄が止まらない。


でも、沿道の人々の表情にはどこか緊張の色が出ている。
その中に警察までが右往左往して、無線で何事か情報の交換をしているので、
僕もさすがに異常な空気を感じて、鼻唄をやめた。
見ると僕のマンションの前に、
消防車やパトカーが大勢停まっている。
銀色の防火服を着込んだ消防士がホースを持って右往左往するのを目撃すると、
「すわっ、火事だ!」
と解った。


僕は慌てて自分のマンションまで走り寄って見ると、
黄色いテープでバリケードが張られ、中に入れないようになっている。
これはまさに刑事物のドラマに出てくる“現場”だ。
事件は現場で起こるものらしいから、
僕のマンションで事件が起きているに違いない。
一気に血の気が引いた。


僕は黄色いテープの外側に突っ立って、
「まさか、自分の部屋が…?」
「まさか、僕が何か消し忘れたのか…?」
と、自分の火の元を一生懸命思い出した。
あれも、これも、大丈夫な筈だけど…いまいち自信がない。
自分が原因だったらどうしようという不安が頭を支配した。


そして次に考えたのが家の生き物の事。
我が家の金魚達は、火事だからと言って自ら避難する事はできない。
僕以外にアイツ等を救い出す愛情を持った人がいないのだ。
どこが火元にしても、兎に角避難させなくちゃいけない。
もし部屋の中で煮魚なり、焼き魚になっていたら僕は立ち直れない。
いてもたってもいられなくて、
「はいっ!はいっ!」
と、大きく挙手をして、
混乱中の警察官を呼び止めた。
「あの〜、僕、それそこのマンションの住人ですが、中に入る事はできますか?」
僕は心配だらけの声で尋ねたが、警察官は拍子抜けしたように、
「はん?どうぞ」
と冷たくあしらって、他の用事の方へ行ってしまった。
どう見ても年下の警察官にそんな態度をされると、矢張りいい気がしない。
「こんちきしょうめっ」
と思ったけど、今の僕に苛立っている余裕はない。
慌ててマンションの入り口に入ると数人の警察官とおじさんが話し合っていた。
「通報者はあなたですか?」
「えぇっと、僕ですぅ」
そんなきな臭い会話が交わされているのだけど、
不思議と煙臭くはない。
「あれ?あれ?通報をしたのはあなた?」
「あぁ、僕かぁ…」
そんなうさん臭い会話が交わされているのだけど、
不思議と煙臭くない。
何も煙っていないのだ。
しかも、バリケードが張ってあった割には、
中を歩いて行く僕を誰も止めようとしない。
沿道のヤジ馬ほど、
現場には緊張感がない。
事件は現場で起こってない。


よくよく辺りを見回すと、大勢の消防師達は隣のマンションによじ登っていた。
「あぁ、僕の部屋じゃないんだ」
と、少し安心したけど、僕の部屋は隣のマンションと隣接している。
火が回っていないとも限らない。
僕は慌てて部屋に入った。


暗い部屋の電気を点けると、
床には脱ぎ捨てられたズボンが転がり、窓際にはバスタオルが吊るされている。
「あっ!」と拍子抜け、
それはまさしく僕が出掛けた時のまんまの状態だ。
全くどこにも異常がない。
水槽ににじり寄ると、金魚達が、
「チョーダイ、チョダイ!」
コールを僕にしている。
金魚達はその『チョーダイ・コール』で水槽を右往左往していた。
人の心配なんて知る訳ないか…。
金魚だもんな。


結局、隣のマンションにはやたらと消防士が群がっていたが、
煙の臭いもしないし、くもってもいない。
救急車の音も聞こえて来ない。
僕の部屋にはいつも通りの閑静な夜が留守番をしているだけだった。
けが人がいない事を祈るが、
取り敢えず、大事には至ってないように推察される。


それにしてもこんな事は初体験で、意外と不安になった。
僕は一人で部屋にいる時、結構やりかけである事に気付かず次の事をしていたりする。
5分前に置いた物を見付けれなくなる事だってある。
これを機会に、意識を持って、お出掛けチェックをしていかなくちゃなと思った。
自分の不注意で人に迷惑はかけたくないなぁ…。

   

阿呆が見る、自分のしっぽ 2007/05/12
朝、早くに目が覚めると、徐々に今日が快晴になっていくのを目撃する。
オレンジジュースをぐひぐひ喉に押し込みながら、
徐々に晴れ上がっていく今日に気分を持ち上げた。


昨日の洗濯物をたたもうとして、
昨日の洗濯物は乾かないうちに取り込んでしまった事に気が付く。
カラカラ、
僕の湿気で重厚になった部屋の空気を窓から解放すると、
暖かい今日の空気が、部屋に返事をくれる。
何となく頭を傾げていた悩みも、煩わしいほど小さなものに見えてくる。
僕はほとほと生き返り、
僕はくどくど息を吸った。
誰かに返さなきゃいけない返事がゴッソリ溜まっている。
まずは、ちっとも乾いていない洗濯物を干した。


朝飯を食べようとしたが、床の埃が気になって食べる気がしない。
やむなく部屋のものをキッチンへ押し出し、
ついでに布団も干して、
部屋をだだっ広くすると、僕は懸命に掃除機をかけた。
床はみるみる干清になっていく。
でも、掃除機をかけ終わった筈のところを見ると、
また小さな埃が2、3個戻って来ているから、
また自分の背後に掃除機をかける。
まるで、犬が自分のしっぽにじゃれるような状態になった。
あれをやった筈が、また同じような問題にブチ当たる。
兎に角、自分が起こしてしまう苦悩の本質はちっとも成長しない。
成長するのは、
その度に自分を知って、
その度に自分の真剣に付き合い、
苦悩に浸かり切らなくなるという事だろう。
細々とした思想は持つ必要はない、
兎に角、グルグル、グルグル、
自分のしっぽを追いかけ回す事に専念するんだ。
部屋は知らない間に綺麗になった。


ベランダに出て、布団をシバく。
布団に付いた埃やごみを、ビシバシ叩き落とす。
まるで過去の自分の尻を打ったくって、
「余分なものは日々落としていきなさい」
と言っているような気分になる。
こんな時、自分に対してはドSになるもんだ。
ビシバシ自分を打つ怒りと、
同時に自分をビシバシ打たれる悲しみがある。
これが僕のドM。
両方が心を行き来して、
矢張り自分のしっぽを追いかけ回している気分になる。


部屋は多少綺麗になった。
今日の空気を吸った洗濯物も布団もきっとたくましい匂いがするだろう。
さぁて、今度は僕だ。
さぁて、今度は僕だ。

   

拙宅と隣人宅の間には、堅くて厚い壁がある 2007/05/11
隣人は、僕より早く目覚ましを鳴らす。
が、僕より遅く目を覚ます。


毎朝、6時半になると僕の部屋に隣人宅の目覚ましの音が聞こえ始める。
隣人の目覚ましの音は、鉄筋コンクリートの壁を越え、拙宅のキッチンを越え、
扉を閉めた部屋ですこやかに眠る僕の鼓膜を揺らす、
大きな音の目覚まし時計だ。
隣人はよほど起きるのに自信がないのだろう。


今朝、6時半。
『ピピッ…、ピピッ…、ピピッ…』
僕は隣人宅の目覚まし時計の音で目が覚める。
こんな大きな音の目覚ましをすぐ近くで聞いている筈の隣人は、
一向に目を覚ます気配がない。
『ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ』
目覚ましはずっと鳴り続けている。
僕は寝惚けた頭を掻きむしってトイレに行き、小用を済ませてキッチンに立つ。
『ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ』
壁の向こうで、けたたましい覚醒戦争が起こっている。
僕が起きなきゃいけないのは、もっとずっと後。
布団に戻って、目を閉じると、
『ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ』
が依然として僕の鼓膜を打ち続ける。
だけど、目覚ましの戦火に見舞われている筈の隣人は起きて目覚ましを止めようとしない。
『ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ』
兎に角、鳴り続ける。


隣人宅の目覚ましは、結局一時間経って止む。
それは隣人が起きて止めた訳ではない。
目覚まし時計の方が根負けして自動的に止むだけだ。
だから、目覚ましは止められていない。
一日が始まり、12時間経ち、
黄昏時の6時半を迎えると、
『ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ』
留守の隣人宅で矢張り1時間あまり鳴り続ける。


隣人の目覚ましは、毎朝几帳面に主人を起こそうと励むが、
それで隣人が起きた事はない。
几帳面に起こされているのは、僕なのである。
対岸の火事、
意外に熱いもんである。
   

いっくら美味しくても、並んでまで食べなイスト 2007/05/10
随分、髪の毛が伸びたので、
風を感じるようになりました。


ここのところ天気が良い日が続いたので、
今日あたりはさぞかし大雨にぶたれるのだろうと思っていましたが、
僕は出先で大して濡れませんでした。
ただ、風だけがイヂ悪く、
ただでさえまとまりのない僕のゆるいパーマ、略してゆるパーを、
更にザックバランにしていきました。
その都度、僕なりに髪の毛を整えようとするのですが、
何しろ僕の生涯で、今ほど髪の毛が伸びた事がないので、
上手に整える仕草を知りません。
両手でペタペタと、髪の毛を押さえつけようとする仕草は、
まるでムンクの『叫び』で叫んでいる彼のようです、様にならないなぁ。


街を歩いていると、クリスピー・クリーム・ドーナツという店に大行列ができていました。
「えっ?本当にドーナツの為にそんなに並んで待っているんですか?」
と疑いたくなるような大行列でした。
どんだけ美味しいドーナツなのでしょうか。
僕は『いっくら美味しくても、並んでまで食べない主義』の、
いっくら美味しくても、並んでまで食べなイストなので、
どんな有名店の美味しい料理が食べたくても、並ばなくちゃいけないなら、
断固として諦めます。
だから、ドーナツにそこまでモチベーションを高められる事が不思議でなりません。
そう言えば、これと同じような感慨を持ったのが、
シナボンが流行った時でした。
街を歩いていると、どこのシナボンも超混雑していて、
「一体、どんだけ美味しいドーナツなんだろう?」
と思って行列を眺めていました。
結局、流行が過ぎ去ってしまってからシナボンに入って食べてみたのですが、
「甘い!」と「うん、新しいかも」というトピックス以外に、
行列の根拠はつかめませんでした。
ドーナツか…。
その一方では、この街に来たらよく行く『Nathan's』の支店が潰れてしまっていて、
僕はここのポテトにベーコンとチーズをかけたジャンキーな食べ物が大好きだったのですが、
今日はありつけずに終わりました。
ギザギザにカットされたポテトが好きだったのになぁ。
確かにそこのNathan'sは極端に人がいなくて、
時折カップルが堂々とイチャつくのを目撃するほど自由区でした。
あぁ、僕の愛しきジャンクフード…。


日が暮れると急激に寒くなり、強風に煽られる度歩みを止めてしまうほどでした。
今日は思い切って七分丈のズボンをはいて出たのが裏目になった感じです。
あぁ、裏目を愛してしまう僕なれば…。

   

田んぼの蓮華草 2007/05/09
毎日、今年の最高気温を更新しているようですね。
僕の部屋は取り残されたかのように3月下旬の気温を維持してております。
陽が入らないとは言え、間接的には表の車や白い壁に反射した光が入ってくるんです。
僕はそんな窓外の陽射しを背中に受け、今日は一日部屋に缶詰で仕事をしていました。
勿論31rpmの追い込みです。


作業をしていると、自分でも妙なところに物凄く神経質になったりして、
ピタッと同じ場所から仕事が進まなくなったりします。
『この話、聞いててわかるかなぁ?』とか、
『パソコンのスピーカーからだと、音のバランスが悪いかなぁ?』など、
何回も編集し直すので、
神経質に作業した部分の会話が、
ヘッドフォーンをはずしても、こめかみの辺りでずっとループしていたりするんですね。
それで、気が付くと頭がガンガン痛くなっています。
ヘッドフォーンを長時間つけて、大音量で音を聴いているという無理な姿勢がそうさせるんですが、
こうなってくると、矢張り考えがまとまらず作業が滞るので、
休憩を入れます。


金魚を眺めたり、皿を洗ったり、
金魚を眺めたり、煙草を吸いに出たり、
金魚を眺めたり、水飲んだり、
金魚を眺めたり、ギターを弾いたり、
金魚を眺めたり、珈琲飲んだり、
です。


こげちゃ家さんの珈琲をズズッと吸い上げ、
窓の外を眺めていると、
不意に蓮華草の事を思い出しました。
そう言えば今くらいの季節の花じゃなかったかな。
昔、岐阜にいた頃、
自転車に乗って学校に向かうと、
今くらいの時期の田んぼ一面に、蓮華草が色鮮やかに咲いていて、
とても明るい紫色を僕の眼を和ませてくれたんです。
お百姓さんのオシャレな心遣いだと思うんです。


僕が唄を唄う事や、こうして31rpmを作ることも、
全てあの田んぼ一面に敷き詰められた蓮華草のような心遣いになればなと思うんです。
田んぼは本来米を作る土地です。
それと同じように、唄を聴いてくれる人達にも、
主軸で作っていかなきゃいけない仕事や生活があるんだな。
僕はその冬から春の暖かくなるまでの、田んぼの休息時間に、
心を誘うような蓮華草を唄として、聴いてくれる人の耳に届けたい。
そんな事を考えます。
東京でなかなか蓮華草を見れていないな。
とも思いました。


でも、よくよく考えたら、
もう田んぼは田植えの時期なんじゃないかと気が付きました。
『早苗え月』(苗を植える月)が縮まって『サツキ』になったはずだよね。
あぁ、蓮華草の時期が終わっちゃう。
急がなくちゃ。
何だか急に気が焦り、窓を閉め、作業に戻ります。
昼間、陽のあるうちに終わらせてやろうと、
ガリガリ仕事をして、
陽は暮れ、
陽は明けました。
兎に角、間に合った。


不思議なもので、作業を終えると、
あんなに痛かった頭も、スッキリ痛みが引くんです。
夜明けの珈琲byこげちゃ家さん、
mooh、マンダム〜。
   

ヘリコプター 2007/05/08
無我・無意識の世界って、こんな事かもしれない。
と思うほどに、今日という一日が無意識に過ぎていった気がします。
無意識に目を覚まし、
無意識に洗濯機を回し、
無意識に外に出て、
無意識に歩き、
無意識に買い物をした。
その間、ずっと僕の頭上にはヘリコプターのバタバタという音が鳴っていた。
それが無意識の耳に四六時中付きまとっていて、
僕はまるでヘリコプターから操作されるラジコンのような気分だった。
この辺りの街は、地上は車やトラックの喧騒でやかましいけど、
空は比較的に静かな所だ。
こんなにひっきりなしにヘリコプターが飛んでいると、
どこか異常な空気を感じる。
僕は依然無意識のまま、街で雑事を済ませて家に戻った。
その帰り道、朝飯を買った。


無意識では、選り好みせず真っ直ぐ大好物を手に取るようで、
僕は気付くと、ミルクフランスパンとピルクルを買っていた。
ピルクルの箱には『カゼイ菌150億個以上』と書いてあるけど、
この150億個という数字にはちょっと実感を持ちにくい、
150億は大きな数字だけど、
菌は目に見えない、
ただこの乳酸菌飲料は特定保健用食品なので、
身体のどこかには良さそうだ。
だいたい下腹部に効き目がありそうな事はわかる。
最近、胃腸が妙な具合だったし、
飲んでいたらスッキリした。
身体にいい好物だ。


その後は、仕事をして、
その合間によくギターを弾いた。
クラシックギターのナイロン弦の音色が、
疲れた身体をよく癒してくれた。


夜になって、ピルクルを飲み終える。
ニュースを見ていたら、僕ん家のすぐ近所が映っていた。
昼間、火事があったらしい。
ヘリコプターの報せはそういう事だったのかと気が付く。
夜になって、一日に起きた出来事の意味合いを、
少し理解する。
   

アロマ的な癒し 2007/05/07
今日は本当によく汗をかいた一日になったな。
暑さのせいだけじゃないな、
スタミナの要る季節が近付いてきた事を実感します。
そんな季節に向けて、
24時間全速力で走っても、アツアツおでんを食べれるくらいのスタミナの余裕を作ろう、
と思います。


Big Mouthに足を運んでくれた方、有り難う。


僕はさっき熱い風呂で、髪の毛に染みた多分のニコチンと、肌に染みた少量のアルコールを流し終えたところです。肌の匂いがまた石鹸のミルキーな香りになりました。
僕は自分の腕の皮膚の匂いが好きです。
ちょっと変態チックに聞こえるかもしれませんが、
たまに腕に鼻を近付けると、いつもミルキーな香りにアロマな癒しと落ち着きを取り戻します。
僕はお香を焚いたり、香水をつけたり、芳香剤で部屋の匂いを染める事が苦手なのでやりません。
だから、ごく稀に腕の近くを鼻先が通過する時はついつい腕の匂いを嗅いでしまします。
僕なりのアロマテラピーと申しましょうか、
随分安上がりな趣向だと自分でも思います。


さあ、もう朝が近い、眠らなきゃ。
文章を考えていると、
時折まばたきがが、閉じたままになります。
眠らなきゃな。


寝るのはいいのですが、僕の場合、枕を高くして寝ます。
枕を2個と折り畳んだ毛布を重ねた高さにしないと寝れない。
本日もその話をしたら、
『高過ぎる』
とのご指摘を受けました。
確かに、高過ぎます。
きっとこれが肩こりの原因だな、とも思います。
僕なりのカイロプラクティックとでも申しましょうか、
ハイリスクな趣向だと自分でも思います。


ついでに言うと、
僕は眠った時の姿勢と寸分も変わらぬ体勢で目が覚めます。
1mmも寝返りません。
これも、
『よくない事』
との指摘を受けました。
確かに、よくないです。
僕なりのカイロプラクティックの弊害が出ているようです。


人間は寝返りをぶちながら、自分の身体の箇所箇所を癒しているのだそうで、
矢張り寝返り、或いは寝相の悪さは大切な行動なんですね。
僕はどんだけ意識して眠っても、
野原を踊り回る夢を見たとしても、
矢張り寝相は微動だにしません。
僕なりの新たなカイロプラクティックが必要です。


しかし今夜は、
しかし今夜は、枕を低くして、寝相をさんざんひっくり返し、腕の匂いに安心しながら、
眠ってみましょう。
アロマ的な癒しと落ち着きを身体に取り戻して眠りたいな。

   

遥かなる甲子園 2007/05/06
目が覚めると、窓に水のしたたる音が聞こえる。
そして僕は今日は雨降りだと気付く。


朝から高校野球の特待生の問題のニュースがやっていたので、
気持ちが少し落ち込んだ。
僕は野球が好きだし、近年の甲子園には燃えていたので、
ついつい関心を持ってしまうんだな。


今、特待生として名の上がった子が可哀想で仕方がない。
今月中の試合に出れない上に、
来月からは学費やら部費を払えば試合や大会に参加できるなんて急な話、
何十年黙っていた高野連が、突然言い出した事は無茶にもほどがある。
僕なんか、ちぃっとも裕福な生活はできないから余計にそう思うのかもしれないけど、
息子に野球をやらせてあげる為、特待生待遇で何とか私立の高校に行かせてあげている家庭は、
一体どうしたらいいのかな?
この為に野球の道を断念する子が出てしまったら、
本末転倒になるよね。
本人は勿論、親にとっても苦しい涙になるよ。
野球少年にとって、高校からのスカウトを受ける事は憧れだったし、
スカウトされて野球を武器に生きていける奴はヒーローだったのにな。
そのヒーロー達が、大人の犯した罪によって、罰を背負っている。
馬鹿げた話だ。


制度や学生野球憲章を見直すのは、
野球が好きな子供達に道を切り開く為だから、
学校や高野連の目線で話を進めたらいけない。
いつも子供達の目線で考えるべきで、
それができず、大人の事情、対面ばかり整えようとしている高野連は、
また大きな罪を犯そうとしているだけだと、僕は思っている。


僕は中学生の時、野球部にいて、その時愛読した漫画がある。


『遥かなる甲子園』(山本おさむ)


これは実話を元にした話。
野球に限らず色んな問題を含めた話だから、是非読んでみてほしいなと思う。
内容は、
1980年頃、アメリカで流行した風疹が、米軍基地を経由して沖縄でも流行し、
その時妊娠中だったお母さんが風疹にかかって、聴覚に障害を持った子が生まれる。
その風疹障害児の為に建てられたろう学校で、
その子達が野球を通して成長していく話。


でも、その中で大きくテーマとして取り上げられているのが、
そのろう学校の生徒達が野球が好きで、クラブを作るんだけど、
学生野球憲章の第十六条により、
高野連は、そのクラブの大会参加はおろか練習試合まで認めず、
野球部の監督、生徒達が悲しみ、また葛藤するというところである。
(学生野球憲章の第十六条とは、簡単に言うと、普通高校と商業高校・工業高校などの職業高校が高等学校野球連盟に加入できて、それ以外の学校は認めませんよ、だからろう学校には加盟資格は出せませんよという内容)


ろう学校の先生や監督が生徒達に野球をやらせてあげたくて奔走するんだけど、
高野連は目もくれない。
結局、マスコミが取り上げ、世間の話題に上がってくると、
高野連は、手のひらを返してあっさり認めたという話。


この話でも、結局犠牲になったのは子供達である。
結局今でも学生野球憲章の第十六条はまったく改められていない。
そして今度は第十三条を盾に、
野球少年の夢を潰そうとしている。


制度や規約は、子供達の夢を守る為にあるものだという事を忘れちゃいけないと思う。
そして子供達の夢を守るという意識で高野連が一連の決定をしているのか疑問で仕方がない。
   

こどもの日の話 2007/05/05
今日はこどもの日。
もっと言えば、男の子の日。
僕も男の子に属するので、それを祝おうと思います。


こどもの日に五月人形を飾る習慣がヤポン(Japan)にはあるそうですが、
僕は飾った事がありません。
小さい頃、五月人形はさほど欲しいとは思わなかったけど、
あの甲冑一式はとても欲しいと思ってた事を記憶しています。
単純に僕が着たかったんです。
甲冑を着込み、駿馬に乗って、友達郎党を引き連れ、
威風堂々、近所を行軍したかったんです。
悪い奴がいたら、腰間の太刀を抜きつれ、
「やあ!」
と退治したかったんです。
しかし正義の銃刀法違反、それは実現できません。
仕方なく僕は、椅子にまたがり、修学旅行で京都に行った際に購入した木刀を振りかざし、
「やあ!」
と枕と布団を退治していました。(なかなかの大敵であったと記憶しています)
矢張り僕のような怪童が生きるには狭い時代でした。


しかしながら、
五月人形のモデルになったとされる坂田金時さんは、
僕とは違い、金太郎さんという本当の怪童であったのは、あまりにも有名です。
足柄山でブイブイ言わせていた熊と相撲を取り、見事勝利して子分に加えたほどの男の子。
前掛けをして熊にまたがり、マサカリをかついでいたというんですから、
まさに異端児。
熊のゴワゴワした毛に、前掛けひとつでまたがるその股間が気になります。
「パンツくらい履いたら?」
僕の友達だったなら、そう助言しているでしょう。
きっと金太郎さんほどの子は、股間もまたたくましく、
熊の毛くらいでは意に介さなかったのでしょう。
こどもの日、たくましい男の子の模範たるにふさわしい人物です。


或る日、金太郎さんはいつものように熊にまたがり、
猪、鹿、狐や狸など、諸々の子分を引き連れて森の散歩に出掛けたのです。
その道中で一行は、橋のない崖に行き当たります。
崖下には激流が流れ、泳いで渡るのは危険です。
そこで熊が、そこに立っていた大きな木をなぎ倒し、橋にしようと提案するのですが、
熊の力では、巨木はびくとも倒れません。
「どれどれ、ちょっくら私にやらせなさい」
金太郎さんはたちどころにその木を押し倒し、見事橋を渡したのでした。
と、まあ有名な話なのですが、
マサカリをかついでいる筈の金太郎さんが、わざわざ力押しに木を押し倒すあたり、
自己顕示欲の強い子供と思います。
じゃなかったら、単に頭が回らなかったおトボケさんなのか。
「折角持ってるんだからマサカリを使ったら?」
僕の友達だったなら、そう助言しているでしょう。
いずれにしても金太郎さん、稀有の怪童であった事には違いなさそうです。
こどもの日、たくましい男の子の模範たるにふさわしい人物です。


さて、金太郎さんのこぼれ話として、もう一説、違った角度から見た逸話があります。
それは、
ある旅人が足柄山を通りかかった際、そこでブイブイ言わしている熊に遭遇します。
「きゃー大変!」と思っているところに、
全身が真っ赤にやけた怪童・金太郎さんが現れます。
金太郎さんは熊の片足をつかんでブルンブルン振り回し、
いとも簡単に6mほど投げ飛ばしたのです。
そして、金太郎さんは面倒臭そうに、
「はぁ、疲れた。早く乳が飲みたいよ」
と近くにいた母親の膝にすがったそうです。


よく食べ、よく働くという、たくましさの象徴でしょうか。
ここまでくると、たくましさより人格にスポットを当てたくなります。


何しろ金太郎さんは、
今の時代になって、やっと「気が優しくて力持ち」のイメージが強くなっていますが、
金太郎さんという伝説が、たくましく確立するまでには、
時代、時代において、かなりの紆余曲折があった事をうかがわせます。
そうやってたくましくあれと、
そうやってたくましく成長しろという教訓を、暗に示しているともいえます。
こどもの日、
矢張り金太郎さんは、たくましい男の子の模範たるにふさわしい人物のようです。
   

しっくい、来ない 2007/05/04
昨夜、空を見上げて、僕は、
「あぁ、もう明日には天気が崩れてしまうかもなぁ…」
と、友達に予告した。
友達は「何故か?」と僕に問うた。
「だって、雲が空を覆い始めたし、
  ほらぁ、風が冷たくて湿ってるから、
  ねぇ、こんな夜の次の日は雨が降るもんだよ…ふ〜ゅ」
僕は煙草をふかし、夜空を見上げ、
自分の森羅万象に対する深い造詣に、気持ちよくふけっていた。
夢中で話し込んだ熱が頬に残っている。
それを冷やすように夜風は、そよと流れていた、
筈なのに…


今日は面白いほど晴れた。
昨夜僕ん家に泊まっていった友達と二人、朝飯を食べに出掛けると、
30歩も行かないうちに、暑さでウッダウダに身体が緩んでしまった。
「全然雨やないね」
知ったような顔して地球を語った自分が悔やまれる。
その恥ずかしさも伴い、
日なたの道を歩くほどに、したたかな汗を掻いた。
何だかしっくり来ない…。


朝飯を食べた後は、その足で少し歩き、
隣町にある小さなバール風のカフェに入った。
そこできついエスプレッソを、キュッと飲んだ。
顎が外れそうなほど、にがい。
何故、人はこんな飲み物で、ほっと一息入れる事ができるようになったのだろう?
僕もいつからか珈琲好きになってはいるが、
そこんとこを問うと、大して好きじゃないんじゃないかと疑問に思う。
確か、珈琲のニヒルな苦味が、俺ぁ好きなんだよね?
何だかしっくり来ない…。


さて、
この店に来るのは2回目だけど、矢っ張りいい店だった。
カウンターと小さな机一つだけ。
カウンターは、かりんの木を一枚切り出したもので、
手触りが軽やかで気持ちがいい。
壁や天井には丁寧にしっくいが塗り固められている。
このしっくいの壁が、ここを地中海を臨む港と勘違いさせてくれる。
今日のような暑い天気の下、しっくいのシットリした触感はオアシスと言っていい。
しっくい、
このヒヤッとしたぬくもりが好きだ。
しっくい、
いずれ僕もしっくいの部屋に住みたい。
しっくり来た。
あぁ、これでやっと、
しっくり来た。


帰りは更に緩んだ身体と表情で歩く。
「くわぁ、この脈絡もなく降り注ぐ日光にどうしようもない無力感。幸せやわ…」
ホントに、僕の天気予報が当たらなくって良かった。
それはそれで、何だかしっくり来ない…。
   

ヒトリゴチル 2007/05/03
昼飯を買いにぽさっと外に出てみると、見違えるような天気の良さ。
陽射しの圧迫感を目蓋に受けて歩くと、
「あぁ、もう寒さの季節は終わったんだ」
と一人ゴチ、嬉しくなる。


昼飯をダラダラと食べた後は、近所の散策に出た。
いつもは歩いた事のない道を、ウネウネと迷い込んで歩く。
そんなウネウネの道筋には、
ところどころ玄関に鯉のぼりを飾っている家が見える。
「それにしたって…」
また一人ゴチる。
昔は結構色んな家が庭にポールを立てて、でっかい鯉を空に泳がせていたんだけどな、
サッコンの日本家屋にはそういった壮大な子供がいないのか?
壮大な子供を願ってないのか?
「屋根よ〜り〜、ひ〜く〜いっ、鯉の〜ぼ〜り〜」
一人ゴチ。


でも、家々の彩りは、春こそ絢爛と良い季節になるみたいで、
何だか知らないけどピンク色のバラみたいな花が賑わしく咲いていたり、
ヌラヌラした薫りを放つ薄紫の小さな花が、
ふんがっ、ふんがっ、咲いていたりする。
「咲いたよ、咲いたよ。
  何が咲いた?
  しらない花が咲いた。
  しらない花?
  花の一つも好きになりゃんせ」
再びの一人ゴチ。


日が暮れて、満月が上がると急に寒くなった気がした。
友達と飯を喰い、店から家に向かう途中、
「ぬほ、さぶっ」
今度は一人ゴチてなし子。
友達と声を合わせて、
「はぁぁん、さぶっ」
「ふぉぉぅ、さぶっ」


連休は快晴の青空と、満月が吹きかける冷たい風で始まった。
   

大人の味 2007/05/02
或る日、俺はまだ小学生だった。
風呂から上がると、何だか気分が大人びていた。
部屋に戻り、窓を開け、
夜風をほってった身体に浴びてみた。
風呂上がりに夜風に黄昏れるなんて、
俺にとって、それは未だ見ぬ大人の味だった。
何者かになった気分がしていた。
俺は普段練習嫌いだったけど、ギターを取り出し、
窓を開け放した、夜の近所に向かって、
習い中のクラッシックギターを数曲やった。
演奏は思ったよりも子供だった。
だけど、
あの大人の味を未だに忘れられない。


或る日、矢っ張り俺はまだ小学生だった。
風呂から上がると、何だか気分が大人びていた。
居間に戻ると、パジャマを胸まではだけ、そこから片腕を出した。
俺にとって内在する“男”を感じた初めての夜だった。
自分が今、とっても格好いいと思えて仕方なかった。
何者かになった気分がしていた。
そしてそのまま母親に写真を撮ってくれとせがんだ。
妙にイキガって頼んだ。
母親はしぶしぶ、
その当時は、まだハイカラだったポラロイドで一枚、
パジャマから片胸、片腕をはだけた俺を撮ってくれた。
モワッと浮き出てくる自分の姿は思ったよりも子供だった。
だけど、
あの大人の味を未だに忘れられない。


今宵、俺は押しも押されぬ大人である。
煙草も吸えば、酒も飲む。
思いもかけない決断をせまれ、刹那に決心してみたりもする。
正誤の答えはその決心で決まる事じゃない。
決心なんて以外に簡単にできる、
大変なのは、その決心の後、どう自分が動いていくかで決断の正誤が決まる事だ。
鏡に映った俺、
あの頃に感じた大人になっているようには思えない。
俺の決断は一体、どんな行動を呼び込んできたのだろう。
握り締める煙草の空き箱、
焦り、怒り、悲しみが眉間に帰って来たぞ。
こんな夜は、
あの大人の味を思い出してしまう。
   

甲子園に行く為 2007/05/01
何だかね、外に出る度、雨が降り出すような気がして、
今日は一段と雨降り。
今も
ヒトヒト、
ピンッ、
ピヒッ、ピヒッ、
と窓外の雨足が行進をしています。
明日には違う土地に行きなね。


今日の雨とは全く関係がない話ですが、
高校野球の学費免除等の問題が取り沙汰されてます。
実は高野連の気紛れな処分に、僕は結構憤っています。


僕がまだ野球少年だった頃、
地域で野球の上手い奴は越境入学して、甲子園の目指せる高校に入っていたよ。
越境して入れる学校って私立の学校だから、矢っ張りお金が掛かるよね。
それに越境して寮なり一人暮らしなりをしたら、また矢っ張りお金が掛かる。
それに対して、
「将来有望な選手には経済面でバックアップして野球に専念してもらおう」
と学校側が思い、
「その分、いい成績を残そう」
と選手が可能性を伸ばす事に、何の問題があるんだろうと思う。


僕は以前から言っている通り、高校に入ったら自分の学びたいものを専門に勉強するべきだと思っている。みんながみんな、押し並べた平均的な勉強をする必要はないと思っている。
美術が好きな子は美術、音楽が好きな子は音楽、数学が好きな子は数学、
何よりもその子が勉強したいものに専念させてあげるべきだと思う。
必要のない勉強で頭を悩ませる無駄はしなくていいんだ。


野球も同じ、その才能を開くため、野球尽くめで生活した方が、
日本の野球はもっと強くなる。


こんな何十年と放っておかれた問題を、
今更、突っついて、
将来の日本の野球界を担っていくような学生(学校)に、罰則を科している高野連は虚しい。
何で日本のオッサンはこうも若い個性が養われる貴重な時間を消してしまおうとするんだろう。
チームや選手に大会の出場を自体さ奪うなんて、貧相な衣考えやなと思った。
このまんまでは甲子園大会にヒーロが出なくなっちゃうよ。


野球が出来る子は、矢張りその実力を認めてもらい、
早いうちから恵まれた環境下で野球をした方がいい。
僕はそう思っているよ。
   

誤解を恐れず、女好きの話 2007/04/30
「イッタイッ!誰か押したっしょっ!」
オッサンの声が何度も頭に蘇る。
あの時、だ〜れもあの人を押してなかったのに、
一時間に一回はその声が、盛り上がる店の話し声の中に響いていた。
その雄叫びが耳に届く度、僕は呑んでいた酒を吹き出していた。


つ〜い、つ〜い最近。
あることろにストレートな僕がおったそうな。
これは、僕がたまたま友人に誘われて、オカマちゃんが経営するお店に入った時の話ぞな。


その人は、膝までの丈の真っ白な和服を着て、真っ白なオカッパのヅラを冠っていた。
その人は「アタシ?ナカモリアキナよ」と言っていた。
その日、アキナさんは誕生日だと言っていた。
それでその真っ白な着物を新調したらしい。
入店した時は、着物の値段は35万円もしたと言っていたが、
朝方には65万円に値上がりしていた。


アキナさんは時折僕の隣に座って、
「アンタ、本気でアタシと付き合いなさいよ」
と誘って来たが、僕は所謂『ノンケ』、そっちの気はない。
「でも奥さんいるんでしょ?」
と言うと、
「じゃぁ、6000円あげるから!」
と答えていた。
でも、朝方には、
「じゃぁ、350円あげるからっ!」
と値下がりしていた。


以前に一回だけオカマバーに入った事がある。
お酒を呑んでいると、
「この子、今日入ったばかりの新人の子だから仲良くしてあげて〜」
と紹介されて、一人のオカマちゃんに会ったけど、
僕より肩幅があり、肉付きもよく、
お化粧を一生懸命していたが、そのファンデーションに浮かぶヒゲのそり跡は、
僕のヒゲよりも濃かった。
そんな男らしいオカマちゃんの、
名前を聞いても、何を聞いても、いちいちモジモジ恥じらう様を見ていると、
危うくこの人が男だという事を忘れてしまう。


男でもこんなに可愛らしくなれるもんなのか、
男女の境は単なる身体の造りだけなのか、
オカマちゃんとしては不出来で未熟な男に、僕は痛感させられてしまった。
そう考えると、
僕が恋をする上で、
どうしても捨てられないのは身体の造りの部分だけなのかという事になり、
それはそれで、何だかイヤらしくもある。


友人は男女を問わない、
恋人は男女を問う。
このような店にいると、その不思議な境目を考えさせられる。
結婚の相手が異性になるのは何故だろう?
性格、考え方、生き方を共感し合える仲間は男女を問わずにいる。
ただ、結婚の相手には男女を問う訳だ。


それは不思議だなぁと改めて思うけど、
矢っ張り身体の造りの問題なのかなぁと思う。
これはイヤらしくはない。
子孫の存続を僕も願う。


ただ、こんな店にいると、
それはあくまでノンケ、ストレートである僕の考え方に過ぎないのだと教えてくれる。
僕の場合は心と身体がどうしようもなく女性に恋していくけれど、
それはあくまでノンケ、ストレートである僕の考え方に過ぎないのだとこの店は教えてくれる。


この店で、初めてレズピアンの人と話し、女性のバイセクシャルの人とも話させてもらった。
この人達は、秘密を共有し合うところから愛を始めるように思えた。
これは異性を愛する人達は、結構避けて通ろうとするところなんじゃないだろうか。
そして、この人達を見ていると、
異性を愛する人達より断然、自分の想いが相手に伝わる限度を知っている気がした。


ホモセクシャル、レズピアン、バイセクシャルの人達に囲まれ、
なじられ、誘われ、楽しくいると、
つくづく、
僕は女好きだなぁと思った。
僕は本当に女好きだ。
   

昨日の臭いがした 2007/04/29
半分は目が閉じていて、久々に陽射しが重い、重い。
それでも顔を持ち上げ、見上げる空は快晴。
雲が見当たらなかった。
身体に吹き込む新しい日の空気は、
汗ばむほどに暖かい。
ここ数日天気でどんよりした気分も吹き飛ぶようだ。
今日は暖かかった。


とは言え、地下鉄の構内から這い上がり、
自宅に着くまでの約10分だけしか、その天気を拝んでいない。
あとは家のベッドで泥人形より怠惰な姿で眠り込んでしまった。
もう一度、目蓋を開いた時にはすっかり今日は暗くなっていた。
一人暮らしには、如何ともし難い事だが、
矢張り起こしてくれる人がいないというのは寂しい。
今日は短かった。


僕にとって、久し振りの泥酔と言ってよかった。
昏睡している間、
頭を埋めた枕が「マッサージチェアか」と思うほどに、
うねうね、こめかみを圧縮していた。
何度か吐き気をもよおしたが、睡魔にかき消され、
何度か昨夜の風景がフラッシュバックして、思わず目を開けそうになったが、
それも睡魔にかき消されていった。
そして何にも邪魔される事なく睡魔は、僕を夜までむしばんでいたという事。
目が覚めると、妙にすっきりして気分が良かったが、
身体のアチコチが筋肉痛になっていた。
一体、どんな激しい運動をしてこのような事になったのかが思い当たらない。
二の腕、肩、背中、腰、太腿、
が筋肉痛。
一体、どんな激しい運動をしてこのような事になったのかが思い当たらない。


つまり、昨夜から今朝にかけての出来事は、
僕の努力の甲斐もあって、すっかり忘れてしまう事ができた。
起きた時の気分の良さは、昨日までをリセットできた証拠だと思う。
ただ一部、
何だか鼻だけが一向にリセットされなかった。
ずっと、ここにない何かの臭いを嗅ぎ続けている。
昨夜の事は忘れてしまったから、今更この鼻腔に残った臭いが何の臭いなのかが解らない。
何を飲んでも、
何を食べても、
ずっと同じ臭いがした。
ずっと昨日の臭いがした。


昨夜着ていたジャケットを風呂場に吊るして、
贅沢なほどにファブリーズを吹きかけた。
乾燥機を風呂場に入れて乾かしてみたが、
煙草の臭いはとれても、
矢っ張り昨日の臭いがした。
ずっと昨日の臭いがした。
   

友情を回転させるエナジー 2007/04/28
人には様々な理由があって、今ここに生息している。
そして僕等は知り合い、友人となり、
話しても話さなくても、心を許し合って生きている。
その理由一つ一つに僕が興味を持ってもいいんだけど、
何だか野暮な気がして、大体は聞き流してしまう。
例え聞いても、その日のうちに忘れる努力をする。
悪い意味じゃなくて、その方が圧倒的に友情を回していけると思うんだ。


ちょっと分かりにくい事かもしれないけど、僕はそう感じて生きている。
人に何かを打ち明けられたなら、それは必ず僕の中に留めておかなくちゃいけない。
その胸のうちにしまっておく行為に関しては得意なんだけど、
その秘密はその人と接する時に微妙な影を落とす。
そいつが僕は苦手なんだろう。
どうしても、その日、その日で、いちいち新しくフラットで友人と接していたい。
だから、僕は人に言われた事の大半を、その日のうちに忘れてしまう努力をするのだと思う。


昨夜から今朝にかけて、久々に完全無欠の酔っ払いになった。
その間に、色んな人と知り合い、
また色んな人の静かな秘密に触れる。
アルコールでぐわぁんぐわぁん回った頭の中で、
みんなが平等に、小さな秘密を抱えて生きているんだと再認識する。
その耳鳴りがするほど賑わった小さな店の中にいて、
こそっとみんながそれぞれの秘密の一端を共有し合い、
みんながその共有し合った秘密を、
矢張り店のドアを出ると、ころっと忘れて、
また自分に帰っていく。
だから、人と知り合うって面白いと思うし、
新しい出会いの中で、自分がどんな偏屈を持って生きているか、
少しは正直に話していこうと思う。


僕は、これまで自分の偏屈を人に正直に申し上げる事が嫌いだった。
そんな偏屈な本音を語っても、
ただの弱音になると思っていたし、
ただのおしゃべりになると思って、
ただひたすら自分の事に関して口を閉ざして来たのかもしれない。


でも、今は変わって来た。
人様から一つの正直な想いをもらったのなら、
僕も同等の想いを正直に吐露してみようと思うようになった。


持ちつ持たれつ、
それは案外悪くない言葉だと、
ここ数ヶ月で実感できるようになった訳だ。
   

再見 2007/04/27
眠ろうかと思い、布団に入ってヘッドフォーンをする。
大音量で耳に流れたのが、先日の7th floorのLIVEの録音。
聴いていると未だに軽い緊張感が身体に蘇り、
指先から爪先まで、小刻みに奮え出す。
幾度もリハーサルで流した汗とビートが身体に刻み込まれているようで、
結局、興奮で目が冴えてしまった。
枕に顔を突っ込んで、気持ちを鎮める。
自分の為に、夜伽話をひとつ。


中国語の「再見(zai-jien)」という言葉、
「再び見る(会う)」と書いて、『さようなら』という意思になる。


もうひとつ同じ意味の言葉がある。
「回頭見(hui-tou-jien)」
「頭を回して見る(振り返って見る)」と書いて、
矢張り『さようなら』の意思になる。


この言葉は場面によって、心強くもあり、悲しくもある。


ある教室で男と女が出会う。
生まれた国が違う若い二人の時間には四年という期限があり、
それは越える事の出来ない決まり事だった。
だから二人は、毎日会える時間に精一杯熱中し、
遠い先の約束を考えたり口にするのは避けていた。
口に出せば今が虚しくなり、将来に無責任になる事を知っていたからだ。


毎日は、約束なんてしないでも、この教室に来れば必ずあの人に会える。
そして夜が更けるまで唄い、他愛もない事を話す事ができる。
そんな日々、唄い疲れ、寮の門限が近付くと教室を出て真っ暗なグラウンドまで散歩する。
図書館と学生食堂の四つ辻が外灯で明るく照らされている。
そこまで来たら、「再見」という言葉を交わす。
それは確かな約束で、何の疑いもなく当たり前に明日へ希望を見させてくれた。


でも、年月は過ぎてみると恐ろしいほどあっという間に終わりを告げる。
一人は生まれた国に帰り、一人は生まれた国に残る。
離れてしまえば、二人とも、国を渡って気軽に会いに行けるような環境ではなくなる。
そして何よりも、二人ともが続いて行く自分の生活の為、
これまでの四年間に踏ん切りをつけなければいけない決意があった。


最後の一日、飛行機が飛び立つまでのわずかな時間、
二人はいつもの教室で会うのだけど、どうしても口が重くて開かない。
まったく沈黙して、残り少ない時間がどんどん過ぎてしまう。
その時間を必死で止めようとしたのが、女の子の涙だった。
「また会おうね」
そこで初めて二人は遠い先の約束を口にする。
もう無責任な言葉ではなかった。
すがるような想いで確かめた約束だった。


女の子はこの日の為に必死に選んだ贈り物を用意していた。
それは小さな写真立て。
中には二羽の鶴が踊っている写真が入っていた。
それを男の子に渡すと、二人は教室を出た。
「再見」
再び会う事のない約束に思えた。


もう二人がこの教室で会う事はないだろう。
男の子は定刻通りの飛行機で飛び立ち、
女の子は思い出の詰まった学校で生活を続ける。
若い二人は、再び会う事を想像する余裕を持ちようがなかった。


男の子は生まれた国に戻り、スーツケースに詰められた四年間の思い出を整理した。
勿論その中に女の子にもらった写真立てが入っている。
それを手に取り眺めていると、何かの予感が走り、写真立ての裏を開けてみる事にした。
すると、矢張り写真の裏側に手紙が隠されていた。
『またいつか会おう』
二人の最初で最後の約束を書いた、短い手紙だった。
離れてしまった今、女の子が懸命に振り絞った言葉に、
男の子はただせつなく、胸を重くしていた。


でも、それが全てではなかった。
男の子の想いは女の子の決心には遠く及ばなかったのである。
その短い手紙には書き直した跡があったのだ。
『いつか』という文字だけ修正液の上に書かれている。
不思議に思った男の子が、その手紙を蛍光灯の明かりに透かして元々書かれていた文字を見てみると、
そこには『来世で』と書かれていたのである。


『また来世で会おう』


男の子はただ呆然と、明かりに透けた手紙を眺め続ける事しかできなかった。


「再見」
それは矢張り再び会う事を意味する。
人と別れる時はいつも必ず「再見」と挨拶をする。
今日、明日と限らず、二度と会えないかもしれない人ともそう言って挨拶をする。
それは、ずっと遠い先の巡り合わせまでの果てしない想いを、
知らず知らずのうちに約束しているのだろう。
   

サーフィン日和 2007/04/26
最近は、人のブログを巡る事をよくします。
ブログって何だろう?
ブログってどういう意味合いがあるんだろう?
慕夜記もブログにした方がいいのかな?
なんて思って、勉強の為に色々見ています。
全く知らない有名人から、よく知っている有名人まで、
もうそれは雑多にサーフィンするだけなのですが、結構楽しろいです。


今日もよく知らないモデルさんらしき人のブログに行き当たって、目を丸くしました。
日記の内容が、
『あぁ〜、今日も疲れた。
  雨が続くね〜。
  みんなもHappyな明日を迎えてね』
と書いてあるだけで、それが一日ならず二日、三日と、この意味合いの短文日記が続いているんですね。写真で軽く誤摩化してあるだけだったので、ビツクリしました。
それって日記にもならないんじゃないかと思うんですけど…。
何故この人はブログをやっているんだろうって、
目からウロコどころか、エラもセビレも落ちる思いでした。
ブログってどうもそういったもののようです。


最近の僕のブログ分析結果。
一番目につく内容は、その日の食事の写真を載っけて『ちょ〜美味しかった』的な日記です。
自分で作った料理や、お店で食べた料理の写真が、
日々、もれなく『ちょ〜美味しかった』と説明が付け加えられてアップされている風潮は解せないですね。見ている人が『ちょ〜美味しそう』と思うには距離があるように思いました。
それって公開する必要があるのかなぁ?って思うんです。
たまにオススメの料理として載せるなら解るんですが、日記替わりに毎日見せられても…と思うんです。
が、矢っ張りそういった内容がブログの大半を占めているので、
ブログ自体がきっとそういうもんなんだなという結論に達しました。
勿論、真面目に日々の想いを書き綴ってあるブログがあるし、僕はそういうのが好きなんですが、
ブログっていう媒体自体は、横のつながりを持って広めていく事が目的のものに過ぎないんだなと思いました。
簡単に作れて、簡単にどこからでもアップできて、簡単に見てもらえる、
あまりに簡易的なものなので、使う目的が安易だと、矢張り安易な内容のものを世にさらけ出す事にしかならないのだとも感じました。


僕が何故ブログに興味を持ったかというと、
今この慕夜記のページでやっていますが、
ひょっとしたらブログにした方が読み易いのかなぁと思っただけです。
結局、ブログは短い文章には適していて、あまり慕夜記には適していないような気がします。
だからこのままの形で続けていこうと思います。
勿論、『31rpm連動ブログ』を僕は持っている訳で、
あれはあれで、目的のはっきりしたものなので楽しろいです。


日々、文明が進歩してくれる事は大変有り難いのですが、
その分、頭の帳尻を合わせて考えなきゃいけない事が増えるので、
それはそれでキリキリ舞いといったところです。
   

狐狸霧中 2007/04/25
雨の音が朝からシットリ心に沁みて来ます。
何だか湿っぽい気分で嫌だなと思い、朝風呂に入ってさっぱりしようとするのですが、
シャワーの音がシットリ心に沁みて、矢張り湿っぽいのです。
心に出来た水溜まりは、矢張り一日の何気ない出来事の中で乾かしていかなくちゃいけないなと思います。


夜も深くなると、雨はやんでね、
煙草を買いに外へ出てみたんだ。
道は少しだけ乾いていて、マンホールの蓋だけが水溜まりになっていたよ。
生ぬるい湿った夜風、
今日は一度もカラっとしなかったな。


一番近いコンビニでキャスターマイルドを買ったら、パッケージが変わっていた。
『バニラが生み出す「やわらかな甘い香り」を引き立て、
  よりキャスターらしい味わいに 仕上げました。
  ふと、空を見上げて、
  『ほっ…と一息、ソフトスウィート』 Caster』
(喫煙は、あなたにとって肺気腫を悪化させる危険性を高めます)

だって。素晴らしいどんでん返しだね。
煙草に火をつけて、ブハっと一息、見上げる空にはバニラの油みたいな星が出てたよ。


いつもの商店街は、思ったよりも香水と酒の匂いに満ちていたんだ。
夜にこの界隈を酔っ払って歩く事はあっても、シラフではない。
こんな歓楽の灯りが煌々しい一角になるとは思ってもみなかったよ。
僕、ここに棲んでもう7年になるんだけどな。


汚い雑居ビルの階段がブラックライトで照らされていて、
2階から二人のサラリーマンがヨタヨタになって降りて来たのさ。
階段の上には紅いチャイナドレスのスリッドをはだけた足だけが見えて、
「じゃね、また来てねぇ〜ん」
と声を掛けていたよ。
男二匹はさ、その声に振り返りもしないで大仰に語り合っているんだよ。
「いやぁ、よかったじゃ〜ん」
「よかったれすよぉ」
「色々あったんだろぅ?」
「色々してもらいましたぁ」
「よかったじゃ〜ん」
なんて具合で、夜の企業戦士は完全に狐に化かされている様子だった。
彼等の上着の内ポケットに入っている名刺が、
朝には泥まんじゅうになっていたら面白い。


いつもの道で、いつもと違う気色に見とれて歩いていると、
向こうから全身“白”の女の子が歩いて来たよ。
身体より少し大きめの白いスーツを着ているんだけどね。
『こんな時間に、こんな道を女の子の一人歩きは心細いだろうなぁ』
と思っていたら、矢っ張りその子は僕の方を警戒しながら見ていたんだ。
『僕はただの散歩。寂しさに取り紛れて君を獲って喰うような真似は絶対にしないから安心しな』
そう心で返事をして、僕はその子とすれ違ったんだ。
そしたら、女の子は意を決したように僕の背中に話し掛けて来たんだよ。


「…マッサージ…要リマセンカ?」
って。
そんな、
嘘だろ?


見た目で、てっきり日本人かと思っていたら、
こんな短いセンテンスさへ片言の女の子だった。
まさかこんな深夜に、道ばたで本当のマッサージ師が客引きをしているとは思えないよ。
なんて事だろう、
こんなオボッコイ外国の子が、僕に自分を獲って喰えと言っている。
(そんな一夜の気休めで)
「マッサージは要らないよ」
とだけ返事をして、僕は歩き続けた。


僕に必要なのは、凝り固まった肩と頭と心をほぐすマッサージで、
君の売るマッサージじゃない。
君も、お金が必要な狐なのか?
僕だってお金が必要な狸さ。


僕は思うんだ、
「…うた…要りませんか?」
こんな時、ギター片手に君の心を和らげる唄をあげるよと言ったなら、
君は僕を買ってくれるだろうか?
財布に余った缶ジュース分の小銭でいい、買ってくれるだろうか?
(ソンナ一夜ノ気休メデ)
「唄ハ要ラナイヨ」
とだけ返事をして、君は夜の街をあっちこっち歩き続けるんだろうね。
僕等の商売は日用品を売ってる訳じゃないんだからね。


こうしてイーブンさ、
お互い商売を断られ、イーブンさ。
狐と狸の化かし合いは、
僕と君の場合、お互いが化け切れないんだよ。
お互いが化ける事に躊躇して、シッポを出してしまうのがオチさ。
それだけ正直さを残してるって事かもしれないよ。
だから、だからこそ、
僕は当分夜のこの道を歩かないし、
君も明日には違うものに化けなよ。
きっと、そうしなよ。


そんじゃね、
きっと僕等は二度と会わないよ。
おやすみ。

   

別に帰りたい訳でもないのに… 2007/04/24
ふと、僕が通った高校の校舎に中庭があって、池があったような記憶が蘇った。
蘇った記憶に意味合いはないんだけど、
妙に懐かしく思った。
別に帰りたい訳でもないのに。


ついでに、僕が通った高校の部室の窓を開けると、
用水路の向こうに文房具屋を見下ろす事ができたような記憶が蘇った。
蘇った記憶に意味はないんだけど、
妙に懐かしく思った。
別に帰りたい訳でもないのに。


僕は電車で高校に通っていた。
二両編成の小さな電車に学生がぎゅうぎゅうに詰めて乗っていた。
ある日の帰り道、電車に乗っているとぎゅうぎゅうの学生の中に立っているお婆さんを見付けた。
座っていた僕はとっさに立ち上がり、席を譲ろうと、
お婆さんの肩を叩いた。
と、同時にもう一人がお婆さんの肩を叩いていた。
同級生の女の子だった。
僕もその子も同時にお婆さんの肩を叩いた事に照れくさくなって、
恥ずかしそうに元の席に引っ込んでしまった。
お婆さんは立ったまんまだった。
蘇った記憶には意味がないんだけど、
妙に懐かしく思い出した。
別に帰りたいなんて微塵も思わないんだけど。


その後、僕はその女の子と同じクラスになった。
僕もその子も、ちょいちょい自主的に遅刻をするタイプで、
クラスの遅刻回数ではツートップだったような気がする。
で、僕はきっとその子の事が好きだったような気がする。
或る日、僕は定刻通り登校したけど、
矢張り学校にいるのが嫌になって、「腹痛」という適当な理由で自主的に早退した。
ゆうゆうと電車に乗り、街の駅まで戻って来た。
電車を降りてプラットホームを改札口に向かって歩くと、
僕の進む先に、その女の子が登校するため電車を待っている姿が見えた。
自主的に早退してきた僕と、自主的に遅刻する彼女の交差点。
僕は何だか照れくさくなってその子に気付かれないように歩こうと思った。
けど、田舎の狭いプラットホームの事、彼女はすぐに僕を見付けてしまった。
彼女が身を乗り出すように僕の行く手に顔を出したんだけど、
僕は恥ずかしくて違う方向へ避けるように歩いていってしまった。
何故恥ずかしかったかはわからないけど、僕は急ぎ足でそのプラットホームから去った。


蘇った記憶には何も意味がないんだけど、
あの時、二人で学校とかわずらわしいものから抜け出して、どっかに遊びに出ていたら、
そんな知恵が僕に回っていたら、と今更思ったりして、
妙に懐かしい想いになる。
別にやりなおしたい訳でもないんだけど…。

   

無口 2007/04/23
日頃の生活の中で、大きく重たい気持ちが芽生えたりする。
それがもし怒りや悲しみならば、
自分の心の器に溢れないうちは、兎に角言葉に出さず、
持ち切る事だと思う。


持ち切れない怒りや悲しさは、持ち切れないと思っているだけで、
大概は心の器に収まるものだと思う。
人が本当に自分の想いを持ち切れなくなると、
大概は無口になるものだと思う。


この無口という行動に、僕は何か意味があると思ってきたように思う。
「絶対に言うもんか!絶対に言わねぇ!」
「反論ぜずに、黙って言われ続けよう」
「言葉にしてしまうとつまらない。雰囲気を楽しもう」
色々な場面で無口という行動が、僕を僕らしく立たせてきたと思う。


嫌味、噂、悪口、妬み、
これらは人に言う事で自分を楽にしてはいけないと思う。
嫌味、噂、悪口、妬み、
これらを聞くと、自分に関係ない事でも心が傷つく。


認める事、許す事、
心の器に入れて、兎に角言葉にしないで、
愛する事、助け合う事、
心の器で持ち合う人間関係が大切だと思う。


不平、不満をすぐに口に出していると、
そのうち一言も心の器にしまっておけない人間になってしまう。
言っても仕方ないとわかっているような事は、
矢張り言うべきじゃない。
持ちきれないからと言って口に出しても、
自分がすっきりする事以外は、何も進展しない。
心の器が大きくなれば、
自分の想いだけじゃなく、人の想いもしまっておく事ができるようになる。
そして、人は本来の優しさを身に付けていける。


「言うんじゃなかったな」
「ちゃんと伝えればよかったのかな」
その繰り返しで、自分の心の器は大きさが決まってくる。


だから僕は無口でいたい時がある。
目を開けて、心を開けて、
「さぁ入って来い」と、
僕は無口になりたい時がある。
   

東京観光 2007/04/22
「Hi! YAMA-chan!」
「We are BOYA-TOMO right?」


特に意味はないけど、
僕もノーテンキに声を出したくなりました。


本日は岐阜からお越しになった友人の東京案内をしました。
と言って、僕が東京を案内できるほど詳しい訳ではないのですが、
僕の偏った東京観光ガイドでお連れ回しました。
僕にとっても随分久し振りの散歩で、散歩魂の血が騒ぐ、
色んな思案事項から離れた、束の間の休日といったところかな、
なかなかのんびりと体力を使った旅になりました。


東京タワーという建物には、本日で生涯3回目の登上になりました。
僕はどうも東京タワーからの景色に感動できなくて、
と言うよりも都会を上から見渡すという事に楽しみがないと言うか、
3回ともに「ああ、ビルがある」という感慨にしか至りません。
高いところから街を見下ろすというのは、
支配欲を満たす事だと聞いた事がありますが、
その点でいうと僕には支配欲が皆無だと思われます。
東京タワーの展望台から、小さくなった街の見晴らし、
うなぎの寝床のようなビル、すし詰めの街並みに行き交う車や人の往来を見て、
「みんな、頑張っているんだなぁ」とは感動するんですが…。
ただ、ルックダウンウィンドウという足下がガラスになっているところは楽しめました。
床のガラスがいかにも危うい気がして、スリルがあります。
東京タワーは見晴らしを楽しむところではなく、高さを楽しむところなのでしょう。
自立鉄塔では世界一の高さだとコンシェルジュのお姉さんが説明してくれましたが、
その世界一は漠然としていて実感がないです。
でも、矢張り高い。
あの宙に浮いている感覚を体験できるルックダウンウィンドウはお勧めです。
東京タワーにお越しの際は、
是非、あのガラスの上で飛び跳ねてみて下さい。


東京観光の最後は浅草で迎えたのですが、
浅草の持つエネルギーは独特で、僕には刺激のある街です。
どの店に入っても、誰かが話し掛けて来て一人にしてくれない。
夕食後にファミレスのドリンクバーでコーヒーブレイクを取ったのですが、
そこでもワインに酔っ払ったお婆さんが話し掛けて来て、結局話し込む。
店員の女の子が、
「おばちゃん呑み過ぎてあんまりお客さんを構わないでね」
と釘を刺しにきましたが、お婆さんはお構いなしに話し続けます。
「妹夫婦がガムに連れてってくれるって言い出して」
「へぇ、いいねぇ」
「妹に聞いたら泊まるホテルは4月20日にできたばっかりなんだって」
「じゃあ、いいホテルなんだよ、きっと」
「私はそんなホテルで泊まれるか心配だよ」
「別に大丈夫だよ」
「シンガポールにも行った事があるけど」
「へぇ、凄いねぇ」
「シンガポールで美味しかったのはオシンコだったよ」
「オシンコ?」
「納豆もあったよ」
「それ日本料理屋じゃない」
「あぁ、ホテルのねぇ」
「何?シンガポールで一番美味しかったのはホテルで食べたオシンコなの?」
「だからさぁ、私はそんなホテルで泊まれないんじゃないかと思って」
意味不明ではありますが、何となく運ばれていく会話。
仕舞いには皇太子と皇居の中で2回ほど会った事があるとか、
孫は二人いるけど、息子がなかなか結婚できないとか、
雨の日に南千住でツッカケ履いて走ったら、転んで手首の骨を折ったとか、
話す度にお婆さんはカッカッカッと笑います。
僕はそういった不毛な会話に興味を持つ質で、聞けば聞くほど楽しかったです。
僕等は店を出る時、お婆さんに、
「じゃ僕等はお先失礼するけど、おかあさん、あんまり酔っ払ってまた怪我しないようにね!」
と言い、
「じゃ、お元気でね」
「帰り道に気を付けてね」
と挨拶をして店を出たのですが、
その僕等の背中に向かってお婆さんが大きな声で、
「また、会おう!」
と言いました。
何て果てしない約束なんだろうと思ったし、
何て儚い約束なんだろうとも思いました。
それほど切れのいい、清々しい無駄な約束でした。
   

何となくの… 2007/04/21
僕は何となくのイタリア好きだと思う。
別にイタリアについて詳しい訳でもなく、
行った事も、行こうとした事もない。
とにかく何となくのイタリア好き。


ただ、その何となくのイタリア好き歴は長い。
中学三年生の時に「ゴッドファーザーPART3」を見た事から始まっている。
「シチリア」「オリーブオイル」「ドン・トマシーノ」「ミゲーレ・コルレオーネ」
これらの言葉は、当時の僕を魅了した。
別にマフィアが好きな訳ではない。
どちらかと言えば嫌い。
ただ映画の中の言葉の色気や、描かれているシチリアの風土に憧れた。
いつかは行ってみたいと思っていたが、
今日まで、いつかは行ってみたい止まりになっている。


僕は何となくのイタリア好き。
以前お金がない頃、僕は毎日パスタを茹でて食べた。
パスタが450gで98円、ミートソース一人前で99円だった。
僕はその頃、「ゴッドファーザーPART2」に魅了されていた。
ヴィト・コルレオーネ役のロバート・デ・ニーロが、
貧しいアパートで奥さんの作ったパスタを仲間と食べているシーンで、
パスタのトマトソースをパンにつけながら食べていたのがとても美味しいそうだった。
だから僕もパスタとフランスパン(100円)という食事を二週間近く続けた。
こだわりのあるイタリア好きではなく、
イタリアについて何にも知らないけど、
こういったイタリア風味がとても好きだ。


僕は何となくのイタリア好きだ。
振り返ってみると、イタリア系の人の顔が好きな事が多い。
ただ、それは女性に対するタイプではなく、
僕がこの男、格好いいなぁ、色気があるな、シビれるな、
と思える憧れの男だ。


最近、老いたロッキーがリングに上がっている。
「ロッキー」を初めて見た時、
シルベスタ・スタローンに親近感と憧れを抱いた。
あのスタローンの鼻は、僕に妙に親近感を与える。
そしてロッキーはリングに上がる時、リングアナウンサーに、
「イタリアの種馬、ロッキー・バルボア!!」
と紹介されていた。


これに共通した格好いい憧れの男達、
それは僕が歌手として最高に敬愛しているブルース・スプリングスティーン、
そして、アル・パ・チーノ。
そして、デル・ピエーロ。
ブルース・スプリングスティーンがイタリア系の人かは知らないけど、
顔を見ると、イタリアの男前という感じがする。
デル・ピエーロについてもどんな素晴らしいサッカー選手か知らないけれど、
とにかくその男振りがいいと思う。


つまりこの男達に共通して感じる、何となくイタリアポイントは鼻かな。
これが僕に、イタリアを感じさせる。


こうして僕の半生は何となくのイタリア好きで語る事ができる。
このまま何も詳しくならず、イタリア風味を愛し続けるのもいいが、
矢張りイタリアという国には、いずれ行ってみたい。


そんな夢想で、今夜の夕食、
トマトソースのパスタは最高に美味しかった。
   

案山子 2007/04/20
今日のライブに足を運んで下さった方に、
心から感謝します。
有り難う。


まっすぐ、という言葉、
普段からまっすぐあろうと考えますが、
振り返ってみると、僕は割と蛇行して物事を考える傾向にあるようです。
だからこそ、まっすぐを意識する訳で、
ふと思うのは、
今、ステージに立っている時間が、
無駄な欲がなく、ただシンプルに用意した曲を唄う事だけに専念します。
あれやこれや盛り込んで唄を着飾らず、
自分の曲を作った時、本来の形に自分が近付いて唄っていく、
思えば、あの時間だけが僕にとってまっすぐな時間と言えると思います。


一本足の案山子のような存在で、
風に揺られ、雨に濡れ、日照りにくたびれながら立ち続けます。
仕事は見張り番。
頭を垂れる稲穂の数を毎日数えて、
雀が寄って来ても、手出しできやしない、
ただ全てを見守るだけの、
本当の見張り番。
日々の出来事の中で、
ひょっとしたら僕は田植えができるかもしれない、
ひょっとしたら僕は稲の収穫ができるかもしれない、
ひょっとしたら僕は雀達のよい相談相手になれるかもしれない、
誰かの為、ごく当たり前にそんな想いを持つのですが、
それは案山子の仕事ではなく、
それは案山子に出来る訳もないのです。
そんな欲を持った途端、
一本足で支えていた身体はバランスを崩します。
自分は本当の人間になれるかもしれないと思っても、
生まれた時から案山子という職業を背負わされているので、
あれやこれやと思うより、
ただ一心、一本足で立ち続ける事に専念すればいいと思います。
ただまっすぐ、田で起きるすべての風景を見続ければいいと思います。


集中している時は、本当にシンプルで欲がありません。
今、僕にとってのステージは、
一面の田んぼで、
僕はそれを見守る案山子と思います。
ステージに一本足で立ち、
ライブで起きるすべての風景をまっすぐ心に受けます。
欲をかけば傾き、
正直であれば唄はまっすぐ届いていきます。


今日のライブは、僕にとって印象深い、また心を奮わせたものになりました。
脳天に抜けていく集中力、
僕はもっともっとシンプルに磨いて、
これから起きるすべての風景を、
みなさんと見ていきたいなと思っています。
   

ネム睡眠の成果 2007/04/19
今日、起きたらまたノートとボールペンを枕に寝てました。
別に頑張って何かを考え抜いた訳ではなく、
考えようとした場所がベッドの上だった為、そのまんま眠ってしまっただけです。


眠りの中で発想すると、名作ができると聞いた事がありますが…
僕の場合は、今日もただ眠っただけに終わりました。


中学生の時、美術の授業でサルバドール・ダリの話を聞きました。
ダリは眠る時、スプーンを持って、またその手を浮かせておくんだそうです。
すると眠りに落ちた時、そのスプーンを持った手が力尽きて皿の上に落ちます。
その時の音で目を覚まし、浅い眠りの中で見た夢の風景をすぐに絵に描くんだそうです。
だから、あのような奇抜というか奇天烈というか、
でもどこか臨場感があって身近に感じる絵を描けたんだなと思います。
僕はダリの『聖アントワーヌの誘惑』という絵が楽しくて好きです。
ダリという人がどういう人か知りませんが、
ああゆう夢のような世界が好きです。


でも僕の場合は、今日もただ眠っただけに終わりました。


今までに夢の中で聴いたメロディーを曲にした事が、一回だけあります。
『私といふ幸せ』
という曲がそれです。
広い草原に強い風が吹いていて、空が曇っているという風景を夢の中で見ました。
そのどんより暗く湿っぽい空に、『私といふ幸せ』の最初のフレーズが何度も響いていたのです。
僕は眼を覚まして、すぐに曲を仕上げました。
あの経験は印象的です。


でも今日の僕の場合は、ただ眠っただけに終わりました。


眼を覚ましてから暫く、何となく不安で気持ちが焦っていたのですが、
よくよく考えてみると、何も不安な事はありませんでした。
覚えていないのですが、きっと夢は見ていて、
その夢の中で僕はきっととっても不安だったのでしょう。


それが今日の僕の睡眠の成果です。


枕にしていたノートを見ると、
『息が詰まるほど あなたの側で 唄ってたかった』
とだけ、書いてありました。
別に夢の中で思い付いた言葉ではなく、昨夜考えをメモした言葉です。
でも、今日それを見て、
これだな。
と決心して、新曲を完成にしました。


でもこの場合、夢で完成したのではないですね。


その後、そのまま何となくの不安な気分を引きずって、ダラダラと支度をし、
リハーサルに出掛けました。
勿論、明日のLIVEの為のリハーサルです。
訳もなく不安な気分なので、今日は誰を見ても不安になりました。
妙に人が遠ざかっていくような気がしました。
でも、実際はそうじゃなく、ただ僕が訳もなくそういう気分だっただけです。


これは今日の僕の睡眠の成果です。


でも、リハーサルで新曲に神経を使ったので、
いつしか不安は集中に変わりました。
無です。
心は無です。
心地よい無です。
僕があるべき無です。
明日のLIVEはこのまま心を無にしてやりたいと思います。
いい感じ、
みきさんのピアノは絶妙。
後は無にしてやるだけ。


今夜はいい睡眠をとって、
明日ステージで、睡眠の成果を見せようと思います。
   

境目 2007/04/18
思ったよりも銃が身近にあるような気がして嫌だ。
殺してしまえば問題が解決するみたいな単純な考え方が嫌いなのかなぁ。
映画などに、復讐で誰かを銃で殺したヒーローなんかが描かれているけど、
それが格好いいとか、男らしいとか思った事がない。
人の時間を無条件で断つという事に、微塵の正義もないと思う。
どこぞの何様でも許されない事だと思う。


まして人の背後から撃つなんて、卑怯にもほどがあるし、
よっぽど気が弱いんだなぁと思う。


まして人を殺した後で自殺するなんて、身勝手にもほどがあるし、
よっぽど何も考えないんだなぁと思う。


人間と言わず、動物全体が喧嘩する事より仲良くなる方が下手なんだなと感じる。
以前テレビを見ていたら、チンパンジーの縄張り争いについてやっていた。
抗争に負けた群れの子供が逃げ遅れ、相手の群れの食料になっているのを見て、
唖然とした。
同種でもこんな事が起きるのかと思った。


動物の本能・本質が、愛情なのか警戒心なのか、
人間の本来は、疑う事から始まるのか、愛する事から始まるのか、
よくよく、生活の中で自分に問いかけ、また愛情を先にする努力を持つべきだなと思う。


兎に角、自分のコミュニティーをできるだけ大きく、広く持つ事が大切なんじゃないかと思う。
家族を守る時、
地域を守る時、
地方を守る時、
国を守る時、
コミュニティーの中には愛情を持つ。
だったら宇宙の果てからエイリアンが攻めて来て、地球を守らなきゃ行けない時、
地球人達はみんなが仲間になる。
そう、みんなが仲間になるという事が想像できないだけ。


例えば、今、見知らぬ人、何人かと、だだっ広い草原を目の前にしていて、
「ここを好きなように使っていいから、家を建てて暮らしてよ」
と言われるとする。
まずどんな事から始めるだろうか。
何となく、塀を建てる事から始めたくなってしまわないだろうか。


その塀は何故必要なのか、本当に塀は必要だろうか。


人はどうしても塀を作って生きていく。
他人と自分との境、自分がやれる事の境。
それはきっと、自分の思い込みなんだろうけど、
ひとたび塀を作ってしまうと、今度はなかなかそれは壊せないものになる。
僕はなるべく人を平に見て、人が入る余地の有る、風通しの良い人間になりたいと思う。
自分を守る事に窮々とするのはつまらない。
何でもありの自由さで、人に愛情を持っていきたい。
   

Drive 2007/04/17
一生懸命に身を尽くす事は、
きっと誰にも評価してもらえない。
それでいいんじゃないか、
と、思う。


物事に一心不乱になって、
無我夢中で暗闇を歩く時、
同時に誰もがそうしている。
誰もが無我夢中の暗闇に手探りで歩き、
他人の心の芯までは見えっこない。
それでいいんじゃないか、
と、思う。


一番の理解者は自分でしかないものと思う。
悲しみに呆然としている時の息づかい、
ほっと胸を撫で下ろした時の情けないような涙一粒、
希望のきっかけが小指の先に引っ掛かった時の高揚、興奮、
真っ先に自分が分かち合い、褒め讃える。
それを手応えとしずに、他人の評価に求めると、
迷いの中でついには命を縮めるかもしれない。
優しさも、厳しさも、人に求めるものじゃない、
自分に一番優しくあるべきで、自分に一番厳しくあるべきなんだろう。
自分を見失わないとはそういう事なんじゃないか、
と、そう思う。


こういう自分の土台がどっしりしてないと、
人と比べてばかりになる、
人の言葉にいちいち感情的になる、
思いやりが持てない、
愛情の実感が持てない、
そして、
いつまでも、どこにいても、
安心できない。


僕はどんなに苦しくても、どんなに悲しくとも、
安心してもがいていたい。
一生懸命に自分と向き合い、戦う人、
自分に優しくある人の中で、
思いやり、助け合い、
安心して生きていきたい。
何が足りなくとも、安心して生きていきたい。
心の底から安心して生きていきたい。
それが僕という生き物に与えられた課題なんじゃないか、
と、思う。


オンボロで、ガタガタの、ガラクタのような車に乗って、
仲間と安心して走り出す、
Drive。
   

雨のせい 2007/04/16
何となく昨夜はギターの練習をしていたら、時間が経っていたようです。
結構集中して練習をしていたので、はっと気が付いたら部屋の物が白く照らされていて、
「しまった、朝か」
と慌てて寝ました。
という訳で、今日は一日寝不足に見舞われました。
自業自得なのですが、時間の経過の残酷さをまざまざと感じました。


電車に乗っている時、平和に居眠りできるかなと思っていたのです。
僕が目を閉じようとした時、そうはさせない存在感を持った女の人が僕の方へ向かって来ました。
見たところ普通の女の子なのですが、表情に何か強烈なあきらめ感の漂う子で、
電車の中をフラフラと虚脱に満ちて歩いて来たのです。
その子は僕の隣に座りました。
その異様な空気に僕は眠る事ができずに、ぼぅっと車窓の風景に目を流していたのですが、
時折、僕の耳に彼女の独り言がボソボソと届いて来ました。
まだ一日は始まったところなのに、彼女はとても疲れた声で、
何かをボソボソ恨んでいました。
彼女は大きな溜め息と共に化粧道具の入ったポーチを取り出し、
化粧を直しながら、矢張りボソボソ何かを恨み続けていました。
僕は隣にいたのですが、その独り言が何を言っているのかまでは聞き取れませんでした。
ただ僕は、彼女の隣にいて、
「一体誰がこの子をこんな想いにさせてしまったんだ」
と、くやしく思いました。


電車が終点に近付く頃、僕の向かいには上品な老夫婦が孫を連れて座っていました。
孫は男の子で小学生かな?幼稚園児かな?と思うくらいの年頃。
どこかに出掛けるこんな家族を見ると、とても楽し気に見えます。
いつかこの子はお爺ちゃん、お婆ちゃんにどこかへ連れて行ってもらえた事を、
大切な思い出にする筈。
三人はとても幸福そうに話していました。
電車が終点の駅のプラットーホームに入り、みんながソワソワ降りる支度をする頃、
その三人の家族に、60歳くらいのおじさんが満面の笑顔で近付いていきました。
そして男の子にとっても明るく話しかけるのです、
「今日はね、オジチャンの会社が倒れちゃってね、オジチャンは戦争に駆り出されるんだよぉ」
男の子は勿論、お爺ちゃんとお婆ちゃんも一体何の話か判りません。
「ねぇ、オジチャンはね戦争に行くんだよ。今日、会社が倒れちゃったんだよ」
そのおじさんがあまりにもにこやかに話しかけるもんだから、
老夫婦もぎこちない笑顔で頷くばかりです。
男の子だけはポカンと口を開けていました。
僕はその光景を目の当たりに、
「一体誰がこのおじさんをこんな想いにさせてしまったんだ」
と、くやしく思いました。


僕は電車を乗り換え、地下鉄の中にいました。
静かな車内で、みんながそれぞれ手元に置いた本や携帯電話、ゲームに逃げ込んでいる感じでした。
僕はすぐにその電車を降りるのですが、
その駅の手前で、
「イーッ!…ブルルー」
何度もクシャミの音が聞こえました。
それは典型的なカトちゃんくしゃみなんですね。
音のした方向を見てみると、うら若い女性が大きなマスクをして、
「イーッ!…ブルルー」
とやっているのです。
「イーッ!…」
まではいいのですが、
「ブルルー」
では思い切り鼻が鳴っているのです。
僕はカトちゃんくしゃみをよく練習しているので、その声に思わず吹き出しそうになったのですが、
その女性の表情を見ると、随分苦しそうだったので、すぐにそんな気は失せました。
僕はそのくしゃみの音を背に電車を降りながら、
「一体彼女をつらくさせた環境は何だ」
と、くやしく思いました。


改札に上がると、改札口で駅員を怒鳴りつけているおばさんがいました。


地上に出て、道を歩いていると後ろを歩く作業着のおじさんが独り言で何かを確認していました。


今日はやたらと独りの世界に入った言葉を耳にしました。
一体、何が原因なんだろう。
雨のせいかな?


楽器屋さんに弦やピックを買いにいったのですが、
その道すがら僕の後ろをとっても苦しそうな咳の音がついてきました。
咳の声色からすると若い女の子なのですが、
とっても苦しそうにずっと咳が止まらないようでした。
僕も喘息持ちなので、そのストレスは少なからず理解できます。
そしてその原因も何となく判ります。
これは雨のせい。
低気圧のせいなんです。
   

新しい音学 2007/04/15
今日の日中は、自宅で新曲のデモ作りでレコーディングをしてました。
曲の中で、静かに囁くように唄おうと決めているところがあって、
そういうメロディーを唄う時、僕の場合は腰の脇から後ろに掛けての筋肉を一定に保って、声の音量や音程が揺れないように支えます。それは表情にこそ出しませんが、結構頑張って出します。曲のパワーをグッと抑える場所って高揚するパートよりずっと神経を使うんですね(あくまで僕の声帯の場合)。


と、まぁ、そんな神経を使う静かなパートを唄っていると、
やにわにヘッドフォーンから甲高い女の人の声が聞こえて、思わずびっくり。
集中しているだけに突然の大きな音に触れると、必要以上に驚くんです。
力を入れていた腹筋も一気に緩んで、部屋をキョロキョロ。
勿論部屋に僕以外の人はいないわけですし、
未だかつて霊的な現象と確証の持てる事は一回も起きた事がありませんので、
明らかに外の音なのです。


つまり、区長選の選挙カーの声だったんです。
「○○□□です。△△区のみなさんこんにちは。○○□□、○○□□をどうか宜しくお願い致します!」
こんな声に、本日は3回くらい録り直しを余儀なくされました。
こないだの都知事選挙の時には、僕の街は蚊帳の外で、選挙カーの音は聞こえませんでしたが、
区長選になると、お膝元が大切ですから、活発に回っているようです。


それにしても、いつも思うのですが、もう少しやりようがないものかなぁ。
だいたいこういった選挙カーからは立候補者の名前と「宜しくお願い致します!」しか聞いた事がなくて、実際何をどうしたい人か判らないですね。
そうじゃなく名前を広めるって事だけに重点を置いているのなら、
それは…言葉を選ばず言うと…迷惑ですね。
名前のニュアンスだけで、このおじさんになら区政を任せられるとは思わないですよ。
せめて何をしたいのか教えて欲しいですね。
ドクター中松のテポドンUターン政策には度肝を抜かれましたが、
矢張り決まりきった名前の連呼よりは、
「この人は本気でテポドンUターン政策に取り組むんだな」
と思わせる訳で、それは選挙権を持つ人にとっては判り易いんじゃないでしょうか。


兎に角、僕は自分の新曲に選挙の広告が入りながら、デモを作りました。
その後、夜には六本木の事務所に行きました。
道すがら新曲のデモを聞こうとポータブルプライヤーで再生したのですが、
さすが大江戸線の電車。
ゴーゴー電車の音が激しく、ほとんど出来具合を聴けず仕舞いでした。
う〜ん、何だかなぁ。


兎に角、何気ない街の音が結構大きい事に気付いた一日。
こんなところに新しい科学がある気がします。
如何に静かな街を作るかっ、のような。
駅の雑踏の音、電車、車、携帯電話、馬鹿騒ぎ、
これらを静かにさせた街を想像すると、楽しそうですが、
僕のギターが真っ先に音量カットの対象になりそうな気がします。
それは嫌だな。
でも新しい音学、
新しい音学に今日も一仕事。
少し湿った夜風が心地よい気がします。
します、します、
心地よい気が志摩スペイン村!
欧米かっ!
三重だっ!
僕の洒落は上手くな伊勢!
頑張れ、頑張れ三重!
   

朝のカラスの笑い声 2007/04/14
昨夜、帰宅したのが恐らく午前四時頃かと思います。
さあて、慕夜記を書いて寝ようかと思っていたら、
自宅の玄関を開けたところに大きなカラスが寝転がっていました。
玄関の電気を点けたら、
「夜を明るくするような野暮な事するなよ」
と怒るので、真っ暗な玄関で暫くそのカラスと話し込んでいました。


「アー、アー、
  俺達カラスのような黒い図体をした奴は、どうにも嫌われるんだな。
  黒には妙な威圧感があるらしいよ。
  俺みたいに図体がデカいと、まぁ確かに威圧感があるのかもしれないけどね、
  でもね、ゴキブリなんて小さな奴まで、どうにも無条件で嫌われるんだ。
  俺はそんな事を恨んじゃいないんだ。
  朝俺が、何気なく歩道に下りただけで腰を抜かす奴なんか見てると、
  可笑しくって仕方ないよ。
  そんな時は、こう笑ってやるのさ。
  アー、アー、クーカッカッ!
  ってね。随分偉そうな身分だろ」


僕は何しろ酔っ払っているし、それに伴ってしたたかに眠い。
適当な返事を繰り返していると、カラスは太い足の爪で僕を突きます。
僕はカラスに突き起こされた事に少し苛立ち、
「一体、何で僕の部屋に上がり込んだんです。
  部屋ならまだしも、玄関に寝そべって電気も付けず、
  話なら部屋で聞きます。電気は点けませんから」
と言いました。


カラスは、
「アー、アー、
  余計なお世話だ。俺はお前の部屋になんか上がらないよ。
  今日の朝、お前が俺を見てボソッと呟いた言葉を覚えてるかっ?
  俺は聞き逃してないぞ。
  『自己顕示欲の強い生き物だ、カメレオンを見習え』
  って言いやがったんだ。
  わかるかっ?
  朝の白さに浮いてしまう姿、
  どうしても声が大きくて、内緒話ができない悲しさがっ。
  どんなに謙虚に尽くしても、俺は生きているだけで勝手に我を通してしまうんだ。
  平身低頭、懸命に生活してきたけれど、
  結局、この俺の姿ではささやかなぬくもりさえ手元に残らない。
  俺は思うんだ、
  一心不乱に身を焦がし、自分を押し隠しても、
  矢張りこの身体で生きる以上は、我を通す事になるんだよ。
  だから、俺は今夜、真っ暗な部屋でお前に会っている。
  お前の言う通り、カメレオンに見習っている。
  どうだ、わかるか、俺の我が」


僕にはカラスの姿が見えませんでした。
その事にカラスは至極得意気なのですが、
ただ、大きく太い声が僕を睨んでいる気配がありありと伝わって来ます。
結局、我を消す事なんてできない。
その後も、カラスはずっと僕に話しかけていました。
だけど、僕は眠気で半分もその話を聞いていられず、
気付くと玄関で靴も脱がずに眠っていました。


朝、遠いカラスの笑い声が耳に届き、僕は目を覚ましました。
昨日の寝違いがまたひどくなっています。
僕は朝の白い部屋にオロオロと起き上がってキョロキョロ見回したのですが、
カラスの姿はどこにも見当たりませんでした。
そして僕はいつもの通り、水槽を覗き、金魚に挨拶をしました。
水面にフリフリ顔を上げる三匹の出目金、
ゴスロリは愁色、メンデルは黒、クズモチは錦の模様、
「お前達もどうしても我が目立っているな。
  たまにはカメレオンになってみたいと思うかね」


それから僕は慕夜記を書き上げ、
水槽の水を新しくして、
そして洗濯機を2回、回しました。
生暖かい風に煽られ、ベランダの洗濯物は何度も窓を叩きました。
それはまるで、くちばしで突くような音だったので、
その度に僕はカラスがまたやってきたのかと思い、
ベランダの窓を開けました。
いい洗濯日和。
今日のうちに洗濯物は全部乾きました。
   

男の姿 女の姿 2007/04/13
すったもんだのプロ野球も無事開幕を迎え、
男子達の心はまた美味しいビールに向かいつつあるのだろうか。
最近、不祥事のニュースが話題を占めているプロ野球界だけど、
ユニフォームを着た王貞治監督は異彩を放っているように感じる。
大病により幾分痩せられているが、試合に臨む眼光は爛々と鋭さを増している。
鬼神の貫禄というか、あの痩せた身体から静かな闘魂の泉がふつふつと涌き出ているように見える。
野球に選ばれた男の、痛ましくも懸命な姿に感動する。
WBCで日本が優勝した時、子供のように無邪気にはしゃいでいた王監督を思い出す。
数々の栄冠に名を刻み、世界の王様として君臨する男、
試合において一瞬の気の弛みもない、ピンと張っている。
男の姿、男の姿と、僕は感動する。


かたや、先日観戦したサッカーでは、二十代前半の子達が怪我に悩まされながら懸命に試合に臨む。
二十代前半なんてちょっと無理したって、そう簡単には身体は壊れない。
そんな何をやっても身体が気持ちよくついてくる年頃に、
身体が言う事を聞かなくなるまでボールを蹴りまくる。
ピッチに立ち、ホイッスルが鳴って、またホイッスルが鳴るまで、
足の故障を微塵も感じさせず、
遠くへ、遠くへ蹴り出す。
これも男の姿、男の姿と、僕は感動する。


野球とサッカー、プロの世界はいずれにしても大変な職業だと思う。


さて僕はと言えば、今日の夜は代官山へ参上。
吉川みき姉さんのライブが観たかった訳だ。
みきさんの出番になり、ピアノがパンッと小気味よく弾かれると、
もう身体のリズムはみきさんによって制御される。
息が荒らくなっても、その唄をマイクから離さない。
そして、聴く人に気高いリズムを与え続けて興奮を教えてくれる。
身体の心配を微塵も見せずに、聴く人に微笑みかけ続けるみきさん。
これが女の姿、これが女の姿と、僕は感動する。


夜の結末は静かな週末。
雨が降っているなんて、微塵も感じさせずに、
しっとりアスファルトを濡らす。
こうして一日、こうして一日と、僕はつながっていく。
   

あと一踏ん張り 2007/04/12
頭の中っていうのは、一つ歯車の噛み合わせがずれるだけでぎくしゃくする。
それまで、トントン拍子に考えがまとまっていた事も、
歯車がずれると、一つの答えを考え出すのに異様に時間がかかってしまう。
僕の頭がさほど利口にできていないという事も多分に起因しているんだろう。
こういう時というのは、ふと気を抜くと、
思い出さなくてもいいような、既に破棄した記憶を突然思い出して、
苦しめられたりする。


自分の頭が肯定的に働き出すと、全てが肯定的に見える。
自分の頭が否定的に陥ると、何もかもに否定的な観測を持つようになる。
全ては自分が物事にどういう気持ちで能動するかって事で、
取り巻く世界はいつもと変わらない。
僕を肯定的に見て、僕が今あるべき場所に立たせようとしてくれる。
兎に角、こんな時期はゆっくり過ごし、
ちょっとした事くらいには、気を焦らせないように心掛けよう。


だから最近の僕は朝出掛ける前、部屋を片付けるようにしている。
今までは時間がないから、脱いだ物をそのまま床に捨て置いたままだったり、
布団が自分の蹴り上げたままの状態で出掛けたりした。
今は、時間がないのは変わらないけど、
遅刻に気を焦らせず、しっかり部屋を片付けてから家を出る。


食事をとるのにしても、空腹や時間に焦って流し込み喰いをしないようにしている。
こんな時期こそ、よく噛んで胃に入る実感を持つ。
だから、どんなテンヤモンでも美味しくなる。
だから、食事をすると気持ちが安らぎ頭をリセットできる。


兎に角、今は、
今は、何にも流されたくない。
今は、何かに焦って味気ない時間を過ごしたくない。
そして何よりも、流されてしまった今を将来の悩みの種にしたくない。
だから僕は、今、全てに対してノロマになる。



今日、いつもの帰り道に並んでいる桜が、
まだ全ての花を散らさず、懸命にピンク色を保っている事に驚いた。
おかしな話だけど、
僕はもうスッカリ葉桜になっているものと勝手に思い込んでいた。
これは僕がどこかに焦りがあり、時間を早く見積もってしまっていた証拠だ。
桜はまだまだ終わってないんだね。


さぁ、今日もあと一踏ん張り。
さぁ、4月もあと一踏ん張り。
こんば時期も、あと一踏ん張り。
希望の入り口まで、あと一踏ん張り。
踏ん張る。
踏ん張る。
   

走れ!津田く〜ん 2007/04/11
今日は夜の直前に茨城県は鹿島市にゴール。
何で鹿島に行ったの?と聞かれれば、
バスで。
これは古典的。


勿論、鹿島にはバスに乗って行ったんだけど、
何故行ったかと言えば、サッカー観戦で行ったという事。
僕自身は野球少年だったから、サッカーについて詳しくない。
テレビでもあんまり試合を見ないのだけれど、
同郷、同中学出身の先輩、某局のディレクターさんにお誘いを受け、
東京駅から二人で遠足気分。


行きのバスの中で、地元の話になって、
同じ中学出身の僕の同級生が、
地元に、岐阜県内で初めての『ドライブスルーがあるクリーニング店』を建てたんだって。
そう言えば、野球部の同級生の実家は『県内で初めて自動ドアを導入したクリーニング店』だと当時から自慢していた。
クリーニング店とは意外に発展的なバイタリティーがあるんだと感じた。
何しろ地元の話は鹿島までの1時間半の間、尽きなかった。


そして着いた鹿島スタジアム。
試合は鹿島アントラーズ対名古屋グランパスエイト。
僕は自分の地元のチームであるグランパスの応援をする事にした。


まず、バスを降りて閉口したのが、雨が結構な量、降り出していた事だった。
今日にかぎって僕は薄着に衣替えを図っていたから、兎に角寒かった。
風邪をひく訳にはいかないので、アントラーズのポンチョ(雨ガッパ)を買い、
焼酎のお湯割りを呑んで、観戦する事にした。


試合が始まるまでは、寒さや雨に消沈していたんだけど、
ピッチに選手が並び、試合が始まるとすぐに、興奮で寒さも忘れてしまった。
サッカーはどうしてあの人が歩いていて、どうしてあの人が必死にボールの関係ない所で走っているのかなど、意味が解り切ってないところがあるけど、ただ興奮はできる。
それはまず、今日の試合はナイターであった事が一つの要因。
僕の小学生、中学生の頃は、友達と陽の沈むまで野球をし、真っ暗でどこにボールが転がったのかわからないような中でも、必死に目を凝らして遊んでいた。
そんな野球少年の憧れ、それはナイターだった。
夜を昼に変え、不自由なく試合が出来る。
これをできるのは当時プロの選手で、手の届かない憧れだった。
だから、スタジアムに入った時、まず昼のような照明に感動して興奮してしまうのだ。
そして、その昼のようなグラウンドの上には数人の選手しか立てない。
客席に結構人がいても、あのグランド上には野球なら18人、サッカーなら22人。
4000、5000、1万人とたくさんのお客さんが小さなベンチにひしめき合いながら観戦していて、
選手達は客席より広いスペースに立ち、しかもお客さんより圧倒的に数は少ないのである。
あそこを自由に走り回れるのは、矢っ張りプロの選手で、手の届かない憧れだな。


グランパスの中に背番号26を付けた津田という選手がいて、
試合中その人は、僕等の中学校のすぐ近くに実家があると聞かされ、僕は勝手に親近感を覚えてしまった。
「津田く〜ん、ガンバレ〜!」
「津田く〜ん、根張れ〜!」
「津田く〜ん、走れ〜!」
今日初めて会って、話した事もない津田選手に肩入れしてしまう気持ちは、
郷土愛なんて気恥ずかしいもんじゃないけれど、
矢っ張り岐阜県各務原市がくれるものなんだろうか。


始終興奮、始終感心して試合は終わった。
2対1でグランパスは負けた。
サポーターに選手達がお辞儀をしていたが、
一部には激しくヤジるサポーターもいる。
そんな中、選手達は頭を下げ、
試合に対してとても悔しそうな表情をしていた。
「くやしい。あぁ、何かくやしい〜」
とぼやいていたのは僕。
知らん間に感情移入してしまっていた。
ふと気が付くと、雨は強くなっていた。


帰りのバスの車内はとっても温かくて、思わず熟睡。
目を覚ますとと、また東京駅の看板を見ていた。
見渡す限りビルのない鹿島で、とってもいいものを見て来れたと思う。


選手のみなさん、有り難う。
有り難う、グランパス。
そして、走れ、
走れ、津田くん。
「津田く〜ん、走れ〜!」
応援してるよ。
   

長時間労働 2007/04/10
もうそろそろ東京の桜色は北へ旅立ったかな?
今日、無事31rpmもアップして頂いたし、ライブも気を抜かずに全力で唄えたので、
まずまずまず、本当にまずまずまず、一安心。


今朝は思わぬマシントラブルに泡を喰ったんだけど、
今になって冷静に思い返してみると、仕方のない事なのかなとも思う。
僕が徹夜で10時間ほどぶっ通しで作業をすれば、
当然パソコン君も徹夜で10時間働き続ける。
こんな局所集中型の仕事をすれば、必ず身体のどこかにガタが来て、
次の日、昏々と眠り続けたりする。
パソコンにしたって、長時間労働に堪えかねてフリーズしたり、
疲労で考える時間が長くなってしまう事だって当然と言えば当然だな。
僕はパソコンに、
「やいやい、さっきまでできてた事がどうして突然できなくなるんだい!」
と怒ってしまう。
だけど、本当に必要なのは仕事を溜めて、短時間に集まってしまう事を避ける事だ。
計画的に仕事を進めていくというか、締め切り日直前には身を軽くして、
あらゆるトラブルに迅速に対応できるようにしておかないといけない。
ただ、
これがなかなか難しい。
頑強な自己管理能力が必要だ。
難しいけど、変えていかないと、
パソコンも、自分自身も故障してしまいそうなのだ。


さて、今日のライブの出番前、
僕はいつもの通りファミレスのドリンクバーに何杯もの珈琲に引っ掛かっていた。
その時、人と道玄坂を歩く人、人と待ち合わせる人を見ていたら、
友達というのは、人が友達として認めてくれる事よりも、
自分がどれだけたくさんの人を友達と認めれるかどうかって事かなと思った。
自分で友達が少ないと悩む人は、
自分が人を友達として見詰めているか考え直すのも悪くない方法だと思う。
   

長考朝考 2007/04/09
31rpmの制作をすると、必ず一回はmacが長考する、と言うよりもmacは止まる。
どこに聞いても、誰に聞いても、イマイチ原因が特定できなくて、
本当に困ってしまう。
しかもそんな事が起きるのは、
決まって作業が佳境に入り、朝陽とし烈な競争をしている時だったりするから、
本当に困ってしまう。


先日apple社のカスタマーサービスセンターに電話して相談しようとしたら、
一件相談すると5000円料金が掛かると言われ、
すっかりカチンコチン頭にきてしまい、
「君んとこの会社が作ったものによって困っている人に、アドバイスする時にお金を請求すると言うんですね?」
と言ったら、申し訳なさそうに、
「そうなんです」
と言われてしまった。
まぁ、この電話口の人ではどうにもならない事なんだろうけど、
それだけに虚しくなってしまう。
このフリーダイヤルは何の為に開設されたんだろう。
カスタマーサービスセンターの意義を考えさせられた。


今はもう、macが長考に入るたび、合掌して、
「おぉ、後生だから止まらないでおくれ…、いつかお金を貯めて病院に連れて行ってあげるからね」
と土下座の勢いで祈るばかりだ。
今日の作業は朝陽との競争に、ゴール直前で負けてしまった。
白い朝だ。


それはそうと、どうにも髪の毛がうっそうと密生してきたので、
小綺麗にしようと工夫してみたんだけど、
更にボリュームを増す結果となった。
それは僕のねらっていた通りのやんちゃな髪の毛。
気に入った。
髪の毛を伸ばすのが、少し楽しみになった。
   

お風呂の作業行程 2007/04/08
お風呂に入るという時間は、気の晴れる思いがある。
最近は出掛ける直前、ギリギリの時間の使い方でお風呂に入る事が多かったので、
頭を洗っていても、顔を洗っていても、身体を泡だらけにしていても、
気が焦っているから、イマイチお風呂の良さを味わい切れていなかった。
まぁ、男一人暮らし、
湯船につかってルンルンルン、フンフンフンなんて事はほとんどなくて、
シャワーの強烈な水圧で身体の血行を高めて、
毛穴からゆうべのアルコールをしぼり取る事に専念する。
こんな強い水圧だから、洗顔中に何度も溺れそうになるのだな。


洗顔について最近迷いが生じた。
僕はお風呂に入って一番最初に洗顔の作業を行う。
そして、その次がシャンプー、そしてリンス(坊主の頃は省略されていた行程)。
この洗顔の後にシャンプー、リンスという作業行程を見直した方がいいのかなと思ったりする。
つまり、せっかく洗顔によって顔面の余分な油分を落としたのに、
後のリンスによって、また顔面に余分な油分が付着するじゃないかと迷うのだ。
リンスという行程は坊主の頃はする必要がなく、髪が伸びて来てからするようになった為、
まさに最近の迷いなのである。
そして迷ったまま、洗顔からリンスまでの行程をこなしている。
じゃあ、この行程を逆にすればいいじゃないかと思って、
シャンプー、リンスの後に洗顔をやってみた。
が、今度はせっかくリンスによって滑らかで軟らかくなった髪に、
おでこやこめかみの洗顔中、洗顔料が着いてしまい、
カキンカキンに固くなってリンスの意味がなくなる。
で、結局迷っている。
迷ったまま、洗顔からリンスまでの行程をこなしている。


お風呂から上がった僕は割と忙しい、
ガラにもなく化粧水をペタペタやって、乳液を顔に塗る。
我ながら男が化粧水を顔にペチペチやっている姿は恥ずかしいなと思うのだが、
顔が乾燥してカスカスな艶のない表情をするのは嫌だから、やっている。
そしてその次は、ドライヤー。
この髪の毛を乾かす作業が一番面倒で嫌いだ。
この作業が嫌だから坊主にしたくらいなのだ。
だけど、髪の毛が伸びたらやらざるを得ない。
僕はドライヤーに慣れていないせいか、ドライヤーをブヒーンとやっていると、
髪の毛よりも髪の毛をバサバサやっている手の甲の方が熱くて仕方なくなる。
だから、ちっとも髪の毛が乾かなくて時間が掛かる一方なのだ。


これらの作業から解放されると、気分が晴れる。
やっと身体が軽くなった気になる。
そして、身体や顔面、髪の毛はしっかりとほてって潤っている。
ただ、一生懸命にお風呂の作業をこなしたから、喉の中はカラカラになる。
僕の最近のブームは炭酸飲料。
寝ている時、起きた時、仕事に入る切り替え時、仕事中、そして風呂上がり、
頻繁に炭酸飲料で喉を刺激したくなるのだ。
今日も今日とて、炭酸飲料を飲む。
喉が鳴る、
グヒッと一口で、目に涙が溜まる。
そして気が晴れる。
涙を拭いて、気が晴れる。
   

狸山酔煩(タヌヤマスイハン)曰く 2007/04/07
久々に終電に乗り遅れて、夜を飲み明かし、朝帰り。
この後、布団に入るのが怖い。
目を覚ましたら一日が終わっていて、部屋が暗くなっていた、
みたいな想像が容易にできるから、怖い。
終電の五分前に「もう間に合わない」と潔く腹をくくったまではいいけど、
眠らずにはしゃいだ時間には、日光という高価な代償が払われる。
どうやら今日予定していた仕事は後ろにもたれそうだ。


何故に僕が眠りそびれたかには、それなりの理由がある。
実は昨日、友人がデモ音源を録音したいという事で、
拙宅のプチスタジオにてレコーディングの手伝いをしたのだ。
とは言っても、
僕の仕事は合間、合間に珈琲を入れたり、休憩時間に手品を披露する事くらい。
録音中は寝っ転がって『あしたのジョー』を読みふけっていただけだった。
ただ、規模の大小に関係なくレコーディングというのは、
手伝ったり見たりしているだけでも結構緊張する。
その緊張の録音が上手くいった事に、気を良くして僕等は呑みに出てしまった。
で、呑みに出たら僕は帰れなかったという訳。
実に潔い。


朝は気持ちよく晴れている。
始発から少し経った頃の電車に乗り、僕は自分の街の駅に着く。
地下から地上に上がるまぶたに濃厚な朝陽がのしかかってくる。
こんなに朝陽がまぶしく重いのは、
天気がいいからじゃなくて、僕が極度な眠気に追われているからだ。
二日酔いが頭を巡って、とっても痛い。
胃の中はアルコールでポッポッと興奮している。
最近、『休肝日』が話題になっているが、
僕は毎日酒を呑む習慣はないから、こんな日以外は全て休肝日。
だけど、この夜も友人と二人で焼酎のボトルが一本空くところを見て、
必ずしも綺麗な肝臓をしているとは言えないと感じた。


呑んで候、酔って候。
胃袋苦労で、肝は早老。
街は新たな日、我は未だに今日。
ゆうべの雨降り、とうに上がりおり、
残る水溜まりやよし。
濡れる千鳥足や、またよし。


狸山酔煩
   

車想 2007/04/06
帰りのバスがいつもの病院を過ぎた。
毎日のようにボーッと何も考えず、車窓にただ目ん玉を左右させている道。
ただ、この病院の二階の窓の風景は何となく意識を持って見てしまう。
「あぁ、あのおじさんは退院したんだな」
とか、見も知らぬ人、ただバスが病院を通り過ぎるほんの数秒だけしか覚えていない人の、
居場所の移り変わりを肌に感じている。
期間は短くとも、この病院のベッドだって重要な棲み家だと思えるのは、
人が変わるたび、その窓の雰囲気はガラッと変わるからだ。


今日はおじいさんがその二階の窓際のベッドに棲んでいた。
僕はこのおじいさんを見るのが初めてだ。
きっと最近入院されたばかりの人なんだろう。
窓の半分にはピンク色のブラインドが掛かっている。


おじいさんは顔をほころばせながら、座っている。
そしてその足下には家族らしき人達が五、六人囲んで、
ほっと安堵したような表情でおじいさんと談笑をしている。
家族は病院に到着したばかりなのか、上着を着たままおじいさんを囲んでいる。
窓際には大きめのお見舞い品の箱が置かれ、
その辺から考えると、
なかなかおじいさんに会えないような、
ちょっと遠いところからお見舞いに来た家族かなと思う。


あくまでこれは、
病院の窓と病院の駐車場、
そして片側の車線とバスの窓を隔てた僕の感想で、
真偽のほどは知れない。
ただ、今日の僕の角膜というフィルターは、
そういう風に景色を切り取った。
そこにはいちいち何かの感慨を持つ訳でもないし、
自分の心奥に触れた訳でもない。
ただ、今日もバスがこの風景を通り過ぎるほんの数秒間だけ、
この人達を知り、覚え、
そして人の居場所を肌に感じるだけの事。
ただ、今日はいつもと違って少しだけ人の営みに畏敬の念を持った。
こうして毎日、自分の身の回りの世界に感情が生まれ、喜怒哀楽し、
人が同じ分の手応えとぬくもりを得て、
毎日を営んでいる事に、僕は僕が立たされた居場所の喜びを感じ、感謝する。
僕の毎日へ…。


桜の頭は所々、緑色に禿げてきた。
今年はこうして道すがらに眺める桜で、花見は終了かな。
いつもの終点に着く、
今日のバスの運転手さんはとっても親切だった。
最後の客になった僕は、運転手さんと少し談笑をしてから帰る。
桜の花びらが、クルクルと僕の後ろを追って来た。
   

はい、ちょっとチクッとしますよ。 2007/04/05
薄目に開いたまつ毛の向こう、見慣れたBIG MOUTHのマイクが僕の後頭部に向かって質問をしている。
唄う、拾う、唄う、拾う。
やりとりは僕の夢見る世界へ続く問答のよう。
声を出すたび、聞いている人達が静かに笑顔になっていく事が嬉しかった。
昨夜は突然親知らずが痛み、思わず顔を歪めたけど、
一切が吹き飛ぶようなLIVE後の思いだった。
聴きにきてくれた方、有り難う。
明日は二日酔いの頭痛に顔を歪めそう。


僕は保育園に通っている頃、大の注射嫌いだった。
風邪をひいて病院に行き、医師に注射を打たれそうなもんなら、
「やめろ!やめろ!バカヤロウッ!」
って、医師や看護婦の静止を振り切り病院を逃げ出し、
車で20分の距離を歩いて帰ったりした事もあった。
今でこそ素直に腕を差し出して注射を打たれるが、
多少の緊張感は今になっても否めない。
さて、そんな事を思い出すと、こんな話がある。


そう、以前からMC用に温存しておいたネタで、
今日のMCで話そうかなと思ったんだけれど、
僕の話術ではさざ波ほどの面白みにもならないだろうと思い返してやめてしまった。
その話は、僕の住む街の商店街の話。
その商店街は今や開発ブームで、次から次へと新しいマンションが建つ。
一ヶ月もその通りを歩かないと、知らん間に、あった筈の店が跡形もなく取り壊されていたりする。
そんな商店街でも一際古くて、昔ながらのたたずまいで商いをしているおもちゃ屋さんがあった。
軍艦のプラモデルや、モーター付きの車のプラモデル、鉄道模型など、
おおよそ今の子供達が買いやしないだろうという、“通”なおもちゃばかり売っていた。
僕がそこで買った事があるのはオモチャのカラーバットとゴムボールだけ。
友達と公園で大人の野球をする為に買った。
それ以外は、買っていない。
あとは店の品物を物欲しそうな顔で見るだけで、それだけで何度か通っていた。


でも、一ヶ月もそのおもちゃ屋の前の通りを歩かないうちに、
或る時、矢張り跡形もなく取り壊されていた。
「つぶれてしまったのかぁ、残念」
と売り上げに貢献しなかった自分なりに、そのおもちゃ屋を偲び、また数ヶ月が過ぎた。
するとそこには新しく二階建てのビルが建った。


その新しいビルの一階には、そのまんま、以前のおもちゃ屋さんがオープンしていた。
「まぁ、リニューアルオープンなのかぁ」
と感心して、中に入ってみたら、建物は新しくなっても売っている物は全く以前と変わっていなかった。
軍艦のプラモデルや、モーター付きの車のプラモデル、鉄道模型など、
クラシカルなおもちゃの箱が山積みになっている。


このおもちゃ屋さんが、どうやってこんな御殿を建てれたのか経緯は謎のままだけど、
昔気質の中身が時代に合わせて残った感じが嬉しくて、
僕は今度はプラスチックでできたゴルフセットを買った。
無論、知り合いの子供へのプレゼントなどではなく、自分が遊ぶ為に買った。


さて、本題はここから。
その二階建てのおもちゃ御殿の二階には、新しく鍼灸院ができた。
その鍼灸院の窓にデカデカと店の名前が書いてある。
『手技 ○○鍼灸院』


僕はおもちゃ屋さんで買った対象年齢3歳〜5歳のゴルフバックを肩にぶら下げながら、
童心に帰り、保育園の頃の気持ちに戻って、その鍼灸院の窓を見上げていた。
「『手“技”○○鍼灸院』はパッと見『手“抜”○○鍼灸院』に見える」
商売的にはあまり良くない前書きかもしれないけど、
僕のような針嫌いな人間には魅力的な名前なのだ。
針を刺す時は、気合いを入れず、何気なく刺して欲しい、
そう願い、僕は三十路を闊歩している。


と、そんなネタ。
どう、ウケないでしょ?
   

あしたのためのその一 2007/04/04
寒さの戻り方も適度にしてくれないと、世の風邪っぴきを増やすばかりです。
こんな寒さと雨降りの中で、今にも落ちそうな花弁を、
落とさないように、落とさないように、
黙々と耐えている桜は、
矢張り僕の目に優しいなぁと思います。


僕は中学生の時以来、ほとんど漫画を読まなくなりました。
あれからまともに読んだ漫画といえば『ゴリラーマン』と『漂流教室』くらいのものです。
ただ、もう一冊、
僕が男として生きようとする時、その根幹に引っかかっている重要な漫画があります。
『あしたのジョー』
これは小学生の頃から読んでいました。


今となっちゃ読み返す事もなくなってしまったのですが、
僕は折に触れて何かに踏み出そうとする時、矢吹丈を思い出します。


矢吹丈が力石徹との歴史的一戦を終えた後、長いスランプに陥るシーンがあります。
矢吹丈が放ったクロスカウンターが力石の顔面にヒットして、
それが致命傷となって力石が死んでしまいます。
矢吹丈はそれ以来、顔面にパンチを出す事ができなくなって、どんどん落ちぶれていくというシーン。
僕はこのくだりがとても好きなんです。
矢吹丈は何とかそのスランプから脱しようと、
チンピラのボクシング賭博の興行にまで身をやつし、
ドサ回りをしながら、力石の亡霊と戦うのです。
それはもうプロボクサーではないし、
酒と煙草の煙と札束の臭いに満ちた、泥にまみれた闘犬のような日々です。


何かが手から滑り落ちてしまった時、
人は上手く立ち回ろうとするし、ボロボロの姿を見せないように虚勢をはるもんです。
ただ、矢吹丈という人はボクシングという信念の前に、
ズタズタな醜態をさらして誠意を尽くし、滑り落ちた物を拾い上げようとします。
丹下段平も、誰もがカムバックは不可能だと言い、
矢吹丈自身もあんなにきらびやかに燃え上がった力石との栄光の日々もすっかり捨てて、
ただ一人のボクサーであろうともがきます。
やがて矢吹丈は力石の亡霊に打ち勝って、見事カムバックを果たすのですが、
『あしたのジョー』の魅力は、
そうやって矢吹丈が何度も何度も醜態をさらしながら、燃え尽きようとする姿にあると思います。
多分に漏れずこの僕も、その矢吹丈の姿に、
僕が僕を続ける為の大切なものを学び、心を奮わしてきた気がします。


そしてもう一つ、
矢吹丈が、僕にとって最も重要な一言を提示してくれたシーンがあります。
それは物語の最後の方、矢吹丈がパンチドランカーになってボクサー生命の危機にある時、
それこそ誰もが引退を勧める中、矢吹丈はホセ・メンドーサとの戦いに命を燃やします。
そんな折、矢吹丈と昔から仲のいい乾物屋の紀ちゃんという女の子が心配して、
矢吹丈を遊びに連れ出すのですが、矢吹丈の頭の中は矢っ張りボクシングで一杯なのです。
一日遊んで、辿り着いた近所の公園で紀ちゃんは矢吹丈に若い女の子らしい質問をします。
「矢吹君は寂しくないの?同じ年齢の子達が青春を謳歌しているのに、矢吹君ときたら明けても暮れてもまつヤニの臭いが染み付いたジムでボクシングばかり。みんなが美味しい食べ物やお酒を呑んでいる時も、矢吹君は減量で空腹と戦っている。そんな青春で寂しくないの?」
この質問に対して、矢吹丈がさらりと答えた言葉が、その後の僕の訓戒になりました。
「ボクサーっていうのは一度人を殴って、相手に痛いと思わせた以上、自分が辛いとか怖くなったとかでやめれるもんじゃないんだよ。死んだ力石、再起不能になったウルフ金串の為にも俺はリングに立ち、真っ白な灰になるまで戦うしかないんだよ」


言葉の細かいところは間違っているかもしれませんが、本質はこんな事を言っていたと思います。
僕がこの言葉に出会ったのは高校生の頃だったのですが、
その当時、まだ何も行き先を見つけていなかった僕は、この言葉に興奮し、
「いずれ何か自分の道を見付けたら、ただ無心にこの言葉を踏襲しよう」
と思いました。
そしてそれは今も自分の中心に置いて、気持ちが揺らぐ度に思い出します。
「人間関係でも仕事でも、一度人の心に触れた以上、自分が辛いとか怖いとかでやめれるもんじゃないんだよ。ただ無心に、ただ無心にもがいて、真っ白な灰になるまでやりつくさなきゃ駄目なんだ」
と思い出します。


そう毎日が、あしたのためのその一。
相手の内角をえぐり込むように、
打つべし!
打つべし!
打つべし!
   

灯の下の虫 2007/04/03
ポツポツ雨は、地道にアスファルトを洗っている。
茜色に染まる都会の夜空、
ネオンが照らす街の足下に集う人々、
夏の虫が捕虫機の灯に集まるように、火遊びギリギリの夜伽話を織り成している。
僕もそのうちの一人だろうか。
今にも感電しそうな不安な気持ちを持ちながらも、
矢張り灯の下へ、そして同じ想いを持って飛び交う仲間の元へと引き付けられている。


眠れないのは、何も悩み頭を抱える人だけじゃない。
いたって快活に、いたって幸福に眠れず、
ネオンの下に身体を働かせる人々が大半なのだ。


渋谷の駅の階段を降りる群衆の中で、
先刻、目を覚ましたばかりのような夜の蝶が、
酒に焼けた喉を振るわし、ひときわ声高に話している。
あれもこれも感心し、あれにもこれにも興奮して、
その声量が落ちる事はない。
夜の蝶達は一向に休む間もなく、また衰える事もなく、
日常のいちいちに大笑いする。
箸から落ちても笑う年頃とは、この事だろうか。
兎に角、相手の話に派手に笑ってみせる事が友情の証になっているようだ。


ハチ公前に居並ぶ待ちぼうけ達の数だけ、
本当に待人は来るのだろうか。
待ちぼうけ同士が何となく意識をし合いながら、
それでも知らん顔してすましている。
どうぞ一刻も早く待人の顔に会い、珈琲一杯分のぬくもりにありつかんことを。


デパートの角々を担うショップには、
客が引けて、あとは閉店を待つだけのマネキンがぐったりと立っている。
人も羨むような高価な衣装を身に着けてはいても、
その口は堅く閉ざしていて、退屈になった店員の話し相手にもならない。


みんなが一刻も早く、あるべき寝床に帰れるように、
みんなが一刻も早く、表情をゆるめ、その人のあるべき自然な表情に帰れるように、
今日くらいは、街のネオンを早目に消灯してあげて欲しいと思った。
   

寝汗 2007/04/02
今朝は焦燥感で目が覚めた。
夢の中でステージに立ち、
さあ最後の一曲っていう時にギターがなくて、
1、2時間ステージをそのまま中断して、慌てて家に取りに帰る。
戻って来て、またステージに上がってギターを弾こうとしたら、
持って来たギターがウクレレに変わってて、小さすぎて弾けない。
じゃあ、ステージ脇に置いてあった人のガットギターで唄おうという事になったのに、
今度は衣装を替えなくちゃいけなくなって、
またステージの上でバタバタと着替え始める。
スタッフが僕の頭の上にバサッと筒のようにかぶせて着せたのがウエディングドレスだった、
という理不尽極まりない夢に随分うなされていたようだ。
目が覚めると大量の寝汗を掻いていた。


最近、移動中に本を読むようになった。
2ヶ月振りぐらいに本を読んでいる。
とは言え、僕の場合、移動中は難しい事を考えれないので、娯楽本を読む。
僕にとって娯楽で読む本とは、どうしても歴史物になる。
今、電車の中の僕を壮大な群像の中で駿馬を駆っている想像に引き込んでくれるのは三国志。
三国志を読んでいる、と言うよりは読み直している。
僕は中学生の頃に三国志を読み始めたので、結構経歴は長い。
それに伴って造詣も深い筈なのだが、それが意外に忘れている部分が多くて、
自慢できるほどには深くない。
ただ、それだけに毎回新鮮な気持ちで読み直せるという利点がある。


当分は三国志を読み返しながら、
真っ暗な地下鉄の閉ざされた景色を、
長江に並べられた大船団に変えたり、
中原の地を踏みならす騎馬隊に変えて、
楽しもうと思っている。


ところで僕の住む街の桜は今が見頃で、
まさにたわわな花弁が雪山のようになっている。
帰り道、夜桜の下を歩いていると、
この世の植物には思えなくなる。
春を開花するエネルギー、
それはとってもなまめかしい魅力がある。
   

エイプリルフール 2007/04/01
さてエイプリルフールになった。
今年騙されたのは一つだけ、
しかもジャブ程度の軽傷で事なきを得た。
街を歩いても、電車に乗っても、人と話しても、
さほどエイプリルフールは意識されてないように見える。
何となく手応えのないエイプリルフール。
騙す相手も思い浮かばない。


都知事選挙が近いため、街を選挙カーが大声で練り回っている。
あれが驚くような嘘公約を言って、最後に、
「エイプリルフールでした」
というオチをつけてくれたら、かなり笑えるけどなぁと考えていた。
政治家のみなさんは、嘘をつけない本当に正直なお歴々ばかりだし、
国民に正直なお仕事をなさって下さる方しかいない。
たまには息抜きで、公然と嘘をついてみたいんじゃないかな。
僕は自動販売機で150円のミネラルウォーターを買って、
そいつをグヒグヒと喉に押し込みながら考えていた。


話しはとんと変わって、
僕が好きなインスタントラーメンの中に『味一番拉麺』がある。
1位が『サッポロ一番みそラーメン』で2位がその『味一番拉麺みそ味』である。
今日の昼、小腹が減ったので家にあった『味一番拉麺担々麺』を作って食べた。
が、どうも一人前では腹が満たされないので、そうめんを茹でて煮麺にし、
担々麺の残り汁につけて食べてみた。
これが今日のアハ体験。
懐かしい美味。
アハッ!


確かに『味一番』のノンフライ麺も美味ししくて好きなんだけれど、
僕が中国に留学していた頃、大好きで通っていた四川料理やの担々麺は、
煮麺の食感の方が近かった。


僕が中国で食べていた担々麺とは、
直径5cmくらいの器に煮麺が盛られていて、ほとんど汁がない。
それを一息で食べながら、他の料理をつつくというのが正しい担々麺の食べ方だった。
だから、日本のラーメン屋さんで担々麺を頼んだ時、
大きな鉢に汁がなみなみと注がれて出て来ると、どうも違和感があって仕方なかった。
日本でどの中華料理屋さんでも、僕の好きな担々麺を見付ける事はできなかった。
だというのに、
あの懐かしい店の担々麺に、こんなにも何気なく再会できてしまい、虚脱感。
また自分で作れてしまったという意外性に、エイプリルフール感。
しかもそうめんを二把も茹でてしまったので、思ったよりも膨満感。


そんな幸福感と膨満感でいるうちに、洗濯機が一回し終わった。
僕はハンガーを使うような大きめの洗濯物を先に干してから、
靴下、パンツの類いを干すようにしている。
そうすると小物の干し忘れがないからだ。
どうでもいいこだわり。
今日もセオリー通りに干し終えると、
夕方くらいに小雨が降りそうな雲行きを気にしながらベランダに洗濯物を並べる。
大アクビを一つ、首を回して骨を鳴らすのが二つ、
洗濯物が静かに垂れ下がっている姿を見ながら、
「あぁ、誰か笑える嘘をついてくれないかなぁ」
何となく手応えのないエイプリルフール。
   

グレープの匂い 2007/03/31
電車に乗って秋葉原に向かう。
今日は土曜日だというのに大江戸線は適度な混雑を見せる。
僕が乗った駅から三つ目で立っている人が少しずつ車内を埋めた。
僕はギターを足にはさんで、席に腰を下ろしゆったりステージの事など考えていた。
入りの曲のイメージ、そして本題へとハンドルを切っていく曲のイメージ、
全体を通した時に浮かぶ風景。
それを一つ一つ丁寧に頭に浮かべては、「はっ」と我に返り駅の名前を確かめる。
まだ乗り換えには時間がある。


と、そんな事を繰り返す僕の鼻先に、グレープの匂いが覆いかぶさってきた。
本物のグレープの薫りじゃない、
あくまで人工的に合成された香料の匂い、
僕が恋い焦がれる偽物の甘い匂い。
ふと顔を上げると、僕の前には小学一年生くらいの男の子が、
グレープのグミを、クチャクチャと奥歯で揉むように食べていた。
大人の口に入ってしまえば、二つでも物足りない大きさのお菓子だが、
こんな子の口の中では顎が外れそうなくらいに噛み応えのある食べ物になってしまう。
グミ一つ食べるのにも子供は一途な表情を見せる。
そんなところが実に可愛らしい。


「食べる前に何か言うんじゃないの?」
その子は家族四人でお出掛けのようだ。父親、母親、妹と見える人と一緒にいる。
「食べる前に何か言う事があるでしょ?」
とは母親の言葉だ。
「う…ん」
その男の子は依然としてクチャクチャと大きく頬を揺らして考えていた。
「そのお菓子は一人で食べるの?」
母親がヒントを出す。
「みんなに聞いてから食べる」
と男の子は答えを見付ける。
「そう。黙って一人だけ食べるなんてあり得ないよ」
と母親が補足して男の子は得心し、父親、そして妹にグミを薦めた。
が、それは断られてしまう。
最後に母親を見上げ、
「グミ食べる?」
と紫色の袋を両手で持ち上げ、質問した。
「有り難う、今はいらないよ」
母親も断った。
そして僕はその風景に至極賛同の念を覚えた。
母親はこうじゃなくちゃいけない。
教育なんてかしこまった事は、こういう小さくとも毅然とした一歩から始まる気がする。
とてもいいお母さんだなと思った。


男の子が頬張っている物は、いずれ成長とともにグミではなくなるだろう。
生活の中の欲求、友達との関係、仕事の成果、社会との接点、
そしてこの子もまた父親として家族を支えることになるだろう。
そうした時に、まず自分をおいといて人に気遣いを持つというのは、
この子に何ものにも代え難い思いやりという宝を授ける事だろう。
それは必ず自分自身を救ってくれる宝になる筈だ。
この子がいずれその事に気付いた時、母親の愛情に心底感謝するだろう。
日本の根っこは、こういった毅然とした母親の教育からアイデンティティーを持つんだと思う。
日本の未来に自信を持って進んでいこう。
そんな思いに心を洗うと、既にして秋葉原に降り立っていた。


そしてdress cafeで唄に心を砕く。


全てを終え、ちょうど降り始めた小雨の中、
僕は車の中で、今日のライブを録音した自分のステージを聞きながら帰った。
3曲目の『Drive』から『水溜まりが乾いていく道』『ヨダカの星』『呑気放亭』と、
聞き進むうちに目頭に込み上げる思いがあった。
ここのところの一ヶ月で、僕の心は徐々に本質に近付いている。
裸に近い思いをじっくり腹に溜めている。
裸に近くなるほど、物事の痛みやぬくもりに触れると直の反応が身に応え始める。
いい時期になってきた。
僕が目頭のものをゴシゴシこすると、車の窓の風景が滲んだ。
そしてそれは雨粒だと言った。
それは自分に雨粒のせいだと言っておいた。


僕は口の中に唄をクチャクチャと頬張っている。
「一人だけ黙って食べるの?」
そうじゃない。
何よりも人の心を優先してこそ、僕は初めて僕として生きられるのだと、
もう一度確認した。
やり切ろう。
   

健全な死後の世界 2007/03/30
矢っ張り嘘なんてつくもんじゃないと思う。
「晶さんの言う事の八割は嘘ですよ」
なんて言われてしまうくらい、僕はちょっとした嘘が大好きなんだけど、
そんな僕だって、
口で嘘を言う事はあっても、
心から嘘をつく事はしないように心掛けている。


何かに行き詰まって、ついつい心の嘘をついてしまう時がある。
こんな嘘は、なるべくならつかない方がいい。
でも、心がついてしまった嘘がある。
よくよく考えると、
その嘘を一番信用してしまうのは、誰よりも自分なのだ。
心の嘘に真っ先に騙され、いつまでもそこから抜け出せなくなる、
人がそれに気付かないフリをすると、自分は安心する。
そして安心によって嘘は、いつしか現実と錯覚され、
心に分厚い衣を着せてしまうのだ。
そうなると自分は嘘の上に立って生きていくはめになる。
それは最も避けるべき生き方だと思う。


嘘をつかないように生きようと思ったら、
今度は言えない事ができる。
本当の思いを言えない時、それは嘘をつきたくない時だと思う。
だから口を真一文字に結んで、
「死んでも言うもんか」
と誓う。
だけど、人生に言えない事は一つ二つじゃなく次々に溢れて来る。
嘘をつかない為に、言えない事ばかりを増やしたら、
矢っ張り自分が真っ先に自分の正直な思いに蓋をするようになってしまう。
よくよく考えると、
言えない事が増えた時、自分に気付いてやれないのは、誰よりも自分なのだ。


正直・素直・誠実な人というのは、
その両極の暗闇を、よくわきまえた人だと思う。
僕は正直でありたい。
自分にも人にも素直でありたい。


そう思う時、絶対に言えない事が見つかる。
これは本当に言っちゃいけない、口に出したら自分が崩れてしまうという事が見えて来る。
僕にも二つ、三つはある。
それを墓場まで持っていく気でいる。
僕が僕を生かす為に言っちゃいけない言葉、
僕が僕を強く凛々しく立たせる為に言っちゃいけない言葉を、
僕は墓場まで持っていく。


そう決意すると、僕は死んで守護霊になるなんて気がしない。
僕が死んでも言わないと思っている言葉について人間が迷っていても、
僕は矢張りアドバイスが言えないからだ。
死んでも言えない事は、死んでも言えないのだ。
だから、誰かの肩の上で物を語る守護霊さんって、
随分弱い人だなと思う。
生前、人間であった頃、悩み苦しみ本当の自在な幸福を得る事ができるのは、
何か一つ、黙り通してやり遂げた人だと思う。
その孤独を知っている人は、
守護霊になってペラペラ人の事を話すようなズルをしない。


僕は守護霊になるくらいなら、悪霊になって人を脅かしまくりたい。
あっちこっちでポルターガイスト現象を起こし、
人の修学旅行の写真には、きっと片手の一本でも足して写ってやりたい。
僕の尊崇する偉人達は全てイタズラ好きな人ばかりだ。
きっとこの世では、皿を落としてみたり、
夜の音楽室でベートベンの目を動かしたりしているに違いない。
そう思うと余計に敬愛の念が深まる。
僕が部屋にいるとキッチンで、吊るしたフライパンが落ちる。
結構頻繁に落ちる。
この偉人達のイタズラには感謝するようにしよう。


僕が死んだら、
この世に明るいエンターテイメントを巻き起こす、
心霊界の改革者、心霊界のレボリューションの旗手として君臨するのだ。
それはそれは、健全な死後の世界だと思いませんか、ウフッフッ。
   

花日和 2007/03/29
桜が咲いて、新しい季節の風が街に吹き込むようになった。
真新しいスーツを着て、何となくぎこちない雰囲気の人を見て、
結構人ごみの中でも、新社会人ってわかるもんだなと思う。
期待や不安に少しソワソワして街を歩いている気がする。
そんな新しい生活を始める人に出くわすと、
それはそれは、勇気づけられるというか、
「頑張れよ」って心の中でウキウキする。
ホント、頑張ってね。


僕にしたって、誰にしたって、
矢っ張り新しい事って何だかんだ起きてくる。
生活を変化させなくちゃいけないタイミングなんて、
時を選ばずやって来る。


僕も桜を見ると、真新しい気分になる。
去年の暮れから始めた一通りの生活のスタンスに、
一定の答えが出て来ている。
というか、ちょっとした変化が起きて、
一定の答えを見詰めざるを得ない時期に来ているのだと感じる。
良かった点というのがたくさんあって、
そこに反省点が少しずつ乗っかっている。
勿論、自分の仕事はかねてから言っている通り、
継続によって長い期間を越し、やっと答えが見えるものと思っているから、
ずっと続けていくものはずっと続けていく。
ただ、継続に向かう自分の気持ちと生活を、
ここでちょっと修正しなくちゃなと思う。
野球選手がシーズン中にピッチングフォームを修正するように、
矢張り長くやっていくうちにフォームの崩れなどは、少しずつ出て来るものだと思う。
生活なんてのも、それに共通したところがあって、
毎日同じ事をしていても、時間と共に環境が変わって来る。
刻一刻と変化する環境の中で、変わらない自分を持ち続けるには、
気持ちの在り方を修正したり、
生活の順番を入れ替えたりして、
工夫の中で生活していかなくちゃいけないと思う。
それでこそ継続が成り立っていくのかな。
工夫のない継続は、成長もしないという事なのかもしれないしね。
そんな事をこの新芽の季節に見付けたという事かな。


我が家の金魚が住む水槽の温度は18度に上がって来た。
金魚達の食欲もそれに伴って回復して来ている。
そろそろまた『ちょーだい!ちょーだい!フリフリ』の時期を迎えるようだ。
メンデル(黒い出目金)に多少の病気が発覚したものの、
兎に角、無事冬を一緒に越える事ができた。
これは僕の親心としては、良い成果の一つ。


桜の咲きっぷりを見ると、どうも今週一杯が見所かと感じる。
何だかんだ言って、毎年、どこかの桜満開の下を散歩して来たから、
今年もそんな時間は作りたい。
真新しい気持ちが降って来る桜色の道を、
気の向くままに歩いては、立ち止まり、
立ち止まっては、ピンク色の空を眺め、
毎日の喧騒から新しい出来事を起こしていきたい。
   

成長しない部屋 2007/03/28
今日、帰宅して一息落ち着くと自分の部屋を久し振りにまじまじと眺めた。
毎日居る場所ではあるけど、毎日に取り紛れて関心を持っていない事に気付いた。
前回の模様替えは随分前、一年以上前の事かと思う。
それ以来、片付けはするけど、実用性・デザイン性については結局無頓着になってしまった。
よくよく見れば、無駄の多い部屋である。


使わないもの、使わない棚、読まない本、中身のない小物入れ、
実用性に欠けた状態で部屋は随分維持されている。
使用度から言うと、部屋全体の三割くらいのものだろう。


僕の場合、
いつでも見れる様に、いつでも聞ける様に、いつでも使える様にと、
自分の動線の要所に置いたものほど使用しない。
そしてそれらは要所にあるだけに部屋のスペースを潰し、
僕にとって今一番居場所の狭いところは、
広い世の中で僕の部屋だけかもしれない。


前にヨシオと暮らしていた2DKの部屋では、
一年ごとに部屋を交換して、その度に模様替えの必要があった。
部屋は和室と洋室の二種類だったから、
毎年の模様替えの時期にはヨシオと二人で汗だくになって部屋の造りを工夫していた。
今になって、一人暮らしがここまで定着すると、
自分の部屋を少しオシャレにして優雅なひと時を作ろうという意識が薄れて来る。
目立って邪魔にならなければ、ものがそこに配置されている事に疑問を持たなくなる。
配置を変えようと部屋のものをひっくり返せば、
今度はそれを片付けるのに膨大な時間がかかってしまい、
返って面倒だと思ってしまっている一人称単数現在進行形。
でも、
確かに配置も変えず、ものを置く場所を固定しているのに、
その割には出がけになって鍵が見当たらなかったり、
聴きたいCDを探すのに一時間も掛かってしまったりしている。
それは矢張り部屋に対する意識が少ないからそうなるのだろう。


そのせいかな、僕は何かを発想する時、自分の部屋でする事が昔と比べて格段に減った。
外を散歩しながら考えたり、喫茶店でノートを広げて考える方が、
よっぽどいいアイデアが浮かぶ。
考え事を外でする事が増えたから、部屋には何も求めなくなったのかな。


それはそれで、ちょっと問題を感じるから、
時間を見付けて部屋の模様替えをし、気分を一掃しようと決意した。
意識は興味を持てば幾らでも持てる様になる。
興味が多い時ほど意識が働き、発想が増える。
忙しい時ほど余分なアイデアまで頭に描き出す事ができたりする。
部屋の模様替えは、頭を新鮮に保つ手段かもしれない。
これも定期的に行うイベントとして、僕の仕事に付け加えようかな。
   

モコモコ 2007/03/27
通りに面した病院の2階の窓、ふたつ。
左側の窓にはおばさんが洗面所に立って花を花瓶に生けている。
右側の窓にはベッドで半身を持ち上げ、新聞にうつ向き目を落とすおじさん。
夫婦だろうか。
通りの喧噪をよそに、ふたりはとっても静かに黄昏を過ごしている。
ふたりの上、三階の窓には看護道具が洗われ干してある。
雑然としたカルテの棚や、薬の甘い匂いが染み付いたカーテン、
二人以外に人の影は見当たらない。
病院は曇り空の下、落ち着いたひと時を迎えている様に見える。


「…気の弱い事言ってないで、たかが検査入院じゃない。すぐに家に帰れるわよ」
「……」
「一生懸命働いて来たんだから、こんな時くらい静かに寝てたってかまわないのよ」
「……子供達は?」
「今日はお姉ちゃんが晩ご飯作ってくれるって。…だけどチビ達はコンビニ弁当が食べたいみたいよ」
「どうして?」
「普段わたしが買わないから、ここぞとばかり食べてみたいのよ」
「あんなもんをか?」
「塾の友達はみんなコンビニの弁当なのよ。手作りの弁当は恥ずかしいみたいよ」
「そんなもんかねぇ」
「そんなものなのよ。友達と一緒のものが食べたいのよ」
「じゃ俺と替わってくれよ」
「あなたはお昼、美味しい定食屋さんにでも入ってるんでしょ」
「何言ってんだよ、俺はコンビニ弁当だよ」
「……駄目じゃない、それじゃ」
「何がぁ?」
「ちゃんと昼ご飯食べなきゃ、入院は嫌なんでしょ?」
「……」
「てっきりいいもの食べてると思ってたのに…」
「…んまあ、時間もなかったりするしな」
「……お弁当作ろうか」
「……頼むよ」
「…………ねえ!明日作って来るわ」
「はぁ?」
「お弁当」
「……」
「検査終わったらふたりで散歩しようよ、藤家具屋の隣に神社と公園があって、そこの桜が咲いてて綺麗なのよ、行きましょうよ」
「んあぁ、食べたいなぁ」
「決まったね」
「久し振りだなぁ」
「んん?」
「弁当」
「そうねぇ……」
「……」
「……脱いだ下着はここにあるので全部?」
「ほっ?あぁ、そう」
「じゃあ、わたしそこのコインランドリーに行って来るから」
「近くにあるのか?」
「今日ここに来る時、偶然見付けたのよ」
「へぇ〜」
「おかしいのよ、名前が『モコモコ』っていう名前なの」
「…ふふん、ホカホカの洗濯物になりそうだな」
「コインランドリーの名前としてはいい名前よね」
「ここら辺に住んでる学生には人気が出そうだな」
「あなたも明日、モコモコなシャツやパンツを履くのよ」
「モコモコな下着を履いて花見かぁ…」
「楽しそうじゃない」


コインランドリー『モコモコ』には人がいないが、1つの洗濯機と2つの乾燥機が回っている。
空の洗濯かごが机の上に置いてあり、その隣に雑誌が読みかけのままうつ伏せてある。
店じまいを始めた商店街に、煌煌と灯りをともした『モコモコ』
色々な事情を抱えた人々に心地よい明日を提供する大切なお店。


病院の左の窓からおばさんは立ち去り、
代わりに生けたての花瓶が、ひっそっり窓から通りを見下ろしていた。
   

僕の胆のう 2007/03/26
暖かい一日、街は活気に満ち、工事現場はビルの建て替えに余念がない。
帰りのバスに揺られ、車窓から夜の江古田へ眼を凝らすと、
千川通りの桜並木にポツポツと餅のような桜が咲いている事に気付いた。
いつものバス停に着くと、いつものように僕が最後の乗客だった。
晩飯を考えるのが億劫だから、昨日と同じ食事が頭に浮かぶ、
いつもの道を歩くと、幾つかの想像と発想に恵まれるが、
家に着き、玄関の鍵を開ける頃にはスッカリ忘れてしまう。
何の不平不満もなく僕は昨日と同じ食事をとり、
いつも通り少しの間、寝っ転がる。
こうして数日、
喉に蓋をされたような夜が続く。
言葉が上手く話せない時期が、僕には時折ある。


たがが外れた様に饒舌で話しの尽きない時期を幾らか過ごすと、
こんな無口な日々が突然続いたりする事がある。
こんな時、無理に言葉を振り絞り、話す事に努めようとすれば、
意味不明な言葉を発してしまうから、返ってよくない。
こんな時間を早く終わらせるには、
流れに逆らわない事が一番の良薬だと知っている。
何が辛くも悲しくもある訳じゃない、
無性に唇が重くて仕方ないだけだ。


鍋の底でグツグツ煮崩れしたような僕の心よ。


胃壁に粘り着いた想いを削ぎ落とすまでは、
兎に角こんな自分に耐え切ろうとする。
胆のうに溜まった気力が濃縮されるまでは、
兎に角こんな無口な自分に耐えなくちゃいけない。
柔毛に引っかかった言葉を排出するまでは、
兎に角日常の事に必死にいなくちゃいけない。


去る言葉は日々に疎し。
日々に生まれ、日々に生き返る。
今こそ僕が思い出す事かと思う。
こんな想い、
今夜には踏ん切ってしまおう。
   

雨のまにまに 2007/03/25
『吾輩は人である。名は適度にある…』
そんな言葉を呪文のように夢とうつつで繰り返した目覚め、
毛むくじゃらの物体となって森を徘徊する夢を見たが、起きてもなお吾輩は人である。


シトシト雨に寝汗を掻いた朝、僕はとりまくうつつよりもよっぽど気分が良かった。
冷凍うどんに火をかけて、朝食にしてみたが大して味を感じない。
朝食は単にエネルギーの摂取なのか、覚醒する為の気休めか、
こんな味気のない朝食で時間を潰す事に疑問を感じてしまった。
ともあれ、今日もしっかり朝が来た。


電車に乗れば、予想を上回る人の数が揺られている。
「今日は何事か起きるのか?」
と思って駅に着けば、はかま姿の女の子達を何組も見た。
巷は卒業式を迎えた人達で混み合っている様子。


思えば、僕は卒業式に特別な感慨を持った事がなかった。
同級生達が感動の涙を流しても、僕に込み上げる涙は一滴となかった。
普通なら「頑張ったね」「お別れだね」「楽しかったね」と称え合うために卒業式をするのだと思うが、
僕は卒業式の時、常にこれから始まる事への緊張感と不安が頭に重くのしかかっていて、
「やったー」という達成感がなかった。


いつも思う。
何か一つ、大きな問題を解き終えても、
達成の喜びを味わう前に、次の問題が提示される。
「お前はよく頑張った。よくこの問題をクリアしたな」と頭を撫でられるような現象が、
僕の人生には起きて来ない。
どんなに上手く出来た事でも、余韻の中にはいつも反省ばかりが付きまとう。
「また、やり切れなかったな」
という想いが、常に次への課題を知らしめ、
何か一つ、続けざるを得ないところに自分を立たせて来た。
学校だけじゃなく、自分の目標とするものでも何でも、
卒業式というのは、僕にとって継続の更新をする機会だ。
いずれにしても重要な儀式である事には違いない。


今日は『31rpm』の収録で観覧車へ、
多田慎也君と静かに語り合う、雨降りの空中散歩。
観覧車から見下ろす下界は、やけに賑わい、
観覧車から見上げる空は、やけに静かだった。
眼を細めると遠くの雲が意外に明るく、穏やかな事を知る。
どうやら春は近付いているらしい。
冷たい風から解放された日には、
こうして気張らない心で過ごすにかぎる。


雨のまにまに、
希望を更新する今日、小雨日和。
雨のまにまに、
漂う雲二つ、陽射しに笑ってふやけいる。
   

リンゴジュース 2007/03/24
今朝目が覚めると随分身体が楽になっていた。
布団から顔を上げると昨夜の残骸が机の上に散らばっていた。
皿、コップ、薬が僕よりだらしなく机の上で寝っ転がっている。
『あ〜あ、片付けなきゃな。見ているだけで具合が悪くなりそうだ』
頭を上げて見ると、枕の横に脱いだ靴下が丁寧に並べて置いてあった。
『一体、昨夜はどうやってねむったろうか?』


こんな男一人暮らしの荒廃はよく聞くし、僕にとっても一度や二度の事ではない。
この荒れ果てた部屋を見ると、女の子が一人暮らしで風邪をひいた時、
その部屋は一体どんな事になるものなんだろうと考える。
僕の頭の中に荒廃した女の子の部屋のイメージは全くない。
あくまで整頓された、澄んだ空気の中で眠っているイメージがある。
でも、風邪をひいてしまうと、あらゆる事が手に着かなくなってしまう。
自分でおじやを作って食べるなんて気力は到底湧かないものだ。
なのに、女の子はそれをこなす事が出来る。
僕は気力の点でも、到底女の子には敵わないという事になる。
寝汗を拭い、鼻をかみ、部屋を見渡す。
僕の部屋で片付いているのは今のところ天井だけだ。


異常に喉が渇いているのに気付いた。
机の上を見ると、雑魚寝をしている物の中に、リンゴジュースだけが凛々しく立っていた。
それを口に運び、ラッパ飲みをする。
グビグビと喉がけたたましい音を立ててリンゴジュースを吸い込む。
「はぁ〜」と溜め息をついて人心地を感じるのだが、
昨夜から今朝にかけて、僕は幾度か喉の乾きを覚え、今と同じようにこのリンゴジュースを吸い込んでいた事を思い出した。
昔っから、「風邪が移るから」と言われ、風邪っぴきの口付けた食器やジュースには口をつけないようにさせられたが、
この場合、僕は昨日の僕の風邪菌を、今日になって時間差で移される事が起こり得るんだろうか?
とは言え、もう既に豪快に口をつけてしまった後だから考えても仕方がない。
そのまんま二度寝、三度寝、四度寝と眠り続け、
今日こそは一日布団の海に潜って、身体の回復に専念した。


夜になって少し覚醒して、ボクシングとフィギアスケートを観戦した。
亀田は更に進化して強くなっていると実感した。
かつてテレビのワイドショーで寄ってたかって嫌味を言っていた大人達はどう思うんだろうか。
この自信、この勝利の裏にある膨大な練習量と20歳の青年の純粋な夢や、ボクシング界を盛上げようとする想いに、嫌味でしか答えれない自分の貧乏臭さを痛感して欲しいと思う。
これからがとっても楽しみだ。


そしてフィギアスケートで浅田真央が演技を終えた後の涙を見て、僕も何故か涙がにじんでしまう。
近年、こういった達成感の感涙にどうも弱い。
誰にも見られないからいいけど、ちょっと自分でも始末に困る涙もろさが現れて来ている。
   

泥舟 2007/03/23
今日も風邪気味というじれったい体調をキープするはめになった。
学生の頃は、安静にしなくても一日で風邪を治してみせた馬鹿ちんだったが、
そうもいかないのが近年の傾向だ。
平生に輪をかけて頭がぼーっとしていて、一つの事を考えていられない。
予定していた仕事は半分も仕上がらない、
風邪って本当に嫌いだ。


妙な時間に、無性に人恋しくなったりして始末に困る。
「このまんま誰かに会いにいこっかなぁ…」と外を眺める。
やわらかな陽射しに、午睡でもやってしまえば身体が楽になるかなと思うのだけれど、
結局しんどくて眠れない。
もう一度「このまんま誰かに会いにいけたらなぁ…」と外を眺める。


やっとこそさ長い一日が終わる頃、友人が訪ねてきた。
僕の好きな浪花家のたいやきを手土産に持って来てくれた。
彼もこのたいやきが好きらしく、
はぐはぐと焼きたてのたいやきを一緒に頬張って話しをした。
上品なあんこの甘味に少し元気を取り戻す。
こうして二人で話していると、
無口になって仕事をしている時よりも、静かに流れる時間を感じた。
心がやっと穏やかになる。


帰り道、バスに乗ると僕のすぐ後ろでハイソなマダムが二人、
しきりに娘自慢をしていた。
グランドピアノを買うだの、N響に入れるだの、
それが間断なく僕が降りる終点まで続いた。
折角心も落ち着いて、一眠りしながら家に帰るつもりだったのに台無しになった。
むしろその話しが耳に強引に侵入するほどに気分が悪くなり吐き気に襲われた。
一体、何に対する拒絶反応だったのか。


そう言えば、友人と話していた時、何となく幕末の時代の話になり、
「幕末の三舟って誰でしょう?」
って話しになった。僕が問題を出したんだけど、僕も三人のうち二人までしか判らなかった。
一人は言わずと知れた勝海舟、もう一人は山岡鉄舟、さてあともう一人…。
結局判らなかったのだけれど、調べてみたら高橋泥舟だという事が判った。
高橋泥舟という名前は初耳だったけれど、泥舟と書いてデイシュウと読ませるあたり、
何か僕を惹き付ける臭いがする。
英傑には間違いない人なんだけど、何せ今日知ったばかりの人物なので功績について詳しくない。
ただ、自分に泥舟という名前を付けるあたり並みの人物ではない予感がある。
今日はまた一ついい発見をした。
歴史熱をぶり返して、風邪を追い払いたいものだ。
   

I'm on fire. 2007/03/22
まず、昨夜の慕夜記がぐったりと風邪で落ち込んでいるようなニュアンスを含んでいたらしく、
今日になり何本か身体を心配して下さる連絡を頂き、平に恐縮です。
小生、身体の方はピンピンとしており、また意気も揚々としております。
昨日の慕夜記は僕の中で真っ赤に燃える闘志だったんですね。
いつになく真っ赤に燃えたんです。カーッときて、
「負けるか〜っ!」
っと思ったんです。
たまに燃えると人と違う方向に走り出すタイプ、
そんなちーぃと見当違いな性が身に付いているようです。
勿論、内容として昨日書いた事は僕の根幹の最も重要な部分であると思うし、
偽りのない決意として、改めて、お納め下さい。
I'm on fire.です。
もう一度改めて、
「負けるか〜っ!」
誰にだろ?ま、自分に自分に。


しかし、昨夜はカンカンに唄い、トントンと酒を呑み干していたので、
今日は矢張り風邪気味なのですが、その程度でまったく問題ないです。
ただ、ノドだけが別人のようです。
少し鼻も詰まって、まるで煙草を吸い過ぎたデヴィ夫人とでも形容しましょうか、
ガラガラ声で上品な言葉遣いを今日は致しております。
僕は色んな無茶をしても本当にノドを壊した経験が少なくて、
ノドを壊したといえば、
『参々クロゥス・ツアー』のファイナル以来のしゃがれっぷりかな。
思えば、昨夜杯を重ねる僕に、
「風邪なのに呑み過ぎだよ」
と注意して下さる方がいたのにな。
今日は早めに寝て、養生に心掛けます。
   

天秤のド真ん中 2007/03/21
今日、眼を覚ますとノドが全く使い物にならなくなっていた。
僕は今まで唄って来て、2回くらいしかノドが潰れた事はない。
今日は生涯で3回目。とは言え、別に唄い込み過ぎてノドを潰した訳じゃなくて、単純に風邪がノドに集まって出たというだけの事。
これもこれで、風邪でノドが痛む事にしたって僕の場合は少ない。
僕がこんなになるなんて、よっぽど強力なウィルスを頂いたようだ。
身体に寒気を感じるし、頭がポーっとして何一つ日常の事を為そうとしない。
こんな日は、おとなしく布団の中で眠っているに限る。
折角の祝日、体調を治しながら有意義に暮らそう。


という事で、気付けば僕はギターを持って唄っていた。
新宿をどう歩いたんだか、気付けば焼酎を片手に必死に声を絞り出していた。
「まったくどんな養生ですか?」と自分でも思う。
友達に会い、お気に入りのギターを持ち寄って、唄うとまた友達が来る。
僕の心の大部分を「もうどうなってもいい」という捨て鉢な想いが占めていた。
ただ、それだけに僕は今日熱っぽく呑み、話し、唄っていたと思う。


眼を閉じる、
店のライトがすっと落ちる、
眼を開ける、
ちらほらと机のキャンドルだけが揺れる、
口を開ける、
爪弾く音色は格段に冴えて、
リミッターのかかった唄声を耳に感じる、
一瞬だけ酔いから醒める、
両腕がぶらんとギターから滑り落ちる、
僕の唄声だけが鮮明に伸びる。


そんなこんなで僕は幸せ。
風邪でも、馬鹿でも、何はなくとも、
こうして唄が唄えたら、
チョー幸せ。
「唄を唄っていくにはどうしてらいいですか?」
という質問に、僕がまともな答えを言える訳がなかろう。
『唄いたい』という気持ちを真ん中に置けば自然にどうにかなっていく。
『唄おう』という想いをド真ん中に置いていたら、自然とどうにかなってきた。
今までも、そしてこれからだって。
だのに人は、だのに人ってのは、
不安で気が弱くなると自分のやりたい事や夢を端っこに置いてしまう。
端っこに夢を乗せて、それじゃバランスがとれないと言って、
もう片方に生活や将来を乗せて天秤にしてしまう。
夢を追って傾くのは、夢をド真ん中に置いてないからなんだよ。
夢を端っこに置くから傾いて、それに釣り合うものを探そうとするけど、そんなものないよ。
本当の安定、平常心って二つの皿が天秤の上で平行に保たれている事じゃないよ。
自分がド真ん中に自分を据えて、ほら、揺るぎもしない。


何つって、時々はこうして自分に喝を入れる。
思わず膝を突きたくなるような夕暮れには、
何つって自分に喝を入れる。
唄をやっているとよく言われる言葉ベスト3に、
「喰っていけるの?」
があるんだ。
僕の場合、『喰っていける』と唄を天秤に乗せるような真似はできないから、
その質問は上手く答えられない。
生活の苦労は誰もが背負って生きている。
どんな苦労も必死に背負って仕事をしているんだから、
そんな事は気軽に聞かないでくれって思う。


もうどうなってもいい。
もうどうなってもいい。
もうどうなったっていいんだよ、俺は。
声をド真ん中に、両腕がぶらんとギターから滑り落ちる。
たかが唄じゃね〜か。
やる前から恐れんなよ。
たかが唄じゃね〜か。
やってる途中で恐れんなよ。
心にはリミッターをかけんじゃね〜ぞ。
   

Hey yo! Catch a cold! 2007/03/20
昨日、どこかでキャッチしたコールドが喉に疼いていた。
出先で風邪薬を買おうとするものの、数が多すぎてどれがどう自分にあってるのか判らない。
「イブプロフェン配合されてると何かいい事起きるかな」
その答えは風の中さ、風に病原菌が舞ってるだけさ。
薬を喉に三錠ねじ込むと、あとはおぼろ、あとはおぼろ。
気付けば、日暮れと同時に渋谷にいた。


久し振りにハチ公前と道玄坂をまともに歩いた。
換気口から吹き上げられる地下の生臭さ、二人組の女の子が同じ香水の臭いを発している。
その臭気に風邪気味の僕はいちいち目眩いをもよおす。
人の波にのけ反る僕の所作は、今日はつくづくまるでだめお君だった。



暫く歩くと、
小さな不動産屋の前に灰皿が置いてあったので、自分の携帯灰皿にあるゴミを捨てようとした。
その不動産屋の灰皿に一人、スーツ姿の若い男が煙草を吸っていた事には気付きもしなかった。
僕がポケットから携帯灰皿を取り出し、その不動産屋の灰皿に吸い殻を捨てようとしたら、
「ちょっとすいません」
その若い男が僕を静止した。
「これはお店の灰皿ですので」
若い男は僕にそう言った。どうやらこの男はこの不動産屋の店員らしい。
「そうですか」
と言って僕はもう一度携帯灰皿の吸い殻を捨てようとしたら、彼はまた、
「ちょっとすいません」
と言う。
「これは公共の灰皿ではないですから」
彼の喋り口はいちいち相手に結論を察してくれという手段をとっている。しかも自分は煙草の灰を惜し気もなく灰皿に捨てては、また煙草を吸っているのである。
一体、どれが正論かは判らないけれど、兎に角、僕は大人気なくカチンと頭に来た。
「で、ゴミは捨てちゃいけないんですか?」
と聞く。そんなケチな道理はないと思ったからだった。
「店内が禁煙だから、外に置いているだけなんですよ」
「だと、ゴミを捨てちゃいけないんですか?」
「僕はこの店の社員なんですよ」
「だとすると僕は、ゴミを捨てれないんですか?」
「普段はここに灰皿は置いていないんですよ」
「だから僕は、たったこれだけのゴミも捨てれないんですか?」
この若い男は一向に結論を言おうとしない、その上自分の説明に至極自信満々な顔で煙草を吸うのである。ゴミが捨てれない事よりもこの話し方がどうも気に障った。
彼の言いたい事は判らないでもないけれど、何しろ喉の疼きに少し僕の機嫌は斜めだった。
「だ〜か〜ら〜、僕は〜この灰皿にぃ〜ゴミを捨てれないんですかっ?」
僕の怒りはまるでだめおの怒りだと自覚はあったけど、ついつい声のトーンが上がってしまった。
「はい、そうです」
彼はやっと僕に結論を言った。
「わっかりました!」
結局どうでもいい事に腹を立ててしまった事を反省して、僕はその場を立ち去った。


そんな事よりも、今日の渋谷の目的はduo MUSIC EXCHANGEで行われるD-naughtのライブを見る事。
D-naughtのステージを初めて見たが、そんなこんなの僕の気分を心地よい興奮に変えてくれるパフォーマンスだった。聞き入っていくほどに音楽のイメージがあっちこっちに広がる可能性を想像していた。
彼等四人の唄には、この先へ近付こうとするエネルギーの原石を感じた。
もう純粋に楽しんで、カリカリした気分もどこへやら、
僕は至極御満悦になって、D-naughtの曲を口ずさみながら今度は道玄坂を下る。
「Hey yo! That's a cold! 風邪だ さあ ヤバいぜ
  Hey yo! Catch a cold! 治せ さあ 朝まで」
電車に乗れば、あとはおぼろ、あとはおぼろ。
   

痴人の文歴 2007/03/19
今日、たまたま人と「自分を変えた本」について話していた。
自分を変えた一冊という質問に対し、僕の場合は極端に読書量が少ない為、ひも解き易くはある。
というよりも、その少ない一冊一冊がいちいち自分を変えてくれたような気もする。


「活字の虫」なんて言葉を人からよく聞いたが、僕はそんな病気にかかった事はなかった。
小説を読む時も、一字一字を把握できなかったから何文字か飛ばして雰囲気で読んでいたし、読みにくいくだりや、漢字が面倒臭いくだりなどは飛ばして読んでいた。
ただ「本を読む人」という風に人に見られたかったので、読んでいる風の人は演じていた。
読みもしない本を何冊か学校の図書館で借りてみたり、
「芥川龍之介の『鼻』と『トロッコ』が好きです」
と、唯一読んだ事のある(しかも短編)小説を講評してみたり。
「あぁ、どすとえふすきーか、『からまーぞふのきょうだい』など知っています」
とか、読んだ事もない洋書を知っている顔をして、
「君は早熟だな」
と大人に言われて満足している時期もあった。
中学生の頃の僕にとって、「早熟」という言葉は「天才」の上をいく賛辞だったのだ。
今から思い返すととっても恥ずかしい。


きっと僕は“読める本”と“読めない本”の境目がはっきりしていたんだと思う。
だから、すんなり頭に入って来る“読める本”に関してはくどいほど繰り返して読んでいた。
そんな僕だから、数少ない“読めた本”の影響は大きかった。


勉強は人一倍してこなかった面倒臭がりの学生。
よく頭の良い人が「勉強しなかった」と言うけど、
僕の場合、掛け値なしに勉強をしなかった頭の悪い人。
そんな僕でも、一瞬小説家を夢見た時期があった。
高校に入り、日々の鬱屈した想いをノートの切れ端に書いては、
「文学に向いているかもしれない」
と勘違いをして、難しい事を考えれるフリをする事から始めた。
その頃に出会ったのが太宰治の『人間失格』だった。
これを何度も何度も読み返しては、苦悩に満ちた顔をする事が、
当時の僕の欠かせない日課だった。
確かに悩み苦しい時期ではあったから、『人間失格』は僕の気分を紺色に塗りつぶし、暗い想いを着飾ってくれる点で拠り所のような小説だった。
でも、
「このままじゃ腐って終わってしまう」
という自分への危機感は焦りとして、常に心の片隅にあった。
「何かを変えなくちゃいけない」
と思い、高校三年生になってようやく太宰治から離れ、学校帰りに古本屋に立ち寄っては、
「自分に合う本ってどれだろう?」
と、うずたかい単行本の書棚を見詰めていた。
ただ、ぼんやりと暇にまかせて本屋に行き、書棚をぼんやりと眺めるだけ。
そんな日々が続き、とうとう手にしたのが、


谷崎潤一郎の『痴人の愛』だった。


この一冊が、僕を変えた度合いとしては一番大きかった本なんじゃないかと思う。
まず谷崎潤一郎の文体が、賢さを表に出さない自由な表現だった事が、当時の僕を開眼させた。
眉間に深いしわを寄せ、背中を丸めて歩いていた僕がその当時書き貯めた文章は、
どれも苦悩ぶっているに過ぎない文章なんだと気付かせてくれた。
難しい表現を使う事がいいんじゃない、
ありのまま自分の言葉が耳(頭)に残る文章を書かなくちゃいけない。
そう思ってから、僕の文章は大きく変化を遂げる事が出来た。


また、内性面での影響も大きく、
『痴人の愛』で主人公がありのままに若い女に惚れ、だらしないほどに使われていく様を、それまた何度も何度も繰り返し読んだ為、
その後の僕の恋愛観の根底は決定付けられたと言っても過言ではない。
ここで身に付いた恋愛観を書くと、慕夜記が何百夜分にもなってしまうから避けるが、
『痴人の愛』を読んだ事がある人が、もし僕と恋愛をしたのなら、
僕について不思議に思う性癖も、何となく愛情が理解できるのかもしれない…、
そんな事もないか。
余計に迷うかもな。


いずれにしても、いま慕夜記を毎晩ひねっていられるのも谷崎潤一郎先生のお陰なのかな。
   

どうですかねん 2007/03/18
黒沢明の『どですかでん』という映画を初めて見たのは小学生の時だった。
市民会館の中の視聴覚室のような部屋で『赤ひげ』と二本立てで見た記憶がある。
黒沢映画は割と好きな方だと思う。『七人の侍』や『蜘蛛巣城』、『乱』は僕のフェイバリットムービーで何回も見直している。
ただ、『どですかでん』ははっきり苦手な映画だった。
小学生の僕には描かれた色彩感がどうにも不快に感じ、映画を見終わった後一週間くらいは、何一つ希望の見出せないどんよりした気分で過ごしたのを覚えている。


今となっては、思い出せるシーンはほとんどないのだけれど、一つだけ覚えている事がある。それはドヤ街に住む浮浪者の父と息子が、日がな一日二人で妄想にふけっているというシーンだ。お父さんが息子に「君、こんなのはどうだい?」と言いながら、贅沢な暮らしを頭に描いて息子は黙って同じ妄想に興じている、というようなシーンだった。
今日、ふと自宅のトイレの鏡が汚いのを見て、そのシーンを思い出していた。


この何も持たない二人が、持っている人よりも事細かに頭の中に世界を想像し、具現する事が出来る。
このシーンに関しては、僕は共感できる。
世の中では一見、物を持っている人、知っている人の方が頭や想像力が働いているように思われがちだけど、実はそうじゃないんじゃないかという事に思い至った。
むしろ物を持て余した人の方が想像力に乏しく、飽きっぽくなり、次々に新しい物を手に入れなきゃ頭が働かなくなる。そしてその想像力の持続はどんどん短気になっていくだろう。
そこが人間を虚しい気持ちにさせる。


例えばその浮浪者の親子が、大邸宅に何不自由ない生活を送っていたら、頭に幸福の想像を巡らし、またそれを父子で共有する事はできなかっただろう。
それはお金の問題だけじゃなくて。
手にしてない物、未知の物に対する想像力というのが、いわゆる創造の根源で、人間が自分の持ち得る思考能力を最も発揮する場所だと思う。
それがイメージになり、言葉になり、行動になり、ひいては作品になっていく。


そして、それはどんな小さな事柄にもいちいち影響している。
例えば、とっても欲しい服があったとする。
その服に対する想像力、自分がそれをまとった姿のイメージなどは、その服を購入する前までがピークなんじゃないだろうか。それを購入して休日に一度着て出掛けてしまえば、その後その服に対して語れる事が極端に減っていくんじゃないだろうか。
人間の脳に一番快感を与えているのは購入した時の満足感ではなく、購入するまでの「あぁ、これ欲しい」「これを着てあの人にあったら何て言うだろう」などと考えて、想像している時なんじゃないかと思う。


物事に始まりがあれば必ず終わりがあるように、何かを手にしたら必ず飽きるという感情が来る。
手にした物の数が多い人は、それだけ飽きる感情をも増やしているという事になる。
どこか行きたいなと思う場所、食べたいなと思う味、触れたいなと思う人、
どれも「経験」してしまうと、急速に想像しなくなっていく。
結局満たされない想いで、
また次の場所へ行きたいと考え、別の物が食べたくなり、他の人の胸に探し始めて、同時に悲劇も始まる。
その欲求は際限なく続き、手にした物が多い人ほど、矢っ張り虚しくなっていくのだろう。


だとすると、
僕が大切にしなくちゃいけないなと思うのは、
手にした「経験」に対して如何に想像力を持てるか、如何に愛情を持続できるかという事だ。
仕事の中にあっても、苦労して身に付けた技術に自分が真っ先に飽きてしまったり、疑ったり、自信をなくしたりして、挫折のきっかけを作る事がある。
その挫折を恐れ、器用にあれこれやってしまった人は、実が薄く、説得力にかける簡易的な仕事をしてしまう。
そうじゃない。
僕が一番誠心を傾けるべきところは、
たくさんを身に付ける事じゃない。
たくさんを知る必要も全くない。
僕の生涯に残さなければいけないのは想像力、
そのたった一つ。
そのたった一つ。
たった一つ自分に出来る事があれば、
しぶとくしぶとく愛情を与え、想像力を以て長い時間をかけて育んでいかなくちゃいけない。


僕の仕組みはそうやって作られているのだから、
疑いなく一つに集中しよう、
そうしよう。
   

「ほっ」と珈琲、こげちゃ家ライブ 2007/03/17
今日、実はお忍びライブをしてきたのです。
東京都は町田市成瀬にある『珈琲豆処 こげちゃ家』さんでこっそり且つしっかり唄って来ました。
今日は昨日のライブに輪をかけてunplugged、完全な生音・生声での演奏でした。


今日は寒が逆戻りし過ぎたような一日。成瀬の駅に着いて電車から降りると、3秒で身体が痛々しくも縮こまるといった感じで、強めの風があちこちの人や物を固まらせていました。
そんな殺伐とした風が吹く中『こげちゃ家』さんに入ると、実に温かいマスターと美味しい珈琲が出迎えて下さって、僕の身も心も珈琲だけにホットしました。(この駄洒落イマイチ)


マスターの入れて下さる珈琲は、そのこだわりが口の隅々までコクのある風味として行き届きます。
身体を休める珈琲、
心をいたわる珈琲、
珈琲を飲む時というのは心と身体を安心させる時で、その為に苦心と工夫を重ねられた一杯のコーヒーカップの中身を見ると、こみ上げる幸せ感に「本物の贅沢だなぁ」と感じます。
さり気ない優しさが口から脳へ、脳から血管へ伝わり、ゆったりと脈打っていきます。
そんな心が尽くされた珈琲を頂きながら、
僕もまた心を尽くして唄おうと奮います。


ライブには『こげちゃ家』さんの常連さんが集まって下さり、ゆったりと小一時間、唄ったり話したりでまたいつもと違ったライブの雰囲気でした。
ライブ後には聞きに来て下さった中華料理屋さん『聘珍楼』のおかみさんのはからいで焼きそばや春巻きが振る舞われ、皆様でつついて美味しくライブが終わりました。
僕は『こげちゃ家』さんに伺うのは初めてでしたが、何だかスッカリ常連さん気分で皆さんとお話しさせて頂きました。
聞きに来て下さった方、
『こげちゃ家』のマスター、
『聘珍楼』のおかみさん、ご主人、
本当に有り難うございました。
珈琲も料理も唄も、美味しい一日となりました。


追伸:
マスターに美味しい珈琲の入れ方を教わったら、今まで自分がやってきた入れ方と真逆の方法でした。同じ豆を使っても入れ方によって味の出方が違う、まさに月とスッポン、ピンとキリ、マスターと僕という事ですね。
マスターが入れ方のお手本を見せてくれたのですが、洗練されたマジックを見ているような気分でした。
「え〜!」
「すっげ〜!」
「うほ〜!」
「っへぇ〜!?」
の連発です。
僕の喉と指先も、スッポンであろうと月に変えてしまうような、そんなマジックにする為、日々精進、一日一歩、いつも初心に返って戸惑いながら、成長を重ねていかなくちゃいけませんね。洗練されたさり気なさを身につけよう。
   

Sっ気たっぷりの綺麗なMartinの音 2007/03/16
今日は下北沢BIG MOUTHでのLIVE。
前回もそうだったけど、今回も遠いところを押して、三重から大阪から三鷹から(東京都内か。遠いの?近いの?)春日部から(隣県だけど、遠いの?近いの?)見に来て下さった方、本当に有り難うございます。
パジャマ(僕は着ませんが)でもちょっと出掛ければコンビニで買い物ができるような、出掛ける労を惜しむ時代に、こうして大きなエネルギーを持ってLIVEに足を運んで頂けると、右肩に『感』、左肩に『謝』を乗せズッシリと家に持って帰ってきます。有り難う。


今日は随分久し振りにギターがunpluggedで、音をマイクで拾ってライブをやったので、生音の緊張感がありました。
ギターにしてもボーカルマイクにしても、何でもそうですが、電気を通さず、プラグを通さなければ、それだけ生身に近付く訳です。
例えてみれば、より薄着で剣道の試合をしようと試みるというような事でしょうか。
より防具を少なくすれば、より深手を負い易くなるのです。
だからよっぽどの集中力を持ってないといけないなぁと緊張感が血走るんだと思います。
上手く伝わらないかもしれませんが、そんな気がします。
で、何でそんな事をしたくなるかというと、詰まるところ矢っ張り生音の響きが好きなんですね。
今日使ったMartinのD-18。ライブでは初めて使いました。
事務所の社長にお借りしたギターなんですが、ヨダレが沁み出るいい音ね。


去年までは、Martinのきらびやかな均整のとれた音に気後れしたんですね。
それもこれも僕の着崩れした野良着のような性格のせいで、なかなか近付けなかったんです。
僕の着崩れしたような感性のギター演奏には、Martinは高嶺の花、僕じゃ釣り合わないのかなぁという気後れです。
例えて言えば、美人の学級委員に三学期に入っても話しかけられない落ちこぼれといった感じでしょうか。自意識過剰とでも言うんですかね。
でも今は、僕の性格の欠落をビシビシ叱りながら一緒にステージに立ってくれる、Martinの美しい音も大好きです。
例えて言うなら、三学期に入っても話しかけれなかった美人の学級委員とたまたま同じ給食係になって、
「ちょっと男子ぃ、もっとテンポよくやってよぉ」とか、
「もっとバランスよく配ってよ」など言われながら働く落ちこぼれといった感じでしょうか。
そのSっ気たっぷりの綺麗なMartinの音に興奮します。
これからもBIG MOUTHでunpluggedのトライをたくさんしていこうと思います。


   

74歩のマーチ 2007/03/15
もう3月の半ばに差し掛かった事に気付いて、結構驚いた。
今年は自分に課した信念の年なだけに、もう既に3ヶ月も過ぎたのかと思うと、少し気が焦る。
とは言え、さほど重大な決心をこの一年に立てた訳ではなく、
「一歩ずつ」だけが僕の心の支えだ。
僕が以前、敬遠していた言葉だ「一歩ずつ」


ここのところ春と冬が行ったり来たりする。一日春に近付けば、二日冬に戻るような。
まさに365歩のマーチ、僕もそれに準じていきたい。
「三歩進んで二歩下がる」
うまく言ったもので、人間にはどうしてもムラっ気があるのは致し方ない。
まぁ、僕の場合。一日に三歩も進むような器用さがないから、
だからこそ「一歩ずつ」なのだ。
「一歩ずつ」を兎に角無心に、欲をかかず進んでいこうと思う。
そうすると僕は、計算上からいくと今年に入って74歩成長した事になる。
改めて数字にしてみると急激に荷が重く感じる。
74歩の成長…。してるだろうか…。
僕の性格の場合、どうしてもどこかで毎日から自分を切り離して孤独にしてやり、
身も心も空虚に休ませなくちゃいけない時間がある。
そんなに大した時間を要する訳じゃなく、
日常のリズムやよしなし事から数時間自分を外してやるだけでいい。
そうすると、自分の根気のエネルギーを補充する事ができ、
また日常を支障を来さず継続する事が出来るようになる。
言ってみれば、
「一日一歩、三日で散歩」
のノリで、今年を進んでいったらいい。


それにしても『365歩のマーチ』、この唄をよくよく見ると、
「一日一歩、三日で三歩。三歩進んで二歩下がる」
と唄っている。
このフレーズに昔から得心がいってない。
一日一歩ずつ進んで、三日かければ三歩になる。なのにどうして突然そこから二歩も下がったのか。
時間のベクトルがよくわからないフレーズだなぁと、
ずっと思って未だに解決していない。
   

トランプを擦る 2007/03/14
マジックをすると、自分の性格がよくわかる。
自分だけが知っている種に、「しめしめ、これはわかるまい」と思うか「いやー、こんな簡単な種はすぐにバレちゃうよ」と焦るかで、魔法の効き目は多いに変わってくる。
自分がどっちの方に意識を持つのか、これは自覚しておいて損はない。



どんな魔術や魔法、トリックも、マジックやイリュージョンにしたって、種を明かせば「けっ!」と唾を吐きたくなるようなもので、
例えてみれば大根のひげに似ている…(?)。
否、今一度、例えてみれば自分の欠点に似ている…(!)。


鏡の前で「あぁ、アタシのここが気に喰わないわっ」なんて思う事が誰にもあるけど、
微に入り細に入り、そんな関心で自分を見ている相手は、結局はいない。人の眼は、もっと雰囲気を捉えるようにできている。
むしろ欠点なんてものは、自分というイリュージョンを輝かせて魅せる為の、重要な種、或はスパイスになっている事の方が多いと僕は思う。


きっと、
「アタシ、自分のここが嫌いなの」と言った時、
「えぇ!そこが君の可愛らしいとこじゃん!」なんて人が言ってくれる経験は多い事でしょ?
そいつをお世辞と取りがちだけど、そいつは如何に自分で自分を見れていない証拠なんだと感じるべきかもしれない。
自分が恥ずかしい部分なんて、
人の方角から見ると、あばたもえくぼ、実は自分を一番美しく魅せている大切な個性なんだろう。


「おいくつですか?」
「えぇ、言いたくない!結構トシだもん」
って種明かしをする。
「そうなんですか?」
「今年で○○歳だよ」
(ふ…む、○○歳と言われれば、それくらいに見える)
っと、こうして魔法は解けてしまうのだ。
はなっから種明かししなければ、だいたいは年齢よりも若く見ている人の方が多いのだ。


つまり、
自分の弱点を人に種明かしをしてしまったら、人にかかった魔法は「あっ!」と言う間に解けて、12時過ぎのシンデレラに戻ってしまう。
マジックの種は、相手の方角から見ると正に重要な鍵(魅力)であり、同時に自分の方角から見ると強烈な弱点でもあるのだ。


事務所にて、Y社長、Tさんを相手にして、僕は華々しくトランプのマジックを開催してみる。
見ている方からすれば「何故?」「どうして?」と不可思議に皆目検討もつかないのだが、
僕の方からするとバレやしないかハラハラして気が気じゃない。
「じゃあ、カードを一枚引いて下さい」
「はい!引いた」
「あっ、あのそんな風に持たないで…」
「えぇ、どういう事?」
「えっ…と、僕にカードの数字を念じるように、こんな感じで…」
「何それ?そうしなきゃ成功しないの?」
「そ、そうなんですよ。そうじゃないと僕は引いたカードを言い当てれないんですよ…」
「じゃあ、こうは?」
「あぁ、それでバッチリです」
「……ふぅ〜ん……」
「……いきますよ、そのカードはきっと〜ぉ、ハートの〜ぅ……」
「……、あぁ!わかったぁ!」
と、こんな始末。


事の成否、言葉の説得力、凛々しく立つ術は、
如何に自分の弱点を種・魅力・個性と信じ込めるかどうかだという事がわかる。


「で、どうすんのこれ?」
「えっと、はい、好きなところへ入れて下さい」
「入れたよ、どうすんの?」
「トランプを擦ってもらっていいですか?」
「トランプを擦る?」
「そう、存分にシャカシャカ擦って下さい」
「切るって事?」
「トランプを擦るって言いませんか?」
「トランプは切るって言うよ」
「嘘だ、知らなかった」
結局マジックは方言の問題へとスイッチ。
トランプだけは擦るもんだと幾ら信じ込んでも、人に効き目はないようです。
   

水溜まりが乾いていく道 2007/03/13
あの子は歩き出し 眼を見張るほど凛々しく綺麗になる
あの子が振り向いて 手を振ったのは甘い思い出達

通りをへだてた僕は 素っ気なく背中を向ける
こんなやるせない日には 決まり事のように
雨が上がる

愛する人の胸の中で 雨音を数えてたあの時間は
今、夢へ 夢へ
水溜まりが 乾いていく道


あの子の寄り道は きっと今頃は窓際のいつもの席
珈琲の薫り 一息でふぅ〜
もうそろそろ 飽きた頃だろ?


最後に落とした涙は 雨粒と言っておきなよ
斜めに見上げた空で 月日を数えて
君もいつか


愛する人の胸の中で 雨音に身を焦がす恋をするよ
そう 夢で 夢で
こんな風に愛した人はいない
でも 夢へ 夢へ
夢へ 夢へ…
水溜まりが 乾いていく道



これは僕が作った唄だ。
今は少しだけ歌詞を変えて唄っている。
別に特定の出来事を唄にしたものではなくて、日々の人いきれの中で、
ぽっかり取り残されたような気分の時に書いた唄だ。
確かなのは、女性に向けて唄っている事かな。


最近、友人の女の子が女友達と女二人暮らしを始めたという。
また、ふらっと友人の家に遊びに行くと、彼女と二人で温かく僕を迎え入れてくれたりする。
あんなにギャーギャーピーピー言い合ってきた仲間達も、
そろそろあるべき場所、落ち着くところに根をはって、
着実な毎日を積み上げているなぁと感じる。
それは僕の心を和らげてくれる大切な変化だ。


ずっと以前、顔を泣き腫らして僕の家に飛び込んで来た女の子がいた。
僕は彼女と友達で、パワフルというかクラッシャーというか、
小さい身体をコロコロ転がして、精一杯意地を張っている姿が可愛らしく、
僕にとっては観察していて面白過ぎる生き物だった。
普段の僕等はキツイ冗談を言い合ったり、真面目に夢を語り合ったりしていた。
その子は身体に病気を抱えていて、故郷に帰って治療に専念するか、東京でもう少しやりたい事を模索するかで悩んでいて、僕も非力ながら相談に乗ったりしていた。
そんな折も折、彼女に念願の彼氏ができてしまった。
「なんと、オマエに惚れる男がおったか!」
と、僕はそんな冗談で祝福していた。
その彼氏は東京の人じゃなく、どっかの医学部を目指して浪人し続ける男だった。
彼女は東京にある自分の部屋にその彼氏を住まわせて、二人で医学部の夢に向かって生活を始めた。
それから暫く音沙汰なく、きっと仲良く二人で暮らしてるんだろうと僕は思っていた。
だけど、そんな僕の幸福な予測を蹴破って、
彼女は泣きじゃくり、化粧もへったくれもないドロドロの姿で僕の家に飛び込んで来た。


その訳は、彼氏が部屋から出て行ってしまったというのだ。
しかも、彼女は幾つか殴られ蹴られたと言う。
僕はその彼氏とは一度挨拶したっきりで、しかも挨拶した時もその彼は恥ずかしそうに彼女の肩に隠れていたので、随分気の弱そうな男の子だなぁという感想を持っていた。その彼が…。


一晩事情を聞いていみと、どうも男がヒドイ。その男の子はあまり愛情があるように感じなかった。それに生活がいかにも無責任にで、彼女の愛情を自分で勝手に気詰まりにして、殴って出て行ったようだ。くわえて、こんな暴行は一度や二度の事じゃないらしい。
だから僕は、
「放っておけ」
と彼女に言った。
それに僕は、彼女の男に噛み付くような気の強いところが好きだったから、毅然としてその刃を尖ったままにいて欲しいという願いもあった。
だから、「捨ててしまえ」「気を強くしておれ」というような事を彼女に言った。
でも彼女は「東京に彼の行き場はないし、お金もない。どうしよう」と涙をこぼすばかりだった。


次の日、男と女の友達も含めて四人で話し合うと、
当人の彼女以外は全員「別れた方がいいよ」と言った。
彼女を笑顔にし、元のクラッシャーな怪獣に戻す為、
僕等は事を分けて説得したが、
とうとう彼女は、
「どうしてそんなに私達を別れさせたいの?」
「彼にはいいところがあるんだよ」
と僕等を拒絶した。
そして、彼女は自分の家に戻って行った。
暫くして、彼氏は帰ってきたらしい。そして、二人はまた二人の暮らしを始めたと後になって聞いた。


あれ以来、彼女と話していない。風の便りに故郷に戻って病気の治療をしていると聞いた。
そして、今でもあの彼氏と幸せに暮らしているらしい。


DVに悩む女性が顔を青く腫らしながら「それでも、あの人だけは私に優しくしてくれるの!」と、現実と真逆の感想を彼氏に持っていたりするのを、テレビで見た事がある。
これは女性だけではなく、男性にもあると思う。
惚れた弱みというヤツかな。
自分でも相手の悪い部分に気付いているのだけれど、
この人は素晴らしい人と信じたいから、そこを自分の脚色で美化してしまう。
人から「おかしいじゃないか」と指摘されても、必死にそういう人じゃないと擁護したくなってしまう。
そんな事は、事の大小を問わずどんな恋愛にもある事だと思う。
僕も、恋愛に関しては相手を神のように万能・慈愛の人と信じ込もうとするタイプなので、
愛情が深まれば深まるほど、相手の人間らしい欠点を、自分の強引な盲信で「本当は違うんだ」と本当の事から眼を離そうとする事が多々ある。


でも、僕が思うのは、結局何だかんだ言っても人は、自分の居心地を自分の現実の中に作り、結局は幸せに感じるようになる。もしくは、ちょっと違和感を感じてはいても、自分の安定した居場所を相手に見付けてそこに定住するようになる。
正常な愛情など結局ないのかもしれない。
愛情は強烈な思い込みによってできているのかもしれない。
親が子を無条件で愛する。人を殺そうとも、世間に恥だと罵られようとも、親として強烈な思い込みで子供を保護しようとする愛情。
川で溺れる彼女と見知らぬオッサン。手に浮き輪を一つ持っていたらどうなる?助かる人、助からない人の差は、愛情という思い込みじゃないだろうか。
女ったらしの男に愛され、何人かの内の一人の彼女にさせられた女の子が「その中でも私は特別な一番だもん」と思う訳で、それが本人にとって今感じる幸せなら、人生に与えられた幸福なのだろう。


そんな幸福が繰り返され、そんな幸福に接し、そんな幸福を見付ける度に、
僕はぽっかり取り残されたような思いで、指をくわえながら見送る。
あの時、あの子が泣き腫らしていった水溜まりも、次第に乾いていく道に立ち。
   

粘着質のテープに縛られ、完全に固定される指 2007/03/12
『スポーツ選手も愛用している』
という売り文句に惹かれ、薬局でテーピングを買いました。
テーピングを使うなんて、学生時代野球をやってた以来なんじゃないでしょうか。


別に捻挫や突き指をした訳ではなく、
僕の場合、右の足の親指の関節にアトピー性皮膚炎が再発して、
皮膚が乾燥する為、指を曲げたり伸ばしたりすると皮膚が対応し切れずにヒビ割れてしまうのです。
すると乾いた木工用ボンドのようにヒビ割れた皮膚が硬くなってはがれてきてしまう病気です。


だから、この親指をテーピングで固定して、曲げたり伸びたりしないようにし、
傷口が広がらないようにしたのです。


流石『スポーツ選手が愛用』するだけの事あって、1mmも伸縮しないんですね。
結構思いっ切り親指を伸ばそうとしても言う事を聞きません。
むしろ、土踏まずの健康な皮膚でテーピングを固定したので、そっちが引っ張られて痛かったです。


朝、人知れず靴下の中にそんな包帯を隠して、街に駅に歩くのですが、
これがあまりに固定力が強い為、ともするとバランスを崩して転びそうになります。
もし本当に転んで、捻挫にでもなったら、
嘘から出た真となるのでしょうか、
ちょっと意味が違うかな、
ミイラとりがミイラになるって話かな…、
この言葉も違うような気がするね。


いずれにしても薬品やテーピング類も日々進化しているんだなぁと感心してしまいました。
昔、野球をやっている時に使っていたテーピングなんて自由過ぎるくらい伸び放題でしたよ。
こうして、人の考えの至らぬところまで、痒いところに手を届かすような事を考えている人がいるという事は素晴らしい事です。
そんな人々の一生懸命な仕事の恩恵を、僕は便利に受けています。


人の考えの至らぬところを考える、で思い出しましたが、
最近、僕の住む街にやたらと薬局が建ちました。
1ブロックに5軒くらいあるかもしれません。
僕の心情としては、薬局よりもスーパーやファミレスが増えてほしいんですが…。
兎に角、この1年で盛んに建てられた薬局群です。
一つの街に一軒で充分な気もするのですが…、
矢張りそれもこれも、僕の考えでは及びもつかないような商法や戦略が隠されているんでしょうか。
そんな見知らぬ人達の血と汗と涙の勲章の恩恵を受けながら、
僕の生活は、次から次へと不便なく助けられています。


何はともあれ、その感謝を忘れたくないなと思いました。
   

帰京 2007/03/11
岐阜羽島駅。
今日は地上のものを全て巻き上げて、冬風が豪壮を誇っていた。
今年雪を降らす事を忘れていた悠長な雲も、随分その風に脅されたらしい、
のんきなお尻を上げて、東へ流れて行った。
僕も同じような心境で、東に向かう。
田んぼの真ん中のにある駅は、
何にも遮られずに真っ直ぐ向かって来る風に、無言で耐えていた。


家族四人で車に乗り、他愛もない話をしてから僕は車を出る。
家族三人に見送られ、ギターを担いで風に煽られながら改札へ向かう。
北風と太陽の話を思い出す。
僕は家族という太陽に包まれ、緊張感や虚勢というコートを脱いでいる。
ひとたび、外に出て北風に煽られながら旅をまた始めると、
僕は緊張感や虚勢というコートのチャックをきゅっと締め直す。
それでも何度か振り向いて、手を振って新幹線に乗った。


今までは「帰れるところがあるなんて甘い考えで東京にでてはいかん」と無意識に信じ込んでいたところがあったけれど、今回帰郷してみて少し考えが変わった。そんな無駄に自分を追い込んで窮屈に物事を考えるのはよくないなぁと思う。むしろ、いつでも帰れる場所があるという幸福感で夢に仕事に向かうべきだと思った。


「岐阜を出たい」と多感に思って出て来た。
東京で同郷の友人と、「絶対岐阜には戻らへんぞ」と誓い合った事もあった。
それだけ、故郷を愛し、深い情けを持っていたからこそ、
あの頃は、強固に意志を持とうとしたんだと思う。
愛情があり過ぎるだけの事。
でも、格好悪くてそれは認めれなかった。


今もとても岐阜を愛している。
僕を育ててくれた町並み、懐かしい友人達の家。
大好きな夕暮れ、風の音。
雲と山は、悠然と横たわり、
空は高いものじゃなく、広いものだった。
日々の暮らしで忘れかける静寂、夕闇の心細さ。
どれもこれも、僕という扱いにくい生き物に太い芯を育んでくれた岐阜。
「また、いつでもおいで」
と言ってくれるから、
「また、いつでも帰ってくるよ」
と出て行きます。
   

ざんざん降り 2007/03/10
屋根を打つ、ざんざん降りの音を聞きながら、
岐阜滞在最後の夜を過ごします。
この滞在中、お酒を口にする事がなかったのですが、
今夜はほどよく呑みました。
家族と四方山話を囲み、ほどよく酔う、
こんな酒も悪くないもんです。


屋根を打つ、ざんざん降りの音に揺すられて、
身体はほどよくほぐれています。
家人がそれぞれの寝床に散り、僕は居間に寝床を構えます。
ほど酔いが、なおさら僕の心境をほぐすので、
慕夜いていられないほど、うっつら、うっつらします。


こうして何でも話し合い、包み隠さずぶつかり合ってきた我が家。
人に言えば、驚かれるほど自分を話してきたし、家族の事を知ってきました。
僕もいつしか大人になり、
言わなくてもいい事や、言わずに踏ん張ろうとする事が、
日々に積もっていきます。
でも、この家庭に戻って、それらをへその奥からゆっくり引きずり出していく、
その会話の中で、自分の歩度の再確認をします。
「あぁ、遠くへ来たな」と思い、
「結局いつもスタートラインに戻っているだけだな」とも思うのです。


そんな事より、何よりも、
この滞在中、僕は夜を起きていられなくて、
今も何度か眠りかけては、はたと覚醒し、
またパソコンの前に頭を引き摺ってきます。
その間隔が次第にゆっくりになっていきます。




















矢張り、眠ってしまいました。
きっとほどよい酒にほど酔って、布団に絡まって考え事をしていたのが、
敗因でしょう。辺りはすっかり朝になっています。
屋根を打っていた、ざんざん降りの音も止んでいて、
カーテンの足に、新しく生まれ変わった太陽の光が部屋に染み入っています。


僕はこうして、また東京に戦うエナジーを補充し終える事ができました。
屋根はいたって静かですが、そこに燦々と朝陽が金糸を垂れているのを感じます。
さて、こっからもういっちょ、頑張ろう。
自分の器官がシュッシュポッポ、自分にしかないリズムを奏で始めます。
さて、へその締め直し。
今日、東京に帰ります。
   

ちゅ〜ぶシュンシュン 2007/03/09
岐阜滞在が続きます。


今日は中部地方でNHKを見ているお茶の間に僕と吉川みきさんが登場、
つまり『ちゅうぶ旬旬』に出演したという訳です。
早速、僕も実家のテレビの前で、自分が出てくるのを待ってみました。


今日の我が家の夕食は手巻き寿司だったのですが、
放送が始まると、色々思い出して僕は緊張してしまい食事が喉を通らない、
何も手巻けない状態になりました。
この緊張感は実際カメラを目の前に唄っている時より強い緊張です。


僕は番組の最後に『ちゅ〜ぶシュンシュン』を唄ったので、自分が登場するまでの間、結構ソワソワして立ったり座ったりしていると、
そばで一緒にテレビを見ていた父も、僕につられて少し緊張の顔を強張らせていました。
『そうだな、きっと緊張しているのは僕よりも親だろうな、何だかんだ言って心配しているだろうな』
と僕は思い返し、大きく動じない姿勢で番組を見るように心掛けました。
すると、父は一体何を心配していたのか解りませんが、僕に、
「この番組は、生か?」
と聞いてきました。
「だったら、僕は今ここでタラ〜ッとはしていないのですが…」
父は全く違う次元で僕の事を大変心配していたようです。


さて、実家のテレビに僕とみきさんが登場し、演奏し始めるとそれまでの緊張感はどこへやら、
楽しくて踊り出しました。
「この二人、いいねぇ」
僕はそう言いながら、ノリノリでした。
ちゅうぶ旬旬の収録時は、どんな映像になっているのか見れなかったのですが、
今日のオンエアーで確認できました。
割と自分が頭の中に思い描いていた絵面に近くて、
僕もみきさんもいい笑顔で中部地方の方々に春をお届けできたなと思いました。
如何だったでしょうか?


さて、岐阜バカンスも残りあと一日になりました。
「何もしないぞ」と心に誓って取った休みなだけに、本当に何もやっていません。
しかし、そんな毎日こそあっという間で、もう休みが終わろうとしています。
不思議な事に、こうも気を抜いた休みの中では幾らでも眠れるようです。
朝はきちんと起きているのですが、あっちこっちで居眠りをしなくては気が済まない状態です。
短いと5分刻みで居眠りを繰り返し、そのつど違う夢を見ます。


今日の陽射しは暖かく眼にも痛いくらいの光線を放射していました。
でも、どうにもならないのが外の寒さですね。
そんな中、僕は炉畑遺跡を見てきました。
茅葺のたて穴住居があり、あとはこれといって何もありませんでした。
さてこの炉畑遺跡は約紀元前5000年前の遺跡らしいのですが、
そんな7000年も昔のまだまだ温暖化や暖冬などの社会問題が起きていない頃、
こんな寒い冬のある地方で本当にこんな簡素なたて穴式生活をしていたのだろうか?謎が残ります。
ちょっと寒そうな生活、僕の様な寒がりには耐え得る事が出来なそうな縄文人の生活を、茜色の空に想像していました。
   

おみこし 2007/03/08
もうそろそろ、この辺りの町内ではお祭りがあるという。
その昔、この町に僕達が秘密基地を作ったり、公園で野球をやっていた頃の話。
春になると、僕達は青い半被を着てみこしを担ぎ、町内をカンカン、ピーピー練り歩いたものだ。
みこしを担ぐのに充分な小学生が町にはいたんだ。


でも、僕が生まれ育った町にも、それなりに過疎化の波が寄せて来ているらしい。
子供が減って、祭りは存続の危機に陥っているという。
仕方ないかなぁとも思うけど、この町のOBとしては矢張り続けて欲しいと願ってしまうのだ。この町の子供が0人になるまで。
この町は、あまり新しい人達が入ってくるような場所じゃないし、
ここで生まれ育った奴等も、大概は町を出て行ってしまった。
結局、子供の数が減れば地味になって、町内会の人達もなんのために一生懸命に尽くすのか解らなくなるもと思う。


ただ、僕はこの町で地域のオジチャンやオバチャンと接して、叱られ褒められしながら成長してきた。
おみこしを担ぐのも、小学校高学年になってやっとメインのみこしを担げたから、その名誉を深く感じた。


地域の人達が愛情をもって僕等を干渉していてくれる事は僕等にとってとても安心感があった。ひとたびお祭りになれば、オジチャンやオバチャンに叱咤されながら、眼の色を変えてみこしを担ぐ。
僕は心からお祭りを楽しんでいた。


そして、今。
この町に住んでいながら、僕と同じ思い出を作れない子がいるのなら悲しい。
もし、お祭りが廃止になって、友達と半被を着る思い出が作れない子が出てしまったら…。


あの頃の、
あたたかく毎日友達の声で満ち溢れていた道路。
別にノスタルジックになる気はないけれど、
子供が一人でもいるうちは、
この町で育った奴全員が共通して持つ思い出を味あわせてあげて欲しいと願う。


東京で同県人を探すのは至難の業だけど、
この町にいるて、年齢問わず同郷の人間を見つけるのは簡単すぎる。
こんな貴重な関係、
この最も近くて深い縁を持っている子供達に、
僕はOBとしてお祭りを味あわせてあげたいなぁと思う。


   

白山神社 2007/03/07
今朝、目覚めるとすぐに家人に促されフットバスに足を突っ込みました。
プクプクと生温い目覚めです。


昼になると、僕は久し振りに車を運転し、
父と母と共にドライブに行きました。
目指したのは、僕が帰郷の際に、必ず立ち寄らなくては気が済まない場所。
僕にとって岐阜で行きたいところナンバーワンの店です。
それは、国道41号線を北に上り七宗町辺りにある三八屋というお店です。
ここの“えび天おろしうどん”が僕の大好物だという事です。


この“えび天おろしうどん”を無心にすすった後は、
僕等は国道41号線を更に北上し白川へ。
段々になった白川茶の茶畑を眺めながら、ゆっくり細い山道を走ると、
雪が降り出しました。
東京では今年雪が結局降らなかったので、
僕にとってこの雪は、記念すべき初雪の日になりました。


この辺りは標高が高いためか、雪が直接雲から降りてくるようで、雪の色艶は新鮮そのもの、とても純粋で綺麗です。
そんな中で、僕等は『大山白山神社』に辿りつきました。
ここには樹齢1200年もある杉の巨木があり、
また、隣り合う二つの杉の木がくっ付いて抱き合うような形になった女夫(めおと)杉などがありました。
僕は立派な大先輩の大木を眺めていて、
この大木から花粉が風に乗り、
街に住む人達の目や鼻を刺激してまわっているんだなぁと実感しまた。
   

ちょいと晩冬さん 2007/03/06
本日の岐阜には、寒が戻りました。
庭を見ると、草木がよく冬に耐え、穏やかな一日を迎えています。
風はさほど強くなくて、陽射しがあります。
室内からは一見、暖かそうな小春日和に見えるのですが、
実際、外に出てみると、身の毛もよだつほど寒かったです。
上空を見上げると、雲が慌しく右往左往していました。
冬空の衣替え、春を迎えるため、
空の方でも大忙しの時期なのかなぁと思います。
僕の足元は日陰になったり日向になったり、
懐かしい岐阜の移り気な天気でした。


夜になり、夕飯を終えると僕等家族は恒例の七並べに興じます。
家族が四人全員揃った時は、必ず七並べで互いの近況を確かめ合います。
別に細々と生活の心境などを話すのでもなく、
ただ黙々とカードを並べ、策略を練って、
『あぁ、今年も無事に迎えているんだなぁ』と安心します。
妹が意外に策略を仕掛けてくるのを体感して、
『コイツ、成長したなぁ』と頼もしくも思うのです。
終始笑って、始終たくさんの話をする。
山口家にとってなくてはならない時間、
それはこんなひと時の積み重ねです。


家人が眠りに就くと、僕は一人庭のベランダに立って、
模様替え途中の晩冬の夜空を見上げました。
おぼろに月がのぼり、片付け切れていない雲が、
雑然と宇宙に照らされています。


夜が夜らしい明かりと闇を持ち、
夜が夜らしい静けさを持つ。
こんなごく当たり前の自然現象にいつも、
「帰って来たなぁ」
と帰郷の実感を持つのです。
僕の耳は東京の夜に慣れていて、
まったく無音の夜に、ざわめきを感じ、
耳鳴りがするほど返って無音がうるさく感じる事があります。
今や僕は東京に暮らしている。
家を出て、岐阜を出て、十余年。
「本来の安心感って一体どこに持つようになったんだろう?」
よせよせ問答、なのです。


愛犬を腕枕で一緒に居眠りしたら、腕がしびれて目が覚めました。
へその穴が3倍にも緩んでいる、帰郷2日目、パジャマの山口でした。
   

寝っ転がる 2007/03/05
今夜は岐阜に寝っ転がる。
実家の深い布団の上、
愛犬の寝息を聞きながら、天井を見上げて暫し考え事。
今日は疲れと眠気を支えきれないでいる。
枕の上に頭を乗せると、
今日はいつもより地球の重力が強く感じる。


目を閉じれば、一瞬にして朦朧とした霧の中へ意識を失い、
意識が戻って慌てて目を開ければ、
一瞬ソファーの上に今日の出来事が見える。


今日はテレビのお仕事。
吉川みきさんと事務所の社長、そして僕。
三人で何度もイメージを確認し、リズムを確認し、音を確認し、
誠心誠意を尽くした一日だった。


今夜、岐阜で仕入れた言葉がある。
『ボールを投げて、そのボールが返って来たなら、それはただ壁にあたって跳ね返ってきただけのこと。
  ボールを投げて、何も返って来なかったなら、誰かがそのボールを受け取ったということ』


今日、僕等は遠くへボールを投げた。
ありったけの想いでボールを投げた。
それが誰かの心にキャッチされる事を想像しながら、
僕は幸せに意識を失っていく。
僕は長かった一日を、
幸せに、また静かに終えようとしている。

   

フロントにて 2007/03/04
只今、名古屋に着きました。
ちゅ〜ぶに生まれた僕にとっては「ただいま名古屋」です。


さぁて、もうそろそろ午前も四時を回るのですが、
僕は滞在先のホテルのロビーにあるパソコンを使い、
今日は立って慕夜記をしたためています。
なかなか気分が変わっていいものです。
背中にフロントを守る夜勤の人の視線が当たります。
それもそれで、
なかなか気分が変わっていいものです。
今日は言ってみれば公開慕夜記で、
今から間に合う人があれば名古屋に見に来てほしいです。
結構、気を付けの正しい姿勢で書いているんですから。


ところで、何故名古屋にいるのかと言うと、
明日は『ちゅ〜ぶ旬々』の収録があるためです。
今回は吉川みきさんと一緒に『ちゅ〜ぶシュンシュン』を演奏するので、
楽しみは尽きないです。
僕等二人がどれくらいの厚みで、テレビに露出できるんだろう。
二人でイタズラッ子に帰ったような気持ちで演奏できたらいいなと思います。


東京から名古屋まで、高速道路を車で移動して来たのですが、
途中に『由比』という海岸があって、
そこは通るたびに気分がいいです。


長い東海道中、
ここだけは、海を本来の広さで見れます。
僕は以前、ここをバイクで突っ走った時、
あまりの高揚にヘルメットの中で「ぎゃ〜」と絶叫しながら通ったのです。
今夜は、真っ白な満月(に近い丸顔月)が、
流れる雲の背中を照らし、
おぼろになっては揺らぎ、
現れては突き刺す月光を、
海面になみなみと注いでいました。
風が速いんですね。


黄昏ワゴンはいつもの三人で、
今夜は深夜ワゴンになって月と競争してきました。
明日はいっちょ騒がして来ますよ。
   

投げキッス 2007/03/03
死んだように眠った。
お伽の国から自宅に戻ると、1分1秒の余裕もなく、
死んだように眠った。
お伽の国から自宅という現実、現実という枕から今度は泥のように夢の中へ。
久し振りに子供の頃の知恵熱をこめかみに感じた。


今日は吉川みきさんの誕生日。
これをディズニーランドで過ごすというイキなはからいに、
僕も参加させて頂いた。
ディズニーに戯れるのは生涯で2回目、
中学生の頃の修学旅行以来だった。


しかし、こうも人がいるもんか。
衰える事のない絶大なファンタジー、徹底したショーマンシップのサービスに、
子供ははしゃぎ、大人も若返り、少女となる。
衰えたのは家族サービスに疲弊した喫煙所のお父さん達。


それにしても、
ミッキーやドナルド達のような着ぐるみは、いちいちの所作が人の心をくすぐるように出来ている。
妖精達の投げキッスに思わず眼が眩んだ。
ショーやパレードがこんなにも眼に潤いを与えるものとは予想もしていなかった。
ミッキーやドナルド達のような着ぐるみは、
いちいちの所作が無邪気に可愛らしくなるように出来ている。
ふと隣を見ると、
「HAPPY BIRTHDAY みきちゃん」
と書かれたシールを帽子に貼ったみきさんが、はしゃいでフリフリ踊っていらっしゃる。
ミッキーとみきさん、共通項は多そうだ。


お伽の国の魔法は、ゲートをくぐると解ける。
妖精の投げキッスは僕の記憶から消し去られる。
帰りの車の中で口をついて出る鼻歌は「カスバの女」。
急速に現実へ帰って来る気がした。
そして、
死んだように眠った。
お伽の国から自宅に戻ると、1分1秒の余裕もなく、
死んだように眠った。
お伽の国から自宅という現実、現実という枕から今度は泥のように夢の中へ。
   

変遷 2007/03/02
今日はトラブルにまみれる一日になるとも知らずに、僕は朝の布団の中で葛藤をしていた。


「兎に角、寝ていたい」
そんなに身体が睡眠不足とも思えないけど、気持ちが睡眠不足で余裕がない。
目覚まし時計の10秒前に目を覚まし、
寝たフリ、見なかったフリ。


9時半から目覚まし時計は朝礼を開始し、5分おきに僕を点呼する。
「山口晶君」
「……」
「山口君」
「……」


何度頭を掻きむしっても目が覚めず、
「山口晶君」
「……はい」
起きたのは10時。
取り敢えず布団から這い出て、洗濯機の中にある一週間を洗い始める。
ついでに僕も裸になって風呂に走り込み、慌てて温かいシャワーを浴びた。


本日は31rpmの収録があり、その後はリハーサル。
間には充分な移動時間をとったつもりだったけれど、
トラブルにまみれて焦りながらの移動になるとも知らずに、僕は出掛けた。


31rpmのロケ地に着けば、待ち合わせの45分前。
眠気を飛ばす為に、スターバックスに入り持参のタンブラーにエスプレッソを入れてもらう。
そのカフェインで目が覚めた、というよりは、
喫煙席が屋外にあるため、外気の寒さで目が覚めた。
そして自作の進行表をチェックしながらエスプレッソをすする。
一見すると、僕はとても優雅な時間を過ごしていた。
トラブルにまみれる一日になるとも知らずに。


風にピューピュー吹かれ、髪の毛を逆立てながら僕は優雅に過ごしていた。
「ズゴーン!」
地鳴りのような音を立てて、ジェットコースターが頭上を何度も行き来している。
僕はいたって緩やかにアフタヌーン・カフェを凍えながら楽しんでいた。
今日がトラブルにまみれる一日だとも知らずに。


こうしてスターバックスのオープンテラスに座って珈琲をすすり、
遊園地を行き来する人々の表情を見ていると、
若年、壮年の人より、圧倒的に老年の人の方が笑顔である事に気が付いた。
かく言う僕も優雅な時間の割には寒さに強張って硬い表情をしていたと思われる。
まったく、若さっていうのは自分の意思にエネルギーがあり過ぎる。
人間が練られる事の大切さを痛切に感じた観察だった。


そんな笑顔の老人の中で、ひときわ優しい老夫婦が僕の前を通った。
「ズゴーン!」
と走るジェットコースターを見上げながら、その老夫婦はとても嬉しそうな顔をしていた。


「乗るか?」
「何言ってるんですか、お父さん」
「腰が抜けるか?」
「それより先に心臓が止まりますよ。あんなぁ……」
『ズゴーン!』
「………」【ニコニコ見上げる】
「………」【ニコニコ見上げる】
「そうだな、やめよぅ」


あぁ、僕が夢見るような夫婦像だ。
僕もいつかこんな風に、
誰かの事を深く知って、同じ歩幅で同じ分だけの分相応な幸せを会話にしてみたい。
僕は恋なんて欲求だらけの感情よりも、
愛情という空気のような感情を、僕の生活に敷き詰めてみたい。


その老夫婦が歩いて行く背中を見送りながら、
僕の心は穏やかに、いつもの鼓動と自分のリズムを刻み始めた。


今日という日が、トラブルにまみれる一日だとも知らずに。
   

Sunny day on the end of Winter 2007/03/01
『そう言えば僕の家、もう4年目になるかな。
  まだ部屋では日だまりを見た事がないな…』

昼間、路地裏を歩いていました。
狭く軒を並べた民家を見ていると、日照権の不平等が浮き彫りになります。
こんなマイナー公道を歩く時は、たいてい僕一人しかいないんですが、
今日は珍しくもう一人、眼鏡の男の人が僕の前を歩いていました。


どうやらその人はこの道を通るのが初めてらしく、
正午の陽光にNOONと鼻を膨らませ、珍しそうに路地を観察しながら歩いています。
そして、その日照権のまばらな路地の中で、唯一日なたになった軒先を彼は見付けました。


そこには桃色に光を反射させる梅の木。
色彩のない日陰に満ちた路地裏に、太陽を招待した梅の花が泰然と咲いていました。


猫が膝に頬ずりするように、彼も梅の木にNOONと顔を寄せていました。
『その気持ち、わかるなぁ〜』
つまり僕は、昨日、まったく同じ時間帯にこの日なたを見付け、
桃色に光る梅に見惚れ、
彼と同じように頬ずりをしたい気持ちになったのです。
ああ、またひとつ春の先触れがやってきたな。


今日、目元が赤くなっている人を見て、
「酔ってらっしゃるんですか?」
と聞いたら、
「花粉症だよ」
と、二日酔いのような辛い表情をされました。


また、友達に電話を掛けたら、いたくグズグズしているので、
「風邪ですか?」
と聞いたら、
「花粉症だよ」
と、座薬でも入れたような鼻声で言っていました。


今年もまた、僕は鼻も眼も健在。
花粉の免疫力にはまだ若干の余裕があります。
穏やかな春の先触れに、
眼を和ませて、花粉に鼻を近付けようとする楽しみがあるのです。


冬で固くなってしまった身体を回すと、
凝り凝りいいます。
これが徐々に解きほぐれていくのかと思うと待ち遠しい春。
春には何故か期待感を持ってしまいます。
誰と会っても新しい出会いと思えそう。


心が水を含んだスポンジのようになった、
そんなMarch First、
Sunny day on the end of Winterな幸福。


追記:
花粉で眼は痒くはならないのですが、そろそろ前髪が目蓋にかかって、
そっちの方が痒くて、忍耐の限界に近付いています。
   

2007/02/28
「ヤッパ、アユノヤツジャナイ?」
「ヤッパ、アユデショ?」
「ダッテ、アユガセンデンシテルシ?」
「マチガイナイ、ミタイナ?」
「ダッテ、ヤバクナイ?コレ?」
「ヤッパアユッショ?」


今朝は電車の中で、注文通りの女子高生会話を聞いた。
始終コロコロ笑っていて、可愛らしいんだけど、会話には反意を持つところが多分にある。
正直、可愛らしさが台無しだなぁ〜と思った。
会話を聞いていると、
この子達は自分の意思や決断を人に伝える事を、
どうしても避けて通りたいんだなぁと感じる。
一言一言、常に人の同意を求めているのがヤバクナイ?って思う。
ちなみに僕がこの会話をしてみると、


「矢張り、アユのものが良いですね」
「確かに。アユのものが良いと思います」
「まぁ、アユが宣伝を担当されておりますし…」
「問題はありませんね」
「いや〜しかし、いいもんですなぁ、これは」
「さすがはアユが選んだものだけあります」


迷いのない、確固とした意思が表れている。
あの女子高生には、是非僕を見習ってほしい。


それにしても、
この子達は、よくもまぁここまでアユを盲信できるものだと感心する。
僕は岐阜県出身で、長良川の鵜飼いを見て育った人間だから、
この子達の言う“アユ”が、魚の名前であってほしいと切に願ってしまう。


「やっぱ、鮎のやつじゃない?」
「やっぱ、鮎でしょ?」
「だって、鮎が宣伝してるし?」
「間違いない、みたいな?」
「だって、ヤバくない?これ?」
「やっぱ鮎っしょ?」


釣りに行く相談か、疑似餌の良し悪しについての会話であってほしい。


僕はこの3月に帰郷する。
長良川の河岸でバーベキューでもした際には、
鮎の塩焼きを頬張りながら、是非この女子高生会話を反復してみたいと思う。
きっと情緒が溢れて、じいさんもばあさんも納得の岐阜っ子に戻れるだろう。


何て言ってる僕は、「ふぬ〜」と焦っている間に2月を終えた。
1月に比べて、あまり上出来とは言えない2月末のドタバタ加減に、
帰り道はさすがに苛立って、歩く足が速まる。
もう少し、自分を整理して過ごさないと、
肝心な時にどうしても余分なものまで荷物にしてしまう。
モヤモヤとせずに、スカッと整理した頭で、
一つ一つの事に正面で向かい合いたい。
1月はそれが少し出来かけて、過信を持ったかもな。
一歩進んで、何とやら。
まったく進歩の遅い男だと、つくづく情けなくなる。
「とうちゃん情けなくて涙が出てくらぁ!」
暴れはっちゃくのように、今夜は逆立ちして頭のリセットをしよう。
   

『大人ならガマン!』 2007/02/27
今朝、駅前の交番の窓をじーっと見つめていた。
別に落とし物でも、通報でも、自首したいのでもなく、
交番の窓をじーっと見つめていた。
別に警官に興味がある訳でもない。
『……矢っ張り、マナ・カナの違いだけはどうしてもわからんなぁ…」
僕の興味はその窓に貼ってあるポスターだった。


ここ一週間くらい、あまりニュースを見ていない。
想像を絶するような暗いニュースを毎日見て、
気分を重たくする事に意味合いを感じなくなったのかもしれない。
もっと言うと、テレビ自体を見ない。
最近、眼に映る番組は、人の胃のふちをえぐるようなものが多い。
背中越しに聞いていても、嘘っぽいおだてやゴマスリに愕然とする事がある。
情報が溢れ過ぎてしまった社会の、断末魔の声かもしれないと思う。
僕、テレビは大好きなはずなんだけどね。
今はあんまり見る気がしないなぁ。
僕は僕の生きるコミュニティーの事件が大事だ。
あんな人に会い、こんな問題が起き、途方もない喜びと悲しみを得ている。
これで充分、僕の今日一日のニュースは完結するんだからいいじゃない。
何てね、思うんだ。


そうそう、交番を見つめながら思い出していた事がある。
矢張りこの一週間に僕のコミュニティーで起きた事件。
それは、僕がこの短い期間で、2回も立ち小便を目撃したという事。
一度はバスに乗っていて目撃し、一度はバスを待つバス停付近で目撃した。
どちらも酔っているのか、しらふなのか判別がつかないようなオッチャンの仕業だった。


立ち小便って、注意するとか、目を逸らすとかの対処がとれるもんじゃない。
それとわかった時には手遅れなほど威勢よく始まっているもので、
「アカン!」と思った時には手遅れなほど終わってしまっているものだと判った。
唖然として凝視する間にオッチャンは何方へか消えていた。
こんな都会の真ん中で見るとは思わなかった。


この立ち小便をなさったご両人は、いずれもガードレール代わりの街路樹に放尿された訳で、
この季節、草木にとっては貴重な滋養だから……、
悪くもない事なのか?
わいせつ物陳列と言えるほど、何も見えなかったし、男の僕が訴え出るべき事でもない。
これは悪くもない事なのか?
「何が悪いんじゃ!」
と聞かれたら、きっと、
「よくわかりませんよ!」
と答えるだろうな。


僕の住む街のちょっとした飲み屋街では、
或る袋小路が立ち小便の格好のポイントになっていたという。
何せ酔っ払いが相手では取り留めもない。
困った商店街の人達が立てた看板には、
『大人ならガマン!』
と書かれていたらしい。
そうだな、ガマンして欲しいよな。


今朝、駅前の交番の窓に貼られたマナ・カナのポスターをじーっと見ながら、
そんな事を考えていた。
   

Sweet home 2007/02/26
50m四方にも満たない空き地を前に、煙草を吸っていた。


ここにはつい一ヶ月前までファミレスがあって、
ファミリーのレストポイントとして賑わしく営業していたのに、
前触れもなく、あっと言う間に砂利を砕いた空き地になった。
結局僕は一度もこのファミレスで食事する事はなかった。


それにしても、
このファミレスは、一階に駐車場もあって、
外観から見れば、都内にしては結構大きめのファミレスだと思っていたのに、
50m四方にも満たない空き地を前に、呆れ返ってしまう。
俺達がゆったりしたくつろぎのスペースだと思っている場所なんて、
一たび更地に帰ってしまえば、こんなに狭いもんなんだ。


これはひとえに『囲い』の織り成すイリュージョンかと思う。
こんなに狭い空き地にも、『囲い』を作って、
「はい、あなたはここにいる限り外界から侵略される事はありませんよ」
と言われれば、
「ゆったり落ち着くなぁ」
と結構な安心感を持ててしまうもんなんだと思う。


それが証拠に、
今僕の目の前に広がる50m四方にも満たない空き地には、
先週まで防塵用の幕が張り巡らされていた。
その時までは、一向に無頓着でここが狭いとこと感じる事はなかったのだ。
だけど、幕が取り払われた途端、
「思ったよりも狭い」という違和感が、ありありと横たわっている。
そして、
凍るような風の侵略を受け、
明け透けに四方を見渡せるほどプライバシーもなくなった。
きっと誰しもが、ここを見て狭いと言う事だろう。


長屋、アパート、マンションなんかもその類いかもしれない。
何十人、何百人の安心感を支える土台は、
50m四方にも満たない空き地によってまかなわれているに過ぎないんだ。
でも、俺達は苦労の末にその安心感を買い入れ、
何のかの言いながら死守しようとし、その広さにくつろぎを感じている。
それは全てが自分を守る『囲い』のイリュージョンなんだ。
積み上げたものを全て取り払って、我に返って見れば、
どんな豪邸であろうとも、
「俺が積み上げたものってこんなものか?」
と拍子抜けしてしまうほどに狭い空き地になるだろう。


一体、俺達が一生のうちで守ろうとする場所って何だろう。
Sweet home、夢のMy sweet御殿よ。
一体、俺達は一生のうちで何を得ようと苦しむのか。


俺という『囲い』がなきゃ、呆れ返るほど狭い空き地なのに。
俺という『囲い』が亡くなってしまえば、呆れ返るほど狭い空き地に帰るという結末。

俺は一生をかけて、その安心感をくれる『囲い』を作ろうとしているのだと思う。
そして、一生かかって作り上げた『囲い』は俺と共に滅びる運命にある。
俺が終焉を迎える時、一生かけて自分の束縛を作っていたんだと気が付いたら、
一体どれほど深い恐怖が待っているんだろう。


50m四方にも満たない空き地を前に、煙草は虚しく灰になる。
ここがファミレスだった頃は気が付かなかったけれど、
この50m四方にも満たない空き地は、
ビルの中にあっても50m四方全てに陽が降り注ぐ場所だった。


願わくば、
願わくば。
僕の人生も『囲い』が滅びた後に、
くまなく陽の当たる場所であったと気付きたい。
どんなに俺が狭い人間で終わったとしても。
   

歯科医師会の医師かい?そんな意思かい。 2007/02/25
「矢っ張り、朝まで呑み倒すのは控えなくちゃいけないな」
そんな風に反省するのは野暮な事なんだけれど、
昼過ぎまで死んだように眠り、くしゃくしゃな頭で眼を覚ますと、
折角の休日は早々と終わりを告げる。
その頃になって、プチ反省を思うのだ。
悩み多き男よ。


それにしても、
今夜で慕夜記がとうとう百夜に到達した。三ケタだよ、三ケタ。
あんまり目標を持たずに連続更新しているものの、
何だか嬉しい。
連夜の更新に何か意味合いを感じている訳でもないのに、
矢っ張り嬉しい。
この百夜の更新で得たものと言えば、
タイピングが少し早くなったという事くらい、
他にはあまり成長は感じられないけど、
兎に角嬉しい。


正直なところ、誕生日よりも充実感がある。
誕生日は黙っていても一年に一度やって来てくれるが、
慕夜記百夜は黙っていても来ない、これは語り尽くしていかなくちゃいけない。
僕は孤独なOLのように自分へのご褒美を与えてやるべきなのかもな。


さて、
今日と昨日はやけに寒く感じる日だった。
今日は自転車に乗って、少し自分のお遣いを済ます。
そのお遣いの中の一つが、借りていた本を返しに図書館に行く事だった。


僕が通う図書館の近所に歯科医師会があるというのは、ひょっとしたら以前の慕夜記で触れたかもしれないが、敢えてもう一度触れたい。
この歯科医師会というネーミングは建物の前を通る度に、
「シカイシカイ、シカイシカイ…」
どうしても反復して発音したくなるセンテンスなのだ。


さて、図書館の近所の歯科医師会について、まだ内緒にして自分だけで楽しんでいた事実がある。
それは、
僕が図書館に行く時には、必ず歯科医師会の駐車場に薄紫色にペイントされたライトバンが停めてあるのを見掛ける。
このライトバンは、恐らく歯科医師会に所属する歯医者さんの車なんだろう、
後ろのドアーには歯科の名前と住所がプリントされてある。
その歯科の名前は、
『スヴァラ歯科』


そう『スヴァラ歯科』の車が停まっている。
僕はこの東北訛りっぽい医院のネーミングに、いつも心を奪われている。
僕はこのスヴァラ歯科には掛かった事はないから、何とも言えないが、
「あそこの歯医者さんどうだった?」
と人に聞かれた時に、通った事のある人は、
「いや〜、スヴァラ歯科」
と答えたくなっちゃうのかなぁと想像してしまう。
すると、名前だけで良い評判が立つという事があり得る。
何てポジティブな名前だろうと感心する訳だ。
電話帳やタウン情報誌をめくった時、
名字があてがわれた歯医者の名前が多い中、
兎に角、際立って眼を引く名前だと思う。
「タモさ〜ん、インパク知!」(ちょっと古い…)
と叫びたくなるね。


もし、自分のお店や医院などをこれから建てようとされる方は、
是非ともこういった観点からのアプローチで名前を考えて欲しいと思う。
そして立派な一国一城の主として、
スヴァラしく君臨して頂きたい。
   

早く帰らなくちゃ 2007/02/24
真っ暗な中で眼を覚ますと、非常灯の緑色に行く宛を探す。
すっかり呑んで、友達と話して、結局雑魚寝して、
地上に出るともう朝陽は日曜の街をスッカリ染め抜いていた。


「おぉ、さぶいさぶい」
とてつもなく寒い朝。
まだ半分夢の中、千鳥足で歩き出す。


酔いに潰れて、並べた椅子に沈んでいた態から、
眼を覚ましたのはごく明快な理由だった。
「あぁ、慕夜記書かなくちゃ」
で目を覚まし、目を覚ましたのと同時に強烈なアルコールの跳ねっ返りを感じた。
こんな泥酔は六本木でバーテンのバイトをしていた時以来である。
さて、無事に家に戻れるだろうか…。


駅までの道のり、シャッターの降りた店先を横目に歩いていると、
ドラッグストアの階段の上で、毛布にくるまって眠る人を三人見た。
それぞれ自分のポジションを保って寝ている。
所謂、これも雑魚寝というやつか。
それにしたって寒い。
僕のような軟弱な肌では、この季節の路上生活は不可能だ。


昔は、こんな風景を見ると随分気が重くなったものだった。
かろうじて屋根のある部屋に住めて、かろうじて電気ストーブで暖をとれる生活をしている。
そんなネガティブな思いから、
「じゃあ、ない場合は…」
と想像しては、悩む。
これは、まったく傲慢な、そして空しい悩みだった。
今はそんな落ち込み方はしない。
この人達は自分で選んだ自分の道を歩んでいらっしゃる。
僕は僕で、
かろうじて屋根のある部屋で、電気ストーブで暖をとる生活を選んでいるというだけ、
どんな生活にも苦労があり、喜び幸せがある。
そこの根底に流れる自主性が、人間の平等である事が今は僕の生活の支えだ。
もう、思いを引っ張られる事はない。


地下鉄に乗る為、階段を下りる。
若者がジーパンを履くと、やけに短足に履くもんだ。
美的感覚が共有できるかどうかという問題ではなく、
「こんなに股下が短いと、僕はこの階段を転げ落ちてるだろうな…」
そんな実利的な理由でこのスタイルには同調できない。



さあて、一日の始まり、頭の中に巡る古い人の曲。
きっと家に戻ったら洗濯物がテラスで凍えているんだろう。
そりゃそうだ。
昨日の風は暴力的な勢いを誇示していた。
ボボボボボッ
何度も部屋が揺れる音を聞いた。
きっと、
家に戻ったら、洗濯物はテラスにあって、
風に押されて肩を寄せ合う格好で僕を待っているのだろう。
帰らなくちゃ、
早く帰らなくちゃ。
   

両腕の疼き、バンザイする男 2007/02/23
雨が上がり、ビルで閉ざされた道路にわずかな陽だまりができる。
「あぁ、ラッキー」
こんなナイスなタイミングで少し外気にあたる。
街のざわめきはどこで鳴っているのか、
閉ざしたビルの表側で、目一杯日光浴する音が聞こえる。
大通りの車の往来は、見えないけど活発な音色だけ耳に届く。
人影はまばらだけど、この街に無数に散らばる人の気配は鼻に漂う。
きっとどこかで虹がかかったのを、
誰かが見つけて誰かに言い、
誰かを誘って誰かと見ているんだろうな。
「あぁんラッキー」
僕も久しぶりに見たかったなと思う。


今日、電車に乗っていたら不意に両腕をまっすぐ上に突き上げたくなった。
それは、まったく訳も無く自然に両腕が上がろう、上がろうと疼き出す。
背伸びをしたいのとは違って、何だかムクムクと両腕が勝手に浮き上がっていってしまうだけ。
もし実行すれば電車内に真顔でバンザイしたままの男が出現する訳で、
それはそれは決定的な違和感を与えてしまう。
ここはその衝動の沈静化に努め、胸の前で自分の両腕をガッチリ握り、
腕組みというスタイルで事なきを得た。


まったく妙チキリンな身体の欲求だが、
この衝動は以前にも感じたことがある。


保育園にいた頃、
僕はひまわり組のみんなと、年に一度の発表会に向けて合奏の練習をしていた。
僕の担当はタンバリン。
その当時、僕にとって花形の楽器は、
一位が木琴、二位がトライアングルだった。
そして、僕が担当したタンバリンは、僕にとってはさえない楽器、人数合わせという感覚だった。
保育園の先生が一生懸命園児たちにややこしい楽器を合奏させている間、
僕はすっかりタンバリンに飽いてしまい、ボケーッと天井を見てタンバリンを断続的に叩いていた。
「じゃ、明日は発表会。みんなで最後に合わせて終わりましょう!」
と練習はもうあと一回の演奏で終わる事になり、僕は少しホッとした。
じゃあ、最後の一回くらい気合入れて叩くかと思って、
曲のリズムに合わせ、軽快にタンバリンを叩いていた。


しかし曲が中盤に差し掛かり、架橋を迎える頃、
僕の身体に異変が起こった。
つまり訳も無く勝手に両腕が上がっていき、
しまいには僕一人だけ高々とタンバリンを突き上げて叩いていたのだ。
他の子は全員、胸元で楽器を演奏している。
バンザイしてタンバリンを叩く園児はどうにも和を乱した。
とんでもない違和感だったが、練習は最後の一回であるだけに先生は途中で曲を止めるわけにもいかず、
かと言って僕も、一度頭上に掲げられてしまった両腕が言う事を聞かず下ろす事ができない。
結局僕は最後まで一人だけバンザイの姿で演奏してしまった。


「晶くん、ちょっといらっしゃい」
練習が終わると、案の定、僕は先生に廊下へ連れ出された。
「先生はタンバリンを頭の上で叩いて下さいって言った?」
「…ブルン、ブルン(いいえ)」
「じゃどうして頭の上で叩いたの?」
「…ブルン、ブルン(それが、ボクにもようわからんのや)」
「お友達はみんな一生懸命練習してたでしょう?」
「…ブルン(ボクだって一生懸命やってたよ)」
この両腕の衝動の説明はできないまま、僕は叱られっ放しになったという話。


それから随分経ち、僕は中学生三年生になった。
僕は野球部、ピッチャーだった。
野球部には有力なAチームと、Aチームでは試合に出られない部員で構成したBチームがあった。
僕はAチームではベンチをよく温めていたが、Bチームでは一応のエースになった。
春に大きな大会があり、
僕はAチームの大会では出番がなく、Bチームの大会で先発ピッチャーとして出場した。


そのBチームの試合、僕は珍しくピッチングの調子が良かった。
ノーコンで知られた中学時代だが、フォアボールも少なく、3点くらいに相手を抑え込んでいた。
しかも、その試合で僕はホームランを打った。
つまりセンターオーバーのランニングホームランだった。
僕の今までの野球人生、この後にも先にもホームランを打ったことはない。
僕は相当興奮していたらしい、ベンチに戻った時に後輩が差し出してくれたお茶をつかんだら、
手が震えていて、コップから面白いようにバシャバシャお茶が飛び散って飲む事ができなかった。


さてその試合は進み、3対3の同点のまま終盤を迎えた。
その緊迫した局面で、チームは何とかノーアウトでランナーを出し、最後のチャンスを迎えた。
そこで打席を迎えたのが、前の打席でホームランを放っている僕である。
気持ちいいからもう一回言っとこ、
その打席に立ったのは、前の打席でホームランを豪快に放っている僕である。


僕は勇んで打席に入り、監督からのサインを見た。
バントである。
監督が僕の意外性よりも手堅いバントの作戦を取ったのは、野球ではごく当たり前のことである。
僕もこの場面ではバントのサインが来ると心構えを持っていたから、
すんなりその作戦を実行しようとした。


が、しかし。
ここで、僕の身体に異変が起こった。
つまり訳も無く勝手に両腕が上がっていき、
しまいに僕は高々とバットを突き上げて構えていたのだ。
打席で突如バンザイしてバットを持つバッターに相手ピッチャーは度肝を抜かれていた。
しかし、
当然、ストライクゾーンは胸元から膝までの高さ、
そんな頭の上のくそボールをバントでねらう法はどっこにもない。
「えっ?」
「へっ?」
「なにっ?」
「おいっ?」
「あれっ?」
ベンチからチームメイトの驚嘆の声が聞こえた。
ただ、今更僕の両腕は下げようと思っても下がらない。
そのままストライクゾーンに投げ込まれ、
あえなく三振。
チャンスはあっさりとついえた。
試合は結局同点のまま延長戦でも決着が着かず、最後にくじ引きで僕等は敗戦した。

その後、僕はバントの練習をくどいほどさせられたが、バント技術は何の問題もなかった。


全ては、両腕が勝手に天高く上がっていってしまったせいである。
まったく妙チキリンな身体の疼きである。
これは僕だけなのかなぁ…。
でも、僕だけじゃないような気もする。
別に腕とは限らず、身体の各部位、各所が勝手な行動を起こすっていう経験が、
特に幼ければ幼いほどあるような気がする。
幼い子どもを預かる、先生方や保育士さん方には是非知っておいて欲しい衝動なのだが…。


…矢っ張り俺だけか。
   

草千里に馳せる唄声 2007/02/22
今日はライブ。
O-Eastに足を運んで下さった方、どうも有り難う。
短い時間でしたが、濃厚な3曲だったなと思い返しています。
本当に有り難う。


MIKI ROCK FESTIVALに参加できて本当に良かったなぁと思います。
音楽好きの有志達がイベントスタッフとして細やかに働いていらっしゃったし、
出演したアーティストも素晴らしくて、感動しました。
久し振りに手作りのイベントを体感できたこと、心から感謝しています。


僕は個人的にTajaのライブが見れたのが嬉しかったな。
グ〜ッンと前にAXIAのアーティストオーディションで席が隣になって以来の再会でした。
音楽もかっこいいし、菜穂さんの地を這うような存在感のある声も好きなので、感激しました。
しっかし、相変わらず見ての通りのパワフルな女性だなと思います。
根っこが澄みきって無邪気だし明るい。
そこが唄を聞いている時の気持ちよさと清々しさにつながっているんだなと思います。
河原の石の裏でジメジメ暮らすタニシのような根っこを持った僕には本当にうらやましく、憧れます。


終わってから、戸田和雅子さんにも久し振りに会えて、菜穂さんと三人で話したら、何だかあのオーディションの時の事がよみがえってきました。
オーディションの祝賀会でこのお二方と初めて会った時、
あの時に話した時間なんて、今までの音楽人生の中で、ほんの一瞬の出来事だったんですが、
僕にとっては日本で音楽を始める原点になった貴重なきっかけだったので、
矢張り僕は、勝手に同窓会気分が盛り上がります。
あの時、松任谷正隆さんとかサンプラザ中野さんなどが審査員としていらっしゃっていましたが、
僕にとって手の届かない雲の上の存在ってこの女性方お二人でした。
楽し気に談笑する菜穂さんと戸田さんを見ていると、
あぁ、そう言えばあの時も『何てカッコいい女性なんだろう』と気後れしていた気分を思い出しました。


何にしても、色んな事を思い出したライブでした。
お久しぶりの人にも会えたし、
初めてライブでお会いできる人もいて、
胃がギュンギュン引き締まる想いで一杯です。


そうこうしているうちに、もう2月も終わろうとしているわけで、
やらなくちゃあいけない事が目白押しです。
時は金なりと言うのなら、
誰か僕に時間を売ってくれやしないかと思います。
1時間を2000円くらいで…(値段の発想が貧相ですね)
頑張らなくちゃあいけないよ、
と思いつつ、今夜は眠ってしまおうぜと、
なし崩しに考えたりして。
何しろ、今日の3曲で疲れ切ったんだよな。
   

ボーズの魔法使い 2007/02/21
或る朝、
ヤマシーは竜巻に吹き上げられ、
気が付くと、妖精達が住む虹の国まで飛ばされていました。
「ここはどこ?お家に帰りたい」
ヤマシーは途方に暮れていました。
するとメタボリックな妖精達がヤマシーを囲み、
「エメラルドの城に行くんだよ。そこにボーズという魔法使いがいて何でも望みを叶えてくれるよ」
と教えてくれました。
ヤマシーは渋々エメラルドの城に行く事を決心しました。

歩いていると、道の向こうから、
ブリキで出来た兵隊さんが、カランカラン音を立ててやって来るではありませんか。
ブリキの兵隊さんは随分陽気です。
「どうしたんだい、そんな悲しい顔して」
ヤマシーはここに来た経緯と、家や友達から離れて寂しい思いをブリキの兵隊さんに話しました。
「ヤマシー、僕は君がうらやましい。悲しい気持ちって疲れる事だけど、心が働いている証拠なんだよ。僕には君のように悲しんだり家族を思うための心がない。ヤマシー、僕は心が欲しいんだ」
と言って、ブリキの兵隊さんはエメラルドの城にヤマシーと一緒に行って、ボーズという魔法使いに心をもらう事に決めました。
でも、ヤマシーは釈然とせず、こう言いました。
「兵隊さん、あなたはもう心を持っているよ。本当の心って、自分が悲しんだりする事じゃないんだよ。そんな事は誰だってできるんだ。あなたはいつも陽気でいる、だからこそ人が悲しい顔をしている事に気付けるのです。そしてそれが本当の心なんだ。あなたはもう立派な心を持っているんです」
ブリキの兵隊さんは喜びました。
「なるほど、君のように寂しそうな顔をする事だけが心じゃないんだね。君より僕の方が立派な心を持っているんだったら何の心配もない、僕はエメラルドの城なんか行かないぞ」
ブリキの兵隊さんはまた陽気にカランカランどこかへ行ってしまいました。


ヤマシーは孤独に耐えながら、困難な道のりをどうやって歩いて行くべきか、
考えながら道を歩いていました。
すると、道の向こうから案山子がカサカサ音を立ててやって来るではありませんか。
案山子は随分身軽です。
「どうしたんだい、そんな気難しい顔をして」
案山子の問いかけに、ヤマシーは一生懸命にどうするべきかを考えているという事を伝えました。
「ヤマシー、僕は君がうらやましい。考えるって疲れる事だけど、頭が働いている証拠なんだよ。僕には君のように悩んだり突き詰めてみるだけの脳がない。ヤマシー、僕は脳が欲しいんだ」
と言って、案山子はエメラルドの城にヤマシーと一緒に行って、ボーズという魔法使いに脳をもらう事に決めました。
でも、ヤマシーは釈然とせず、こう言いました。
「案山子さん、あなたはもう脳を持っているよ。本当の脳って、悩む事じゃないんだよ。そんな事は誰だってできるんだ。あなたはいつも考えないでいる、だからこそ無心でいられるし身軽に遠くまで行けるんだよ。そしてそれが本当の脳なんだ。あなたはもう立派な脳を持っているんです」
案山子は喜びました。
「なるほど、君のように気難しい顔をする事だけが脳じゃないんだね。君より僕の方が立派な脳を持っているんだったら何の心配もない、僕はエメラルドの城なんか行かないぞ」
案山子はまた身軽にカランカランどこかへ行ってしまいました。


険しい近道と、緩やかな遠回りの分かれ道にさしかかりました。
ヤマシーは早く帰りたくて険しい近道を選びました。
すると、緩やかな道の影からライオンがノソノソ泣きながらやって来るではありませんか。
ライオンは随分慎重です。
「どうしたんだい、そんな勇ましい顔をして」
ライオンの問いかけに、ヤマシーは多少危険を冒してもやらなくちゃいけない事があると伝えました。
「ヤマシー、僕は君がうらやましい。冒険って疲れる事だけど、勇気がある証拠なんだよ。僕には君のように冒険する勇気がない。ヤマシー、僕は勇気が欲しいんだ」
と言って、ライオンはエメラルドの城にヤマシーと一緒に行って、ボーズという魔法使いに勇気をもらう事に決めました。
でも、ヤマシーは釈然とせず、こう言いました。
「ライオンさん、あなたはもう勇気を持っているよ。本当の勇気って、怖いもの知らずなせっかちの事じゃないんだよ。そんな事は誰だってできるんだ。あなたはいつも遠回りして、物事の怖さも知っているからじっくり向き合うだけの度胸があるんだよ。そしてそれが本当の勇気なんだ。あなたはもう立派な勇気を持っているんです」
ライオンは喜びました。
「なるほど、君のように果断を下す事だけが勇気じゃないんだね。君より僕の方が立派な勇気を持っているんだったら何の心配もない、僕はエメラルドの城なんか行かないぞ」
ライオンはまた慎重にノソノソどこかへ行ってしまいました。


ヤマシーは結局一人でエメラルドの城に行き、ボーズの魔法使いに会いました。
ボーズは言いました。
「君は私を随分立派な魔法使いだと聞いてここに来たみたいじゃが、君はあれほど乾いた笑いばかりしていたブリキの兵隊に心を与えたじゃろ。あれほど何も考えなかった案山子に脳を与えたじゃろ。いつも泣いてばかりいたライオンに勇気を与えたじゃろ。本当の魔法って、空を飛んだり、何もない食卓に美味しい食事を出したりする事じゃないんじゃ。君があの三人にした事が本当の魔法なんじゃよ。君はもう私より立派な魔法使いなんじゃ」
ヤマシーは自分が魔法を使えるようになったなんて信じられない気持ちでした。
ボーズは言いました。
「ヤマシー、君にあと一つだけ足りないものがある。それは心底自分を信じる事なんじゃ。自分は信じた分だけしか成長せんのじゃよ。信じれば信じただけの自分になる。試しに信じてみるんじゃ。人の心を思い、また自分を身軽にして、たくさんの恐怖の中から勇気を振り出して、さあ!家に帰るんじゃ!家に帰れると信じるんじゃ!」


ヤマシーは一生懸命に信じました。
ボーズの魔法使いが言う通り、一生懸命に信じて眼を閉じました。


ヤマシーは身体が何だか軽くなり、フワリと浮いたかと思ったら、
とっても明るい野原を横切った気がしました。


そして、その信じた眼をゆっくり開けてみると、
自分の家が目の前にあり、
友達や家族が嬉しそうにヤマシーを囲んで踊っていたのでした。


〜おわり〜
   

桃色の曇天模様 2007/02/20
リハーサルで地下に潜る頃、
雨は降ってそうでも、頬を濡らさない。
「傘を持って来なくて正解だった」
見上げるビルと陸橋の合間に浮かぶ小さな空、
空はそれでもどんよりしていた。


リハーサル室は予定通り熱気に満ちていた。
汗を掻く、掻く。
その上、乾燥を嫌ってエアコンをつけない為、
発する気魂はそのまま湿気になっていく。


「よせばいいのに…」
僕は最近、リハーサルの日の朝に、
自分のスタミナを過度に心配してキムチを食べるようになった。
食べ過ぎてお腹を壊す事もある。
唄う直前に、にんにくの臭いがしないか気になり、
「よせばいいのに…」
結局、リハーサル室に入ってから反省するようにしている。
そして、唄い始めるとそんな事も完全に忘れてしまう。


何回もステージに立った緊張感で、セットリストを繰り返す。
全てが終わって、重い防音扉を開け、
熱気の中から出て来れば、
僕もみきさんもグッタリ肩を落としている。
おしぼりを手にするが、
顔をゴシゴシする玄人にまではまだ成長していない。
みきさんとおしぼりの話から生物の神秘、雌雄の役割の話までをした。
少し笑い、少し考え、少し恥じらう。
徐々に血糖値が戻って来る気がした。


何気ない時間でも、
本番が近付いてくると、気持ちの隙をついて、
不意にステージの想像をしてしまう。
興奮が押さえ切れなくなって、
フワフワ浮いたような身のこなしになる。


今日はいつもより地に足が降りている方だ。
まだ、日常にある一連の動作を如才なくこなしていられる。
きっと明日の今頃は、
まったく気もそぞろになって、人の話も聞こえなくなる時間帯がやって来るのかなと思う。
それはそれで大変な作業だ。


リハーサルが終わり、片付けも終えて、
地下から地上の人間に戻る。
黄昏ワゴンに乗る頃には雨はやんでいた。


薄明かりだけれど、陽も射しているような気がする。
車窓が流れて、眼から心が癒されていく。


「あぁ、あれ桃が咲いてる。あれ?梅かなぁ?」
僕は後部座席にいて、そう声を上げたのだけど、
前の席のみきさんも社長も、すぐに流れていくピンク色の花に気が付いた。
時速50kmで走るピンク色の花が、三人の時間を少しだけ留めて忙しい気分から解放してくれた。
一本だけ立っているその木は、冬の曇天に映えて見える。
「あれは桃だね」
みきさんが言う。
ほんの一瞬だけ降って来た、三人同じ色の沈黙。
僕は「しっかりしなきゃな」と凛々しさを奮い戻した。


僕の最近は、時間の経過が急速に早くなった。
一息つけば、あっという間に夜が来て、
眼をこすって、よくよく見てみれば一ヶ月も過ぎる。
そうして自分に変化が起きると、不思議と周囲にもそういう言葉が満ちて来る。
この桃も、僕を何かにうながそうというのか、
二月も暮れかかり、今日も暮れかかっている。


僕がしっかりしなきゃなと、
去っていく時間に、まばたきさえ惜しみたくなった帰り道だった。
   

木曽川 Hall LIVE!! 2007/02/19
始めたばっかりの唄、そしてギター、ハーモニカ。
これは大学生の頃、ただの騒音でしかなかった。
そう、必死の騒音。
上手くなりたいという気持ちが、より一層音を掻き乱し、
音量ばかりが際立っていく演奏だった。


留学中は、授業の合間に寮の部屋で掻き唄い、
授業が終われば教室で夜の11時まで掻き唄い、
寮の部屋に戻って、また掻き唄っていた。
その騒音は毎晩、途切れる事がなくどこかでは必ず鳴っていたと思う。
音楽という喜びを無心に表現していたあの頃、
本当に迷惑千万な寮生だったなと今になって思う。


たまに僕は帰国し、その腕前を実家で披露していた。
しかし、家族の評価は「騒音です。夜は静か目にお願いします」だった。


冬休みの帰国はこれといってやる事がなく、僕はギターを弾き、唄う事で忙しくしていた。
しかし、家族の不評をかってしまっては、夜に演奏できない。
やるかたのない夜の時間は、とっても長かった。


そんなロングバケーションの中の或る日、ヨシオが車でウチにやって来た。
「ショウ君、何かしよ」
「おぅ、何かしたいなぁ」
「何したらええやろ」
「おん、何したらええかなぁ」
ヨシオとの会話は、いつもこんなどうしようもない問答から始まる癖があった。
で、僕は考えていた。
『どっかで思いっ切り唄いたい』


「何かせなあかんな」
「ほん、何かせんとあかんよなぁ」
「車でどっか行こか」
「車でどこ行ける」
「どこやろ」
「ほ…ん」
「何も面白いとこあらへんよ」
「ホントやよなぁ」
「何かないんかぁ」
「どっこも行けへんかぁ」
「まぁ、ええやん。どっか行ってみたら」
「そやなぁ、何かあるよなぁ」
「あるやろう、ここでこうしててもしゃぁないし」
「ほなら、行こか」
「ヨシ、行こう」
で、取り敢えず僕等はヨシオの車に乗った。
『どっか』と言う割に、僕はちゃっかりギターを担いでいた。


「ヨシオ、木曽川行くぞ」
「よっしゃぁ!」
「木曽川で唄うんや」
「木曽川のどこでぇ」
「青少年グランドや」
木曽川の青少年グランドとは、木曽川沿いに作られた野球やサッカーのコートが何面も集まった、青少年の為の巨大グランドの事だ。
僕は小学生の頃から、このグランドで野球の大会に参加したりしていた。
「あんなとこでかぁ」
「まぁ、ええから行こ。俺が案内するから」
「またショウ君の案内かぁ」
ヨシオは車の運転初心者の頃から、僕のナビに痛い目に遭わされていた為、懐疑的だった。
「また雪の山道に連れていかへんやろうなぁ」
「雪は降っとらへんから、大丈夫や」
「何か細い田舎道の行き止まりに追い込まへんやろうなぁ」
「田んぼ道やから大丈夫やて」
「あんまりバックせなあかんようなとこに行かんといてよ」
「前にしか進まへんし、駐車場も広いわ」
「ヨシ、行こう」
こうしてヨシオの運転する車は、夜に広がる田んぼ平野を走り、
木曽川沿いの青少年グランドという真っ暗闇に辿り着いた。


だだっ広いグランドには一つの街灯もなかった。
ただ、どす黒い防風林の葉音が絶えず僕等を威嚇し、
その奥でかすかに木曽川の水音がきしんでいる。
僕等はその何面もある野球グランドの一番真ん中の、一等暗いところまでギターを担いで行った。


僕はギターをケースから取り出し、かじかむ指と喉で一曲唄ってみた。
「おぉ、さぶいなぁ」
「さびいって」
ヨシオはグランドの土管ベンチに座って僕の唄をガタガタ震えながら聴いていた。
僕の声は夜風と防風林の音にかき消されそうなくらい、震えていた。


それにしても、真っ暗闇で、自分が弾いているギターのフレットすら見えない。
その上、寒さで指が思うように動かず、
僕はチョイチョイ間違えて演奏していた。


それを見ていたヨシオが耐えかねて、
「ちょっと待っとって」
と、駐車場に歩いて行った。
僕は心中『ヨシオめ、寒さに打ち負けたか!』と思った。
ヨシオは駐車場に行き車に乗ると、また僕のいるグランドまで車を走らせて来た。
その間も僕はここぞとばかり、暗闇に騒音を唄い続けている。


すると、


ヨシオの車は、僕の正面まで来ると、そのまんま停車した。
ヘッドライトが煌煌とグランドに立つ僕を照らしている。


「ショウ君、格好ええやん」
ヨシオが車から降りて来た。
「おぉ、すげぇなこれ、武道館やわ」
「いや、東京ドームやぁ」
ヘッドライトに照らされたグランドは夢のようなステージに早変わりし、
防風林の騒音は、止む事のない歓声になった。
ヨシオの魔法だった。


ヨシオはまた元の土管ベンチに座って、僕の唄を聴き始めた。
僕の唄という騒音は、これくらいだだっ広いグランドの真ん中で、風の音に邪魔されながら、
調度いい音量になりヨシオの耳に届いていた。
「ヨシオも唄ってみぃって」
「ほんなら唄わしてもらうわ」
僕等は覚えたての唄を全速力で唄い、身体を暖めた。


あの時の眼のくらむようなヘッドライト。
だだっ広いステージに立った、孤高の騒音を忘れない。


あれから随分と年月を費やし、僕は様々なステージに立ってスポットを両眼に受ける事ができるようになった。
今でも、
ステージの上で、何も見えなくなるほど強力な光量を必死に見つめ、
何度も眼をくらまし、
自分の発する音に気を失いそうになる度、
僕はあの時の集中力を呼び戻しているような気がする。
あのどす黒い木曽川の防風林のざわめきの中で、
一生懸命に自分の音に集中しようとしていた時と変わらないものを、
僕は大事にしながら、これからも光の中へ立っていきたいと思う。
   

布団に昏倒マラソン 2007/02/18
寒雨の中、3万人の人達が東京を駆け回っている間、
僕は昏々と眠り続けました。
それはもう昏々としていて、
朝9時頃から眠り始め、
何度か目を覚ましたものの、翌朝5時半まで布団から抜け出す事ができませんでした。
何かに取り憑かれたような眠りでした。
ここんとこ幾晩か考え込む事が多かったので、
溜まった睡魔の唾液に、まんまと犯されたみたいです。


眠っていると、面白いくらい寝汗をかきました。
その熱気に目を覚まし、
布団から足を出してみると、
今日はまた格別に寒い一日。
「う…寒い」
と思うと、尚更布団という棲み家から抜け出せなくなり、
枕の上にまた夢を見直す。
僕は目を閉じる度、同じ夢を見続けました。


眠る間、テレビがついていたので、
東京マラソンのニュースがそのまま夢に影響しました。


それは同じ道を同じペースで走っていた人が、
「実はこの大会に出たくなかった、マラソンなんかしたくなかった」
と言い出す夢。
「一緒に完走しようと決めたじゃないか、だからこの道に今、同じ歩幅で走っているんじゃないか」
と僕は答える。
「それは君が言い出した事だから、君が責任持って完走してくれ」
と言われる。
僕がこのレースを走り出した理由は、一緒に完走するという目標を持ったから。
一人で走るのだったら、全く別のレースに参加していた。
同じ目標を持って、同じ方向へ努力をし合っていたと思っていた人が、
道から離れ、沿道の群衆の中に姿を消してしまう。
一緒にゴールする事が叶わなくなり、目標を見失った僕は、
走る度、少しずつ道を踏み外していく、
僕はついに情けなくなって、コースから降り、
矢張り群衆に身を消してしまう。
コースには楽し気に支え合って走る人達の列が続いていく。


という夢でした。
眠るほどに走り、夢の中で走る度に大量の寝汗を掻きました。
こんな風に眠り続けた一日だったので、
身体だけは至極回復したようです。
何と言ってもライブが迫っています。
いい骨休めになったと思いました。
   

コツコツ雨、見〜つけた 2007/02/17
部屋の蛍光灯をつけると、窓の外は一層暗く見え、
何だか夕方みたい。
そんな事を想う、早朝です。


雨がコツコツと続く。
雨がコツコツと窓を鳴らし続ける。
継続は最も重要な才能だと、雨の音に学びます。
コツコツと僕も、
誰かの心を鳴らし続けたい。
そう、
そう思って、この年がある。


気付けば慕夜記も九十連夜を数えた訳です。
この調子でいけば、3月5日に百八夜になる。
人にあると言われる煩悩の数だけ、言葉にする事になるんです。
でも、僕と言えば極力煩悩に身を置いた人間ですから、
とても百八夜じゃ煩悩を尽くし切れないと思います。
だからコツコツ、自分を鳴らし、
また、誰かの胸にわずかな便りを届けたいと思っています。


それが何になるのか、
なんて、もう興味の対象外です。
この年になって開花した継続という才能に専念したい、
そう願って始めた事だから、
一心に専念する、それだけの事です。


正直なところ、眠ってしまいたいなと思う事もありますし、
積み重ねの隙間で、意味合いを探してしまう事もあります。


そんなタイミングで、
コツコツと雨が降る。
コツコツと続きます。


ポツポツと降る雨は卒業なんです。
コツコツと好きをつなぎ、
コツコツと楽しいを重ねる。
大きなものにならなくてもよくて、
勝手に大きくなるもの。
それが僕の雨かと存じます。
   

シャレた新聞販売所 2007/02/16
ここ四日間くらい、身体が自然に分散型睡眠をとるようになった。
だから、一度の睡眠が2、3時間で、それが日に2度。
はっきり言って、それがいいもんか悪いもんか判別できない。
ただ、そうなってしまった僕にとって気分がいい睡眠でない事は確かだな。
しかもここんところ、眠って1時間くらいすると、
身体の苦痛で目が覚める。
言語に尽くし難い苦悶に見舞われて、
睡眠中1度は必ず起きてしまう。
理由は判らないが、身体によくない事だけは判る。
ここ2ヶ月で妙な睡眠癖がついてしまったような気がする。
明日は休日。
久々に途方もなく眠って、元来の万年寝太郎に身体を戻したいと思っている。


最近、乗り物の中で何も考えれなくなって、居眠る回数が増えて来た。
「よくないなぁ」と思い、
今日の帰りのバスは、窓の景色に懸命に目を開けていた。


とある街の読売新聞販売所には、経理のおばさん以外はいなかった。
夕刊を配達し終えた後の、台風一過の賑わしい空虚感だけが残っていた。


そこの窓に、読売新聞の『ヨリモ』キャンペーンの広告が貼ってあるのを発見した。
広告の真ん中に「ヨリモ」と印刷されてあり、
両サイドには手書きの言葉が足されている。


実は著名人が手書きの言葉を足しているのだが、
家に帰って調べるまで、僕はこのキャンペーンの事を知らず、
てっきりここの販売所で働く人達が日々思う事を書いているんだと勘違いしていたから、
とってもオシャレな新聞販売所に見えて良かった。


その窓には三枚が貼ってあった。
『安倍 ヨリモ 阿部』
『靴下 ヨリモ 素足』
『YES ヨリモ 脳』
これを新聞配達のおじさんが考えたと思い込んで見ていたから、やけに面白かった。
『靴下 ヨリモ 素足』は、この冬の最中にストイックさを感じるし、言葉の中に何とも言えない臭気がみなぎっている。
そして、この中で一番目を引いたのが『YES ヨリモ 脳』だった。(何度も言うが、僕は新聞配達のおじさんが考えたと思い込んでいたから、この言葉がオシャレに見えた)


僕は自分の妹に未だに言われる事がある。
それは僕が中学生の頃、ピーチク喋る小学生の妹に向かって、
「(言葉は)喋る前に、脳を通せ!」
と怒った、らしい。
僕の妹は稀代の素直な人間だから「なるほど…」と思ったらしい(何故か感謝までされる)が、
僕は今になって「何て傲慢な言葉だろう」と、そういう気質にあった自分を反省する。
だから、この『YES ヨリモ 脳』という言葉はインテリジェンスがあっていいなぁと思うけど、
ちょっとぬくもりにかけると感じた。
汗の臭いを感じないというのかなぁ、割と要領のいい人間が書いたのかなと思わせた。
例えば、僕の場合だったら、
『YES ヨリモ 悩』
とするかな。
人間はそうそう能率的になれないもんだし、鈍臭く転げ回っている。
だからYESと言う前に、さんざん悩む事が大切だと思う事もある。
それに、
誰もがうらやむ美男子に告白された女の子が『YES ヨリモ 悩』なんて時間を過ごすのが人間臭くていい。
僕自身も日々のよしなし事の中で、何の疑いもなくYESやNOとしている感情があるけど、
それが本来、自分の身に合ったYESなのかNOなのか、
悩み直してみるべき事があると感じている。


と、まぁ、そんな事を考えているうちに、
いつしかバスには僕一人しか乗っていなかった。
僕しか終点に辿り着く人間はいなかった。
ものは考えようによって幾らか彩りを加える事ができる。


家に帰って調べたら、『YES ヨリモ 脳』と書いたのは茂木健一郎だった。
な〜るほどねと思ったが、矢っ張り新聞販売所の人が書いたっていうイメージの方が面白かったな。
ただ、『靴下 ヨリモ 素足』と書いたのが石田純一だという事が判明して、
これには大爆笑した。
誰もがひとひねり加える標語の中で、
逸脱したキャラクターの脱力感がある。
石田純一には(靴下も含めて)“脱”という言葉がよく似合っている。
この“脱”は、最近僕が最も自分に求めているものでもある。


最近、彼はのど飴のCMで杉本彩に、
「キンカン!」
と、花束で殴打されている。
僕のテレビっ子仲間内では『鈍感!』とかけているんじゃないかと話題になっている。
何にしても、石田純一の揺るぎない陽気な“脱”俗感に、
僕は好感と敬意を持っている。
   

黄昏ワゴン 2007/02/15
今日は本当にいい天気だった。
昨日は久々のシットリ暗い雨に、
「たまには悪くないなぁ…」
と思っていたけれど、
こうも暖かい日差しに包まれると、つくづく春が待ち遠しくなる。


日なたを選んで向かう道、
新宿へギターを担いでリハーサル。


2/22に迫るライブ、みきさんと地下のリハーサル室に入った。
少しの説明と、大量の汗、
兎に角、無心に音に集中して、
その部屋に朝陽が昇ろうとする度、
気が遠くなりながら昇天を目指した。
声がかすれて、右手の人差し指に残る古傷から血が出る、
身体から力が抜けそうになる度、
きらめく生命感。


邪念を払え、邪念を払え!
今ここへ、俺よ帰って来い。
欲を払え、欲を払え!
今ここへ、俺を取り返せ。


喜びよ、悲しみよ、
太陽のフレームまで届け、
そして安らかに焦げてしまってくれ。
今だけは、今だけは、
ここに俺を純粋にいさせてくれ、
頼む、頼む、頼む。


願うままに二人の演奏は高揚する。
高波から滑り落ち、大きな水しぶきを上げて海を割る。
これが僕等の生きる道だ。


帰りは社長の車の中、
三人で故郷の話をして、クスクス笑っている。
黄昏前の西陽を横顔にほころばせ笑い合っている。
そう言えば、日が少しだけ長くなった気がする。
得体も知れない幸福が、煙草臭いこのワゴン車の中に充満した気がした。
進路は空へ。
僕等は帰った。


来月は久し振りに故郷の空気を吸ってみようかと思った。
   

吉川みきという自由さ 2007/02/14
「セントバレンタイン!」
みきさんに打ち合わせの電話を掛けた時、みきさんはこう言って僕の電話をとった。
バレンタインなんて事をすっかり忘れてしまっていた僕は肝を抜かれて笑ってしまった。
みきさんの日々に対する想いは、僕なんかよりずっとイキイキしていて、
一日一日を過ごす意識の差がこんな些細な挨拶に出ているものだと思った。
そしてみきさんは内面の屈託を声に出さずにハツラツと僕の声を待っている。


『やりたい事が見つからない』とか『何したらいいかわからない』なんて、
一日を無為に過ごす人間に聞かせたい声なんだ。
自分本意に目の前の世界に飽きている人間に聞かせたい声なんだ。
この声を聞いて『自分は毎日、一生懸命に生きている』と言えるかどうか。
僕は幸いにして、みきさんと話し、ステージに上がらせてもらう機会があり、
生きる原石を学ばせてもらった。
一時は手放しかけた誠実さを、血、肉、骨に戻すきっかけを頂いた。


だから、今は言える「一生懸命やってますよ」って。


みきさんの電話は更に言う、
「今日、何かいい事あった?」
今は言えるようになった、
「へへっ、ありますよ」
って。


以前、みきさんの家に打ち合わせでお邪魔した時の事を思い出す。
「晶君、ちょっと見てて」
床に落ちたレストランの出前のメニューを、みきさんは嬉しそうに、
「一人でしゃがめるようになったんだよぉ」
としゃがんで取って見せてくれた。


一時は生死の隙間をさまよい、
階段の昇り降りや料理屋の座敷に座る事に人知れず苦労されて来た人だ。
それをこの女性はか細い手と、セコイアの大木よりも太い精神力で手繰り寄せてこられた。
何度だって、何度だって。


みきさんは、いつも悲壮感を面に表さず、
まるで子供が「逆上がりができた!」と喜ぶような顔で、しゃがんだまま僕の方を見ている。


僕がおこがましくも推し量って「もし自分がみきさんだったら」と考えたら、
きっと早々に自分の生命という権利を放棄していたに違いない。
もっと簡単に人と生きる事、優しさを忘れてしまうに違いない。
毎日を笑って積み重ねていかなくてはいけないと強烈に意識を持ったのは、
みきさんのそうした笑顔を見て来たからだと思う。


みきさんは誰よりも人に感謝するし、配慮を欠かさない。


仕事や作品、生活というのは、
こうした手放さない気力と、生きる事への誠実な責任感で、
はじめて説得力を持つものと思う。
自分の事しか見えていない作品は、
ただの物でしかないし、
ただのノイズでしかないと思う。
そこにはプロであるとか素人であるとかの境はなく、全てがそう。
その人が生きる事に正面から向かって素直でなくては、作品に命が吹き込まれる事はない。


人間、不真面目である事はかまわない、馬鹿は大好きだ。
ただ、決して不誠実であってはならない。
世に生きて、何かをしたいと思う以上、
人と関わり合い、共に生きるという課題の一端を担う。
その責任を見失って作品を作ったり、仕事をしたり、生活したり、愛し合っては駄目だ。
絶対、駄目だ。
夢や理想、金や満腹よりも重きをおいて、
一日を取り組んでいかなくちゃいけないなと感じている。
僕はそこを基準に色んな人を見、自分を見ている。
何度も言うが、みきさんの姿から学ぶ事だ。


僕は、ここに厳しくあれば、あとは呆れるほどチャランポランでいいと思う。
とにかく、ここに厳しくあろう。
それは死ぬまで持とう。
本当の自由はそこにあると思うから、
僕はここの判断は断固として下していく。

僕は31歳にしてやっと、そんな決心を固める事が出来たんだ。
   

言ってみな、言って最中 2007/02/13
六本木を歩くと、過度に着飾ったビルの足下に
思ったよりも沢山の慎ましい暮らしが営巣している事に気が付く。
地下の店から換気口に吹き上げられるアンモニア臭、
水溜まりのような身元の知れない液体。
しかめつらしい眉間の先には摩天楼のすね毛がたなびいている。
風が散る。
忘れ去られた公園には、夜の暗がりに老婆が街の歴史を語っている。
せめて、せめて街灯の下に座れば、一座の温もりは感じたろうに。


よう、よう、にいさん。
これは僕の事だけれど、僕の事だろうか。
あのビルとビルの馴れ初めを聴いていくのか、
聴いてはいかないだろうよ。
ここに座るアタシの麗しい頃の話を聞いていかないのかい!


低い家が棟を並べて、屋根をパツンと揃えている。
あんたの前髪は随分伸びたね。
どっちにしたって暗がりを歩くんだったら、
少しはウチに寄って、変わっていくものの話を聞いてく暇を持たないのかい。
目もくれない空っ風はあんたぢゃないか。


都会にうごめく華奢な誘い、
どっちにしたって、今は今。
豪勢な洒落に乗っかって、過去が生きているとは思わないんだよ。


ほう、ほう。
ほう、ほう。
そんだけ言うのなら、お前が誰だか言ってみな。
胃の渕に溜まった焼け栗を、
お前の言葉で言ってみな。


田舎のもやしっ子と、都会の気骨、
どっちがこの街で生きていけるのか、あすこの外人さんに聞いてみやうぢゃないか。


あぶついた低音にいよいよ眠らぬネオンの脈動。
気ぜわしく入れ替わる人の数だけ、
お前は変わらないと言ってみな。
お前が飼われないと言ってみな。
   

本当の格好つけないという事 2007/02/12
僕には矢張りボーッとした一日がないと、ボーッとしない一日を作れない。
はっきり言って何も考えない。
誰の事も思わない。
何を聴いても、何を見ても、その現象に対してフラットを保つ。
感情に起伏を持たせないようにした、
揺れない一日が大切だなぁと思う。


さて、今日がそんな一日だったかと言うと、そうでもない。
「あれやんなきゃな。これも考えておかなきゃな」
そんなんで気詰まりになって終わる時間が一日の要素として大半なんじゃないかと思う。
休み、そして眠る時、この二大ボケッと時間に、
重要な自分会議を開催してはいけないのだとつくづく感じる。
まあ、野暮ったい会議で気疲れして終わるだけの話。
休む集中力、解放する果断、
自分の限界を過信していると、ついつい後手に回ってしまう。


色んな人の色んな考えがあって、仕事のタイミングは一様に出来ないと思う。
僕は僕のスタンダードを早く確立して、
ストレスのない仕事の進め方をしなくちゃいけないなと、
これは僕の課題。
そしてこの課題がクリアされれば、
僕は天才の偉業を成し遂げるだろうし、ビル・ゲイツより資産家になり、パリス・ヒルトンより極楽とんぼでいられるだろう。
何にしろ、宙に舞う羽毛を指でつまむような仕事達。
日々を積み重ねていくための、自分のフォーマットはどうしても必要だな。


まぁ、簡単に言ったら、僕の根が怠けモンなんだな。
独りでいると、やるべき事とやらない方がいい事の間で苛立つ小心さもある。
やりたい事が全く浮かばないポッカリ空いた時間に、退屈と思うか、自由と思うかには大きな差がある。
自分の器って大きくならないもんだ。
生まれ持ったまんまの容量で、出来事を才覚している。
自分の器って錯覚しやすい、逆転ホームランを打てるもんだといつまでも思っている。
僕は長く湿った年月に、少しだけ自分の器を垣間見たと思っている。
だったら、今、この時を積み重ねるべき時間だと思うなら、積み重ね、
また、今、この時は、自分を充分に眠らせる時間だと思うなら、
くそみそに眠ろうと思う。
   

やんだ。 2007/02/11
夜が老け込んでいる。
風は止む。
近所の外車専門店は休み。
でも、そこにつながれた番犬は寂しい遠吠えを一日中上げて、誰かを探していた.
が、それも止んだ。
止んだ、止んだ、
一日が止んだ。


昨夜の演奏で流血した右手の人差し指、
今朝、改めて見てみるとギターの弦に強く擦れ合ったせいか、思ったより深く肉をえぐりとられていた。
でも、血は昨夜のうちに止んだ。
そして、今朝の目覚めから思った通りの二日酔いで、こめかみが熱を持ってヂンヂン頭を締め付けるような思いだった。
でも、それも今日とともに止んだ。
止んだ、止んだ、
一日が止んだ。


凍えていたのは洗濯物。
今日の風は一層冷たかった。
寒さにうち震える洗濯物は、定期的に窓をコトコト鳴らした。
青空が往き、夕暮れが往き、Twilightも往く。
その変わり目、変わり目で、洗濯物が風になびく音は、物悲しい時報だ。
でも、もう部屋の中に取り込んだから、
その音も止んだ。


酒が血液にあると興奮する。
それは夜のうちに止む。
酒が頭に残ると、無性に寂しい。
それは次の日のうちに止む。
どんな正体不明な人間も、自分だけにははっきり身元を晒している。
花も恥じらう美人であっても、自分の出物腫れ物は自分に隠せない。
日々の虚栄は太陽の下で病み、夜とともに止む。
やだ、やだ、
自分が嫌だ。
そんな事は言うなよ。
そんな事を言わなきゃ、君はずっと人に好かれるんだ。


悲しみも、喜びも、太陽の下で病んだだけ、
何も見えなくなって、行動も時間も制限された夜になれば、
止むんだ、止むんだ、
痛みが止むんだ。
   

ライブやって言いよろ〜が〜 2007/02/10
今日、ライブに向かう途中、新宿の駅で黒船ボーイズのエリックを見掛けて、感動した山口です。
垂れサンをしていて、ギリシャ彫刻のように綺麗なマッチョメンでした。
ついでに言うと、その事を誰に話しても「黒船ボーイズなんて知らない」と言われ、消沈した山口です。
そりゃ知らないだろうな。


今日、BIG MOUTHに足を運んでくれた人、有り難う。
今日は仙台やら広島やら松山やら三重やら名古屋やら、
とっても多国籍で、よかったな。
僕も流血するわ、唄うわ、呑むわ。
呑むわ、呑むわで、指が痛いッス。


アフターライブの酒池唄林っぷりも凄かったねぇ。
唄うわ、笑うわ、
話すわ、呑むわ、呑むわで、頭が痛いッス。
まったく明日が思いやられる…もう今日か。
みんなも風邪ひかないように、
ひいた人は早く治して春の準備をして下さい。

今日、家に帰って来て水槽を覗くとメンデル(黒い出目金)が尻を浮かせて眠っていました。
こんな朝帰りの酔っ払いには見向きもしません。
今朝は三日に一度の飯の日だったから、メンデルはこのような姿で肛門を水面に浮かばせています。
僕と一緒で胃腸が弱い子です。
最近は餌をあげれば100%、浮きますね。
暖冬は水槽の中にまでは届かず、メンデルを凍えさせるようです。
ただ、ちゃくちゃくと春を目指して、この冬もあと少し、
大きな問題は抱えず行けたらいいな。


兎に角、今日という一日を二日酔いで駄目にする訳にはいかない。
24時間を目一杯楽しみたい。
今日、みんなの顔を見ててつくづく思ったな、
笑っているっていいな。
初対面であろうと何だろうと、笑って話せる。
そして、どんな一日も馬鹿っ話で笑って終えれる。
もっとも生命力の溢れる瞬間かと思います。


あんなにいい笑顔を見せてくれて有り難う。
心から思います。
   

AとBの色が同じ? 2007/02/09
そう言えば、随分前に人(慕夜記にちょいちょい登場するフレッシュメン)に紹介された絵がある。


これ【絵】


この絵のAのマスとBのマスは全く同じ色なのでござるよ。(検証済み)
信じられないでしょ?


今日、この絵を見ていて、ふと考えていたんだけれど、
この絵の要点は、視覚的な錯覚(目の混乱)にあるんじゃなくて、心理的な錯覚(脳の混乱)にあると思うのね。つまり、このAとBのマスを同じ色に見れない原因は『Aには光があたっていて、Bは影の中にある。だからBは本当は白い』と思い込まされている事にあると思うんだよ。
並べてみれば全く同じ色なのに、自分の思い込みというのはこうまで抜けないものかと思う。
自分の思い込みってここまで事実を錯覚させるものなんだ。


結局、僕等の普段の生活は思い込みで成り立っている。
この思い込みを剥ぎ取って、事実を丸裸にしたら実にチッポケなものになるんだと思う。
考えてみれば当たり前の話で、味に対する自分の思い込みで好物ができ、人に対する自分の思い込みで恋をしたり、仕事に対する自分の思い込みで喜んだり悲しんだりしているに過ぎないんだ。なんて簡単明瞭な事だろうと思う。それに思い入れのない人にとって味は味でしかなく、人は人、仕事も仕事でしかない。ただ自分の思い込みはそんな客観的事実を全く違う色に見せてくれる。


大切な事は、人が「何にも思い込みがない」と感じるものに影響されて自分の思い込みを作らないって事だろうし、人が「これしかない」と思い込むものに影響されて自分の思い込みを作らない事だと思う。
そういう安易な方法を選んでしまうと、その経験が次から次へと思い込みを作ってしまう。


また、自分が「あんな奴!」と嫌ってみたり、「これが限界、僕には無理!」と諦めてみたり、「こんなツライ思いを抱えて涙しか出ない」という時、こんな時こそ自分の思い込みばかりで本当の事実が見えてない事を確認するべきだろうと思う。


本当の事って、案外どうしようもないくらいチッポケでつまらない。
でも自分の思いが何百倍にも美しい景色を作り、幸福な時を作る。
そして自分の思いが悲惨な迷路を作り、苦痛な時を作る。
とは言え、自分の思い込みをコントロールする事ってのはえらく難しい事だから、僕はなかなか体現していけないだろうさ。
でも、そういった原理だろうと気付いておくだけで、かなり平安を守れる気がする。
みんなにとって、どうだろう?
思い込みを見つめ直すのは悪くないと思うよ。
ここまで浮き沈みしながらでも僕が唄を手放さないのは、僕は何か強烈な思い込みを唄に見ているに違いない。唄っていうただの事実を、僕は十年、錯覚して見ているんだよ。


今夜『31rpm2月号』が配信開始されたよ。
それにともなって連動ブログも更新。
両方ともかなり盛り沢山。
楽しんでチョーダイッ!
   

眠らないと生まれるもの 2007/02/08
31rpm2月号が生まれたのは今朝8時半。とうとう寝る時間をなくしてしまった。
寝不足にとどめを刺す事になった。
さすがに無頓着ではいられない気がした。
31rpm、ならびにこの慕夜記もライフワークとして懸命になる。
番組と言うよりも作品という感覚でしかない。
そのためなら幾晩を捧げても頓着しない…と宣言するには、
僕の身体は疲弊し過ぎている。

風呂に入り、出掛けると僕の記憶は飛び石になる。
兎に角、3秒でも静止すれば意識が消えた。


唯一、救いだったのは天気の良さ。
太陽の温もりに抱かれ、光の霧に包まれる度に、僕のライフは回復していた。


一日も終わり、バスに乗っている間、僕は出来上がったばかりの31rpmを聞いていた。
今回の31rpmは最後、唄で終わる。
静かに始まり、後半に向かってまた静かな高揚がある。
聞いていると、最後の僕の唄が、徹夜で感傷的になっている僕の心に針をチクチク刺した。
最後の唄は、『クラゲ』


バスの車窓は江古田にさしかかった。
交差点で止まる車内に、大きなジェスチャーを送っている男の子がいた。
『ここだよ、ここで降りて!』
と、交差点の手前、狭い歩道でピョンピョン飛び跳ねている。
ふと車内を見ると、お母さんらしき人が、
『ここはバス停じゃないよ。信号を曲がったところで降りるから』
というジェスチャーを送っていた。
徹夜のせいだろうな、涙が出た。
   

分不相応 2007/02/07
今日、フラッと昼飯を買うついでに、気分転換で近所から少し離れたところまで散歩をした。なかなか寝不足のアリ地獄から抜け出せないでいる。
何たって、作業がひと段落し、今やっとこうして慕夜記が書けている時間も、すでに午前8時半を回ってしまっている。ここまでくると眠いという状態を忘れてしまう。


まぁ、兎に角散歩の話。
昔、高校からの付き合いのヨシオと二人で住んでいたマンションの前を通り掛った。
この街の変化は最近になって甚だしいけれど、前住んでいた辺りは開発から取り残されていて、静かに町の原型を留めている。それは嬉しい出来事だ。
商店街も八百屋もお世話になっている金魚屋も、そういう意味で繁栄しない事を願っている。


昼飯を買う前に宝くじ一枚だけ買ってみた。
その場でコインで削るやつを。
窓口のオバチャンは「たった一枚?」という表情をしたけど、口では、
「当たりますように」
と応援してくれた。
完全な営業用語だとわかっていても嬉しい。
さっそく、用意されているテーブルに座って十円を財布から取り出す。
すると削った一マスに雪だるまの絵が出てきた。
それはどうやら当たりだった。


と言っても2000円だけど。
でも、今の僕には何よりの恵に感じる。
窓口に戻って、「これ当たりですか?」と聞いたら、
「当たりです!まぁ、凄い。たった一枚で当たりを引くなんて」
と眼を丸くしていた。


たった2000円の当たりくじでオバチャンがこんなに驚くという事は、ここではまだ誰も宝くじに当たった事がないのだろう。
それは大きな問題だ。


僕は2000円のあぶく銭が手に入り、いいものでも食べようかと思ったけれど、結局面倒になって、いつも通りの手軽な食料を食べた。

収入も支出も、分相応というお話。



   

居酒屋「かあさん」の続報 2007/02/06
今日は寝不足のせいか、一日中まぶたの裏が痛かった。
帰りのバスの中では、初めて惰眠をむさぼった。
近年、稀に見る不覚。
バスの揺れに合わせて、僕は木偶の様に頭を振っていた。
あぁ、我が毎日は乾風に見舞われ、少しひび割れている。
あぁ、我が毎日よ、日々の陽光に一縷の望みを忘るる事なかれ。
夢にあり、おり、はべり、いまそがっていくのだぞ。


家に帰ると久し振りにお菓子を食べた。
嘘くさいサワーオニオンの味が堪らなく美味しく感じる。
何にもいい事ない?
本当に何にもいい事ないのか?
あぁ、この嘘くさい油に今夜はギトギトにまみれていたい。
そんな事を自問する今日の黄昏だった。


目をしばたかせながらパソコンの電源を入れ、メールチェックをすると、
以前、2006年12月2日の慕夜記『一人暮らしのエキスパート』に登場したフレッシュメンからメールが届いていた。
文面はいかにも彼らしく、きわめて簡素に用件のみを伝えていた。


『この間、新宿の居酒屋「かあさん」に行きましたよ。

  オープンキッチンでした。』


メールを開けた瞬間、笑い死にそうになった。
居酒屋「かあさん」については、2007年1月26日の慕夜記『居酒屋オムニー』で触れた。
金とヤクザとホストとホステス、それにゲイなんかも入り交じった臭いのする街の中に立ち、母性を前面におし出した店だ。
残念ながら僕はその母性に温まった事はないから、詳しい事は全く知らないのだけれど。
僕の想像では、嘘んこの愛を交わす事に疲れた茶っこいホスト君が、居酒屋「かあさん」の中では子供の顔に戻るといったイメージだったのだが、まさかあの几帳面を絵に描いたような彼が行ったとは…。
どういう経緯で居酒屋「かあさん」に入境したかは知らないが、まったく好奇心旺盛なフレッシュメンだ。トイレットペーパーのシングル・ダブル問題といい、居酒屋「かあさん」といい、僕はまんまと彼に先んじられている。
彼が一人暮らしを始めて恐らく2ヶ月が経つと思う。
そろそろ「かあさん」に入りたくなる時期と言えば、そうなのかもしれない。
何しろ、疲れた身体を笑わせてくれて嬉しい、短過ぎるメールだった。


僕の方はと言えば、最近「かあさん」ではなく「奥さん」から沢山のメールが届くようになった。
これは『31rpmブログ』宛に届く。
いわゆる、エロ迷惑メール。
実名っぽい名前のタイトルで送られて来るから、毎日「あっ!31rpmに投稿メールが来た」と思わず喜んでしまうのだが、だいたいが『旦那に相手にされなくて寂しいから、今すぐに抱いて欲しい』だの、卑猥すぎてここには書けないようなメールばかりだ。
ホームページや自分のブログを持つ人には、こういった「抱いて」メールが山ほど届いているらしい。
そして、未だに本当に「抱いた」という話は一回も聞いた事がない。
ただ単純に迷惑しているという話しか聞かない。
この偽物「奥さん」連中には、こうしてお互いの徒労で終わっているという事実を知って欲しいものだ。


僕の日々にまともな母性は、まだまだ訪れない。
   

ドキッ!間違いだらけの電話大会 2007/02/05
喧噪に満ちた一日を前に、ひと時の平安を持とうと、
今朝は出掛ける前に紅茶を一杯飲んでから出掛ける事にしました。
でも、お湯を沸かしたのですが紅茶を入れるまでの時間の余裕はなく、半歩譲って白湯にて平安を得る事にしました。
が更に想定外が続き、カップを持ってストーブの前に座った瞬間、白湯は口に運ばれず、手の甲にぶちまかれました。
久し振りの熱湯かぶりで、大慌て。
「アツイ、アツイ」
と右往左往して、かといって朝の冷めた身体を冷水に浸ける勇気も時間もなく出掛けました。
つまり、喉は何だかいがらっぽいまま。
平安はひと時も僕の朝には訪れませんでした。


夜になり、帰宅と共に3本の電話を掛けました。
1本は事務所の社長への連絡事項、2本目は私用。これは無事終了。
そして3本目の電話は年賀状のお礼をしようと思って電話したのです。
僕は中国留学が長く、旧正月に慣れてしまったせいか日本の正月とは時間差があって、頂いた年賀状の返信を未だできていません。
何よりも正月はバタバタし過ぎていたのです。これは言い訳。
兎に角、お礼の電話を掛けたのです。
僕は携帯電話に入っているメモリーを消す癖がなくて、人から「電話番号が変わりました」と連絡をもらっても、古い電話番号がそのままメモリーに残っています。
こんな何気ない僕の癖で、3本目の最初の電話は見ず知らずのお婆さんに掛かってしまいました。
「明けまして、おめでとうございます!」
「は?」
「いや、えっ…と、新年明けましておめでとうございます。山口です」
「はぁ…」
「またぁ。いや、それにしてもお久しぶりです」
「えぇ…」
お婆さんのか細く高い声が困惑します。
僕は男性に掛けたのですが、きっとこれは相手の方が冗談で声色を変えていらっしゃるんだなと思い込み、割と長い時間自分もボケようと必死になっていました。
でも、一向に要領を得ないのがだんだん心配になって、よくよく聞いてやっと自分が間違い電話を掛けている事に気付き、平謝りに謝って、電話を切りました。


ついでに言ってしまうと、僕は受けた電話の着信履歴から電話を掛ける事が多く、メモリーダイヤルを使う事がほとんどないのです。だから、こういう時に失敗をしてしまう。
気を取り直して、メモリーから電話を掛け直したのです。
「もしもし、山田です」
今度は聞き慣れた男性の声で、僕は安心しました。そしてこの男性の声という一事だけに安心し過ぎてしまいました。
僕が電話を掛けた相手は"山田さん”ではないのですが、男性の声という事に信じ切っている僕は、
『はは〜ん、こういう冗談なんやな』
と思い、矢張り自分も冗談を返さなくちゃと一生懸命に話し掛け、
「明けましておめでとうございます」
「お久しぶりです」
の一点張りでした。
が、僕がどれだけ必死に話しても、
「私は山田です」
「誰に掛けてるんですか?」
と、冷静に帰ってくるので、「ひょっとしたら今は仕事中で、僕に電話を掛けられ困っているのかなぁ」と思っていました。すると、
「もしもし、誰に電話を掛けてるの?」
と今度は女性の声が返ってきました。
この声にも聞き覚えがあるのですが、一体誰だか判りません。
今度は僕が、
「えっ…と、どなたでしょうか?」
と悩んでいると、
「大丈夫?脳波を見てくれるお医者さんを紹介しようか?」
とその女性は言いました。
それで、この声の持ち主の女性が事務所の方だと判り、
「あれ〜?何でそこにいるんですか?」
と、僕は全く不思議の世界に陥ってしまいました。
「一体、どこに電話してんの」
と言われ、自分が携帯をいじった時の事を思い返したら、やっと自分が間違い電話を掛けている事に気が付きました。
間違って事務所の社長の携帯電話に電話を掛けていたんですね。


もうこれは、赤面と言うか、恐怖と言うべきか。
すっかり動揺、不得要領の平謝り。
社長に、
「一旦、落ち着いて電話を掛け直して下さい」
と忠告されました。


そんな間違いだらけの電話を切ってから、社長に言われた通り一旦落ち着き、今度は食い入るように携帯電話を覗き込み、メモリーを確かめながら電話を掛け直したのですが、留守番電話でした。
メッセージを残そうかと思ったのですが、自分の電話コミュニケーションの未熟さに自信が取り戻せず、メッセージを入れるのはやめました。


これで、電話離れが更に加速しそうです。
電話が得意な人っていうのも、そういないと思うのですが、
それにしても、
それにしてもねぇ…。




   

全世界の人が全裸にされる日 2007/02/04
今朝、寝惚けた頭をシャワーで洗い流し、長めの風呂から上がった。
凍てついた雰囲気の朝の部屋を、ドライヤーの温風で髪の毛を乾かすついでに温めた。
「ブヒーン」
と働くドライヤーの騒音の中で、僕はどうでもいい事を考えていた。
『もしも、今この瞬間から、全世界の人々が素っ裸で生活しなくてはいけなくなったらどうなるんだろう?』
と、どこにでもあるどうでもいい事。


僕の興味は、いつ人は裸に慣れるんだろうという事だった。
裸に慣れるといのは、自分が裸である恥ずかしさに慣れる事よりも、人が裸であるという気恥ずかしさと違和感に慣れる事の方が大変かなぁと思う。
温泉や銭湯に行ってみるとそういう事がある。自分が裸である事はあっという間に忘れてしまうのだが、周りの人が豪快にイチモツを晒して僕の目の前を歩く時、矢っ張り適度に目を逸らしていたくなる。
僕だけの過剰な反応なのかもしれない。だとしても僕は、全世界の人が裸になった日から3日は、人の裸を見慣れる作業に費やしそうだ。


しかし、どうでもいいありふれた想像だけど、色々空想してみると案外面白そうな世界だと思える。
裸になるという事は、服を着なくていい。服を着なくてよければ、朝出掛ける前の服を選んだり着替えたりする時間が必要なくなる。朝、起きた時の格好のまま外に出掛けてしまうなんて、すごく自由だなぁと思う。
裸でいつもの通りを歩き、裸で駅の階段を上がる、混雑した改札前で裸の人達にもまれながら裸で通り抜ける、裸で白線より下がって電車を待ち、裸で電車に乗る、電車の座席に直に自分の尻で触れる、裸で居眠りをする…。
その自由度を想像すると、たまらなくときめく心があるのは何故だろう。
服の必要性が判らなくなって来た。


結局、服というものを突き詰めて考えると拘束具にすぎないんじゃないかと思う。
防寒と皮膚を守る事以外には、さほどの必然性がない。
しかも服をまとう僕等は、その主要な役割よりも装飾品として見る方が強い。
服はより必然性を欠いた道具になってしまう。


胸や股間を恥ずかしい部分としたのは一体いつからなのだろうか。
人間の器官として弱い部分であり、大切な部分であるから保護する必要があるのは解るけど、
恥ずかしい部分とした理由はみつからない。
例えば、胸や股間が生殖器として異性を引きつける効果を持っているとすれば、ある程度文化が育ち、道徳が生まれて来たら“恥ずかしい器官”として、らく印を押されてしまうかもしれない。
何しろ不思議な事だ。


ただ、それだけ服という拘束具は、自分を強烈に隠そうとするものだと思う。
服は結局、恥部を隠し、自分を隠し、保護する役割が大きい。
いわば嘘を着るものなのかもしれない。
だから全世界が裸になれば、少しだけ今ある問題はなくなるんじゃないか、シンプルに解りやすくなるんじゃないかと思う。
例えば、君の目の前に五人の服を着た女性が並ぶ。そして君はその五人と一時間ほど会話をし、好きだなと思う人がでる。
でも、同じ五人がもしも素っ裸だったら、同じように一時間彼女等と会話をして、君は果たして同じ人を好きになっただろうか。
僕は同じにはならないような気がする。
そして同じにならないなら、一体どっちの人が自分の本当に好きな人なのか。
これは矢張り、素っ裸の中から選んだ人が、本当に好きな人になる気がする。


そんな事を風呂上がり、裸で考えていた。
今日は裸で過ごしてみるかな…。
気持ちいいかもな…。
偽らず、隠さず、自由に過ごしてみる、それも時には必要だ。


と思うや as soon as 寒くなった。
朝の部屋はなかなか温まらない。
ガタガタ震えて、ピョンピョン飛んで、
ヒャッコイ、ヒャッコイ、慌てて服を着た。


服は矢っ張り大切だ。
   

ホッと珈琲 2007/02/03
今日は節分、パソコン(MAC)が故障したまま無為に時が過ぎる。
まったく鬼ばかりがウチにいる。


MACに詳しい知人に電話をかけてみたんだけど、誰もが
「そんな事、起きた事ないなぁ…」
と首を傾げてしまった。
『31rpm』の作業など、やらなくちゃいけない事が山ほどあるのに、パソコン一台に依存した僕の仕事はこんな時に途方に暮れてしまう恐ろしさを痛感した。
さあ、弱り果てた時、一本のメールが頭を抱えて沈む僕に光明を差してくれた。
その方法に従って修復作業をしてみると、パソコンはケロッと元に戻った。
子供の頃、高熱にうなされて学校を休んだのに、座薬を入れたらケロッと治ってしまい、
半日を遊び倒す僕に疑いの目を向ける母親の顔を思い出した。
僕もそんな顔でパソコンを見ていたと思う。
それにしてもメールをくれた人には感謝。
この感謝は愛情で返そう。(って気持ち悪がられるだろうけど)


まぁ、解決のヒントはアップルのサイトにあったのだが、
今回の僕のような故障は、
『理由はよくわからないけれど、機械なので、こういう事もある』
という故障らしい。
機械というヤツは、何かと故障の原因が求められる。
『機械なので、必ず原因がある』
とされがちだけれど、こんな風に人間的な解答が書いてあると少し文明に対する警戒心がほどけるような気がする。
僕のパソコンも、僕が夜なべの作業をすれば同じだけ一緒に働いている訳で、僕がこないだ風邪をひいたって事は、パソコンだって同じようにオーバーワークで体調を崩したんだ、当たり前の事か…。
なんて、一気に肩の荷が下りた。昨夜は「バーカ、バーカ」なんて大人気なく罵ったりして本当に悪かったなぁ。今夜は、パソコンを早めに寝かしつけて、明日の朝、早起きして仕事の再開をしようと思った。


そう、そんな事を考えてパソコンが回復したのが2月3日PM23:39。
何とか節分の日のうちに、鬼達は我が家から退散した。
どうやらどっかに福が潜り込んでいるようだね。
ホッと珈琲の湯気、今夜の慕夜記はMACから。
   

それはそれでトラブル 2007/02/02
朝にシャワーを浴びて、寝惚けたまま洗顔料で顔をゴシゴシこすっていたら、思わず窒息死しそうになった。
「これは危ない!?」と思い、慌てて洗い流そうとすると、今度はシャワーの水圧が強すぎて、あやうく溺れ死にそうになる。
全く、日常の至るところに危険というのは潜んでいるもんだなぁと感心する。


余裕を持って朝を起きると、余裕が出すぎてしまう。
ゆったりした朝はいいなぁと紅茶を飲んで、ふと時計を見るとたんまりあった筈の時間はスッカリ浪費されて、結局いつもの通りタイトな移動時間。
それはそれで、「こうなるんだったらもう少し眠っていればよかったな」と反省にもならない電車の中。


最近は、電車に乗っていても車内の景色や人の声がなかなか頭に刻み込まれず、眼は開いていて景色を見ていても、そこにないものを見ている事が多くなった。
それはそれで、何かを考えているんだろうけど、そろそろ頭の中をブランニューさせないといけない時期かなと思う。


今日はインターネットラジオ『31rpm』のロケ。
大森洋平君と観覧車に乗ってきた。
とってもいい天気と、ちょっとしたトラブル、
冷静に冷静に大人の対応と、笑顔で挨拶。
自分のトラブル対応能力が少し成長している事に気付いて感心。
そんなんもこんなんもひっくるめて楽しい収録となった。


洋平君と話していると、同世代の男として共感する部分と触発を受ける部分が多くて楽しい。竹を割ったような性格とはこういう事かと思うほどに、気持ちよくハッキリした意見と言葉の持ち主で、爽快な人間関係を作る人だなぁと感心する。ウルシをはけで塗ったようなネチッコイ性格の僕には、洋平君のような人が本当に羨ましく思える。求めるものへの視点が明確なのかなぁ、それでいて洋平君はフワッと現れて、フワッと話し、フワッと去っていく。つくづく面白い人だ。


さて僕はといえば、収録が終わり、まっすぐ家に帰るかと思いきや、気付けば新宿に立ち寄りライブを見ていた。
自分の出番が巡ってこない日のライブハウスのステージを客席から見るのはとても勉強になった。
僕の場合は、人のステージを見ながら、唄い出すタイミング、曲を高揚させるタイミング、MCのタイミングなど、自分もステージに立っている気分で間を感じながら、人と自分の間の取り方の違いを見ている事が多い。
自分のステージにあるべき間を作るという事は、或る意味唄より重要で、また難しい。その間を確固として持つことが出来たら、どんな演奏でも心地よく聴こえるものだ。そうだ、そうだと自分で納得していた。


そして、ステージという聖域を眺め、色んな考えを巡らした挙句に行き着くのは、30分なら30分、あんなに入り込んで人前で必死に何かを伝えようとする姿って素晴らしいなという事。
ただでさへ人前で何かをするって10倍も労力の要るのに、普段にはない唄の世界にしっかり同化していく。
ステージに上がる人って緊張や不安を抱え込んで唄うのだから、どんなスタイルのどんなジャンルの唄を作る人でも、そこには敬意が払われるべきだと思った。
今日はそういう意味で、人からたくさん刺激と触発を収穫した一日だった。
INがメインの一日ですね。


そんなINしたものを、バシッと吐き出すOUTの作業をしようと意気揚々家に帰ってきて『31rpm』のブログを更新しようとしたら、パソコン(MAC)の調子が悪くて断念。
今は違うパソコンからこの慕夜記を書いている。
実は途中までMACの方で慕夜記を書きかけていたんんだけど、あれほど信じてたMACが突然長考するようになって、書きかけていた慕夜記がパーになった。
これは2回目の慕夜記の書き込みである。
これにはさすがにプンプン怒ってしまった。
「書きかけは保存さてないのにどうするんや、バーカバーカ」
昼はトラブル対応能力に光明を見出していたのに、台無しになってしまった。
集中して書きかけた文章はトラブルによって消え、二度と戻ってこない。
全く、日常の至るところに危険というのは潜んでいるもんだなぁと感心した。


『31rpm』のブログは明日、パソコンの機嫌が直った時にアップします。
もう暫しお待ち下さい。
   

某は 案山子にて候 雀殿 2007/02/01
痩せ蛙 負けるな一茶 これにあり


我と来て あそべや親のない雀


雀の子 そこのけ そこのけ  御馬が通る


どれも僕が幼少期に遊んでいた『いろはかるた』の中にあった小林一茶の句だ。
一茶が小さい命へ投げかける愛情は、今の時代には純粋過ぎて湿疹が出てしまうほどものだと感じる。
僕がこういった小林一茶の句が好きなのは、
悲しげな情景を前に、言葉を託す一茶が、どこかお道化て見えるからだ。
蛇に睨まれた痩蛙の後ろから、大袈裟なほどのエールを送っている一茶の姿が見えて来るし、
親のない雀の先頭で、率先して踊ってみせようとする一茶の愛情が見える。
そして全てのお道化と愛情が、


撫子は 何故折れたぞよ 折れたぞよ


という句を根っこに生まれて来ている気がする。
本当に素晴らしい詩人。
僕もこんな詩人になれたらなと思う。




某(ソレガシ)は 案山子(カカシ)にて候(ソウロウ) 雀殿


これは夏目漱石の句。僕が一番好きな句。
まず、これには職務を無視され雀達に遊ばれる案山子の風景が見えて来る。自分の目の前で無邪気に畑をついばむ村雀達に、某というイカツイ武士の言葉を用いて精一杯に担架を切っている情景が見えてくる。

また、それとは反対に「僕は案山子です、イヂ悪をする人間じゃありません。この通り、手も足も出やしない無害なものです、安心して僕の近くで遊んでください」と自分を遠ざけて戯れる雀達に懸命に訴えている案山子の寂しい姿も見る事が出来る。
真逆の情景を彷彿とさせるこの句、どっちの解釈をしたとしても、案山子のけな気な孤独が見えるからよし子。
案山子は何一つ自分の心情を吐かず、ただ淡々と「私は案山子です、雀さん」と言っているだけなのに、たくさんの背景を見せてしまう、これは本当に素晴らしい句だと僕は思う。
こんな芸当が僕にできたらなぁと、つくづく自分の未熟を思い知らされる。


何と言うことなく、ただ帰り道のバスの中で、こういった詩について考えていた。
電車にしてもバスにしても、
結構人が乗っていて、立っている人もいるってのに、
座っている僕の隣の席が空いたまんまだというのは、
つくづく自分の人相に自信が持てなくなる。
女の子ならまだしも、老紳士までもが僕の隣に座らないのは何故だろう。
きっと空いている席に気付いてないだけなんだろうけれど、矢張りちょっぴり不安。
余程の鼻毛の束でも出てない限り、僕の人相は悪くないつもりなのだが…。


そこで思い出していたのが、

『某は 案山子にて候 雀殿』

だったという話。
僕からすれば、

『某は しがない歌手にて候 皆の衆』

手も足も出ない無害なものですので、是非、隣に座ってやって下さい。
   

頭、痛いの?悪いの? 2007/01/31
結局、風邪のため午前中は意識を失って布団に沈む。
矢っ張り、寝不足を続けるのにも限界がある事を痛切に感じ、うなされた。
午後を迎えると、少し気が楽になり、
何一つ手間のない簡易食料がないか冷蔵庫をあさってみるが、予想通り何一つ出てこない。
あきらめて珈琲を入れ、煙草を二本吸うと、
また体調が崩壊した。
まったく、こんな時の風邪っぴきはろくでもない。


風邪をひいてしまってから、
『風邪が流行っているので身体に気を付けて下さい』
とメールをもらったという、後の祭り。


2回の間違い電話によろめきながら、机に向かい、
昨夜の仕事を黙々と確認しては、首をひねる。
昨夜の歌詞はモウロウとしていて、歌詞に流れる時間の経過が見えてこない。
手直しを入れてみると、更にグシャグシャになった。
原型を留めなくなるくらいに手を入れると、少しスッキリした。
結局こうなってくると何が良かったか判らなくなる。
兎に角、頭が痛いので休憩をする事にした。


僕の部屋では、休憩の相手は自ずと金魚達になる。
ここのところ水温がグッと下がり、本格的な冬を迎えているので、餌は三日に一度にしている。
そうなると自然の摂理とは僕と違って本当に賢く出来ているもので、金魚達は餌が減ったのと同時に動きが鈍くなり、眠っている事の方が多くなった。
つまり、これが冬眠の状態かと思う。
完全な冬眠ではなく、動作を必要最小限にして余分な消耗を防いでいる状態。
まるでボーッと沈んでいる金魚達だけど、僕が顔を近付けると、
「餌、チョーダイッ!」
と尻を振り出す。
どうやら僕という存在には冬眠から覚醒してくれる。
自分が手軽なメッシー君的存在と知りながらも、金魚達の必要最小限のエネルギーに僕も名を連ねていると思うと、幸せがこみ上げる。


昨日の朝は、三日振りの餌の日だったので、ごく少量を金魚三匹にあげたのだが、
結局、そんな少量でもメンデル(黒い出目金)は尻を水面に浮かせてしまった。


昨夜から水槽の前を通る度に確認するが、
メンデルは尻を浮かせたまま冬眠状態になっている。
他の二匹は水底で、メンデルは水面。


そして今日も何度も水槽に顔を近付けるが、
僕の心配なんかおかまいなしでメンデルは尻を浮かせて縦になっている。
僕がポツポツ話しかける。


「風邪ですか?」
『お前は誰や?』
「僕です。君のメッシー君です」
『お前の顔見ると、身体が勝手に空腹やと勘違いしてしまうからあんまり近付くなよ』
「僕も風邪なんですよ」
『俺は風邪と違うよ』
「その状態でですか?僕は風邪ですよ」
『なら、余計に近付いたらアカンよ』
「頭が痛いんですよ」
『痛いの?悪いの?人間の事はよくわからんけど』
「痛いんです」
『あぁそう。そしたら、ついでに言っとくけど、いつも水槽に顔を近付けてフリフリ、キスする真似はよしてね、あれは頭悪いよ』
「自分だって一緒に喜んでフリフリしてるじゃないですか」
『あれは喜んで尻振ってるんとは違うよ。気持ち悪い顔を避けたくて、あれは顔を振ってるんだよ』
「そうなんですか?」
『でも、如何せん俺達三匹は出目金やから、目だ出とるから、視野が広いから、どうしてもお前の顔が視界から除けへんの。本当に嫌や』
「そんなヒドイ話なの?」
『そう。あれは悶絶。喜びのダンスではないからね』
「気を付けます」
『また餌の時に呼んでな』

当分は三日に一度のコミュニケーションが、僕の幸せになりそうだ。
   

クック、ドゥードゥル、ドゥー 2007/01/30
いつもの道、歩道の白線を綱渡り。
今日は結構フラフラする、夢の中を歩くように景色が呆然と行き過ぎる。
朝起きてから、駅に向かって歩き出す頃、僕には珍しく吐き気がした。
胃には何も入ってない、昨夜のうちに空っぽになっている。
吐き出すものがない時の吐き気。
心が少しひるんでいる表れだ。
こんな時こそ僕はしっかりとした姿勢で歩こうと努める。
肩甲骨の少し下にチカラを込め背筋を引っ張り上げる。
アゴはひき、両脇から腰にかかる部位を動力の中心とする。
足はなるべく高く上げ、カカトから大地に体重をたたき落とし、一歩一歩を突き刺すようにする。
鶏が朝陽に啼くような姿勢で、
グイッ、グイッ
駅前の交差点を歩き切る。


クック、ドゥードゥル、ドゥー


立ち上がれ、朝陽に。




先日、保母さん(保育士さんって言うのかな)をやってらっしゃる方から、保育園の発表会に僕の『陽ハ出ズル』という曲を使って、子供達が踊ったんだという事を教えて頂いた。
ストーリーは、みんなでチカラを合わせて沼地に動かなくなった車を丘の上まで押し上げる、というようなスジなんだって。
この話を聞いて、とても嬉しくなったのと同時に、間接的だけど自分の作品が持つ責任感みたいなものも痛感した。
その発表会の写真も頂いた。4、5歳の子供達がピアノの伴奏で踊る姿があった。
自分の曲が、その子達の記憶に一旦はしまわれるという責任感は、自分が音楽活動をやっていく上で重要な事だと思う。
また、作品に対する解釈というもは様々で、僕は僕の情景を、一つ一つの曲に持っている。
『陽ハ出ズル』という曲は、僕にとって「独立独歩」のイメージを持っていて自己のエネルギーを喚起する役割を持った曲と思っていた。
けれど、こうして子供達がチカラを合わせて車を陽の出の歓喜に向かって押し上げる姿を写真で見て、個人より全体の意識を持とうとするイメージがこの曲にある事を教えられたし、それはそれで不思議なトランス感のあるエネルギーだと思った。
作品は人の耳と、心を通って僕に帰って来る。
そこに帰って来るものは、いつも数百倍の感情を携えている。
膝を突く僕の前に、火の鳥が舞い降りてくるような感覚を覚え、
そこに道しるべを見る。
作品に教えられるって、こういう事かと思う。
また、吐き出すものがない時に吐き気をもよおし、
ゲー、ゲー、やりながら必死に吐き出した言葉に、
一つ実感を裏付けてやれるのも、こういった瞬間である。
   

モラルリミッターのゆるみ 2007/01/29
今年はある程度の計画性を持って生活したいと思い、手帳を持ってみました。
ですが、これは問題だらけです。
まずスケジュールはすぐに手帳に書き込むという習慣がないため、ほとんど書き込まない。
ただ、僕の変質的几帳面さはスケジュールが手帳にまばらに書き込まれているのを嫌うので、
もう既に終わった事を思い出しながら手帳のカレンダーに埋めるのです。


そして次に、「あれっていつあったっけ?」とスケジュールを確認する時、手帳を見る習慣がない。
手帳よりも、レシートに走り書きしたメモの方を必死に探してしまうんですね。
それだけ、自分の手帳を信頼してないという事です。


と、このように、手帳の主要な役割を全て放棄した使い方なのですが、一応肌身離さず携帯しています。
まぁ、何しろ立派な自由業で、未だに何かの手続きや申告書の職業欄に自分の職業を書き込む度に悩みますし、何だか気が引けるのです。恥ずかしい訳じゃないんですが、この日本という国はフリーが生きにくいような気がしますし、少し馬鹿にされてるような気がして嫌いなんです。こちとら立派な自由業で丁々発止、懸命に生きているので、イコール不安定、イコール信用性に欠けるみたいなプチ差別はやめて頂きたいと切に願います。
と、まぁそんな自由業だからこそ、自己管理のために手帳を持ったんですがね、
手帳管理の方に必死になって、自己がおろそかです。
世のビジネスメンズ、ビジネスギャルズに是非とも手帳の上手い使い方を教わりたいものです。


今日、ニュースを横目に見ていたら、某大臣の問題発言について報道してました。
「女性は子を産む機械」みたいな事をおっしゃられたようで、はい大変です。
このような、政治家が思わず行き過ぎた発言をして問題になるなんて事がよくあります。
どれもこれも「それだけは言っちゃ駄目だろう」っていう言葉を選んだかのような失言なので、これはもう信念や考え方の問題ではなくて、単純にお年を召されてモラルのリミッターが緩んでいるという問題に思えてなりません。
つまり、定年間近の課長やら部長やらオジさんが、若いOLにどうしようもないセクシャル質問をしてしまうような緩み方。
つまり、近所のオバさんが集まって、新婚夫婦のセクシャル噂話を子供達の目の前で話すような緩み方。
きっとオジさんもオバさんも、若い頃は決して言えなかった言葉だと思うんです。僕も年齢とともに「まぁ、こんな事を恥ずかしがっても仕様がないだろう、14、5のガキンチョじゃるまいし」と発言のリミッターは緩くなってきてるのも事実です。
「子供がそんな言葉を使っちゃいけません!」
とお父さん、お母さんが叱るように、大人だったら言っていいというような考えがあります。それは間違いではなく、物事を知って初めて言えるようになる言葉も多いのですが、その調子に乗ってモラルが緩んでしまう大人がいるようです。
ちょうど二十代、三十代で恥じらいのあるうちに自分のモラルをしっかり締めておくと、品のあるオヤジになれるかなぁと思っています。
まぁ、何しろ年を取るって余分な要素が剥げて、シンプルになっていく事かと思うので、残るものが品のない部分だったらイヤだなぁと、僕なりに危機感を持っています。
   

“ない”幸せ 2007/01/28
最近知り合ったライブハウスのPAをやっている友達は、よく「みんなを幸せにする」という事を考えている。彼の話の中には、ライブハウスのスタッフ、出演者、お客さん、全てに幸せの光をあてる方法を考えている誠意がにじみ出ている。


「自分と関わるみんなを幸せにしたい」
確かに考えない事ではないけど、具体的に意識したり理想に持ったりする事はなかった。
それだけに新鮮に聞こえるし、そこに意識をあまり持たなかった自分が少し恥ずかしく思えたりもする。


お金も仕事も、矢張り共有する人、全員が幸せに笑う為になくてはならない。
仕事に熱心になっていれば、金勘定がなくなるのか、
或は、金の心配がないから、仕事の関係に陰を落とさないのか、
いずれにせよ、仕事もお金も下世話な考えを持ちたくないとつくづく思う。


どうせない。
初めっからない。
今更、クヨクヨしない。
ないからこそ、
あんな風になったらいいなぁ、
って幸せを想像できる。
ないからこそ、
みんなでこんな無茶な事でも楽しんでできる。
みんなが幸せになろう。
みんなで幸せになろう。
ないからこそ。


江戸時代末期の東北で仙台四郎という人が、生きながらにして神様になった。
彼は何も持ってない人だった。
ないからこそ、
人々に、“ある”事の有り難みを伝えれれたのだと思う。
どっかの占い師が、
指にギラギラ宝石をちらつかせ、お気に入りの男の子を囲い、
そんな“ある”状態から、“ない”人達の人生を兎や角言おうとする。
あの派手なガマガエルのような占い師が、
「みんなが幸せになるよう」
心を砕いて親身に考えているとは到底思えない。
あんなインチキ占い師よりも、
身近で事情を知り、何より「一緒に幸せになろう」と考えてくれている人がいるはずだ。
その人と一緒になって考えた方が良いに決まっている。


「みんなで幸せになろう」と思える人達と仕事をするべきだという事を、改めて重要に感じました。
「みんなで幸せになろう」と思える人達が家族でなくちゃいけないという事を、改めて重要に感じました。
   

有色体 2007/01/27
本物の鼻ちょうちんを肉眼で見てみたい、
と願う山口です。


今日はどうしたことだろう、時間が経つのがやたらと早い。
11時半に目を覚まし、一つアクビを放つと12時になっていた。
更にギターを手にして少し唄ったら14時近かった。
いつも通りの感覚で15分経ったかなと時計を見ると、
1時間経っている。
今日の世界は故障しているらしい。


…いや、俺か。
…俺でもないか。
今日、鳴らしているギターも喉も二日酔いの割にはいい音をしている。


今こうしてパソコンの前でコソコソしている時間がもう夜の3時、世間ではこの時間を朝という仕事もあるというのに。


えっ、もう3時か。


矢っ張り、今日は何かが故障しているみたいだ。


ここんところ夜が賑やかだったから、こうしてポツンと部屋にいる事が何だか久しぶりな気がする。
いよいよ慕夜記の時間。


1行書いてはギターを弾き、弾いては考え、そしてまた1行。


今夜の慕夜記は一向に前に進まない。
それは矢張り、今日の世界がどこか故障しているからで、僕のせいじゃない。



さてと、
もともとこの世は色彩豊かにできている。
花も鳥も、虫も空も。
それはそれは不思議な世界だ。
自分の部屋を見回して、一体何色の色が使われているのか確かめてみると、
気持ち悪いぐらい色に包まれている。
厳密にいうとこの部屋には無彩色がない。
黒いカバンもよく見ると一概に黒と言えないススけた色。
何故、色彩が必要なのかと思えてしまう。


人間はそれでも無彩色を求める傾向にあると思うからだ。
色々な好みがあって、
「色彩豊かでド派手な色使いが好きだわ」
と言うドラッグクイーンもいるだろう。
けど、人間の欲求として、無機質、無彩色、秩序を求める部分もあると思う。
今や安藤忠雄によってコンクリート打ちっ放しの部屋が一つオシャレアイテムとなり家賃を跳ね上げる役割を果たしている。
安藤忠雄がどういう意図でつくったにせよ、そんな部屋に住みたいと思う人の心には、矢張りどこかで無機質と秩序を求めているんだと思う。
コンクリート打ちっ放しの壁に四方を囲まれると、
視覚的にも触覚的にも温もりと軟らかさがなくなり、部屋は完全に物化する。
温もりと軟らかさというのは生命感だろうし、ハンドルの遊びのような包容力でもある。
それを一切拒むのが打ちっ放しだろう。
そしてその生命感のない打ちっ放しの部屋では完全な孤独感を味わえるのだと思う。
牢獄のイメージに近いだろうか。
牢獄の鉄格子を取り外して、家具を揃えたら、当世流行りのデザイナーズマンションとして人気が出ると僕は思う。
今やトイレまでガラス張りにしてオシャレというのだから、矢っ張り牢屋と変わらない。


この感覚は無印良品で買い物をする時の欲求と同じだろう。
デザインのないシンプルな家具や小物、
つまり主張しないデザインのものを揃えたくさせられてしまう。
コンクリート打ちっ放しの部屋に無印良品の家具を揃えたら、
空疎を求める気持ちは、さぞかし満たされるだろう。


それにしても、一番落ち着いて心を温める筈の自分の根城に、
現代人はそういう空疎な感覚を求める訳は何故だろう?
実際、僕自身もどこかで『一年くらいそんな部屋で暮らしてもいいかな』と思える感覚がある。


考えつくとすれば、一つに僕等の心が安閑とした時代に慣れ過ぎて弱くなっているからかと思う。
外で起きる事象を家に持ち帰る事ができない、人との触れ合いが早々に持ちきれなくなってしまうという心が、気を休める部屋に主張のあるものを排除する根幹になっているんじゃないだろうか。
完全な独りを欲している現代人。
戦後の混乱期に、横殴りに泥雨が降ろうともまっすぐ歩いていた世代の人達とは矢張り精神の太さが違う。
大家族で家には必ず人がいて、悩もうが苦しもうがうるさいくらいに人と触れ合わなければならなかった世代に、そんな感覚って芽生えないんじゃないかと思う。


僕は今、自分の雑然とした部屋にいて、金魚やガジュマルの木などに囲まれ、完全な独りはない。
散らかった部屋は嫌いだけど、こうして有機物、色彩に囲まれると、
それはそれで、僕はそれぞれものに対して愛情を持ち、生命として平等に責任を果たしている気がする。
つまり、生きているのはこの部屋に自分だけ、みたいなエゴを持っていないという感覚かな。
それは生活にないといけない。


これが色彩のある理由かなと思う。
地球上のあらゆるもの(人間も含む)同士の確認。
生きているのは自分だけじゃないという責任感の現れだと思う。
色のある全ての有機体が、与えられる生命は一つ。
その平等感を色とりどりの部屋の中で実感する事は矢張り大切なんだなぁと感じている。
   

居酒屋オムニー 2007/01/26
「グデン、グデン…。グデン、グデン…」
連夜の酒をあおり、グロッキー寸前の俺には、
電車の音が、
「グデン、グデン…。グデン、グデン…」
と、聞こえる。
矢っ張り俺にとって酒というヤツは、連夜の飲み物じゃあない。


「次は新宿〜、新宿〜」
新宿で降りるんだよ。
「お忘れ物のないよう、御注意…」
して降りるんだよ。


さて、歌舞伎町へ。
つまり牧野出版の緑ご夫妻と事務所の社長と吉川みきさんとの会食。


アルタからコマ劇場へ向かっての直線。久しぶりにこの界隈に入った。
スッカリ僕の人生に登場しなくなっていたホストが、今日は大量に視界という名のステージに踊った。
まぁ、しっかしあの色艶のない茶色い肌と髪の毛とは、美的感覚を共有し難いものだ。
道行く女性ににじみよっていくホスト。
声を掛けるホスト。
無下に断られるホスト。
うなだれるホスト。
めげないホスト。
ド派手なドンキホーテから新宿コマ劇場までは、現存するホストの生息保護区だ。


目の前にいたチョイ悪、チョイ汚ホストが新たな女性を発見して僕の視界を広げた。
すると道の真ん中に赤いスタジャンを着たオバサンが二人立っていた。
手にしたプラカードには、
「居酒屋かあさん』
と赤字で書いてあった。
久しぶりに道を歩きながら声を漏らして笑いそうになった。
このニュアンスをわかってもらえるかな。
周囲は華美なネオンのホストクラブ街、
その荒波に浮島のように立っていたオバサン。居酒屋かあさんの従業員だ。
「…動かないのよ〜…動かなくなるものよね〜」
「本当、私も最近は全く動かなくなってるのよ〜」
居酒屋かあさんには一体何人くらいの動けない“かあさん”が働いているのだろう。
僕は大爆笑を必死にこらえたから、返って道をニヤニヤして歩く、ただの気持ち悪い人になっていた。
コマ劇場から更に歌舞伎町の奥へ入ると、「おかあさん」系の店が結構あることに気が付いた。
酒に疲れたチョイ汚ホストが『かあさん』に心の平安を求めて入る姿を想像をすると、
更に僕の顔は気持ちの悪い笑顔になっていた。


そして辿り着いたのが『オムニー食堂』、
訳して『かあさんの食堂』
料理は韓国料理なんだけど、見た目の赤さほど辛くなかったから、
猫舌汗っかきの僕には穏やかな韓国料理になって美味しかった。



マッコリを呑むと、僕の酔っ払いは饒舌になった。
カクッカクシカジカの会話で夜が更ける。
あぁ!とっても楽しく美味しかった。
マシッソヨ。
カムサハムニダ。


店を出ると雨が降っていた。
傘もなく、無防備に雨に打たれてやった。


今日は早めに帰ろうかな。
そんな決意で歌舞伎町を歩き出すと、バッティングセンターが。
社長とみきさんに背後から叱責されながらの今季初のスイング。
「ヒュンッ!…………………、ガスンッ!」
フルスイングで気持ちは前へ、ボールは後ろへ。
今シーズンはバッティングに期待がもてそうだ。
ゲームコーナーでみきさんとカーレースゲームをやったが、負けた。
あぁ、今日は早めに帰ろうと思うんだ。
という事で社長とみきさんと別れ、
雨に泳いで新宿駅へ戻ろうとしたけど…、
戻ろうとしたけど、戻りたくなくなった。
「もう一杯ひっかけてから帰るかな」


そして僕は雨の歌舞伎町へ酒を求めて姿を消した。
矢っ張り今日も突発的に帰りたくなくなったのだ。


完全に歌舞伎町界隈に姿を隠し、
気が付けば今こうして慕夜記を書いているのがAM6:11。
眠くって仕方がないのだ。




   

夜号を狸山酔煩〜タヌヤマスイハン〜と発します。 2007/01/25
今日は巡り巡って、東京都は中野に到着。
それはもう夜を迎えていました。


中野で心温まる先輩方と痛飲。
紹興酒の洗礼を受けました。
中国に留学していた割には呑み慣れないお酒で、何だかグウの音も出ないのです。


さぁて、帰ろうかとなったのが10時半くらいかな、
中野はそんなに来ない街だけど、折に触れて遊びに来ているのです。
駅前のロータリーにホッ立てられたたこ焼きの屋台がお気に入りの時期もあったのズラ。
南口の商店街のアーケードを若干の千鳥足で歩いていると、
街路樹の下に銀杏の黄色い落ち葉があった。
新年が明けて、堪え難い寒さになって来ているように思っていましたが、
こんな所にも暖冬の余波が訪れています。
ついでに歩道に何枚かのみかんの薄皮を発見。
これは不審。
僕が心優しい先哲に、
「みかんの薄皮が道に落ちているもんですかね?」
と聞くと、先哲は、
「そりゃ誰かみかんを食べたんだろ」
とおっしゃりました。
そりゃ僕も、
道を歩きながら、丁寧にみかんの薄皮を剥いで食べている人を見てみたい。
先哲も酔ってらっしゃるようでした。
そして僕は、先輩方と駅前で別れ、
例に因って(酔ってと言ってもいい)バスに乗り、我が街へ。


僕の家の近くまでバスは連れてってくれます。
ただ、数分も経つと僕は無償にトイレ(小)に行きたくなって、
思い切って早めにバスを降りました。
そこは家からはほんのチョット遠いバス停だったのですが、
友人の家の真ん前だったので、そのまま友人宅へ飛び込もうとしました。
ですが肝心の友人は僕のヘルプ電話に出てくれず、
仕方なしにコンビニのトイレにて安息を得ました。


やり切れない僕はそのコンビニでワンカップ焼酎を買い、
無理矢理友人宅に押し込み、更なる痛飲と共に無駄話に花を咲かせました。
(つまんない話です、高校時代はどっちがモテたろうか?お前だよ、いやいや、お前の方こそ、…譲り合った揚げ句、どっちも言うほどモテなかったなぁ、というような話です)
さんざん迷惑に話し倒した揚げ句に僕は本格的に家路につきました。


今度は絵に描いたような千鳥足で、
電信柱に2回、自動販売機に1回、衝突しました。
道の途中、またしてもトイレ(小)に行きたくなりました。
つくづく寒い夜だなと思います。
ぶつかった電信柱の影に、ふくよかな盆栽が眠り、
夜空はいよいよ寒い。


何の取り留めもない一日に、
今日は本当に疲れたから、
中野から我が家に直接帰るつもりでいたけど、
予定を変えて酔っ払っているのです。
友人の顔を見たいとモヨオしたんです。


狸山酔煩、
酔うがよし、酔うは美酒。
酔わぬは野暮の慕夜流れ。
凡庸、まさにかくあるべし。
安酒、まさにかく酔うべし。
   

ギガ日記 2007/01/24
犬のブルセラ症と、段ボールのハニカム構造というネーミングには、
一定の違和感を覚えている山口です。


昨日、地下鉄の故障という偶然でバスに乗った為、
何だかバスが便利で快適な気がしています。
だから、今日もバスに乗って我が家へ帰って来ましたよ。


矢っ張り、地下鉄に乗ると景色が見れないのが不健康な空間だったんだなぁと思います。
一日の疲れを地下鉄の狭い景色に閉じ込めると、
「ぶはぁ〜」
と今日を吐き出す事ができない気がします。
移動している実感とか、自分の家までの道のりとか、
車窓の中に、小さな発見を繰り返しているうちに、
「お疲れさん」
って、街と僕は肩を叩き合えます。
田舎で育った僕の心というのは、
或る程度の視野と、ノロさがないと、
生きている実感、地に足をつけている実感を都会に見失ってしまいます。
明日もバスかな。


冬空のもと、寒風に片寄せ合う都会のビル。
その営みを月に照らして、
まぁ、愛すべき風景なのかもしれない。


呼べど叫べど、顔色一つ変えない都会のビル。
そんな鉄仮面がほころぶ、バスの車窓。


まぁ、愛すべき街なんだ。


同じ感慨を、高校の下校時に思っていたかな。
バスに乗る事もあり、同じ距離を自転車で突っ走る事もあり、
峠を上がった坂道で、さっき自分が飛び出したばかりの街の灯りを見て、
小ちゃい街だけど、たくさんの人が生きる事にしのぎを削っている事を確認する。
小さなアパートの赤い灯り、病室の窓の黄色い光、工場の事務室にガランとした青い蛍光灯。
寂しそうに見える窓の灯りも、こうして塵のように集まれば、
楽しげな銀河になる。
こんな風に、色んな人の生活の灯りに恋しいような不安を覚えるのは、


まぁ、愛すべき街だからなんだよなぁ。


なんて思っておったよ。
今日の僕は相変わらず取り留めがない。


ところで、マクドナルドの新製品、メガマックが予想以上の売れ行きらしいね。
僕も名前で気になったから食べちゃったんだけど、
「ビッグマックみたいでいけるね」
という“メガ”と名が付くにはほど遠いくらいの感想を持ちました。
最近は何でも大容量が人の興味を引いているようだ。
マクドナルドも思い切って”ギガマック”くらいにハッタリの効いたネーミングにすればよかったのにね。
僕からの新製品の提案、
『ギガスマイル 0円』
如何でしょう?
   

Watch! 2007/01/23
セロとボビー・オロゴンは実は日本語がペラペラ。
そう信じて止まない山口です。


今日、電車に乗って家に帰ろうとしたら、機械の故障で電車が止まっていた。
改札前には途方に暮れる人山。
これは大混乱と言って申し分ない状態だった。
さて、僕も電車が止まると、帰る術がなくなって進退が窮まる。
こんな事がこの2ヶ月で2回も起きている。
「2回も」と思ってしまうところが、僕も実に日本人らしく余裕がない。
まぁ、どこかで時間をやり過ごすなり、他の方法で家に向かうなり、
いずれにせよ、電車の状況が判らない事には全く動きづらい。
周囲を見渡すと、僕と同じように状況がつかめずにどうしたらいいか迷っている人がとても多かった。


電車が止まるという、この2回の経験に共通して思ったのは、
「状況がつかめない」
これに尽きた。
事故や故障で電車の運転を見合わせるのは仕方ない事と思う。
ただ、その時にもう少し説明する努力が駅に要るような気がする。
知りたいのは二つだけ、
「長引きそうなのか?」と「近くにどんなバス停があるのか?」
この二点。


今日もこないだも、全くそれを説明してくれないから、みんなが改札前にダラダラと人垣を作らざるを得ない状況に陥ってしまうのだ。
電車が止まってしまって、降りた駅のある街については不案内で別の方法も見当たらない。
拡声器を持った駅員さんが一人改札前に立って、
「すみませんが、このトラブルの原因が見つかっていませんので暫く時間が掛かってしまいます。何番出口を出た右側に○○バスのドコソコ行きがり、何番出口を出て△通りを渡りますと◇◇バスのソコココ行きがありますので、是非そちらの方を御利用下さい」
と言ってくれれば、随分混乱は収まると思うのだが、
これは矢張りセッカチさんの望み過ぎなのだろうか?




さて話は変わって、この頃は受験シーズン。
子供達の苦労、悲しみ、安堵、喜びを考えると、可哀想になぁと思う。
「受験して入った学校なんて大人になったらどうでもいい事になっちゃうよ」
と思ったりする。
実際、僕の周囲で学歴から人を見る人はいないし、僕もそう。
無頓着なものなんだよな。
兎に角、こんな小さな人生の入り口に悩んだり苦しんだりする事のないように育ってほしいと思ったりする。


僕は高校受験の時、矢張り勉強がやりたくなくて、受験直前だと言うのに成績も伸び悩んでいた。
志望の高校の受験に合格するかどうかは、何とも言えない状況だった。
僕等の地域では、もし公立高校の受験に落ちれば私立の高校に行く道しかなくなる。
そうなると多大なお金が要る。
その頃、僕の住んでいた地域は、
みんながそんなに裕福な家庭に育っていた訳でもなかった。
勉強がどうしてもできない子がいて、それでもどうしても高校だけは行きたい。
でも、お金が要る。
みんな家の事を心配していたと思う。
家に迷惑を掛ける事になると。
僕も同じで、本当に悩んだ。
で、悩んだ揚げ句、結局僕は受験直前になって志望校を変えた。
先生からも親からも志望校の受験をすすめられたけど、
万が一がどうしても怖かった。


僕は志望を変えたお陰で、公立高校に合格した。
合格発表の日、受験生達が喜色に賑わう掲示板の前で、
僕は自分の番号を見つけ、ポツンと考えていた。
「圧倒的に合格している奴ばかりだけど、実はこの中で不合格になって、家族を思いツライ気持ちでいるヤツがいる。それはあまりにも残酷な風景だな。ここまで追い詰められる理由が判らん…」
正直、高校に合格した喜びは全くなかった。
ただ「理不尽な制度だよなぁ」と思っていた。
僕は一緒に来ていた母親と、もう一度合格を確認してから家路に着いた。
その帰り道、お世話になっていた寺子屋のような小さな学習塾にお礼を言いに行った。
塾の中に入ると、先生が半ベソかいたような顔で僕を見た。
先生は、
「何とも言いようがないけど…残念…」
と言って僕の肩を叩いた。僕が、
「先生、有り難うございます。お陰様で無事、○○高校に合格する事ができました」
とお礼を言ったら、
「えっ?お前、△△高校を受験したんじゃないの?何だよぉ、それぇ〜」
と言って先生は崩れ落ちた。
そうだった。僕は悩むあまりに、塾の先生に志望校を変える事を言い忘れていたのだった。
塾の先生は、教え子の為にわざわざ朝イチで△△高校に行き、僕を探していたらしい。
で、僕はいないし名前もないので、てっきり不合格だと思い、落ち込んで塾に帰って来たのだった。
僕は先生に謝って、改めて合格を報告した。
先生は心底安堵していた。
だから、僕も何だかこの長かった受験期間を終えた安堵感が芽生え、
ここで初めて少し合格した事が嬉しかった。


結局、僕はこれ以降、勉強というものにカラッキシ熱心じゃなくなり、
もともと勉強しない人間が更にしなくなったお陰で、僕の高校での成績は下降の一途を辿った。
で、それだからといって今、何一つ支障がない。

今現在、僕は、
色んなものを見て、色んな人に会い、全てを実感し、悩み、また感動しながら生きている。
あぁ、何て、
あぁ、何て、
学歴、受験勉強なんて鼻クソほどの価値もないものなんだろうって、
感動しているんだよなぁ。




   

超合金シンドローム 2007/01/22
何だかんだで2007年、やっと唄い初める事ができました。
この一年は本格的に自分のスタイルを変えていかなければなぁと思います。
久しぶりにギターを担いで出掛けたせいか、胸筋と肩をつなぐ辺りが窮屈に凝って、パソコンのキーボードになるべく指を動かしたくない具合です。
まぁ、何にしても動き出した一年を感じると、少し焦り、また少し希望を持ちます。
一日、一日。
そして、
今日、また今日。



先日、息抜きにトイザラスに行って買いもしないオモチャを見て童心に帰って来ました。
幾つになってもオモチャ屋さんというところは僕を一生懸命にさせてくれます。
「これ面白いなぁ…、あれいいなぁ…」
家にあったら困るようなものばかり欲しくて堪らなくなりますね。
小学生の頃は、必死にお小遣いを貯め、欲しかったプラモデルをやっと手に入れるのですが、
制作過程でどうしても説明書通りにロボットが仕上がっていかなくて、
右腕だと思い込んで作っていたものに、左腕のパーツがくっついていたり、
可動するはずのパーツが不動だったりしていた事を思い出しました。
僕は基本的に図画工作の工作の方が苦手なんです。


子供の頃は、母親とデパートに行くたびに、オモチャ屋の前でじーっと欲しい物を眺めて、
背中で母親に「買って欲しい光線」を出していたものです。
母親は全く相手にしてくれず、いつもさっさと先へ行ってしまい、
迷子になりたくない僕は、欲しいオモチャを断念して母親に着いていかざるを得ませんでした。


やっと大人になって、そんな事を心配せずにオモチャ屋を歩けるようになった筈なのに、
「これいいなぁ…」
って一つのオモチャを眺めていると、何だかあの頃の心境に戻ったりします。
どこからか、
「買ってあげませんよ!」
と聞こえ、ハッとして振り向くと僕と同じオモチャに見とれていた男の子がお母さんに叱られています。
僕も同じようにショゲてしまうんですね。
あの頃、少年だった時期、ショーケースの中に輝いていたロボット達、
あれを指をくわえて見ていた少年の想いが、
今の男達の収集癖を作ってるんじゃないでしょうか。
物に対する感情の入れ方が少し違うって言うのかなぁ。
ギターとかも、凝ってビンテージを集め出すのは圧倒的に男だ。
男がそれについてのウンチクを語り出すと、女の人はキョトンとせざるを得ない。
男と女の物に対する執着の違いは歴然としている気がします。
それもこれも男が少年だった頃、超合金ロボに憧れた想い、
「超合金シンドローム」に起因してる気がしてなりません。
骨董品を集めたり、古いオモチャを集めたり、
男はやりますね。
女の人が見たら「ゴミじゃない!」って思うようなものに執着していたりする。
テレビのお宝鑑定番組などを見ていると、
おじいさんが家族に疎まれながらも収集したお宝を鑑定してもらい、
結局ニセ物かさほど価値のない物として買った値段より安く評価されたりしている。
あわれ、男の憧れよ、
夢は自分の宝として値段など付けなくてよい、
本物かどうかなんて、自分のロマンの価値の大きさとは比べ物にならないのに…。


幸い、僕はまだ何も収集し始めていません。
必要のなさそうなものは部屋にあふれていますが、
収拾はついています。
超合金シンドロームには御用心、御用心。


追伸:
女の子のオモチャ、バービー人形に結構沢山のボーイフレンドが増えていました。心なしかバービーも際どい衣装に身を包んでいるようで、大人びています。小学生の女の子が遊ぶには少しオマセな印象を持ちました。

含めて、御用心。

   

そのまんま納豆騒動 2007/01/21
そのまんま知事当選確実。
つくづく名前、芸名というのは一生背負うものだなぁという実感を持った。
新知事にはそのまんま頑張って欲しい、なんて笑えもしない駄洒落が明日の朝からニュースを賑わすのだろう。


納豆を食べると痩せるとテレビ番組でやったおかげで、納豆が品切れ状態になっている。
と聞いたのは、つい二日前。


今日、久しぶりにスーパーで納豆を見た。
まだ数は少ないが、石油危機ならぬ納豆危機が終息したという風景だった。
果たして、納豆に踊った女心は一体どうなるのやら。
正月明けて確かにスーパーから納豆が姿を消した。
テレビ番組を見ていない者にとっては、
「最近納豆の顔を見ないけど元気かしら?」
と親戚のおばさん的乗りで不思議に感じていた事だが、
こういう事件で終わった事に、開いた口が塞がらない。
その口に納豆を詰めたいくらいだ。


嘘にしても何にしても、或る一つのテレビ番組の言葉によって、
一旦は納豆がスーパーから姿を消した事に驚きを覚える。
一家庭一家庭にとっては、
「まぁテレビでやってたから、ちょっと試してみようか」
なんてくらいの乗りでも、
それを束ねて地域での納豆の消費量で見てしまうとヒステリックに見えてしまう。
結局、地域のスーパーのどこにも納豆がない状況を見ると、
空になった納豆のコーナーにダイエットへの執念や怨念が巣食っているように見える。


こういう原理で世論が出来上がっていくのかと思う。
賛成か反対か問われる世論調査があったとして、
個人レベルではそんなに大きくどちらかに偏る訳でもなく、
「どっちでもいいけど、どちらかと言えば反対」
というような小さな規模での曖昧な反対票でも、数集まってしまえば、
数字で見た時に、その“反対”は本来の個人の想いよりも強烈な印象を与えやすい。
怖いのは、その結果を見たところから賛成か反対か考え出す人がいる事だと思う。
多数が“反対”に傾いているという過激な印象で、第二波の世論を作り始める。
それはより片寄り、より盤石な世論になっていくのだと思う。


今回の納豆騒動、僕の正直な印象を言うと、
発端は“納豆で痩せるかどうか?”という小さな事で、
病気に悩まされている人以外、大多数の人にとっては生きる事に支障を来すほどの問題ではない。
そんな事にについて、やぶれかぶれの嘘をつかなければいけないほど番組制作者が追い詰められているのも変だし、目くじらを立てなきゃならないのも、どっちかと言えば変だ。
ニュースで或るお父さんの、
「妻と娘に、番組で見たから納豆を買って来いと頼まれ、毎日会社帰りに納豆を並んで買いに来てたのに…嘘だったとは…」
なんてコメントが載っているのを見た。
単純に、その奥さんや娘さんは自分で納豆を買いに行けば痩せるよと思う。
家族の為に働き、疲れて帰って来るお父さんへの愛情が、
こういう形で示されてしまう現状にはやるせない。


流行、廃り、噂、こんな情報だらけで飽和した時代には、
もうそろそろ人間は成熟して、よく冷静に判断し取捨選択できるようにならなくてはいけないと思う。
文化を育てるのは、成熟した目、耳、心を持つ世論だろう。
現代では前もって情報を作って、
「こんなに多数の人が良いと言っているから良いですよ」
と宣伝をするものばかりだ。
本心から自分が良いと思える物がないと、
その商用の宣伝に踊るのに敏感な心はできても、
良いものを見極めるのには鈍感になってしまうと思っている。


   

スマイル0円 2007/01/20
酒を呑んだ翌日は、脳が膨張したのかと思うような重さで、思考力の低下を招く。
酒は好きだけれど、頻繁に呑むほどの酒好きではない。
だから深酒をした翌日は、相も変わらずボーッ然と過ごしてしまう。
しかし、今日の気の抜け方はひどく、一つの事を三秒と考えていられない。
久しぶりに昨夜は、酒量が多かったようだ。
アルコール分解許容量をオーバーして、肝臓は今日は休日出勤で働いている。


そんな重たい身体を引き摺って、マクドナルドに遅い昼食を食べに行った。
最近、近所のマクドナルドが24時間営業になり、また店内も黒と赤の落ち着くデザインに変わった。
マックのイメチェン、その効果は未知数。


僕がジンジャーエールをすすりながらポテトをむさぼっている向かい側に、ソファー席が二つある。
一つには40歳くらいのお父さんと小学生の女の子。
もう一つには、矢張り40歳くらいのお母さんと小学生の男の子。
まず、前者の席では、その女の子がお父さんに
「ねぇ、カラオケ行けばいいじゃん。カラオケにしましょ、カラオケがいいよ」
と仕切りにカラオケを推していた。
カラオケという言葉は、やけに小学生に似合わない。
地味で堅物そうなお父さんを誘っている安ホステスのような、妙に大人びた女の子に見えた。


そして、後者の方の席。
お母さんはずっと携帯電話から目を離さない。
その向かいで、男の子は机の上にある全ての紙をビリビリに破いて、お母さんの目の前に積んでいた。
時折、何かに気が付いたように
「あぁ!」
と言って周囲を見回し、ニコニコしてまた紙を破る作業に戻る。
それを何度か繰り返していた。
やがて、僕は彼と本格的に目を合わせた。
彼はさっきと同じように、何かに気付いた表情で僕の視線をニコニコ見ていた。
僕は彼が何を求めているのか知ってみたかったけれど、見知らぬ他人同士で視線を合わせ続けるにはあまりに純粋な違和感がありすぎた。
僕から視線を外すと、彼は今度は小さな溜め息を一つついて、
また紙を破る作業に戻った。


お母さんは携帯電話に夢中になっている。
周囲の人は関わりを持たないように、はなっから遠ざけている。
そんな彼に目を暫く合わせた僕に、彼は求めるものがあったのかもしれない。


孤独という状態が一体どういうものかを考えさせる出来事だった。
   

終わる事なく… 2007/01/19
地球が回る間、僕等の希望はグルグル回る。
日々の日照、そして日没。
日々の空腹、そして幸福。
太陽から生まれた子達は、一日の日没に呼吸を止め、
日の出と共にまた息を吹き返す。
生命、物事には終わりがあると考えがちだけど、
それは気分次第かと思う。


「明日の朝、金魚に餌をあげなくちゃ」
という愛情を自分に持っている以上、次の瞬間に死ぬ事はない。
「明後日、あの人と会うんだ」
という楽しみを自分に持っている以上、命は続く。


夢というやつも一緒かと思う。
願い、それに尽くす以上は、
夢の方から見放される事はない。


よく、
「向いてない」
とか、
「才能がない」
という挫折の言葉がある。
勘違いをしてはいけないのが、
それは夢に見放されたのではなく、
それは自分が夢に飽きたり、疲れたりした言葉なのだ。


全ては自分が飽きずに、丁寧な誠実を夢に尽くせば夢までの道のりが消される事はないものだ。
全ては環境や境遇が原因ではなく、自分の頭の中で希望する物が環境や境遇を作っている。


僕はそこに尽くして毎日を過ごそうと思う。
何かに一途になる時、決して結末を考えるべきではない。
天から強制的に夢を取り上げられるまで、
僕は一日一日ギリギリまで夢を算段しようと思う。


人間の頭に留めておける思い出なんて限界がある。
毎日を覚えていたら、あっという間にパンクして絶望してしまう。
物事を続ける骨、毎日を新鮮に生きる骨、
それは日没と共に一日を忘れ、
日の出の調子で行き先を決める事だ。


物事や夢、希望、幸福にリミットを感じようとするのは人間だけだ。
そんな事を言って、傷つかない結末を迎えようとするのは人間だけだ。


僕が自分に飽きさへしなければ、夢は一日一日降り積もり、
その道が行き止まりになる事はない。


「ここから歩けば何時間かかる」
「遠くてとても歩いて行けない」
という限界は自分が自分に付けるだけであって、道が途切れるという事ではない。
逆に言えば、その道は何時間か歩いてさへいけば夢に実現するんだという証拠だ。
地道に一日を歩く事を、阿呆の無駄な労力と思ってはいけない。
奇策、飛び道具には芯がない。
労力を惜しまず、時間を惜しまず、
日々、自分が自分の身体に実現の喜びを返してあげよう。
原始的な文化に、本来人間のあるべき姿がある。
夢は諦めるもんじゃない。
自分が嫌だと思っても、続けざるを得ない状況に自分が踏み込んでいけるかどうかだ。
勇気ひとつを共にして、イカロスはロウで固めた羽で太陽まで飛び立つのだ。


ただ、一心に飛ぶだけの事なのさ。
   

セレブリティーサービス 2007/01/18
昨日だったか、ナオミ・キャンベルが家政婦に対する暴行で有罪になったというニュースを見た。
ジーンズが見当たらない事に腹を立て、家政婦に携帯電話を投げつけたらしい。
全く気の荒い有名人が多い。
肉を喰らい過ぎなんだろう。
こういったハリウッド・セレブが絡んだ事件のニュースを見ている時、
アメリカという国にさすが犯罪先進国だなぁと感心する事がある。
それは罪を犯した者が罰金と共に『社会奉仕活動』を義務付けられる事だ。
ナオミ・キャンベルも何をやるかは知らないけれど社会に奉仕はするのだろう。
地球上の女性達の嫉視を集めたスーパーモデルも犯罪を犯せば、
作業着を着て道路清掃を行う。
くだらない記者会見を開いて真相を激白するよりも数段意味がある事と思う。
暮らすという事は、どうしてもコミュニティー内で助け合っていかなければならないと思う。
社会奉仕活動というのは犯罪を犯した人が自分の責任を果たし、give & takeの対等の関係に戻るとてもいい機会になるんじゃないかと思う。


日本の芸能界も『社会奉仕活動』を取り入れて、罪を犯した芸能人がいつ復帰するかみたいな事を報道するよりも、その芸能人が一生懸命町内清掃に汗を掻く姿を流した方がいいんじゃないかと思う。
芸能人をどうしても特別な人間に仕立てる悪しき風俗がはびこっていると僕は思えてならない。
それを打破するには、矢張り『社会奉仕活動』かなと思う。


今日のニュースで教育問題についての話があった。
政府の教育再生会議で、いじめた子には出席停止処分を課そうという話になったらしい。
社会の中で協調して生きていく事を学ばなければいけない年頃、またイジメる子なんて特にそれを学ぶ必要があるのに、自宅に隔離して、社会から離してどうするんだ?と思う。子供によっては学校から「つまはじきにされた」と疎外感を受けると思う。
それより『社会奉仕活動』だ。近所のおじさんやおばさんと顔を合わせ、誰かが率先してやらなければ回っていかないもの、自動的にゴミや公園が手入れされている訳ではなく、それを実際に行っている人がいる事を知る事は大切だと思う。
それがイジメをなくす事には直接つながらないかもしれないけど、自宅でボーッとゲームをしているよりは余程有効かと思う。
イジメがいかに格好悪い事かと気付くチャンスは、コミュティーの中に沢山あると思う。
   

偏愛 2007/01/17
シットリ雨は傘で快適な帰り道。


外を歩く時に音楽を聴いている。
家での作業用の大きなヘッドフォーンを耳当て代わりに、
割と大きな音量を耳にあてがって歩いている。


これは僕のちょっとした弱気が見える傾向のような気がする。
自分の心が外界の生活音を遮断しようとしているように思える。
この二ヶ月ほどは電車に乗っていても、歩いていても、音楽を聴きながらという事はなかった。
周囲で起こる現象を音で探し出し、風景で視覚的に理解していた。
この二日間はやけにヘッドフォーンの中に自分を逃がそうとしている。
何か特別な理由があってそうなるのではなく、
単なる疲れかもしれないと思う。
人間は本当に軽度の躁鬱を繰り返す。
ついこないだまでは、
風の匂いが情報となり、
知らない人のちょっとした表情の変化が情緒になり、
あらゆるものが素直に頭に入り、心にある方の記憶倉庫にしまう事ができた。
この二日間は心の記憶倉庫の鍵をなくしてしまったように、
何一つ記憶できていない気がする。
景色を預けようとしても、
「準備中」
の札が掛かり、僕を入れてくれない。
持ちきれない僕は、新しい記憶を発見しないようにヘッドフォーンで外界との接触を遮断する、
こんな構造の僕が今、人々の中で歩いている。
こんな事は、長くても明日には終わるだろうと思っている。


こんな時、僕の耳と心を和ませるのはセゴビアのギターだ。
セゴビアのギターを聴いていると、その昔、僕が小学生だった頃、
毎週末にうら寂しい山の麓にあるクラシックギターのレッスン教室に通っていた時の、
あの少しカビ臭いソファーの上を思い出す。


先生が指慣らしに弾くギターを聴きながら、
僕はソファーの上で『今週も練習して来なかったなぁ…』と不安になっていた。


真っ暗な山の麓にあるアパートの一室。
工場の社員寮を一般に貸し出したアパートの一室。
タヌキ以外の住人の姿を、ついに見た事がなかった。
僕と妹、そして母親はこの寂しいレッスン室を『山の家』と呼んで親しんでいた。
そんな『山の家』で僕は毎週先生に叱られながらギターを弾いていた。


先生の演奏は華奢だけど潔癖なほど綺麗な演奏だった。
先生は曲中で力を入れる時、
「スッ」
と歯の間から息を漏らす癖があった。
そうして腹筋から身体の力のバランスを調節していたのだと思う。
『あぁすれば上手くギターが弾けるのか』と思って、僕は真似をして弾いてみたりしていた。
けれど、息を抜くタイミングに気を取られて、下手っぴぃがただ「スースー」うるさく演奏しているだけの事にしかならなかった。


あの頃、先生の演奏で耳慣れた曲を、
今、ヘッドフォーンからセゴビアの演奏で聴いていると、
今でも、
「スッ」
という息を抜く音が聞こえて来る気がする。
そして、こんな雨降りの湿った日には、
矢っ張りあの少しカビ臭いソファーの臭いがどこからか臭って来る。


僕は保育園の時、親父の弾く演歌のようなクサいクラシックギターに魅せられた。
そして独り悦に入り込んで、矢張り演歌のようなクサいクラシックギターを弾くようになった。
僕は大してギターが上手い訳でもなく、指の器用さもない。
ギタリストでは凡庸を絵に描いたような人間だろうと思う。


でも、あれから25年近くギターを抱き、
それは女々しいほどに偏愛を貫いて来たと思う。
そのしぶとさにかけては、ひょっとしたら僕は秀才ではないだろうか。
僕が女性に対しての愛情にムラッ気があるのは、
こうしてギターに対して変質的な愛情を持っているからかもしれない。
このギターに対する愛情によって、僕のギターは多少なりとも上手く聴こえているのだろう。
痴人の愛が為せた音色によって、
僕は今夜も自分の演奏にクサいほどに入り込む事ができる。


シットリ帰り道は、ヘッドフォーンの演奏を頼りに家に向かう。
暗がりの道、水溜まり以外は何も見えていない。
トコトコ、ポツポツ歩いていると、
コインランドリーから乾燥機の温かい石けんの香りが鼻に入った。


そう言えば、このコインランドリーの洗濯機が回っているのは見るけれど、
その洗濯物の主を見た事がない。
乾燥機がホカホカの洗剤の香りを分けてくれる事はあるけれど、
そのホカホカを取り込む人の姿は、ついに見た事がない。
あの頃に似ている。


明日、晴れたのなら、ヘッドフォーンは外して歩こう。
   

肉体リミッター 2007/01/16
僕の身体は、まぁ固い。
それが日々のヨシナシ事の中で、身体の各部位に疲労を溜める。
柔軟体操は頻繁にやる。
が、そんな僕のヤブ療法に、長年つちかった凝りは和らぐ筈もない。
今日も爪先に薬指の第一関節がかすったところで、僕の前屈は終わる。


僕の身体のリミッターは人よりも多いのだろうか?
多いのだとすれば、一体そこまでして身体の何を守ろうとする働きだろうか?
無意識の世界に、今ひとつの自我が潜んでいるかのようだ。


僕が身にまとう拘束具は、それだけじゃない。
僕の身体の特徴として、熱さに弱い。
これは自分でも笑うほどに弱い。
暑さには強い。
汗掻きではあるが、忍耐がある。
ただ、熱さにはとことん弱い。
鍋やヤカンの取っ手を持つ時などは恐怖でならない。
だから、過剰なほどにタオルを巻いて、接触しようとする自分の手を極度に保護してしまう。
どころか人が素手でヤカンの取っ手を持とうとすれば、
「あぶないっ!」
と、どうしても心中穏やかではなくなる。


更に、僕は思い切った猫舌であるため、熱々のお茶や炊きたてのご飯を嫌う。
熱さで味が全く判らなくなってしまうからだ。
例えば、炊きたてご飯に熱々のカレーをかけ、更にそのカレーが辛かったりしたら、
僕の食事は摂取より消費の方が上回ってしまう。
味もさっぱり判らなくなるし、食事の快感より苦労の方が先立って意気消沈。
カレー、麻婆豆腐、餃子、スープ、
これらの料理は冷めた二杯目からが、僕にとって本格的な味わいになる。
僕の好きなご飯は、炊飯器の中で冷えてしまった水滴混じりの冷や飯だ。
世の働く旦那さんが、夜遅くなって帰宅し、
テーブルの上の料理に
『チンして食べてね』
なんて置き手紙と共に奥様はグースカ眠ってらっしゃる光景がよくあるとする。
僕にとってこれは侘びしくも何ともない、むしろ嬉しい。
僕は冷えきった愛情も含め、チンすることなくカッ喰らう事でしょう。


僕の冷や飯好きに関しては、
「え〜っ!」
とよく非難されるが、これは身体的特徴である為、努力で克服できるような問題でもない。
幸せの形は千差万別、千人千色で、
マラソン選手に
「明日からK-1選手をおやんなさい、ジェロム・レ・バンナと戦いなさい」
と優しく諭して、よしんば気持ちがK-1に向かったとしても、
身体がそう感嘆にはなびかないような事と同じだ。


冷やしたぬきうどん、
寿司、
刺身、
ガリガリくん、
これらの料理は、きっと僕のような人間達が、それこそサンクチュアリを求めて作ったに違いない。
僕はこれら先哲が考案した料理が好物である。
何かにつけ食事は、身も心も安まるものであって欲しい。


さて、アタクシと言えば、
身体が固かったり、熱さに弱かったり、
自分の身体を拘束するギブスがあって、
我が身に何かあれば、すぐに痛みを発動して警鐘を鳴らして来る。
ただ、その痛みの対局にある物が僕にとっての至極のオアシスに見えている。
僕の潜在意識はパブロフあたりに、いいように飼い慣らされているのかもな。


そんなオンボロ車に乗って、今日も明日も僕はズンズン歩いているんだよ。
面白いやん。
   

慕夜記は百八夜を周期に続くでしょう 2007/01/15
数珠の玉、一つ一つに夜ごとの祈りを続け。
一つ一つ自分のこだわりを剥ぎ取って裸に近づく、
やがてこだわりを捨て百八夜、
「やれやれ、つまらないこだわりは捨てて自由に生きられるか」
と思いきや、数珠は百八からまた一に戻る。
全く人間も数珠も上手くできているもので、
幸せも不幸も、煩悩も純粋な願いも、輪っかになって尽きる事のないようになっている。


幸せに生きられるよう、肩の力を抜いて生きられるよう、
踏ん張る足下は、
いよいよ、生活のクモの巣に引っかかっていく。


満員電車に足を浮かせながら、必死に立ち続けようとし、
夕暮れに染みる歯の痛みに耐え、
「ひょ〜ろり〜」
と啼く。


「あの人は、あれからどうなった?」
夕暮れに聞けば、
「お前も、あれからどうなった?と思われているんだ」
と教わる。
「ひょ〜ろろり〜」
ここでこんな顔しているなんて、僕も予想つかなかった事だよ。


みんなが「こうじゃなくちゃ気が済まない」というものを持つ。
両手に余して、捨てられないほどこだわりを持ち、
名刺代わりにしている。
それは同時に、そのこだわりに興味ない人を、
「あの人は、あぁいう人だ」
と決め付けてしまう。


「ひょろっ、ひょろっ、ひょろり〜」
脱こだわり宣言。
脱生き様宣言。


赤も青も白も黒も、
自然にそこにある事とし、
赤も青も白も黒も、
自然に一日を彩る大切な色。


自分にある全ての発現は、必然から生まれてこなくちゃいけない。
必然をつなげば、自ずと自由だ。


人に何を言われようとも、
あるがままに好きを受け入れ、嫌いを考え直そう。
人に何かを言われる事が、
人にとって一番の恐怖でしょう。
どう思われていようとも、
結局自分は今のように生きるし、
自分が如何にして生きようとも、
人はとやかく言う事をやめたりはしない。
臆する事なく言われっ放しにしておく事が、
「ひょぉぉ!ひょぉぉ!ひょろりん!」
本当に君は強い人。


この世の浅知恵に迷わされず、
芯に流れる、自然を見つけよう。
それが本当の愛情でしょう。


数珠の玉、一つ一つに夜ごと祈りを続け、
百八の愛情を何度も何度も回す。
尽きる事のない愛情と煩悩で、
自然に自然に、歩んだ垢を、
慕夜記にしよう。
   

足の裏が精神のコントローラー 2007/01/14
最近、一番気になる人はマツコ・デラックス。意外に気にならないのがマックの24時間営業。
で、お馴染みの山口です。
今日は秋葉原に行ってみたんですよ。
大した用事はなかったのですが、インターネットラジオ『31rpm』用に屋外での素材音録りや、観覧車用のマイクが欲しいなという目ろみがありました。


果たして秋葉原というところは、滅多に行かないのですが、つくづく変わった街だと思います。
外人さん達が何故か観光地と目指し、オタク氏達が聖地と目指し、コスプレ好きの女の子がご主人様を求めて目指します。
歩いていたらコスプレ衣装のビルがあったりして、
驚きと共に、日本の過度な供給魂に危惧したりもします。
あと、独り言を言う人が多い街かな。


まぁ、結局お目当てのマイクは僕のポータブルレコーダーでは使えない事が判明して、それはそれで納得して帰って来ました。


一日も午後五時を過ぎると急激に寂しくなります。
何だか一日が終わるのがあっという間ですね。
日が暮れるのが早いという要因もあると思いますが、
どっちにしたって、もう三時間ほど昼間を長引かせてほしいなぁと思います。


人の生活において、移動に費やしている時間はあなどれませんね。
地下鉄というノロマなタイムマシンに乗ると、降りた街で、
「えぇっ!もう日が暮れかかっているやん!」
と思う事も多々あります。


幕末に活躍した志士達というのは、兎に角足が達者だったと思います。
江戸、京都、大阪、土佐、長州、薩摩、会津、水戸…あちこちを自前の足で何度も往復し活躍をしている。
その移動時間は現代人の数百倍、数千倍に及ぶと思います。
しかし、見過ごせないのは、
彼等の移動時間が膨大だったからと言って、仕事量が現代人より少なかったかと言うと、
決してそうではないという事です。
むしろ彼等の強い意志と活躍の量は現代人を遥かに上回るでしょう。
それは何故かと考えます。


兎に角、足を使う事じゃないでしょうか?
目的地まで時間を掛けて足の裏で地面を蹴り歩く。
この中で江戸時代の人は膨大な事を考え、また自分の考えを実際と照らし合わせてイメージする事ができたのでしょう。
僕なんかも、考えに詰まったり、歌詞に詰まったり、原稿に詰まったりすると、
ただひたすら歩く事にしています。
不思議と歩いている間って、想像力が膨れ上がるんです。
机の上で考えるという事も勿論出来るのですが、矢張り室内に座っていると考えが平面で弱いんです。
足を使っていると、考えが立体的に見えて、具体的な想像ができるようになるんだと思うんです。
”歩く考え”は、人間の感性に近い、直感が刺激される事だと思います。
だから古人は英傑、豪傑、俊傑を輩出する事ができたんですね。


僕等の移動時間は、文明によって兎に角短縮の一途を辿っています。
僕等は古人よりも沢山の知識を持ち得ていますが、いずれにせよ薄く浅いものが多いです。
僕等が“歩いて考える”事をすれば、持ち得た知識に立体的な想像力をもつことができ、
簡単に泣いたり、キレたりする事が減るでしょう。
歩く事によって、前向きな考えを持つ事ができるでしょう。
歩みを止めない行為によって、絶望しない心が生まれるでしょう。
悩む時は、兎に角歩け。
やけになる前に、まず歩け。
人に泣きつく前に、まず歩け。
必ず行くべき道が見える筈です。
見えるまで歩け。
僕は歩く。


歩く事って本当に大事だと考えるんです。
   

何もないからこそ 2007/01/13
今日はやっと骨休めの一日だったかな。
昼にさしかかる少し手前に起きて、
「こうなったら、俺は家から一歩も出ないぞ」
と思い、溜まった洗濯物を片付けたり、ウトウト居眠りを繰り返したり、
何にもやらなくていい一日と決めたら、とことん何にもやらない主義。
何もやらなくていい時間を、
「何かをやらなくちゃ」
と細々動こうとするのは小人の為す事と、勝手に決め込んでいる。
「いや〜、一日布団の中でダラダラとテレビを見てましたよ〜」
と薄ら笑いを浮かべていてこそ人物と、勝手に決め込んでいる。
金魚から「飯をくれっ」と乞われる、
洗濯物から「いい加減に過去を洗い流せ」と乞われる、
胃袋から「何かで俺を満たしてくれ」と乞われる。


乞われる事に動くが、自分からは動く日じゃない。
少なくとも今日一日は絶対的にそうした一日だった。


そうして夜が幕を下ろし、人々の家に灯りと夕げの温もりが届く頃、
僕は事務所の社長から誘いを受け、飲みに出る事となった。
出るべき時には、しっかり出てしまう。
自転車で40分、阿佐ヶ谷にあるお店まで。
寒さを忘れ、思いのままに自転車をこいで行った。


途中、僕と並走する自転車があった。
おじさんだ。
おじさんは僕と暫く並走し、やがてオバサン達の一団の前に自転車を停めた。
「今、警察呼びましたから大丈夫ですよ。私はちょっと用事がありますので、ここで…」
とおじさんはオバサン達に話しかけていた。
見るとオバサン達に囲まれて座り込んだオバァさんがいた。


以前の僕はこういったオバァさんを家に呼んで話を聞いたり、
一夜の宿を提供したりしていた。
楽しい時間ではあったけど、その度に切ない結果を得ていた。
「人の人生に責任を持てないような形で混ざってはいけない」
とつくづく反省していた事を思い出した。


そんな行き道は随分長い道のりに感じた。
阿佐ヶ谷では社長の51回目の誕生日を祝い、痛快に飲んだ。
同じ事務所の吉川みきさんや、D-naughtの連中と温かい時間を過ごした。
人の誕生日の方が、自分の誕生日より楽くなる年齢になってきたなぁと思う。
そのくせ僕は人の誕生日がからっきし頭に記憶できない。
「本当、ひどいよね」
昔、誰かさんに言われた言葉が頭に巡ったけれど、
そこが僕のどうしても苦手な部分だなと過去の自分には言ってやりたい。
何回努力をしても、何度も忘れてしまう。
僕はそれほど数字が苦手なんだろう。


時は過ぎ、深夜の阿佐ヶ谷から深夜の道へ、自転車をまたまたこぎ出す。
帰りはあっという間の道のりだった。


その途中、小さな商店街を通りかかる。
小さな飲み屋から出て来たオッサンが電話をしている。
この人は、その小さな店のマスターだ。
「何で!お客さんが一杯いるのに黙って帰っちゃうの!だってお客さんが一杯いるんだよ」
深夜の小さな商店街に、「お客さんが一杯いるのにっ」というフレーズが何度もこだましていた。
僕は黙って帰ってしまったホステスを想像していた。
あの頃の俺のようだ。
何をやっていても、
「自分が駄目になる」
という恐怖が起きると、断固として拒絶した。
いつでもどこでも、やりたい事しかない人生なのに、
やりたくない事をやらなくちゃいけない人生があると思い込んでいた。


下弦の月が、今やっと東の空にのぼり始める。
残念だったね、俺はもう帰るところさ。
残念だったね、俺はもう寝るところさ。


自転車は慣れ親しんだ街に車輪を転がす。
おかえんなさい。
おやすみなさい。
   

おめよろ! 2007/01/12
年が明けてから初めて会う人が、今のところ大変多い。
それに伴って、
「明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します」
という挨拶をする機会も大変多い訳だす。


今年は、こういった年始の挨拶をするのがとても気分が良い。
1月1日、何気ない一日だけれど、この日を境に自分が自動的にリニューアルされた気がする。
2006年から以前を過去として格納し、今こうして挨拶をしている自分は、
「以前の僕とは違って、こんなに希望に満ちて、新しく動き出しているんだすよ」
と意思表明をしている気がする。
何しろ気分が新しくて大変心地よし子。
晴れ晴れとした心持ちで、色んな人と新しい名刺を交換している気分だすな。
世間の慣習からことごとくドロップアウトしてきた僕は、
こんな事にさへ感動できるくらい今年は何かが違う。
自分に内在する正のエネルギーを、純度の高い状態で保ち続けれそうな気がする。
何しろ気分に迷いなくて大変よし子。


ただ、正月明けてから今まで、ちょいとした寝不足が続き、
溜まった疲れで今朝は寝坊をしてしまった。
そんな起き切らない頭で、今年初めて会う方と今日も何度か挨拶をした。
“方”とつけなければいけないような目上の方との挨拶ばかりだす。


とある年配の男性と挨拶をする時の事、
僕が、
「どうも、明けましておめでとうございます!」
と挨拶をすると、その年配の紳士が、
「明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします」
と深々と返礼されるので、僕も、
「いえいえ、ワタシこそ、宜しくお願い致します」


と、言うつもりだった。
と、言ったつもりだった。
だけど、寝坊で少し頭が違う回転をしていた。
口をついて出て来た言葉は、
「いえいえ、今年こそ、宜しくお願い致します」
“ワタシこそ”が“今年こそ”になってしまった。
こうなると僕の挨拶は俄然無礼さを増してしまう。
その年配の男性にしたら
『私は今まで、ちゃんとあなたと仕事をしてきたのに…』
と思うでしょう。
年配の男性が不安気に、
「私は、そんなに…」
と言いかかったので、僕は僕で『こりゃ失態!』と焦ってしまった。
が、寝坊で少し頭が違う回転をしていた。
「いえいえ、そういう意味じゃなくして、私の方こそ今年こそお願いされようと…あれ?」
もう元に戻す事はできなかった。


その年配の男性は紳士であるから、
「お互い、今年も仕事を頑張りましょう」
というところで落ち着かせて頂き、僕は事なきを得た。
世が世なら、切り捨て御免の無礼打ちにされるところだった。
『ボケっと挨拶しちゃいけないな』
と気を引き締め直し、
今度はその男性と別れる時に、挨拶のチャンスが巡って来た。
男性が、
「それでは今年も色々と宜しくお願い致します」
紳士は深々と頭を下げられた。
ここぞとばかり、僕も大きな声で返礼した。
「今年こそ!宜しくお願い致します!」


もう、台無し子。
   

朝陽に照らされて 2007/01/11
「お〜い!」


「お〜い!」


眠気でゆるむ朝の改札口、男の子が誰かを大声でしきりに呼んでいた。


「お〜い!」


「お〜い!」


「は〜い!」


と答える人は誰もいない。
ただ、


「お〜い!」


「お〜い!」


と彼はしきりに誰かを探していた。


僕は売店でホットレモンを買って、ガチガチに鈍い身体へ糖分と温かさを補充していた。
その改札の向こうで彼はずっと誰かを探し、「お〜い!」と叫んではキョロキョロ歩き回り、立ち止まっては矢張り「お〜い!」を繰り返すのだった。
この改札では、いや、今、この世間では彼に答えを与える事はできない。
彼が歩く度、忙しい駅に空間があいた。


彼の大声は断末魔のように絞り出す大声だった。
それが駅の空疎な天井に跳ね返る度、
耳に寂しさを与え、心に苦みを残した。


彼が彼の中にいる確かな者に呼びかける。
「彼は存在しない人を呼んでいる」と思っている人々の方が確かだとは言い切れない。
世の中が攻撃的な人間関係を作り、人々はその寂しさを持て余し、
より冷淡に自分から世間を離して考えるようになった。
「山や川が自分のものだという意識を持っていたら、気軽にゴミなんて捨てれないだろ?」
今日、或る人がそう言った。
その通りと思う。
人々が自分から世間を離していく、
僕もなるべく知らない人の、よく判らない理屈には巻き込まれたくない。
離れれば離れるほど世相が荒涼とした砂漠になっていくのを感じる。


「お〜い!」


「お〜い!」


彼はそんな僕を呼んでいるのに違いない。
彼が立つ朝のラッシュのど真ん中、
ポッカリあいた空間からの景色を、
愛情もって見つめ直すのかな。
親身になって見つめ直すのかな。


こんな明るい、活気に満ちた地球に生まれたのに、
その地球の景色を疑って、遠ざけるのはよくないな。
この世の中は、その気になれば底なしに明るいという。


僕は夜を捨て、月を捨てる。
朝の明かりに呼ぶ男の空疎な招きに応じよう。
僕の周囲を目もくらむような明るい日々にしよう。


それもこれも、
僕が太陽に恵まれた子なればこそである。
   

万(ヨロズ)の障害を乗り越えて 2007/01/10
今日はインターネットラジオ『31rpm』の解禁日。
動き出した一年が、明るい希望を見せてくれる。
何て格別な日だろう。
今日は君の机の上に小っさい山口が登場だぃ。
面白い事、た〜くさん一緒にやろうね。
ご意見、ご感想、待ってますよ。
「ワタシ、出演してみたいわ」
とか、
「俺の仕事を取材しに来てくれ」
など、要望があれば、可能な限り、力の限り、全部かなえて行こうよ。
そんな希望が回る番組なんだ、『31rpm』っていう番組は。
↓メール、ドシンドシン頂戴ね。↓
31rpm直通メール:31rpm@yamaguchi-sho.com






さて、話は変わって、
今日、事務所の社長様から新年会のお知らせメールを頂いた。
その文末に、
『万障お繰り合わせの上、ご参加下さい』
という言葉が記されていた。
情けない話、僕は世間一般からは少しドロップアウト気味の生活をお繰り合わせてきた人間だから、
この言葉にお目にかかったのが、人生で初めてだった。


会社勤めの長い人なんかには馴染みのある言葉なんだろうけど、
も一つ、お恥ずかしい話、僕は最初、
『あれ?文字の打ち間違いかな?』
と思ってしまった。
意味を悟ってからは、
『世の中のビジネスメンズ達は、仕事におけるこんな定型句を持っているのかぁ』
と感心してしまった。


まぁ、しかし改めて細かく読んでみると、気持ちいいくらい強引な言葉だ。
以下、僕の勝手な解釈
「万(ヨロズ)の障害を上手にやり繰りして、こっちには絶対来いよ」
というような言葉でしょう。
水戸黄門の印籠に近い、殺し文句だね。
これを言われた世の中のチョイ出来るビジネスメンズ達は、
「すわっ、この言葉で誘われたからには、雨が降ろうと飴が降ろうとも馳せ参じなくてわっ」
と思うのでしょう。


僕もこれから、多用したいと思う。
僕が提案する、チットモデキナイ・ビジネスメンズの為の新しい定型句。
『今夜、滅茶苦茶に暇やし、独りでおりたくないから遊ぼうぜ。
万障お繰り合わせの上、俺ん家に来て下さい』
とか、
『アタシはあなたが誰の事を好きであっても、あなたを愛しているわ。
万障お繰り合わせの上、アタシと付き合って下さい』
また、
『課長が僕の失敗に激怒する理由も、よ〜くわかっておりますので、
万障お繰り合わせの上、見て見ぬフリをして下さい』
など。
世知辛い世の中でたくましく生きるみんなのオアシスになるような言葉だね。


くれぐれも、
万障お繰り合わせの上、ご活用下さい。
   

残念 2007/01/09
13日のライブが中止になった事は非常に残念です。
僕としてライブという正念場、唄い初めとして新年の念頭においていただけに残念です。
ピョン吉君にはリクエストをもらっていたし、松山から東京にライブに来てくれるエネルギーを持ってもらったのに、このような形で実現しないのは、何とも言えないくらい残念です。


兎に角、ライブは続け、この一年、また真剣に僕の正念場として声をしぼっていこうと思っています。
僕の唄を心底楽しみにしてくれる人がいる。
僕はそこに心底で必死に唄う。ただそれだけです。
今は、ステージもスピーカーも、マイクもなくていい。
飲み屋の一角、机の上でポロンと唄う事でも、
僕にとって誠心誠意の場所になり、全てが僕の居場所と思います。
乞われるままに、想いのままに、
僕が立つべき場所があります。


僕がこの人生を全うする上で、
生命を輝かせる唯一のもの。
呼吸を停めては生きられないように、
そいつなしでは僕の身体は健康でいられないもの。
普段、無責任と罵られようとも、
人非人と下げずまれようとも、
凡庸なままで、
真剣に守っていくもの。


生活、愛情、友情、感情、
全ての源にあるもの。


逆にそいつのためなら、全てを失おう、
と思えるもの。


随分格好つけた言い方だけど、
何と言われようとも、
何よりも唄を守って生きるよう、
僕の人生が仕組まれていると感じるようになった。


僕の身の丈の凡庸さを克明に示してくれる唄。


負けない。
苦渋には一切低頭しない。


地獄の閻魔大王よ、台帳ひろげて待っておれ。
極楽の観音菩薩も、舌打ちまぎれに嘲笑え、
赤っ恥を餌に行くのだぞ。
赤っ恥を娯楽に、ダッサ〜く生きて行け。
それだけは僕だけの道。
それだけが僕だけの道。
   

インターネットラジオ『31rpm』日々 2007/01/08
ここんとこ、朝陽とよく競争した。
よく戦った。
すべての朝が善戦だった。
今日、やっと決着をつけた。
「うおりゃ」と朝陽に向かって背伸びをする。
白んだ空は、僕に朝が降参した印だ。
よく戦った。
戦果は、『31rpm』第一回放送分の完成。
戦禍は、異常な眠気。そして多少の不安。
朝10時の光の中で布団に滑り込むと、
目ん玉の上が重かった。
久し振りに冬休みの宿題を終わらせた気分。
(なんて事言いながら、未だかつて冬休みの宿題をやり切った事がない)
そうか、僕は初めて冬休みの宿題を完成させたのかもしれないな。


完成した『31rpm』を布団の中で聞いていた。
それは、作った僕だけが味わえる、ささやかな喜びだった。
でも、その喜びの回転も束の間、僕は精神の深層へと落ちてしまった。
僕がまさに泥のように眠っている間、
『31rpm』は8回転していたようだ。
夢の中で聞いても、クスッと笑える番組だと思う。


生活のリズムを元に戻す為、
無理矢理2時に起きて、
ボサボサになりながらも起き続けた。


実るほど頭を垂れる稲穂かな


なんつって誰かが言っていたような気がしますが、
今の僕はグラグラに疲れっ切った首で頭を支える事が困難で、
頭を垂れている。
本当の意味合いを会得したような気がする。
確かに今日、『31rpm』という実りを得て、
僕は疲れて頭を垂れている。
百問の国語の問題を解くよりも、尊い実践である。
誇らしい疲れと眠気。


10日にはアップされるから、みんな是非楽しみにしていて下さい。
夢の中で聞いても、クスッと笑える番組です。


   

メンデル 2007/01/07
昨夜の徹夜の作業が適度な興奮を引き起こし、作業はジリジリ続いて寝床で意識を失ったのが9時頃。
何しろこの7日中に作業を終わらせたい一心でグッスリ眠って起きたのが昼12時。
さぁて、気合いを入れて仕事をしようと背伸びをし、珈琲を入れ始めた。
日課のように起きたら水槽にいる三匹の住人に挨拶をする。
ふっと水槽に顔を寄せ、三匹の健康確認を今日も怠らない。
ゴスロリ(赤い出目金)もクズモチ(錦の出目金)も元気に「チョーダイッ!」ダンスをしている。
メンデル(黒い出目金)が見当たらないと思ったら、


水面に腹を向けて、力なくダラーッと浮いていた。




仕事に熱していた心が、一気に青ざめた。


「まさか、死んでないよな?いつもの居眠りだよな?」
と祈りながら、メンデルのエラと口元を覗き込んだ。
アップアップしている。
死んでなかった。
少しホッとはしたけど、気が抜けない。
メンデルは浮き袋と胃腸が弱く、
普段から浮きがちなヤツだけど、
今日のように腹を仰向けて浮く事はなかった。
いつもはお尻だけが浮いている状態なのに、
今日は様子が違う。
金魚にとっての難病である、転覆病の症状なのだ。


転覆してしまった金魚の余命は一般的に短いと思う。
一年前のちょうどこれくらいの季節に、僕はウメボシ(丹頂)を転覆から3時間程度の時間で死なせてしまっている。
その時、メンデルは一緒にいて。一緒にウメボシを見取っていた。
ウメボシの亡がらを埋めながら、
僕はメンデルだけは絶対に死なせないと誓った。
兎に角、ショックが大きい出来事だった。


そのメンデルが完全に転覆してしまっている。


先日、テレビを見ていたら風水を取り入れた店の事をやっていた。
店の入り口には金魚鉢を置き、何匹かの金魚を飼うそうな。
そうすると入り口で金魚が不の気を吸い込み、身代わりになって死んでくれるそうな。
そして新しい金魚を入れる事によって、また新しい運気を呼び込むんだ、
と、店の女の子がイケシャーシャーと説明していた。


命の尊さを訴える現代人に矛盾する話だ。
僕が気になったのは、
「金魚が不の気を吸って死ぬから商売が繁盛する」
と平ッチャラで口に出来る女の子の感覚だ。
“死”というものを、動物の大きさによって区別できるのか?と思った。
“死”という事は、命を差別する事だろうな。
それを奨励する風水なんてロクなもんじゃないなと思った訳だ。


僕は、兎に角メンデルを死なせる訳にいかない。
慌ててバケツに水を作り、塩を混ぜて解毒槽を用意した。
そして、すぐにメンデルを移し、暫く様子を見ていた。
メンデルは浮いてしまうのを激しく嫌がり、
バタバタとのたうち回る。
僕は不安で、目を離す事が出来なくなってしまった。


暫く考えていた。
万が一、メンデルが死んだとして、
一人でバケツの中で死ぬなんて寂しいだろうなぁ、
メンデルがウメボシを最後まで見取ったように、
メンデルも仲間に囲まれていたいんだろうなぁと思った。


だから、メンデルをもう一度水槽に戻し、
僕は何とか気持ちを切り替えて、自分の仕事に向かった。


仕事の予定は大幅に遅れてしまった。
何回もメンデルの調子を見ながらの仕事となった。


仕事は深夜に及び、そしてまた朝を迎える事になった。
予定していた7日中に終わらせる目標は達成しなかったけど、
何とか朝のゴミ収集車がやってくる前には仕事を終わらせた。


メンデルは深夜から少しずつ水に沈むようになった。


そして、朝にはスッカリ水中を自由に泳いで、
ゴスロリとクズモチと共に、
「チョーダイッ!」ダンスをフリフリしていた。


調子に乗っとる。
という思いと共にホッとして笑った。


今日はメンデルは断食です。
   

根気を続ける? 2007/01/06
とうとうこの慕夜記も50夜連続を更新するに至りました。
50夜と言って明け方に書く事の方が多いのですが…(実際、今も午前6時を回ったところで)
まぁ何しろ何かを続けるというのは尊い努力だと思います。
今年の目標と言って大して何も考えないのですが、
たった一つ挙げるとすれば、
『根気』
これに尽きるでしょう。
「これだっ!」と思い立った事に対して、責任もって自分が答えてやる。
そして自分が誰よりも楽しむ事。そうすれば自分の思った事に飽きたりしないんでしょうね。
この辺の事をヒント、道標にして『根気』よく物事を継続して行く、
僕の人生という屋台骨の重要な一角を担う一事だと思っています。


自分の人生の屋台骨なんて、すぐに老朽化しますし、
自分が考えていた以上に屋台骨の本数が少なかったりするもんです。
仕方ないよね、人間一匹、幾多の風雨の中に立っているので精一杯で、
あれもこれもと理想的な大御殿を自分の中に建てる暇なんて、
なかなか無い。
誰もが、いつまでも貧乏臭いあばら屋根の下で人生を過ごしているんだと思うもの。


ただ、幾ら傾いた安普請の屋台骨でも、
自分の性格となると、愛着が出来てなかなか変化させていけないものです。
矢張り“変わろう”とする気持ちは節目節目で感じなくちゃいけないなぁと、
30余年生きて来て、やっと実感できました。
以前ほどの自分に対する執着がなくなってきたんでしょうね、
“自分はいかようにも変われる”という心の方に希望を持つようになりました。
“変わろうよ”と思った自分に対して、実際に変わってやれる自信がジワジワ出てきたんだと思います。


色々、失敗の多い人生。
取り繕って、言えない事を増やすような不自由な人生にはいたくない。
だから、今年は去年より一枚束縛を脱いだ自分に変化したい。
そしてそれを継続して、人生の終焉には素っ裸で死にたい。
それを僕は進歩する事だと言います。


今年も一歩、
今、一歩、
着実な、揺るぎない一歩を踏み出したいなぁと思います。
   

鈍痛 2007/01/05
今日はよく晴れてくれた。
昨夜から今朝にかけて、僕は随分リキんで眠っていたらしい、
両サイドのこめかみが、ズ〜ンと鈍痛を引き起こしている。
リキみのあまり、僕は歯ぎしりをしていたと思われる。
そんな鈍痛だ。
休んだと言うよりか、リキんだ感が強い目覚めだった。


以前、ヨシオと一緒に住んでいた頃、
「昨夜の歯ぎしり凄かったな、俺の部屋まで聞こえた」
と言った。
俺とヨシオの部屋は15cmくらいのコンクリートの壁に隔てられていた。
15cmの壁に隔てられているヨシオを起こしたというのは、その音は推して知るべしだ。
全国ツアーに一緒に行ったタイチ君にも言われた事がある。
ホテルの部屋が一緒の時はそんな苦労をかけていた。
兎に角、恥ずかしい。あまり人とは寝泊まりしたくないもんだ。


僕は、僕がうるさい時間帯には完全に夢の中だから、その凄まじいと言われる音を知らない。
一番近いところで聞いている筈の僕が知らないのさ。
その僕の知らないところで評判を得ている。
ただ、その音は聞けなくても、
その音が頭蓋骨を震わし刺激を夜通し与え続けるため、
今朝のような鈍痛に、度々悩まされる訳だ。
まるで、悪さをした孫悟空が三蔵法師に冠を締められて罰を受けるような話だ。


今朝は起きてから2時間ほどして家を出て、30分ほど電車に乗って遊園地に行った。
(遊園地はお仕事で行った訳ス。2007年僕はチョクチョク遊園地に行く事になるだろう)
しかし、その鈍痛のお陰で、
起きて、風呂に入って、出掛け、
という一連の行動がイマイチ記憶に残っていない。
頭痛は遊園地でキャラメルマキアートを飲む頃にようやく引いたが、
どうも、ひどい頭痛だったらしい、
記憶まで壊すとは。


それにしても今日という日も、アッと言う間だったなぁ。
観覧車で一周して、フゥ〜っと息をつけば日が暮れた。
待ってくれよ、もう少し、待ってくれよ。
どうしてそんなにせかすんだよ、
頼むから、もう少し一日と言う実感を手のひらに乗せてくれ。
と思いながら、夕陽を虚空につかむ。
ツブヤキ工場の阿倉さんが言ってた通り、
夕陽を触るとヒンヤリしている。
ヒンヤリ、ヒンヤリ、
今度は夜の風が背中を押して来た。


「そろそろ帰ろうか」


と思った帰り道、今度は激しい腹痛に襲われた。
遊園地のトイレは混んでいた。
ここでトイレに入るのは諦めざるを得なかった。
今度は腹痛に耐えながらの帰り道。
朝は頭痛に耐えながらの行き道。
進も戻るも、何かと痛みに耐えた一日だったなぁ。
   

ナンマンダムッ、ナンマンダブッ…。 2007/01/04
作業をしてたら、あぁ、もうすぐ5時になりそうさ。
何かといぢくって、時間を費やしてはいるものの、
なかなか作業がはかどってくれない。
何事も初歩は大変且つ大切な事。
精進、精進…。
ナンマンダムッ、ナンマンダブッ…。


今日、気が付いてみれば一本の電話と、
金魚に「メシやぞ〜、ほれ喰え、ほれ喰え」と話しかけたのと、
レジの女の子に「箸は結構です」と言っただけ、
あとは何も言葉を発していない。
ナンマンダムッ、ナンマンダブッ…。


何だか正月を迎えてから、極端に人と話していない気がする。
これが怖いよなぁ。
ナンマンダムッ、ナンマンダブッ…。


独り言はさんざん打つよ。
「何やこれ!」とか、
「アカン、またや」とか、
「何でやぁ〜、おかしいやろ」とか、
「わかったよ、やりなおしゃええんやろ」など、
全てはパソコンに向けて発せられている独り言。


あまり気にして来なかったけれど、
こんな風に言葉を極端に発しない日がチョロチョロ続くと、
矢張り精神的に塞いで来るから良くないなぁと思う。


ふっとした息抜きに、ドーナツをかじりながらテレビを見ていると、
普段なら面白くても笑うほどじゃないなぁと思うようなギャグにも、
声を出して笑ってしまう。


そして、こんな風に部屋に缶詰になっていると、
一日があっと言う間に西の空に帰っていってしまうのだ。
これが一番、嫌だ。
まだまだ、今日を目一杯に過ごしたいのに、
一日一日は早く行き過ぎる。
これを考えると「思い立ったが吉日」なんて言葉は本当だなぁと思うし、
やりたい事が思い付くうちに出来るだけ試してみないといけないなぁと思う。
僕はきっと、今日という時間に対して人より執着があるのかもしれない。
だから、夜遅くまで起きて何かをしようとする、
「明日やればいいか」という前向きな踏ん切りは、
夜中4時を回らないと出て来ない。


今、もう既に朝5時を回り、僕の踏ん切りはこの慕夜記を書けばつくまでとなった。
明日は久々に人と話す。
しかも遊園地、
それは観覧車の中。

あぁ、楽しみ。
時は刻一刻と進んでいる。
「たまには怠けてくれ」
時計をねぎらう言葉だ。
さぁ、僕は寝るぞ。
今日も一日、有り難うございました。
大変、楽しい一日でした。
ナンマンダムッ、ナンマンダブッ…。


   

泣かないで一人で 微笑んで見つめて 2007/01/03
この年始で気付いたのは、いっつも思い出そうとすると出て来ない人の名前、チェ・ホンマン。
大晦日にビデオに録画しておいた格闘技番組を見ていたら、2mを超える怪人、チェ・ホンマンが登場したが、矢張り名前が出て来ない。
「字幕スーパーが出る前に、名前を絶対に思い出してみせる」
と思うのだが、結局“チェ・ホンマン”の名を字幕スーパーで確認するという、
これは何というべきか、記憶の欠落しやすいスポットとでも言いうべきか、
ここ2ヶ月くらいは、チェ・ホンマンの名を、
確認しても、
確認しても、
思い出せない。


今日は夕飯にパスタを茹でて食べた。
その後、韓国は釜山で買った、釜山限定のスターバックスのタンブラーに紅茶を入れた。
ベッドにもたれて足のツボを押しながら紅茶を飲んでいた。
足ツボを押す木製の棒があるのだが、これも釜山で買ったやつ。
意外に韓国の物にお世話になっている事に気が付いた。
そしてボケーッと本棚を眺めていたら、手帳が挟まっていたので、
それを手に取り、矢張りボケーッと見ていた。
中には全国ツアー中の手記、
3rd singleの『右手の旅』や『愛やよ』などの歌詞の構想、
インドを旅行した時の日記と、
釜山に遊びに行った時の日記などが書かれていた。



釜山に行ったのは2006年の3月の頭、
日記の大半は、どこそこのナッチポッキムが美味しかったとか、冷麺が美味しかったとか、
食べ物の事ばかり。
特に釜山の果物に感激していて、
屋台で売っているイチゴが甘くて大きい事や、
“ICE BERRY"という名前の店で食べたアイスクリームの美味しさについて書いてあった。


日記というのは写真よりも当時の事、現地の事をよく伝えてくれる。
実際、写真になりにくい思い出が多いもので、
入った銭湯の温度が異常に熱くて驚いた事や、
夜のBARのカウンターにいた“スージョン”という女の子と話が盛り上がり、
博多に出張しているというスージョンの彼氏と、何故か電話で話した事など、
あぁ、そう言えばっというような事が書かれていて面白い。
その他には、韓国語を調べようと本屋に立ち寄って、
韓国の人が日本語を勉強する為のポケット辞典みたいなものを読んだ事が書いてあった。
そして、その日本語辞典の中にあった幾つかの気になった例文を、僕は御丁寧に日記に書き留めていた。


例文1:命令文を学ぼう
『そんなに日常生活が退屈なら、銭湯にでも行け!』


例文2:「〜かろう」の活用をしてみよう
『まさか、私の頭まで悪いわけがなかろう』


例文3:『泣かないで 一人で  微笑んで 見つめて。あなたの 側にいるから』


など、日本では馴染みのうすい言葉や例文が沢山あった。
きっとこの辞典で勉強して日本にくる韓国の人は困っただろうなぁ。


釜山の地下鉄に乗った時の驚きなども書いてあった。
座席には、兎に角座れるだけギューギューお尻をねじ込んで座る事や、
車内で突然、薬を売り始めるオジさん。
オジさんんは大きな声で商品の説明をして、車内を回るのだけれど、
もう一つ驚いたのは、誰も買う気がなく、割と冷淡にそのオジさんを見ている事だった。
僕の日記の中では、そのオジさんがちゃんと生活して行けるのか結構心配していた。


さて、そんなどうでもいいような事が書かれている中、
釜山滞在2日目の日記の終わりに、更にどうでもいい記述を見つけた。
『釜山に来て、どうしても思い出せなかった名前、
イ・スンヨプとデル・ピエーロ。
あと、でかい韓国人のK-1選手の名前がどうしても思い出せない。』


はい、それはチェ・ホンマンです。
僕が“チェ・ホンマン”の名を思い出せない傾向は、何も年末に始まった事ではなかったんだという事も、
日記によって知る事になった。


日記とは、随分後になって、とても有り難いものになるんだなぁと思った。
   

岐阜と腰痛とワタシ 2007/01/02
今日は朝起きて、暫くウットリ布団の中でグズって、
グズって、グズってから、
やっと仕事に取りかかりました。

今日は床に座って作業をしてみようと、
パソコンを小机に移動して作業をしていたのですが、
集中してギターの録音をしていると、
だんだん腰が痛くなって、それは仕事以上の重荷になりました。
僕は高校の時、謎の腰の病気になり、病院に通った事があります。
「腰が痒いなぁ」
と思って、或る日、鏡に自分の背中を映したら、
腰の辺りに紫色のアザが出来ていて、ボツボツと腫れ上がっていました。
「きゃー!」
と悲鳴を上げたくなるようなアザが出来る病気でした。
何度か病院に来いと言われたのですが、
薬を飲んだら三日で腫れが引いたので、
病院に行くのが面倒臭くなり、病気も完治した雰囲気があったので、
予約検診をスッポかして、通院をやめてしまいました。
当時、同じクラスの女の子のお姉さんがそこの病院の看護婦さんをやっていて、
僕が通院を止めてしまった事について、病院の先生が、
「アイツは将来、必ず腰痛に悩まされるであろう」
とボヤいてたよ、と教えてくれました。
十何年を経た今、
あの当時、医者が“将来”と言っていた年齢に、恐らく僕は差し掛かっています。
最近は、腰が痛くなる度に、その医者の予言を思い出してしまいます。

さて、腰痛に耐えながらの仕事は続き、
昼を過ぎ、夕刻にさしかかる頃、
家の電話が鳴ったので出てみると、実家からでした。
「晶君、何しとった?」
母親が何だか楽しげに言うので、
「ほん、仕事しとったよ」
と答えると、母親は何の脈略もなしに、
「ほんじゃぁ、替わるね」
と言いました。
何?突然、と思いましたが、
考えてみれば、年が明けてから実家に挨拶の電話をしていなかった事を思い出し、
それなら家族とそれぞれ新年の挨拶でもするのかなぁと思って、次に出る家人を待っていたら、
「晶君、何しとんの?」
出たのは友達でした。

あの…、同郷の友達二人なんですが、
二人とも東京に住んでいて、普段からよく飯を喰ったり遊んでいるんですね。
だから、懐かしい友人が正月に実家に僕を訪ねてくれたのとは訳が違うんです。
それに、彼等が正月に岐阜へ帰る事を僕は知っていたし、
僕が正月に仕事で帰省できない事も、彼等は知ってたんです。
僕が実家にいない事を知っていてアイツらは僕の実家に行った訳です。
「晶君が帰らへんなら、俺が帰ったるわ」
と冗談のように話していた事を、彼等は本当に実行した訳です。
電話で友達の声を聞いた瞬間、
「やられたぁ」
と思いました。

今はインターネット電話という便利な物がありまして、
僕の家と実家との距離約600kmをつないで、
実家でくつろぐ友人二人と、何故かインターネットの映像電話で話しました。
友達と実家の居間、
両方とも見慣れたものなのですが、
二つが重なった風景は、妙な違和感がありました。
そして向こうは5人で話していて、
僕は一人、パソコンの画面に向かって語りかけるのです。
妙な気分。
それは、何と言うか、
自分も帰りたいなぁ、と寂しくなるんじゃなくて、
俺の代わりにアイツらが帰ったわ、という安堵感に近い思いを持つ出来事でした。
でも、あまりにビックリしたのと、
ここ二日間、一人で作業をして、ほぼ無言でいたので、
うまく会話が出来なくて困りました。

でも、こんなイレギュラーをやらかしてくれる友達と、
そんなイレギュラーをすっかり楽しんでいる家族を持って、
僕は本当に幸せです。

「まぁ、この人らが帰って来たで、アンタは帰って来んでもええわ。ヒー、ヒャ、ヒャ、ヒャ」
実に楽しそうな父親が、そう言っておられました。

正月って、な〜にっ? 2007/01/01
みなさん、新年明けましておめでとうございます。

先ほど、紅茶を入れてホット元旦を過ごしています。
元旦に一人って、何だかかわり映えがしなくて寂しいなぁ。
友達に会いに行こうにも、誘える友達のだいたいは帰省中ときている。
じゃあ、僕は何故帰省しないんだ。
そうだ、仕事をするからだ。
…そうか、仕事をしよう。
…ハァァ。
…でも、何か気乗りしないなぁ、今日は。
身体がグズついて仕方が無い。
いや、しかし。これ、しかし。怒るで、しかし。
賞味の話が、
新年早々、初日からこんなんでいいだろうか?
新年、元旦こそタラッタラに自堕落に過ごすべきなのかな?
まぁ、いいや。

昨夜(と言うか今朝)の慕夜記を読み返し、自分の思考がアメージングゾーンに入っているのに驚いた。
酔いと眠気の板挟みにあい、
それこそ1秒でも考え込めば、クラッと眠りのノックを突いてしまう。
何度も何度も意識を異次元へ飛ばしながら、残り少ない体力で必死に書いた雰囲気が、
文章の端々によく出ている。

僕は今朝、何とか慕夜記を書き上げると、
一瞬にして意識を失い、眠ってしまった。
つまり、風呂にも入れなかった。

幾らかの時間が経って、目を覚ますと、
去年の臭いを身体に付けたままで眠ってしまった事を後悔した。
自分の身体を臭ってみると、ヤサグレた臭いがする。
酒と煙草と夜の、ヤサグレた臭いがする。
新年、これではいかん。
さっそくアッチアチの風呂を入れ、
ざぶんっと湯船に身を投じた。
僕は汗かきであるから、風呂に入るとすぐに大量の発汗をする。
「だっはぁ〜」
目を閉じ、身体の疲れを湯に浮かべた。
次から次へと流れ落ちる汗。
昨夜のアルコールとニコチンの臭いがする。
この二種類を昨夜は大量に摂取してしまったから、
この風呂は長く入って、丹念に汗をかいた。
お陰でスッキリ。
風呂から上がると、身体の芯がグツグツ温まっている。
その身体に何枚かの服を着せ、
すぐに、僕は自転車に乗った。

駅前の本屋さんが営業をしているので驚いた。
その店にも、松屋にも、
意外に人が活発にいるので、それも驚いた。
都会の新年には、僕のようにいつもと変わらないテンションで迎えているヤモメ達が、
意外に多い。

それは温かくもあり、寂しくもある。
あの人達、みんなで集まったら、面白い正月になりそうだ。


2007年 元旦

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