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通舞夜気(ツブヤキ)工場の人々 2002/12/07
 黄昏時、愁色の工場が存在した。その出入り口に、仕事を終えた男達が煙草と缶ジュースを持って集まっている。灰色のつなぎは油で汚れて染み付いた臭いも個々様々に、多少の疲れも一日身体を動かした爽快感になっているようだ。こう云う時の男達は実に楽しそうな顔を持ち寄っている。その彼等が車座になり愉し気に覗き込んでいる興味が何なのか知る為に、その会話にそっと近付いて聞き耳を立ててみよう。

A :「右っ!いやいや、左っ!」
全員:「あぁ〜」【半信半疑】
B :「…それはないでしょう」
全員:「ねぇ〜」【納得】
A :「……」【不満】

C :「で、これ誰のですか?」
A :「…!僕っ!いやいや、彼のっ!」
C :「そうなんですか?」
D :「…いっ、いえ。違います」
A :「あれっ、そうだっけ?」
全員:「……」【不満】
B :「それにしても、いいもんですね〜」

全員:ガヤガヤ、ガヤガヤ、バラバラに感想をぼやく事しばらく。

C :「さぁ、もうそろそろいいでしょう」
全員:「はい!」【納得】
C :「じゃぁ、動かしますか!」
全員:「はい!」【満足】

全員:「……」【動揺】
全員:見つめたまま固まる事しばらく。

B :「えっ?どっち?」
全員:ガヤガヤ、ガヤガヤ、バラバラの方向を主張する事しばらく。

A :「だから!右っ!…いやっ?いや、左っ!」
全員:「あぁー」【ホッと納得】
A :「いやっ!み〜ぎっ!」
全員:「あぁ…?」【半信半疑】
A :「あれっ、やっぱ左かな?」
全員:「はぁ……?」【更なる半信半疑】
A :「……」【不満】

全員:「はぁ〜」【納得】

 ここで彼等の共通の興味は解けて、思い思いの方角へ四散していく。彼等が何をイヂッていたのかは結局、見えなかった。でもここは工場なんだから、彼等は毎日何かを生産している事には違いない。きっと、その生産した何かを見て、彼等はあんなに愉しそうに話していたんだ。
 これこそが物を作る・生産する。或いは無を有機体に変える過程なんだろうと僕はやっと納得したのだった。

たまには言いたい。 2002/12/01
 こんなに寒い季節になってるのに、電車だけは暑いでしょ?熱いって書いた方が適切かもしれん。人はさ、気温に合わせて厚着になるでしょ、それを知ってか知らずか電車の中は満員でもバンバン暖房を焚いてくれる。熱くてたまらんよ。それでしたたかに汗をかいて、面倒だけど上着を一枚脱いで(満員だったら脱ぐ事も困難よ)、ベトベト湿気から下車したら、また羽織って、またしても寒い。こりゃたまらん。これが過剰じゃないなんて言わせないぞぉ。サービスが過剰であーる。
 最近どこかの県では、男女共学の高校を増やせと、主婦達がやっきになってるらしい。そこの県では進学校に男子校・女子校が多いとさ。どうやら彼女達はこの男女平等の世の中で、男子・女子と分けるのは時代に逆行すると言いたいらしい。それに反意を唱えるのが何とその男子校・女子校に通う生徒達だそうな。共学イコール男女平等って云う理屈がイマイチ解らないし、今現在通ってる生徒達が勉強し易いと言ってるんだから、現場を知らない方の主婦達が過剰に訴えているとしか感じれないね。暇にまかせて考えが過剰であーる。
 ささやかな、ささやかな、世の中への疑問であーる。反発だと言ってもいい。これを理屈っぽいと言われたらば、立つ瀬、猫背もなしであーる。
 僕は思うよ、サービスの過剰さが文明を育てたんだからね、受け入れるべきだって。魚の骨を抜いて売った方が従来の骨が付いている魚より売れる世の中だもの。テレビもクーラーも掃除機も受け入れたじゃない、それと変わらないね。でも変だよね、たまには言いたくなるよ、何もかも無意識で受け入れたら地球のしくみを忘れちゃうって!
 テレビで骨無しの魚を食べたアナウンサーが「あぁ、美味しいですよ、普通の魚と変わらない」って言った。そりゃそうだ、味は変わらないだろうさ。それが問題じゃない。更にその魚がコメンテーターに勧められ「嫌だ!絶対食べない!そんなもの、気持ち悪い!」普段あまり共感できないコメンテーターだが、僕は少し彼が好きになった。

 「便利」では片付けられないシクミが大切やん。「道徳倫理」で片付けられないシクミがあるやん!「便利」「道徳」の反対側にいつも「工夫」「個性」「発見」「発想」と云うシクミがあると思うのさ。そのシクミを知ってればもっと人は無邪気でいられる。
 このまま世の中の「便利」と「道徳」が発達したら、そのうちイヤラシイ・卑猥を理由に体外受精を立法されてしまうよ。
 憲法5678条、人は男女の境なく平等に作業を分担し子を創らなければならない。
 どちらか一方が上になる、または一方が腹を痛める事は男女同権の意義に反し、決してあってはならない。
 男女とも共存の倫理に基づき仲良く試験管にて子を産む事が、平等の定義である。

 いかにも仰々しい言葉の羅列で世の中が浮き足立ったら、子供が「お父さん、お母さん、僕はどこから生れてきたの?」何て聞かれちゃう。今の時代じゃ返答に困る質問でも、こうなったら困らない「試験管からだよ」って答えれば恥ずかしくないもんね。お母さんは更に付け加えるよ、「もぅ、どうしてお父さんから先に呼んだの、昨日はお父さんから呼ぶ日だったから今日はお母さん、お父さん、って呼ばなきゃ駄目でしょ」
 すごーい平等な世の中になるね。

 *これは僕の過剰な意見でした。人を中傷するつもりはわずかにあるだけで、おおむね悲観せず前を見て歩こうと云う意識で書いています。御配慮賜りますようお願い申し上げ奉ります。

早く来い。 2002/12/01
 こんな季節だから気付くのか、僕は花の名前と云う奴を殆んど知らない。オーソドックスなものはさすがに分かる。でも、どこか喫茶店や料理屋でポンと飾られている花瓶に活けた花は八割五分名前を言い当てれない。僕は花に対する思いが希薄なのだろうか。好きな花…。
 蓮華が好きね。収穫が終わった田圃に蓮華が一面に咲いているでしょう、あれ見るのが好きね。何か農家の人達の明るい一面を感じる。薄紫の四角い湖みたいで、粋だねぇって言いたくなる。
 木蓮は大好きね。これは単純に僕の実家の庭のど真ん中にボコッと立っているからだ。まぁ、綺麗・可憐という言葉からは程遠い花ではある。花が咲いても丸い豚マンがくっ付いたみたいでちっとも綺麗じゃない。花が散る時も、風に乗ってソヨソヨなんて可憐な感じはない、ボトボト茶色に枯れかかった花弁が音をたてて垂直に落ちる。葉も同様だ。でも、大好きなんだな。
 見てて不器用な花だなぁって思う、そこだよね木蓮が好きな理由。確か、実家の木蓮の樹齢は僕の年齢と一緒だったような気がする。僕のデコボコな成長と共に不器用に花をつけてきた木蓮には、人に言えない事を打ち明ける事もあった。高校の時、よく学校をサボって家で本を読んだり、詩や小説まがいなものを書いていたりしてた。で、その僕の部屋の窓から見える木蓮は、当時唯一の友達だったわけだ。何をやっても鼻詰まりな僕に親近感をくれる花なんだ。僕の考える事はだいたい分かるんじゃないかな、それぐらいにして頻繁に眺めてきた木なのね。
 こんな事考えていると、不粋なアタクシも少し春が待ち遠しい。春よ来い、早く来い。早く暖かくなれ…。をぉお、春で思い出した、桜も好きや、あっ梅も好きや。何や、結構花を見てるやんっ。結構、俺、花が好きやんっ。

覚えたて、使いたて。 2002/11/27
 いつもの鏡に誰がいる…。あっ、こいつはいつもの奴だ!今日こそ言ってやろう。恥ずかしげも無く、思いっきり大きな声で、踏ん張って!いくぞっ!

 「Have more guts!」

 覚えたて、使いたての巻、その一でした。

無題 2002/11/21
 ここ最近は日が暮れるのが早いでしょ、それが切ない。三時頃にふっと喫茶店に入って、ミルク入れて砂糖をかき混ぜたら、もう辺りは暗くなってしまう。そっから何かしようなんて思えないくらい閉店モードだよね。とっても切ない。
 でもこの夕暮れの切なさは大好きなのです。昨日の下北沢440のライブでも話したけど、「懐かしくも悲しい場所、それでいて愛おしい場所」なのです。みんなもきっとあるでしょう?
 高校の時は自転車通学だった。そして家に帰る最後の上り坂が、これまた長いきつい坂だったのです。大概の日は自転車をこいで登ったんですが、登る力のないやる気のない日は自転車を引きながら、その坂から見える180度の夕焼けに、ホロホロと肩を落として涙ながらに帰っていました。悲しいんじゃなくて感動な気持ち。うわっと広がる愁色と黄色の光線に打たれて、胸がキュンと詰まってしまう感覚。恋に似てるね。
 その頃、初恋の子の誕生日に、プレゼントを渡そうと思って待ち合わせた事がありました。春です。僕等の地域は桜が綺麗で、川沿いに桜並木が続いて待ち合わせのお寺まで桜吹雪が眼に入る道でした。お寺の境内にまた太い桜の古木があって、そこで話していました。その頃の僕の話題は痩せていて、色々用意していた言葉を言うものの初恋の子の前にことごとく失速して心に届かなかったのです。そんな舞い上がった時間が終わろうとした時、好きな場所の話題になって僕は「夕焼けがとっても好きだ」と言ったんです。僕にとってあの雄大な景色は万人を惹き付けるものだと思っていたから、当然彼女も同調するだろうと、物思いの遠くを見る目で渋く彼女を見たのです。そしたら、答えは「私は嫌いだなぁ」でした。「あぁ、」と言って精一杯。
 僕はそこで気付きました。万人を惹き付けてしまうだろうと思っていたあの絶大な夕陽でさえ、彼女を魅了できなかったのだから、夕陽に付き従うような毎日の僕なんかが彼女を振り向かす事は無理なんじゃないかと。
 その後、何度か彼女にはぶつかって行ったものの矢張り初恋は儚く桜と共に散っていったのでした。
 懐かしくも切ない、それでいて愛おしい夕陽、と初恋の記憶、でした。

「中村紀洋、打てヨゥ…」 バッシャー! 2002/11/13
 ここんとこ、慕夜記にぼやく事から遠のいていた。何しろ徐々にではあるがこのヤマプチを取り巻く環境が変わりつつあるのだから。以前よりは新しい情報を耳にする生活になったというか、俺は基本的に不器用であるから新しい情報や、新しい物事に向き合うときは、まったく頭が空っぽになってしまう。
 だからよく忘れ物をする。こないだも見事に中華料理屋に鞄を忘れて帰ってきた。忘れ物に気付くまでに二時間かかった。その次は近所の定食屋に帽子を忘れた。
 今日なんか、やっぱり初めて入った近所の中華料理店で飯を喰ってたのよ。中華丼の肉が蝦になっただけの「えび丼」ってのを食べたんやけど、あんかけの片栗粉が固まってる部分があってよ、蝦よりもそっちの食感と味の無さの方が明らかにメインやないのかっていう「片栗丼」やった。
 事のついでに言わせて欲しい、俺に、片栗粉を使わせたら並大抵のとろみでは片付けれないほどの絶妙な柔らかさを出すよ。俺に麻婆豆腐作らせてごらんよ、本当に、いっぺん作らせてごらんなさいよ、滅茶苦茶よ。それこそ滅茶苦茶に片栗で酔わす事ができるね。まぁ、ヤマプチの手料理を食べたい方は、奮って御応募下さい。俺、作るよ。ただーっ、ご招待するのはなるべく女性に限りたいと思います。自分で妙齢の美人と言い切れるような容姿端麗な方なら、尚嬉しひ。この際、月下美人が貴女を見て、恥ずかしさのあまり、その花弁を涙と共に落としたという経歴をお持ちの方に限らせて頂きます。
 …何の話やっ!結局、何が言いたいのかと言いますと、その中華屋でお冷をね、お水をさ飲もうとしたのです。その時にテレビジョンが日米野球を流しておりまして、「中村紀洋打てよぅ」って思ってたら、コップがまだ口に到達してないのに、自分の見込みで届いていると思い込んでコップを傾けてしまい、水はバッシャーっと机の上にね。
 誰かヤマプチに御慈悲を下さいませ。

カワキモノ、これ即ち芸人! 2002/11/03
 酔いの徒然、宵の徒然。ギター7台と畳んでない洗濯物に埋もれてヤマプチは想う。
 人生を酔わす酒は皆さんお持ちだろう。そいつは夢かい?そいつは伴侶かい?仕事かい?家庭かい?希望かい?まぁ、地球上に48億人はいるであろう人間に各々種々様々の酒があるじゃろう。めでたい!たんと飲みな。
 俺にとっちゃぁ唄さ。そうよ、みんなの前でさ、阿呆みたいに汗流したり、夢中で声をしぼり出したり、緊張したりしている唄さ。
 だけどさぁ、聴く人にとっちゃぁ唄はどこまで行ってもカワキモノなんだ なぁ。
 みんなの今日の酒を、旨くする為のカワキモノなんだ。
 酒は或る程度の好みがみんな決まってるだろう。けど、カワキモノはこれと決まったものはない。要はその日の気分でしょう。俺は今日好みのウオッカのつまみにチーカマ食べたぜぃ。でも定番じゃない。
 貴女が、貴方が、人生を酔わす酒を飲む。好きな娘ができた?失恋した?騒ぎたい?泣きたい?
 そんな時に、ヤマプチの「ヨダカの星」が聴きたいぜっ、とか「檸檬」が聴きたいのよっ、とか想ってくれたら最高だ。何たって、俺等唄う人はカワキモノ、芸人やから。
 雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ。
 丈夫ナ身体ヲ持チ、
 欲ハ無ク、決シテ怒ラズ。
 イツモ静カニ笑ッテイル。
 東西南北、恋スル人ガアレバ、
 行ッテ唄ヒ。
 皆カラ御気楽者ト呼バレ、
 金ニモナラズ、家庭モ持テズ、
 ソウ云フ者ニ、私ハナリタヒ。

順風満帆 2002/10/22
 僕は自分の身体を犠牲にして煙草を吸う。どんな苦しみの中でも、煙草を吸えば小さな自由を手にする事ができる。ただそれだけの為だ。視界に流れる現実と僕の心を切り離す、安定したリズムの儚い自由。そいつに我が肺を切り売りして、取引きしているわけだ。喫煙しないひとには到底理解できない理屈だろう。
 僕は今まで、そうやって自由を得るものだと考えてきたんじゃないかと思う。払った代償の大きさで、自由度が決まっていくものだと。
 人々には常に、夢・希望・妄想といった自由へのアイデアがまとわり付いている。そして自分が払える分の代償で、得られる夢を叶える。何て面白くもない重要な話。
 「俺は世界中を旅して暮らす」と言った友がいた。「やろうぜ」と僕は応えた。時が経ち、友は「安定した生活を捨ててまで、得たい夢ではない」と訂正した。僕はその夢を犠牲にする方がよっぽど辛い代償だと思っていた。でも彼が切り売る事ができるのは「夢」で、安定した生活ではなかった。結局彼にはそっちの自由のほうが性に合っていたんだ。僕は僕を理解できない不喫煙者の様に、彼を理解しなかった。いつもその価値観の差で社会と接する方法を見ている。僕は「無責任」という言葉を背負わされる。僕が払うべき代償だから、今更気にもしない。
 僕が自由の為に払って来た代償ってなんだろう?
・言いたい事を言い放つ自由の為に、ある程度批判される代償を払った。
・信じてくれる人を得る自由の為に、言いたい事は言わない代償を払った。
・唄う為に・・・。
・人を抱きたい為に・・・。
・見たいテレビの為に・・・。
・お金の為に・・・。
・笑う為に・・・。
・怒る為に・・・。
・人の為に・・・。
・僕の為に・・・。
・死ぬ為に・・・。
・知りたいが為に・・・。
・自由の為に・・・。

 全てが代償の元に成り立っている。本当に面白くもない重要な話。もしも明日、急遽死ぬ事になってしまったら、僕は「自由に生きて来れた」とあなたに言うだろうか?「犠牲ばかり払い続けて、結局得た自由が死だ」なんてあなたに言い残さないだろうか?むなくそ悪い重要な話だ。
 満足感と物足りなさ?帯に短し、たすきに長し?風が吹けば、桶屋は儲かるのか?少年老い易く、ガクッとなり易し?好きこそ物の上手?占い?運命?奇跡?確信?
 もしあなたが急遽、明日死ぬ事になったのなら、僕にどんな言葉を言い残してくれるつもりなの?

躁鬱、うつ、そう。 2002/10/21
 ここ2週間ばかり、僕には珍しく気分がハイな所謂「躁」の状態にあった。やること全て、見るもの全てに愛情を持ってしまう状態で、こんな時は電車に乗っていても簡単に「あの人キレイな・・・」と思ってしまう。ことわっておくが通常の僕は無闇矢鱈には惚れない型で出来ている。テレビを見ていても、普段は女優さんとかにイチャモンをつけては「かわいくない」を連発している僕が、この「躁」に入ると反転してしまう。惚れる。「何とかこの女優さんと知り合う術はないものか・・・」と悩んでしまうのだ。自分でもこの自制の無さに危機感を持つ事さえある。でも気分は至って幸せなのだ。
 しかし、ここ三日くらいはグッと気分を悪くしている。ここまで自分と付き合っていると、原因くらいは直ぐに解る。つまり雨だ。僕はジトジトした雨に著しく体調を左右されてしまう。すると所謂「鬱」が忍び寄って来る。これに入るとなかなか出られないから心配である。あぁ、早く雨よ上がってくれぃ。
 偏屈な奴だと思う人もいるだろうが、僕はそんな自分と付き合わなくてはならない、幸せ者だ。

雨上がり、よく遊ぶ。 2002/10/03
 今日はリハーサルだ。何回も言ってるが8日のイベント「Boy meets Girls」のリハーサルで、雄一君とユリちゃんと三人でスタコラ練習に励んだ。ユリちゃんにチヨコレイトを一つ貰ったから「マシタ」とお礼をしたら少し喜んでもらえた。「マシタ」とは韓国語で「美味しい」の意味であ〜る。勿論僕は韓国語が大変に詳しくも何ともない。ユリちゃんが驚くのも納得のリアクションなのだから。久々にエェ男をやっちまったかな〜って見栄を張って照れるやまプチ、実に格好ヨロシクない。
 そして、今は何故かフリップサイドに御邪魔して、パソコンをお借りして、皆様お仕事中のところshockwaveのZooKeeperなるオンラインゲームでピコピコ。不謹慎極まりないと思い、今慕夜記にアクセス。なんて事ない慕夜記に、今日は気分がいい。実に笑える一日。これからBigMouthに戻って、雄一君のステージ見に行ってきます。ほんじゃ。

台風一過 2002/10/02
 今日は戦後最大のタイフーンが東京に来た。なかなかの暴れん坊じゃなぁと感心した。僕は好きなんだよなぁ、台風が。まぁ勿論、風の音に大興奮するということもそうなんだけど、何と言っても台風一過、直後の夜なのだ。
 これを読まれた関東在住の諸君の中に、この日の夜空を見上げた人はきっと多いと信じたいが、僕は見た。普段くすんで見える東京の夜空を、戦後最大の掃除機が空のくすみを掃除して行ったのだ。
 満天の星空で天の川とは行かないが、清んだ夜空だった。僕は今までに二回、こう云う台風一過の星空を見たことがある。
 その中の一度目の星空のお話。

 中国の北載河と云う海の町。僕と友達は旅行で、丁度今くらいの季節に訪れたんだった。北京から確か八時間、満員のバスの補助席に揺られて着いた、都会の静養地みたいな海辺の町。その中の一日、矢張り昼から夕方にかけて強い風が吹いて海が少し荒れた、冷たい風が吹いていたけど夜には晴れた。辺りが暗くなって僕はその当時の彼女とね近くの大衆食堂に入った。別行動の友達よりも大きな蟹を食べる事が目標だった。その食堂で「デッカイ蟹を食べたい」って云うような事を言った気がする、家族経営の食堂で、無愛想なオヤジさんがどっかの港にバイクで出掛けていって、わざわざ僕らの我が侭の為に大きな蟹を仕入れて来てくれた事は、はっきり覚えている。オヤジさんよりは少し愛想のあるオカミさんが出してくれた蟹を食べた後、街灯も少なく、少し湿った暗い路地にでた。
 妙に静かだなぁと思った。もう少し波の音がしていいくらい海岸に近い場所にいる筈だった。僕と彼女は妙な予感を海に感じて、海岸まで遠回りで寄ってからホテルに帰る事にして道を折れた。
 その道は狭くて真っ暗な浜辺までの一本道。まったく何も見えない。僕はふっと灯りを求めて見上げた。そうしたら木の葉の間にたわわに実った星空を発見して、思わず「あっ!」と声を上げた。彼女は直ぐに何に驚いたかは気付いたけど、彼女の立ってる場所からは木が邪魔をして、幸いまだその空は見てはいなかった。僕は彼女に眼を閉じさせて、砂浜の広い空と海まで僕が手を引いて行き、彼女は一気に360度の空と無数の星を身体に浴びてもらう事にした。こんな事書くとガラにもなく色気だしやがってと思われる人がいるかもしれないが、実際は、目を閉じた彼女は僕に誘導を任せているけど、任された僕は目を開けているのに何も見えないから、コツコツ障害物にぶつかりながら腰が引けた、みっともないロマンチストだった。
 そして静かな海と星空、未来へ少し動き始めたその当時の僕と彼女の心が、僕の唄の「ヨダカの星」の舞台につながっていく。出来すぎた話と感じられるかもしれないが、実際の話なんです。
 ムフフッ、こんな感じで台風一過の星空に僕は何かと思い出が多いんだよ。もう一つは少し笑える話なんだけど、それはまた今度。いや〜天の川って、本当にいいもんですね。それでは、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。(淀川さんと水野ハルオを足して締めてみました)

JEALOUS GUY 2002/09/30
1.10月9日はJohn Lenonの誕生日だって。僕は特別なフアンではないから、人伝えに聞いた情報だ。
2.僕は英語が堪能ではない。高校の英語の授業で毎回出される英単語テストに、知り得る限りの戦国武将・三国志の武将の名前を書き続けてたくらい得意ではない。
 この二つの事実が、僕を「Jealous Guy」から遠去けていた。John LenonのCDは一枚だけ持っていた。それも中学の時にコンビニで買った1000円くらいのBEST盤だった。勿論、対訳は付いていなかったし、英語の歌詞もJohnの写真も付いていないシロモノだ。(この後フルネームで書くのが面倒だから、友達ではないがJohnと呼ばさせて頂く)が、その当時持っているCDの中ではよく聴いた部類に入る。そしてその曲目の中でも「Jealous Guy」は好きな曲の一つだった。が〜しかし、歌詞カードの付いてないこの曲に、僕の当時の英語力は「イヂらしい男の、イヂらしい恋の歌」っていう程度に感じ、勝手に陶酔していた。仕方のない事。
 そんな事は、今年10月8日に前回ボヤいた通り「BOYS MEETS GIRLS」というイベントに参加する。Johnの誕生日という事もあり、彼の曲をやろうという事になった。そこで遂に、何年ぶりかで「Jealous Guy」に再開を得る事になった。イベントについて詳しい事は言えないが、この曲は僕は歌わない、弾く。そして先日のリハーサルの時に初めて「Jealous Guy」の歌詞を渡されて、読むに至った訳である。
 シンプルだけど、こたえる詩だった。一読して即ぐ好きになった。参考までに1コーラスだけ歌詞を書こう。

I was dreamin' of the past
And my heart was beeting fast
I began to lose control
I began to lose control
I didn't mean to hurt you
I'm sorry that made you cry
Oh I didn't mean to hurt you
I'm just jealous guy

改めて歌詞を載せるまでもなく有名な曲なのかもしれない、が、しかし。
 僕は、ここまで無惨に、自分を恋や愛の前に投げ出した経験は、ごく少ない。ここまで素直に自分の痛みを女性に話した事はないかもしれない。でもこの曲に惹かれるという事は、僕も同様の想いをその女性に打ち明けたくて、でもうまく言えずに、そのまま想いを持ち続けて来た気がする。Johnがどういうつもりでこの曲を唄ったかは勿論知るよしもないから、僕の思い込みだが、でもここに共感している。
「Oh I didn't mean to hurt you」
「I'm just jealous guy」

Boys meets Girls 2002/09/22
 10/8に渋谷Eggsiteでイベントがありますのよん。誰が呼んだか『Boys meets Girls』と云ふタイトルにござ候。これは参加するアーティストが丁度女性二人、男二人(やまプチは男に所属)であるからして、おのおののステージとは別個で男女混声セッションしちゃうぞ、と云う企画に起因したタイトルなのであ〜る。「早い話が合コンだ」なんて申さるる何某やら、あり、おり、はべり、僕は胸踊り。
 ここで、おおはた雄一君ともセッションします。雄一君は男だから、イベントタイトルからは若干はみ出るんだがね、前座的ユニットであれば面白いぢゃないかと云うノリが御座ったのです。先日も一緒にやりたい曲を出してリハーサルなんぞしましたるところ、雄一君の色気あるギターの音色に、僕はギターを弾くのを忘れてしまうほどだったのです。これは面白い事になる胸騒ぎ。
 勿論、やまプチ自身のステージがありますので、通常の二倍はハツラツ・ハッスル・ハリキッテ唄うぞな。こう御期待!

〜Refrigerator〜冷蔵庫 2002/09/20
 例えば、僕ん家の冷蔵庫に腐りかかった卵があったって君は気にしないだろう。だからして僕ん家は平和だし、僕の周囲も平和なんだ。
 賞味期限を気にしない僕が、その卵を目玉焼きにして旨いと思わば、喰らって良いルールなんだ。もし腹を壊すような事になれば、その時初めて僕は君に理由を尋ねる。君は賞味期限を二ヶ月も過ぎたような卵は腐っていて、腹を著しく損傷するのだと答えてくれる。だからそれ以後の僕は賞味期限が一週間過ぎた食い物は喰らわなくする。そして、また平和が訪れる。

 しかし、ここにお節介な正義の味方が現れたら、このツマシイ平和は一夜にして崩壊してしまう。
 …つまり、その正義の味方は、僕ん家に押し掛けて来る。そして、
「やまプチ君!君は賞味期限という世界のルールを知らないからそんなひどい目に遭うのだ。だいたい、冷蔵庫自体が随分古いぢゃないか!これでは充分に君の好物は冷蔵されないのだ!やまプチ君、僕が君に最新式の冷蔵庫を献上しよう。君が貧しいのは知っている。君はそれで満足かもしれないが、世界にはもっと頼るべき幸せがあるのだ。だから君から冷蔵庫の代金を取るような事はしない。隣人は助けよ、だ。だから君も周囲の貧しい隣人達に、この正義の味方印の冷蔵庫を薦め、正義の輪を広めるのだ!タダでは君もツライだろうから、一台売れば、売価の20%は君の儲けにしていい。」
 僕は使い勝手の良い最先端の科学に飛びついてしまう。そして今までの内職より遥かに割りの良い冷蔵庫売りに奔走するようになる。それまで愛用してきた味のある冷蔵庫を汚いと必死に思い込み、自分で見積もってきたツマシイ生活も捨て、友を手にかけ利益をむさぼって、正義の味方を崇拝してしまう。「正義の味方さん、貴方のお陰で僕の生活は格段に便利になった。今は小金も持てて卵をケチる必要もない」
 平和なのか?

 世界平和の無理やりなカラクリは、きっとこんなだ。科学と文明が一番標的にし易いのは、宗教・信仰・考え方・感じ方、最も漠然とした生活感だ。土地土地に根付く宗教は、そこの風土があって成り立っているのに、科学や文明は暑さも寒さに変え、一日掛かりを半日掛りに変えてしまう。
 そうすると生活環境は世界一律化されてしまい、暑い土地で根付いた宗教の必然性は無くなってしまう。空虚を埋める為には文明の出どころに必然性を求めなきゃいけなくなる。そして正義を振り回した者のみが、どんどん肥えていく。こんな平和のカラクリ。
 動物園を道楽で始めた民族が、世界に動物園を作り、貧しい国の動物園の狭い檻を見て「虐待」だと叫ぶ。
 アフリカの象牙を狙う密猟ハンターの商売相手は一体誰なのか。
 近頃は、「正義・justice」という言葉をよく聞く。僕等はその言葉を疑って見なければならない時代に住んでいるんじゃないかって気がする。正義という言葉のもとでどれだけ失った個性があっただろう。愛する者の為に、愛されている者を傷付けた過去は、歴史の授業で年表の一番目立つトピックスになる。
 正義という言葉を吐く人がいる以上、地球上から悪は消せないし、平和を口にする人がいる以上、争いは地球の年表に連なっていくのだ。

 僕は使い古した愛用の冷蔵庫を取り戻し、買ってきた卵を保存した。このやまプチ御愛用の冷蔵庫に保存した卵の賞味期限は、やまプチ自身が熟知している。誰が何と責めようとも、僕とこの冷蔵庫との見積もりで卵料理の日程を決めるのだ。そして平和なんだ。

さらば、蚊! 2002/09/19
髭と爪は、どんな時でも伸びるもので。月日の中に伸ばした爪の長さなんか誰も顧みない。…それでこそ爪なのだから。
 でも今年の蚊は今年に死ぬ。痒いのを我慢して吸わせてあげた我がO型風味の血の甲斐もなく、床に音も立てずに落ちました。

 夏が本格的に終わろうとしています。僕の血は今もどうにか命を流しています。

 僕の一秒と、蚊の一秒は四次元な時間の差がある。僕にとってのひと夏は、蚊にとっては一生の重みを増すからだ。
 僕と蚊は、同じ世界で、違う次元を生きていた。そして夜に電気を消せば歩み寄り、互いを確認し、打たんと欲すればまた離れていく、絶妙なグルーブを編み上げて一夏と一生を創る。
 つまり、僕の時間と蚊の時間が共有できる場所は、この腕に赤く腫れた痒みという事になるなぁ。短くも長い痒みなのだ。
 僕の飽くなき煩悩と利己的傲慢さが、蚊と僕の時間を縮めてしまった。蚊が我が血を吸うならば、三日分くらい吸わせてやってから追っ払っても、僕には幾ばくの支障にもなりはしないのだから、罪を得る。蚊の何百倍もの時間をむさぼって、それでも1ミリの血をケチる。何と曖昧で脆弱な時間概念かと、眠り易くなった夜をベッドの中で、徒然に考えている。

慕夜記 2002/09/19
僕は日記なんて、一週間と続かない。だから日記なんて言わない方がいい。
 だけど、毎日ではないにしても結構なペースでボヤク事はある。その大半が夜にボヤク。夜を慕ってボヤいている。その、ちっとも役に立たない、脆弱なボヤキを掲載していこうとするのがこの『慕夜記』だ。
 この際、サブタイトルもつけてみよう『閑人之巣』でどうか?なかなかブルジョアジーなおもむきがあり良い塩梅。
 今宵からめくるめく慕夜記の世界へ、人生の残飯処理の世界へ、皆様と歩みたいものである。
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